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2007年7月31日 (火)

プチ避暑

Img_0014  今日は暑くなりそうとのことだったので、藁科川上流の湯の島温泉へプチ避暑に行ってきた。(藁科川の川辺に建つ市営の日帰り温泉)

日が高いうちだけの日帰り温泉。小泉安倍政権下での勝ち組なら豪勢に長期間行くのかもしれないが、我々にとって一日500円でゆっくりできるこれらの温泉が分相応で丁度よい。

家から25kmほど、約一時間の所にあるが、今日の気温は最高で27度ほど、何よりも湿気がないので扇風機さえ必要ない。

食堂で働いている小母ちゃんは「今日は暑い」と言っていたが、ここの気候に慣れた人はこの程度でも暑く感じるのだろう。「自分も以前は丁度こんな状態だったのだなあ」と変なところで納得した。

昨日の大雨は、まだ川の水を白く濁らせていたが、窓を開けっぱなしにして吹き込んでくる風に身をゆだねていると、勢いを増した川の音、その中に微かながらカジカの鳴き声、蝉の声が混じって眠気を誘う何かが匂ってくる。

ウイークデー、すきすきの広間は十二分に占有面積があり、風呂には二度浸かり昼寝と持参の文庫本で午後3時まで過ごして帰ってきた。

今日も、働いている人には悪いが極楽を味わあせてもらった。有難うございます。

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今日の花。左、細葉の擬宝珠(ホソバノギボウシュ)長野の道端に咲いていたものを移植。右、蝶豆(チョウマメ)インドやタイが原産地とか、江戸時代にはすでに入っていたという。形が蝶に似ているところから。

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2007年7月30日 (月)

げにも恐ろしき鈍感力

いったん明けた空が大雨警報が出る前から暗くなり電気をつけなければならないほどになった。

ほどなく、雨風が激しくなり雷まで鳴り出したところで、孫から電話があり、「雷が怖いし、停電になった。なんだかも中止になったので迎えに来て」という。そのため今日は一日付き合うことになった。

午後は「もう大丈夫」ということで、麻機周りへタモをもって小魚取りにつきあった。

テレビは朝から、与党大敗を受けた報道ばかりだったが、首相の続投宣言にはあきれてしまった。これが噂に聞く「げにも恐ろしき”鈍感力”」というなら、もう遅いけど。鈴木建二の”気配りのすすめ”を読んで国民の気持ちを諮ってもらいたかった。

だって、今度の選挙に大敗した最大の原因は、彼の人のやり方が悪かったからなのに、国民の意思が示された参院選選挙は、政権選択の選挙ではない、や、否定された政治手法を「改革路線は支持されているので私の責任で全うしたい」など世間に通用しない理屈で権力にしがみ付く姿勢を示している。

もともと、問題のあった大臣をかばい続けた神経といい。人心一新は国民の声と言いながら大臣の首のすげ替えだけで済まし、自らの責任を取ろうとしない態度とそれを咎めない与党の議員たち、、、、、これじゃ、自滅してしまうよ。

今日は、土用の丑の日だって、中国産の鰻も輸入して1日でも育てると国産になる、と前に聞いたことがある。そんなことを思い出しながら「今年はうなぎはいらないよ」いったが、テレビでは相変わらず鰻屋が混み合っている画面を流していた。

生活様式が変わって、食べたいときに鰻が食べられる世の中になったと言うに日本人は200年と少し前の平賀源内の呪縛からのがれられないでいる。

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2007年7月29日 (日)

稲妻が実らす

Img_0109 暑い日差しで舗装道路が焼けていたのだろう、午後の散歩の帰り降り出した雨で焼け石の匂いがあたり一面に立ち込めた。

夕立というほどの降り方ではなかったが、この雨で気温が一気に下がり、稲の頭をなでるように吹き出した風が気持ちよかった。

以前、仕事の都合で標高800mほどの所にある社宅に住んでいたことがある。

飛騨高原の山並みがうねうねと続くその先、空と黒い影絵のような山の稜線との間がピカピカッと音も無く光る。

何10km、いやもっと先かも知れない所で稲妻が光っているのだが、光だけで音は届かない。

年寄りの話では「稲が穂を出す時、稲光を浴びて交わることで実るのだから、音のしない稲光というものがあるんだ」と聞いたことがある。

高冷地の飛騨は、秋の来るのが早いので、四月、雪が消えるのを待ちかねて田んぼの仕事に入るため、稲が穂を出すのも早かった。今頃の稲光だったのかなあ~と夕方鳴りはじめた雷を聞きながら思った。

米は天と地の交接によって実るという、いかにも米を大事にしてきた民族らしい話であるが、そのころは米あまりの時代が来るなんて想像もしていなかったに違いない。

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さて、今日の参院選の投票ほど迷ったことはなかった。静岡は定員2名なので与党と民主党でほぼ決まり、残りの共産党、無所属2名が追っかけるような情勢だと報じていた。せめて、3人が団子状だったらもっと迷ったことと思う。問題は全国区だったが伸びてもらいたい政党より死票でも考え方の近い党にした。

この時間の開票結果(予測を含めて)は与党に厳しい雷が落ちているようだが、当然のような気もする。ただ、これだけの結果になっても責任をとることがないとすると、美しい国は無責任体制をいうことになると思うが、その辺をどうこじつけするか見ものである。

一方で、「勝って兜の緒を締めよ」ということわざがあるように、ニヤついていては次の選挙でしっぺ返しが来るのは目に見えている。

憲法、税金、不公平などにどうする、どうする。国民の目は厳しいぜ。

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今日の蝶。左、姫赤立羽(ヒメアカタテハ)彩りにメリハリをつけたきれいな蝶。結構気が強いらしく通りかかりの揚羽蝶を追いかけていた。右、大和シジミ、もっともポピュラーなシジミ蝶のひとつ。

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2007年7月28日 (土)

ドンとなった花火だ

Img_0115 今日は安倍川の花火大会。

梅雨明け三日。土用、今日で終わりの参院選の運動と暑く燃える夏の条件は揃っている。風もなく気温もずんずんと上がっているのは温度計を見なくても分かっている。

そんななか、昨年に引き続き主催者側の桟敷席券を貰ったので知り合いの夫婦とでかける。

日が沈む少し前に、到着し持参のビールと少しのつまみでいまや遅しと待ち受ける。

ドンとなった花火だきれいだな

空いっぱいに 広がった

枝垂れ柳に 広がった

川風が出、ビールの酔いが頬を染め出したころから頭上に火花が賑いだした。

重量感のある大玉は、開き始めたころ重みのある音がとどき、枝垂れの中心を見ていると一瞬引き込まれるような気分になる。しかし、大輪の菊花はカメラ枠からはみ出してさまにならない。

スターマインは軽やかに、華やかに幾種類もの火花を撒き散らす。

芝の上に敷かれたブルーシートに寝転がりながらの花火見物は今生の極楽、そして、はかなく終わった。

おもしろうて やがて悲しき 鵜飼かな ばせう    となにか響きが似ている。

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2007年7月27日 (金)

一筆啓上仕り候

Img_0051 梅雨明け宣言がようやく出された。朝からねっとりとした湿気を持つ暑さは山国育ちの私にはつらい季節の再来である。

生まれ育った飛騨は、”夏涼冬厳”の土地であり人は生まれて2~3年で汗線の大きさが決まり、その土地になじんだ身体になるときいたことがある。40歳間近で高温多湿の地に来た者にはこれからが忍び時となる。

10時すこしまえ、ゆっくりと麻機の山の農道を登ると、たちまち汗が全身から噴き出すのを感じる。上りきったところで蜜柑の消毒に来ていた人に「ここは、チョッとばかしだけんど風が上がってきていいね」といったら「木の間は風が通らないんでタマンナイッケヨ!」とのこと。

さらに少し行くと、木から伸びたクズの蔓に一羽のホオジロが「一筆啓上仕り候」といい声で鳴いていた。風に揺られて気持ちよさそうになく鳴くその声は、相当の声自慢か。「そういえば、暑中見舞いの出す時期になったんだ」と思いながら見上げると、カメラを構える自分にも声をひけらかすようにしてさらに囀りつづける。

写真を撮り終えて鳴き声に聞きほれていると、「もういいかい」とばかりに飛び去った。途端にまた熱波がじわっと上がってきた。

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昨日、須津川の帰りラジオを聴いていたら、小さな子どもたちが虫、草、動物などの疑問点を聞く番組をやっていた。聴いていると結構面白い質問もあったが、子供心にも回答者に気を使っているのか、大抵一回の回答で大人しく引き下がり、再質問はせず「ハイ分かりました、有難うございます」でしめくくっていた。

