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2007年4月27日 (金)

ほんとうかな?バイオガソリン

Img_0008_4 朝時間を間違えて、四時半に起きてしまった。この後二度寝すると体の調子が悪くなるので、新聞を読んだ後早朝散歩に行くと、田んぼの中でケリの集団攻撃を受けてしまった。

例の甲高い鳴き声は、すぐ傍にいたらしいほかのケリにも伝わったと見えて、5~6羽が上空で乱舞し、頭すれすれに急降下してくる。子どもを守る一心だろうが、こんなにされると腹が立つ。

空一面に晴れ上がり、爽やかなはずの早朝散歩も、むかっ腹を立てる仕儀になったが、行きすぎた場所でひなげしの帽子を被ったようなつぼみでようやく気が治まる。

ちなみに、ひなげしの花言葉は「心の平静」とあった。まことに時宜を得た花言葉である。

新聞によると、今日から日本でもバイオガソリンが販売されるようになるという。

まだ一部の試験販売だそうだから、私が入れるようになるのはズーッと先の話だろうが、聞いているとなんだかもったいないというか、不自然さが気にかかる。

ブラジルやアメリカではすでにかなりの量が使われているようだが、サトウキビやとうもろこしといった農産物がこれにより価格が高騰し、手に入りにくくなっているとも聞くし、もともと地球上にあった二酸化炭素を植物が閉じ込め、それを、放出するだけだから、差し引き0 と勘定というのも、「ほんとうかいな」という気がしないでもない。

さらに日本では、役所間で主導権を取り合っていると来ては何をか言わん!であろう。

今日の花。右 野薊 左 川原撫子。花の本によると今の時期に咲く薊はこれしかないと、明快に答えている。川原撫子、少し早いので園芸種かも

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2007年4月26日 (木)

山は平年並み(青笹山1550m)

Img_0020_1 久し振りに晴れ上がった空を見て、先日来予定していた近場の山に登ってみることにした。

今年の春は、暖冬の影響でかなり早かったが、桜のころにはほとんど平年並みになっている。では、山の上はどうなのだろうか。というのを知りたくて前から晴れるのを待っていた。

近場の山といえば、安倍川沿いに1,000から2,000mクラスがいくつもあるのでその真ん中辺にある真富士山か青笹山のどちらにしようかと迷った末。青笹山(1,550m)に登ることにした。

朝八時、露を滴らせたツツジが綺麗だったので車を止め写真を撮っていたら、軽トラックが通りがかったので、正木峠まで載せてもらうことにした。

苔むした地蔵がある正木峠からは細い山道になる。この道は、一昨年の暮れに登ったきりだが、これで何度目になるのかはっきり分からなくなるくらい登っていることになる(ボケもあるので、、)。

登りだしてすぐに、上の写真の花に出会う。オニノヤガラによく似ているが、時期が少し早いようだし、背丈が低い。なんだろうなと思いながら写してきた。

五月二十三日、ようやく上の写真の花の名前が判明。ヤマウツボといいます。ブナの根などに寄生する植物で栄養はすべて、そちらから貰って育つそうです。

道々ウグイスとコノハズクらしい鳥の声が一人歩きの静かな山に響く。と、突然道の前方を何かが横切り、下の笹薮に突っ込んでいったようで笹が揺れ動く、熊?猪?鹿?、、、思いつくものを並べてみたが後姿が一瞬だったので分からない。

40分ほどで地蔵峠に到着、一休みを兼ねて山梨側に少し下りたお地蔵さんに挨拶に行った後、仏谷山(1,503m)に向かう。この山、昔は仙谷山と思っていたがどっちが本当だったのだろうか。仏と仙は手で書くとよく似ているので間違ったのか、思い違いだったのかいずれ地元の人に聞いて見る必要がありそうだ。

そういえば、下の正木峠もいろいろな書き方をしているので、どれが本当か分からない所がある。

仏谷山からは、尾根伝いに進むのだが、ここの尾根は高度差が100mとは無い登山道にしては平坦な、といっても良いほどの道が続く、多分昨年刈り払ったのだろうが幅2mくらいの広さがあり、尾根筋の散歩、のんびりと歩くには真に都合の良い日和である。

Img_0044 頭の上は青空が広がっているが、西風が幾分冷たく下から吹き上げる、四方の山は雲の中に埋もれてしまい展望が利かない。(写真、後に岩岳と下十枚山)

尾根筋の、木の芽は少し膨らんだだけ、狂い咲きでもと祈っていたイワウチワもまだまだ先のこと、頂上近くになってアセビだけが花盛りだった。

Img_0048_1 この高さまで来ると、いつもの年と変わりはないな。隣の岩岳のヤシロツツジも来月半ばと決まった。と開花予報士(そんなのあったか?)は断言し、10時少しに早飯にして帰る。(写真は笹に囲まれた青笹山山頂)

帰りは、細島峠から下ったが、足場が悪く疲れた。

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2007年4月25日 (水)

蓮華畑でランデブー

Img_0127_1 雨上がりの田んぼ。蓮華草もそろそろ店じまいに入った中、鴨の夫婦が愛を高めるためか付かず離れずランデブー(古くていまの人はこの言葉を知らないかも、、)

邪魔をしては悪いので、早々に離れたがその先のすこし水の溜まっている田んぼの中を小さな鞠のような物が転がっていくのが見えた。

なんだろうと目を凝らすと、すぐ脇からケリが飛び立った。

「やあ もう雛がかえったのか。どれ、一枚写真にでも収めようか」と近寄ったが、例の「ケリケリケリッ」とけたたましい声と共に二羽の親が交互に急降下をして攻撃をかけてくる。

ケリの性質として、雛は地面にうずくまったまま動かないことが分かっているので、大体見当を付けて近寄ったが見つからない。下手に踏んづけても可愛そうなので、目を凝らして探す。

目の前3mほどの所にいるはずだが、保護色で微動だにしない雛を見つけ出すことは困難な技、これで、蛇や猛禽類から逃れるのだから遊び半分の人間に分かるはずない。つい痺れを切らして引き上げた。とたん、親鳥も鳴りを潜め静かないつもの田んぼにもどった。

まさに、イソップ物語だったかに、蛙に石をなげる子どもに向かって「そちらは遊びのつもりかもしれないが、こちらは命がけなんだ!」と蛙が言っている図式そのままで反省するしかない。そして、最近の子どもに対する虐待などを聞いていると、おしなべて動物のほうがよほど子育てに真剣なのだと感じた一瞬だった。

