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2007年9月30日 (日)

立場で違う

Img_0006 今日も終日雨降りで、家の中に閉じ込められてしまった。

退屈しのぎに、スーパーにいってみたが、ほとんどが一足早く衣替えをしていて、素足にサンダル、半そで短パンは少し違和感があるようでチラチラッとした視線を感じた。

午後も退屈しのぎに、雨よけの下から手の届く範囲で草むしりをしていたが、野山にあればサギゴケも野草として写真に撮るが、家の周りに同じものが生えると雑草でしかない。

徹底的に除去するが、根が残っているのか雑草の本領を発揮して何時の間にやら元の黙阿弥となる。

よく私のブログに訪問してくれる慶さんの、「故郷に行く」を見ていたら、田舎の叔父さんに蝶の写真を見せると、「大変だ、虫がわく!ばあさん 薬をまかな!」と言われたそうだ。

私たちがアゲハや飛蝗を見て写真にするが、蜜柑畑や田んぼを持っている人にしてみれば葉っぱを食い荒らす害虫でしかないのだ。

そうなると、今年幾つかの黄アゲハを羽化させ飛ばせた私は害虫を手助けした人として糾弾されかねないのだ。同じものを見ても立場が違えば感じ方が全然違ってくる。

そして、近頃の田んぼを見ていて気づいたのは、イナゴがちっともいないことである。昔からイナゴをあまり食べない地方に住んでいたので、秋になるとあぜ道を歩くだけで右往左往するイナゴが五月蝿かったが、イナゴも蝿同様に姿を消してか虫食いの稲はごく少ない。

自然に減ったわけではない。イナゴも蝿は人にとって害虫である、でもこれらが住めないのは、、、、、いるとイヤなのだが、、、

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2007年9月29日 (土)

覇気がなくなる

Img_0088 ミズヒキ、植物のミズヒキは細い黒い花茎のまわりに点々と赤い小さな花を咲かせている。図鑑によると、封書や贈答品などしばる水引に似ているところから付けられた名前だとあるが、ミズヒキの前には名前がなかったのだろうか。小さいが目立つ花なのにね。

この近くでは、長野県の飯田が水引を作る産地で、五月に水引の展示場にいってきたことがあるが、結婚式などの後、沢山の水引の処置に困った思い出がある。

綺麗で手の込んだ造りは、もったいないがとって置いても使い道がないし、かさばるし、他の人は、どう処置しているのだろうか。

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久しぶりといったらいいのか、急にといったらいいのか分からないが、昨日に比べて一気に10度以上も気温が下がって、涼しくなってきた。

さらに、朝から僅かながらの雨がさむさをきょうちょうし、もうジャンパーを出して着込んでいる人までいるくらいの涼しさ、いや寒さといった感じがする。(私には丁度いい気温なんだけれど)

そんな雨の中、散歩に出る気もしないのでテレビに、クイズにと家に閉じこもり時間をもてあましていたが、見るともなしに見ていたなかで、「芋を洗う猿」で有名になった宮崎県の幸島を写しているものがあった。

その中で、昔は猿を追う人もいたりして猿に強い警戒感があったが、かなり前からそんこともなくなり、天敵のいない猿は「平和慣れして覇気がなくなったように見える」「集団のまとまりがなくなった」と言っていた。

そうしたことが、もとになってか徴兵制にして若者を鍛えろという記事が新聞の「声」の欄に乗ることがある。

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ミャンマーで軍政に対するデモが起き、日本人を含めて死傷者が出る騒ぎになっている。政治の腐敗から、武力を持った軍部が政権をとったものの、結局は甘い汁を吸ったため政権を手放せないでいる。北朝鮮も同様、国際社会からの勧告にも聞く耳を持たない。

そして、過去の日本もそうだった。武器を持ったものが国を牛耳ることになると、覇気を持たない国より死傷者が増えるのは歴史が教えてくれている。

すくなくとも、選挙という手段が確立していれば、政権交代という選択肢があるが、独裁ではそれがなくなるということだけは憶えておく必要がある。

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2007年9月28日 (金)

