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2007年6月30日 (土)

今年の六月は水のない月

Img_0115_2 暦では、六月を水無月というが、今年は文字通りの月になりそうだ。いずれ、気象庁からの発表もあると思うが、九州南部など一部集中豪雨があったところを除いてすくなかったのではないどろうか。

朝のうちこそすっきりと晴れていたが、地表の熱気にたちまち霞んでしまう遠景)

最近では、南アメリカ、エクアドル沖の海水の温度が低いと ラ .ニーニャ、高いとエル .ニーニョなんてスペイン語が聞かれるようになったが、日本語に訳すと女の子、男の子というには影響力がおおきいようだ

Img_0160_1 そして、今日で今年の前半が終了する行事”夏越の祓え”があったので出かけてみようと言う予定だったが、あまりの暑さに怖気づいて、扇風機をかけて午後はゴロゴロと過ごしてしまった。これでは、後半が思いやられるのだろうか。(写真は去年のもの)

夕方前に外に出ると、発泡スチロールに植えたトマトも先端がぐったりとしおれていた。

おかげで、午前中段取りをしていたペンキ塗りも「また後で、、、」と足場だけ作った状態でやめ~

この暑さにいかれたのか、防衛大臣が「アメリカの原爆投下は仕方なかった」という発言をしたようで、また明日のテレビに大々的に取り上げられそうだ。

どうして、こうも失言(本音?)をする人ばかりを集めた内閣なのだろうか、あきれを通り越してしまう。わたしも、暑さ負けをしたようなので今日はこの辺にしておこう。

(後記 : 翌朝七時。久間大臣は記者会見でアメリカを恨んでいませんよという意味の発言だといっていたが、ほかのことを赦しても原爆だけは赦しません!」ぐらいのことが何故言えない。アメリカだってリメンバーパールハーバーは国を挙げていまだに忘れていない。それを擁護して総理大臣は問題ないと言っていたが、日本の首相だよ!アメリカのポチじゃダメじゃん)

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今日の花。左、布袋葵(ホテイアオイ)が涼しげな花を付け出した。右、鬼百合とアゲハチョウ、もう夏だね。

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2007年6月29日 (金)

真理と自由と正義とは

Img_0126_4 いま、麻機沼では蓮の花が真っ盛り、そして、周りの小さな水溜りには、いろんなトンボが縄張り争いを繰り広げているが、人間と違って許認可権や天下り先、あるいはピストルが持ち出されることはないので高みの見物が出来て面白い。

なかでも、一番目立つのは蝶蜻蛉(チョウトンボ)ではないだろうか、黒光りをした羽根をひらひらさせながら飛び交うさまは、忍者かイスラムの戦士を想像させる。そして、休憩に草の茎に掴まるとき幅広の羽根でバランスを取っているが太陽の加減で虹のようにいろんな反射をしていた。

Img_0132_1 真理と自由と正義とは

めざす我らが栄冠ぞ

まもりゆかばや

        この誇り

           とわに栄えん わが母校

上の歌詞は飛騨の山奥の小さな学校の校歌の一節であった。小中学校あわせての200人ほどの学校だったから、小学一年の小さい子も以後の9年間はこの歌をうたっていた。(写真*わたしが通っていた学校、昭和29年冬、一階部分は雪の下に埋もれている)

あったというのは、昭和51年、鉱山の社宅移転に伴って廃校になったから、いまこの歌をうたう生徒はいない。

戦後間もないころ、当時の校長先生が作ったものであるが、多分当時の世相を加味して作られたものと思う。いまでは、こんな難しい言葉の校歌を持つ学校は少ないと思うが、戦時中に”真理と自由と正義”なんて言おうにも言えない時代を経て、民主主義とはこういうところにあると思われていたのではなかったろうか。

私が学校に入ったのは、敗戦の翌年だったので、それまでの教育が180度変換した年であった。先生は民主主義とはどんなにすばらしい制度であるか、口を酸っぱくして説明してくれた。

民主主義とは、多数の意見に従うものだが、少数の意見にも耳を傾けより多くの人が共感を持っていくように努力するものであり、一部の人の意見に引きずられて多くの人が戦死した教訓を生かすものであると聞き、戦災孤児や戦死者の家族のことを聞くたびに、さもありなんと思ったものだった。

戦後、62年たっていま国会を見るに、ろくに説明もなく、審議もせずに数による強行採決を繰り返しているが、これが素晴らしいといわれた民主主義の成れの果てかとがっかりさせられるものがある。

私のように国会議員は勿論、政治というものかかわる人にに愛想を尽かしたものからみると、党議拘束のかかった政治は一部の人の意向だけで動いているように見えて仕様がない。(小泉郵政改革が執行部批判をさせない風潮を作った)

むかし、”良識の府”といわれた参議院においてすら良識なんてどこかへ飛んで、数の倫理がまかり通っている。

国民のことをそっちのけで明け暮れている議員を情けないと思いつつも、選挙権を放棄すればお題目だけになった”民主主義”がさらになくなってしまうと、むなしい気持ちで今年も投票に行くのだが、、、、、さて、誰に入れようか。

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今日の花。左、車葉草、名前の通り葉が車のハブのように節ごとに開いている。右、夏椿、椿と名前が付いているが椿の仲間ではない、姫沙羅(ヒメシャラ)という別名を持ち、日本ではお釈迦様が亡くなった沙羅双樹がこの木でないかといわれた時期がある。(いずれも大光山で)

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2007年6月28日 (木)

円安は増税?

Img_0098_2 朝から薄雲がかかりむし暑い一日となった。こんな中でも夾竹桃が元気に花をつけている。広島では原爆の被害からすばやく立ち直った木として名前を聞いたことがあるくらい丈夫な木である。

Img_0004_5 この木はよく見ると、白い花に比べて赤いのは手が加えられて進化したように見えるが思い違いだろうか。

少し見たいものがあったのと、たまには違った所での散歩を楽しもうかと、市の西側にむかった。 二軒屋の交差点で右折しようとしたら大渋滞、とても自動車の置き場もないほどの混雑振りだった。「そうか今日は大鋸不動さんの縁日だったか、仕方ないなぁ帰ろうか」と引返してきてしまった。

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いま、ガソリンを初めとした石油製品が値上がりしている。幸い灯油を使う時期でないので自動車さえ動かさなければ影響は僅かだが、税金をはじめ今日来た介護保険料も随分と値上がりした。

腹がたつのはその書き方である。、、下記の年金から特別徴収をすることを通知します。ときた。わずかばかりの年金から差し引かせて頂きますのでお願いします。くらいのことが書けないのか。このアホバカ社会保険庁さんよ!

元に戻る、ガソリンなどの値上がりの原因として需要と供給の関係があることは百も承知であるが、そのほかに異常な円安によるところが大きい。

おまけに、ガソリンや軽油などは値段が高くなれば税金もそれに連動して上がっていく仕組みになっているので、諸外国に比べて随分と高い燃料を使っていることになる。(燃料に付く税金にまた消費税が付くという二重課税も納得できない)

ひょっとしたら、輸出産業の保護政策に便乗して円安になったほうが税収が増えるなんて画策しているのではないだろうか。

あまり、円安に誘導していると、日本の優秀な企業は”禿鷹ファンド”のいい餌食にされてしまい、別の意味で産業が空洞化してしまうだろう。

本日は、経済音痴の八つ当たり的感想になった。

昨日大光山に咲いてた花。左 鳥足升麻(トリアシショウマ)、若芽が鳥の足に似た格好をしているところから付けられた。若芽は食べられる。右 姫蓮華(ヒメレンゲ)蔓万年草によく似ているが葉が違う。暗いところだったのでフラッシュ使用する。

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2007年6月27日 (水)

熊との遭遇で緊張(大光山1,661m)

Img_0055_4 梅雨の中休み、晴れ間が期待できそうだとのことで、安倍川沿いを北上し、梅が島の近く草木集落に車を入れた。(写真 霧ごんで来た狭い山頂)

今日の目的は”大光山1,661m”である。この山の名は漢字で書くと何の変哲もないが読み方として「オオピッカリヤマ」となり、名前のユニークさから人気のある山といわれてきた。しかし、この山はいままで登ったことがなかった。理由として、名前意外に何にもなさそうなので魅力を感じていなかったためである。しかし、「安倍川筋でひとつだけ登らない山を残しておくのもどうかなあ」と思いむかってみた。(関係ないことだが、南アルプスには光岳と書いてテカリダケと読ませる山もある)

Img_0030_6 草木集落の駐車場から、防砂堰堤を越え、沢沿いにを少し歩いた後、山の斜面に取り付いた。

谷に近いところでは”二人静”があちこちで群生しており、ちっとも静かそうには見えなかった。しかし、ここからが問題であった、手入れの悪い桧林のどこでもそうであるが、草も土もないザラザラとした砂利山道になる。ここををジグザグと折り返しながら登るのだが、意外と急坂のため横切る道が狭く、落石しやすいため集団での登りは危険だと感じた。

一時間ほど歩いてようやく乗越しに出て、平らな道を少し歩くと再び斜面に取り付きジグザグの繰り返しになる。本当にこの山は砂利が多いのと植林帯が長いので疲れる山である。

