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2007年5月31日 (木)

花筏はなかのりさん

Photo_11 木曽のなあ~ 

   なかのりさぁ~ん

木曽の おんた~け     

    ナンチャラホイ

                        夏でも 寒い ヨイ ヨイ ヨイ

花筏(ハナイカダ)奇妙な花?である。葉っぱの真ん中にこじんまりとした同色の花をつけているのでよく見逃してしまう。

しかし、この花の付き方を見て、筏の上の筏師(船頭ではない)に見立てての命名であるのは明らかである。

昔は、材木を木場に出すためいろんな方法を持って運び出したが、一番大仕掛けだったのは、切り出した木を谷に落とし川をせきとめ、落とした丸太を組んでせき止めた水と共に流しだす方法で、大井川、熊野川など大きな川ではよく行なわれたようだが、危険が伴うだけに筏師はその花形であったと聞いた。

筏には先頭に乗る人を、舳(へさき)乗り、最後に乗る人が艫(とも)乗りといい、真ん中がなかのりさんであるが、花筏にはたかのりさんしかいない。

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今日は午後になって激しい雷雨になった。雷の音はかなり遠かったのと、大降りの時間が短かったので傘を差して近所をまわってみた。

左、タチアオイ、右、紫陽花何れもこれからの季節を代表する花だが、私としてはタチアオイはギラギラとした太陽の下の花。紫陽花は今日のように濡れた地面を想像させてしまう花である。

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2007年5月30日 (水)

母子のたわむれを見て

Img_0030_5 麻機遊水地の一角で母子がたわむれていた。

今日は学校が休みではないはずだから、そばの子ども病院にでも行ってきたのか、それともなにかの都合でここに来たのだと思う。

遠くから見ていると、母親(だとおもう)が子どもの周りを回りながらカメラを向けて、自分のほうに走ってくるように指示したり、母親自身が子どもの周りをぐるぐると回ってレンズを向けている。

可愛くて可愛くて仕様がないといった雰囲気が遠くまで伝わってくる、まさに母性愛の塊と言った感じ。多分この調子では、ご主人と恋愛をしていたときとは比べ物にならないくらい子どもに夢中なのではないだろうか。

また、そのくらいでないと子育ては出来ないのかもしれないが、我々のころは五人兄弟が普通、一番上と下の年の差が十年以上がザラだった。

また、自宅での分娩も多く家庭内での生き死にも良くあり、親はあまり子どもの面倒を見ることが出来ないので、早くから子どもに家事を手伝わせたし、私の中の記憶には、母親と戯れて遊んだ記憶がない所をみると、物心が付くころは食糧難の真っ最中そんな余裕がなかったのだと思う。(ちなみに、我が家は次男と末っ子の新所帯だったが、、)

女性の母性愛は生まれつきのものではなく、妊娠から始まる子育ての中で強くなっていくと聞いたことがあり、少子化は手間をかけられるだけ溺愛につながり、男にはなかなか計り知れない所がある。

しかし、何事にも「過ぎたるはなお及ばざるが如し」という格言があるが、昔のように中学を卒業すると就職列車に乗って親離れをした時代と違って、子離れが難しい時代になり、ニートなど後々問題が起きてくることが多い。

その点では野生動物は上手にやっているように見えるが、動物園などでは育児放棄があるようで、ときどきニュースになる。また、人間様においても捨て子や虐待などもあって問題になることがあるが、動物園の同様、少子化の社会にあっては子守などをしたこともなく、母になれない人の話しを聞く。

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今日の蝶。左、アカタテハ蝶 右、栗の花の蜜を吸いにイチモンジ蝶Photo_8 Photo_9

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2007年5月29日 (火)

小判がザクザク

Img_0041 先日来小判草(コバンソウ)を探していたが意外と身近な所に密集していた。

小判草。名前のとうり小判の形をし、愛想のない稲科の植物にしてはユニークな形をしている。

熟れてくると黄色実を帯びてくるのでドライフラワーにして飾っておくと小判がザクザクと、、、てな具合にいくといいのだけど。鎌で刈り取れくらいあるのでいずれいいとこ取りをして、乾かしてみようと思う。

ちなみに、大判草というものあるので、またの機会に、大判小判を取り揃えて見るのも面白いかも、、、。それに、偽小判草とやらもあると聞くと、どこの世界にもあるもんだなぁ~というのが今日の感想。

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30年ほど前、勤めていた会社で希望退職を募り、静岡のある会社が是非にというのを機会に静岡に来たが、その時の社長の名前がフジコさんと言った。

このフジコさん曰くには、富士山の神さまは木花開耶媛命(コノハナサクヤヒメノミコト)といって、女性であり嫉妬深いので「富士山から見える範囲に美女は住まわせないことにしている。だから静岡生まれのわたしは、、、」というのが口癖だった。

ところが、驚いたね。ミス,ユニバース世界大会で優勝した森理世さんて人は静岡の出身なんだって。

日本代表になることさえ稀有なのに世界だからね~。木花開耶媛もこのごろ年をとって性格がま~るくなったのだろうか。

早速テレビで見たら、舞台化粧のためか厚化粧のケバイ顔をした人が喜んでいるの、この人か、なるほど日本人も、静岡人も変わったものだねと感心する。とにかく世界大会で優勝するには顔ばかりでなくスタイル、知性も兼ね備えた人でなければならないのだから、並大抵のことではないのだろう。まずは、お祝いを申し上げよう。  おめでとうございます!

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さて、今日の昆虫。ごく平凡に左 紋黄蝶。黄色い花に黄色い蝶、黄色い蜜吸ったわけじゃなくて。右、紋白蝶 白い花になかなかつかまらず結局はヤナギハナガサで我慢する

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2007年5月28日 (月)

小梅が黄色く色づいて

Img_0137_1 こういうものを書いていると、新聞ではないが季節に先駆けて咲く花などに注目が行ってしまうが、やはり、旬の食べ物同様に季節にあった花が安心感と同時に一番綺麗なのではないかと思う。

しかし、あまり盛りを待っていると、いかにも人の後追いをしているようで、、、つい、季節外れや狂い咲きに向かってしまう。

今日小梅はそんな意味からすると正統派になるか。

二月に花さかせ、その後は緑の葉っぱに同化していたが、黄色く熟れて「もういいよ」と顔を出し自己主張をしている。

それではひとつと手を伸ばして口に放り込んでみたが、意外と酢ッぱ味がなく食べる前に想像してたより美味かった。しかし、小梅もここまで熟れてしまうとカリカリ梅には出来ないので、普通の漬け方かシロップにすると美味いものが出来ると思う。

山梨県の梅林で見た小梅のとり方は、まだ実が固いうちに根元にブルーシートを敷き、長い棒で枝を叩いて落としていた。「なるほど、桜切るバカ梅切らぬバカ」だから枝をいためても良いんだなと変な納得をしたことがある。

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午後になって松岡農水大臣が自殺したと言うニュースが流れてきた。先日来国会で質問攻めにあっても無表情に決まりきった答弁しかしない困った大臣だと思っていた。

あれだけ、いろんな問題点を指摘されれば、腹のくくりようもあったのではないかと思われたが、多分辞めたくても辞めさせてもらえなかったのではないだろうか。彼が辞めればまだ他にも困った大臣がいるし、その前にも問題があって辞めた人がこの内閣にはあったからなあ~。

日本には、死んだ人に対して悪く言うのはご法度らしいからあまり書かないことにするが、多分、参院選の時にでも補充選挙をすることになると思う、そのときくれぐれ「弔い合戦」などといって身内から候補者を出さないでほしいものだ。

弔い合戦とは、殺した人に対する戦いであるが、そうなると彼の政治姿勢に対する批判をした国民を相手にした戦いということになるのだから、、、。

ちなみに、”まつおかのうすいだいじん”と打って変換してみたら「松岡の薄い大臣」と出てしまったがなんだかそのままのような気がしてしまった。(結構悪口をいってるじゃん)

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今日の生き物。左、小さな虫を狙って木に登ったトカゲ、こうやって見ると以外と可愛らしい顔をしている。右、ヒメジャノメ蝶と見かけたが、羽の切れ方がなんか変。こんなに直線的には図鑑で切れていないし、人が切ったとも思えないのだが、、、

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2007年5月27日 (日)

暑さに負けて蝶も昼寝

Img_0010_12 朝から暑くなると予想していたが、気温も30度を越して真夏日が2日続いたことになる。

午後、小さな水槽が濁ってきたので掃除をし水をぶちまけていたら、紋黄蝶がやってきて傍でしばらく水を飲んでいたが、満足したのか木陰に入って昼寝の様子。しばらくほっといたがそのままの姿勢でいた。

昨日は、山にいたのでそんなにも感じなかったが、黄砂でかすんだ空と竜爪の山はよけいに暑さを感じさせる。

そんなこんなをしていたら、北九州では光化学スモッグのせいで運動会が中止になったと放送された。光化学オキシダントなんて物がなかったときには、”ただむし暑くて日射病”で済まされていたのだろうか。

なんでも中国のせいにしては悪いかもしれないが、野菜の農薬過剰に始まってペットフード、パナマの風邪薬、土鍋の鉛などをくると、光化学の原因物質も中国から飛んで来たのだろうかとか、黄砂、何か有毒物質が混じっているのではないかと心配してしまう。