またも酷暑

Img_0004 「暑さ寒さも彼岸まで」って言うじゃないの。なに血迷っているんだっ!と怒鳴りつけたくなるような気温。  静岡では35度にもなってしまった。

ここ少しの間、気温も下がり、北海道大雪山系では初冠雪もあってやっとこさと思ってた矢先の暑さだものこたえるな~。

裏の川にあったカナダ藻を取ってきて金魚鉢に入れておいたら、盛んに気泡を上げていた。水温が上がり光合成で酸素を放出しているらしい。

なんだかそこの酸素が濃蜜になっているんではないかと、鼻を近づけてみた。

Img_0010 外来種だけあって繁殖力は強い、根は付いていないのにへいきらしい、そして、梅花藻のように綺麗な水でなくてもよく育つらしく、塵や生活廃水も入っている川にもけっこう繁殖している。この気泡を見ていると、地球温暖化を防いでいてくれるようで頼もしい。(水中にあっても花が開いている不思議さ、何を相手に受粉しているのだろうか)

しかし、地上の草木も目に見えないけれどもっと酸素を吐き出しているのだが、見えない。見えたら面白いだろうな。

この木よりあっちのほうが盛んだとか、そうなると木や花の見方もまた違ってくるのではないだろうか。

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今日の花。左、ガガイモ。へクソカズラとともによく咲いていたが、今年はあまり見ていない。 右、沢桔梗、桔梗とは全然関係ない草なのに、花が紫色というだけで、、

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2007年9月27日 (木)

秋刀魚のジュ~ッてやつ

Img_0103 季節は次第に秋深くなり”実りの秋”だの”芸術の秋”だの”食欲の秋”だのとなんでも後に秋さえ付ければ良いようになってきた。

実りの秋。静岡市も政令指定都市になったのに伴い、市街化区域内の土地に住宅地並みの課税がされるようになった。これは、合併する前にこうなるとは説明されなかっただけに、農家は騙された思いをしているようだ。

前には、値上がりを待って売っていたのを不公平だと自分たちは思っていたが、実際にこうなると同情してしまう。土地の税金を農地並みにするには「生産緑地」の申請をして、長期間農業をしていくしかないそうだが、高齢化している農家にとっては悩ましい問題だという。

街中の田んぼ。この農家も田んぼを何時まで続けられるのか。

そして、芸術の秋は、せいぜい美術館辺りで絵を鑑賞するくらい画いたり作ったりはできない自分も、食欲の秋と来ると俄然力を発揮する。

といって、無茶食いするほどの力もなくなったので、もっぱら味を楽しむだけ。

秋は胃腸の調子もよくなるので、何を食べても美味い。そして、「何が一番好物ですか?」と尋ねられてもあり過ぎて返事に戸惑う。

でも、戸惑わなかったのは、海外で仕事をしていたとき、「秋刀魚の塩焼き、七輪の上で脂をじゅうじゅう言わせながら焼いたやつ」とよだれをたらしながら想像したことがあった。

何でもかんでも、オリーブオイルを引いたフライパンで焼いたものを出され続けると、日本の代表料理は刺身、真っ白な御飯もだが、さんまの塩焼きにつきる。

子供の頃、秋の夕暮れが始まると何処の家からともなく、秋刀魚を焼く匂いが漂ってきて、それを嗅ぐと家に帰る時間になったと家にもどる。

別に「ごはんだよ~」って大きな声を張り上げる必要はない。そんな思い出を含めて、さんまは秋の味覚をそそる食べ物だった。

さんま さんま 秋刀魚苦いか塩っぱいか  と佐藤春夫は歌ったが、何時までもこの味が続くことを願う。

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2007年9月26日 (水)

チャボは何処 安倍城址(435m)

Img_0079 安倍城址のブログを見ていたら、彼岸に登った人がチャボホトギスが沢山咲いていた。とあったので、それではとばかりに登ってみた。(山頂の安倍城址)

チャボホトトギスが、この山にあるとは今まで聞いたことがなかったので、何処にあるのだろう、「まぁ 行けば分かる」と場所も確かめず、いつも通り洞慶院の駐車場に車を停め登り出した。