その中で、カラスの羽は何故黒いのか、という質問の回答に落ちているカラスの羽を透かしてみると決して黒くなく、茶色をしているというのがあり、人はカラスをただ黒い鳥と見ているが、カラスの目を通してみると青い色に見えるのではないか。という回答があり、これには質問した男の子どうように「ふう~ん、そうなんだ」と疑問をさしはさまずに素直に納得してしまった。

紋白蝶なども人間の目で見ると雄雌の区別がつかないが、紫外線を当てると色が全然違うと言うことを聞いたことがあるが、目の構造や色解力によって色が違ってくることはザラにあるようだ。

「事実はひとつでも真実はいくつもある」逆だったかもしれないがこんな言葉があった。そう、人柄もそうだが物事は見た目だけじゃないんだな。

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今日の花。左、唐楓(トウカエデ)みを鈴なりにつけて秋を待つ。右、木を多い尽くすかのように白い花を咲かせた櫨(ハゼ)の木につかまる揚羽蝶。

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2007年7月26日 (木)

来てもらいたくない?須津川

Img_0028 富士市の須津川(スドガワ)渓谷へ下見に行ってきた。

須津川は富士市の東側にあり、水と紅葉のきれいな川として知られているが、もうひとつには、袴腰岳を経由して愛鷹山に登れる道があると聞いていたのであわよくばという考えもあって出かけてみた。

あさ、静岡では靄のような雲を通して鈍い光の太陽が出ていたが、由比の辺では厚い雲の中に入ってしまった。麓の須津中学の脇を通って4kmほどの所に大棚の滝があり、そこの駐車場から先は落石の恐れがあるとかで通行止めになっていた。

そして、ここの上空に巨大なコンクリート製のアーチ橋が威圧的にかかっていてなんだか異様な感じがした。

道路際から、大棚の滝が木の間越しに見下ろせるが、水量が多く21mという落差より大きく見せていた。

ここを通り越すと、すぐにキャンプ場があるが人っ子一人いない。夏休みに入ったものの天候が悪くて利用されていないのではなく、利用させる気がないように感じた。理由としては何処が落石の恐れがある場所かわからなかったうえ、対策工事をしている気配もないこと、「熊が出る」という警告板などから人に入ってもらいたくないと言う雰囲気がありありだった。

そのほかにも、大棚の滝降り口には愛鷹山に登る道と書いてあるのに、以後の道には標識が一切なく、天気のせいもあるがじめじめとした暗い道を2kmほどのぼった最奥の登り口には「ルートは荒れてハイキング向けではありません」という看板が立っている。(もっと手前で注意書きを出せないのか)

山の上部は霧につつまれているし、藪漕ぎまでして知らない道を登る気もしないのでそこから引き返し、キャンプ場近くから、車止めのある道を登り、上りきってしばらくしてから、植林帯に「滝へ降りる道」という標識を見て降ることにした。

Img_0021 10分も降ると、駐車場で仰ぎ見た橋の上に着いた。この橋平成15年に完成したと書いてあるがその後何もしていないらしく、左岸側はまだ舗装がされていない。(写真、自動車が走った形跡のない林道用の橋)

松岡前農水大臣が絡んだ、例の緑資源公団の無駄遣い道路なのだろうか、とするとモッタイナイ道路であり、これを見せたくなくて整備してないのだろうかと勘ぐってしまう。

いまの所、ここからは大棚の滝を見る見物台にしか使用されていない感じだった。その後、鉄製の階段を下って滝つぼ近くまで降り、つり橋を渡って駐車場に引き返した。

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今日の花。左、ハグロソウ、羽黒と書くのか歯黒と書くのか分からないが、上下二枚の花びらは面白い、半日影の森に咲く。右、玉紫陽花(タマアジサイ)名前の通り、花が開く前は固く包につつまれている所から付けられたが、その色の美しさは数ある紫陽花の中でもトップである。

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2007年7月25日 (水)

本家月見草

Img_0017 これが本家本元の”月見草”。太宰治が「富士山には月見草が似合う」と大待宵草を言ったばかりに危うく名前を乗っ取られかけた花である。

もっとも、待宵草が日本に入ってきたときに月見草と付けたかったのだが、先にこの花が入っていたので、名前を変えたという説もあり、もし入ってくる順序が違っていたら、この花に別の名前が付いていたことと思う。

なお、昼咲赤花月見草という名はこの花を基本にして付けられたものだが、本家月見草は、最近では自分の周りではめったにお目にかかれない花になってしまった。純白の一夜花は、月下美人などもそうだが果敢ないだけで魅力的に感じてしまう。

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「骨から見た日本人のルーツ」という本を読んでいる。まだ、読み始めた所なのでこの先どう考えが変わるのか分からないが、日本人が自分たちの祖先の骨に関心を持ったのは、明治になって、アメリカ人モースによる大森貝塚からということだそうだ。

その後の研究過程で、縄文時代の人と弥生時代の人は骨格(特に頭骨)から人種が違うのではないかという説があったりしてきたが、どうも、生活環境で骨格が変わってしまうのではないかという説を上げている。

そう言われれば、案外簡単に納得させるものがある。

最近の若い人たちを見ていると、一様に背が高く顔つきがバタ臭くなり、従来の胴長短足は変わってきた。わずか50年ほどでこんなに変われるものなら、縄文時代の狩猟生活から弥生時代になって稲作文化になれば、柔らかい食べ物や、獲物を追って走り回らなくても良いなどから、骨格がガラッと変わってもおかしくない

私の父親は、「身の丈五尺二寸(1m56)、十文半の足があれば立派に帝国陸軍の兵士になれた」といっており、五尺五寸の父親は並み以上の立派な身体をしていたという。ところが戦後の飽食の時代にはいって、食べ物は多くなり栄養がどうだ、ビタミンがどうだ、子どもに仕事はさせるななどというようになり、”独活の大木”みたいな人を量産するようになると、1m60以下では小さいほうになり、顔は身体に対して小顔で細長くなってしまった。

だから、長いこと日本を離れていた人がひょっこり帰ってきたとすれば、街の景色以上に人の顔つきや背丈がまるで違ってしまったことに驚くことと思う。

今日の花。鬼百合(オニユリ)いかにも恐ろしい名前だが,花びらに付く黒い斑点が原因だろう。ムカゴが付かないのを小鬼百合というが遠目では分からない。左、駒繋ぎ(コマツナギ)馬の手綱を縛っても切れないほど丈夫だからとか、美味いので馬が他に行かないとかいう説がある。萩に似ているが豆科の植物。

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2007年7月24日 (火)

一本化は危ない

「じいじんちもオール電化にしたら、、、地震のとき火が出ないし、切り忘れても少し時間がたてば切れるようになっているからいいよ」って、まるで電力会社の下請けみたいなことを娘が言う。

しかし、じいじもいままでの経験から、何事も一本化するのは抵抗感がある。

「電気だけにすると停電の時困るじゃないか。電灯の変わりは蝋燭で済むけど煮炊きまで一本化すると万一の時逆にお手上げだよ。」と負け惜しみ見たいに言ってやる。

今度の、新潟地震でもベアリング工場の被害で、ほとんどの自動車会社で生産が止まったという。「豊田の看板方式」とかで在庫を少なくする大企業の身勝手さが招いた生産ストップだが、ひとつの会社に全ての自動車産業が乗っかっていたのかと思うと、なんだかおかしくなる。

自動車を作ることには全然知識のない者がものを言うのもおかしいかも知れないが、その工場によほどの技術があったのだろうか。

今回の事故は、1週間ほどでまもなく復旧するようだが、もしも、何かで壊滅的な打撃を受けたらどうなるんだろうね。日本の産業ももろいもんだと思う。

よく、創業者企業で家中のものがその会社の何かを担当しているのをテレビなんかで放送しているのを見ることがある。

お互い親子兄弟なので気心も知れているし、和気藹々で見ていてもほほえましい面もあるが、もし、この会社が傾いてしまったら、「一族みんなが失業者になってしまうね」と余計な心配をしてしまうことがある。