しかし、よく考えると中国のいまは一時期の日本であったのだ。なんでも物まねをする国、有毒物質を撒き散らし公害だらけになっていた戦後の時代そのものをいま起こしているのだ。たしかに迷惑千万だが余り大きな声では言えないのかもしれない。言えないかも知れないが何とかして欲しい、、、、、。

Img_0013_3 ようやく、陽もかたむき夕焼け空から黄砂は見えなくなってきたので、散歩に出かけた。早いものでもう田植えの済んで、水鏡になっている田んぼが何箇所かである。

几帳面な蛙は、義務ででもあるかのように合唱をはじめ、鴨は自分たちの領分が広がったのを歓迎してあちこちの水鏡を下検分していた。

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昨日岩岳で見た花、左 半鐘蔓(ハンショウズル)花の形が半鐘に似ているところから。 右 アオダモ 野球のバットの材料になる木

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2007年5月26日 (土)

小鳥と小母さんで賑やかに(天津山1,732m)

Img_0039_10 Img_0044_3 朝からお天気姉さんが「良い天気になりますよ」というものだから、つい腰が動いてしまった。

先日来、天津山(下十枚山1,732m)にかけての尾根に咲くアカヤシオシロヤシオを見ようと機会をうかがっていたので、行く先に迷うことはなかった。

正木峠(真木峠、征木峠とも書くらしいがどれが本当なのか知らない)の駐車場に車を入れたのは、七時だったがすでに先客が二台、そして辺りに人影はなし、今日は土曜日、だから早めに着いたのだが、先客はその上を行く、この後が思いやられると内心思いながらスタートを切った。

まづ、いつものように上り口の地蔵さん脇のマイヅルソウとそのすぐ上にギンリョウソウ(上の写真左舞鶴草 右 銀嶺草)が出迎えてくれた。後はいつものペースで地蔵峠に到着。

Img_0079_2 峠の少し先の白ヤシオ、その先に赤ヤシオと眺めていくと前方に見知らぬ御同輩が写真を写しながら登っているのに追いつき、岩岳付近で私が先行する形で分かれたが、その間の会話は「今年のヤシオツツジは今ひとつという感じだね」というのが主だった。

Img_0104_1 たしかに、白ヤシオはまだ少し早いのか、つぼみが多かったが、岩岳からの降りの部分では半開きと言った感じのままが多く、一部はそのまま下に落ちているのはなにか気候的な影響があったのだろうか。

Img_0062_3 最低鞍部には、まだ岩鏡が咲いていたが、その先の登りにはほとんど花が見当たらなかった。天津山(下十枚山)には九時少し前に到着。

Img_0102_3 ここで、しばらく休憩を取った後、元に戻る事にした。この道すがらヤマキマダラヒカゲがあちこちに出て写真に写せとせがむようにまとわり付く。帰って調べると汗に含まれる塩分などミネラルを欲しさの行動らしいことが分かった。(わしはえさか)

このほか、ウグイス、コマドリ、ホトトギス、コガラなどがあちこちで囀り賑やかな山行きだった。なかでも一番驚いたのはモズだった。ウグイスの鳴き声の先に小鳥がいたのでカメラを向けると気づいて飛びったたが、鳥の大きさ腹の白さはどう見てもウグイスではない。

モズは、百の舌を持つと言われるくらい他の鳥の真似をすると聞いたが、目で見たのは初めてだった、この調子では山のウグイスは声ほどいないのだろうか。

岩岳に戻ってきたのは十時少し前、そこからの下りにでは予想通り賑やかな小母さん主体の登山隊に何組も遭遇、決まって聞かれることは「早いですね」と「ツツジはどうですか?」の二言。始めは丁寧に受け答えしたが、、、、テープレコーダーを持ってくりゃ良かった。

正木峠は、11台駐車、その先にも何台かいる様子。山は小母さんで花盛り。

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2007年5月25日 (金)

欧米か!

Img_0030_4 久し振りに本降りになった雨の雫を受けてグミが色づいていた。

「熟れないのを食べると尻が詰まってしまうぞ」と脅かされながら口にしたのを思い出した。

四国地方を中心に恵みの雨になったのだろうか、えてしてこんな時は避けて通ることもあるが、天気予報では全国的にとなっている。

これだけ科学が発達すると、欲しいときに欲しいだけ必要な地域に降らせることが出来ないかとも思うが、それをやると神様の領域を侵すことになり、また叱られることになりそうなので、石川啄木でないが”雨にも負けて 風にも負けて、、、寒さの夏はおろおろあるき、、、”が人間の務めかもしれない。

しかし、飛騨の山奥にいたときは、この雪がスキー場まとめて降ってくれればどんなにか嬉しいものをとよく思ったものだった。(スキー場は喜び、我々は屋根雪下ろしや雪かきをしなくて済む)

Img_0025_2 そんな雨の中、午前中家の中で閉じこもっていたが、午後のなって我慢できず傘をさし、近回りの散歩に出かけた。キンケイ菊や、ヒナゲシなど花の大きいものは雨に打たれて皆ゴメンナサイと頭を下げているが、ゼニアオイなど茎のしっかりしている花は普段通りに雨のしずくをうけとめている。

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静岡だけではないと思うが、先日給食費を払わない親がかなりいるので、その徴収に各自治体が困っていると言うニュースを聞いたが、今度は保育料を払わない親もいると報道していた。

生活に困ってのことなら分かるが、そうでない人も結構いると聞くと、どんな神経の持ち主なのか「今どきの子どもは、、、」がどころか「親がそうだから、、、」としか言う言葉がない。

「菊と刀」という外国人が見た日本人を書いた本で、日本の文化は、恥の文化。欧米の文化は罪の文化と読んだ覚えがあり、海外で仕事をしたとき、義理人情という言葉はなく、なるほどなと納得したこともある。

恥の文化とは、人に迷惑をかけるような恥かしいことをしてはいけない。つまり世間体を気にする生活態度であるというが、給食費、保育料の滞納してもどこ吹く風とばかり、人の迷惑を気にしない風潮には、   

欧米か!と、頭をこつんとどづいて罪を償ってもらうしかない。

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2007年5月24日 (木)

山はぐらぐらと

Img_0017_3 黒花エンジュの花が咲き出した。

マメ科の植物で別名をイタチハギというが、生命力が強いため則面の保護などを目的にして輸入された。

この生命力の強さに対して、外来種をやみくもに使うことに対して、批判的な声がおおきくなっているが、一旦入れた物は丈夫なだけに駆除は難しい。

濃い紫に黄色味がかった細かい花、アップで写してみたがそれでもはっきりしない花の形。なんとも難しい花である。

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地質のこと習った人ならずともテレビなどで地球の歴史についていろんな番組が放送され、その知識はかなり豊富なものがあるので「風林火山」のうち、動かざること山の如し、という文句は本当ではないことを知っている人は多い。

現に、この20年ほどの間にも幾つかの大地震があり、山はぐらぐらと動いた。

先日見た、江戸東京博物館のパネルにも10万年余の昔には東京から西側は海の底であった。その後1~2万年前になると房総半島の隆起もあったが氷河期で海面が低くなって東京湾がなくなった。

そのご、縄文時代になると縄文海進で東京湾はいまの何倍も広くなって、その後江戸時代始めに湿地帯として再び顔を出している所を埋め立てて、いまの大きさになった。

地球が出来て45億年、これまで生物が死に絶えてしまうほどの急激な変化が何度もおきてきたが、45億年に比べるとほんの僅かな10万年でも陸になったり海になったりを繰り返してきた。

しかし、生物のひとつ、人間の生活活動が温暖化を引き起こし地球に影響を与えようとしているらしいことが分かってきた。

いつか書いた覚えがあるが、人間は地球にとってウイルスのような存在になってきたらしい。体内に入った細菌は身体を壊し結局は自分も体と共に死んでいくように、人も地球の環境についていけず絶滅していくのかもしれない。

そして、体外へ飛び出した細菌の一部は次の生体に感染するように、もう少しすると何人かの人がロケットに乗って多の星に移住するなんて、言うのは、SF小説の読みすぎだね。(年代についてはかなりあやふやな部分があり、そのうちに訂正します)

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今日の花、左、黒藻(クロモ)、水中に本体は沈んでいるが花は、水面で受粉している。右、姫女苑(ヒメジョオン)春先に咲く春紫苑(ヒメジオン)とは一寸見には区別が付かない。蕾の時うなだれない、茎が中空ではないなどで区別する。ややこしややこしの花。

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2007年5月23日 (水)

ウツボ草は居候

Img_0042_2 ブログヲ始め、カメラで草花や虫、鳥など手当たり次第に写していると、ときどきこの年まで見たことがないものに行き当たることがある。

興味のないときには、傍にそのものが現れても気にしていないためだろうが、「こんなの始めて見た」というものがかなりあり、図鑑などを引き出して調べるだけでもボケ防止に役立っているのかなと思う。

しかし、どんなに調べても分からないものは、なんだか喉に引っかかった小骨のようで気になるものである。その中のひとつ、先日写しておいた花の正体がようやく分かった。

Img_0021_6 ヤセウツボ(左上)という。この花のおかげで五月四日有東木の上で見た分からない花の名前もヤマウツボ(左)という名前であることが判明した。

ヤセウツボは、アフリカ、ヨーロッパが原生地で、マメ科の植物に寄生し栄養はそちらから取るため、葉緑素は持たないと言う。早く言えば植物界の居候だね。

ならば、どんな方法で日本に入ってきたのだろうか。一方、ヤマウツボは人里はなれたところにあって、ブナの根などの寄生するということだから古来日本にあったものと思われる。