今日の花。

いま、蜜柑畑などの下が紫の花が密集して咲いている。昨年まではこんなにも無かったように思う。ひとつは、左の紫花菜(ムラサキハナナ)別名花大根とも諸葛菜ともいう。右は名前が分からない。多分園芸品種が逃げてきたものと思う。細いひょろひょろとした茎小さな花を咲かせ、一本では目立たないが密集するときれいに見える。

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2007年4月24日 (火)

確かめようも無い新発見

Img_0125_1 天気のはっきりしない日が続くので、春がどの辺まで昇っているのか知りたいと思っているが、雨に打たれるのも嫌なので、近くの山にも登れないでいる。(左 赤目槲の芽)

どうか、すっきりとまでは言わないでも、降らないという予想を出して欲しいものである。

ということで、降られるのが嫌さに裏山でお茶を濁す。農道を登りきり尾根道に入ると、鶯の声に混じってホオジロが舌足らずの鳴き方をしていた「一筆啓上」までは何とかいえるのだが、その先の「つかまつりそうろう」が出てこない。

そこで、ふと気がついたことだが、鶯の方はいよいよ谷渡りといわれる「ケキョケキョケキョ」という啼き方になって。「ホーホケキョ」とは言わなくなってきている。

これは、いままで当たり前のこととして疑問を感じたことがなかったが、もともと鶯の鳴き方は「ケキョケキョ」だったのではないのだろうかと、というのは、人間でもそうだが、マイクを持って話しをする前に咳払いをして見たり、「アーアー」と声の調子を確かめるように、初鳴きなどの時は、まず「ホーホー」と声を出さないと次がでてこないのではないだろうか。

もし、そうだとすると、今まで聞いたことの無い説なので新発見になるか、などとにんまりしながら一人歩く、「だけど、確かめようがないんだよね、この話」

そしていま、赤目槲(アカメガシワ)がいま真っ赤な新芽を吹きだして目立っている。

この木は、生命力が強く工事などで地面をかき回した後などにいち早く育つ木であるが、材木などに使われることが無いうえ根が石垣を緩めるなどあまり評判は良くない。(薬にはなるらしい)

今日の花。左、川柳の綿毛 右、タンポポの綿毛。いま飛び立つかどうかの決断を迫られている。タンポポ、中央の一本が決断をした一瞬。

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物を数える単位で一番普及しているのが十進法。指が5本づつ左右にあるので数えやすいのが原因だと思う。(指が6本だったりとか、左右の数が違っていたらまた違ったのかも、、)

もうひとつには十二進法というのがあって、おもに時間なんかの単位に使われ、この二つが少し前まで世界に通用する数え方だったが、コンピューターが二進法を使用したことから、これも重要な数え方(?)のひとつになってきた。

コンピューターの原理、機械はまったく分からないので二進法は、実生活に関係ないと済ましてきたが、人間長くやっていると、案外二進法とは人生そのものなのではないかと感じることがある。

つまり、わが身を振り返ってみた場合でも、何回か「右するか左するか」と判断を迫られたことがあり、その時の決断の積み重ねが人生であり、いまに到っているのである。

あのとき、「あっちを選んでいたらなあ」と後悔している人はかず限りなくいると思う。結婚は男前で選んだが、、、とか、あの時の一言が、、、とか、あの時はこっちの会社のほうが良かったので選んだのだが、、、とか。

そこで、「あいつは運が良い」「俺はついていない」と愚痴とかため息とも付かないもがでて、酒場で荒れる(演歌風に言うと、、)     追い出されるけどね。

幸いにしてというか、能天気というか私は今までのところ、判断が比較的うまい方に転んできたと思っている。願わくば、この先重要な決断を迫られること無く、ウエットな日本人らしくファジーでお願いしたいのだけれど、、、

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2007年4月23日 (月)

片手いっぱいの幸せ

Img_0033_3  今日は、巴川を越えて南沼上の尾根に上がる。木苺の実も真っ赤に熟し道々拾い歩きをしながら歩く、程よい甘さに次々と手が伸びる。今の子どもは外歩きもしないし、こんなものに手を出さないので、日曜日の次の日でもなくなることは無い。

その後、伸びすぎた筍林を過ぎ、放棄された茶畑に出る。見ると、新しく芽を出して若緑をした茶の木の上に、去年の枯れた蕨が、コモを懸けるようにして被さっていた。

Img_0048_1 下を覗き込むと、丁度いい加減のものがポツンポツンでていたので、10分ほど根元からへし折って集めた。今日は予想外だったので入れ物は勿論、レジ袋も持っていない。

仕方がない。山道を帰るには片手を使えるようにしなければならないので、もう一方の片手で持てるだけを収穫し、「あまり取りすぎると来年生えて来ないからな」と負け惜しみを言いつつ帰る。さしづめ「片手いっぱいの幸せ」か

今日の花はイッペ。ブラジルから来たそうな。向うでは国花だとのことであるが、いかにもサンバの国らしく華麗で派手な色使いをしている。右は黄ケマン見ている分にはいいが折ると嫌な臭いがし、毒があるという。

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今朝の新聞の薄かったこと、おまけに普段より二時間ほど遅かった。

昨日の選挙のためらしいのだが、他の記事を手抜きして選挙対策にかかりきっていたらしい。

そして、テレビは北海道の夕張市長選、徳島の東洋町、長崎市長選を重点的に捉えていたが、一番興味を持ってみたのがやはり長崎だった。(八時半過ぎには飽きてきたので、スイッチを切る)

そこでは、前市長の娘婿を大々的に取り上げてきたマスコミは、敗れたのを同情的に扱ったのが多かった。旧来の弔い合戦的なもの、お涙頂戴的なものが多く、特に嫌だったのは、感情が高ぶったせいか、前市長の長女が落選後の挨拶で「父親に対する長崎市民の思いはこんなものだったのか」といった言葉であった。

これは、当選した候補者も言っていたが、前市長の職を家族のものと思い世襲を当然と思っていたことによるのだろう。前市長の原爆に対する姿勢は評価されるものだと思う。しかし、娘婿がどんな人かはほんの一部を除いては知らない人なのだ、、、

長崎市民はその辺を充分に考慮したものと思う。しかるに、テレビの中で事前投票した人の票を、娘婿に入れるとなんて無茶をいうコメンテーターがいたが、選挙規則という大前提がある以上それにのっとってやらなくてはならないのは自明の理であろう。

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2007年4月22日 (日)

咲いた咲いたとチューリップ

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咲いた咲いた 

チューリップの花が

ならんだならんだ

     赤白黄色

どの花見ても       きれいだな

ご存知、童謡の”チューリップの花”であるが、ここ静岡では早々と散り始めている。

午前中、雨模様から晴れ間ののぞく天気に変わったのを待ちかねて、出かけてみた。草の上に丸い水滴をおき、光の入り具合と葉っぱの艶で水玉は宝石のように光っているが、写真ではどうもその辺の機微が写し取れない。

