婚期を逃がすぞ
沓ヶ谷の電波塔から降りてきたところの花壇の一角に麦が植えられていた。
黄色く熟れてまさに麦秋という状態は太陽の下光り輝いて綺麗だった。
最近、この辺りで麦と言えば穀物でなく花になっている、昨年までは家の近所で畑一枚だけだったが、麦が「生け花用」と書いた立て札を前にして植えられていた。しかし、今年はその畑には何も植えられていなかった。
「麦秋」といえば、昭和26年原節子、笠智衆、淡島千景らが出演した映画の題名であった。当時見た覚えがあるが静かな映画、言葉遣いが丁寧だったという記憶しかなく、ときどき昔の映画などと言って断片的に写されるのを見ると、「そんな場面もあったかいな」程度しか記憶にない。
先日、解説を見ていて時代だな、と思ったのは、原節子が28歳で婚期を逃した娘の役をやり、周りの大人が右往左往する様を描いたものだった。らしい。
28歳で婚期が遅れた。というのは、当時の平均寿命は戦後まもなくだから食糧事情もよくなかったし、戦争で若者がいなくなったうえ、国民病といわれた結核が流行っていたから、何人もの子どもを若いうちに作って育て上げ、普通の家の子どもは就職列車に乗って16歳から仕事させるという背景があってのことであろう。
とにかく、他所の国に米以外の食料をおんぶしても平気な国になり、戦争、結核に別れを告げたため、世界でトップクラスの長寿国から高齢化社会になろうとしている。
「婚期を逃がした」という言葉は(親離れ、子離れが出来ない)いま、なくなってしまったといって良いだろう。
今日の蝶。沓ヶ谷の山を歩いていると足元から、クロヒカゲモドキが次から次へととびだし、二頭でくるくると螺旋を描いて恋を語らっていた。しかし、準備が出来た雌(?)が羽を広げて催促しているにもかかわらず、雄らしいもう一頭は興味を示さない。
私が見ているのを気にしているのかどうかは分からないが、早くしないと婚期を逃がしてしまうぞ、と声かけてその場を離れた。
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蝶はいいよな、「子どもが出来ても食べ物になる葉っぱという”赤ちゃんポスト”に置いてくればいいんだら」という声が聞こえそうで怖い。
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