いずれも、ギンリョウソウ同様に他の植物とは違った生態がうかがわれるだけに驚かさせられるが、どんな生物にもそれなりの行き方があるという多面性が見られるという面白さがある。

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今日は、歯の治療の後足を延ばして城北公園から駿府公園の脇を通り、青葉公園をまわったあと繁華街に久し振りに足を踏み入れ、そのまま歩いて自宅まで戻ってきた。一周約13キロの散歩になった。

Img_0080_4 駿府公園では、いま裏鬼門に当たる未申(ヒツジサル)櫓の石垣を組みなおしているので、しばらく眺めていたが、徳川家康の時代になって作ったものか、今川の時代にすでに出来ていたものかは知らないが、よくぞこんなに大きな石を大量に運んできたものと感心しながらみていた。(写真は五月十二日)

石は、先年改修した巽櫓の石垣に比べると加工してないもので野面(ノズラ)積みという工法で出来ており、古い時代に積みあげたものかよほど急いだ時に積む方法で石それぞれの特徴を生かしながらの積みかたは高等な技術が必要であり、コンクリートブロックのようにした切り石を積む、打ち込みハギや切り込みハギとはまったく違い見ていても面白い物がある。

こんなものをみていると、つい時間の経つのを忘れてしまうのは、男だけかと思いながら周りを見ると私同様閑そうなお年寄りばかり3~4人、「やっぱりね」とおかしくなってしまった。

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今日の花、左、カルミアというアメリカ石楠花だそうだが、鹿の子絞りのような色合いは案外日本人好みかも知れない、右、タチアオイも咲いて夏はきぬ

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2007年5月22日 (火)

桑の実が熟れて

Img_0131_4 山の畑の桑のみを

小籠に摘んだは

     まぼろしか

 (あかとんぼ  より)

山桑の実が熟れてきた。野生の桑の実は小さくて食べる気もしなかったが、黒いのを二つ抓まんで口に入れれば懐かしい味がほのかにした。

子供の頃までは、日本各地で蚕を飼っていたのでどこへ行っても桑の木があり、いまの時期の熟れた実は子どものいいご馳走だった。

桑は葉を取るため、高くて大きな木にはしないため、小学生でも簡単によじ登ってとれる。ほのかに甘く、果汁がいっぱいあり、黒く熟した物を選んで口に放り込んだ。

何時のことだったか、なにか流行りやまいが出て「桑の実を食べたらダメ」と学校で禁止した年があった。が、止められない。

こっそり食べた後、口の周りの紫色の証拠が隠滅できないで、すぐに見つかり大叱られした事もあわせて懐かしい思い出となって今でも残っている。

その桑の木も、絹がシルクと呼ばれるようになってから衰退し、今では童謡の文句の通り、桑畑、お蚕様とともにゆめまぼろしの世界になってしまった。

今日の蝶。左、クロアゲハ、背中から見ると黒一色だが裏側は赤を主体とした綺麗な模様がある。江戸時代の粋みたいなところがあって飛んでいる時は見えるが止まると見えない。左、図鑑で見たが名前が分からない。タテハチョウの仲間だろうか。

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「人間万事塞翁が馬」「人生はあざなえる縄の如し」なんて格言を何度も聞いてきた。幸不幸は交互にやってくるので、幸福でもおごらず不幸な時でもめげず次に備えなさい。という意味だと言う。

しかし、本当にそうなのだろうか。最近の日本を見ていると、勝ち組負け組みに代表されるように、金持ちはさらにお金が入り、貧乏人はますます貧乏になるという二層化社会の仕組みが出来上がりつつある、縄のようによじれることがなく、紙のように裏は何時までたっても表にはならない社会が出来上がってしまったような気がしならない。

スタート地点で将来が決まってしまうと言う閉塞間のある社会。これは、以前からアメリカでそうだといわれて来たが、先日のテレビでもワーキングプアーが日本でもアメリカに並んで13%台とダントツに高い比率になってきたといっていた。(暴動で揺れるフランスや階級社会のイギリスで8%台という)

そのむかし、テレビコマーシャルで「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに、、、」と言っていたが、昭和のころの一億総中流社会が崩壊してしまったという。

石川啄木が「はたらけど働けど わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」と歌ったころと同じ環境になり、ドラマ「おしん」の再現が近づいてくるのが予想出来ないだろうか。

これから行き着くところがどこにあるか知らないが、古くは百姓一揆のような庶民の爆発はぬるま湯の日本人にはまだまだ先の話だろう。昭和初期の政治腐敗と国民の貧窮を代弁する形で5,15事件に軍部が蜂起し、クーデターのようなことが起きたときも賛成した人がかなりいたようだ。

その後、軍部が独走し先の見通しもない世界大戦に突っ走ってしまたが、人は、未来に夢を託せ無くなったとき、あの時は”まぼろしか”とは言っていないように思う。

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2007年5月21日 (月)

五月晴れの三保海岸

Img_0062_4 本日は小満。万物に生気が充満し、草木の枝葉も茂るころと暦は言う。

先日まで、白っぽい緑をしていた椎の花も散り、深い緑一色の夏山に変わりだし、平地の田んぼも順に水が入り始めた。

午前中は雲もなく文字通り五月晴れの上天気。ふと、三保の海岸を歩いてみたくなって出かけた。

三保の駐車場に車を止め、羽衣の松の脇を通って海岸に出てみたが、羽衣の松の勢いにややかげりがでているように見えたのは僻目か。富士山の見えるところまで西に歩けば、鮮明にとは行かないまでも、箱根、愛鷹山を含めて遠望できる。

海岸の砂の上を歩くのは、本当に久し振り。前に歩いたのは、そうだ3月に伊豆下田の大浜海岸以来だが、あの時と違って今日は春の、いや初夏の日差しが充満し、少し風があり「ひねもすのたりのたり」とは行かないが心地よい散歩をした。

浜には、浜昼顔、浜エンドウ、コマツヨイグサがいまを盛りと咲いていたが、浜ゴウはまだ蕾すらない。松林の下には松葉が降り積もり、足に心地よいクッションが伝わってくる。

すぐ傍で、多分シラス漁の船と思われる漁船が幾つか行き来し、はるか沖には伊豆半島を背にして三角帆をはった遊漁船や貨物船が遠望でき、のんびりとしたひと時に浸ってきた。

今日の花。風景もあわせて「別冊 オラケタル」(http://hida.cocolog-tnc.com/szok/)のほうにまとめることにして、、、。

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2007年5月20日 (日)

神さまも面倒くさがり屋

Img_0050 天気もよく気持ちの良い朝を迎えて、どこぞの山にでも行ってみたいと言う誘惑に駆られたが、今日は日曜日多分どこに行っても人だらけなのだろう。と思うと、つい二の足を踏んでしまう。

そろそろ、赤ヤシオも1500mクラスまでは上がっていると予想しているが、白ヤシオもついでに見たいとなれば、もう少しあと、月末にしたほうが良いかな、などとあれこれと考えてしまう。

ということで、午前中は濡れ縁上のペンキを完成させ、午後から麻機上の山を巡検する。

山の上も下から気温の高い風が吹き上げてきて暑くなっている。みかんの花も終わり、いまはテイカカズラとスイカズラが真っ盛り。コンクリート擁壁や小さな木を白くカバーし、椎の木の仲間も花の時期が終わりかけて、山の色が濃い緑に変化を始めた。

クロアゲハやモンキアゲハ、カラスアゲハなども忙しげに飛び交っているが、卵を産みつける蜜柑の葉っぱが消毒されているため、掴まる所がないのか飛ぶのをやめない。

写真に撮りたいものとしてはチャンスが全然ないが、農家にとっては卵から孵った大きい青虫の旺盛な食欲は阻止しなければならない。

結局は、下に降りてきてから、羽の中央に青緑の模様がはいったアオスジアゲハの水のみを写しただけに終わった。まえに、この蝶が何頭同じ方向を向いて水のみをしているのを見たときは、ヨットのレースみたいに見えたことがあるが、残念ながら手元にカメラがなく悔しい思いをしたことがある。

どの蝶でもそうだが、アゲハの仲間は光沢のある模様を持っているものが多く鮮やかで色映している物が多い。

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今日の花。左、トキワハゼ 左、サギゴケ。写真にしてしまうとどっちがどっちか分からなくなるが、大きさがちがい、花茎が立つか這うかなどで区別する。こんなのを見ていると、神さまも案外めんどくさがりやで、「このデザインを小さくしてこっちにも付けようや」なんて言っているのかも、、、

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2007年5月19日 (土)

決して腹黒くはない

Img_0044_5 Img_0046_2 麻機沼の一角、腹広蜻蛉(ハラビロトンボ)が空中戦を演じていた。

その下では、色が明るい茶色をしたメスが、上空の争いなどどこ吹く風と尻尾でさかんに水面を突っつくようにして産卵行動に励んでいた。

腹広蜻蛉、大きさは塩辛蜻蛉より一回り小さいので全長3㌢くらいの小さい蜻蛉で、オスは成体になるに従って黒くなり、強そうに見えてくるのはこちらの気のせいなのか。それに対してメスは何時までも茶色いままでいるということは、人間同様、可愛く見せかけているのだろうか。

