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2007年4月12日 (木)

木曽路はすべて山の中

Img_0126_2 「木曽路はすべて 山の中である」という書き出しで島崎藤村は自分のふるさと馬籠を「夜明け前」という小説で書き出している。

静岡に来てから、私のふるさと飛騨と静岡を結ぶ道路のひとつに下呂から舞台峠を通り中津川を廻って行き来したことが何度もあるくせに、馬籠や妻籠には寄り道したことがなかった。たぶん、一刻でも早く目的地に行きたいと気持ちに余裕が無かったためであろう。

今回は、昼神温泉から清内路峠(1,192m)をを越え妻籠から見ることになった。道路わきの駐車場から、少しあがるとそこは時代劇のセットのような景色が開けている。

Img_0130_1 東海道に比べて中山道は古い景色が保たれているところが多いが、その中でも特に保存度が良い所なのだろうと思う。

ウイークデーのため、人通りは少なめだと言うが観光バス組みもいて結構な賑わいである。そぞろ歩きで、あちこちを見て歩くが次第に欠点を探してある自分に気が付いた。

街中に、小型だがトラックが入ってくる。足元が完全舗装されている。二階屋の部分が高すぎるなど、、しかし、これも人が住んでいる以上仕方のないことか、ヨーロッパでも堅固な外観だけで内部が改装されているのを見ているのだから、、、

Img_0140_2 と、その時一団の高級カメラと三脚を持った年配者がすれ違い少し高みに場所から、ガイドらしい人の指示に従って、道路いっぱいになって同じ方向にレンズを向けた。すぐ傍に希少品種の”花ノ木”が新芽を出し一番良い時期であるのにも気づかず。

多分、”何とか撮影旅行”なんだろうな、これでは、みんな同じ写真になってしまうのではないだろうか。前に由比のサッタ峠で見た風景と一緒だ。こんなことまで指示されて動くのは嫌だなというのが、私のひねくれ者たるところか。

一度町外れまで行き、戻ってから昼食に並んで営業している蕎麦屋さんに入り、名物信州信濃の十割蕎麦を注文した。

せいろ二枚重ねで量が多かったが、つけ汁が甘く私の口に合わない「名物に美味いものなし」を実感させる蕎麦で半ばがっかり。旅先の一見ではなかなか美味いものに出会えないものである。特に観光地では、、、

Img_0153 そのあと、一度木曽川沿いの国道19号をくだり、再び馬籠を目指して山を登る。集落の一番上の駐車場で下ろしてもらい降り一方の街中を見て廻る。

ここは、先ほどの妻籠と違い、より時代が下っている感じがする。「夜明け前」には火事で二度も焼けたという箇所があったが、もっと新しいような気がした。

Img_0158 この辺りもいまが桜の見ごろ、しかし、どこでもそうなのだろうか、すこし花の付き様がさびしく感じる。街道を直角に曲げていざと言う時に備えた”枡形”を過ぎて下の売店兼駐車場に到着。

馬籠と妻籠を結ぶ集落の間にはまだ幾つかの人家があるようだ。「夜明け前」にも”新規に新規にできる道は、だんだんと谷のほうに下がってきた”と書かれているが、それでも江戸時代末期から明治の初めにかけて、藤村の父をモデルにした青山半蔵たちが時代の流れに敏感に反応し、御一新に期待をかけていた時は主要道の宿場町であり人の往来が途絶えることが無かった。

随分前に読んだ「夜明け前」をおぼろげに思い出しつつ、次の機会には馬籠峠を歩いてみたいと念願して帰途についた。

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