政治の世界にしてもそうだが、あまりひとつの考えにみんなが集中してしまうと周りが見えなくなってしまい、国が暴走してしまうのは昭和初期が証明している。

いまの与党が批判されるのは、前国会でろくに説明もなしに強行採決に走ったこともひとつの原因である。首相とその周りは同じような考えの人ばかりだった(あるいは役職ほしさのイエスマン)ので「あれもこれも改革しました」と抗弁しているがザル法ばかりが目に付く。

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昨日朝早く家を出て本当に久し振りの新幹線で東京に行き、千葉県柏まで従姉妹の連れ合いの葬儀に行ってきたが、通過点の東京山手線から向うは満員すし詰め電車と対向して進む事になり、相手側を眺める余裕がでてくる。駅の階段は人でごった返し待ちきれないらしい人が下り専用の通路を逆走して登る。

仕事に向かう人がほとんどだろうが、皆むっつりと押し黙って同じ方向に向かって歩くさまは、おもわずチャップリンの映画を想像してしまった。

今日の花。左、破れ傘。草も春の芽生えで知られるだけの地味なものだが、花もどこか手抜きしてオシベとメシベがありゃいいんだろ見たいなとことを感じさせる。左、蕎麦の花、自然に生えるわけがないので誰か種をこぼしていったものと思う、荒地に出来るだけあってコンクリートの隙間に根を下ろしていた。

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2007年7月22日 (日)

オールスターが済んじゃってた

Img_0010_14 雲の切れ間から久し振りに青い空が覗き、その向うに入道雲が見えた。

この雲の上は夏が来ている、と思ったそばで蝉の鳴き声がした。これは、自分の耳にここしばらく住み着いている油蝉ではないな、と思ったら暑さが一段と堪えて聞こえた。

今日は、用宗海岸で市がたつと書いてあったので出かけてみたら空振り、防波堤で釣りをしている人を見ただけで帰ってきた。

.焼津を回り。従兄弟のいえによって帰ってくる道すがら車の中で何度も「気象庁がどう言おうがこれで梅雨明けだ」と宣言したが、夕方に入っての空模様はやはり、、、、ねぇ~

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プロ野球オールスター戦が何時の間にか済んでしまっていた。

以前なら何日も前から新聞に載っていたと思ったが、最近では視聴率の低下10%少しと低迷していることもあってあまり大きく扱われなくなったようだ。

でも、先日のオーナー会議で大リーグの報道を自粛するように求めている、と出ていたのは読んだが、落ちぶれていくスポーツ界の焦りというものが感じられた。

いい選手がアメリカへ出てしまって日本の野球に魅力がなく立ったことは確かだが、日本の野球は会社に所属する実業団野球に近く、ライバル会社に所属している人はどうしても応援しにくい所があった。

たしかに、アメリカ野球の報道は多すぎる(特にNHKにおいては)ような気もするが、日本の野球にやっている人も魅力を感じなくなって流失しているのではないだろうか。

これは、サッカーのように土地の名前が主になっていれば、その名を冠した地区から積極的な応援が得られたとおもう、巨人が絡まなければ視聴率が取れないといって放送したが、1チームにだけ頼ると言う方式は無理がある上、金にあかせて有名な選手を集めた巨人が弱くては見る気もしなくなるだろう。

オーナー会議は、もっと自分たちがどうすればいいのか検討すべきだろう。この春世間を騒がした特待生問題など裏に回れば金にあかせた不正行為は根の深いものがあるという噂が立っている。

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今日の花。左、百日紅は次から次へと長い間咲くことからきているようだが、別名サルスベリは幹がツルツルして猿でも滑りそうだという意味もある。近くで見るとオシベやメシベを囲むようにしていくつもの花弁が取り囲んでいる。右、悪茄子(ワルナスビ)アメリカから入ってきた草というが棘が鋭くてきらわれもの。しかも、いったん生えると駆除するのに大変刈り取るには棘が刺さるし除草剤も効かない。何れも駿府公園にて

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2007年7月21日 (土)

今宵は月下美人と

Img_0005_7 いま、家の月下美人が満開を迎えている。

優雅な名前をつけてもらったものだ、花言葉も艶やかな美人だときている。

昨日、一輪だけ先駆けて咲いたが、今日は八つの花を一斉に咲かせている。

夕方七時ころから蕾の先端を膨らみだし、一時間ほどで開ききるので、ときどき花びらの揺れるのがわかる。開ききれば、その径は20cmほどの大輪になる。

異国の花だけに、その蜜を花粉を仲介する虫もなく、一夜だけの花のため花びらは純白で傷ひとつない。

花を覗き込めば、あたかも人の喉をおもわせる奥から、かぎ慣れない怪しい香りが湧き出ている。

Img_0003_4 Img_0008_7                

今夜は、艶やかな美人を相手にチクといっぱい花見酒と行こうか。

これで、まん丸な月が出れば申し分ないところだが、物事は幾分欠かけたるをもって最上というから、土用の小雨も風情があるとしよう。

酒はビールより昨年つけた甘めのプルーン酒がこの花には似合い、魚は鯵のたたきと来ればもう最高。

ちびりちびりと傾ければ、美人もご相伴したいとて、ごくんとメシベを鳴らしたように見えたのは深酒の兆しか、、、、、、、夜は長い

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2007年7月20日 (金)

運がいいとか

Img_0085_2 裏の川が騒がしいので覗いて見たら、カルガモの大集団。

どうやら、11羽の雛を連れた母親らしい。こんなに大きくなってもまだ飛べないらしく、親鳥の後の従ってウロチョロしている。

鴨は一般に親から餌をもらうと言うことがないので、これだけの数を育てられたのだろうが、よほど子育ても上手だったらしい。それにしても、カラスなどの天敵から運良く避けることが出来たようだ。

「運がいいとか悪いとか、、、」って歌があったけど、ついている人はいるんだと思う。この年になってみると生まれた時に神さまから大きな運の袋を貰った人と貰い損ねた人がいるような気がする。

自分なんかはごく小さい袋だったけど、明日の生活にすぐさま困ると言うわけでないから、「まあまあのほうじゃないの」と考えることにしている。

大きな袋を貰った人には歴史上に名をとどめた人が沢山いるが急激に使うと寿命のあるうちに使い切ってしまうことがある「平家にあらずば人にあらず」と言われる程一門を隆盛に導いた平清盛も熱病で死ぬと運を使い果たしたように衰え、織田信長も天下を目前に使い切ったように見えるがどうだろう。

最近では、ホリエモンや村上フアンド、コムスンなど全盛期で大きく転ぶのを見るとそんな感じがしないでもない。しかし、これらは清盛以来運を独り占めにしたことを神さまが怒ったためではないかと、道徳の教科書みたいなことを考えてしまった。

アメリカ大リーグの選手が慈善活動に励んでいるのに比べると、前記の人は美女をはべらし、高級マンション住まい、ジェット機を買ってと、、、、だもんな。

先日、宝くじに当たった夢を見て宝くじを買った。随分と前に一こま漫画に当たった夢を見て買ったら当たった、というのがあったので実行したわけだが、              勿論   駄目! 

「くじ運の悪い俺だもの当たるはずない」と思いながら夢を見たね。

まずは、家を建て直そう。いまの生活では補助金を貰っても耐震化工事はしたくない。ここ2年ほどないが、大雨で床下に水が入る家であり、昭和56年、いまの建築基準法以前の家なので、地震が来れば潰れる可能性がある。しかし、命があったら立て直そうと日ごろ言っているので出来ないが、臨時収入があれば考え直すにやぶさかでない。

余ったら、旅行に行きたいね。できれば、、、、行きたい所がありすぎて一言ではいえない。

しかし、当たったら私の運くらいでは、使い果たしたとして神さまが「こっちゃ来い!」といわはるんやろうな。

今朝ほど、従姉妹の連れ合いが急死したと電話があった。それまで元気だったそうだから心臓か脳疾患と想像しているが、私とそんなに年は違わないはず、、、、、運が無くなったのだろうか

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今日の木の実。花も済んで小さな小さな木の実の赤ちゃんが出来た。この先虫に食べられることなく次世代につなげられるのはごく僅か。左、楢の団栗帽子が大きいとこかわゆくないかい 右の栗、棘だけは一人前だけど怖くない。

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2007年7月19日 (木)

役が人を作る

Img_0071_2 あぜ道脇の草むらに一歩足を踏み入れるとバラバラバラと何かが飛び散った。

よく見ると、土蛙のちいさなものだが、色合いが地味なので目立たず、ただ豆が弾けるような感じしかしなかったのだ。

試しに覗き込んだ田んぼは、ほとんど水が入っておらず、先日までうじゃうじゃといたおたまじゃくしの住める環境ではない。本当に人間の農作業を熟知していると言うか、田植えの時期に合わせて子を産み、水を引くまでに蛙にするという適応力には感心させられるものがある。

