臭いのも許せる
臭木(クサギ)の花。もう終わりかけているが相変わらず芳香を放っている。
傍で見ると、白い花の先に長くおしべを突き出し一昔前のマスカラで突き出させた睫毛のように見えて面白い。
この木、せいぜいが5mに満たない低い木だが、若い葉っぱに触ると嫌な臭いがして避けて通ったものだ。
しかし、花の匂いは葉からは想像できないほどの香りがしてしばらくたたずむことがあるほどだ。そうなると不思議なもので、葉っぱの臭いのも「若葉が虫に食われないための自衛策さ」と許してしまうところがある。
さながら、外見に似ず付き合ってみたらいい人なので少々の欠点は「まぁ いいか」という具合に、、、。(これを痘痕もえくぼと言う)しかし、これが逆になると、することなすことに腹が立つ。選挙前の内閣がそうだったように。
先日本屋の新刊書コーナーに、”人間見た目が九割”?とかいう本が並んでいた。手にとって見たわけでないので中身を知らないが、人生長くやっているとそんなところが多分にあり、テレビに出て来る人を見て「この人良い人 悪い人 普通の人」と、欽ちゃんまがいにすぐに決め付けてしまうようだ。
年をとってから心を許せる親友が出来にくいのは、こんなところにあるのではないだろうか。となると、若いときに得た親友を大事にしなければならないが、何れも遠くにあり急場には間に合わない。
急に秋風の気配がしだした今日の散歩道、雉の親子に出会った。向こうさんとしては、私なんかとお近づきになりたくないが、さりとて、子どもは親並みの大きさにになっているが、飛び立つにはまだちょっと難があるらしく道を先導するようにチョコチョコと小走りに走る。
結果的に親が取った作戦は、二ヵ所で子どもを藪にくぐらせ、自分は私を充分に引き寄せた所で飛び立つと言うものであった。私はその作戦に乗ってあげたが、さぞかし雉の親は「馬鹿な人間メ」とほくそえんでいたことと思う。
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今日の花。左、カンナ、神無月に関係があるのかと思ったがそうでなく、お釈迦様の怪我を地に咲いた花といわれ、真っ赤な花はその血のせいだと言う話しがある。右、トロロアオイ、今朝がたの雨に打たれて重々しく垂れていた。
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