空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上 王維
昔、漢文の授業で習った漢詩のひとつだが、自分が山に求めている気持ちと相通じるところがある。
大意としては、ひっそりとひと気の無い山、人は見えないが何処となく人の声や生活音が聞こえてくる。夕方になって木の間を分け入って入ってきた日の光が静かに苔の上を照らしている。という感じなのかな
ゆっくりと踏みしめる足元から腐葉土の匂いや枯葉をカサコソと鳴らして歩くのが楽しみで私は単独で登るのが多いが、杉や桧の植林帯でほとんど表土を持たない山はかなしい。
世界の最高峰エベレストを初めて登ったイギリスのヒラリーは、「山がそこにあるから」と言ったそうだが、いかにも欧米人の言いそうなことだと聞いた覚えがある。(若いころの自分にもそんなところがあったので、強くはいえないが、、、)
そのエベレストを含むヒマラヤのいまは、登る人、それをサポートする人で一組だけでもかなりな人数になるそうだがシーズンに入って何組も入ると、それこそ人でごった返しているらしいし、登山後の後始末などできる余裕もないので塵だらけだそうだ。
そうした、集団登山は勿論、山ですれ違う旗を持ったガイドを先頭にした観光登山や声高の小母さんグループでは山の匂いや小さな谷のせせらぎ、小鳥の声などを楽しむことは出来ないだろう。ただ「登ってきました」というだけの登山はしたくない。
山高きをもって貴うとからず
樹多きをもって貴しとなす 後省略
これも、まるっきし同感というわけではないが、落葉樹の多い山は上を見て下を見てと楽しいことに逢うチャンスが多い。
本日は、むし暑くうっとうしい雨にとじこめられての妄想から、、、
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今日の花。左、大板屋明月(オオイタヤメイゲツ)、楓の仲間だが葉が赤くならず黄色いまま散る。葉の割りにプロぺラ形の種が小さい。右、榎(エノキ)目立たない花を咲かせている。
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