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「役が人を作る」と古くから言われている。世間知らずのボンボンでも、それなりの肩書きが付くと様になることを言う。

とくに、キャリアの公務員や社長なんかだと付き添う番頭などに支えられていくうちに次第に貫禄が出てくる。

しかし、これももともとの素質があって少しづつ階段を上がってこそと思う。

日本古来の芸能界などでは家元制度などがあってその家のものでないと名乗れない世襲的な芸名があるが、先代が名優だったりすると跡を継ぐ人も大変かもしれないが、芸もないのがその名を継ぐとしらけてしまうことがある。

歌舞伎の海老蔵は女遊びで有名に、落語の正蔵は脱税でとなると、まだ彼らの芸を見たことのない私にとって、何時になったら役に見合った芸が見られるのか、、、、その前にそれを赦した業界が斜陽化していくのだろうと想像しているが、どんなもんだろうか。

今日の花。左、一番花が蕾のうちに落ち、多分明日の夜今年初めて咲くらしい月下美人に祝福を与えに来たアカネトンボ。右、金柑の蜜を吸いに来たヤマトシジミ。

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2007年7月18日 (水)

へとへとに疲れる

P1010044 久し振りに行った駿府公園では、クマゼミがシャンシャンシャンと調子よく鳴いていた。

欅の幹には抜け殻がひとつ、ふたつと、もうすぐ夏休みに入る子どもたちを待っている。

先日テレビで見たアメリカの17年蝉のように大量発生されると可愛さより恐怖を感じるのではないだろうか。(小さくて人に害のないアブラムシでさえかたまれば、、、、)その点日本の自然界は飛蝗の大発生や蟹の集団放卵などもないようで何事にも調和が取れているような気がする。

ここしばらく、遠歩きしていなかったので城北公園~浅間神社~駿府公園と廻って来るとむし暑さもあって家の近くであごが出た状態になった。

「あごが出る」疲れてへとへとになったことをいうが、歩いていても顎に引っ張られるようにしてふらふらいく様が目に付くようで面白い。私たちの小さいころは疲れると「腹減った」といったらしく、他所から赴任してきた先生の文章にこちらの生徒はそういうと書いてあったのを後ほど見たことがある。

日本語とスペイン語にはなんだか似た言葉が昔からあった。たとえばカステラや合羽はあちらが発祥の言葉だということは有名であり、似ているのは当たり前だが、自分のことを「YO」と書いてジョまたはヨ(余)といってもよく、「Joiga!」と書いて、オイガ!と話しかければ、「こちらに注目して」という意味から人に声をかけるとき「おい!」という意味になる。

そこで、”へとへとに疲れた”というときは「Agotar」(アゴタール)と言えばよい。その前に「Esutoi」(エストイ)をつけたり「Mucho」(ムーチョ)を入れればさらに強調したことになり、現場ではよく言われた言葉の一つだった。

「エストイ アゴタール ノ インへ(ニョール)」(親方もうヘトヘトですよ)と、、、、

今日は、疲れから妙なほうに連想してしまったが、生齧りのスペイン語間違っているかもしれないので、真剣にとらないでほしい。

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今日の花。白粉花、南アメリカが原産地とのこと。ひとつの茎から違った色の花を咲かせることから英語でMarvel of peru(ペルーの驚異)と言われている。花言葉は、貴方を思うとか、不思議な気持ち、内気などがあるそうだ。

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2007年7月17日 (火)

猿知恵をあざ笑うか

Photo_17 安倍川中流の大河内中学校の少し北に”野猿平”と書いた看板があることは知っていた。ここで、釣堀を営む人が宣伝を兼ねて立てた看板かと思っていたが、本当にいた、

20匹くらいのグループに見え、子連れもいたがカメラを取り出すまで待っていたのはまだ好奇心の強いらしい若猿だけだった。この辺りは前にも道路わきにカモシカが出ていたとの記事もあったが、野生動物の出てきやすい場所のようだ。

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昨日の地震は静岡で震度3だとテレビの画面は伝えていた。長野から義弟が来るというので家にいてテレビを見ていた時間のはずだったがテロップが出るまで全然気がつかなかった、どうしてなんだろう。近所に住んでいる”慶さん”のブログでは感じた様子だった。とすると、感受性がにぶっているのかな?

静岡に出てくるとき「わざわざ、東海地震が来るといわれているところに引っ越していかなくても、、」といわれ、何時来るか何時来るかと半ば心配していたが、その後の大地震は神戸からこっち鳥取、新潟、能登、新潟と続き、すぐにでも来るといわれ続けた東海は勿論、防災記念日の原点となった関東大震災の60年周期説は今では聞かれなくなった。

「天災は忘れたころにやってくる」ということわざから言うと忘れられた関東がいま一番怖いのではないかと思う。

また、刈羽原発の火災が延々と映し出されたのが今回のショックだった。神戸以来、人口の少ないところで続いた大地震では地震後の火災画像は覚えていないし、今回もここしか火災が放映されていないなかで、一番注意しなければならない原発でなぜ火災が起きたのだろうか。屋外の一部の事故だけで済ませられるのだろうか。

また、記者会見で想定外のゆれだったと答えているが、この施設では想定外がどんな被害をもたらすのか分かっているのだろうか。

静岡の浜岡原発でも「想定以上の対策をしている」というが、想定そのもがどうなのか検討しなければなるまい。私の感じでは、予想される震源域の真上に建つ建物が部分的に何十センチか跳ね上がったとしたら、配管の切断や損傷で取り返しの効かない事故になるのではないだろうかと思う。

なんだか、神さまが人間の猿知恵を試して「その程度のことしか考えられないのかい」と、能登の志賀原発や今回の刈羽原発などの近くで地震を起こし、様子を見ているようで仕様がない。

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今日の花。左、浜木綿(ハマユウ)女優浜木綿子はこの花から芸名を取ったと言うが彼女の外見とは違ってかなり大雑把な花という感じがする。今日七月十七日の誕生花で、花言葉は”どこか遠くへ”と歌の文句みたいなことが書いてあった。右、馬の鈴草、奇妙な形の花だが、実が馬につける鈴に似ているところからつけられたと言う。初めて見た花で当初名前がわからなかった。

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2007年7月16日 (月)

ケネデイとの違いは?

P1010118 台風一過の晴天とはなかなか難しいようで、朝方は粉糠雨が降っていた。

花の終わった紫陽花にでんでんむしが逆さになって動いていた。おかしなもので、殻をを背負っているだけで「可愛らしい!」なんて声もかかるが、殻のないナメクジは近い親戚なのに嫌われる。

世の中、まったく見た目だけだよなとナメクジは嘆いているに違いない。

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資料を見ていたらケネデイがアメリカの大統領になったのは1,961年 43歳の時だったという。

そのときは、今ほどアメリカに対して悪い感情もあまりなかったためもあり、異国の人ながら未来に明るい感じを受けたのを憶えている。何しろ、日本の政界はその時の自分から見るとお爺さんばかり(吉田、鳩山、岸など)旧態依然とした人ばかりだったからであろう。

ケネデイ大統領は死後50年ほど経った今、かなりスキャンダルにまみれていることが分かって評価も落ちているが、ベトナム戦争撤退を模索したり、キューバ危機を回避したり、月面着陸のアポロ計画をしたりなどかなり実績を上げている。

いま日本では、51歳と数ヶ月で就任した首相に政治を任せているが、先が明るく感じることはなく、なんだか危なっかしくてたまらないのは、こちらが年をとりすぎてしまったせいだろうか、前民主党の党首、前原誠司にしてみても同様な危惧を持った。(といって旧態依然の長老がよいというわけでもないが、、)

権力を持たせるとやみくもに突っ走ってどこに行くか分からない。ブレーキの利かない暴走車という気がしてしまう。

選挙演説でも、「重要法案をいくつも通しました。改革ですか逆行ですか」と叫んでいたが、改革がばら色には見えなくなっている。気のせいか左目の横辺りに黒ずんだ隈のようなものが感じられるのは疲れているのだろうか。

自分が良いと思ってやったことが支持率低下という裏目に出ていることに苛立っているようにも見える。それもこれも世間の常識とかけ離れている所にあるせいではないだろうか。

