真理と自由と正義とは
いま、麻機沼では蓮の花が真っ盛り、そして、周りの小さな水溜りには、いろんなトンボが縄張り争いを繰り広げているが、人間と違って許認可権や天下り先、あるいはピストルが持ち出されることはないので高みの見物が出来て面白い。
なかでも、一番目立つのは蝶蜻蛉(チョウトンボ)ではないだろうか、黒光りをした羽根をひらひらさせながら飛び交うさまは、忍者かイスラムの戦士を想像させる。そして、休憩に草の茎に掴まるとき幅広の羽根でバランスを取っているが太陽の加減で虹のようにいろんな反射をしていた。
めざす我らが栄冠ぞ
まもりゆかばや
この誇り
とわに栄えん わが母校
上の歌詞は飛騨の山奥の小さな学校の校歌の一節であった。小中学校あわせての200人ほどの学校だったから、小学一年の小さい子も以後の9年間はこの歌をうたっていた。(写真*わたしが通っていた学校、昭和29年冬、一階部分は雪の下に埋もれている)
あったというのは、昭和51年、鉱山の社宅移転に伴って廃校になったから、いまこの歌をうたう生徒はいない。
戦後間もないころ、当時の校長先生が作ったものであるが、多分当時の世相を加味して作られたものと思う。いまでは、こんな難しい言葉の校歌を持つ学校は少ないと思うが、戦時中に”真理と自由と正義”なんて言おうにも言えない時代を経て、民主主義とはこういうところにあると思われていたのではなかったろうか。
私が学校に入ったのは、敗戦の翌年だったので、それまでの教育が180度変換した年であった。先生は民主主義とはどんなにすばらしい制度であるか、口を酸っぱくして説明してくれた。
民主主義とは、多数の意見に従うものだが、少数の意見にも耳を傾けより多くの人が共感を持っていくように努力するものであり、一部の人の意見に引きずられて多くの人が戦死した教訓を生かすものであると聞き、戦災孤児や戦死者の家族のことを聞くたびに、さもありなんと思ったものだった。
戦後、62年たっていま国会を見るに、ろくに説明もなく、審議もせずに数による強行採決を繰り返しているが、これが素晴らしいといわれた民主主義の成れの果てかとがっかりさせられるものがある。
私のように国会議員は勿論、政治というものかかわる人にに愛想を尽かしたものからみると、党議拘束のかかった政治は一部の人の意向だけで動いているように見えて仕様がない。(小泉郵政改革が執行部批判をさせない風潮を作った)
むかし、”良識の府”といわれた参議院においてすら良識なんてどこかへ飛んで、数の倫理がまかり通っている。
国民のことをそっちのけで明け暮れている議員を情けないと思いつつも、選挙権を放棄すればお題目だけになった”民主主義”がさらになくなってしまうと、むなしい気持ちで今年も投票に行くのだが、、、、、さて、誰に入れようか。
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今日の花。左、車葉草、名前の通り葉が車のハブのように節ごとに開いている。右、夏椿、椿と名前が付いているが椿の仲間ではない、姫沙羅(ヒメシャラ)という別名を持ち、日本ではお釈迦様が亡くなった沙羅双樹がこの木でないかといわれた時期がある。(いずれも大光山で)
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コメント
ナベショー様
民主主義とは難しいものですね。結局人間の寛容さと知恵が制度に追いついていかないところにあるのではないかと思います。
民主主義の本家といわれるアメリカにおいてすら、ブッシュの暴走を当初止めるだけの動きがなかったのですから、、、
近く始まる裁判員制度も、情緒や報道に流され多数決で決まると誤審が多くなるのでしょうね。
といって、一部の人による独裁制は絶対に困ります。
投稿: オラケタル | 2007年6月30日 (土) 16時29分
多数決、、とは最悪の決め方だと思う。
数の力で有無言わさず決める、負けたほうは絶対協力するものか、、といがみ合う。
戦後教育のなかで多数決が民主主義のすばらしい制度であるかのようにいわれたのは幻想だと思う。
Aという案に対し、相対するB案が提案される。双方の案の良い所、問題点が徹底的に議論されて、掘り下げられる過程で、二つの案の問題点を完全ではないがある程度、克服した第三の案が提案されて、全員が納得して決定される、、、、実施の過程で、別の問題が出て来たときは、また全員で知恵を絞って考える、、、このような弁証法的なやり方が、本来の物事の決め方である。
組織の長は部下達にさまざまな案を提案してもらって、優劣を議論し、最後に長みづからが結果に対する全責任を負って第三の案を導いて決定する。
多くの会社や組織では、そのような意思決定が行われている。
多数決という最悪の手段で決めてるのは、国会だけか、、、?
投稿: ナベショー | 2007年6月30日 (土) 09時22分