Img_0088_2 造林小屋を過ぎ、岩陰に屋根を付けた避難小屋みたいなところに来ると、杉の木が何本も皮を剥がされていた。一休みを兼ねて眺めていたら異様なうなり声がし、そちらを見ると1mに満たない子熊が尻を下にずるずると降りてくるではないか、慌ててカメラを取り出そうとしたが、次の瞬間、もし親がそばにいたら、、、、、とくに、子熊と親の間に入る事はとても危険な状況である、これはカメラどころの騒ぎではないことに気づかされた。(写真 まだ傷跡も生々しい杉の木。周りにまだ5本木肌のなくなったものあり)

護身用としては、か細いストックが1本あるだけゆっくりと前後左右を見わたしているいる間の長いこと、小熊はグフグフ言いながら降りきると、ギャ~という悲鳴みたいな声を残して下のほうに向かって一目散に消えた。親熊はいたのかどうか結局は分からなかった。今年はこれで二度目になるがこちらでは熊が随分と増えているようだ。

そのあと、鳴物をリックに縛りつけ、鳴らしながら山登りを続けた。支稜と言われるところで尾根に上がり、二こぶ三こぶアップダウンを繰り返して展望の悪い頂上に着いたのが歩き出して三時間後であった。

尾根に上がってからは、小梨(ヤマズミ)藪手鞠、七竈(ナナカマド)の白い花と更紗灯台躑躅(サラサドウダンツツジ)が目に付きだしようやく気分が晴れた、、、、が、変わって霧が頂上に忍び寄り見る見るうちに全ての色を奪い、視界を閉ざしてしまった。

山頂でゆっくりと休むつもりだったが霧がさらに濃く、湿度も上がってきたので仕方なく、靴の紐をしっかり締めなおし、九十九折の急坂を早々に降ることにした。

今日の花。更紗灯台躑躅、この山で見るとは思わなかった。何時見ても気品がありきれいな花を咲かす。七竈、秋にはいち早く紅葉と赤い実を鈴なりにつけ、写真の題材に使われる。

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2007年6月26日 (火)

大和撫子も変化しすぎると

Img_0042_3 川原撫子(カワラナデシコ)日本にもともとあった撫子で、秋の七草のひとつに数えられるほどなじみの深い花である。(まだ、秋には少し早いが、桔梗同様赦してたもれ、、)

この花は、清少納言の枕草子にも出てくるが、その一節に「草の花はなでしこ 唐(から)のはさらなり 大和のもいとめでたし」と。ということは、この時代すでに唐から石竹が入ってきていたようだ。そして、撫子の語源は「子どもをなでるようにという意味だ」とあるところを見ると余程むかしから人々から愛されてきた花のようである。

一方、西洋撫子はその後改良されてカーネーションになったが、原種はその花の色から今の言葉で言う”ピンク”の語源になったと聞く。ピンクは日本では桃色と訳されているが、もしかしたら撫子色のほうが直訳っぽいか。

大和撫子(ヤマトナデシコ)という花はない。この言葉は上の清少納言の言葉から来たのだろうか。日本人女性を意味する言葉は、”清楚で慎ましやか、一歩引いて男性を立て、かいがいしく尽くす女性"、を言うらしい。

男にとってはもっとも都合が良い女性像だろうがこんな人はいない。そのうえ、最近では女性に主導権を持ってもらいたい男性も増え、大和撫子も紫陽花のように七変化しなければならなくなった。

しかし、七変化も過ぎれば大変。「お引越し」とか「呪い殺す」なんてことを怒鳴る近所迷惑なおばさんがあちこちにいて格好のワイドショー種になっている。

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Img_0066_2 今日、大岩街道を歩いていたら、突然藪の中からラッパの音が聞こえてきた。何事ならんと城北公園に入ってみるとサキソフォンの練習をしているらしく、譜面を生垣の上に置き繰り返しフレーズを吹いていた。

一人では、なかなか練習する所もないので、こんな場所を選んだのかと見ていたが、考えてみればどんな楽器でもいざ練習となると場所がないのだろうな。

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今日の花。左、野朝顔、やはり野生種は生命力が旺盛、見る見るうちに木を多い尽くして濃紺の大きな花だらけにしてしまう。右、禊萩(ミソハギ)静岡ではお盆のお供えに欠かせない花と聞いたが、土地によっていろいろあるものだ。Img_0049_5  Img_0313

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2007年6月25日 (月)

マイナスイオン ねぇ~

Img_0017_8 雀の群れに一羽だけ白い鳥が紛れて飛んでいた。なんだろうと思って近寄ってみるとセキセイインコだった。

何かの拍子で籠から飛び出したものの、一羽では寂しかったのか雀の仲間にしてもらおうと紛れ込もうとしたのではないだろうか。しかし、あまりにも色が違って目立つ、それで追い出されたようで、また1羽になって餌を啄ばんでいた。

前にも、都会でワカケホンセイインコが大集団を作っていると報じられていたが、もともとはこんな状態からの出発だったのだろうか。

外来種の定着は飼い主の不注意や地球温暖化もあって、本来冬を越せないものまで生き残り、今後ますます増えていく事になるのだろう。

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Img_0096_2 知り合いの老夫婦が最近黒い紐のようなものを首に巻いている。

聞いてみたら、ゲルマニュームで、肩や首筋の血行をよくして、肩こりがなくなるということだった。

(静かな竹林、羽をゆらす音だけの世界には気分を和らげる効果がある。マイナスイオンとは関係なしに、、)

「それで効き目があった?」と聞くと「ヘヘへッ、あったような気がするよ」とのこと「で、値段は?結構高かった?」「うん、まあね」と言葉を濁していた。

どうも、親戚筋からの仲介で買わされたようだが、その親戚に悪くて着けている事が後々分かった。

六月二十二日の新聞によると、厚労省は60の健康食品の名称について変更を指導したとあった。いわく、血液をさらさらにする、血圧を下げる、快眠、風除けなどの宣伝文句や表示が"薬事法違反”に当たるのでと3社に「改善が必要」と判断したとしている。

3社は、DHC,ファンケル、小林製薬と何れも有名な会社であり、指導に従って見直したらしいが、問題は街中に溢れかえっている名もなき会社の健康食品、健康器具ではないだろうか。

前記、ゲルマニュームにしてもマイナスイオンが発生して効果があると、新聞の一面を全て使って広告しているが、マイナスイオンが身体にどう効くのか、科学的根拠がないとも聞いている中での宣伝。

どの温泉に行っても、神経痛は効果のひとつになっているのと同様、森林浴や滝の付近にマイナスイオンがあり身体に良いと言われるのは、そこに行って気分的にリラックスできるのが身体にいいのであって、はたして、マイナスイオンなるものせいではないそうだ。(「マイナスイオン 効果疑問」と検索してみれば分かると思う)

また、テレビの広告の中で、健康食品の宣伝に何処の誰とも分からない人が、「この商品は膝の痛みもとれよく効きました」と話している脇に小さく「これは個人の意見で、人によっては効き目が違います」と責任を転嫁するようなことが書いてある。また、クロレラの折り込み広告ではまるで万病に効くかのような折り込み広告が入ってくるが、そんなに効けば医者要らずであり、その会社の社員は健康保険が要らないのではないかと思う。

「まあ、こんなことで騙されるほうも、、、ねぇ~」

今日の花。左、藪萱草(ヤブカンゾウ)よく似た花に野萱草があるが、花びらが八重か一重かで判定する。どちらも若芽の時は食べられるし、花びらをサラダにしても良いというが食べたことはない。右、藪枯らし、繁殖力が強くたちまち小さな木を覆い尽くしてしまう所から。

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2007年6月24日 (日)

ツチアケビ  ある所は内緒

Img_0001_6 異様に赤い朝焼けを感じて外に出てみた。

午前四時四十分、少しどす黒いくらいの東の空は、冬至のころは日本平から揚っていたのに夏至を過ぎたいま、清水を通り越して、富士山に近い位置にまで寄っている。

朝焼けが電線などに邪魔されない場所にと思ったが、頭上の雲に太陽光が当たらないうちに色あせてしまった。

”朝焼けに川越すな”の例えどおり雨が降り出したのはそれからしばらくしてからのことだった。

Img_0009_5 今日は久し振りに珍しい植物を見かけた、いままでにこの植物は二度しか見ていない。初めて見たときは名前も知らないし「なんじゃこりゃ、、、」状態でありあまりの異様さに蹴飛ばして捨てた記憶がある。

植物の名前は「ツチアケビ」という。

葉も持たずいきなり土からすくっと立っている様は、色とともに不気味である。大きいものは1mを越えるようであるが、これは30センチほどしかない。葉緑素を持たないので、他の植物などに寄生して栄養を吸収しているらしい。

蘭の仲間だというが、蘭という名前がつく植物では一二を争う不気味なものだと思う。もう少しすると赤黒いバナナのような実を付けることから名前がついたようだ。

今度は大事に取っておいて、この先どうなるか見てみたいものだが、以前の私同様なものがいれば、、、、、それで、生えている場所は内緒。

今日の花、左、ツチアケビの傍にあった本家のアケビ、未熟の実だが今年はよく出来そうで、あちこちに見かける。右、名前知らず、カーネーションによく似た葉をしている。花はごく小さい。

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2007年6月23日 (土)