オスが縄張りとして他の腹広蜻蛉を入れさせないのは、直径で1㍍ほど、深さ3㌢もあるかどうかの水溜り。鎌倉武士のように”一所懸命”を実行し、守っている。ここが何時までも卵の安住の地であるかどうかは分からないが、それこそいまの一時(いっとき)に賭けている。

幅広蜻蛉は、写真で見て分かるように他の蜻蛉に比べて、胴体の部分が広がっていることから付けられたもので、決してオスの色から見て”腹黒い”から変化したものでないことを付け加えておく。

一方、人様の中にはネクタイを締め白いシャツで腹を隠していても縄張りの関しては、口にすることと実際にすることが全然違うのが沢山いるがいるが、こんなのを”腹黒トンビ”という、しかし、これが見ただけではなかなか区別が付かなくて、分類学的にも不能と言わざるを得ない所が情けない。

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今日の木の花。 左、山帽子(ヤマボウシ)園芸品種の花水木はこの木から分かれているものと思うが 右、ブラシの木と共に外来種。

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2007年5月18日 (金)

食べ物の恨みは、、、

Img_0027_2  「午後の出発はお食事の進み具合を見てお知らせします」という話を聞いてからバスを降りた。

今日は、友人の身代わり旅行。都合が急に悪くなった友人が申し込んでいた日帰りバスツアーをキャンセルするのもなんだから行って来てというので、”目黒雅叙園と浅草演芸ホール寄席”を楽しませてもらった。

まずは、目黒雅叙園。約一時間以上案内人の懇切丁寧な説明に驚きつつ、絢爛豪華というか、チョッと時代離れというか、アンバランスというかとにかく分からない建物の中を廻って歩いた。

Img_0010_13  ”百聞は一見にしかず”とか、戦前に立てら東京大空襲にも運良く逃れてきただけでも文化財の値打ちがある建物だが、石川県から出てきて風呂屋の小僧から身を起こした建築主の思いがここに現れていることなんだろうけど、アニメ「千と千尋の神隠し」の建物のモデルとして使われたと言うだけあって、その感性は独特なものが会ったのだと思う。

さて、冒頭の言葉は、この雅叙園に入るときの言葉だったが、百段階段の周りの建物見学が終えた後、同じ園内の広間のひとつで食事をしたが、食べ物のでて来かたが遅いのが原因だった。

まず、小さな器にひといきで食べつくすような前菜がでてきた後しばらく次のものが出てこない、退屈して隣の席の人に、「手持ち無沙汰ですね」と話す。ようやく次のものが来たこれもすぐになくなる。

約一時間の御飯が出てくるまで五品ほどが、間をおいてしかでてこなかった。これでようやく話が分かった。当初は食事に時間のかかる人がいてその人にあわせるのかと思っていたが、雅叙園側が出す食事の時間によってだということが、、、添乗員も食事を出される時間の予測が付かないのだ。

これなんかも、少し時代離れをしている、経営方針なのか。

Img_0033_4 ようやく食事も済み、次の目的地浅草演芸ホールに到着したのは予定を一時間以上遅れた二時十五分の入場。おかげで清水出身の春風亭昇太の高座には遅れてしまった。

私にとって、始めての寄席、二階の一番奥の椅子席に案内されてゆっくりと見たかったが結局は一時間ほどで連れ出されてしまい、折角の楽しみも拍子抜けしてしまった。

そのあと、国技館傍の江戸東京博物館という箱物行政が作ったつまらない建物を見て帰ったが、返す返すも雅叙園の食事が残念だった。

私のような下賎な者はガバッと一度に出されたほうが何ぼかうれしかろ。

一品づつ出され、美味くなくて手を出さないでいると、次の器が出てくるまで10分以上待っているような食事は合わなし、周りは今日始めての人ばかりで話しも弾まない。

「食べ物の恨みは恐ろしい」とよく言われるが、、、、、

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2007年5月17日 (木)

春雨じゃ,,,,は少しつらい

Img_0126_3 そろそろ南のほうから梅雨に入って来はじめたようだ。きょうも、未明から雨が降りしきっていたが、10時過ぎに上がったのでもうこれで良いのかと外に出かけてみたら、丁度予定していた地点からまたはげしく振り出したので、ずぶぬれになって帰ってきた。

春の雨とはいえ決して暖かいものではなく、この年になると雨に打たれて街中を歩くのは世間体もあり「春雨じゃ 濡れて行こう」というには少しつらいものがあった。

梅雨といえば、名前の通り梅かもしれないが、この鬱陶しい季節を代表する花は西洋紫陽花であろう。七色に変化する花(実際には額だが、、)は移り気という花言葉がある一方で、快活など好印象な言葉もあるそうだ。

西洋紫陽花は、江戸時代末期に、かのシーボルトらによって日本から持ち出され、品種改良の結果再び日本に来たというから、紫陽花は日本を代表する花のひとつかもしれない。

私は、紫陽花というと傘をさしてドデッとした大振りな西洋紫陽花の間の細い道、濡れた土を踏み、裾に絡む雫などを気にながら歩くというマイナス印象が大きくてあまり好きではない。

しかし、写真の小紫陽花や額紫陽花はこれから行く山道の脇に静かにたたずんでいる様子は、雨と結びつく印象がないので(もっとも雨の日は登らない)、、、、。

さて、書くことのない日はときどき「今日はなんの日」なんてのを見ているが、今日は”日本ドナー家族クラブ”が制定した「生命の大切さ、生命の絆について考える日」だとあった。難病に苦しむ人たちの家族が臓器の移植により身内を救いたいと言う思いから作られた日だそうだ。

なぜ、今日なのか説明がなかったが、昨今の残忍な殺人事件や、3万人を超える自殺などを見聞きしていると、ドナーの家族ならずとも、どうすればよいのか考えなきゃならん、と思うが、じゃ、どこをどうすれば良いのかこれがまた分からない。

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今日の花。14日小田貫湿原での左ハルリンドウ、秋のと違って草丈10センチほどの可愛らしい花を咲かせていた。右 オヤマリンドウ、十文字の葉が特徴、残念ながら花を咲かせているものはまだなかった。

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2007年5月16日 (水)

婚期を逃がすぞ

Img_0153_1 沓ヶ谷の電波塔から降りてきたところの花壇の一角に麦が植えられていた。

黄色く熟れてまさに麦秋という状態は太陽の下光り輝いて綺麗だった。

最近、この辺りで麦と言えば穀物でなく花になっている、昨年までは家の近所で畑一枚だけだったが、麦が「生け花用」と書いた立て札を前にして植えられていた。しかし、今年はその畑には何も植えられていなかった。

Img_0151 「麦秋」といえば、昭和26年原節子、笠智衆、淡島千景らが出演した映画の題名であった。当時見た覚えがあるが静かな映画、言葉遣いが丁寧だったという記憶しかなく、ときどき昔の映画などと言って断片的に写されるのを見ると、「そんな場面もあったかいな」程度しか記憶にない。

先日、解説を見ていて時代だな、と思ったのは、原節子が28歳で婚期を逃した娘の役をやり、周りの大人が右往左往する様を描いたものだった。らしい。

28歳で婚期が遅れた。というのは、当時の平均寿命は戦後まもなくだから食糧事情もよくなかったし、戦争で若者がいなくなったうえ、国民病といわれた結核が流行っていたから、何人もの子どもを若いうちに作って育て上げ、普通の家の子どもは就職列車に乗って16歳から仕事させるという背景があってのことであろう。

とにかく、他所の国に米以外の食料をおんぶしても平気な国になり、戦争、結核に別れを告げたため、世界でトップクラスの長寿国から高齢化社会になろうとしている。

「婚期を逃がした」という言葉は(親離れ、子離れが出来ない)いま、なくなってしまったといって良いだろう。

Img_0131_1 今日の蝶。沓ヶ谷の山を歩いていると足元から、クロヒカゲモドキが次から次へととびだし、二頭でくるくると螺旋を描いて恋を語らっていた。しかし、準備が出来た雌(?)が羽を広げて催促しているにもかかわらず、雄らしいもう一頭は興味を示さない。

私が見ているのを気にしているのかどうかは分からないが、早くしないと婚期を逃がしてしまうぞ、と声かけてその場を離れた。

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蝶はいいよな、「子どもが出来ても食べ物になる葉っぱという”赤ちゃんポスト”に置いてくればいいんだら」という声が聞こえそうで怖い。

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2007年5月15日 (火)

男の情念?テイカカズラ

Img_0081_1 コンクリートの壁を隠すかのように一面のテイカカズラが垂れ下がって咲いている。大の字形の五弁花のなかに黄色くアクセントつけ雄しべ雌しべともに花の中にしまっている。

先に咲いていたスイカズラと共に、初夏の香りをただよわせている。ひとつひとつはそんなに強くないがやはりこれだけ集まれば数の力か。

テイカカズラは漢字で書くと定家蔓となり、小倉百人一首の作者で有名な藤原定家から取ったそうな。

Img_0082_1 そして、この名前の由来はやはり百人一首に名を連ねている式子内親王の墓に絡み付いていた蔓からつけられてと言う。つまり、好きな人に対する男の情念だと聞くと、私はあまり良い印象を持たない。

ただ平安末期から、鎌倉の変動の時代に生きた貴族であり、親子兄弟に分かれて相争う死闘を繰り広げた武士のうしろで、幾人もの公家が、皇族が権力闘争を繰り広げ栄枯盛衰を繰り返した中で、定家らがとった歌を詠み、恋をすることで、時流に巻き込まれないように穏便に流された貴族もいた。(私なりの想像で書いている)

ただ、時代に流されたとはいえ、鬱屈としたものを持っていたと見え、百人一首に選んだ歌人には彼の思い入れもあったと見え、時代に抹殺された宗徳院や順徳院、源実朝などを配し、歌の上手下手を越えて時の権力者の目に触れない小倉山荘の襖色紙で取り上げている。

そこで、定家が選んだ式子内親王の歌。

玉の緒よ 絶えなば絶えねながらえば

      忍ぶることの よはりもぞする

おりしも、国民と意表法が成立し、このままで行くと憲法が変えられるか可能性がおおきくなってきた。今年の参院選の争点にすると与党が言っているが、詳しいことは他の懸案事項を含めて全て先送りにされている。

ただ、「新しいことはいいことだ」(実際は昭和初期をさしているらしいので復古調だが)、とばかりにムードの流されて、与党に多数議席を与えれば、消費税、教育関係など争点ぼかしにされている問題まで信任されたとして、暴走を始める可能性が強い友達内閣だけに気をつけねばならない。

時代の変革が迫っている中で、「政治のことなんかに興味がない」といってそっぽを向いていると、心配性と言われるかもしれないが徴兵制がしかれた美しい国になってから、思い入れの表現をしてみても、もはや遅い!  

