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2007年8月31日 (金)

臭いのも許せる

Img_0067 臭木(クサギ)の花。もう終わりかけているが相変わらず芳香を放っている。

傍で見ると、白い花の先に長くおしべを突き出し一昔前のマスカラで突き出させた睫毛のように見えて面白い。

Img_0092_2 この木、せいぜいが5mに満たない低い木だが、若い葉っぱに触ると嫌な臭いがして避けて通ったものだ。

しかし、花の匂いは葉からは想像できないほどの香りがしてしばらくたたずむことがあるほどだ。そうなると不思議なもので、葉っぱの臭いのも「若葉が虫に食われないための自衛策さ」と許してしまうところがある。

さながら、外見に似ず付き合ってみたらいい人なので少々の欠点は「まぁ いいか」という具合に、、、。(これを痘痕もえくぼと言う)しかし、これが逆になると、することなすことに腹が立つ。選挙前の内閣がそうだったように。

先日本屋の新刊書コーナーに、”人間見た目が九割”?とかいう本が並んでいた。手にとって見たわけでないので中身を知らないが、人生長くやっているとそんなところが多分にあり、テレビに出て来る人を見て「この人良い人 悪い人 普通の人」と、欽ちゃんまがいにすぐに決め付けてしまうようだ。

年をとってから心を許せる親友が出来にくいのは、こんなところにあるのではないだろうか。となると、若いときに得た親友を大事にしなければならないが、何れも遠くにあり急場には間に合わない。

Img_0071_2   急に秋風の気配がしだした今日の散歩道、雉の親子に出会った。向こうさんとしては、私なんかとお近づきになりたくないが、さりとて、子どもは親並みの大きさにになっているが、飛び立つにはまだちょっと難があるらしく道を先導するようにチョコチョコと小走りに走る。

結果的に親が取った作戦は、二ヵ所で子どもを藪にくぐらせ、自分は私を充分に引き寄せた所で飛び立つと言うものであった。私はその作戦に乗ってあげたが、さぞかし雉の親は「馬鹿な人間メ」とほくそえんでいたことと思う。

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今日の花。左、カンナ、神無月に関係があるのかと思ったがそうでなく、お釈迦様の怪我を地に咲いた花といわれ、真っ赤な花はその血のせいだと言う話しがある。右、トロロアオイ、今朝がたの雨に打たれて重々しく垂れていた。

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2007年8月29日 (水)

鶏頭?鶏口?

Img_0050 午後になって一雨来た途端気温がズンと下がった。

いままでもテレビなどで「打ち水をして気温を下げよう」などと言っていたし、暑いさなかに井戸水を撒いていたが一向に効き目があったようには感じていなかった。それが、たいした降りでもないのに一気に下がるとは、、、、、

七十二候によると今日は「天地はじめて涼し」だという。まことに時宜を得た言葉と思う。

秋の花、鶏頭が咲き出した。真っ赤な先端は怒った鶏のとさかそのまま。どこかに突進しそうだ。

先日「鶏頭となるも牛後となるなかれ」と書かれた文章を見て「ふんふん」と通過しそうになったが「はて?」とつまづいた。なんだか口当たりが悪い。考えてみたら「鶏口となるも、、、、」の間違いだ。

しかし、良く考えてみればどっちだってそんなに変わりはしないのではないかって気もするんだがどんなもんだだろう。どうして、頭が偉くて尻がへぼいのかなども含めると、口も頭の違いなど、、、、、

この言葉、中国の戦国時代というから、今から2,200年以上もも前に蘇秦という弁舌の徒が、強国 秦と対向させるため他の六ヶ国の国王に説いた説である。

この言葉、王様側から言わせれば、いままで通り自由気ままな暮らしが出来そうな幻想は心地よく響くには違いないが、国民から見ればそんなことどっちだっていいこと、暮らしがしやすくなれば、、、、

今風に言えば、企業のTOBを受け入れるかどうかの時に使える言葉であると思う。一所懸命に育てた所でマネーゲームよろしく乗り込む真似をして荒稼ぎしていくハゲタカファンドや、業界の順位を上げるために大手同士の合併に巻き込まれる社員。

最近は鶏の尻尾のつもりが、いつの間にか牛の胴体の辺になったり、牛の尻尾のつもりが糞とともに地面落ちていたりして、就職の時に予想していた暮らしはは何時どう変わるか分からなくなければ、企業への忠誠心なんて、、、となっても仕様がないだろう。

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今日の花。左、オニハス  右、ホテイアオイ  何れも麻機遊水地で

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2007年8月28日 (火)

わしはサプリメントか

六年ぶりとかの月食も夕方からの厚い雲で見られないと思っていたが、八時過ぎ表を見たら、薄い雲の間から三日月形の月が出ていることに気がついた。ラッキーとばかりカメラで撮影したが,

何れもブレていて公開出きるものはなかった。

Img_0076 その昔、”草木も眠る丑満つ時”と言えば、今で言う午前二時ころを指し、街中の灯は消え人っ子一人いない夜の世界で、魔界の者の時間であった。( 霞に煙る静岡県庁付近。未(ヒツジ)刻にはもっと煙って、、、)

ところが、今では一晩中灯がともって人間の動かない時間がなくなって、魔物の出る余地はなくなった。かわって、この時期あまりの暑さに、我が家の近辺では午後に入ると、ほとんど街中にひとけがなく、草はしおれ”草木も眠る未(ヒツジ)満つ時”といい、魔物はこの時間に蠢きだしていると言ったほうが当たっているのではないかと思うほどになってしまった。

この暑さも、明日からは一段と下がると天気予報が言っているが、そうして欲しい反面、これで今年も、、、と思うとなんだか、、、ね~

昨夜は、世界陸上選手権大会の中継を見ていた。これを見ていて感じたのは、やはり、民放にこういう番組は向かないのかなということである。

その前にやった水泳でも感じたことだが、アナウンサーなどが大げさすぎることにある。1万メートルの決勝で周回遅れになったにも拘らず日本人選手が「16位になりましたまだまだいけるでしょう」とか、マラソンで後2kmになって、先頭を走っている選手が見えないのに大騒ぎをしているなど見ていられない。