写真雑誌などには、上手に発表されているので、何かコツがあるのかもしれないが、なんでも人の意見を聞かず独走する私には、コツをつかむのはまだまだ先の話しのようだ。

今日の花。左 稚児百合 右 青鷺とクレソンの花

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                。

                。

どうも、今年辺りからレジ袋が有料化されるかもしれない。

地球温暖化や資源の節約を大義名分にして、実施されるのだがこの効果はいかほどのものがあるのだろうか、疑問を持っている。

ひとつには、レジ袋に変わって「マイバック」だというが、万引きがも増えるだろうし、少量の買い物客(特にわたしなど、、)はレジ袋は買わないで商品をそのまま持って店内を歩き回りそうなので、店の保安係も目をしらっくらしてしまいそうだ。

折から今日は”アースデー”だという。

バブルのころだったと思うが東京にいる同級生を訪ねたとき、新宿の高層ビルの最上階で食事をお世話になったが、見下ろした下界のズーと彼方まで電灯の光が広がって、その先端がどこまで続いているか分からなかった。いま、私の近くでは梶原山の夜景でも同じような光の海が見られる。

この光の海に使われる燃料代。そして、自動車レースの中継をやっていたのを見たが、F 1グランプリのときなど、一回のピットインに注入する燃料が300㍑にもなると言っていた、これが予選から含めると何十台も走るのだから膨大な燃料を使うことになる。

このほかにも地球環境を破壊している最大の無駄遣いに戦争などもあるが、これらを見ているとレジ袋なんて子供だましに見えてくる。

そんななかで、今日は「いい夫婦の日」だとテレビのアナウンサーが言っていたが、やっとこの間「11月22日は”良い夫婦の日”です」といっていたのを思い出した。

年に二度も同じような日を作って、とおもったが、「まあ、コッチのほうは減るもんじゃなし、目くじらを立てないで奨励しておこうか」

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2007年4月21日 (土)

雉も鳴かずば、、

Img_0163 天気予報もはずれて、曇り勝ちながら暖かい一日であった。

静岡市街の北東に当たる、北沼上地区でも藤の花が木の上を薄紫に染め上げ、園芸品種とは違った趣をかもしている。そして、その脇を大きな鍬を担いだ人を先頭に筍掘り体験隊が、緑の腕章を付けた人の後について竹やぶに入っていった。

この竹やぶには、何組も入っているようで、あちこちで子どもの歓声を含めた声がする。

Img_0179 散歩道。麻機遊水地にかなりの数の雉が住み着いているようで、このごろは、雉の声を聞かない日は無い。

「雉も鳴かずば撃たれまいに」ということわざがあるが、国鳥に指定されてからあまり人に撃たれることも無く、ことわざは死語化したが、それを知ってか知らずかケーンケンッと啼き競っている。

縄張り宣言と雌に呼びかけているのだろうが、さすがに人間はお呼びでないと見えて、低い草薮からは姿を現さない。

しかし、あまりのしつっこさに諦めたのか、今日は「ゆらら」という保養施設の近くにデビューしてくれた。でも、距離が遠い。4~50mか、今日ほど望遠レンズ、高画素を必要と思ったことは無い。私のちゃちカメラではこれが精一杯である。

そのほかに、今日草むらで見つけた花。

左 昼咲月見草        右 草藤

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                   。

                   。

ここ最近になって、ピストルによる犯罪が多発し、日本にもかなりの銃が氾濫しているのがうかがえる。銃器の怖いのはその小ささと技術、修練がいらない所にあり、隠し持って引き金を引けば、体力の差、技術はまったく必要ない。

そして、自分と考えを異にする人に使用する事によって、恐怖に陥れ、同様の人には威圧感を与え「人 物言わずば撃たれまいに」という社会になりかねず、政治と共に(いや連動しているのか)アメリカを含む世界同様、未来に明るい展望が望めないことにいらだたしさを感じる。

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2007年4月20日 (金)

白山吹は実を付ける

Img_0034_4 七重八重 

花は咲けども 山吹の 

実のひとつだに

     なきぞ悲しき

この歌は、兼明親王の歌であるが、落語の”大田道灌”が世に広めたことで有名になった歌である。

山吹は、実を付けないか?、上の写真はシロヤマブキの実である。黒光りした可愛い実は何時までも枝からはなれず、葉が落ちてから奇妙に目立った存在になるから面白い。

Img_0031_1 しかし、花の時期になると、一見、山吹によく似た花と葉を付けるのでそんな名前が付いているが、よく見ると花びらは山吹の場合5枚なのに、シロヤマブキは4枚。葉の出かたも違うことで、別の種類と分かる。

結局は、な~んだで終わる話だが、花の名前は見た目でつけるため、同じ仲間でも違った種類の名がついたり、まったく関係ないのによく似た名前が付いたりと難しい

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今日は「穀雨」という。雨が多くなり田畑が潤って穀物が発芽する季節に入ったことを意味するそうで、昨日出かけた相良町でも、早いところは田植えが済んで稲の苗が整列をし、そこここでかえるの合唱が始まっていた。

また、Img_0011_1 天気予報を見ていたら、ここ一週間はお日様が顔を出す日が少ないとのこと、こんな時期が一番植物の生育する時期なので、次の晴れ間にはまた緑の世界が一変、あちこちの茶畑では八十八夜にあわせて、年増の茶娘が手を激しく動かしているだろう。

昨日から、静岡の茶市場も取引が始まったそうだが、例年同様、ご祝儀相場とはいえ1kg8万8千円の値段が付いたお茶があったと聞く。そんなお茶はどんな味がするんだろう。

せいぜい気張った所で、100g二千円とといわれるお茶を農家から貰って(本当にロハ)飲むことがあるが、私たちではお湯の管理などが難しくて、さも美味そうに呑んで見せるが、よく分からないのが実態である。

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2007年4月19日 (木)

これでも桜?ウワミズサクラ

Img_0098 よそさまのブログを見ていたら、ワラビやゼンマイの山菜を採取している記事が多くあるので、ようやく重い腰を上げた。

行った先は、相良町の牧の原よりの山。もうすぐ茶摘が始まる茶畑は新緑の若芽を綺麗にかぶせてうねうねと広がっている。

Img_0076_1 Img_0075_3 その先にこれでもサクラ?と首をかしげるウワミズサクラ(左)の細かい花を密集させた白い花と谷空木(タニウツギ)がもう赤い花をさせていた