文書がなければなかったこと

Img_0068 梅雨の晴れ間というより、晴れ間の梅雨になった感じのする今年。この調子で行くと空梅雨になってしまうのだろうか。

梅雨といえば、定番の紫陽花もなんだか生気がないように見える。普段ならじめじめとした湿気の多い時期に足元のぬかるみを気にしながらついていく紫陽花園は苦手のひとつだが、、、、、

それでもと、一枚写したのが上の写真。この紫陽花だけは清涼感があって(自分勝手の感じ)見ごたえがあった。淡いブルーの額に小さな花が咲き、メシベを遠慮がちに延ばしていると見たが、思い込みすぎか。

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今日は沖縄戦の集結から62年目に当たる日だという。幼いころのこと、八月十五日の敗戦の日とちがって、広島長崎の原爆を含めて記憶がない(もっとも大本営発表では隠していたに違いないが)が、次第に記憶が風化していく中で、政府は、集団自決には軍が強制したという文書がないので、教科書から軍の関与を削除した。

同様に、慰安婦問題もそういった文書がないので強制はなかったとアメリカの新聞に意見広告を出して反発を買っているようだ。

文書がないのは、なかったことなのだろうか、もし消してしまったとしたらどうなのか。(年金問題も消えた書類はなかったことにされるようで心配)その辺の説明がどうもお粗末に過ぎないか。

南京事件にしても何かというとすぐに「売国奴!」といって相手の意見を抹殺する風潮がこのごろ上から下(政府から週刊誌(週刊文春、新潮など)を含めて)多くなってきた。

おりしも、自衛隊がデモ参加者の写真を集めるなど、昭和初期もこんな状態だったので、なんだか次の戦争の戦前になったのではないかと危惧するのは私だけなのだろうか。

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今日の花。左、衝羽根空木(ツクバネウツギ)花が落ちたあと額が残って羽根のようになることから、右、桔梗(キキョウ)秋の七草出番はまだ早いが咲き出した。ふっくらとした蕾が魅力的。

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2007年6月22日 (金)

歳歳年年人も似たり

Img_0074_3 雨も近くなったと感じさせる午前九時家を出た。途中降られるのを覚悟で近か周りの散歩である。

水路にはまだ、雛を六羽引き連れたカルガモがまだうろついている。雛のほうは母親が傍にいるだけで完全にリラックスしているのか、僅かに溜まった土の上で羽繕いに余念がなく、水の上から母親が呼んでも水に入ろうとしない。

言葉が通じれば天気の具合を教えて避難をしてもらいたいが、伝える術はない。これも自然の法則で仕方のないことか。

Img_0116_4 流通センター脇の遊水地で蓮の花を見た。もうかなりの数咲き出している。

まわりの蓮田ではまだ葉が小さいのでこちらもと思っていたが、やはり、根を弄っていない分だけ成長が早いのだろう。

年年歳歳 花相似たり

歳歳年年 人も似たり

どんなに虐げられても なあ~んも 変わんないもんな)

今日自民党の高校野球特待生問題小委員会とかが、高野連に”特待生を認めるべき”、だと提言したとテレビが報じていた。「おや ま~」会期末で重要法案がすったもんだとしているさなか、これはなんとお節介なことを論じていたんだなァと感心した。

今日は夏至、太陽が出ていれば一番日照時間が長い日になッたはずだったが、おあいにくさま。

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2007年6月21日 (木)

ラブラブは少ない

Img_0090_3 北陸東北地方が梅雨に入ったと思ったら、同じ日に沖縄地方が梅雨明けしたそうだ。どうも、梅雨にはしっかりとした定義がないためか、気象庁も自信なさそうに「梅雨入りしたもよう」「梅雨明けした模様」と含みを持たせている。

違っても追求されないためだろうか、ここ静岡でも十四日に梅雨入り宣言が出たあと、一日降っただけで後は降っていない。

今年は、積雪量が少なかったといわれている中でせめて、水がめのあるところだけでも降ってほしいものである。

そうしたなか、地球温暖化といわれながらも季節はめぐり、今日はアオモンイトトンボの結婚式。メスの頭を押えて飛んでいたカップルが、傍の草に掴まるとすばやくメスの尻尾がオスの胸の下につけ、変形ハートマークを作った。

よく、新聞などでラブラブの関係だったのに、というが同じくらい相思相愛(またまた古い)の関係は少ないことではないだろうか。

そのほとんどは、「ラブラブ」で、どちらかの思いが強いのが普通であろう。イトトンボに聞かなければ分からないが、中には彼らのようにこれはと思うメスの首の根っこを押えて強引にというのもあるだろうな。

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先日通知が来た住民税は、かなりの増税であった。当初の説明では地方分権を進める上で国の税収を減らし県市民税にまわすので変わらないというものだったが、定率減税をなくし、65歳以上の控除もなくすという部分を周知してこなかったため、あまりの増税にびっくりしているのが現状であり、納めたくないという感じが強い。

どこまでつづく、弱い者いじめの税制だろうか。これに反して事業税の増税は、企業が他の国に逃げてしまうので増やすわけには行かないという。しかし、中国などを見ても分かると思うが朝令暮改、何時どうなるかわからない国に安心はない。そんな国に資本を移すようでは、企業として先の見通しが立たない会社である。それを考えないで、ただ強い者の見方になっている政府は、まさに「苛政は虎よりも猛し」。

そこへ持ってきて、参院選対策として与党は「ふるさと納税」なるものを出してくるらしいが、まったくの噴飯物といって良いのではないだろうか。

故郷へお世話になったお礼として税金を送るのは個人個人で私はこちら僕はあちらと選択するのだろうか。父親の赴任などであちこちと動いた人は何処を故郷にするのか。また、送ったほうの市は減った分の税金をどうするのか。送られたほうも地方によりでこぼこと差がついてくる。

こんなことをするくらいなら、地方交付税で過疎の所に税を無償で渡せばよかったのではないだろうか。思いつきだけの下手な小細工をして、また、地方を混乱させるだけになってしまう杜撰な公約になるだろう。

今日の花。左、クコの花  右、サフランモドキ、

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2007年6月20日 (水)

RUNAWAY

Img_0094_4 庭のほかの草に紛れるようにしてオリヅルランの花が咲いている。

親株から飛び出したランナーの先に小さくふたつみっつと可憐で白い花を咲かせている。

このオリヅルラン、貰ったのはもう10年余り前のこと、当時はつるし鉢に入れて夏は紅葉の木の枝、冬は霜に逢わないようにと大事に育てていたが、その繁殖力は凄まじくどんどんとランナーを伸ばし、その先に小さな子株をつけまた広がる

終いには鉢から飛び出してあちこちに散らばり、雑草状態になったので、抜いては捨てていたが、人の手をくぐりぬけ、冬の寒さを潜り抜けるなど、いろいろな試練を経た後の子孫であり、見事な”ランナウェイ”ぶりである。

丁度私の先祖たちが天災や飢饉をしのいで生き残ったのに似ていると思うと、仇や疎かには出来ない花に見える。

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Img_0070_5 家の裏を流れる水路に鴨の親子が来ていた。三面張りの典型的な箱型水路で、高さが2㍍以上はありとても雛の力では飛び上がれない高さである。

街中の水を集めた水路だけに少し雨が降れば水かさは急激に増える。梅雨空のもと、こんな時期、こんな所へどうして親が連れてきたのだろうかと不思議に思った。

親子は、一団になって水面を右に左にと遊弋している。しかし、鴨のかあさんや、もうそろそろこんな所をから逃げ出す工夫をしてもらいたいものだけどね。

RUNAWAY 君が好きさ~ 

   連れて行ってよ~  和~和~和~

ピンクのきれいな花だが、近くで見ると化粧の刷毛のようでなんともまとまりがつかない。夕方になると葉が内側にしぼんでしまう様から付けられたと言う。

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2007年6月19日 (火)

難しい子どもの名前

Img_0056_4 泰山木(タイザンボク)がそろそろ今年の花期を終わろうとしている。

ここ、県立総合病院の入り口近くに、高さ10mに近い、この木としては比較的大きい木が一本ある。

直径20センチはあろうかという大振りの花からは芳香が漂ってくる。”こぶし”などの仲間のため、傷ついたところはすぐに茶色く変色してくるので完璧な花は少ない。

今日は丁度よい高さに咲いていたのでカメラに収めたが、受粉した下のオシベから順に花びらの上に溜まっているのがよく見える。

傍を通りかかったお年寄りが「何という花ですか?」というので「泰山木といいます」といったら「これがですか、いい匂いですね~」としばらく一緒に眺めてから病院に向かった。

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まだまだゆれ続ける年金問題。行く先はどうなるのか分からないが、国会の会期を延長して数が多いうちに、政府のいう重要法案を強引に片付けておこうという作戦に出るようだ。

この問題はひとまずよけて置いて年金に戻る。今回大きな問題のひとつになったのは手書きの漢字表記の名簿からコンピューターに転換する際、カナ表記にし、打ち込む人の裁量で変換したためその読み方によって別人になってしまったものがかなりあるそうだ。

Img_0062 それを知ってか知らずか、最近の子どもの名前は読み難くなりなり、男の子の1位は大翔2位は颯太、女の子では1位陽菜、2位葵である。読み方では男の子ユウト、ソウタ、女の子ではユイ、ハルカになるという。

