桑の実が熟れて
小籠に摘んだは
まぼろしか
(あかとんぼ より)
山桑の実が熟れてきた。野生の桑の実は小さくて食べる気もしなかったが、黒いのを二つ抓まんで口に入れれば懐かしい味がほのかにした。
子供の頃までは、日本各地で蚕を飼っていたのでどこへ行っても桑の木があり、いまの時期の熟れた実は子どものいいご馳走だった。
桑は葉を取るため、高くて大きな木にはしないため、小学生でも簡単によじ登ってとれる。ほのかに甘く、果汁がいっぱいあり、黒く熟した物を選んで口に放り込んだ。
何時のことだったか、なにか流行りやまいが出て「桑の実を食べたらダメ」と学校で禁止した年があった。が、止められない。
こっそり食べた後、口の周りの紫色の証拠が隠滅できないで、すぐに見つかり大叱られした事もあわせて懐かしい思い出となって今でも残っている。
その桑の木も、絹がシルクと呼ばれるようになってから衰退し、今では童謡の文句の通り、桑畑、お蚕様とともにゆめまぼろしの世界になってしまった。
今日の蝶。左、クロアゲハ、背中から見ると黒一色だが裏側は赤を主体とした綺麗な模様がある。江戸時代の粋みたいなところがあって飛んでいる時は見えるが止まると見えない。左、図鑑で見たが名前が分からない。タテハチョウの仲間だろうか。
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「人間万事塞翁が馬」「人生はあざなえる縄の如し」なんて格言を何度も聞いてきた。幸不幸は交互にやってくるので、幸福でもおごらず不幸な時でもめげず次に備えなさい。という意味だと言う。
しかし、本当にそうなのだろうか。最近の日本を見ていると、勝ち組負け組みに代表されるように、金持ちはさらにお金が入り、貧乏人はますます貧乏になるという二層化社会の仕組みが出来上がりつつある、縄のようによじれることがなく、紙のように裏は何時までたっても表にはならない社会が出来上がってしまったような気がしならない。
スタート地点で将来が決まってしまうと言う閉塞間のある社会。これは、以前からアメリカでそうだといわれて来たが、先日のテレビでもワーキングプアーが日本でもアメリカに並んで13%台とダントツに高い比率になってきたといっていた。(暴動で揺れるフランスや階級社会のイギリスで8%台という)
そのむかし、テレビコマーシャルで「美しい人はより美しく、そうでない人はそれなりに、、、」と言っていたが、昭和のころの一億総中流社会が崩壊してしまったという。
石川啄木が「はたらけど働けど わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」と歌ったころと同じ環境になり、ドラマ「おしん」の再現が近づいてくるのが予想出来ないだろうか。
これから行き着くところがどこにあるか知らないが、古くは百姓一揆のような庶民の爆発はぬるま湯の日本人にはまだまだ先の話だろう。昭和初期の政治腐敗と国民の貧窮を代弁する形で5,15事件に軍部が蜂起し、クーデターのようなことが起きたときも賛成した人がかなりいたようだ。
その後、軍部が独走し先の見通しもない世界大戦に突っ走ってしまたが、人は、未来に夢を託せ無くなったとき、あの時は”まぼろしか”とは言っていないように思う。
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コメント
慶さん
同じ桑を見てもそれぞれに違った思い出があるもので、私も何度か手伝ったように思いますが、おばあさんの家ではほんの少しだったので、もっぱら食べる記憶ばかり。
機織もしていましたね、昔の人は寸暇を惜しんで自給自足に近い生活をし、考えてみれば貧乏でも精神的には明るかったように思います。
それとも、子どもにそんな気配を悟られまいとした親心だったのでしょうか。
今になっては、みんなこの世を去って聞く術もなく、あの時のことは”まぼろし”だったのでしょうか。
投稿: オラケタル | 2007年5月24日 (木) 06時41分
桑の実!懐かしいです。どちらかと言うと桑をみると、夏桑の葉をお蚕さんの餌にするためにすきとり、平均に撒いていくのを手伝ったので、なんていうか、お蚕さんのにおいって言うのかな、お蚕さんが葉を食べるそそそそって音が思い出されます。あと、繭を作れなかったお蚕さんが鯉の餌に撒かれると、ため池の鯉が大きな口をパクパクさせて寄ってくるところとか、子ども心にも、食のサイクルのようなものを感じました。桑→お蚕→鯉→人→肥料
そして、お蚕さんの繭の外側のうすい膜の部分を集めておばあちゃんが糸をつむぎ機を織り、それで、母の着物が出来、布団の布になりその布が私の娘の赤ちゃんの時のねんねこの生地になり、ついにお役ご免となりました。昔は貧しい人も多かったですが、今のものがあふれているのに貧しさから抜け出せない貧と、質が違ってきていますね。
投稿: 慶 | 2007年5月23日 (水) 23時34分