Img_0101_4 山菜取りはもともと山の民なので山歩きを含めて好きな上、戦後の食糧難をカバーするため覚えたものを含めるとかなりの数を知っている。そして、山歩きの時、あれもこれも食べられるというと、「あなたは食料品店がなくなっても生きていけるね」といわれるくらいうるさがられる。

しかし、先週の長距離旅行で気持ち的にくたびれていたのと今年はなんとなく腰が重いので、気がむかないときは行っても仕様がないと控えていた。しかし、今日は雨が降った後の天気、”雨後の筍”では無いがちょうど出盛りころのはず、、、、。

ここは、静岡から遠すぎるのだが仕事の関係で、覚えた場所でありここ20年余毎年出かけている場所であり、行けば独活、三つ葉、いたどりなどを含めてある程度は保障されているが、さすが、20年もたつと草原に植林したヒノキがしだい大きくなり、日陰も出来てきて収量は最近少なくなってきた。

Img_0087_4  ゼンマイは、ツクシとスギナのように花の部分と光を受ける葉の部分があり、花粉を飛ばす花の部分を男ゼンマイ、葉の部分を女ゼンマイと飛騨では言い、どんなに収穫が少なくても、次の年のため男ゼンマイと女ゼンマイは2~3本残してくるのが常識なので、ここも飛騨式を適用している。(女ゼンマイ、手前の渦を巻いたものに先駆けて男ゼンマイが出て胞子を飛ばす) 

それにたいして、同じ羊歯植物のワラビは一度折ってもかなり遅く、八月ころまでは次々と芽吹いてくるので今の新芽が柔らかい時期はかなりとっても大丈夫である。

さて、友人への土産にする分も含めて取り終えれば、いつものように近くの日帰り温泉「子生まれの湯」に浸かり、食事をして帰る。

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2007年4月18日 (水)

近くば寄っては目にも見よ

Img_0065_5  米粒詰草(コメツブツメクサ)詰草はいわゆるクローバーとして古くから親しんできたが、この花は今日始めて知った。

道路の縁に小さな黄色い花が咲いているという認識はあったのだが、念のため写真にして調べてみたら、上のような名前だった。

アップにしてみると確かに詰草の格好に似た花である。しかし、花の大きさは2~3ミリがいいところ、色もこんなだし葉の格好は少し違う。とにかく細かい花が一面に広がっていなければ分からない存在であろう。

Img_0073_4 鎌倉時代の武士のように「や~や~ 遠からん者は音にも聞け、近くば寄っては目にも見よ、我こそは、、、、」とでも言わなければ分からない花は、左の「スズメノエンドウ」(左写真)も同様だが、全てのちっちゃい花は小さくても神様は手抜きすることなく花の美しさ、機能を充分に充たしている。

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明治の初め、軍楽隊の音楽として入ってきた西洋音楽が大衆化され、宣伝広告のチンドン屋とかサーカスで使われた郷愁を誘い、物悲しい音楽にジンタというものがある。

語源は、ワルツのジンタッタ ジンタッタのリズムから来たと聞いた。

その代表が、空に囀る 鳥の声 峰より落ちる 滝の音、、、で始まる「美しき天然」であろう。この歌の最後に神の御手の尊しやとあるが、八百万の神を信仰し、草木、石にさえ精霊を感じる島国の民にとっては、こんな小さな花にさえ精魂を作って花さかせる神はただただ敬うべきものである。

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2007年4月17日 (火)

季節の変わり目に

Img_0045_4 午後から雨になるというので早くから散歩にでた。本日の行く先は城北公園。(緑にもいろいろな種類がある)

カレンダーを見れば今日から「春の土用」に入ったそうな。つまり、前半を代表する梅 さくらが済み、後半色とりどりの花と木々の若芽が山を彩る季節になることを示す季節用語であり、よく言われる「山笑う」季節になった。

Img_0040 実際、公園に来て見るとこの間まで咲き誇っていた桜は若葉の陰に花びらの額だけを残し、地上には花びらさえも疎らにしかない。藤の花は棚から薄紫の花房をたらしはじめ、皐月が赤、白、ピンクと染め分けだしている。

Img_0033_2 P1010085 そして、この公園の目玉である「ナンジャモンジャ」が時おり現れる日差しの中で白い花を輝くように咲かせ出し、まさに、主役交替を演出していた。

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話は変わって、国会では私の目から見て国民にろくな説明も無いまま、国民投票法案が衆議院を通過し、参議院の審議に移っている。

この調子で行くと、憲法も簡単に変わってしまうのだ。新聞社の調査によるとアンケートに答えた人の半数以上が改憲賛成という返事をしているそうだが、何故そんなにいまの憲法を変えたいのだろうか。

随分と前に「国民の声にも変な声がある」といった首相がいたが、いまがその時か、、、

いまの憲法のどこがどう不都合なのか、改憲したい人は充分な説明をしていないと思う、法律と言うものは、社会の規範の線引きで、ここは良いがあそこは駄目だ、と決めるものである。

その中には、権力を持つ人を規制する役目が多分にあるのだが、今の首相らはこのタガをはずしたい。つまり、「強い人はさらに強く、弱い人はさらに弱く」なる格差社会を目指しているようにしか見えない。

また、先ほどのニュースによると長崎市長が銃で撃たれたとのこと、何とか回復して欲しいものだが、日本でも意見の違う人に対して再び「問答無用!」とばかりのテロ行為がぶり返しそうな気がする。

季節も変わり目だが、日本の社会も変わり目に来ているのを肌身で感じている。

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2007年4月16日 (月)

むべなるかな

Img_0030_3 この花”郁子”と書いて”ムベ”という。この場合は決して”イクコ”とは呼ばないで欲しい。また、郁子さんをむべさんと呼んでほっぺたを張られないで欲しい。

天智天皇がいまの滋賀県へ狩に行ったとき、元気なお年寄りがいたので、聞いたところ「この実を食べているから、、、」というので賞味した天皇が「むべなるかな」と言ったのが名前の語源だと書いてあり、「いかにももっともである」という意味だとかいてあった。

わたしが、「むとべなるかな」言う言葉から受ける印象は「仕様がないな」とという諦めの言葉を連想してしまうが、本当は肯定的な言葉であろう。

この植物はアケビの仲間で、葉の形、実の形、色はよく似ている。ただあまり大きな実を見たことが無いし、アケビのように熟しても二つに割れるということがない。

しかし、土地によっては、蔓を絡ませて照葉樹林を傷めてしまうといって嫌う所と、前に書いたように長寿の薬といって大事にする所があり、評価はさまざまである。

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先週は、静岡~山梨~長野~愛知~長野へ戻ってまた愛知~静岡とやく900kmほど廻ってきたことになるが、大雑把に言って自動車の運転には県民性というものが感じられる。