今日の花。他所の家に咲いた多肉植物P1010107 P1010108

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2007年7月15日 (日)

工事現場にミネラルが

Img_0030_7 昨夜来の雨風で世間を騒がした台風も東のかたに去った。昨日の朝どのくらいの雨量があるかと思い、庭の隅に水槽をおいていたら、今朝ほど24㌢ほど貯まっていたから、我が家の一日当たりの降水量は240ミリということか。

それにしても、11時ころがピークだったのか、あまりの降り方に自動車を避難所にもっていったが、幸いそんなに水量は多くなかったと見えて、道路に水が上がったような気配はなかった。      まずは安心

それにしても、台風情報に関して気象庁の発表の仕方は改善したとは言いながらまだまだお役所的な手法がみえみえである。

ひとつには、何時までたっても目を中心にして暴風域、強風域と同心円に書いていることである。衛星写真や降水量を見てもそんな風になっていない。さらにおかしいのは県単位の降水量である。自然は地方行政には関係ないはずで県境を越えたら雨量が違うと言うことはないはずだし、岐阜県や岡山県、長野県のように県の真ん中に分水山脈があれば気候が変わるはずであるが、それを無視している。

また、今回の場合、台風の目が浜松沖にあるときに静岡では雨が上がり、一番接近した時には空が明るくなっており、風も雨も止んでいた。これは、万一の場合責任問題になると考えて警戒警報の解除を遅らせていたと見るのは考えすぎか。

(この辺のことについて、関係者が見たらコメントをほしいものだ。)

午後になって日差しも戻ってきたので麻機の上の山に行ってきたが、木の葉が落ちているぐらいでたいした被害を見ることがなかった。むかし、土木業者が仕事が薄くなると「ここらで台風でも来ないかなあ」と不謹慎なことを言っていたが、最近では工事前の調査がしっかりしてきたこともあって、少しくらいの雨では被害の出る箇所も少なくなった。

ただ、上り口で工事用の重機がかき混ぜていた場所にミネラルでもあったのか、揚羽蝶が3種類7~8羽飛び交って地面に口吻をつけて水を吸っていたのが珍しかったのと、そこに遅れてやってきた長崎揚羽のオスがも文字通り「尾羽打ち枯らした」ような状態でやってきたのが可哀想だった。年老いてそうなったのか、台風の際逃げ場がなくてなったのかと想像し見ていたが写真を撮る気にはなれなかった。

Img_0049_6 そして、遊水地がその役目を果たしていて、水位が普段より50センチ以上高くなっているようで野球グラウンドなどがが水没し水面が普段よりかなり広くなっていた。

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今日の蝶。左、瓦礫の中に口吻を差し込んでいた揚羽蝶、対ではないようなのでよほど魅力的なものがあったようだ。右、長崎揚羽、こちらはつがい、江戸時代には九州地方だけだったが1930年代に関西まで範囲を広げ、ここ数年で関東地方にまで生存範囲を広げた。温暖化のせいだという人もいる。

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2007年7月14日 (土)

ひもじさが同居

Img_0009_8 世界最高のヒマラヤ山脈を飛び越える鳥がいる一方で、100mも水の中へ潜って魚を取る鳥もいて人は昔から鳥に憧れてきた。(雨に打たれて餌を探す白鶺鴒の若鳥)

背中に羽根を生やした天使(エンジェル)や箒にまたがって空を飛ぶのはは西洋の昔話。羽衣のようになにかをつけることによって羽化登仙するのは東洋的昔話。絨毯で飛ぶのはアラビアンナイト。などなんとか空を飛びたいという願いが、飛行機やヘリコプター、グライダーなどを発明させたようである。

しかし、鳥への憧れ、自力で空を飛ぶと言うのは所詮人間には無理な話である。鳥が空を飛ぶためにはかなりの無理をして飛べるようになった。引力に逆らって身体を宙に浮かせると言うことはかなりのエネルギーが必要であり、エネルギーを少しでも少なくするためには身体を軽くするしかない。

そのために、まずしたことは骨をスカスカにすることと、腹に余計なものを溜めておかないことから始め、食べた端から糞にして排泄すると言うからだの仕組みを作ってしまった。

そのため、どんなに飼いならしても糞の躾だけは出来ないという。

Img_0148 今日も、電線にムクドリが五線譜のお玉じゃくしのように群がっている。大降りの雨の中餌も見つけにくいことだろうが、なにせ、腹の中には何にもなくてひもじいことだと思う。

人間は、空を飛ぶと言う裏側にひもじさが同居していることを知らず、いいとこ取りを願っていたことになる。

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今日の花。臭いのせいで屈辱的名前のつけられた花。左、屁糞蔓(へクソカズラ)右、臭木(クサギ)何れも名前ほど嫌な匂いはしないのだが、、、、

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2007年7月13日 (金)

こんなに大きくなりました

Img_0027_4 台風4号が荒れ狂っている様子だ。明日明後日にはこちらにも来そうだが、梅雨前線と重なってくるようで怖い。どうかお手柔らかに願いたいものである。

今日の雨は、天気図で見る限りはまだ台風の影響は無いようだが、難しい空模様が終つづいている。空の雲に濃淡があって、黒いところの下では雨が降ると言う具合なので、少しの距離で降っていたりやんでいたり、島状の天気になっている。

そんななか濡れるのを覚悟で出かけてみたが、こんな日に散歩に出かける酔狂な人は少ない。その分鳥たちは安心しきっているのか、道路わきの蓮田にカルガモ親子がいた。

巣立ってから一ヶ月余もたっているのだろうか、母親とほとんど変わらない大きさになっていた。そうした中で母親だけが私を警戒して、こちらの様子をうかがっているようだが、見ようによっては「こんなに大きくなりました見てやってください」と行っているようにも見える。

若鳥たちは水面に生えた浮き草を食べるのに余念がなくまわりの警戒は母鳥任せにして、こちらに近づいてくるものさえある。

これらが、”自分の身は自分で守る”ようになれば親離れするのだろうか、それとも、親に放り出され身につけて者だけが生き残れるのだろうか。

見ていて、これは、人間で言えば高校生ぐらいの生意気盛りに当たるのだろうか、生まれて一ヶ月くらいで高校生とは早いものだな、などと小雨降る中傘もささずにしゃがみこんで見ていた。

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今日の花。待宵草。竹久夢二が”宵待ち草”と歌ったり、太宰治が月見草と呼ぶなど間違った名前で呼ばれる花。左、待宵草(マツヨイグサ)夕方から咲いて翌朝しぼむ、花の径3センチほどで大待宵草により小さめ、右、小待宵草。他の仲間と違って茎を立たせず地面を這う。名前の通り花が小さい。花言葉のひとつに「浴後の美人」というのがあるが、そんなに艶かしく見えるのか。

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2007年7月12日 (木)

温暖化?それとも

Img_0003_3 昭和30年代後半に日野てる子という歌手がいた。私より若かったのでまだ歌っていることと思うが、最近はテレビにも出ないので、、、、、

当時、ウクレレを持ったハワイアンバンドが何組かいて、夏になると決まって出てきていたが、その中で彼女はよく髪にハイビスカスの花を挿してきれいな月が 海を照らし、、、”ではじまる夏の日の思い出」などを歌っていたが「あれはきっと造花だよ」なんて言っていた。

そのくらい見たこともないし、南国でしか咲かない花なので、実物を見るなんて思いもしなかった。

Img_0163_1 ブーゲンビリアやバナナの異様な花とともにハイビスカスの花を見たのはそれから十年ほど後だったが、その時の感想は「日本から遠く離れた所にきたもんだなあ」ということだった。

Img_0005_5 Photo_15 鮮やかな赤い色の花びらからうんと突き出したオシベを持つハイビスカス。

壁に伝わせたいろんな色のブーゲンビリアはそれまで花だと思っていたのが、そうでなかったことなど始めて見た花は驚きだった。その花がいま、静岡でも街中の庭先で見ることが出来るようになった。(写真上)

例の地球温暖化のためか、品種改良の花なのかは知らないが、温室でなくても咲いていると言うことはこれらの花の神秘性がなくなったようで寂しい。

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昨日は、アメリカ野球のワールドシリーズでイチロー選手がMVPを日本人選手として始めて獲得したそうだ。彼のクールな態度に好感を持つ、今後とも活躍をしてほしいものである。それともうひとつ、相撲の大関魁皇が幕内701勝を達成して歴代の名横綱に互して第5位になり、この調子ではもっと上にランクされることになりそうだ。