線彫りの三十三観音と幾種類かの茸を見ながら登り出したが、最初の鉄塔脇ですれ違った人を見て以来道路にはくもの巣がかかっており、榊の枝を折り打ち払いながら進んでいく、さながら神様気分。

三十三番を過ぎて道は3/1ほどか、まだ目的のチャボホトトギスは見当たらない。進行方向左側は、間伐が行なわれ前回より明るくなっているが、咲き遅れどころか、葉っぱさえ見つからない。

ようやく、久住砦跡も過ぎ、ひょっとしたら山頂にお花畑でも、と思ったがそれも叶わなかった。

生憎の曇り空、頂上からは遠く伊豆半島は霞み、富士山は見えないが、静岡市内は賎機山に隠れた部分を除いて眼下に広がり、安倍川を挟んで対立していた足利時代には対岸の賎機砦は、多分丸見えだったのではないかと思う。

Img_0080 しばらく休んだ後、もと来た道を戻るも癪だと思い、今度はいままで歩いたことのない久住砦跡から増善寺方向という板にしたがって下ってみることにしたが、これが大変な道。(問題の方向指示板)

下り始めは、下草も刈ってあったが、中電の鉄塔を過ぎてから道が怪しくなった。最近、人が歩いてないようで、道には落ち葉や枯れ枝がうず高く積もってはっきりしない状態が続く。

けっきょく、何度も道を見失っては元に戻りを繰り返した後、たどり着いたのは、建穂(たきょう)の極楽寺近くで、予定とはずいぶん違う所に降りたことになる。

尾根筋の、立派な案内板はなんだったのだろう。いくら低い山とはいえ、歩いてみて分かったのだがかなり奥の深い山なので遭難者が出かねない山道だった。

結局帰ってから、調べてみたがそのブログには何処から登ったと言う記事もなく、来年にでもほかのルートでもう一度確かめてみようと思う。

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今日のきのこ。左、シロオニタケ、白く大きい笠を広げてあちこちに、不味いそうで食べたことなし。 右。ハツタケと故里では呼んでいた、もっとあれば採ったのだが、、、

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2007年9月25日 (火)

月下 美人の図

Img_0014 今日は「中秋の名月」 そして、写真の月は一昨日の十三夜である。

月の下に月下美人を配したまさに「月下 美人の図」であると自画自賛している。

古来 中国で始められた太陰暦を使用している国では月の満ち欠けが重要な要素だったため、十三夜、十五夜 十六夜など月の小さな変化にもいちいち気配りをしており、今日の「中秋の名月」も十三夜を見なければ、片身月だと言っていた。

今年は、この両方が見られたので何かいいことでもあるのだろうか?

それに反して、太陽暦でやっていた西洋では「満月は心惑わすもの」として、狼男伝説を生み出した。

ところ変われば品変わるというが、月に情緒を感じないなんて、、、、と思うが、虫の声も同様で、同じものを見ても、受け取り方が全然違う。

義理と人情も世界には通用しないことを知るべきであろう。

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今日で安倍内閣が総辞職した。戦後生まれの若い首相が就任して丁度1年だったようだが、期待された若さが裏目に出、テンヤワンヤの事後処理のため、非常に長く感じられたような気がする。

本人は、国民投票法や教育基本法の改定、防衛庁の省昇格など成果を上げたと自負しているようだが、ほとんどが論議なしの強行採決を行なっただけの感じしかなく、多数の議員を抱えていれば誰でも出来ることだったし、目線も国民の思うところと違っていた内閣だった。

その中でも、最大は自分の進退に優柔不断であったことが、最低の首相に仲間入りする評価を貰ったと思う。参院選に負けたとき潔く身を引いていれば、もっと評価されたのにそれが出来ず、結局は国会に空白期間を作り何十億ともいわれる損害を与えたというがその責任もどこへやら、、、。

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今日の花。左、龍の髭 右、明日葉

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2007年9月24日 (月)