私自身の運転は他の人に評価をゆだねるしかないが、ややせっかち気味であると思っている。山梨県はどちらかというとゆっくり走る人が多く、前の自動車との間がどんなに開いてもわが道を行くみたいなところがあり、後ろから行くと苛立つことがある。

また、長野県は私以上にせっかちで、前の車にビタッとくっついて走るので、長野へ行くとよく道を譲らなければならない。愛知は隙があれば割り込んでも先に行きたがる。

もちろん、個人個人ではいろいろな人が居て、全てに当てはまるわけではない。私がいままで何年も巡り歩いたなかで感じた、思い込みと偏見の県民性である。

そして静岡、今日の夕刊にも載っていたが、浜松、静岡両市が人口十万人当たりの交通事故がダントツのワースト1,2を占めたそうだ。

このことは、私を含めて他所から来た人が敏感に感じるようで、新聞にも「交通ルールが乱れている、信号無視や無謀運転が多い、、」と書かれていた。

先日も、右左折の信号の出し方が遅いといったら、あまり早く出すとイナカッペに見られるという返事に驚いたことがあるが、ブレーキを踏んでから右左折のウインカー(ランプ)を点けるのは危険である。また、横道から出てくるときなども横断歩道に平気で乗り入れて歩行者を妨害していることに気づかない人など、、、、他にもあるが、そのいい訳に「静岡の衆はぬくといので、ぼーっとしている」というのがあった。

 むべなるかな  こんな時に使うのが正解なんだろうか

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2007年4月15日 (日)

竹秋

Img_0025_1 竹林が黄色味を帯びてきた。

この季節を竹秋といい、成長した竹が葉を散らす時期である。他の落葉樹と違い、全てが葉を落とすわけでないが、写真のように枯葉色になる。季節の移り変わりに敏感な日本人は繊細で、綺麗な言葉(中国から来たかもしれない?)を作ったものだと思う。

急成長する筍のほうに、水分を送るため親のほうが水分不足を起こしているのだろうかと、下手な勘繰りをしてみたが実際はどうなのか知らない。

Img_0023_3 知人のたけのこ堀を手伝いがてらについて行くと、一週間前に入ったきりなものだからその間にすくすく伸びて、背丈以上になっているものもある、特に竹林の外縁に当たる所の成長が激しい。

中に入って、まだ土の上に先端を少しのぞかせたものが運悪く掘られることになる。

大きな鍬で、根元を掻き分け根から分かれた辺りに鍬を打ち込み、堀りあげるわけだが、どうにかすると親竹のほうに衝撃が伝わり、細い枯葉がはらはらと舞い落ちてくる。

上を見上げると、竹の葉越し青い空、そこのどこと知れぬところから、少しよじれた細長い枯れ葉が、空気の抵抗にあってクルクルとゆるやかに螺旋階段を降ってくる。そうして、中には2~3枚がワルツを踊るようにつかずはなれずに回転しているものもあり、それを眺めて作業がおろそかになりあきれられるが、いままで何回も手伝いに来たが、よそ見したことが無く、こんな景色は知らなかった。

少しはなれて鶯の声音、柔らかな木漏れ日、ふかふかの落ち葉の上、全て放り出して仰向けに寝転がりたい。この年になってになって始めて気づいた景色、それだけに千金に値するのではないだろうか。

Img_0080_1 たけのこを背負っての帰り道、薄い桃色の花を見た。道上の少し高みにあるため接写出来ないので、ズームで引っ張り出して写せば、鶯神楽(ウグイスカグラ)、この名前は、ウグイスカクシから変化したのではないかとの説もあるそうだが、先ほどの鶯もこの辺りに身を潜めていたのだろうか。

今夜は、筍御飯に、たけのこ刺身と筍ずくし

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2007年4月14日 (土)

鴛鴦に危機

Img_0064 10日、鳳来山を後にして、豊川沿いに登りつめ寒狭川と名前を換えた付近の田峰(ダミネ)というところに鴛鴦(オシドリ)がまだ居るかも知れないとと言うことで立ち寄った。

手前で車を止め、保護活動をしている地主に聞いたところ、今日は天気が良いし時間も時間だから、いないかもしれないと言う話だった。

川岸に張られた、ブルーシートの観察小屋に入ると、先客が一人望遠レンズの大きいのを付けて撮影中。

ならば、居るのかとレンズの先を見ると4~50羽ほど、川が湾曲してくぼんだ所の岩場に居た。最盛期には400羽にもなるというが、これだけ居れば充分。

Img_0073_3 ただ、距離が遠い。もう少し早い時期だとまだカップルが決まらず争奪戦も見られるそうだが、いまは相手が見つかった様子でのんびりと幾組かが川中に出てきて、モデル役を果たし、残りは、岩場でじっと動かないでいる。

地主夫婦曰くには、餌の団栗などを30年もやっているのにちっとも慣れることがなく、姿を見ると逃げるほど警戒心が強く頑なな鳥だとの事。

パンフレットにも、近年オシドリが巣をかけるうろの持った巨木が減り、営巣状況が悪化し減少傾向が続くとあった。

鴛鴦と言えば極彩色の雄鳥。そして、むかしは、連れ添ったら一生離れないと教えられたが、人間を見習ってか、近年はそうでないと言う研究発表があったそうだ、せめて、オシドリだけでも熟年離婚は無いという結果が欲しかったのに、、、。

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2007年4月12日 (木)

木曽路はすべて山の中

Img_0126_2 「木曽路はすべて 山の中である」という書き出しで島崎藤村は自分のふるさと馬籠を「夜明け前」という小説で書き出している。

静岡に来てから、私のふるさと飛騨と静岡を結ぶ道路のひとつに下呂から舞台峠を通り中津川を廻って行き来したことが何度もあるくせに、馬籠や妻籠には寄り道したことがなかった。たぶん、一刻でも早く目的地に行きたいと気持ちに余裕が無かったためであろう。

今回は、昼神温泉から清内路峠(1,192m)をを越え妻籠から見ることになった。道路わきの駐車場から、少しあがるとそこは時代劇のセットのような景色が開けている。

Img_0130_1 東海道に比べて中山道は古い景色が保たれているところが多いが、その中でも特に保存度が良い所なのだろうと思う。

ウイークデーのため、人通りは少なめだと言うが観光バス組みもいて結構な賑わいである。そぞろ歩きで、あちこちを見て歩くが次第に欠点を探してある自分に気が付いた。

街中に、小型だがトラックが入ってくる。足元が完全舗装されている。二階屋の部分が高すぎるなど、、しかし、これも人が住んでいる以上仕方のないことか、ヨーロッパでも堅固な外観だけで内部が改装されているのを見ているのだから、、、