私は大翔は、ダイショウとしか読めないし、次はサッタと読み、女の子ではヨウナとしか読めないがそんな名前ではないらしい。つまり、読み間違いの多い名前が氾濫しているようなので、学校や病院、市役所などではなんと言って呼んだら良いのか困っているだろうなと想像している。

カタカナを振らなければ読めない名前。親は自分の子どもだから名前をつける権利、楽しみがあるのだろうが、付けられた子どもの迷惑も考えて欲しいものだ。また、役所は人名用漢字さえ使えばほとんど無審査?(悪魔ちゃん事件)で通るが、この調子で行くと将来、カタカナ表記の名前でないと正確に自分の名前を呼んでもらえない時代になると思う。

また、最近鳥や花、虫についてもカナ表記になっているため、分かりにくいものが多くなった。たとえば「マメグンバイナズナ」は漢字で書くと「豆軍配薺」また、「ツマグロヒョウモンチョウ」は「褄黒豹紋蝶」となり、なんとなく漢字を見ていると少し知識や興味があれば、何の仲間か、形はどうなのかはカタカナ以上に分かってくる。

たとえば「ノハカタノカラクサ」と書かれた字を見て、もともとどんな字だったか、どこで区切りを付けたらよいのか、想像し読める人は僅かであると思う。

カタカナ表記になり、五十音順に書かれた植物事典見ると、同じ仲間でもズーッと離れた位置に書かれているため、花の写真を見て探すのに苦労したり、よく似ているので名前間違いの元になってしまうことがよくある。

お隣韓国ではカタカナに相当するのがハングル文字であるが、ハングルに力を入れすぎたため、最近では自分の名前を漢字で書けない人が増え、漢字教育に再び回帰していると知り合いが言っていた。

一方で、道路のコンクリート壁などに暴走族? らしき連中が「怒羅絵門参上」だの「夜露死苦」だのとパズルまがいの落書きをして漢字回帰?をしている。子どもの名前が難しくなったのはこんなことも影響しているのだろうか。

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2007年6月18日 (月)

田んぼデビュー

Img_0034_5 カルガモの田んぼデビュー。

生まれて間もないと見受けた。

傍で人が見ているのに、ほとんど警戒することもなく、10羽ほどの雛を引き連れて、餌の取り方を教えているようだ。

母親は強し、されど父親はいずこに?。

傍のあぜ道には閑そうなカモたちが半昼寝を決め込んでいるが、こちらのほうにひょっとしたら父親がいるのではと思ってみたがは近寄ろうともせず、セッセと稲の間を廻っている。

「あんなぐうたら亭主なんか、わたしが女手ひとつで育てて見せます!」なんて言っているんじゃないだろうか。公園デビューのようなことがあるのだろうか。

しばらく眺めてからそーっと席をはずした。

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今日の花。左、蓮の花、ドラム缶育ちで手入れが良いのか咲き出していた。右、銀梅花(ギンバイカ)長いオシベが目立つ、まるで付けまつげのように。

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2007年6月17日 (日)

父の日だった

Img_0029_3 朝方のあまり良い天気につられて、富士山近辺に行こうと出かけるうちに、雲が厚くなり途中で気力が無くなった。(樹海の上に聳える富士山、この時期にしてはよく見えた)

しかし、白糸の滝から富士ケ嶺を通り鳴澤に入ると幾分空は晴れ山頂が見えてきた。ここで温泉に浸かり帰り頼まれていたとうもろこしを買って帰る。西湖、精進湖を廻って走行距離173kmなり。

今日は”父の日”だった(過去形にした意味がわかるかな?)。父日は母の日に比べて扱いが随分と小さい、いわばつけたしであろう。せめて、カーネーションに変わる何かが欲しいが、紫陽花やタチアオイでは一寸大振りすぎて御免蒙るか。

私自身も、父を離れ”じいじ”という立場に立ってもう十五年。したがって、なんのお祝いもないまま一日が過ぎた。

我が家は、代々曹洞宗できているが、なにかの折に寺の和尚と話していたとき、「死んだ人を思い出して語るのが何よりの供養である」といわれたので、今日は私の父を思い出すことで「父の日」としたい。

私の父(おやじのほうが言いやすい)私が30歳になる前に死んだ。私の長い反抗期があったりしてあまり話をしていなかったので、どんな生涯だったのか、どんなことを考えていたのかは死んだ後周りの人から断片的に知るような状態であった。

いまの父親は子どもと友達感覚で付き合いたいと願っているのとは違って、昔の父親の大半はあまり家庭内で話はしなかったし、「男は黙って、、、」と、それが親父の権威とでも思っていたところがあったのだろうか。

今風に言うと親の背中ばっかり見せていたように思う

そのため、父親の存在は一歩はなれた偉い人で、何か用事があっても母親を通じて聞くという感じであったが、我が家でもそんなところがあった。

おかげで、64歳で亡くなった時には、親類(田舎だから多い)との関係がよく分からなかった。

明治生まれの両親は、子どもが腹をすかして(何時もかもだったが、、)いても晩酌が済むまで待たせ、年に一回だったが一週間ほど一人で湯治に行くは、米のない時代にどぶろくを作るなどそのほかにも随分とすき勝手なことをしていたところがあった。

また手先が器用で、職業にしていたこともある時計の修理をはじめ、鮎釣竿や投網、刺し網を自分で作り、戸棚などの家具や木の臼、杵とも上手に仕上げたが、私にはその器用さが遺伝しなかった。

そのほかにも幾つかあるが、あまり思い出しすぎると供養のし過ぎでおぼれるのと夜も更けて帰りそびれて出て来られても困るのでこの辺にしておこう。

今日の花。左、ハルシャギク 右、カボチャ

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2007年6月16日 (土)

くちばしの黄色いほうが

Img_0016_3 「くちばしも黄色いくせに一人前の口を叩いて」と言われたのは遠い昔のこと。またそれより前は「まだ尻も青いくせに」と幼いことをからかわれたこともある。

くちばしが黄色かったことはないが、尻の青いのは蒙古系民族の特徴なので、からかった人もその昔は同じだったはずである。

今日電線に止まっているツバメ三羽、文字通りくちばしの付根両側を黄色くしてとまっていた。

昨日今日の巣立ちだろうか、すぐ下に立っている人のことを少しも恐れるようなふりもなく、毛づくろいに余念がないようだ。

親は、どこかへ虫取りに出かけているようで騒ぎ立てることもなく落ち着いてすまし顔だが、親のほうではよくここに子どもを置いてきたと分かるものだと感心する。

しばらく、歩いてから振り返ってみたがその回り目の届く所に親ツバメの姿を見ることが出来なかった。

今日も熊本の病院の「こうのとりのゆりかご」に赤ちゃんが預けられたそうだ。手紙も添えられていたようだから、よんどころのない事情があってのことと思う。

子どもをこういう施設に預けるについて、いろんな非難をする人もいるが私は、幼児を虐待し怪我をさせたり、死に至らしめるような報道を見るより余程ましなことだと思うがどうなのだろう。

そう言いながら、くちばしの黄色いツバメを見たあと、尻が青いであろう赤ん坊のこんな報道を見るとなんだか複雑な気持ちになってくる。

野生の動物はそのほとんどが、子別れを機に後は何処の誰とも知れぬ仲になり、親孝行などもとより期待していないのだから無償の愛を施している。

そうなると、くちばしが黄色いほうが理屈抜きの愛情を受けられると言って良いのではないだろうか。

今日の花。左、タケニグサ、竹煮草と書く。子供の頃、いぼを取ったり水虫に効くと聞いたが縁のない草であった、それよりも、折った所から黄色い液が出てくるのが気持ち悪かった。 右、クサノオウ、それこそ何処にでもある雑草であろう。漢字に直すといろいろ書き方があるようで、草の王とも草の黄とも瘡の王とも書くとある。その訳は茎を折ると黄色い液を出し、塗ると瘡を直すが口に入ると死に到るほど毒性が強いことにもあるということから名付けられたようでどれが本当の名前か分からないと言う。

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2007年6月15日 (金)

男と女のあいだには

Photo_16 梅雨入りの一日目は義理堅く小雨模様で過ごしたが、もう飽きが来たのか今日は降り止んだ。

でも、湿度は100%に近いのだろうむしむしとした生暖かい午後は、身体がなんとなく重く感じじられて動きたくない。

それでも、足のほうが行こう行こうというものだから、ダラダラとした気持ちで近くを一周していたら、ウラナミジャノメがきれいな左右四つ星の紋所をつけて舞っていた。

ウラナミジャノメは、環境に敏感で生息地域を急速に縮めていると書いてあったが、まだこの辺では良いのだろうか。山で飛んでいるアゲハ蝶などに比べるとふわふわとした頼りない飛び方をしている。この蝶も身体が重いのではとつい思ってしまった。

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最近、ジェンダーフリー(Gender-Free)という言葉をよく聞くようになった。

男女の性別による差別からの自由だと言うが、この言葉和製英語で世界には通用しない言葉だとある。それならわざわざ分からない横文字で言う前に日本語の言葉を作らなかったのだろうか。明治時代の人が外来語を日本語に訳したように、、、、、

「黒の舟歌」という歌の出だしに”男と女のあいだには 深くて暗い川がある  、、、、」というのがあるが。同じ人類であり、一番短い存在でありながら、間を流れる川は簡単に渡してはくれない。