静けさに沈む東海道

Img_0100 諏訪原城へ久し振りに行ってきた。

金谷に住む友人宅で話しているうち、腹ごなしをかねて行って見るかということになり、どうせ行くなら石畳を歩いていこうと言うことになった。

Img_0110 道路から少し上がったところにある、石畳茶屋の駐車場に車を入れ、そこから約500mほど、全面丸石を敷き詰めた幅3m弱の坂道を登る。

東海道五十三次と言われた頃もこんなのだったか分からないが、隙間なくぎっしりと敷き詰めてあるのは、いまから15年ほど前町民”一人一石運動”とかで作り上げたものだと書いてあった。

友人曰くには「看板に書いてあるような奇麗事ばかりでなく、家に病人がいるので、、、、と断れる雰囲気もなく、半ば強制的な面もあって出来たもの」という。小さな町ではよくあることだと思い心して登った。

やく15分ほど、ほとんど行き交う人もないまま中山峠に着き、東海道は引き続いて小夜の中山に進むのだが、道路伝い右に折れて諏訪原城の方に向かう、10分足らずで案内板があり、茶畑に入れば、武田方の城主が戦死したと言う碑があり、すでに、この城の城内に入ったことが分かると言うくらい元の地形がはっきりしない。

Img_0105 しかし、信州 諏訪神社の分社が祭ってある辺りから、深い空掘りが目立つようになると意外と大きい城であったことが分かる。(石垣を作らないのは甲州流だとか)

三の丸、二の丸、本丸跡と順路をたどれば本丸跡は人けが無いがいま発掘調査中だとかで、ブルーシートで覆われていた。(前に来た時は天守台跡のような四角い台地があったように思う)

その先の切れ落ちた崖の下には、旧国道1号線が走りにその先には金谷の町が木の間がくれに見える。城の構造としては、小諸城や上田城のように背後に切り立った崖をもつ、”背水の陣”見たいな構えを持った堅固な城だったことが分かる。

しかしここで、戦いが行なわれたときは、設楽が原の戦いで武田軍が織田徳川連合軍に惨敗してから2ヶ月後であったことをみると、両軍の士気にかなり差があったと思われるが、さすが勇猛で鳴る武田軍団、徳川の猛攻を2ヶ月間しのいだとある。本国からの後詰も無く城主が敗戦死し落城したと聞くと哀れに思えた。

帰りは、旧国道1号伝いに降ったが、ここもかっては車の行き来が激しいところであり荷物を積みすぎた車が黒煙を吹き上げながら登っていった場所である。

いまは、道も別ルートになり、旧東海道とともに静けさの中に沈んでいる。

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今日の花。左、石畳の縁に一輪秋海棠(シュウカイドウ)。 右、牧の原のお茶、椿の仲間だけあって、花びらがバラバラにならずに落ち、蜘蛛の糸に絡まって宙に浮いていた。

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2007年9月23日 (日)

ゆ~らゆらと

Img_0013 古い墓のまえに供えられた彼岸花に紋黄アゲハがゆ~らゆらと飛んできて掴まった。こんなところからアゲハチョウには霊が宿るなんていわれ方をしたのだろうか。

久しく、彼岸の墓参りには行ったことがない親不孝者としては心苦しいことだが、彼岸の中日である今年も300km以上はなれた地にある墓参りはご無礼し、替わって従姉妹が墓掃除をし守りをしてくれていることを連絡してくれた。

私は、自分の親が”千の風”になぞなっていないことを知っている。抜け殻かもしれないが11年前母親の納骨に行った時、それより25年前に逝った父親を見て来ているからだ。

あんなに大げさな声で、”そこにはいません、、、”と言ってくれたって信用していないのだ。

もっと優しい歌い方がないのだろうか。たしかに、戦争を含めて遺骨のない人には慰めになるのかもしれないのだが、それにしてはすこし、声高に過ぎないかと代々が曹洞宗である私は思ってしまう、、、

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Img_0004 夕方になって、縁側で一輪だけ月下美人が咲きだした。ゆ~らゆらとときどき身を揺らしながら開きだした。

ほかの八輪とともに咲くのかと思ったが、彼岸の日に義理立てしたみたいに先駆けて開花したので、切り取って仏壇にほかの花とは別にしていけてみた。

我が家では、借り物の身体は墓に亡き父母は仏壇にいることにしている。此岸に住む私の勝手かもしれないが風に乗ってそこらを飛び回ってくれたら、どこに向かって手を合わせていいか分からないので、、、