Img_0140_2 と、その時一団の高級カメラと三脚を持った年配者がすれ違い少し高みに場所から、ガイドらしい人の指示に従って、道路いっぱいになって同じ方向にレンズを向けた。すぐ傍に希少品種の”花ノ木”が新芽を出し一番良い時期であるのにも気づかず。

多分、”何とか撮影旅行”なんだろうな、これでは、みんな同じ写真になってしまうのではないだろうか。前に由比のサッタ峠で見た風景と一緒だ。こんなことまで指示されて動くのは嫌だなというのが、私のひねくれ者たるところか。

一度町外れまで行き、戻ってから昼食に並んで営業している蕎麦屋さんに入り、名物信州信濃の十割蕎麦を注文した。

せいろ二枚重ねで量が多かったが、つけ汁が甘く私の口に合わない「名物に美味いものなし」を実感させる蕎麦で半ばがっかり。旅先の一見ではなかなか美味いものに出会えないものである。特に観光地では、、、

Img_0153 そのあと、一度木曽川沿いの国道19号をくだり、再び馬籠を目指して山を登る。集落の一番上の駐車場で下ろしてもらい降り一方の街中を見て廻る。

ここは、先ほどの妻籠と違い、より時代が下っている感じがする。「夜明け前」には火事で二度も焼けたという箇所があったが、もっと新しいような気がした。

Img_0158 この辺りもいまが桜の見ごろ、しかし、どこでもそうなのだろうか、すこし花の付き様がさびしく感じる。街道を直角に曲げていざと言う時に備えた”枡形”を過ぎて下の売店兼駐車場に到着。

馬籠と妻籠を結ぶ集落の間にはまだ幾つかの人家があるようだ。「夜明け前」にも”新規に新規にできる道は、だんだんと谷のほうに下がってきた”と書かれているが、それでも江戸時代末期から明治の初めにかけて、藤村の父をモデルにした青山半蔵たちが時代の流れに敏感に反応し、御一新に期待をかけていた時は主要道の宿場町であり人の往来が途絶えることが無かった。

随分前に読んだ「夜明け前」をおぼろげに思い出しつつ、次の機会には馬籠峠を歩いてみたいと念願して帰途についた。

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2007年4月11日 (水)

桜咲く昼神の朝は早い

Img_0097 昼神温泉の朝は早い。といって、他所に比べて夜明けが早いわけでなく、朝市が朝六時から八時までの間だということで、何か珍しいものを欲しいとなれば売り切れる前、少しでも早いほうが良いということになる

たまの、温泉宿ゆっくりと寝ていたい人にとっては、迷惑千万な話である。ウイークデーにも拘らず30軒ほどが店を出し、見わたせば桜が満開のこの地でも、花冷えなのか寒さがきつくストーブを焚いている所もあった。

昨夜は弟夫婦が選んでくれた宿は、料理も美味しく量も多かったので腹がきつく暖房も強い気味で寝苦しかったが、ぬるっとする朝風呂で全て解消。さて、どこを回るかということになったとき、「善光寺だけでは片参り」というパンフレットの名文句につられ飯田市の元善光寺、戻って妻籠、馬籠を廻って帰ろうということになった。

宿を出たのは九時ころ、お世話になった女中さんに機嫌よく送り出されて、20km 30分ほどカーナビの指示に従って、飯田市に着く。

Img_0107_1 市の中心部に近い大宮町の道路では分離帯状になっているところに桜のかなり大きい木が満開の花を付け延々と続いている。「提灯も付けられているし、ここで花見が出来たらいいんだけど、、」なんて思いながら通り過ぎて目的地。

元善光寺は、門前町も無く思ったより小さかった。むかし、本多善光という人が難波で拾い上げて、故郷であるこの地で御祀りしたのが最初だから、ここが、本家本元だと饅頭屋みたいなことが書かれていた。(罰あたるど、、、)

Img_0100_2 信濃の善光寺(ここも信濃なんだが、、、)同様 わずかばかりのお賽銭を上げたあと、戒壇めぐりで鍵に触れ、これで極楽浄土間違いなしとしたところで、再び昼神温泉に戻り、山越えの道を通って妻籠に向かう。

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2007年4月10日 (火)

三河の東照宮

Img_0060_5 今年静岡では、徳川家康が駿府城に入って400年になるとかで、なんだか記念行事を行なっているらしい。それに便乗したわけではないが、家康の出身地三河の東照宮を尋ねてみた

東照宮は、家康を祭神として祭っており、江戸時代には子孫の松平、徳川氏は言うに及ばず全国の譜代 外様大名は競って祭ったらしく500社以上にも及んだとの事。そして現在でも130社ほどが残っているらしい。

その中で、一番有名なのが日光東照宮であり、久能山東照宮であるが、各地では地元の東照宮を含めて三大東照宮と言っている所がかなりあるようだ。

Img_0047_2 その中のひとつ最初は、徳川家発祥の地と言われる三河松平郷にある”松平東照宮”。

ここは、豊田市街地の東30kmほどのところにある里で、三方を山に囲まれ、なだらかな傾斜を持つ開けて谷あいの地であり、拠点となったらしい城は谷を出たところ尾根筋にあり、集落を守っていたようだ。

いまこのあたりに立って見ると、よくぞこの地からこつこつと領土を広げ、天下を取ったものだと感心する。一方、史跡観光地として開発したため、当時の面影はなくなったようだが(司馬遼太郎を嘆かせた話は有名)公園入り口の松平親氏の像はどこにでもあるかしこまった像ではなく、野武士然として迫力があってよかった。

また、ここの東照宮は、パンフレットによると、もともとの八幡社に家康を合祀したとかで、どこにもあるような派手派手しい権現造りでなく、普通のお宮さん風のたてものだったことも面白かった。

つぎに、向かったのが宝来山東照宮。ここは、足弱な連れと時間の関係もあって麓から、1,450段とも言われる参道を回避して自動車で登る。

Img_0083 駐車場から10分ほど、本堂の手前石段を上がったところ、創建時に植えられ、360年ほどの杉の巨木に囲まれるようにして、朱塗りのお宮さんがあった。

建物は、規模、外装の漆の仕上げは久能山に及ぶべきも無いが、家康の母親が鳳来寺に参詣して家康を授かったとの故事から立てられたもとのとある。

Img_0086_1 その後、鳳来寺本堂前で一休み、満開の桜を眺めながらひょっとしたら鳳来寺を有名にした声の仏法僧(ブッポウソウ)でも聞こえるか知らんと思ったが、ウグイスの声さえ聞けず静寂のひと時のあと、山を下り今夜の宿昼神温泉に向かった。