視聴者よりマイクの前の人が興奮し喜んでいる。もっと視聴者が手に汗を握って応援できるような解説の仕方が出来ないものだろうか。

ただ、見ていて感心したのはハンマー投げのサークルから見た防護ネットのすき間の狭さ。よくあそこを通して鉄球を飛ばせるもの、とか、女子100m決勝のゴールした瞬間5人が一斉になだれ込んで写真判定でもなかなか結論が出ないほど実力伯仲の場面が見られたことなど、マイク前の人に関係なく映像だけで楽しめた。

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Img_0101_2 天気予報は明日からしばらく雨が降りそうだというので、麻機の上の山を歩いてみた。やはりこの暑さで植物もおかしくなったと見えて、八重山吹やサフランモドキが狂い咲いていたうえ、ウラギンシジミが2羽(頭)つかず離れずついてくるので立ち止まってみると、そのうち足元にとまった、「はて、これも狂ったのかな」と思ったら、汗を吸いだした。

多分塩気にミネラルを感じたのだろうか「わしはサプリメントか?」

今日の狂い咲き。左、八重山吹 右サフランモドキ。何れも春に咲く花のはず

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野葡萄が早くも色づきだしてきた青から白くなり、そして、濃い紫に艶まして来れば秋は深い

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2007年8月27日 (月)

身体調査

Img_0012 暑い夏の日差しにさえぎられてしばらく麻機遊水地の東側のほうに行っていなかったが、今日は曇り空。気温も30度ほどだったので出かけて見ることにした。(写真は仙人草)

八月に入って来たことがないような気がするほどご無沙汰をしていたら、やはり季節は随分と進んでいた。

Img_0018 まず、蓮の花がほとんど終わっており、蓮の実が入ったガクも茶色く枯れてボッタッテ(静岡の方言)いるし、ヌスビトハギも眼鏡のようなひっつき虫をつけて、通りすがる人の裾にくっつかんものと待っている。

Img_0022 そのなかで、仙人草があちこちの草や木の枝に蔓を絡ませ、白い花をびっしりとつけている。傍に近寄ってみると4枚の花びらの上にオシベとメシベをてんこ盛りに盛り上げ、自己主張をしているが、私が見たときには蝶も虫も他の花に出張中で全然見当たらなかった。さしづめ厚化粧の花魁がお茶をひいている図といったところか。

この時期、仙人草によく似た花にボタンヅルというのがあるが、葉の格好と場所から仙人草と見受けた。

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今日は、安倍第二次内閣の組閣の日だとのことでテレビが騒ぎ立てていたが、前回のお友達内閣では不祥事が多かったので、今回は身体検査と称する身元身辺調査を厳重にしたそうだが、国会議員でこれに耐えうる人がどれだけいたのだろうか。

とにかく、今度の内閣では上手に隠せた人ばかりと思う、あとは、法案提出などの際は、我々にも良く分かるような説明、質疑をはぐらかさないで、きちんと話し討議してもらいたいものである。

とにかく、参院選惨敗を自分のせいではないと責任転嫁し、居座った首相がどう政治の舵取りをしていくのか、、、、、、あまり期待はしていないけどね。

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今日の花。左、タコアシ、秋になると花から出来た実が、たこの足のように赤く広がる所から付けられた名、右、野小豆、小豆の原種とも言われている。花はよく似ているが蔓のところがチョットね

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2007年8月26日 (日)

夏肥りを心配しながら

Img_0010 昨日今日と長野から秋の便りが届いている。

わたしは、水密桃の柔らかくて果汁が滴るものより、固くて歯ざわりのあるものの方が好きなので、それを知っている友人がこの時期になると見つくろって発送してくれる。また、義弟の知り合いの農家からもプルーンを送ってもらい、あちこちに配っているがかなりの量なので消化しきれず、かなりのペースで食べなければならない。

じつは、この時期に取れるプルーンは少し大ぶりで味というか糖度が少し少ないため送ってもらったが、もう10日ほど後に取れるプルーンのときには、長野まで採りに来てくれといわれ、毎年行っている。

このほかに葡萄もあり、いまからの我が家は秋の果物だらけになる。

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先日聞いた話であるが、以前は夏になると暑さまけをして食欲がなくなり、痩せるのが通常だったが、最近は暑いと家に閉じこもってクーラーをかけ外出をしなくなる、そうするとすることがなくなりゴロゴロの合間にポテトチップなどを口にするため、我々のような環境のものは、夏に激肥り。肥ればさらに動きたくなくなり、メタボリックシンドロームは深みに嵌っていく

「風が吹けば桶屋が儲かる」という格言?よりもよほど説得力のある言い方だと思った。

わたしも、気にはしているが朝方でも一時間ほど歩き回ってくれば、それこそ全身 服からズボンまで汗だくの濡れねずみ状態になり、小原庄助さん並みに朝シャワーを欠かせなくなり、それが嫌で歩く距離も減少する。

果物好きにとって、目の前の桃やプルーンは目の毒であるが、食べなければこれまた”モッタイナイ”まさに、ハムレットの心境になる。

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今日の花。左、白山フウロ  右、紫ニガナ、いずれも竜爪山で

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2007年8月25日 (土)

まだ終わってなかった夏休み

Img_0007 いやぁ、今年の夏休みも孫たちが帰った時点で終わったものと思っていたが、唯一来ていなかった孫娘が「お父さんも行くから、川遊びに行こうよ」というので、こんどはお客さん気分で出かけることにした。

若干のバーベキューと泳げるような支度をして出かけた。今日は、孫の両親が付いてきてくれたのでほかへ目を配る必要もなく、好きなように遊べると”河童の川流れ”ならぬ”じいじのドンブラコッコ”だと流れに身を任せて下る。