よく、こういう運動をしている人の話しによると、「女のくせにとか女だから」と言われるのが我慢ならないという。しかし、反対に「男のくせにとか男だから」という言葉に対してはあまり反応がない。

たしかに、封建時代から最近に到るまで、女はかくあるべし、男はかくあるべし」という暗黙の儒教的規律がありそれに縛られてきたが、それも、女性の社会進出によりかなり薄れてきたいるのではないかと思う。しかし、「男のくせに」などにはいっこう眼が向けられなかったので、いろいろ我慢をさせられたり、重い荷物を持たされてきたようにも思う。

そして、どうにも解せないのはこれだけ声高に叫ぶ人がいて、法律の応援まで出来たのに、周りを見て判断する自主性の目が一向に育たないように感じる。本来なら自主性、主体性がしっかりすれば、難しい横文字運動をしなくても良いような気がする。

マスコミなどで持ち上げた政治家が来るといって飛び出し、外国の歌手や俳優が来たといって飛行場にお出迎え。ハンカチだハニカミだと書き立てれば人の迷惑なんのその、とカメラを向け触りたがる(男がこれをしたらどんなに大騒ぎになるか)。宗教の勧誘に徒党を組んで家庭訪問するのも、テレビの番組で会場を写すと八割かたが女性である。  

偉大なる野次馬根性と言えば格好良いが、むかし、田舎の選挙で「握り飯を握らせれば確実に一票」と言われたころから一歩も出ていない気がする。(ここでいう握り飯とは、文字通り選挙事務所で炊事の手伝いをすることであるが、周りが近所の支援者だと仲間はずれが怖くて、、、、、)

田んぼ脇の細い道を歩いると、追い越すのにスピードを落とさない運転手。優先道路にもかかわらず自分の車を止めてまで割り込みさせる。道路に出るのに歩道上に車を止め歩行者に迷惑をかけるなど、交通法規を勉強してきたはずがぜんぜん役立たないのは女性に多いように思うがどうだろうか。

これだけ書けばかなり女性の不評を買うのは分かっているが、もう少し世の中を広く見て、主体性を持ってほしいと言う一念である。

といいながら、連れ合いにだけは主体性を発揮するご婦人に”エンヤコラ今夜も舟をこぐ”と、、、(我が家ではないので念のため、、)

今日の花。左、アヤメ、増水して水に浸かって最後の花一株。右、コウホネ、河骨と書く、太くがっしりとした茎に似合わず花は小さい。

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2007年6月14日 (木)

金儲けは悪いことですかッ

Img_0007_3 朝からシトシトと典型的な梅雨型空模様にになった。このまま行って欲しいものだが、また、末期の集中豪雨で被害が出ないように早めに心配をしておく。

今年の梅雨入りは新聞テレビを見る限りでは待ち望まれていたようだ。何しろこのままで行くと冬の雪が少なかっただけに、各地の水がめが干上がる恐れがあったから。

傘を持って、雨の小止みを見透かして散歩をしてみたが、田植えが終わったばかりの水面にひろがる輪ッかは風情がある。

Img_0001_3 開きだした、蓮の葉の上に溜まった雨水が少しの風にゆれ、水溜りがバランスを取るかのようにゆっくりと揺れていた。

人海戦術で(古いねェ~、今様に言うならマンパワー)田植えをしていたころは、こんな雨の中、蓑笠つけた人の横列が田んぼの中に見られたことだろう、と思いながら傘を取り出した。

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いろんな事件が重なって、何がなんだか分からないような状態になっている中で、身近なことで最大のものは、年金問題とコムスンに端を発するする介護問題ではないかと思う。

年金については、もう少し騒ぎが治まってから確認に行ってこようと思うので後にして、今日は介護とは別の意味で、、、、いや一緒かな?

丁度、一年前のことだったが、村上フアンドの村上世彰が逮捕される少し前にテレビの前で「お金儲けってそんなに悪いことですかッ」と言っていたのを憶えている。

その少し前に時代の寵児ともてはやされて堀江貴文(35歳)らライブドアの若き経営陣。村上世彰(46歳)そして、今年になって”ノバ”の折口雅博(46歳)”コムスン”の猿橋望(56歳)と一代で巨万の富を築いた若きカリスマ経営者が次々と馬脚を現してきた。

「お金儲けって そんなに悪いことですかッ」と言われた時には、私自身一瞬戸惑った。自分自身もどれだけか儲けて老後の安泰を願っていた。しかし、知恵も実行力もない私の夢は、いまでは、宝くじにでも当たらなければ叶わななくなり、何か言えば、夢をかなえた人に焼きもちを焼いているように思われるのが嫌だったからである。

そして、今になってみると、彼ら全てが違法な方法(?)でお金を集めていた事が明るみに出た。

彼らを見ると何れも似通っている。バブル崩壊でかなりの人が打ちひしがれ萎縮している中で、大儲けをするのは時代を先取る感覚が必要なのだろうが、どうも、この世代に共通するのは事業を始めるに当たって、儲けるにはどこを突くか。が、出発点になっているように見え、見きわ目を付けると専門であろうがなかろうがお金の力でさらに金を集めるシステムを作り上げることである。

ホリエモン語録の中にも「人の心はお金で買えます、女も付いて来ます」とあるように、お金の執着度が随分強いと見受けた。しかし、介護の仕事などで心を伴わず、ごまかし、儲け主義でやられた日には、ロボットに介護されたほうがよっぽどましになる。

いま、コムスンの事業を譲り受けようと、かなりの数の会社(異業種もあって)が砂糖に集まるアリンコのように名乗りを上げているようだが、そんなに美味しいご馳走なのだろうか?私たちの介護保険料はどこへどんなにして?と考えさせらるこのごろである。

今日の花。左、宮城野萩、萩と言えば秋の花という印象があるが、気の早い種類があって、、、右、山桃が早くも熟れてきた。果実酒にも良いというがちょっと癖があっていまひとつ、、、、今日は、、、、が多く歯切れの悪い日だ。

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2007年6月13日 (水)

ひきどんは知らん顔

P1010050 天候不順で予定変更の連続だった長野から帰った途端、むし暑い夏を思わせる天気が続いている。(最近あちこちの学校で体験田植えが流行っている。昔は否応なしに自分ちの手伝いをさせられたものだが、、)

この天気が逆だったら、と思うと、週末のどこかに雨女か雨男がいたに違いない。ひとこと文句を言いたい気分である。

しばらくぶり、という感じで普段の散歩道にもどったが、サンデー農家は律儀に働いたと見え、田んぼはどこも稲が植えられており、あぜ道には鴨がつがいで何羽も座っててくつろいでいる。

あぜ道で巣作りをしているわけじゃなし、いまが、抱卵の時期ではないのだろうか。人間に習って子育て放棄でもないだろうし、つがいでいる所を見ると体温で温めなくてもよい気候なんだろうか。疲れ安めにちょっとデートを楽しんでいるのかなど、いろいろな空想が頭の中をかけめぐる。

Img_0172 池のトンボも急速に数と種類を増やしていた。(写真、鮮やかな赤をみせびらかすナツアカネ)

ギンヤンマ、塩辛トンボ、コシアキトンボ、ナツアカネ、蝶トンボ、糸トンボ各種などが縄張り争いで、落ち着く暇も無く水面の上を飛び交っているため、カメラのフレームにはなかなか納まってくれない。

小さな池の縁に座り込んで、トンボの縄張り争いを気配を消して見ていると、すぐ傍にヒキガエルが戦争映画の兵士のように音もなく浮かび上がってきた。

普段から「ボーボー」と低い声で鳴いてはいるが、足音を察知すると鳴きやんで水底に潜ってしまうので波紋を見るのがせいぜいの生き物なのだが、、、

Img_0169_1 目が合ったので「ひきどんひきどん、きょうのご機嫌は?」と尋ねてみたが気づかぬ振りをしている。若いころ定年真近の人にこんな感じの人がいたのを思い出してしまった。(水底から池の長老、ひきどんが)

飛騨では、おおきな蛙のことを「どんびき」とか「どさい」と言っていた。子供の頃の話しになるが、釣り仕掛けの先に蝿などを縛りこれらの大型蛙の前でゆすって見せると、飛び上がって食いつき、竿の先にぶら下がって文字通り目を白黒させるのが面白くて、よくからかったものである。

またまた余談、「どさい」の腿肉は乾して食べると鶏肉に似ていて美味いものである。白川郷などではツト(藁束とでも言うか)に刺して軒下にぶら下げているのを見たことがあるから、以前はかなり食用になっていたと思う。

あちこち脱線してしまったが、天気の良いのも今日を限りになるらしい。いよいようっとうしい梅雨に入るとお天気ね~さんはのたわまっていた。

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2007年6月11日 (月)

閑に任せて

六月十日、雨こそ降らないが空はすっきりしない。

先月に撒いたじゃがいもの生育は良いが、土をかぶせる状況にはない。従って午前中ぶらぶらして静岡に帰ることにした。

その暇に任せて写した写真ほかを載せてみた。

左、九輪草(クリンソウ) 右下野(シモツケ)何れも立科町で

Photo_14 Img_0103_3                  

左、風露草(フウロソウ)花が大きい 右、蝮草(マムシグサ)天南星の仲間、茎の模様から

                 