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今日の花。 左、栴檀(センダン)の花、”栴檀は双葉より芳し”はこの木ではないので匂いは薄い。右、レモンの花、蕾の色が淡い紫をして綺麗。

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2007年5月14日 (月)

もったいぶった富士山(越前岳1,504m)

Img_0034_7 「天気予報ではもっといい天気かと思って出かけてきたのに、、」と別々に会った千葉県の人も横浜の人も言っていた。(もったいぶってようやくこれだけ)

私もその口で、朝早く十里木から越前岳に向かったが、家をでてから駐車場まで青空が出ることがなかった。天気予報を信じて「いまに晴れる、もうすぐ晴れる」と念仏のように唱えた来たが駄目だった。

Img_0043_1 しかし、降りだす気配もないので登り出したが、当てにしていた「愛鷹つつじ」はない。40分ほど登った”馬の背”辺りに少し咲いていただけで、そこを過ぎると蕾をつけた物も少ない上、蕾を持っているのを見ても、ごく小さく固い、まだまだ開花は先のように見えた。(愛鷹つつじは花が小ぶりでオシベが多いのが特徴とか)

足元には、ヤブレガサが開ききった葉を広げ、その合間に豆桜の花びらが散っている。しかし、仰いで見るとどの木も花を散らした後で、枝に花を残しているものがない。「まったく~今日は花の端境期らしい」とぼやきながら登った。

ほとんど、頂上に近いところで千葉県から来たという人とすれ違って挨拶をした。彼は、朝六時まえから登り出したが、花もなし展望もなしでガッカリしていた。遠い所からのお客さん、越前岳ももうチットは気を使わなきゃね。

Img_0019_6 頂上には、看板がひとつ新しくなっていた以外これというものがない、それでも20分ほどいるうちに少し雲が切れて、富士山の9合目くらいから上をもったいぶって顔をだした。「そんなにもったいぶらなくたって、、、いいじゃないか」と言いながら、それでも二~三枚写して下山する。(ようやく頂上にあった、散り遅れの豆桜。染井吉野の半分ほどの大きさの花)

今日の花。左、三つ葉ツチグリ? 右、ヤブレガサの群落

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2007年5月13日 (日)

足長蜂

Img_0148 今日は、濡れ縁の上の覆いのペンキ塗りをした。

前に塗ってから10年ほどになるか、埃で薄汚れ、鉄製の柱の部分に錆がところどころ出ているので先日井戸水で水洗いをし、今日辺りから何日もかけて塗っていこうと思っていた。

前回は、真っ白だったので、今回はアイボリーでと水性の塗料を買い、いざ塗ろうとしたら足長蜂が一匹、桁に巣作りを始めていた。

先日の水洗いの後始めたようで、まだ、ほんの小さいものだったが、傍の木と巣の間を行き来して巣作りをすると共に5~6個の卵を産みつけていた。

足長蜂は大人しい蜂で、自分から刺しに来るということはめったにないし、この蜂の幼虫はよく食べているので、別な場所ならもう少し大きくしてからとご馳走にと思うが、今回は仕様がない、写真撮影の後、爪先で巣もろとも吹っ飛ばして強制退散を願った。

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先月の19日だったかに、十和田湖近くの道の駅で、水仙とニラを間違えて買っていった客が食中毒を起こしたと新聞の記事に出ていた。

水仙も出掛けはニラの葉とよく似ているのだか、それにしても買った客も匂いで分からなかったのだろうかと思ってしまったが、食べ物を売るのにあまりにも気をつけなさ過ぎるのにあきれてしまう。

よく山菜や茸を間違えて採取し、食中毒をしたというのは聞くが、店に並べてあるものにこんな間違いがあったというのは聞いたことがない。

ちなみに、私も山菜、茸採りは好きだが、茸にかぎってはどんなに採って来ても人に分けるのはしないことにしている。理由としては、余所の人さま同士だが、食中毒になったとき、「あの茸のせいだ」と言いふらした人がいたというのを聞いたことがあるからだ。

茸でも何でもそうかも知れないが、体調やアレルギーなどで中毒症状が出ることがあり、折角の好意があだになることだある。

また、茸にかぎらず、山菜でも上記の間違いや行者ニンニクとバイケイソウ。二輪草とトリカブトの新芽などよくにているものや、ハシリドコロのみずみずしい新芽はよく食中毒を起こしている。

また、これとは別に、いま中国のペットフードや咳止め薬がアメリカやパナマで犬や人に害を与えていると問題になっているそうな。

以前香港でも、痩せる石鹸などチョッと首をかしげるようなものを買わされて問題になったことがあるが、あやしげな薬や食品、残留農薬のいっぱいついた野菜があり、アメリカからは遺伝子組み換え食料など見た目では全然分からないものがたくさんある。

「自分で自分の身を守れ」と言ったって,「どうする。エッ!個人個人ででかい研究所でも造れってこと?」

今日の花。左、金鶏菊(キンケイギク)と右、昼咲月見草(ヒルサキツキミソウ)何れも園芸植物が逃げ出して群生したように見えるが、ここ麻機沼の工事では「土木工事の一環で役所が種を撒かせ、在来種を圧迫した」と嘆く人がいた。

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2007年5月12日 (土)

栃の花が咲いてた

Img_0089_4 駿府公園北側に栃の木が花咲かせていた。晴れ上がった青い空を背景にして、巫女の持つ鈴のような花の集団。(丸い実を付けるともっと似ているが、、)

非常に美味しい蜜が採れると言うことで養蜂家にも興味をもたれていると言うが、今では数が少なくなりこの花の蜜などおよぶべきもないだろう。

栃の木は、昔は山里の人々には大切な木だったので、あちこちに三抱えもある巨木があったのを憶えている。しかし、材質が柔らかく木材はおろか薪にしても火力がないため、杉の植林が盛んになると次第に姿を消してしまった。

栃の木が大切な食料だったと言うのは、その栗に似た実が貴重な食料だったからである。栃の実は栗と違ってそのあくの強さから灰汁で茹でて、さらして、皮を剥く過程で丁度食べごろの味にするのが難しく、経験のない人ではとても食用に出来ない食べ物であったが、保存食として何年も取って置けるところから、私がいた飛騨ではカラカラにして取ってある家がまだあった。(合掌造りで有名な白川村などにもこの記録がある)

私の親も馴れなかったと見えて、あくが強すぎてたべられなかったり、逆にあくを落としすぎて、ただ色つきの栃餅になったりしたが、いまでも懐かしい味であり、みやげ物店の栃餅とか栃の実せんべいなどと言われると目が行ってしまうが、最近ではただ色をつけただけのものが多くガッカリするので買わないことにしている。(水窪町にはいまでも本物があるのだろうか?)