最近では、年齢的にも限界に近く、本人は「長い間やってきたので、、」といたって控えめなコメントを出していたが、長い間やってこれたことがそもそもの勲章であると思う。

同期の貴乃花に遅れること4年、勝ち星を同じにしこれからどれだけ数を増やせるのか楽しみにしている。

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2007年7月11日 (水)

空山不見人

Img_0033_8 空山不見人

但聞人語響

返景入深林

復照青苔上           王維

昔、漢文の授業で習った漢詩のひとつだが、自分が山に求めている気持ちと相通じるところがある。

大意としては、ひっそりとひと気の無い山、人は見えないが何処となく人の声や生活音が聞こえてくる。夕方になって木の間を分け入って入ってきた日の光が静かに苔の上を照らしている。という感じなのかな

ゆっくりと踏みしめる足元から腐葉土の匂いや枯葉をカサコソと鳴らして歩くのが楽しみで私は単独で登るのが多いが、杉や桧の植林帯でほとんど表土を持たない山はかなしい。

世界の最高峰エベレストを初めて登ったイギリスのヒラリーは、「山がそこにあるから」と言ったそうだが、いかにも欧米人の言いそうなことだと聞いた覚えがある。(若いころの自分にもそんなところがあったので、強くはいえないが、、、)

そのエベレストを含むヒマラヤのいまは、登る人、それをサポートする人で一組だけでもかなりな人数になるそうだがシーズンに入って何組も入ると、それこそ人でごった返しているらしいし、登山後の後始末などできる余裕もないので塵だらけだそうだ。

そうした、集団登山は勿論、山ですれ違う旗を持ったガイドを先頭にした観光登山や声高の小母さんグループでは山の匂いや小さな谷のせせらぎ、小鳥の声などを楽しむことは出来ないだろう。ただ「登ってきました」というだけの登山はしたくない。

山高きをもって貴うとからず 

樹多きをもって貴しとなす    後省略

これも、まるっきし同感というわけではないが、落葉樹の多い山は上を見て下を見てと楽しいことに逢うチャンスが多い。

本日は、むし暑くうっとうしい雨にとじこめられての妄想から、、、

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今日の花。左、大板屋明月(オオイタヤメイゲツ)、楓の仲間だが葉が赤くならず黄色いまま散る。葉の割りにプロぺラ形の種が小さい。右、榎(エノキ)目立たない花を咲かせている。

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2007年7月10日 (火)

社会保険は仕事の履歴

Img_0047_5 イチモンジセセリ。よく見る蝶のひとつだが、渡りをするとかで見かけるのが遅い。

稲の葉などに卵を産みつけるため害虫とされるが、成虫の飛び方はヒラヒラというのでなく、ずんぐりむっくりの体形に似合わず素早く飛びまわり愛嬌のある顔つきが好きだ。

Img_0048_3 今年初めての出現だが、その黒い瞳はどこを見ているのか、なにを考えているのか分からない。正面に回ってみると以外にもきりっとしていて最新型のジェット戦闘機見る思いがした。

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終日雨模様の天気が続くと言うのと知り合いが「社会保険事務所に行きたいが場所を知らない」と言うので、それでは「私も近いうちに、、、と思っていたところなので一緒に」と向かった。

行って見ると駐車場は満車状態で混み合っているのが予想されたが、年金の確認だと言うと「二階に行ってください」と言われて9番の番号札を渡され、少し待っただけで対応してくれた。

ひとっころの話とは大分違うようで、閑散としていた。

まず、年金の経歴を見せてもらったが、幸いというか不幸にもというべきか昭和32年以来途切れることなく続いていた。そのため、もしかして増額するのではないかという期待はなくなったというガッカリと、2年足らずで辞めた小さな個人会社も、話しに聞くネコババをしないできちんと支払ってくれていたという喜びがあった。

結局は、かなり納得のできる説明があったが、急ごしらえのためか、応対するテーブルの上にパソコンがないため、質問をするたび事務所に行ってプリントアウトしてくるので、黙っていればそれ以上の資料が出てこない仕組み、つまり積極的に公開するようにはなっていないように感じた。

しかし、17歳から勤めた鉱山での加算を含めて、丁度500ヶ月になっていた、我ながらよく勤めたもので、その記録がこういう形で残っているのも良い記念になると思って資料を大事に持ち帰った。

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今日の花。左、藤枝蓮花寺公園で見た睡蓮。この花だけが遠目にも輝いて見えたのは何故だろう。ひょっとしたらかぐや姫の妹でも、、、右、麻機田んぼの蓮の花、ピンクの花が多い中で食用のためか白い花。日蓮宗で言う”大白蓮華?”の中を覗いてみる。Img_0179_1 Img_0026_5

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2007年7月 9日 (月)

梅雨時の露草づくし

Img_0023_5 露草。今どきの野山で目立つ花のひとつだが、別に梅雨とは関係なく露が似合う花という意味らしい、そのため梅雨の季節が済んでも毎日毎日花を咲かせ続けている。

露草は、子どものころ女の子に人気があったように思う、花を集めてつぶすときれいな青色で水が染まりままごと遊びの道具にもなっていた。

この時代、露草といえばこれしかなかったが、最近では幾種類も露草の名前を使ったものが増えてきているようなので、調べてみたら今では野草化した感のある常盤露草はブラジルから、紫御殿はメキシコ、紫露草はイギリスが原産地だそうだ。

植物の世界ではグローバル化が進んで、立派な日本語の名前を持っていても、原産地が各国に散らばり、私どもの目に留まるころは日本語しか話せない二世三世の外人みたいになって、日本の風土に定着しきって鉢から路地へ、路地から山へと進出している。

しかし、露草にかぎって言えば、在来のもが一番愛嬌があってきれいに見えるのは、身びいきだけだろうか。

よく見ると、二枚の(本当は三枚だが、、)青い花びら、長く突き出したオシベ。奥まった所にある黄色いメシベは丁度なにかの顔と言った風情がある。

Img_0120 それに比べると常盤露草は白い花弁に白いオシベとメシベなんだか全体がボやっとした印象を受けるし、他の二種はいかにも目鼻立ちがはっきりして”園芸品種です!”とバタ臭い主張しているように感じる。

左、紫露草  右、紫御殿

Img_0019_7 Img_0009_7                 

そうそう、もうひとつ忘れていた。名前を丸葉露草(マルバツユクサ)というものがある。

Img_0017_9 一寸見には一番上の写真の露草と区別しにくいが、名前の通り葉が丸っこく緑色が一寸薄い所。そして、花が一段と小さくて、可憐に見える、しかし、これが案外の曲者で繁殖し始めると、駆除に大変だとのこと。

これは、本家も同様である。

今日は、静岡の清水さんの縁日なのか、午後から花火の音がドカンドーンと聞こえ、夜になって遠目ながらはじけたり、枝垂れたりする様子が見える。

昨日は、午後から家に来ていた孫と、去年の残りの線香花火で楽しんだが、いよいよ、花火が似合う季節になってきた。

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2007年7月 8日 (日)

酸いも辛いも噛分けて

Img_0107_5 むし暑い日が続く。

写真の鳩もそうなのだろうか、田んぼの縁の湿り気の多い土に胸をべったりとつけて、近寄っても物憂げな態度で動こうとはしない。

多分、つがいなのだろうと思うが、雄雌の区別は私には分からない。

人間と違って、羽毛のコートは脱ぐわけにはいかないもんな。それに比べると最近では女の人でも袖なしのランニングシャツのような姿で出歩いている。

昔は「夕涼みよくぞ男に生まれけり」なんていわれたが、今では土鳩同様区別をつけるのは難しく、過去の話しになってしまった。

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”清濁を併せ呑む””酸いも辛いも噛分けた”といえば、一人前の大人というよりさらにその上を行く大物の別称であった。

今にして思えば、私だけでないと思うが、野山を歩いていても臭木(クサキ)やへクソカズラ、ドクダミ、カメムシなど服などに匂いが移るのが嫌で避けて通ったものである。

それが、いつの間にか「おや、臭うな!」程度になってしまったのはどういうことだろう。人間の感覚、好みは年をとるに従って、変わるというか鈍感になっていくようである。

食べるものもそうであるが、一番初めは甘いものから始まり、酸い、辛い、苦いを卒業すると臭いものグロテスクなものも許容範囲にはいってくる。つまり、何事に対しても反応が鈍くなってくるのである。