しかし久し振りの感覚はすぐ消えた。水量の減った川ではあまり距離がない上、水中の岩角が鋭い。また、過重の体重は歩く際に足裏の負担が思っていたより大きく痛い。

結局は、切り傷2箇所を作ってリタイヤし、テントの下で焼肉担当に交替してしまった。

何事も。昔は、、、が通じなくなったのをさらに実感させる一日だった。

そして、夕方。「流通センターの祭りの花火が家の中から見えるので、食事においでよ」と知人が言うのでまたノコノコとお出かけ、結局は誘惑に負けてビールのお呼ばれ。(かなり呑みすぎてしまった)

自動車は、「明日の朝、取りに来れば散歩に丁度よい距離だよ」といわれ、代行でなくタクシーでご帰還。眠いので今日はこの辺で、、、

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今日の花。左、女郎花、 右、山ホトトギスImg_0132 Img_0147

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2007年8月24日 (金)

尻たかだかと

Img_0138 筋黒蝶(スジグロチョウ)。やっと最近まで紋白蝶と区別がつかなかった。つまり、白い蝶は紋白蝶。黄色い蝶は紋黄蝶ということで、片付けていたためである。

昨日までの疲れ休めと称して、有東木に「うつろぎ」へ蕎麦を食べに出かけた。私にとって、ここの蕎麦は安い上、静岡では結構上位にランクされるものと思っているので月に一回ぐらいのペースで出かけている。

標高600mぐらいか、気温も一段と低く24度ぐらいしかない。谷の縁にあるため瀬音は喧しいぐらいだが風は心地よい。

食事前に、付近を散策していると、上記の筋黒蝶がいくつも乱舞していた。丁度交尾の時期だったらしくひとつのメスの周りにいくつものオスが飛んで機会を狙っている。

メスのほうも、準備が出来た合図に尻を高々と上げて待っている。ただ不思議なのはオス同士の争いが見られないことであった。なんだか交替にご機嫌伺いをしている様子、いかにも平和思考の蝶に見えた。しかし、農家にとってはこの後が厄介なことになることが目に見えているので、ただ、平和思考だなんて喜んでいるわけにもゆかまいて、、、。

今日も、夕方から一時雨が降り熱気を取り除いてくれた。何だかんだと言っても季節は少しづつ秋に向かっていく。

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今日の花。左、オオカッコウアザミ、薊の仲間ではない。南アメリカが原産で日本では1年草だとのことだが、何処で逃げ出したか、日本でも越冬するようになったのか、野に咲いていた、、、、、。右、ツルボ、あわい紫色が涼しげ、咲いてる場所も明るい木陰のせいもあってか

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2007年8月23日 (木)

「こんなにもあったよ」と

Img_0127 処暑”、酷暑の勢いはとまり涼風の吹く季節になる日。という。その言葉に義理立てしてか、昨夕以来の雨により今朝は一段と涼しさを感じる朝を迎えた。

昨夜は、月下美人を見ながら、高校生の孫を相手に政治の話したが、今朝ほど分からない話なので「相槌だけを打っていた」と連れ合いに話したそうだ。(なあに、分からなくて良いんだ、、、)

そして、それに恐れをなしてか、午前中に帰って部活と宿題をやらなきゃ、と言い、清水のエスパルスドリームプラザを回ってみやげ物をみつろい、久能海岸を回って帰ることにしたいというので、ぐるりと回って送り届ける。

残った小学校3年生はまたしばらく逢えないことにガッカリと落ち込みながらも、「ひるから釣りに行こうよ」というので、釣り道具を調え遊水地に向かう。

しばらく、釣れなかったものの魚にも食事時があってかパタパタと釣れだした後、じいじの釣り針に甲羅が20cmほどのおおきなゼニ亀が食いつき糸を切られ、すぐその後に孫の釣り針には、40センチを越す鯰がかかって危うく竿を折られそうになって、糸が切れた。

「じいじ 大きかったね」両手を広げて「こんなにもあったよ」と幼い太公望はいう。「逃がした魚(亀)は大きい」ことを二人で確認しあい、山幸彦のように釣り針のない竿をもってニコニコ顔で帰る。

この孫も送り届け、じいじの三日に渡る奮闘は疲れの極地に達し、我が家の夏休みはようやく終了したという感じがする。(今夜はぐっすりと眠れること間違いなし)

この孫たちがいまの自分の年頃になったとき、その孫に対して「爺ちゃんのじいちゃんはこんなんだったよ」と言ってくれとしたら、それこそ、雲の上で(そんなとこにいるかどうはわからないけど、、)地団太を踏んで喜び、転げ落ちてしまうだろう。だが、今一番の願いは、このまま気温もさがって欲しいと、、、、、、

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今日の花。左、葛(クズ)秋の七草のひとつ、目には見えねど秋はひそやかに近づく。右、高野箒(コウヤボウキ)花が箒に似ているためかと思っていたが、そのほかに高野山で実際に箒として使われていたという話もあって面白い。Img_0099 Photo

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2007年8月22日 (水)

こまっちゃうな

Img_0104 気温も36度を越して、昨日今日と今年最高を更新しているさなか、じいじは孫三人に振り回されている。

男ばかりの孫を引き連れ、日中は安倍川支流の玉川に行き、夕方からは市営の健康増進館「ゆらら」でまた水遊びのおとも。

まったく疲れを知らない子どもの相手と照りつける太陽に、じいじは”ゆらら ゆらら ゆらゆらゆらで、、、”とリンダ並みに疲れて「こまっちゃうな」状態である。

そして、「ゆらら」ではつい眠気が出て露天のジャグジーでひとり、半眠り状態で浸かっていると、折から”逢魔が時”を思わせる怪しげな雰囲気。

西空に夕焼けの雲が少し、真上に渦を巻いたような濃淡含めて黒い雲は西洋のドーム型天井のように吸い込まれるような感じがする。思わずシューベルト歌曲「魔王」の光景を想像し、若いころ歌った労働歌「地底のうた」を思い出して口ずさんでいた。

Img_0118 午後9時過ぎようやく帰ってくれば、 今年4度目の月下美人が満開に近い状態で待ってて清冽な香りを漂わせてくていた。上弦11日の半欠けの月とあいまって雨上がりの涼しい夜を演出してくれている。