 Img_0136_3 Img_0115_1                                      

根子岳で名前が確定できず掲載できなかったもの、左、ミスミソウ、雪割り草ともいう。 右、ヤブヤナギ、下はまだ分からない

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2007年6月10日 (日)

三題話?小布施岩松院

Img_0083_4 六月九日、四阿山登りを中断して戻ってきたものの、まだ、今日のこの先は長い。(左写真、岩松院)  

文明の利器を利用して山の上から連絡し弟に宿で待っててもらい。そして、彼らが今日予定していた小布施の岩松院と善光寺参りに同伴することにした。

小布施と言えば、栗を使った和菓子。それに、小布施観音という言葉は聞いたことがあるような気がしていたがほかには何にも知らない。

菅平から、九十九折の県道を下り道路標識に従って小布施の町に入る。街中は予想通り古い家並みと栗関係の店があちこちにあり途中下車もしたかったが、何しろ先導者のカーナビが岩松院を目指してまっしぐらにいく。

しばらくして、栗、桃、ブドウなど果樹の多い郊外に出てあちこち曲がりくねってから目的地に到着した。

この寺は、曹洞宗の禅寺で「葛飾北斎、福島正則、小林一茶ゆかりの寺」と三題話か、禅問答みたいなのが売りのお寺であった。

まずは、本堂に葛飾北斎の「八方睨みの鳳凰図」という極彩色の絵が二十一畳の天井一面に画かれており傍のスピーカーから詳細な説明が放送されていた。

しかし、画かれてから二百年近くたつというのに暗い本堂にあったためだろうか、あまりにも色落ちというか経年変化が見えない絵はなんだかありがたみが少ない。

色かたちが薄れて何を画いているのか分からないのもこまるが、線香の煙などで、少しぐらいくすんでいたほうが、、、、

Img_0075_4 本堂を一順して、寺宝などを見たあと裏手に戦国の荒大名と恐れられた福島正則の墓があるというので回ってみた。秀吉の親類筋に当たり、賎ガ岳で勇名をはせた後、関が原の合戦には石田三成たち憎さから徳川方について、広島四十九万石の大大名にまでなったのに脇の甘さを衝かれ、この地に流され同然の生涯は、この廟堂でどう見ているのだろうか。  (戦国の荒大名、自分の生涯をどう見たか、、、)

平石を積み上げた上の小さな建物は、大名の墓としては粗末な感じだが、その波乱に満ちた生涯を考えさせるにはいい建物だと思う。

Img_0079_3 また、寺の奥まった所にある古池は、小林一茶が「痩せ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだことで知られる蛙合戦の地だという。(痩せ蛙を自分の病弱な倅に見立てての作といわれるが、いまは静か、、、)

狭くて小さいこの池、ここで詠んだのがほんとうだとすれば、一茶の時代住んでいた信濃町からここまではかなりの距離があるが、このころの俳諧師の行動半径は芭蕉などを見てもわかるが、いまの人の足では考え付かないものがある。

このあと、善光寺に向かい「戒壇めぐり」をして二度目の錠前を探り当て、極楽行きを確かなものにした後、門前町を散策して帰る。

今日の花。左、紅花一薬草(ベニバナイチヤクソウ)右、ズミ、何れも菅平牧場にて

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2007年6月 9日 (土)

雨風強くて先を断念、根子岳(2,207m)

Img_0047_4 昨夜来の雨も治まったようで屋根を打つ音がしない。期待を込めてカーテンをそっと開けると空が明るい。「しめた、願いが叶ったか、、、」と時計を見ると五時を少し回った時間である。(根子岳山頂は薄暗く雨風ともに強く、、)

早速起きて着替えをし、昨夜残りの柿の葉寿司を朝飯代わりに二つ三つと放り込むがさすがに少し重い。残りをリックに詰め込みお茶を呑んでお終い。

Img_0019_5 この天気もいつまで続くやら、天気予報は昨日と同じだとという。六時前に宿を出て菅平牧場の駐車場に車を入れ支度する。まだ、他の人の気配はない。

Img_0021_7 六時半、四阿山からにしようかどうか、根子岳にしようかと迷った挙句直登になる、根子岳(2,207m)から登って四阿山を回ることにした。牛が放し飼いにされている柵の間を登る、白黒模様のホルスタインは一様にこちらを眺め、中には近寄って確かめるようなそぶりをするものもいる。時間にして15分ほどか、牧場が終った辺りの蓮華ツツジはまだ先っちょが赤いもののどれも蕾は固い、足元では東菊(アズマギク)がようやく咲き出したという感じで、昨日思った「春まだ早い菅平」は現実のものになった。 (上 東菊)

Img_0026_4 カッコウの声に送られるようにして、白樺林と露の多い熊笹の中を歩き出す足元に今度は岩鏡の群れがところどころにある。ここの岩鏡は色が濃い、特に蕾のうちはくどいくらいに赤かった。  (左 赤い岩鏡)

白樺の木が細くなり、芽吹きしたばかりの状態になったのは1,800mくらいから、今度は背丈の低い山桜が目立ちだし、鳥の声もウグイスに変わってきた。

Img_0054_3 Img_0044_6 桜は、豆桜にしては、花が大きいようだし正確な名前は分からないが、ずっと続き、笹を主体とした頂上近くまで咲いていたものの、売りの「花の百名山」には程遠い状態であった。 (左、オノエンテマ 右、なに山桜かな?)  

そのころから、再び雲行きが怪しくなり、木がないせいか風が一段と強くなってきた。ガラ場に入ると頂上は間近、薄暗い空を背景にして鐘と小さな石造りの社が見えてきた。中を見ると大黒様のような像が入っていたが、何かいわれがあるのだろうか。

八時少し過ぎに到着した山頂で一休み、と、これからの様子見をする

Img_0053_6 Img_0057_1 四阿山(2,354m)は、すでに霧の中に入っていて見えない。前方の狭い岩稜と屏風岩がかろうじて見えるのでできれば四阿山周りで降りたいと屏風岩まで来ると雨交じりの強い風が吹き上げてきたので、合羽を取り出して着込んでみたが再三帽子が吹き飛ばされるので少し降りかけて見たが、「ここが引き時」と先へ進むのを断念し、根子岳へ戻り下山することにした。  (上左、根子岳から見た痩せ尾根 右、屏風岩の下から)

降りかけると斜面の関係か風は収まったものの、雨が次第激しくなってきた。400mも下ったころ、下から女性連れの中高年の一団が重装備で上がって来るのに出会ったが、先頭の男の人が「後どのくらいかかりますか」という。いつもこういう質問に困るのだ。その人たちの体力やペースは初対面の私には分からないので応えようがないし、先頭に立つリーダーかサブリーダーがこの調子ではあぶなっかしい。

適当に答えて分かれたが、遠方の人が前もって計画すると、この日しか登るチャンスがないとシャカリキになってしまうのだろうな。団体登山の怖さを再度見たような気がした。

ようやくもとの駐車場に着いたのが10時半。駐車場にはかなりの車が入っていた。「どうして、こんな日に」と思っていたら、また来た車で理解が出来た。

わらび採りの、小父さん小母さん連中だった。合羽を着て長靴、手にはビニール袋を持ってこれもリーダーらしき小父さんにいざなわれて、牛のいない牧草地に入っていく。下の料金所の人に止められて話を聞いたところ、かなり遠方からの人も含めて30人以上は今日入っているとのこと。

まったく、まったく ごくろうさん!

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2007年6月 8日 (金)

春まだ早い?菅平

Img_0004_4 気違い雨という言葉が禁止用語だとすれば気まぐれ天気と修正するが、山梨と長野の国境 野辺山を降りかけてから空の様子が変わってきた。

ポツポツだった雨が急に量を増したのは海の口辺りから、それこそ、ワイパーを急速に動かさなければならないほどの降りになり、とうとう佐久市で雨降り停車をしなければならなかった。

午後の二時半過ぎ、雨が上がったのを確認して千曲川を渡り、上田から戦国武将真田家発祥の地を通って菅平に登りかけて見晴らしの聞くところから見れば、雨雲らしき黒い雲があちこちの山にへばりついて見える。

日本海に中心を持つ低気圧の周りに点々と雷雲が取り巻き、その下で集中豪雨が降っていると言うのが目で確認できる状況にあった。

菅平はいま閑散期。山の雪も消えスキーシーズンを終えて、夏合宿をを迎えるまでのたにまにあたる時期なので泊り客も少なく、多くの商店や宿も休んでいる所が多く、コンビ二さえシャッターを下ろしているところがあった。

入り口からは、明日登ろうと計画している根子岳と四阿山が馬の耳のように黒々と見えるが、先ほどの雨はここでも降ったらしく、小さな川が茶色く濁って流れていた。

Img_0069_9 今夜厄介になる宿の駐車場で愛知県から来た弟夫婦と落ち合い、荷物を置いてから、傍の菅平湿原の遊歩道をぐるっと回ってみたが、今年の春の異常はここでもあるのか、スズラン、ハシリドコロ、蓮華ツツジ程度しか見ることが出来ない。昨年、この時期に浅間山に登った時は2,000m付近でも結構いろんな花が咲きいていたのにそれよりずっと低いここで、この調子ではチョッと寂しい感じがする。

宿に帰り自慢の温泉にゆったりと浸かる。かけ流しの温泉の出口にコップが置いてあり呑み方が書いてあるが、効能が書いてない、どこかにあるのだろうが分からないままに口にしてみた。不味いというほどでもないがまた呑みたいと思う味ではない。