                                            合掌

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2007年9月22日 (土)

ゴンズイは

Img_0060 山と海に”ゴンズイ”という名前のものがある。山のものは木であり、海のものは魚である。

漢字にする「権瑞」(上の写真)が木で「権蘂」が魚だと言う。よく似ているがどうして同じような名前が付いたのだろうか。

ものの本によると、どちらも人の役に立たないからだというが、役に立たないのは他にも一杯あるはずだ。

Img_0059 木のゴンズイは真っ赤な鞘に黒い実をはじかせ、魚のゴンズイ(写真 左)は黒と黄色 ツートンカラーのスーツを着て大きなゴンズイダマというものを作って餌をあさる。その様は、無批判に強いものの方に集まる人の集団を見るようでこれまた面白い。

山幸彦の私としては、木のほうが先に知った名前だったので、魚の映像を見たときには「へぇ~」と思ったものだが、海幸彦なら逆だったと思うことだろうが、どちらが本家だったのか少しばかり興味がある。

本日は、傍のヘリポート祭りとかで、ひっきりなしにヘリコプターが上空を行き来していたので出かけてみた。去年も行って来たのだがあまり面白くもないので迷っては見たのだが、近所の人から「行こうよ」と誘われたので、自転車に乗って出かけてみた。

じつは、いまだかってヘリコプターには乗ったことがない。五千円を出せば乗れるのだが、5分くらいではモッタイナイ!。

入るときに抽選券をくれるので、当たれば只で乗れるチャンスがないでもない。とそちらのほうに賭けて見たがくじ運の悪さでは定評のある私。結局は他の抽選も合わせて空振り。

抽選に当たった人の群れを見て、「まるでゴンズイダマだね」と口にでかかったが、今では仕事もせず「役立たず」のゴンズイに私も成っていることの気づき、捨て台詞を飲み込んでシオシオと真夏のような太陽を浴びて御帰館する。

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2007年9月21日 (金)

こっちの花は甘いぞ

Img_0088 蛍ではないが、蝶の世界にも”あっちの花は苦い~ぞ こっちの花はあ~まいぞ”なんて話しがあるのかと思うほど帆掛山(通称一本松)の黄コスモスに蝶が集結していた。

アゲハ、黄アゲハ、黄タテハ、スズメガ、、、、、などが入り乱れて30羽(頭)は飛び回っていた。(帰って見た近所のおなじ花には全然居なかった)

今日は、ここ二~三日続く天気のよさにつられて、清水大内観音から帆掛山に登り、折り返して梶原山、農道を戻って、再び帆掛山から大内観音と言うコースを歩いてみた。

まず、すべての墓が大木姓という変わった墓地脇の駐車場から、いろいろな短冊がぶら下がっている山道を登る。俳諧の号を持った人の句もあるが大半はごく普通の姓名で薄い板に書き付けてある。それを読みながら登れば中腹にある観音堂までは瞬く間についてしまう。

これまで何回も登っているが、大半は参道が桃色になる桜の時期であり、この時期はあまりないのと、短冊が新しくなっているので新鮮に感じる。

観音堂脇からさらに登ろうとすると、山道が崩壊しているので、、と書いてある。どんな状況なのか確かめて見よう、と行ってみると先日の大雨で地滑りを起こしたらしく、杉の木が根こそぎ倒れている箇所があり、その後手入れも無いまま、踏み後がしっかり付けられているため「これなら登れる」とそれに沿って登ってみた。

こういう現場はこれまであちこちで見て来たが、杉の木というのか植林された木の根の浅さにはあきれるものがある。どんなに見てくれのよい杉でも根の深さは高々1mほどしかない、すぐにある種の人間に見比べてしまう、、、、

Img_0033 上り始めて40分ほど、山の上には10人ほどの人が騒いでいたので、すぐさま予定通り梶原山のほうへ尾根伝いに向かう。ゆるやかに上り下りで三十分、こちらは人けなし。しばらくはかすんだ富士を眺めて休んだ後、農道に向かうと駐車場近くの桜が少しばかりだが、花を咲かせていた。