写真にしてみたが、帰ってから入ったアルコールのため(にしておこう)これが精一杯。

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2007年8月20日 (月)

チャボだのキツネだのと 竜爪山

Img_0029 久し振りに登った竜爪山は気温22度と気持ちのよい朝を迎えていた。

穂積神社側から登ったのは一年以上前だったような気がする。こちら側からの登り道は一部で鉄製階段が付けられているため、なんだか停まったエスカレーターを登っていくようで面白くない。

Img_0032_2 きょうの目的はチャボホトトギス。キツネノカミソリは多分遅いだろうけど、小さなチャボの方は多分咲き始めている時期だろうと見当を付けて行った。

Img_0021 上りだしてすぐに、山路のホトトギスが咲いていた。(写真左)

この花「山ホトトギス」というのもあって区別が難しい。下で逢ったおっさんに「ヤマホトトギス」と修正されたが花びらの折れ目に班が入っているかいないかで判断するそうで、私としては、山路のホトトギスのほうが名前に情緒があるようで好きなので、おっさんに逆らって「山路のホトトギス」にした。(間違っていても責任は取らない)

途中、名前の知らない花を写したりして、峠(乗越し?)に着くとキツネノカミソリはどうも終わったようでいい花が見つからない。この調子ならとばかり薬師岳をを過ぎて矮鶏ホトトギスの咲いているところに行くと丁度よい時期に当たったらしく、あちこちの木陰などに黄色い花を地面から茎も立てずに咲いていた。

この花一日花なのでよほど大きな群落でないとすぐに終わってしまうので、タイミングが難しい。

Img_0069_3  さて、帰りにキツネノカミソリの群落しているところに行くつもりだったが、蔓人参の花を見ているうちについ下山してしまい、途中まで下ってから思い出したものの「ええい、来年があるさ」と降って来てしまった。(写真左)

それにしても、今日はホトトギスだのチャボだのキツネだのと動物の名がついた花が沢山出てきたもんだ。

午後から天気も崩れそうだというので、朝早く登ったため下ってきたのは十一時過ぎ、テレビを見ると飛行機の火災の映像が映していた。幸い全員無事ということであったが、飛行機もお国柄というか怖い国もあるようで、、、、、、

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今日の花。左、水玉草  右、釣船草何れも穂積神社境内にて

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2007年8月19日 (日)

30度でも涼しく

Img_0004 高砂百合、鉄砲百合とばかり思っていたが鉄砲百合は六月ころに咲き、いま咲いているのは別名を細葉の鉄砲百合だとのことだそうだ。

昔の鉄砲はこの花のように先端が開いていたという話も聞くが、日本では種子島からこっち開いていないような気がする。

とにかく花の時期も終わりを告げ、秋がついそこまで来ていることを予感させている。

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ここ2日間の曇り空のおかげで気温が大分下がって涼しくなったような気がしている。気温的にはその前の殺人的気温から下がって入るものの、相変わらず30度を割っていないので気分の問題もあるのかもしれない。

また、上り続けていた株価も一転急落し、さらに下がり続けているようでこちらも肝を冷やしている人がいることと思うが、親父の持っていた株を売り払って以来カブというものは野菜の蕪しか扱ったことのないものにとって良く分からない話で論評の仕様もない。

それにしても、竹中平蔵元大臣が久し振りに顔を出して、「景気がよくなっても一般の人に実感がないというがバブルの時もそういう人がいた。いまの景気は物価が上がらないから」と言っていたが、やはり経済を勝ち組の人から見るとその程度なのかなとおもう。

我々が、実感がないというより悪くなったと思っているのは、収入が上がらないだけでなく税金の控除廃止と住民税の増税(所得税の付け替え以上に徴収)や健康保険や介護保険料が増え、弱い者いじめの政策が続いているからである。

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今日の花。左オクラの花、野菜の花で一番きれいといった人がいたがさもありなんとしておこう。右、ゴーヤの花、最近目立って増えてきたが、そのうち流行が済めば、、、、となる。

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2007年8月18日 (土)

夕焼けをながめて

Img_0068 朝方一部に青空が出ていたが次第に雲も厚くなり、気温の上がり方も久し振りにひくかった。

昨日は、長野からの客人を連れて中伊豆でうろうろとした後、沼津の海岸端の民宿に一泊した。希望が「宿は寝られればいい、美味しいものが食べられれば」ということだったので決めたのだが、希望に添えて満足して帰ってきた。

夏休み中、使ったことのない宿だったので幾分賭け気味の選択だったが、海鮮料理は若い人でも食べきれるかどうかというほどあり、新鮮だった。

また、夕焼けがきれいで雲間に沈む太陽を見ての食事は、温泉宿ではなかったという不満も解消してくれ、翌日の富士山に期待したがこちらははずれ。

楽しい一日を過ごさせてもらった。

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2007年8月16日 (木)

蝶も避暑?

Photo まいにち毎日暑い暑いといっても仕様がないことかもしれないが、報道で最低気温が29度だの、岐阜や埼玉で40度を越したといわれるといまさらながら堪える。(写真左はサトキマダラ)

この気温は、直射日光が当たらないところの温度だから、実際の日向はどれだけ上がっていることやら。

それを見越して、今日は朝八時前から私の家の南側約2,5kmの所にある愛宕山に行ってみた。愛宕山といっても標高差は100mほどの小山であるが、参道は木が茂り薄暗いくらいの感じがする。

この参道を登り始めるとジャノメチョウの仲間がかなりいて暗い樹幹や参道を道案内するかのようにひらひらと舞っていた。少し明るいところでは、長崎アゲハ、モンキアゲハ、ヒョウモンチョウなどそれこそチョウたちも暑さ避けにこの山に集まっているかのようだった。

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午後になって、長野から知人が来たので、久し振りにビアガーデンに行ってきたが、屋上にも風が少なくねっとりとした暑さの中のビールはどうだったのだろうか。