次に、栃の木は材木にも薪にも向かないと書いたが、その特徴ゆえに昔木地師がお椀などをろくろにかけて作りやすかったと言う面があり、木地師はこの木を求めて全国を渡り歩いたと聞く。飛騨には”ろくろ”(轆轤)がなまって、木地師の集落があったといわれるところに”六郎”とかいて”ろくろ”よばれる土地があった。

もうひとつ、この木に蛾の幼虫で”とちかんじょ”と呼ばれる巨大な毛虫がいた。この毛虫は、クスサンという蚕の仲間で、地面にボタンと落ちてきた幼虫をつかまえて体液で釣り糸、テグスを作った。私がまだ小学校に入って間もないころだったのでよく憶えていないが、上級生がどうにかして上手に均一の糸にして風に晒して作っているのを見た記憶がある。

話は違うがもうひとつ、大分前になるがフランスへ行った時、添乗員が「これが有名なマロニエです」と言ったので見たが、葉がよく似ているものの実が全然違うものであった。植物学的にはどうなのか知らないが、実を見た印象では別種に見えた。

今日の蝶。左、ツマグロヒョウモン 右 サトマダラヒカゲ(?)。どちらもありふれた蝶だが、羽の裏側?がこんなに綺麗だったのかと再認識した。何れも駿府公園で

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2007年5月11日 (金)

ゆったりとモンキアゲハ

Img_0064_3 大きくて黒いアゲハチョウがゆったりと舞い降りて田んぼの土の上で吸水を始めた。

はじめは、カラスアゲハくらいに思っていたら、羽の真ん中に白い紋所、これが噂に聞くモンキアゲハなのか日本の蝶の中で最大級を誇るとあるだけに、羽を広げると10センチは越えるように見えた。

傍に近よると、一度は舞い上がったものの、またゆったりと元の位置に着陸、今日も気温が高いので、体温を下げなければ大儀なのであろうか。

しばらく、にらめっこしながら写真を写してみたが、度胸がよいというのかちっとも動かず、同じポーズのまま動かない。こちらのほうが痺れを切らして立ち上がった。

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Img_0074_2 いま、休耕田となって荒れ果てた所に、野イバラが真っ白な花を咲かせ、大きな株になると結構いい香りがする。

この、野イバラなども観賞用のバラの祖先だったのかと見ていたら、中には薄赤い花もあり、わが意を得たりとばかりに、にんまりとし写してきた。

テレビの”趣味の園芸”だったかを見ていたら、バラの原種はハマナスだと言っていた。確かにハマナスの花はよく似ている。しかし、あの固い茎はどう見てもイバラの系統なのではないだろうか。

バラの花と人間の関係は、紀元前に遡り、いろいろなバラ科の原種を掛け合わせて、それこそ数限りないほどの種類を作り出してきた。

いろいろと調べてみたがバラの原種に、野イバラがあったとはどこにもないが、写真の花を見れば絶対に入っているよなって、自分に言い聞かせている。

今日の花。左、藪ジラミ、ひっつき虫の第一号小さな小さな花が、右、ラグビーボールのような形をした 実になり始めて草原に入るのを阻止しようとしている。下、黄菖蒲。沼の水に映えて咲いていた。

Img_0060_7 Img_0028_2                 

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2007年5月10日 (木)

亜麻色の髪の乙女(?)

Img_0124_2 やっぱり帰ってきていたんだ。麻機の水を入れた田んぼの中に数羽の亜麻鷺(アマサギ)とチュウサギがたむろしていた。

亜麻鷺。春になると南方から渡ってくると聞いたが、頭の部分が淡い茶色、つまり亜麻色をしているため付けられた名前と聞く。用心深い鳥でなかなか近寄らせてくれない。

P1010051 本によると、この亜麻色は婚姻色(夏羽)とあり、他の時期は白一色で小鷺と区別がつかないようなので、左の写真は小鷺と一緒にいるのではなく、夏羽になるのが遅れている亜麻鷺かもしれない。しかし、遠く過ぎて判別できない。

婚姻色の亜麻鷺をみていると、「亜麻色のながい髪を風が優しくつつむ~、、」なんて歌があったことを思い出した。でも、この歌そこまでで後は知らないし、亜麻鷺の場合、亜麻色になるのは乙女だけでないようなので、、、、

今日は、最近ではあまり騒がれなくなったけど、バードウイークの初日である。散歩は、少し遠出になるが子ども病院を経由して巴川沿いに羽高団地まで鳥を探して歩いてみた。

Img_0010_10 Img_0015_7 Img_0013_1 結果として、葦のなかで鳴くヨシキリはどうしても見つけることが出来なかったものの、上の写真にある亜麻鷺をはじめ、厚化粧をしまくった雉、今日はおとなしいケリ、そして、自慢の後ろ髪をなびかせ、黄色い靴を履いたおしゃれな小鷺などが登場した。

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Img_0018_2 その途中、見つけたウツギ。スイカズラのように色変わりをする箱根ウツギである。この花、咲き始めは真っ白なのだが次第に赤くなっていくというもので、これも本によると、海岸付近で咲くものを箱根ウツギと言い、山に咲くものを二色(ニシキ)ウツギ(錦ウツギともいう)というそうで、専門家もどちらにするか難しいようなことがかいてあった。

それなら何も、いくつも名前をつけなくてもいいじゃないかと思うが、そこはそれでまた難しいんだろうな。

ところで、この近辺は海なの?山なの?そして、「箱根」という前言葉がついて何故海岸付近なの?これもまた難しいんだよな。

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2007年5月 9日 (水)

ケリの雛 土遁の術

Img_0142 近くの田んぼの小さい草の間を、ケリの雛が鞠のように転げるように動いているのを見つけて写す。生まれてすぐに歩き出す雛は生後一週間とはたっていないはず。

親の警戒音と私に対する威嚇攻撃の中、田んぼの土にうずくまってびくとも動かず保護色で土に同化し、またたきさえもしないでいる。

これぞ世に言う「忍法土遁の術」か、それにしても生まれ付いての忍法には驚かされるものがある。

しかし、見つけたのは、このまたたきもしない目のためだとは、知る由もないだろう。大きさは鶏の雛より一回り大きい。親の大きさを比較するともっと小さいはずだけど、カラスなど外敵から逃れるにはこれだけの大きさが必要なのだろうか。

ということで、明日からは「愛鳥週刊」苛めるのは今日限りにしてと、外敵は写真を三枚写して退散する。

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今日は、昨日登った真富士山の写真でお茶を濁す。

写真左谷の最上流水源近く、この付近にミソサザイが住んでいるようで登りも降りも綺麗な声を聞かせてくれた。右 ネコノメソウ。実が猫の目に似ているというが小さすぎてよく分からない。

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両方ともよく見かける花だが、名前の特定が出来ていない

Img_0029_2 Img_0032_2                  

左 エンゴサク  右 黒文字の新芽と花

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左、第二真富士山で一緒に休んでくれたアカタテハ 左 深山カタバミ、ここで咲くと下界のカタバミみたいに雑草扱いは出来ない。

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左 コショウノキ?沈丁花に似たよい香りがした、しかし、こんなところで咲くのかな? 右 ヤブデマリ

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左 第二真富士山から見る富士山 右 林道から見る第一真富士山、第二は下から見にくいため、低いほうが第一と名付けられたのか。

Img_0069_7 Img_0111_3                 

締めは岩鏡二態、このほかにスミレが多数あるが特徴が分からない、したがって名前が分からないのでいずれまたの機会に

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2007年5月 8日 (火)

五月蝿い! (真富士山)

Img_0060_1 岩鏡(イワカガミ)頑固そうな名前だがいたって優しい花をつける。

岩の多いところを選んで繁殖するようで、強いのかこんな所でしか根を下ろせないのか、冬の冷たい風に吹きさらされて、いま花を咲かせている。

名前の由来は、常緑の葉っぱが昔の鏡のような形をして、つやつやと光っていることからつけられたという。

下からののぞいて見ると、五弁の花びらの先端がが裂けているのが、一寸見には無数の花弁があるように見える。岩団扇の仲間なので、どこかで分かれる際に裂けちゃったんだろうと思う。

色もピンク系統から淡いものまでいろいろとあるが、ここでは、ほとんどが白だった。

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今日は、久し振りに真富士山に行ってきた。真富士山は安倍川上流の左岸にあり標高は、第二真富士山で1,402mで、先日登った青笹山の南側に当たる位置にある。

家から20km行ったところから右折、林道を6km登った駐車場に車を止め、そこから登りだしたが、12日前の青笹山のときに比べると植物はいちじるしく成長していた。今日はどんな花を見せてくれるのかな?と楽しみに歩く。

Img_0001_1 Img_0107 まずは、ホウチャクソウ(左)とテンナンショウ(右)が出迎えてくれた後、整備されていない檜林を登る。この林、来始めてから10年余になるのに密植のためか全然成長していないように見える。

昨年から森林税をとられているのだが、どこに使っているのか分からない、こんなところを間伐してほしいものだ。

Img_0007_2 Img_0093 そんなことを思いながら、谷筋に出るとハシリドコロ(左)やスミレがふえ、その後二輪草(右)の集団、ネコノメソウと次から次へと舞台を換えて見せてくれる。

なかには、これから事典と首っ引きで調べなければならない花もあって楽しみを長続きさせてくれる山行きとなった。

Img_0042 そんなこんなで、大井平から右に折れ、峠で神社に挨拶し第一真富士山(1,343m)に到着したのは予定から随分と遅れて九時半ころ。頂上を少し下った広場からは、いまの季節では仕方のないのだがうっすらと霞む富士山や清水港。木の間越しの第二真富士山を見ていると、大柄なタテハ蝶が一緒になって休んでくれた。(写真は第二真富士山から)

Img_0064_2 少し休んだ後、真富士峠に向かって降る、標高で100mも下ったろうか最低鞍部の峠に到着。それからまた登りにかかるが、第一真富士山に比べて痩せ尾根で岩が露出している所に岩鏡が群生しだした。

その何ヶ所かで、また写真撮影をするためあっちでうろうろ、こっちでうろうろを繰り返し、ロープに掴まったりしているうちに少し平坦になったとおもったら頂上にたっている。

登りだしてから3時間ほどもかかるスローペースの山登りになった。しかし、ここで気になったのは峠からこっちやたらと蝿が多いことだった。「五月の蝿は五月蝿い(うるさい)」なんて冗談も始めのうち、山での早飯中に何匹叩いて殺したことか。とにかくずっ~とまとわりついて離れなかった。

帰りは、真富士峠からやはり手入れの悪い林を抜けて大井平の分岐で登り道に合流し、駐車場に帰る。天気もよく気分の良い山歩きだった。すれ違う人もなく、山を独り占めにした一日だった。

また、頂上付近と駐車場近くで二頭のカモシカを見るが、どちらも立ち止まることなく早々に茂みの中に入ってしまった。

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Img_0087_3 赤ヤシオも咲いて、、

ああ、そうそう。早咲きか狂い咲きかは知らないが、赤ヤシオが三本ほど尾根筋で咲いていた。

写すと蝶々のように広がった葉が、他のツツジと区別できる。 他の赤ヤシオはまだツボミ固しなのでどっちかな、、、。

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2007年5月 7日 (月)

おお、こわッ!

