三題話?小布施岩松院
六月九日、四阿山登りを中断して戻ってきたものの、まだ、今日のこの先は長い。(左写真、岩松院)
文明の利器を利用して山の上から連絡し弟に宿で待っててもらい。そして、彼らが今日予定していた小布施の岩松院と善光寺参りに同伴することにした。
小布施と言えば、栗を使った和菓子。それに、小布施観音という言葉は聞いたことがあるような気がしていたがほかには何にも知らない。
菅平から、九十九折の県道を下り道路標識に従って小布施の町に入る。街中は予想通り古い家並みと栗関係の店があちこちにあり途中下車もしたかったが、何しろ先導者のカーナビが岩松院を目指してまっしぐらにいく。
しばらくして、栗、桃、ブドウなど果樹の多い郊外に出てあちこち曲がりくねってから目的地に到着した。
この寺は、曹洞宗の禅寺で「葛飾北斎、福島正則、小林一茶ゆかりの寺」と三題話か、禅問答みたいなのが売りのお寺であった。
まずは、本堂に葛飾北斎の「八方睨みの鳳凰図」という極彩色の絵が二十一畳の天井一面に画かれており傍のスピーカーから詳細な説明が放送されていた。
しかし、画かれてから二百年近くたつというのに暗い本堂にあったためだろうか、あまりにも色落ちというか経年変化が見えない絵はなんだかありがたみが少ない。
色かたちが薄れて何を画いているのか分からないのもこまるが、線香の煙などで、少しぐらいくすんでいたほうが、、、、
本堂を一順して、寺宝などを見たあと裏手に戦国の荒大名と恐れられた福島正則の墓があるというので回ってみた。秀吉の親類筋に当たり、賎ガ岳で勇名をはせた後、関が原の合戦には石田三成たち憎さから徳川方について、広島四十九万石の大大名にまでなったのに脇の甘さを衝かれ、この地に流され同然の生涯は、この廟堂でどう見ているのだろうか。 (戦国の荒大名、自分の生涯をどう見たか、、、)
平石を積み上げた上の小さな建物は、大名の墓としては粗末な感じだが、その波乱に満ちた生涯を考えさせるにはいい建物だと思う。
また、寺の奥まった所にある古池は、小林一茶が「痩せ蛙 まけるな一茶 これにあり」と詠んだことで知られる蛙合戦の地だという。(痩せ蛙を自分の病弱な倅に見立てての作といわれるが、いまは静か、、、)
狭くて小さいこの池、ここで詠んだのがほんとうだとすれば、一茶の時代住んでいた信濃町からここまではかなりの距離があるが、このころの俳諧師の行動半径は芭蕉などを見てもわかるが、いまの人の足では考え付かないものがある。
このあと、善光寺に向かい「戒壇めぐり」をして二度目の錠前を探り当て、極楽行きを確かなものにした後、門前町を散策して帰る。
今日の花。左、紅花一薬草(ベニバナイチヤクソウ)右、ズミ、何れも菅平牧場にて
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コメント
もとび様
忙しい中ありがとうございました。
一寸差し出がましいかと思いましたが、私どもは別な使い方をしていましたので一言です。
またなにかの折、お立ち寄りください。
投稿: オラケタル | 2007年6月12日 (火) 22時38分
いろんな時代背景を感じながらの散策は楽しいですよね。知識がないと、なかなかできませんけど(笑)
この度はコメント、ありがとうございました。
「てきない」・・・またブログのネタに使わせていただきますね^^ 少しニュアンスが違う使い方で私も使う事があります。ありがとうございました。
投稿: もとぴ | 2007年6月12日 (火) 18時21分