愛宕山の蝶。左、クロコノマチョウ?右、クロヒカゲモドキ?いずれも薄暗い木の下にいてフラッシュ撮影になったが蚊に気を取られて上手く写せず、名前もはっきりしない。

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2007年8月15日 (水)

敗戦の日に

Img_0179 山法師の実がいろん(熟す)で来た。

直径1,5cmほど、サッカーボールの縫い目のような模様をつけ赤黒い実は甘くて、子供のころの貴重なおやつであった。

いまのように実が熟して落ちても誰も手をつけないようなことはありえず、見つけしだい人に取られまいと食べてしまったものだった。

そして、そのころの名前は「イツキの実」と言っていたが、ひょっとするとごく近い仲間の水木(ミズキ)と混同して大人が教えてくれたのかもしれない。事実、水木とは花や葉がそっくりであるが、水木は黒い小さな実しか付けない。

そこで、じいじは懐かしく、またもったいなく思い、手の届くところにある実を小籠にいっぱいとってきたが、誰も1個以外手をつけるものがいない。

アケビのときもそうだったが種が面倒くさいのか、こんな味を楽しむものはいないようだ。じいじにしてみれば下手な菓子よりよっぽど美味いのだがな。

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62年前の今日もこんな風に暑い一日だったことを小さい子供心に憶えている。

谷あいの小さな集落でラジオを聞いたのだが、意外と騒ぎ立てる様子もなく、一様にホッとしてたような感じを大人に見たのは、どうしてだったのだろうか。

生活が疲弊しきっていたことも確かだが、「欲しがりません勝つまでは」の名のもと、あらゆるものが統制化におかれ、思っていることも”非国民”と言われないように口に出来なかったことに対する閉塞感もあったのではないだろうか。

戦後、「何から何までアメリカに売り渡して」と言った政治家がいたが、イラクやベトナムのように占領軍に対して抵抗運動が起きなかったのは、あまりにも戦争中の指導者が国民の意にそわない政治をしていたためとおもう。

その証拠に、A級戦犯が判決を受け処刑されたときにも、減刑運動などが起こったとは聞かなかったし、国民は平然としていたように感じた。(戦争責任を一部に押し付けて知らん顔をしたという意見も聞いた)

先日「A級戦犯は何を語ったか~」という番組で、天皇に戦犯容疑がかからないように努力したようだが、その人たちが靖国神社に合祀されたことに、天皇は不快感を示していたと側近のメモ帳などに見られる、ここにも何か深いわけがあったのではと推測される。

また、裁判を始めるに当たって「人道に対する罪」というものが作られ、それにのっとって裁かれた人もいたが、その伝で行くとアメリカの原爆投下も非戦闘員対称なので罰せられるべきではなかったかと思うし、いまのイラクを見てもアメリカが訴追されるような雰囲気ではない。つまり、裁判は公平ではないことに言いがかりをつける根拠を与えているのではないだろうか。(旧ユーゴやカンボジアではこれを元に裁判が、、、)

また、今日を「終戦の日」としているがはっきり言えば「敗戦の日」なのである。日本がボロボロになって無条件降伏した日なのである。変な言葉遊びで事実を覆い隠さず、戦争についてもっと真摯に向かってこなかったことが改憲などで混乱している原因なのではないかなど、いろいろと暑さボケの頭で妄想してみたが、

     如何!

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今日の蝶。左、ウラギンシジミ。羽根の裏が銀色?一色のしぶくて小粋な蝶。とまる時は大抵羽根を立てるので、派手な模様が見えにくい。右、ツマグロヒョウモンチョウの雄。この蝶はメスのほうが模様がしっかりときれいに見えるのだが、、、、豹柄の生地は高いいんだよ、って

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蝉考

連日の猛暑にやられているのか、先日の長距離運転にやられたのか分からないが、どうも気力が乗らない。

あちこちで夏の行事もあり、山登りにもよい季節と思うが、なんだかだと理屈をつけて動けない自分が別にいる。

久し振りのミンミンゼミ。始めは耳鳴りでもしているのかと思ったほど遠くに感じた。

映画の背景音として、ミーンミンミンミンと波を打つように鳴くミンゼミは汗を拭きながら歩く、暑い夏を思い出させ、カナカナカナとかぼそい声で鳴くヒグラシは日差しもひくくなった秋の夕方、座敷で聞く場面を思い出させる。その点、クマゼミやアブラゼミなど他の蝉は表現力に劣るので映画に使われることはまずない。

まえに、日本人は虫の声を聞き分けて観賞するが、欧米ではただの雑音としか捉えていないと聞いたことがある。先日のテレビでも見たが、アメリカでは”17年蝉”という蝉が居り、今年はその蝉が一部の地域であるが大発生したそうだ。

その鳴き声は放送されなかったが、すざまじい数の幼虫が木に登り、羽化している様は、多分現地にいれば気持ち悪くなるかもしれないし、その半数が鳴いたとしたらどんな状態になるのか、雑音、騒音はとっくの昔に通り過ぎ音の暴力になって、観賞どころの騒ぎではないことがよくわかる。

日本でなら、半分くらい退治してしまえとばかり殺虫剤を撒いたかもしれない。なにしろ、極端なこと、異例なことを嫌う国民だから、、、、

なにはともあれ、一刻も早くカナカナゼミを聞く季節になってもらいたいものだ。

今日の花。左、山百合、大きな花は遠目にもよく目立ち、まさに夏の女王といった雰囲気かもし出している。右、黄釣船草、藪陰でひっそりと咲いているがこれもかなり目立つ。

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2007年8月13日 (月)

がまんくらべで ハッケヨイ

Img_0167 明け方の田んぼには気温の低下によって空気中に持ちきれなくなった湿気が露になって光っている。今しばらくの清涼感を与えるかのように、、、

今年から35度以上の気温があった日を猛暑日というようになったそうだ。

いままで25度以上の日を真夏日と言っていたが、あまり多いので別区分を作ったのだが、ここ10年の猛暑日は30年前の3倍近いというから驚く。

「昔は、クーラーも扇風機もなしで暮らしたんだ」といっても「当たり前だ、昔はこんなに暑くなかった」と言われればシャッポを脱がざるを得ない。(なんとまあ古い言葉、、)