Img_0050 近寄ってみれば、一重でもなく八重でもない変な咲き方。そして、傍には”ゴンズイ”が実をはじかせて真っ赤な鞘の中の種を見せ付けている。よく似た木に臭木があるが、花は臭木、実はゴンズイと傷み分けみたいなところがある。なんて思いながら歩く、草茗荷は早くも黒い実をつやつやと光らせ、彼岸花と競っている。

農道を戻り再び帆掛山山頂に戻れば、よく山頂の掃除に来ているという人に出会い、そこで世間話をしているうちについ長居をし、ほとんど駆け下りるようにして、帰宅昼食に間に合わせた。

今日のコスモスと蝶。こっちの蜜はそんなに甘いのか

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2007年9月20日 (木)

赤いサルビア

Img_0166 ノ セ ケ テンゴ ノ セ

キエロ ジョラル ポルケ

、、、、、、私がスペイン語でかろうじてうたえる歌は題名を知らないこの歌と、日本では「コンドルは飛んでいく」で有名な”エル コンドル パサ”くらいである。

この題名知らずの歌を梓みちよが「赤いサルビア」と言う題名で歌っていたそうだが、こちらは歌詞を知らないという変な状況にある。

そのほかサルビアと言えば、いつの頃だったか岐阜県で国体をやるといって、道端にこの花を植えたのが始めて見たような気がするが、疎らに育った花は周りの雑草にうずもれてあまり綺麗ではなかった。

植えた理由としては、乾燥に強く、長期間花を咲かせていると言うことだったらしい。

今日も気温は高くなり、日没まで家から出る気がしなかった。

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2007年9月19日 (水)

マネキンはつらい

Img_0113 そのむかし、デパートでネクタイを締め三つ揃いのスーツを隆として着こなしてていた当時は、人が寄ってきて「いい顔をしていますね」とか「いい生地の服ですな」とか言われていたが、ひとたび流行が過ぎ去れば、時代遅れの顔となり今では田んぼで雀を追っている。

たまに、道路を通る人の方へ振り返ると、「夜 見ると気持ち悪いからこっちに向けないで、、」と苦情が出る。チヤホヤされたあの時はなんだったのか。

マネキンはつらい、出来ればこのまま稲とともに倒れ伏して一生を終えたいと願っているのだが、、、、

瀬名の郷倉

Img_0101 今日は、用事があって出かけたついでに旧静岡市の東外れにある瀬名の”郷倉”に立ち寄ってみた。

”郷倉”とは、江戸時代飢饉に備えて備蓄米などを納めておいた倉で、幕府は全国に作らせたが今ではごく僅かしか残っていないので、文化財に指定されているようだ。

瀬名の郷倉は、壁を漆喰で塗り固めた立派なものであり、全国同じ規模で作らせたものだろうが、多分飢饉の経験がなかったであろう静岡では、どこか余裕を感じさせる建物に見えた。

かわって、実際に飢饉で餓死者を沢山出した天領 飛騨でも、郷倉を作らせたようだが、実際には評判が悪く怨嗟の的になったことが「山の民」などに出てくる。

理由としては、ただでさえ米の収穫が少なく年貢を厳しいものと思っている百姓に、更なる上乗せを迫ったことにある。幕府としては、その前の飢饉の時を教訓にしてその災害を減らそうとしたのだが、現地の事情を知らないお役人が、机上の空論で全国同じ物を作らせたところにある。

こういうことに関して政治とはいまでも同じことが行なわれている。先日も自民党の総裁選で、自民党候補が惨敗し一人もいない四国を訪れていたが、何故そうなったかの反省は聞かれなかった。

今日の花。銀杏も熟れ、アケビも口開きだして秋本番をむかえる。

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2007年9月18日 (火)

カーキー色は

Img_0095 早くも柿が色づいてき始めた。「柿が赤くなると医者が青くなる」というのは昔のことわざ。

日本には、その土地土地に特有の名前を持った柿があり、甘柿から渋柿までそれこそ、何千種類という柿があるのか分からないそうだ。そして、写真の柿の名も知らない。

ついこの間まで、国防色と言われたカーキー色は、柿が語源だと聞いてその通り思っていた。ところが先日カーキー色のズボン(最近ではパンツ/と尻上がりいうそうだが)といって、どう見ても深緑色のものがぶら下がっていたので帰って調べてみると、もともとは、インドの土の色だと書いてあった。