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2007年4月 8日 (日)

鐘の音に背中をおされる

Img_0004_3 信濃の国、中山道芦田の宿の北側に津金寺という天台宗の古刹がある。

信濃の談義所とも言われ創建千三百年余。樹齢700年とも言われる杉の大木を中心にして由緒を感じさせる風格を持っている。

このお寺の裏山を手入れして、いろいろな山野草が植えられ保護されていると言うので見に行った。

傍の「権現の湯」という日帰りの温泉に浸かった後、夕暮れにはすこし間があったので、人けの無い駐車場に車を止め、カタクリの花を見に園内をまわった。

Img_0033_1 Img_0018_1  標高700mほどになるか、浅間山と蓼科山にはさまれたこの地の春は遅い。ようやく、草木も目ざめる準備をしたところと言った感じで落ち葉がカサコソと音を立てるだけの落葉樹の林の麓にカタクリがまばらに花を咲かせ、その脇にアズマイチゲが白い花をうつむき加減に咲かせていた。

Img_0024_2 花の数としては、他所のカタクリ園などより疎らではあるが、千曲川沿い、佐久盆地の一部で、朝冷気が溜まり、まだ、霜がよく降りるこの地のカタクリは、根元ががっちりとして丈夫そうに見える。

Img_0026_2 お寺の裏山が散策路になっているため上ると、平安時代から鎌倉にかけてこの地の豪族だった滋野一族に関係するらしい宝印塔が無数通路脇に立ち並び一際立派な三基の県文化財の所まで来た時、背中をおされるような力でお寺の鐘が撞きならされた。予期していなかっただけにびっくりすると同時に日ごろ神仏に無関心な私にも、なにかの因縁を感じさせるものがあった。

Img_0010_8 Img_0030_2 そうして、廻った最後には、まだ、枯葉を残したままのマンサクと山延胡索(ヤマエンコサク)が一株だけ青い花を燃え上がらせるように咲かせていた。{この花、私は名前を間違って憶えていたため花図鑑で探し当てるのに随分と時間がかかった。ケマンの仲間だそうだ}

日はすでに山の端に沈み、たそがれは次第に深くなって、風呂上がりの身に寒さを感じてきた。

さて、それでは今夜の宿、 義弟の家へ     おりから今日は潅仏会、お釈迦様も甘茶でかっぽれの日だ「酒が飲める 酒が飲める酒が飲めるぞ~」と飛び立つように向かう。

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2007年4月 7日 (土)

恋の手練手管

Img_0084_1 鵜も恋をする季節に入った。

普段は、黒一色の忍者装束であるが、少しは雌にアピールせんものと首の付近を白く化粧して雌の隣にそっとたたずむ。

その距離、2mほど。少し様子を見ながらにじり寄ると、雌のほうはついと逃げる。嫌いなら飛び去ればよいものを少しだけ動く。

これは、人間にもよくある手口である。恋の手練手管は知能には関係ないのか。

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昨日の報道によると、日本語のブログが37%を占めて、世界一になったそうだ、三ヶ月前には33%だったそうだからその増え方は過剰を越えて異常になったのかな。

一般に、ブログは日記風ホームページと言われ、日本人の几帳面さからか、日記好きは戦争中にもよく知られ、アメリカ軍が日本軍戦死者から日記を集めて日本軍の動向、状況を探ったと書いてある本を見た。

しかし、通常の日記と違うのは、人に見られるのが前提であり、プロバイダーによっては見られた回数を競わせ、加熱しているものが多い。

別の見方をすれば、「百花斉放 百家争鳴」で、民主主義の根幹なのかもしれないが、韓国では誹謗中傷の道具にされ、子どものブログでも苛めの書き込みなどで自殺者まで出ていることが報道されている。

かく言うわたしも、2年前から書き出した端くれなので大きなことは言えないが、変な書き込みをちょいちょい受け切捨てている。それにしても日本語が世界の37%を占めるというのはチョッと多すぎやしないだろうか。それとも、一過性の流行なのかしばらくは様子見をしてみることにしよう。

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2007年4月 6日 (金)

からたちの花が咲いたよ

Img_0060_4 からたちの花が    さいたよ

白い白い花が        さいたよ

からたちのとげは      いたいよ

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                        青い青い針の とげだよ

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童謡の「からたち」、島倉千代子の「からたち日記」などから受けるからたちと実際の枳殻のギャップは大きい。

白い花は、他の花に比べてお粗末だし、大きく鋭い棘は見るからに痛そう、おまけに折れた傷口の匂いは独特なものがある。

何処から種が飛んできて育ったのかわからなかったが、以前、家の庭で6年ほど育っていたものを切り捨てた時に激しく抵抗され、ごみ収集日に出すまでの間、刺し傷や引っかき傷を何ヶ所も作り酷い目にあった記憶がある。

しかし、この木を台木にして蜜柑が出来ることを知ったのは静岡に来てからのこと、上に乗っかった蜜柑は棘も抜かれてただ甘く迎合しているが、いつか牙をむく瞬間をねらっているのではないだろうか。

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2007年4月 5日 (木)

気息奄々?の黄揚羽

Img_0046_3 本日は清明。「万物発して清浄明潔なれば 此芽は何の草か知れるなり」とあり、落葉樹からしんめがふきだすきせつという意味であろう。

暦の季節に合わせたかのように、若葉が吹きだした木の間がくれから声援を送る鶯の声を背に梶原山(279m)に登る。

上り口は、瀬名の公民館から40分ほどだった。正月の「初日の出」は時間もなく上の駐車場近くまで車による山登りだったが、今日は春の日いっぱい浴びながらのゆっくり旅。途中、私同様のハイキング姿の人やたけのこ堀りの人もいたりして、結構人の気配の多い山である。

Img_0052_2 山頂に上がってみると、一応気にしていた枝垂桜は花を散らし、すっかり葉桜になっていたが、スミレの花が丁度満開、空気が澄んでいるので、足下の静岡市内はすっきりと見え富士山や伊豆半島もごきげんな様子で顔を出している。

Img_0056 そして、何よりも嬉しかったのは、黄揚羽蝶の乱舞。芝生を植えて整備された草原の上を敏捷に飛び回り、二羽がもつれるように高く舞い上がっては急降下する、縄張り争いか、恋をしているのかしらんと思っていたら、もう一羽が加わって、三羽になったり二羽になったりして上に下にと飛び違い、なかなか被写体になってくれない。