そんな中、今日も横綱 朝青龍と野次馬報道陣が我慢比べを演じている、とんだところでハッケヨイ!とばかりに。

テレビは、話題が夏枯れしているのか何処の局もこれを取り上げカンカンガクガクとやっている。朝早くからカンカン照りになる路上で待機しているカメラマンと記者。

たかが相撲取り一人こと、どっちに転んでも大したことないのにアホらしくないのだろうか。また、横綱のほうも多分クーラーをかけていると思うがカーテンを締め部屋に監禁されているような篭城をしている。

見ていると協会を含めて暑さにやられたのか、次第にどつぼにはまり込んで落としどころが見えなくなってきているように感じる。外野席も相撲道がどうだとか、品格がどうのこうのといっても、上から下まで品格のない社会がひとり横綱にだけ相撲道が求めても無理だわな。

首相からして居直っているの国だもの、涼しくなるまでこりゃだめだね。

今日の花。左、大待宵草 右、鷺草、涼しげな単色の花、こんな花にそこはかとない品格を感じてしまい、見ていると気分的に涼しくなるのだが、、、、Img_0168 Img_0171

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2007年8月12日 (日)

留守の付けは庭に

Img_0076 8日の夜は岐阜で、九日は愛知で泊まり重ねて来たが、何れも夏の暑さは格別な所という意識があったので仕方ないと言う気持ちがあったが、静岡に来てからも同じような暑さが続く。

夏は夏らしい天気が続かないと良くない、と言われるが、しばらく留守にした付けが庭に出ている。”冬枯れ”という言葉があると同様に、水撒きをしなかった鉢物はしおたれ、”夏枯れ”の影響は深刻なようである。

昨夜は、遊水地で花火大会もあり、来ていた孫たちと見物に行ってきたがその帰り「あしたは早起きしてカブトムシ探しをしよう」と約束させられたが夜更かしが過ぎてか今朝ほどは目が流れてしまい起きられなかった。

ようやく10時過ぎに帽子を被って出かける孫のお供をした。案の定クヌギの木をを廻ってみたが何にもいない。

帰り道、小さな水溜りで目高取りをしようとタモを入れたら幾つかの目高とともになまずの稚魚が捕れた。はじめは、おたまじゃくしかと思って捨てようとしたくらいおたまじゃくしに似ている。

「おたまじゃくしは蛙の子 鯰の孫ではないわいな」って歌があるけど、髭がなきゃ区別がつかないほどである。「じいじ、髭があるよ。なまずだよ」ってんで、さらにかき混ぜたら五匹も獲得。意気揚々と家へもって帰った。

きっと明日、友達に「城北じいじん家で捕って来た」ってんで自慢するんだろうな。でも、餌が大変だよ。

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先日、テレビを見ていたらタレントを交えた原爆討論会をやっていたが、その中で前によくテレビに出ていたケント ギルバードが「原爆にあったのは運命だ、、、」と言っていた。

アメリカの学校の教育では、原爆投下は「戦争を早く終わらせ犠牲者を少なくした」と言っているそうだが、上手な日本語を操り、最初の来日がモルモン教の宣教師とかと聞いたことがあるのでかなり日本人の気質を知っている人(知日家)かと思っていたが、やはり、アメリカ人だったのだなと思い知らされた。

「アメリカにも落とされてもそう思うか」という質問に「そう思う」と言っていたが、それでは、9,11の連続テロでは国中パニックになって、訳の分からない戦争を仕掛けたの何だったんだろう。「運命だ!」なんて悟りきった言葉が出る国とは思えないんだけど。

おたまじゃくしは蛙の子 鯰の孫ではないわいな

それがなにより証拠には いまに手が出る足が出る

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今日の花。左、藪萩(ヤブハギ)盗人萩によく似ているが森の中で背丈も低く花も少ない、しかし、眼鏡状の実は同じようにくっつく。右、姥百合、花が咲くころには葉が枯れることから、姫が嫁に行くころには歯がなくなって乳母が姥になるという駄洒落みたいな説があるという。

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2007年8月 8日 (水)

おもしろうて、、鵜飼

Img_0174 おもしろうて 

やがてかなしき

鵜飼かな ばせう

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夕暮れ迫る長良川の岸辺で川面を見ている。対岸上空にははやくも夜間照明で稲葉城が白く浮かび出ていた。

まだ、昼間の暑い熱気が時おり吹き抜ける中、上流には鵜船が仕度し、むこう岸には観光の屋形船が次第に集まり、櫛の歯のように等間隔、整然と並び始めている。

今日は、長良川右岸の「美乃壱」という料理屋に招待された。前に鵜飼見物をしたのはかれこれ30年近く前のこと、長良川温泉に宿を取って屋形船で楽しんだことがある。その前はそう、50年近く前に橋の上から見たということで3回目になるが、こんな良い所で見せてもらうとは予想もしていなかった。

おかげで、近所の食べ物屋に行くのにカメラでもあるまいと、置いてきたのが残念であった。

7時過ぎ、予約した料亭の準備も出来たとのことで畳敷きの廊下を通り二階の座敷に案内される。我々より豪勢な客もいると見えて、三味線の音色が聞こえてきた。

部屋は、川に面して鵜飼が見られるようにしてあり4人で一室、他の客とは全然顔をあわせることもなく2時間半の食事と鵜飼見物ができるようにしてある。

一品づつ運ばれる料理、鵜舟が一隻づつかがり火をかかげて下る様は芭蕉の句そのまま。鮎の塩焼きは骨も柔らかく頭から食べられるし、最後の舟が下るころに鮎の炊き込みご飯と鵜飼に合わせての演出もきまっている。

