上田城をみて
四月二十八日。午後から天気が悪くなるとのことだったので、じゃがいも20kgを植えつけた後、上田城に向かった。
北国街道沿いの小諸城と上田城は全国に名前の知られた城として有名である。いずれも千曲川を背にして、浅間山から続く山を見上げて建つ平城であるのが面白い。
上田城の駐車場は、城の南側、もともとは千曲川が、削った河川敷にある。この駐車場から見上げた位置に南櫓と西櫓が離れて建っている。
関が原の戦いの際、徳川秀忠の軍勢3万2千といわれる軍勢を引き付け、結局は敗れることなく、秀忠軍を関が原の戦いに間に合わせさせなかったことは有名であり、城主真田昌幸の名を高らしめた城である。
そのため、徳川の世になって、この城は徹底的に破却され、現存の城は作り直されたものとあり、史家によって位置さえも疑問が投げかけられているとあった。
たしかに、どんな城だったのか、外堀も分からなくなっているようだが、よくぞ、こんな平坦といってもよい土地で徳川3万2千という大軍に対抗できたものと感心させられるものがある。
「人は城 人は石垣」と武田信玄は言ったとか、その武田軍も滅びる時は重要な家臣の裏切りなど哀れなものがあるが、野面を埋め尽くすような大軍を前にして、僅かな城兵がたじろがなかったとすれば、よほど昌幸を信頼していたことになる。
できれば、桜咲く上田城と期待していたが、やはり遅かった。それでもと思い城中を散策し南櫓に入ると、受付で「入場券を持って行けば二の丸の博物館と山本鼎記念館が入れます」といわれ、出てすぐの東櫓門を出たところでそれまで我慢してきたらしい雨が激しく降りだし、傘を持っていなかったので急いで引き返した。
帰って、ニュースをみたら長野県北部を中心に雪が降り出したとのことであり、女神湖に宿を持っている人が雪かきの用意を心配していたなど近所の話として伝わってきた。ここ立科町も急に気温が下がり、氷雨とまでとは行かないが、、、、、
今日の花、長野県立科町で。 左 こんなにかたまっていてはさぞ賑わしい事だろうに。右 リュウキンカ 水際にひっそりと
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