Img_0069_6 麻機遊水地の土手に蔓万年草が咲きだした。

ひとつひとつの茎から星型に広がり地面を覆う。小さな黄色い花を四方八方に広げた枝?に咲かせている。

この花も、もともとは園芸種だったのが逃げ出して全国に散ったようだが、見るからに繁殖力が強そうで、庭にもって帰ったら庭中広がってしまいそうな感じがする。

Img_0070_4 いま咲いているところも、蛇籠の上だから、下には土などもなく水気の乏しいなはず、それでも元気に繁殖するのだから、、、、、、おおこわッ!。

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ゴールデンウイーク中に、エキスポランド遊園地でジエットコースターの事故があり死者まで出したことで、テレビのワイドショーはどこを見てもこの話題だった。

私は、この年になるまでジエットコースターは仕方なしに三回乗ったことがある。仕方なしというのは、二人の娘の遠足について行ったときと、姪っ子について行ったときだが、何れも小学生の時だったから、今どき話題になっているものと比べたらチャチなものだった。

それ中で、一番怖かったのは、富士山中腹のものだったが、真っ暗な建物の中を走るもので、スピードはそんなに早くないが、行く先が分からず突然右に揺られ、左に急角度でガタンガタンと振り回されるように曲がるものだった。

その時は、こんな音を立てるということは車輪に相当菜な無理がかかっているんだろうな、他の乗り物は「いかに静かに走らせるか」とはまったく違ったものだという印象があった。暗くて娘に知られる気配がないことを幸いに、バーをしっかりと握り締め固まって、娘のほうを見る余裕がなかった。

総じてジエットコースターに乗りたがるのは女の子に多いような気がする。(のは独断と偏見か)

キャーッという黄色い悲鳴か歓声か知らないが大声を上げて、ジェットコースターの轟音を吹き飛ばすのは女の子。ご相伴の男の子は目を瞑ってまったく声も出せずただこの時間よ早く過ぎてと祈る。「また乗る~」というのをどう理屈をつけて止めさせるのかに集中する。

私が、ジェットコースターに乗って動き出した時の呪文は、「いままでこの機械に載って怪我した人や死んだ人がいないのだから、大丈夫」というものだったが、今回の事故でこの呪文は役立たずになってしまった。

もっとも、孫もそろそろじいじを遊び相手にしない年頃になったから、二度と乗ることはないだろうが、あんな怖いものにお金を出してまで乗ろうとする人の気が知れない。    おお、こわッ!  

今日の蝶。左 キタテハ、ボロボロの羽のようだがこれでまとも。昔の学生のようにわざと汚れたものをつけているみたい。右、ヒメジャノメと見受けるがいかが。

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2007年5月 6日 (日)

床や談義”ウレ”は先っちょ

Img_0006_5 今日は一日中雨が降りゴールデンウイークを活躍した諸氏の疲れ休めにはもってこいの日だったことと思う。

ゴールデンウイークには、全然関係の無い私にとっては家に閉じ込められ、することがないので、午後になって床屋に行き談義にふけってきた。

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藤枝市を流れる瀬戸川の上流に「宇嶺の滝」と書いて、”うとうげの滝”と呼ばれる滝がある。写真のように高さ70mといわれる滝は上に人家がないこともあり、綺麗な清流を躍らさせており何時の季節にも絵になる堂々とした、あるいは涼しげな風景を見せており、静岡ではかなり大きい部類に入ると思われる。

この滝の名前に戻る。知らない人はこの漢字をみれば、”ウレイの滝”と読んでしまうのではないだろうか。(私もそのくちだった)

”ウレ”とは、古語辞典に拠ると”先っぽ”という意味があるそうで、川の上流、奥とも通じるのかもしれない。子供の頃「あの衆はウレの山から出てござらっしゃった」と老人がいっているのを聞いたことがあるし、静岡でもお茶を摘むとき「ウラッポのミルイところ」というように使っているところから、ひょっとしたら「ウレの滝」だったもかもしれない。

そうすると、”うとうげ”とはなんだろうかになるが、安倍川上流に山葵の産地として有名な「有東木」という集落があり、やはり山の奥まった所にあるところがよく似ているように思う。とすると”うとうげ”は”ウレ”と同義語なんだろうか。

しかし、有東木の上の山を「うつろぎ山」と読んでいるが、”うつろぎ”とは木の中心がコルク状の白い芯が入った。つまり中が空を意味する木で何種類かあるが、”ウレ”とは全然関係ないことになり、話は分からなくなっていく。

床屋談義もいよいよ深く難しくなるが、お互いご隠居さんばかり、自説を曲げないものだから話は飛び火してしまう。いい加減火消しをしないと、、、というほどにカッカとしてしまう。

もし分かる人がいたら教えてほしいものだけど、、、。

今日の花。左 空木(ウツギ) 右 額空木(ガクウツギ)同じ空木を名乗っていても属が全然違う。

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2007年5月 5日 (土)

屋根より高い鯉のぼり

Img_0026_3 今日は端午の節句。こどもの日である。

雨が降るという天気予報は大きく外れて、靄って入るが上々の天気となった。

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屋根より高い鯉のぼり 

   大きい真鯉はお父さん

          小さい緋鯉はお母さん 

          面白そうに泳いでる  

最近は、の報道によると子どもに対する痛ましい記事が多く、親になりきれない人が多くいるようで、こんな歌も過去のものになりかねているのかもしれない。

今日も、赤ちゃんポストの話がでていたが、どちらもどちらで賛成反対をしかねるが、緊急に子どもの命を救うということでは仕様がないのかと思う。

そして、子どもが来てくれたことを喜ぶ象徴のような鯉のぼりも最近では、子どもの数が減ってか、それとも鯉のぼりを上げるだけの敷地がないせいかめっきりその数を減らしている。

変わって、観光目的だといって大量の鯉のぼりを集めて、川などの上に古い鯉をずらりとぶら下げているが、情緒も何もない。

それではと今夜の菖蒲湯に使用する、菖蒲を採りがてら歌の文句にあるような鯉のぼりを探してこようと藁科川を遡って写してきたのが上の写真。

いまでは菖蒲といえば、種類の違う花しょうぶばかりになり、風呂の入れるものはスーパーに行ってもなかなかない時代になり、歌の文句のような家庭と共に、明治大正はおろか昭和も遠くなりにけりとなって、以前あった場所は重機でかき回され菖蒲の自生地はなくなっていた。

仕方ないので今夜は代理のヨモギで我慢しよう。

今日の花。左 レモンの花蕾、紫の色はきれいだが開花すると、想像を外れたいい加減な花になる。 右 向日葵 狂い咲き?こういう品種?いずれにしろまともではないと思うのだが、、、

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2007年5月 4日 (金)

半そでシャツの暖かさ

Img_0014_6 気持ちのよい青空を見ていると家でじっとしているのがつらくなる。「晴れた5月の青空に、、、」と、どこかへ行きたくなるが、どこの観光地も人で人でもみくちゃの様子。(写真は吸蔓)

昨日、山へワラビ採りに行ってきた人によると、「山道も車だらけ、少し狭いすれ違い場所では渋滞をしていた」と聞くと途端に閑人がそれに加わってどうする?としぼんでしまう。

ということで、いつもの散策路へ今年始めての半そでシャツで向かったが、結構暖かく汗ばんで帰ってきた。

このあたりの山は、いま蜜柑類の花に加えて吸蔓(スイカズラ)と姫空木(ヒメウツギ)の白い花が盛りをむかえている。

吸蔓は小さなトランペットのような花を少し上向きに咲かせ虫を誘っている。この花は、中国では金銀花と呼ばれているそうだが、蕾の時は赤く、咲きだしは白いが、次第に黄色味を帯びてくるため、白い色と黄色が同時に並ぶことよるらしい。

Img_0015_5 また、姫空木は名前の通り空木の花の中では、下に載せた「小米空木」についで小さな花を、遠目には雪柳かと見まがうばかりに咲かせていた。

いま高校野球界は、特待生制度で紛糾している。大方のマスコミは選手が可愛そうで統一されている感じがするが、少し疑問を感じるところがあるのは私だけだろうか。

詳しい事情は知らないが、高野連の規則で昔から禁止されていたことではなかったのか。もし、選手が可哀想というなら、何故いままで規則を変えるということが出来なかったのか。

違反を申告したのは一校を除いて全て私立高校だったということから見ても分かるように、最近の甲子園は特待生なしの公立高校では出場は難しい。というひずみが出てきて、面白味がなくなり。ひいては実業団野球、プロ野球の人気が落ちている遠因と思うのは僻目か。

以前にも書いたことがあるが、甲子園に出てくるような学校の選手に地元出身者がほとんどいない。これは、学校が野球(他の運動を含めて)の上手い生徒をいろいろな手段で集めて、強いチームを作り学校を宣伝するための手段であり、選手はそれを利用しているか、されている、いわば同類であると思う。