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昨夜は、義弟の家で近所の人を集めてバーベキューに参加し、近来になくアルコールを入れてしまった。そして、今朝は立科町から上田、三才山トンネルを抜けて梓川をさかのぼり、安房トンネルをくぐって岐阜県へ、今度は高原側を下り神岡町。

ここで墓参りと秋の法事の打ち合わせのためお寺に行き、ついで、少々の故郷の味を買い寂しくなった古里を離れる。

数河峠を越え、高山から東海北陸道に入り関インターまでやく350km、千m級の峠を四ヶ所上り下りしたのちようやく義姉の家にたどりいた。その疲れも豪華な鵜飼で忘れさせてくれた、とともにカメラを持参しなかったことで本日の写真はなし。

今日の花。左、節黒仙翁。右、酔仙翁、いずれも松原湖畔に咲く、連日のパーテイで私は酔仙翁になっていた。Img_0058 Img_0027

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2007年8月 7日 (火)

ユンボで芋ほり

Img_0092 東御市八重原。明神館周りの風景は深い霧につつまれているものの、気温は20度を下回り露を踏んでの朝の散歩は心地よかった。

千曲川の川霧は濃密なミルクのような感じだが、この霧は晴れて気温が高くなるのを予測しているとのことだった。

食事を済ませ、宿を引き払って四月に植えたじゃがいも畑に行ってみると、一面の草原に変わって、何処に植えつけたじゃがいもがあるか分からない。

結局は、義弟に小型ユンボ出してもらい、畑を掘ってもらいその周りで出てきた芋を拾い集めると言う作業になった。二畝三畝と掘り進めれば、手入れもしなかったのに大きな芋がゴロゴロと掘り起こされ、100kg以上の収穫をしたところで止めた。

考えてみれば、じゃがいもの原産地はアンデスの高地であり、あそこの環境に比べれば別格によい条件なのだからと思いながら30度を越す気温の中で汗まみれになっての作業だったが空気が乾燥しているので不快感は少ない。

Img_0111 Img_0125 食事の後、信州の鎌倉という別所温泉に行き茅葺の屋根の曲線が美しい常楽寺。国宝八角三重の塔や重要文化財で鎌倉彫刻の傑作と言われる和尚坐像を納めた安楽寺。そして、善光寺を北に控え、映画「愛染かつら」で有名な北向観音と別所三楽寺参りと日帰りの湯に浸かって汗を流して帰る。

今日の花。

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2007年8月 6日 (月)

閑散としていた松原湖

Img_0007 八月六日から今日まで五日間かけて約千km車を走らせてきた。閑人なので渋滞を避け、四月に植えたじゃがいも掘りと墓参りを兼ねた旅である。

まず、六日は長野立科町で弟と落ち合うため向かっていたが、少し時間があったのと食事のため長野県の県境、野辺山を下ったところにある小海町の松原湖によってみることにした。

普段は、此処と奥村土牛の案内板を横目で見て通るだけなのでどっちによろうかなと思ったが、今回は景色を見ながら食事をということで、左側の斜面を10分ほど登り標高1,100m少しから上の猪名湖に到着した。

Img_0025_2 松原湖は、この一帯に沢山ある火口湖の総称だと言うことを初めて知った。そして、猪名湖はその中で一番大きいそうだ。

一寸見にはため池にしか見えないその湖は一周が2kmほどとか、ひと気の無い食堂で食事をした後、グルッと回ってみた。

写真の鐘は「野ざらしの鐘」というそうで、武田信玄信濃に振興した際の戦利品で屋根を作ると災害があるとかで野ざらしにしていると書いてあったが、野ざらしのわりには錆も腐食も引きずった傷もないように見え、伝説だけのものかとも見えた。

Img_0042 また、冬場は水面に氷がはり、結氷した氷上でのワカサギ釣りやさらに上のスキーが出来る時期がシーズンとかで、何隻かのへらぶななど淡水魚を釣る船と、スワン型ボートが少し出ているだけでボート屋はヒマそうにしていた。

冬になると張った氷も割れたりすることもあることから、諏訪湖同様に上下諏方神社をはじめ沢山の小さな社と民宿の脇を通って一周した。

時期が悪いのか評判ほど花もなく適当な腹ごなしをして、今夜の宿東御市の明神館に向かった。

今日の花。左、岳芹でも独活でもなかった良く分からないが見事だったので一枚。右、ソバナ、ツリガネニンジンとよく似ているが花が対生していない。

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2007年8月 5日 (日)

朝から蝉時雨

Img_0045 朝早くから蝉時雨が始まっている。短い命を知ってのことだろうか、太陽がまぶしくさす中雷がなりだしたが鳴き止む気配はない。

稲光もなく音だけで済んだと思ったが、孫からの電話で局地的な雷とわかった。

明日から、あちこちの墓参りなどを兼ねて出かけてくることにした。閑人は成るべく世間の迷惑をかけないように、時期をずらして行動すると言うのが「大義名分」であるが、こちらも混み合った道路を成るべく避けたいと言うエゴでもある。

今日の花。秋桜子。コスモスというのは秋風が爽やかに吹き、澄み切った青空をバックにして咲く花と思っていたが、近年早くから咲いている。種類が違うようにも見えないがどうしてなんだろうか。

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2007年8月 4日 (土)

スーパーはチャイナーフリー

Img_0112 胡麻の花が咲いていた。毛羽立った花は薄いピンクでなんだか上品な感じがする。

しかし、この畑にはほんの少ししか植えていないので、ここから取れた胡麻では瞬く間になくなってしまうと思われるが、どんな理由で植えたのだろうか。

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午後になってあまり暑いので、近所のスーパーへ涼みがてら出かけてみた。

なるほど、涼しく冷やしている。役所は最近のエコなんとかであまり涼しいとは言えなくなったが、スーパーではそんなこと言っていたら御客さんが他所へ行ってしまう。何しろ自動車社会だし、、、、、