そして、考え方が経験論から硬直化しだすころになると、大物と小人に分かれるのだが、対人間関係でいうと大物は誰彼なく相手が出来るし、周りに取り巻きがいないと寂しくなる人であり、小人は嫌いな人とは付き合いたくないと孤独に陥るようになる。

私は、どうも後者のほうに入るらしく、老人会に入ったり団体行動など指導者の指揮の下、群れて動くのは苦手である。

「小人閑居して不善をなす」」」」」」」散歩して、ブログで世間に毒ずくのが日課になってしまった。

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今日の花。左、令法(リョウブ)10mほどの木を見たことがあるが大抵は切られて低くなっている。子どものころ木の葉を摘んで揉むと泡がよく出るので石鹸の木などと言ったが、若芽は飢饉の際救荒食として食べられると聞いた。今日この花はほんとうに良い香りがした。右、丘虎の尾(オカトラノオ)少し高い森林の縁に咲く草花。小さな梅状の花を密集させている。この草の葉は少し酢っぱ味があって美味かった。考えてみれば本当になんでも口に入れたものと感心する。

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2007年7月 7日 (土)

餌に群がる鯉か

Img_0002_1 今日、七月七日は七夕の日であり、あちこちで七夕飾りを上げて、彦星と織姫のデートがうまくいくように応援しているが、空の具合からはお流れのようである。

もっとも、最近の空の事情は、地上の明かりが強すぎて余程明るい星以外は見えず、キャンプなどに行ったとき都会の子どもは星の数の多さに驚いて、「気持ち悪い」などと言うのもいるそうだが、我々が子供の頃は、天の川が全天に渡って白い帯をなしていたのを知っている。

しかし、天文学は難しく、星座の名前は数えるほどしか覚えられないものだから、彦星がどれだか、織姫星がどれだかついに憶えることが出来なかった。

また今日も、九州地方は梅雨末期の豪雨でかなり被害が出ている様子、七夕どころの騒ぎではない。静岡も昭和49年に”七夕豪雨”というものがあり、清水を含めて浸水被害が多かったように聞く。

私の住んでいるところも、1m50ほども冠水したと聞くと大変なことだったなぁ。思う。

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Img_0005_4 選挙も近くなって参院選に臨む人は、いよいよ最後の仕上げにかかっていることと思うが、この人たちにとって我々はどんな存在なのだろうか。

「お金おかね」と水面で口をパクパクとあけて餌に群がる鯉のように見えるのではないのだろうか。餌が途切れると、別な餌場にさっと移動しそちらで口をあけて催促している。

そんな選挙民を軽蔑しながらも当選するためには、あちこちに頭を下げてでも餌を集めなければならない。撒き損ねれば「ただの人」になってしまうから、、、

しかし、頭を下げて餌を出してくれた人にはそれなりか、以上の恩返しをしなければならない。それが汚職に結びついているのが多い。

あいにくと、今までお金のかかる選挙には出たことがないので分からないが、余程お金のかかるものらしく、今日も新しい農相が説明しにくいお金を処理していたと報じられている。(親の家だそうだがものすごい門構えの家が写っていた)

いざ、選挙になれば、ポスターや事務所、選挙カーなど党に所属していれば大半が自腹を切ることなく投票日を迎えることができるのではないかと思うが、それまでの間、選挙民に肥料(こやし)を撒くようにお金が必要なのだろうか。

幸か不幸か私のところに今まで、一度も肥やしどころか臭いさえただよってきたことがないのだがどこに行っているんだろう。

政党助成金、政治献金、親分からの餅代と巨額の金を集めながら、使い道が分からなくて、今日も事務所経費でごまかしている議員が多いのだろう。

今日は、暦の上では「小暑」だという。本格的に暑くなるこの時期に首筋に寒さを覚える人もいて、、、、

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今日の花。左、エンジュ、当用漢字にはないのでカタカナで。偽アカシアをハリエンジュといい、こちらは針がないのでただのエンジュというそうだ。花の派手さから言っても本家なのに目立たない。右、青桐(アオギリ)葉の形が桐に似ているだけで命名されたが全然種類が違う。

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2007年7月 6日 (金)

小母さん裁判員で大丈夫か

Img_0106 ここ麻機沼周りを気をつけて歩いていれば、ほとんど必ずといって良いくらい、何組かの鴨の親子に会える。

今日も、大きく育った蓮の下にいたが、いいところを見つけたものと感心した。

早いものはもう親の半分くらいの大きさになっているが、それこそ昨日おとといぐらいに孵った雛を連れて歩いているのもいる。

しかし、大きい雛を連れた鴨は、いくぶん数が少ないように見えるのは、ここまで育てるうちにはぐれたり、天敵にやられて数を減らしているのではないだろうかと思う。(写真の親は上手に育てたらしい、、)

なにせ、鴨の子育てはどう見ても、母親だけの仕事に見え、一羽だけではとても全ての子どもに目が届かないような気がする。いずれにしろ生存競争は厳しく、来年子育てが出来るまで成長できるのはどれくらいだろ。

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話は変わるが、平成21年くらいまでに裁判に、そこらのおっちゃんや小母さんが裁判員として参加し、判決することになる。

こうした制度が導入されるのは、あまりにも硬直した考えの判決が世間から見てずれてたためであるが、いざ、この制度で実施した場合誤審が多くなるのではないかと心配になる。

まず第一には、難解な文書で書かれた法律用語が解釈できるのかと言うこと、次のほうが重大と思えるのは、あらゆる事件において、裁判前は警察発表しかなく、週刊誌などのあおり記事に対して、素人の裁判員が先入観なしに裁判に臨めるのかと聞きたい。

判決を出すに当たって、裁判官が先例を出してきたりすれば、その都度新しい裁判員に反論が出来るのだろうか。

今日、豊橋で起きた幼児殺害事件の高裁判決は、一審無罪を逆転し有罪とした。これは、新聞記事だけしか見ていないが新しい証拠によるものでなく、逮捕されてからの自白をどう見るかだけによるものである。

本職、プロでもこれだけの差が出るものを、そこらのおっちゃんや小母ちゃんがどう判断するか。清水で起きた袴田事件でも一審で判決を出した裁判官があれは間違っていたと今になって話をしている。

おっちゃんや小母ちゃんが、後になってあれは週刊誌に乗せられて判断したと後悔しかねない制度のような気がするが、どんなもんだろうね。

今日の花。左、薊(アザミ)種類は分からない、これで満開らしいが花の開き方が少し違うと感じたのだが。右、イシミカワ漢字でどう書くのか分からない、(石見皮)では当て字と思う。実が付いてから目立つ。緑から赤紫、濃青となる。

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2007年7月 5日 (木)

動物以下の大食い競争

Img_0044_4 我が家の小さな庭に最近アゲハチョウの仲間やヒョウモンチョウが次々とやってくる。

見てる分には嬉しいのだが、もう少したってふと気づくと、葉っぱが丸坊主にされている鉢植えが出てくる。それぞれに好みがあって、鳴子百合は紋白蝶系。蜜柑類はアゲハチョウの仲間、クチナシは何か分からないがいつもやられてから気が付く、蓼食う虫も好きずきというが、その草でしか育たない虫となるとこれまた厄介なことである。

そして、その中で一番困るのがイラガの幼虫だと言う”電気虫”。葉の裏などの見えないところにいたのをうっかり触った時には、ピリリッと来て腫れ、何時までも痛い。仕返しに早速火ばさみで、念入りに見つけて根絶やしにしてしまう。

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今日はワイドショーで嫌なものを見てしまった。アメリカで「ホットドックの早食い競争」というものが、ありそこでいつも優勝していた日本人の連続優勝がとまったというものだった。

競技はまったく下品きわまるもの、食べ物はもっと楽しんでゆったりとした気分で臨みたいものだが、作法も何もなくただひたすらに口に押し込む食べ方はなんとも醜い。

最近日本でもそんな番組があるが、世界の中には食料がなくて飢え死にする人さえいるのに、、、そんな人から見たらこれはなんだろう。きっと呪い殺されるに違いない。

野生の猛獣らにしても、満腹の時はあえて狩をしないと聞く、人間はどうもそれ以下の生物らしい。テレビ局もこういう報道はあえて無視するくらいの節度があればこんな競技はなくなるのではないだろうか。

今日の花。左、烏瓜(カラスウリ)日没時にはまだ花びらの先の細いレース状の襞を広げていなかったのに、朝早く店じまいをしていた。右、細葉のギボウシ、花の色が澄んでいてきれいだった。

