春の伊豆路はかすみ立つ
今日は語呂合わせで”ふきのとうの日””ニットの日”というそうだ。
こんな語呂合わせで記念日を作るのは他の国でもあるのだろうか、ついでに、"ニートの日”も追加してみんなで朝からごろごろと無気力にしてればいい、講師には自分がなるか。
そんなわけで、ゴロゴロと過ごそうと思っていたが、たまには遠出をしようという要望もあって、伊豆を中途半端に回ってきた。
沼津市役所から狩野側沿いに長岡、そして韮山反射炉、蔵屋鳴澤の吊るし雛を見て、修善寺の梅園、戸田峠を越えて戸田で魚を食べ、海岸沿いに沼津に入った後、魚市場で買物して帰った。距離的には200Kmほど八時間余の行程。
韮山反射炉と蔵屋鳴澤の関係はどうなっているか知らないが隣り合っている。江川太郎左衛門が幕末に築いた反射炉は教科書にも載っているので静岡に来た当時この近くの現場から来て見たときがあったが、その時はかなり寂れていたが、今では整備も行き届き見違えるばかり、入場するとすぐに案内係の人が交代に飛び出してきて人数にかまわず説明してくれる。(当時作られたものを複製した大砲、24ポンドカノン砲という)
溶鉱炉は鉱山にいたとき何回か見ているが、近代的な溶鉱炉に比べて四基あるとはいえチャチなものである。しかし、幕末の風雲急を告げる時見よう見まねだったのか洋書を見ただけで作ったのか、数百門の大砲を作り江戸はお台場に据え付けたと聞くと、当時の人の苦労、偉大さが偲ばれる。
隣接する、土産物屋の2階で「つるし飾り展」をやっていたので覗いてみた。
つるし飾りは、最初伊豆稲取温泉のものが有名だったが、近年あちこちで見られるようになったもので、この会場では、「桃の節句飾り」が700、「端午の節句飾り」が500とかなりの数になっていた。
いちいち数えたわけではないので、その他なのか、その内なのか分からないが、椿の花を模した物、柿や梟を模した物などもあり、それは見ごたえがあった。
このように、多岐にわたるつるし飾りはそれぞれに型紙が違うと思うので新しい物は、折り紙同様、かなりの工夫と根気が必要なことを想像させられ、会場で飾りを作っていた数人の小母ちゃんは、世間話をしながら器用に細工をしていた。
ついで、修善寺梅園へ向かったが、やはり、最近の暖かさで満開になっているものの、梅には最近食傷気味の感があって早々に戸田峠へ、そして、富士山は海を隔てて七合目付近から上を出して綺麗ではあったが霞んでいて薄ぼんやり。
春の伊豆路は月おぼろ、、って歌があったよな。そう思いながら海に向かって降る。戸田は漁協近くのなじみの店に入ると、「手長海老のいいのが入っています」の声に踊らされ、思わず注文した。
身がしっかりして歯ざわりもよく、噛めば独特の甘味も出てうま~い~。
気温は、20度。腹いっぱいになると瞼が重い、波音ひとつ無い海岸に出て仮眠する。極楽極楽の一日であった。
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