以前にも、近畿地方では甲子園出場選手になれないので、青森の私立高校へ留学した生徒のテレビを見たが、生徒のほうもかなりしたたかな計算をしていたのが見て取れた。

他の運動選手も同様で、ほとんど授業もせずに大会と練習に明け暮れている生徒もある。こうなると、学校のスポーツとは教育なのかどうかという根本から考える必要があるのではないだろうか。

今日の花。 左、小米空木(コゴメウツギ) 右、常盤露草(トキワツユクサ)

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2007年5月 3日 (木)

名前を知って躊躇する

Img_0091_1 ブログで小さな花を拡大して見るまでは、5ミリに満たないような花にはほとんど関心がなかった。そして、田んぼの縁や家の庭の隅に自然に生えて来る草は、全てが雑草という名の草で邪魔者以外のなんでもなかった。

写真の、トキワハゼもその仲間。拡大してみれば結構美しい花を持っていて、最近では、むしって捨てるには、、、と躊躇することがある。

この花、サギゴケと花の色形、咲く場所がよく似ているが、葉に毛があるなしと茎が立つか這うかの違いで判別するしかないようだ

今日は朝から好天が予約されている。裏の国道1号バイパスは上下線とも渋滞して、どこかに出かけようとする気をなくさせていた。

そして、60年目の憲法発布記念日だという。小泉~安倍政権の一連の流れはこの憲法を風前の灯にしようとしている。

時代の流れに合わなくなっている。占領軍におし付けられた憲法なので自主憲法をつくろう。というが、どんな風に作り変えて日本をどうしようとするのかはっきりしない。

美しい国とはどんな国なのか、誰から見てのものなのか。共同防衛を言う場合、いままでの流れから見てアメリカの言うことを聞く、アメリカを支援するだけの軍隊にするとしたらそれこそ属国化するだけではないだろうか。

一番大事なことは、格差拡大で生活を脅かされている層に対する施策がないがしろにされかねないことであろう。

美しい花を持った、民草が希望を持って働ける社会。不公正のない社会が求められている。「苛政は虎よりも猛し」とは2せんねんも前の論語にある。

今日の花。左 コマツヨイグサ 右 ノバラ いよいよ初夏

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2007年5月 2日 (水)

腰に傘を差して

Img_0051 朝雨が上がり、空が晴れ後再び降ってきた。今日は八十八夜、茶農家では一番大事な日に、こんな雨が降っていては困るだろうなと思いながら、散歩に出る機会をうかがっていた。(茶畑から見た静岡県庁を含む中心街)

しばらくして、外を見るとまだ西の空の雲行きが怪しいものの雨が上がってきたので、防水のコートを着て折りたたみの傘を腰に差し出かけると、しだいに雲が切れて日差しがでてきた。こうなるとコートも傘も邪魔っけだが引き返すのもなんだし、コートを脱いで腰に巻きつけ無様な格好で散歩をしてきた。

                   出かけたImg_0073_5 時間が遅いせいもあるが、長野から見ると、生あったかくてしゃんとしない。道端にはミカンの花が白い花をいっぱいにつけて、甘い香りを振りまいている。最近増えた庭先のジャスミンの強烈な匂いと違って奥ゆかしい感じがするところがよい。

今日の花。左 ゼニアオイ、右 川原撫子

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懐かしさを感じる朝に

Img_0074_1 四月三十日。ようやく桜が散ったばかりの長野県は、東信地方でも今日は気温が24度になると放送されていた。しかし、朝五時少し前の日の出時は昨日ほどでもないがうっすらとした霜が降りていた。(遠景は昨年登った籠の塔三山、右の小さいこぶが昨日登った高峰山)

Img_0121_1 浅間山の右肩辺りから登る太陽に温められてか、薄い靄が千曲川とその支流から上がりその奥の集落をつつむ、まるで、歌や絵にあるような懐かしい日本の朝を演出してくれたいるようだった。(浅間山の右肩から登るお日様)

リンゴの木はようやく赤味がかった蕾を膨らませるなか、あてずっぽうに右に左にと農道を一時間以上逍遥する。

この辺りの地形、佐久平から上田の塩田平にかけて、蓼科山の麓に当り、小さな谷で侵食はされているが、うねうねとよく似た風景、地形が続き、いまだに全体像がつかめないため、自分がどこにいるのか分からなくなることがよくある。

今日静岡に帰るため、少々のみやげ物と農家直売の野菜を仕入れ、昼食をよばれたあと午後二時出立。約5時間の長旅になった。全走行距離622km。

今日の花。左、翁草(オキナグサ)山で見るのは本当にしばらくぶり。右、アズマイチゲ

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2007年5月 1日 (火)

高峰山(2,091m)で雪上散歩

Img_0071 四月二十九日、昨日の夕方降った冷たい雨も上がり、トイレの窓から見る星月夜は綺麗に晴れ上がり、ひさしぶりに銀河を見ることが出来た。写真 霜に覆われた姫踊子草)   

静岡にいては、まず見ることの出来ない夜空だが、その分夜気は冷たく、目が覚めないうちにと早々に布団にもぐりこむ。

明ければ零下二度。草木に霜がつき、芽を吹き出させ蕾の膨らんできた林檎畑では、妨霜フアンがうなりをたてて回っている。

太陽も次第に高くなった七時に、高峰山を目指して出発する。

小諸から群馬県へ向かう道路の氷結状況を確かめながら慎重に登り、車坂峠の駐車場に着いたのが八時少し前、気温は零下二度ながら風が強く、体感温度はそれを下回って感じた。

すでに5~6台の車が駐車しており、浅間山方面に向かうらしく、すこしオーバーにも見える厳重な装備の身支度をしているグループがいた。

その人たちを横目で見て、昨日の農作業に使ったツナギの作業服を重ね着し、反対側の高峰山方向に向かう。

こちらは、のっけから残雪に覆われた雪の上に、昨日の新雪が10センチほどつもり、人の足跡は全然見えない気分よい山登りになった。

頼りは、ところどころにある赤い布、しかし、融雪期の山は、溶けては凍るを繰り返しているので、ところどころ氷が新雪の下にあり、靴のかかりが出来なくて滑り上ばかりを見ているわけには行かない。(写真下 高峰山山頂。剣の先に富士山が)

Img_0095 兎ばかりでなく、狐?やイタチ?らしい動物の足跡も楽しみながら一時間ほどで山頂に到着する。上り始めが少しきついが20分ほど昇った所からほとんど平坦な尾根歩きとなり日差しも強くなると寒さも消えて、すっかり雪上の散歩l気分になってしまい、大きな剣を岩に立て社のある山頂に着いた時には物足りなさを感じる山である。

車坂峠でもそうだったが、天気もよくぐるっと360度視界もよく富士山、南、中央、北アルプス、御岳乗鞍と確認しながらしばし休憩する。

Img_0109_1 帰りは、高峰温泉ホテル方面を回ることにし、雪が解けてからでは歩けない雪山を右に行ったり左に行ったり、縦横に楽しんで降る。とにかくあっけない三時間の山歩き。

下って午後は、「みまきの湯」に出かけ、温泉と昼寝を楽しんで帰る。

今日の花。つつじもツクシもスギナも白い縁飾りをつけて、、、(立科町で)

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上田城をみて

Img_0059四月二十八日。午後から天気が悪くなるとのことだったので、じゃがいも20kgを植えつけた後、上田城に向かった。

北国街道沿いの小諸城と上田城は全国に名前の知られた城として有名である。いずれも千曲川を背にして、浅間山から続く山を見上げて建つ平城であるのが面白い。

Img_0049_4 上田城の駐車場は、城の南側、もともとは千曲川が、削った河川敷にある。この駐車場から見上げた位置に南櫓と西櫓が離れて建っている。

関が原の戦いの際、徳川秀忠の軍勢3万2千といわれる軍勢を引き付け、結局は敗れることなく、秀忠軍を関が原の戦いに間に合わせさせなかったことは有名であり、城主真田昌幸の名を高らしめた城である。

そのため、徳川の世になって、この城は徹底的に破却され、現存の城は作り直されたものとあり、史家によって位置さえも疑問が投げかけられているとあった。

たしかに、どんな城だったのか、外堀も分からなくなっているようだが、よくぞ、こんな平坦といってもよい土地で徳川3万2千という大軍に対抗できたものと感心させられるものがある。

「人は城 人は石垣」と武田信玄は言ったとか、その武田軍も滅びる時は重要な家臣の裏切りなど哀れなものがあるが、野面を埋め尽くすような大軍を前にして、僅かな城兵がたじろがなかったとすれば、よほど昌幸を信頼していたことになる。

できれば、桜咲く上田城と期待していたが、やはり遅かった。それでもと思い城中を散策し南櫓に入ると、受付で「入場券を持って行けば二の丸の博物館と山本鼎記念館が入れます」といわれ、出てすぐの東櫓門を出たところでそれまで我慢してきたらしい雨が激しく降りだし、傘を持っていなかったので急いで引き返した。

帰って、ニュースをみたら長野県北部を中心に雪が降り出したとのことであり、女神湖に宿を持っている人が雪かきの用意を心配していたなど近所の話として伝わってきた。ここ立科町も急に気温が下がり、氷雨とまでとは行かないが、、、、、

今日の花、長野県立科町で。 左 こんなにかたまっていてはさぞ賑わしい事だろうに。右 リュウキンカ 水際にひっそりと

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