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2007年7月 4日 (水)

「う」の一文字で

Img_0171_1 麻機沼の一角に10mかける5mくらいの水面を一匹のコシアキトンボが飛んでいる。

胸の下、胴というのか尻尾と言うのか分からないが、一部分真っ白に色抜けした部分を持つトンボである。

これがこの水面を守り、他のコシアキトンボが入ってこないかを見張っている。そばに立ってしばらく見ていたが、どこかにとまって休むと言うことがない。

おかげで、写真にしようとしたが飛び回るトンボに付いていけず、上の写真が精一杯であった。

どんな生物でも空を飛ぶと言うことは、エネルギーの消耗が激しいものだと聞いたことがあるが、これだけのエネルギーは何処から得ているのかと思うと同時に、これが本当の「一所懸命」だと思った。

一生懸命。もともとは中世の武士たちが、律令制の貴族たちの搾取を逃れて自分の開墾した土地を守るため、命を懸けて守ったところから「一所懸命」といったと言われている。

しかし、江戸時代になって、どこかで真ん中に「う」の一文字が入り、それを漢字に直したのが「一生懸命」であり、「主人や愛する人を一生命懸けて守ります」という場合はこれでもいいのではないかと言う人もあり、最近では辞書にものるようになったが、意味は随分違ってしまった。

しかし、いまでは結婚式の誓いの言葉などで、「命を懸けて守る」と言ったって、、、であり。土地の強制収用などがあってもそれに命を懸ける人は少なくなったので、いずれ別な言葉が出てくることだろう。

それと同様に、新聞記事などを見ると「決死の救出、、、」なんて見出しがあるが、「決死」なんて言葉も前の大戦の特攻隊を最後に無くして貰いたかった。と思うのは私だけだろうか。

どんな救助作業にも、二時災害は防がなければならない。救助に向かった人が文字通り「必死」や「決死」では、あまりにも気の毒だし、実際、悪天候などの場合は捜索を中止しているのだから、何時までもこんな言葉を使うのはどうにかならないのかと思っている。

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今日の花。左、藪茗荷、本家食べるほうの茗荷は生姜科で藪茗荷とは関係ありません。と言われてもね~。右、樹液の出るところを取られたカナブン。いのち懸けて争うかと思ったが、、、無駄なことはしない。

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2007年7月 3日 (火)

猛威をふるうクズ

Img_0150 2~3日行かなかった散歩道が一変していた。

蓬や荒地の花笠、イタドリなどの野草がかなり背丈を伸ばし、視界が上のほうだけになり、おまけに雨上がりの地面からは湿気が揚って気分の悪いことこの上も無いが、これに輪をかけて一番猛威を振るっているのが葛(クズ)であろう。

多分、この時期は一日で40㌢くらいは伸びているのではないだろうか、周りの草や木を多い尽くして道路に進出している。人通りが多いところでもそうだが、少ないところではたちまち道ふさぎを始めている。

草刈をしたいところもあるが、この時期草刈がまを持って歩いていては不審者と間違えられそうで出来ない。

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今日になって、ようやく久間防衛大臣が辞職した。このままでは参院選が闘えないと仲間内から批判されて決断したらしいが、参院選がなかったら「女は子どもを産む機械」発言と同じで、辞任しなかったのだろうか。

首相は、「アメリカの気持ちを代弁したので問題ない」とかばっていた。しかし、彼らは何処の国の大臣であり首相なのか分かっていてこんな発言をしたのだろうか。

久間大臣は、少し前に「イラク戦争はまちがっていた」と発言したことがあったが、このときは、「おや、この人当たり前のことを言う人じゃないか」と思ったことがある。しかし、その発言も簡単につぶされ、今度の発言を聞くと「一般の人とかけ離れた思考を持ち、後先を考えて物を言う人たちじゃない」と分かった。

政治家とは話しをするのが職業なのだから、その辺がね~、、、、

それにしても、どうして、こうも失言をはじめ不祥事の多い内閣なのだろうか。それとも、どこまで国民が赦すのか瀬踏みをしたり、一般受けすることを言ってガス抜きをしているのだろうか。政治にはこういう手法もあるそうだから、、、、

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今日の花。槿(ムクゲ)今頃から一ヶ月ほど咲き続ける花。お隣り韓国の国花だそうだが、よく国民性を表している。日本ではパッと一斉に咲いてすぐに散る桜が国花で、これまた国民性をよく表しているのにたいして、槿は「無窮花」と書き、入れ替わり立ち代わり花を咲かせ、木は折れても切れにくいところがそうだという。

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2007年7月 2日 (月)

マタタビも半化粧

Img_0109_2 今日は半夏生。昔は田植えが遅かったもののこの日までに植え終えておくと言う日だったそうで農家には重要な日のひとつだった。

また、植物にも半夏生と季節の名前を取ったものが二つあるが、葉がこの時期になると一部白くなる草花のほうが有名であり、そのまま名前にしたものと白くなった所を白粉を塗ったものに見立てて”半化粧”とも呼んでいるが、植物のほうに暦が合わせたという人もいてよく分からない。

Img_0103_4 よく分からないと言えば、この時期に何故白くなるのかも分からないそうだが、山でも丁度この時期に全然種類が違う”マタタビ”がやはり一部の葉が白くなってしまう。

”猫にマタタビ”と言われるようにライオンや虎など猫科の動物はこの蔓の匂いにはメロメロになってしまうのがよく知られているが、”マタタビ”の語源は歩き疲れた旅人がこの実を食べてまた歩き出せるように元気になった「又旅」からきているといわれている。

Img_0105_2 私も、この実はよく食べたものだが、今の時期白くなった葉を見つけて、目印に使った覚えがある。花も葉も写真のようにキウイによく似た花を咲かせているが、同じ仲間のキウイやサルナシは白くならないようだ。

先日は、アケビの小さいのを沢山見たし、今日の写真でもマタタビは沢山実をつけそうな感じがするので、山の生り物はかなり期待が出来そうだ。

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今日の花。左、車百合、途中の葉が一箇所から輪生状に開いている様子から車輪に見立てて名付けられた。他の草に負けそうでひ弱な感じ。右、山百合、こちらは背丈も高く、花びらの斑点が猛だけしいので、太陽越しに写してみた。何れも小田貫湿原で

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2007年7月 1日 (日)

インカのミイラで遅くなる

Img_0351 いま沼の縁でモリアオガエルの卵塊を見かける。木の枝に白い泡をつけ、大きさは直径20センチ弱。

モリアオガエルは、普段めったに見ることがないし、見てもアマガエルにしては大きいなぐらいの感覚しかないので、こんな卵塊を作らなければ目立たない蛙である。

木の上に卵を産むと言うのは、外敵からの被害を少なくするためと聞いたが、孵ってから下の水溜りには、”よき餌ござんなれ”とばかりにイモリなどが口をあけて待ち構えている。それでも数の力を頼み何%かが生き残り時代に生をつなぐ、しかし、ここ最近カエルツボカビ病がペットなどの輸入に伴って持ち込まれているようで、この病気が拡大する兆しが心配されている。

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P1010070 今日は、九時からNHKで「失われた文明」インカのミイラについての放送があり、それを見ていたのでブログが遅くなってしまった。

三十数年まえ、初めて飛行機に乗った。それも、国際線に一人で、ロスアンジェルス経由でペルーに行かされて以来、この国は私にとって特別な国であり、このような番組があると何をおいても見てしまう。そう私は中南米、特にペルーファンである。

そして、まだ30代だったわたしはペルーで、現地の人に囲まれ、手書きの日本語とスペイン語対比辞書を頼りのつたない言葉で仕事を進める中、何ども腹を立て、何度も予想外の経験をしてきたが、その全ては異文化を理解できなかったことにある。(写真、右から二人目が私、その後が人夫頭ラモス、その右運転手のパチョン。他の二人は失念)

そして、その原因はスペインに侵略され、カトリック改宗によって出来た風潮だと思っていたが、今日の放送ではインカ時代の文化が今でも根底に消しきれず残っているそうだ。

今になって思うと、アンデスの標高4,000m付近にはまだ、インカの残渣が多分に残っていてそんな現場で仕事をしていたのに、見る余裕も少なくただ若さに任せてカリカリしていたんだなと感じる。そう思うと、残念なことであるが、、、それにしても、行った所とは違っていたが画面に出てくる海岸や木のない風景は、なつかしい~

時間も遅くなり、寝くなったので今日はこの辺で、、、、

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