ゆったりとした夕食の後、連れ合いの同級生から差し入れや訪問があって騒がしく夜も吹け眠りに入ったが、また降り出した雨音を耳のどこかで聞いていた。

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2007年6月 7日 (木)

芒種は田植え時

Img_0105_1 昨日は二十四節季のひとつ”芒種”だった。芒とは稲や、粟、稗など針のように尖ったところを持つ植物をいい、そんな仲間の種を植え付ける時期を示している。つまり「田植えの時期ですよ」と言っているだけ。

しかし、三大穀物のひとつで先が尖った穂を持つ麦などはもうすぐ刈り入れに時期に入っているし、稲科の植物にもかなり実りの時期に入っているものが多くある。

写真は、先日載せた小判草と姫小判草を乾してドライフラワーにしようとぶら下げたものである。

この草も稲科の植物でもう実りの時期に入って、黄色く色づいてきていた。大きさは小判草の1~2センチに対して姫と名が付くだけあってよく似た形をしているが2~3ミリほどしかない実は、虫眼鏡が必要なくらい小さい。

きれいに乾けば涼しげな雰囲気が出るので、玄関にでも飾っておこうと3日前に折り取ってきたが、どうも採ってくる時期が遅すぎたようで少し触っただけで先端からパラパラと落ちてしまう。これでは塵を作るだけみたいで         ダメジャン!結局は捨てるんだろうね、きっと。

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いま、池波正太郎の仕掛け人 藤枝梅安シリーズを読み返している。

この本は、昭和40年代から50年代にかけて発行され、当時のベストセラーになった本だった。結局は最晩年の小説になり、最後が面白くなった所で絶筆になったものだ。

この本は、いろいろな角度から興味をもたれたようで、死後別の人が”梅安料理ごよみ”なんて本まで出されている。このほかにも私は江戸の町。いまをときめく白金台や目黒の付近が明かりもない真っ暗な夜があったことが面白くかんじらて仕様がない。

主題は、人に頼まれてお金で人殺しを請け負う稼業の梅安が主人公だが、実際にこんな人がいた証拠はどこにもない。証拠もないがいなかったとは思えないようにも感じられる。テレビで脚光を浴びている山本勘助以上にありそうな気配がする。

そのためか一般の人の願望がそうさせたのか、池波正太郎の頭の中で作られた稼業ではあるが、小説がテレビ化されて評判になり、手を換え品を変え原作にない、中村主水にいたる必殺シリーズになっていく。

「この世に生きていては毒になる奴をお金しだいで消す」を主題とした小説が反倫理的と言われず、世の中で受け入れられたのは、一般の人にどうしようもない悪人イメージの人がかなり見えるのではないだろうか。

法律の網の裏をかいくぐって美味い汁を吸っている連中が、「法律にのっとって処理しています」という言葉の繰り返しで追及を逃れ、同義的だけでは何の手出しも出来ないとなれば、裏で何とか処分して欲しいと、、、。

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今日の花。左、朴の花、昔は下駄の材料になったり、版画を彫る板になったりでよく使われた。この木の歯は大きくて芳香があるため、熱い御飯をつつむと美味しいおにぎりが出来たほか、今では飛騨名物になっている朴葉味噌に使われている。右、泰山木。葉は小ぶりながら朴の木によく似た花を咲かせ、香りも強い。演技の良い木として植えられている。

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2007年6月 6日 (水)

かえるのうたが

Img_0084_2 もう10日以上になるか、庭の隅で雨蛙が鳴いている。

クワックワックワッと連続して鳴いている。少し前までは人の足音がすると鳴きやんでいたが、ここしばらくは、ツワブキの葉っぱの上を定住の場所と決めたかのように毎日出てきては半眼の姿勢で動かない。

蜘蛛や蚊など小虫を食べてくれるので、そっ~としておきたいのだが、ついいつものくせで手が出てしまう。ここしばらく雨の降らない日が続き葉っぱの上では暑かろうと、散水用の蛇口を”霧”に切り替えてそ~っと周りから懸けてやると、湿気を感じてか、目を開けおもむろに喉を膨らませてクワックワックワッと鳴きだす。

Img_0086_3 しばらくして、日の光を意識するのか不思議そうに周りを見て鳴きやむが、喉を膨らませたままでいる。(この格好、どう見ても肥りすぎ。だが他人のことを笑ってられる立場ではない)

きょうは、近所の下水処理場の花菖蒲を見に行ってきた。下水処理をした水がいかに綺麗なのかの宣伝だが、蛍の飼育している所など本業以外にかなり力を注いでいるようだ。

公開は先月末から6月3日までと門に書いてあったが、老人ホームの車などが何台も入っていくので付いて入った。

Img_0094_3 中では、先客の老人が見物を終え、付き添いの職員の指導で腰掛けたまま体操をして帰っていく、すぐに次のマイクロバスが入ってくる、と盛況だった。

構内は昨年に比べると、花が疎らでなんだか寂しい。決して遅いというわけではないようだが数が少ない。やはり、今年は花にとってなんだか調子の悪い年なのだろうかと思ってしまった。

さて、訪問介護最大手「コムスン」が虚偽の申請をしていたとして国の指定を打ち切られることになったようだ。いずれ解散に追い込まれることになると思う。

以前にも静岡市では「水見色の里」という介護施設が虚偽の請求をしてやはり退場させられてことがあるが、介護は儲かるとばかりに乱立する中でこんなことがいずれは起きるだろうと言うことが予想していた。しかし、最大手がこんな風だとほかは押してしるべしか、現場がどんなに頑張っても上に倫理観がなく儲け一筋に走ってはどうしようもない。

それとも、例によって例のごとく、力のある国会議員に食い込む知恵がなかったのか、時間がなかったのかと下司の勘繰りをしてみる。

六月七日、情勢はかなり変わってきた。大人しく撤退するのかと思っていたら、処分逃れにグループ内の別の子会社にそっくり移し変えて、存続させようという作戦にでてきた。理由として利用者に対するサービスの継続と従業員の雇用だときた。しかし、体質が変わらない以上同じことが繰り返されるだけになるのではなかろうか。

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今日の花。 左、春ウコン、ピンクの飾りが綺麗だが本当の花はその下の黄色い所。最近どの健康雑誌を見ても万能薬みたいに褒めているが、やはり薬は取りすぎると害になる。右、クチナシ。”花の香りが旅路の果てまで付いてくる”なんて歌もあったよね。Img_0100_4 Img_0089_6

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2007年6月 5日 (火)

睡い?未?

Img_0063_2 睡蓮。フランスの画家モネが好んで書いた花として知られる。和名を未草(ヒツジグサ)というが、睡蓮は日本言葉ではなかったのか?(古代中国では”眠てばかりいる蓮”という意味から付けたらしい)

未草(ヒツジグサ)の名前の由来は、昔の時計表示時間、未の刻(午後二時に当たるそうな)に花開き夕方になると早々につぼむ所からきているという。

よく似た花に蓮があるが、これは朝早くポンッと音を立てて開く(本当かどうかは知らない)というから、よほど朝寝坊の植物に違いない。

早く寝て起きるのが遅い、こんな人は身近にいないだろうか。

また、別の本では、睡蓮はエジプト辺りが発祥の地でこの国の国花となっているそうだが、品種改良を続けた結果の花だとも言う。

となると、静岡の城北公園に咲いている花は自然のものではないだろうから、睡蓮になるのだろうが、「わしゃそんなことどうでも良い」といいたげに花を水の上に浮かべ、ときどき近寄ってくる鯉の波紋にゆらゆらと漂わせている。

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最近どこの新聞を見ても、近く行なわれる参院選の話題が多くなってきた。悪名高い社会保険庁の問題にしても、民主党が長いこと社保庁を追求してようやく表にあらわれた途端、ろくに審議もしないで強行採決に到るなど、なんだか参院選がらみの手練手管に終始し、肝心のことはなんだか雲隠れしているようだし、街中を歩いていると「未来に責任を持つ」と大書したポスターを貼る政党もそれに加担して強行採決の手伝いをしている。

また、昔 軍隊、いま総評といわれた労働組合も、今ではすっかり力を落としてしまった。加入組合員六百万以上という勢力は、ある宗教団体以上の数でありながら3分の1ほどしか選挙に動員できないでいる。これは、組合員のための組合でなくなっていることにある。

私が以前所属していた労働組合も、会社の景気が悪くなると会社のお先棒を担いで、リストラに協力したようだし、全体的にいえるのは最近の空前の利益を大会社が上げているのに、組合員をはじめ国民が実感できないことにあるせいでないだろうか。

次の選挙はと、評論家まがいの人たちがいうが、政治家に不信感を持つ人々がどう判断するか本当のところ開票しなければ分からない。

ただ、上の人の指示に盲目的に従う人や人気だけに左右される劇場型の人の投票に左右されるのだけは避けたいと思う。それを赦さないようにするには「わしゃ、どっちでも良い」と言わずに投票率を上げるしかないのだが、、、。.

