« 辺りを照らすトウダイグサ | トップページ | 亀首会談 »

2007年3月15日 (木)

春はあけぼの

Img_0113_1 春は曙 やうやう白くなりゆく 

山際はすこしあかりてむらさき 

ただえる雲 細くたなびきたる、、、、、

徒然草の出だしのような朝を迎えた。ここしばらくスカッと晴れ渡った冬型の天気が続いていただけに、薄雲の広がった空は、二十六日下弦の月をおぼろに霞ませている。

P1010090 気温もそんなに高くはないが、いかにも”春~”という感じ、菜の花畑の向うも薄く霞んでいた。

毎年、今頃になると思い出すのは、卒業式に続く別れである。

私が、中学を卒業したのは昭和30年(1,955年)の春だった。同級生24人の小さな学校。鉱山の従業員の子どもばかりという、いま、考えればかなり特殊な学校だった。

当然、地元にはその上の学校もなく、働き口もないので卒業の少しあとには全員が親元を離れるしかなかった。その当時は、高校へ進学する者は半分も居ただろうか、半分は井沢八郎の"ああ上野駅”ではないが集団就職をした。あちこちの学校から集まった子どもたちは、その日から見知らぬほかの学校の卒業生と共に就職し自活し、親への仕送りまでした子もいた。

私は、幸い奨学金つきの高校には入れたので、親への負担が少なくなったことを単純に喜んだが、それでも4月からは見知らぬ人と相部屋の寮生活は辛かった。個人の財産は柳行李と布団だけ、机はなかったが、置くところもなかった。

それでも、こんなものかなという感じで不満はなかった。ただいまで言う五月病というかホームシックは前倒しできたのを覚えている。

就職した同級生も言っていたが、当時は、どんな仕事をしたいとか、自分に合った仕事なんて考えもしなかった。ただ、幾つかの就職口の中で条件が良い所というだけで、それも、どんな職種になるかなんて考えもせず、ただ言われるままに働いた。

中には、脱落したのか行方不明、音信不通の人もいるが、大半はその会社で腕を磨き、与えられた仕事に誇りを持ち、やりがいも見つけてきたことをたまに行なう同級会で聞く。

私が、就職した鉱山での仕事は、地面の下 真っ暗闇のなかで、削岩機で孔を掘り、火薬を使い坑道を掘削する過酷で危険な仕事だったが、生活のため辞めようなどとは思わなかった。それどころか、資格を取り、孔の掘りかたを自分なりに研究し、他の人と成果を競争することによって、やりがいを見つけていた。

どんな仕事でも、面白くなるのは3年5年以上たってからのこと、何事も辛抱せざるを得ない時代に生きてきたことが、いまになると幸せだったと思う。

自分に合った仕事、そんなもの初めからあるわけがないし、これと思った仕事もいざ生活の糧にしようとすれば生半なことでは勤まらない。こんなことを言うと「また古臭いこと言って、時代は変わっているんよ」って言われることは分かっている、、、、、、わかっているが、、なんだよ。

|

« 辺りを照らすトウダイグサ | トップページ | 亀首会談 »

コメント

慶さん

夏目漱石の草枕です。
知に働けば角が立つ、情に掉させば流される、、兎角この世は住みにくい。
住みにくい世の中を作ったのは人である。人のいない世界は人でなしだからもっと住みにくい。草枕から勝手に抜粋。

とにかく、世の中は思ったようには動かない。動かないけど、、、、じれったい!
あきらめて、天気の良い日に山登りに行こう。
以上、支離滅裂な返事です。

投稿: オラケタル | 2007年3月16日 (金) 09時28分

耳が痛いです。もう慶の年もアマちゃんなので子どもにしっかりしつけられなかったなあと反省しています。しかし、派遣で行く先で見かける若い子はひどいのになると、半日でやめちゃうからね。おかげで、この年でも雇ってもらえるので、私は助かってますが。急に頼まれるのは大概、若い子が急に休みだとか、来ないとかやめたとかですね。しかし、新人を育てる側にも問題はあります。平気で、慶に新人にこう言ってっていう派遣先の上司。あんたの仕事だ!何時間しかいないおばさんに頼んでどうする!

投稿: | 2007年3月15日 (木) 23時03分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/14271393

この記事へのトラックバック一覧です: 春はあけぼの:

« 辺りを照らすトウダイグサ | トップページ | 亀首会談 »