こちらも同様に涼みに行っているのだから、別に買いたいものはない。しかし、近いとはいえ歩いてきたのだから、汗が引くまであちこちの商品を見て歩く。

ここで感心したのは、日本もアメリカ並みにチャイナーフリーを実行していたことだった。

まず、鰻の表示をみるとほとんどが静岡県産。さすが鰻養殖の盛んな所だけあるわい、とおもいつつ、魚のコーナー、野菜のコーナーを見て回ったが、魚のコーナーでノルウェイーやニュージランドがあったが肉のコーナーにアメリカ産がないのと同様、あれほどあった中国産野菜が目に付かなかった。

「天気が悪いのか最近野菜が値上がりして、、」とは聞いていたが、中国産がなければそうなることは当然であると思う。

しかし、商社が中国産品の輸入をやめたとは聞かないし、その辺はどうなっているのだろうか。まさかとは思うがお金儲けのためなら、、、、という人がいるので安心は出来ない。

それにしてもいまの中国は酷い。戦後の日本も安かろう悪かろうで始まり、外国産の物真似ばかりだったので、「日本人は真似をしたり改造をするが、独創的な発明などが出来ない民族である」と自他共に認めていた時期があった。

いずれは、中国も世界のリーダーになるのかもしれないが、近世まで、儒教を国の教えとし中華思想で国を纏めてきた国の面影は、役人の賄賂以外にはのこっていないようである。

今日も月下美人が四輪咲いているがお客はいない。観客がいなくて褒めてもらえないせいか開花がいつもより遅れ気味である。

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2007年8月 3日 (金)

わしもそう

Img_0041 縷紅草(ルコウソウ)が真っ赤な花を咲かせていた。蝉のションベンのようなポツンポツンと思い出したような落ち方をする雨空のもと、その赤さは、背景となる緑の葉を背にして鮮やかに輝いている。

縷という字は細くて細かいものという意味だそうだが、丁度コスモスをさらに小さくしたような葉をしている。Img_0037

同じ仲間に丸葉縷紅草というのがあり、こちらは名前の通り葉が丸い。いずれも帰化植物であり、朝方でしぼんでしまう花である。

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アメリカ、ミネソタでミシシッピー川に架かる大きな橋が崩壊し、かなりの人数の被害者が出ている模様である。日本の国土交通省がこの報道に対してすぐさま「日本では考えられない事故である」とコメントしたように聞いている。

これを聴いた時「おやっ!どこかで聞いたことがあるぞ」としばらく考えていたが思い出した。

1,994年アメリカ、ロスアンジェルスでノースリッジ地震というのがあって、高速道路の橋が壊れた時に当時の建設省だったと思うが同じことを言っていた。ところが、翌年同じ日に阪神淡路大地震があ起きた時同じように高速道路の橋脚が倒れてしまったのだ。

それだけに、ろくな検証もせず「自分とこは大丈夫」とすばやく言われるとかえって心配になる。つまりお上の言うこと、権威の言うことに信用できない耳が出来上がってしまっているんだ。

自然の力には計り知れないものがある。先日の新潟地震でも原発に想定外の力が加わったと言っていたが、なにをもって想定していたのだろうか。

ホリエモンも一時はなんでも「想定内のことです」と言っていたが、多分口先だけで、内心こんなはずではないとびっくりしていたに違いない。

そしていま、政治の世界にも自分に都合よく状況を想定して責任を取ろうとしない人がいるが、自分に都合よく想定するのが人間であることをよく表している。

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実は、わしもそう。  甘い見通しの想定、付けは高い。でも個人だから他人様にあまり迷惑はかけていないと思う。

「その話し、もう勘弁して~ナ、、」と

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2007年8月 2日 (木)

神様 恋のさや当て

昨年の今頃だったか、庭の片隅に神様蜻蛉(カミサマトンボ)がしばらく居ついていたことがある。

本当の名は羽根の黒さから羽黒蜻蛉というのだが、その羽、飛び方などから神様蜻蛉といったり極楽蜻蛉といったりするようだ。

その蜻蛉の恋物語の一部始終を見てきたので、、、

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一匹のメスが準備を整えて、オスを待つ。

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現れた二匹のオスの恋合戦、取っ組み合いの喧嘩の末川面の落ちてともに流れ去る。

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勝者が戻ってきて尻を上げ、メスに勝利の凱歌宣言をする。

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意気投合結婚する。立会人は私

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ところが、「その結婚マッタ!」とばかりに敗者が戻ってきて割り込もうとする。

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弱者最後の手段は噛み付き攻撃。これには自由の利かない勝者も我慢できず散りじりに、神様劇団の一場劇終了

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2007年8月 1日 (水)

十二双川

Img_0029 静岡市に十二双川という川がある、東海道の北側一帯の水を集めて流れる巴川の支流であるが、その昔駿府城を作るに際して木材や石垣の材料を運搬した運河のような役割を果たした川だといわれている。

巴川とは城北下水処理場の付近で別れ、約6kmで市街地を迂回して城の外掘まで通じていたようだが、今では後500mほどが何処を通っているのか分からなくなっている。

河口側からたどると、三面張りで情緒もへったくれもない水路で始まる川も、竜南小学校を過ぎた辺りから暗渠のように上に蓋をされ、再び顔を出したころには幅2mに満たない狭い水路になる。

その昔、舟を十二艘並べその上に石材を積み人力で引っ張って遡ったところから名付けられたという説もある川。いま、駿府城の未申櫓の石垣の改修工事を見ていても、1トンほどもある切石で石積みがされているが、これらの石を瀬名辺りから運んだとすると、笹舟を何艘も集めないと運べない大きさを持っていることは分かる。

しかし、現状の川はとてもじゃないがそんな昔話の面影を探しようもないほど狭くて水量が少ない。

それでも、ところどころで安倍川の伏流水からの水が湧き出しており、下水道の整備もあってきれいな流れを作って水生の虫や魚が戻っているようで子どもたちが川に入っている。

伝説や昔話を経て、新しい思い出の場所作りなればいいが、、、

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今日の昆虫。左、ミヤマアカネ、羽の両端が特徴。右、オオカワトンボ、暗い川筋をフワリフワリと飛ぶ様は幽玄的でもある。Img_0013 Img_0194

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