今日の花。左、ネジバナ。グルグルとネジを巻いたように上がって行く花だが最近はあまり見かけなくなった。右、野カンゾウ。藪カンゾウやニッコウキスゲ、キツネノカミソリなどとよく似ていて、植物園などでは区別が付かないことがある。若芽はヤブカンゾウとともに食べられる。英語でDay Lily ( デイ リリイー) というように一日花。そのため、悲しいときはこの花を見つめていると一日で忘れられる、という意味があると聞いた。

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2007年6月 4日 (月)

とんぼのめだまは

とんぼのめだまは 水色めだま

青いお空を見てたから 見てたから

Img_0060_6 我々のころはこの歌はなかった(とおもう)が、こどもが保育園で歌っていたためか知っている。

この歌は歌わなかったが、写真のギンヤンマはオニヤンマについで欲しい蜻蛉のひとつだった。歌の文句のように青い色をした目はどんな風景が見えているのだろうか。

理科の時間に虫は複眼で、身体にくらべてこの大きい目は小さい目がいっぱい集まっているといわれ、むしって顕微鏡の下に入れたり、ヤンマの尻尾を糸で縛りおとりに使うなど今思うと残酷なことをしたが、トンボは子どもの友でありいい玩具でもあった。

今日久し振りにギンヤンマの産卵を見て「はて、こんなに早かったのだろうか、、、、」と思ったが、子供の頃こんな状態をみたらただでは放っておかなかったことだろう。

悠然と、巨体をひるがえし家の間の路地を行き来し、子どもに歓声を上げさせていたオニヤンマ。ひとつところを縄張りにしてグルグルと外敵を追っ払っていたギンヤンマは、塩辛トンボや赤とんぼとは一段格上のトンボという印象があり、夏休みになるといくつ取ったかが自慢の種。

そして、これらのトンボがいなくなって赤トンボが出始めると夏休みが済み秋風が吹き出すという仕組みであった。

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今日から「歯の衛生週間」だという。子供の頃、「6月4日は虫歯の日」と憶えていたが、調べてみたら虫歯の日といったのは昭和3年から13年までで、一度途絶えて昭和33年にいまの名前になって復活したそうだ。そうなると私が学校にいた時期は何にもなかった時期に当たるのだが、記憶ではあったような気がする不思議なもんだねぇ~。

虫歯の語呂合わせから、この日になったのだそうだが、やっと先年まで虫歯もなく、ビール瓶の蓋など口で開けられたものだったが、急激にガタが来た。

いわゆる、歯周病である。歯茎がはれ、熱を持って何度かはうがい薬で直していたが、歯医者に行ったら「奥歯の歯ぐきが駄目になり浮いている。そのうえ歯の根元が化膿してしまったから」と言って抜かれたのが皮切りに、何本か抜かれると、歯の間隔が広がりスキッ歯になり、爪楊枝が必需品になってしまった。

若いときは、そんなことも知らずに「食後に人前で歯をほじくったり、入れ歯を口のなかでもぐもぐさせたりして、、、」と嫌ったものだが、今ではそっくりそれのお返しを言われそうな身になっている。

サメなどは入れ替わり立ち代わり歯が奥から出てくるそうだし、象は6回も生え変わると聞くと羨ましい限りであるが、人の永久歯は二度と生えない。歯茎の炎症は今後も出てきてその度に抜かれていくと、80歳に20本の歯を残そうと言うのも自信がなくなり、先日も「先生、寿命が先か、総入れ歯が先か分からなくなってしまったよ」なんて言わなくても良いことを言うようになってしまった。

今日のトンボ。いずれも糸トンボ。左、クロイトトンボ、右、アオイトトンボと思うがはっきりしたことは分からない、なにせ、糸トンボをトンボとして認識したことは最近までなかったので。

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2007年6月 3日 (日)

おもわずゴックン

Img_0072_1 先日島田の伊太から「今年の梅、少し早いけれど採りかけたから今度の日曜日に取りにこれないかな、時間は昼時が良いよ」という電話を受けていたので、知り合いを誘って出かけてみた。

静岡では、島田 伊太の梅は有名で、ちょくちょく新聞などで報道されている産地である。

到着すると午前中に採って来たばかりの梅を選別機にかけて、大中小に分けている所だったのでしばらく待たされ、今年の分7kgをわけてもらった。

この農家は、15年ほど前、この家の農地で地すべり工事をしていたとき知り合って以来の付き合いで、毎年いくらかづつ分けて貰っている。

取れ立ての梅は、甘い感じの香りがかなり強く感じられ、匂いをかいでいるだけで心が休まる感じがする。仕事をしていたときの昼御飯は、梅干入りのおにぎりが決まりだったのと、子どもながら孫が好きなので、梅干の消費量がかなり多かったが、最近ではごく僅かしか消費せず、前々年の梅干も残って、古古米ならぬ古古梅干をもっている状態なので、今年は何にしようかといろいろ考えている。

梅酒も幾つかあるし、となると、梅シロップはどうか。梅ジャムは。いやいや梅ピクルスという手もある。平凡な梅干にし、土用干しの後すぐに梅がつをにしてなんて考えてているだけで、口の中に生唾がが溜まり、おもわずゴックン!「パブロフの犬」になってしまう。

これは、日本人特有の現象なんだろうと思う。

そのあと、昼御飯は大井川筋の「百小屋」に久し振りによって食事をし、川根町の温泉に浸かって帰って来た。

今日の花。左、ヤナギハナガサと右、アレチノハナガサ。花の色といい形と言い、まったくよく似ている。(多分これで間違いはないと思うがはっきりとした自信はない。花の茎が最大の違いである。しかし、ヤナギハナガサも日にちがたつと花茎が伸びてきて区別が付かない。のは自分だけか?)

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2007年6月 2日 (土)

瀬音とカジカに眠気を誘われ

Img_0022_5 静岡の長尾川の上流、瀬名の親水公園は川の瀬音だけが聞こえる静かな場所である。(あの石の影辺りに美声の持ち主がいるはずなのだが、、、)

孫の運動会に行っていたが、久し振りの人ごみとスピーカーからの音楽に当てられたため、孫の出場が途切れた合間を見て川のほうに出向いてみた。

川底はきれいにならされ、川幅一面に広がる浅い瀬の中にカジカが瀬音に負けまいと鳴いている。

石に腰掛け、小鳥のように鳴くカジカを見ようと目と耳を凝らしての位置を確かめようとするが分からない。声の感じからはあの石の付近と分かるが保護色が邪魔をする。

それにしてもいい声で鳴く。しばらく座っているうちに温かみのある川風に心地よい自然の音、眠気が襲ってきたのでしばらくは身を任してすごす。これぞ極楽極楽!

お昼は恒例のおにぎりとピクニック料理で腹を満たし、午後の部を通しで見た。普段は成長を感じておらずまだ子ども子どもしていると思っていた孫だが、やっとこの間まで幼稚園に通っていた一年生と比較すると、小学校3年生ながら随分と大人びて見える。

80m走を勝てなかったと悔しがるが、走られるだけでも素晴らしいことだとなぐさめ、楽しく豊かな一日を終えた。

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今日の花。左、ミゾソバ、ごくありふれた雑草だがまじかで見ると以外にきれいな花を咲かせている。葉の格好が蕎麦に似ているというが私にはそんな風には見えない。 右、野蒜の花、線香花火を逆さにしたような感じで愛嬌がある。

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2007年6月 1日 (金)

衣替えには縁なし

Photo_12 緋縅蝶(ヒオドシチョウ)を山で見かけた。

飛んでいる時は、背中側の茶色がかった豹紋が太陽の光を受けていっそう派手派手しく見えたが、枝に止まるとなかなかその背中を見せてくれない。

緋縅とは、赤黒い糸や皮で表面をつづった鎧で、合戦場では目立つ色。当然その活躍が他の人から注目されるため、目立ちたがり屋の武将が好んだそうだ。

その名を冠した派手な色を隠して地味な裏羽しか見せてくれない。

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今日から夏なのか、衣替えの日。お役所や学校は今日から涼しげな夏服になる。

生憎と昔からこういう行事に関してはよそ事であった私には関係のないことで、五月に入ってまもなくから半そでの運動着(この言葉、結構古いらしいねぇ~。今ではジャージーというそうだが、ジャージーではイギリスの島だの、メリヤスを思い出して私には違和感がある。せめてトレーニングウエアまでだね)に着替えて歩いている。

現場一筋の生活はネクタイを結ぶことも僅かだったので、期日に縛られることなく暑ければ暑い時の服装。寒い時はそれなりの準備で暮らしてきたので、暦に縛られることがなかった。

しかし、今年の6月1日はそれに加えていろんなものが値上がりするそうだ。自動車の燃料は春先からかなりの値上がりをしていたが、住民税をはじめ、バイオ燃料とやらの影響でマーガリンや肉などの食料品、タクシー料金など生活関連が上がると言うことで、暮らしにますますの逼塞間が出てきた。

それも、不足してあがるのならまだしも、不足すると言う情報を操って商品の先物取引で値上がりを操作しようとする輩の思惑に乗っているとしたら腹が立つ。

会社を経営する気もないのに、TOBで脅かして高値で株を売り抜けて大儲けする話などを聞くと、むかしの「働かざるものは食うべからず」という言葉がが懐かしくなる。

今日の花。左、キウイ、放棄された畑に咲いていた。  右、ホウヅキ、もう小さな実を付けているが、ホウヅキ市ももう少しそれまでに色づかねばならないが、間に合わないよね。

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