ときどきは、タンポポの花に掴まるもののすぐに飛びたち近寄らせない。仕方ないので一本松で知られる帆掛山(304m)に向かって歩く。

幅広く整備された道を15分ほど歩くと到着する。結構多くの人とすれ違うが何れも同年輩以上の人。

やはり、芝生で綺麗に整備された山頂を一巡りし、引き返すと梶原山の上では先ほどの黄揚羽がひとつ、少し飛び回っては芝生の上で一休みを繰り返していた。

激しい戦いで傷ついたのかと思ったが、飛び方は尋常なので縄張りを守りきったものの息切れをして、気息奄々と言った状態なのか。で、早速被写体になってもらう、できればスミレ、タンポポなんでもいいが花に止まらないかと期待してもなかなか思い通りにならないので、、、、

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2007年4月 4日 (水)

春 前半は終了

Img_0016 3月末からの静岡祭りは、人ごみが嫌なのと孫のお相手で行くことが無かったので、街中の桜見物に行ってきた。勿論、散歩を兼ねての巡り歩き。

コースは、自宅~城北公園~浅間神社~駿府公園~自宅という全長8kmほどの観光Fコース。(Fの意味は花)

途中あちこちの桜をはじめ、他人様の庭に咲くいろんな花を覗き見しながら歩く。桜はまだこれからというものも少しはあるが、染井吉野はほとんど風に吹かれてハラハラと落花の舞。

城北公園では、公園デビューをはたした?幼児たちが落ちてくる花びらを追いかけ、池の縁では常連のご老人がかたまって話しをしている。    世はこともなし。

浅間神社は、明日まで二十日会祭とかで、屋台も出てお祭り気分だが人出は時間が早いせいか少ない。

Img_0018_2 次いで廻った、駿府公園は祭りのテントもほぼ片付けがすみ撤収のトラックが入っているなかで、中央の桜の多いところで祭りの半被を着たお年寄りが踊っていた。

まだ10時前と言う時間を気にしてか、スピーカーの出力が小さいためか、ボリュームを小さくして舞い散る桜の中で輪を作って踊っているのは妙に印象的だった。

Img_0032_1 内堀外堀は言うに及ばず、公園内で発掘された堀の水面には風に吹き寄せられた花びらが白く水面を覆っている。

これで、一幕ものの春は前半が過ぎたなと実感させる風景を見た気がした。

明日からは夏に向け、出発!

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2007年4月 2日 (月)

ヤドリギは冬目立つ

P1010007 葉を落とした落葉高木の山を歩いていると、木の高みの所に宿木(ヤドリギ)を見かける。

夏場は茂った葉に隠れて姿を見せないのだが、丁度、今頃だと北国も青い空が戻り、地表の雪の反射光もあって眩しい空に、青い塊が、ならの木やぶなの木にくっついているのは、なにかしら絵になる。

近寄ってみると、厚手の細い葉っぱの先端部分に小さい黄色味がかった卵のような実が付いている。手にとって押すと簡単につぶれ、青臭いような変な臭いとねばねばとした感触。見るにはいいが、二度と触りたくないような種が出てくる。

この種を、鳥が銜えて行って糞と一緒に出すのか、外側だけ食べて種を木にこすり付けてくちばしを綺麗にするかわからないが、木の幹にくっつき、そこから木の幹に根を差し込んで養分や水分を横取りするらしく、木が弱ると言って、私の伯父なんかも木に登ったり、棒の先に鎌をつけて、掻きとってもまだ出てくるという厄介者であった。

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今年は、ペコちゃんでおなじみの不二家やサンヨー電気から創業者一族が経営陣から一掃されるそうだ。

いずれも、小さい会社から全国ブランドになっただけに、創業者は運もあるがそれ以上に努力をした事と思う。そして、それだけのものにした以上は愛着心も一方ならぬものがあることは傍目でも分かる。

しかし、その思いが、3代目4代目となると子どもの時から世襲制という環境で育つだけに、創業の精神は消えうせてしまい、寄生木のような存在になってしまう。それだけに徳川幕府など見ても3代目が重要で、あとは経営に口出ししないお飾り創業家がいい所。大きくなれば合議制に移るのがベターなのだろう。

丁度、宿木のように会社がうまく行っているときは、少々の我儘や無能力でもやっていけるのだが、何かの拍子に不祥事が起きると宿木の緑色が目立ってくる。

寄生木には、完全にやどった木から栄養や養分を得るものと、光合成をする半寄生木があり、上の写真の宿木は光合成をするので半寄生木になる。

また、一般家庭では、親離れ子離れできずに何時までも面倒を見ているのもこれに類するか。そして、政治の世界にはもっと大掛かりなヤドリギがいるのを聞くと、鎌で刈り取ってしまいたいのだが、なかなかこれがしぶとくて、、、、

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2007年4月 1日 (日)

春紫苑

Img_0065_3 春紫苑が咲いていた。

白と淡いピンクの花は可憐な菊のような感じと、優雅とも思える名前で、つい気を赦してしまうが結構強い帰化植物で、その勢力をひろげている。

いつの頃だったか、古本屋で新田次郎の「春紫苑物語」という暗い短編小説を読んだことがある、いまその本がどこにあるか分からないが、憶えている限りでは、園芸用に改良した花が、アメリカから持ち込まれ古い旧家のような家で育てられていたが、その家が絶えた時逃げ出して先祖がえりをしたものが、全国に広がってしまった。というものだったように記憶している。

それでは、園芸品種がどんな花だったと書いてあったのかは覚えていない。多分大柄な花だったのではないだろか、逃げ出すと大変なことになると、厳重に育てられていたのに、、、、とも書いてあったように思う。

結局、日本に来た経路は様々であろうが、日本の気候という以外障害の無い動植物は、天敵がいないと言うこともあって、猛繁殖し全国に広がり、在来種を絶滅危惧種から天然記念物にまで変えてしまう。

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Img_0099 今日は、孫の進学祝を我が家で行い、これらの従兄弟を加えてのお祝い会になった。

じいじは、ゴッドフアザーを演じるべき威厳を持って迎えようとしたが静岡祭りの約束を捨ててまで来た孫どもにメロメロ、甘いただの爺さんに変身。

また娘から、「学校の手続き(お金など、、)親の苦労がまた分かった」と言われこれまた鼻高々。ウッフン!

その後、久し振りに泊まっていくと言って、いま隣の部屋で、中2、小3の男の子3人がかたまって騒いでいる。今年初めて30度を突破し夏日の余韻がある我が家を暑苦しくさせている。

ときどき、叱りながらこの文書を作っているが、内心は自分の子どものころを思ってにやついている。

これは本心だよ、、、、、エイプリルフールなんかじゃないからね。

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