この色が、軍服に使用されたのは、土に紛れて見えにくくするとか、血の色を目立たなくするとかに意味があったようだが、ジャングルの多いベトナムなどの経験から最近の軍服は、迷彩色とか言って深緑色も混じったなんとも不細工な色になってしまった。

そのせいで、こんな色までカーキー色というようになったのだろうか。

私の家にも、父親が中国から持ち帰った冬用の軍服があり、かなり遅くまで使用していたのを憶えているが、深緑をカーキー色というのはどう目が狂っても承認できない。

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今日の花。エノコログサ、犬の尻尾を表す草だが、別名を猫じゃらしという。成長力が強くチョッと目を離したすきに畑中をぼうぼうにしてしまう。植えた花もその中にうずもれて、、、

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2007年9月17日 (月)

蝶よ花よと

Img_0082 ”蝶よ花よ”と眺め暮らして過ごしているが、考えてみればつい最近まで蝶にも花にもあまり関心なく暮らしてきたため、新しい発見がじゅんぐりまんぐりに出ては消える。

とにかく、戦後の食糧難を経験しているだけに、どれが食べられてどれが食べられないかぐらいしか関心がなかったので、、、、、、

昨日今日と変な天気が続いている。丁度前線がこの近所にあるためかも知れないが、昨日は晴れたり降ったりが瞬時に変わり、今日は雨が降っているのにむし暑く座っているだけで汗をかいた。

いずれも、午後になって晴れ上がったが、奇妙な天気で散歩は夕方になってからでなければ出来なかった。

そうした中で、オナガアゲハを見た。長い尾をひらひらとさせ飛ぶ姿は麝香アゲハかな、とも思ったが羽根の模様や胴体の色で尾長アゲハにしておこうと思う。

遠距離を飛ぶには都合のわるそうな羽根をしている。同じ蝶でもアサギマダラのように何百キロも飛ぶ蝶に比べると飛ぶ羽根とは全然違う、装飾的な後羽根は鳥などに見られる雄だけの特色ではないようだから、ほかに何か理由があるのだろうか。

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今日の蝶と花。左、デコランタと黄アゲハ 右、野蒜の花の蜜に夢中 黄タテハ蝶

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2007年9月16日 (日)

まごの手作り寿司で

Img_0068 彼岸の入りを前にして、彼岸花が咲き出した。

毎年、暑かろうが冷夏であろうが桜のように文句も言わず、この時期に咲き出すところから付けられた名前だが、真っ赤な色四方に吹き出した形から火炎花とか全草有毒であるため別名地獄花などという恐ろしい名前も持っている。

しかし、この有毒性を利用して鼠やもぐらを近寄らせないように利用したり、飢饉の際に晒して毒抜きをした上で食べるなど、お世話になった草でもある。

また、韓国では相思華などともいわれ、好まれる花のようだから国によって毀誉褒貶が多きい。いずれにしろ、人の思惑など気にせず花の倫理でさいているのだが、、、、。

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ことしも、孫の誕生祝と爺婆の敬老に日をかねて、食事会に招待してくれた。

まずは敬老会。孫が寿司屋さんになって握ってくれると言う。手首から先を寿司飯だらけにして、何処で覚えたか威勢の良い声で注文に応じてくれ、じいじは、ビール瓶の数以上に酔っ払ってしまった。

食事の後は一転、誕生祝。ショートケーキを人数分、細い蝋燭を九本立てて両親と姉それに爺婆の6人が祝い歌を小さな声で歌って祝う。

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今日の花。左、草合歓、合歓の葉に似ているところから  右、苦菜(二ガナ)ということは食べた人がいるんだ。

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わけもなく焦れている

Img_0070_2 草むらで蟋蟀(コオロギ)が鳴いている。そうっと近寄ったつもりだが、気配を感じてか鳴きやんでしまった。辺りを見回すと一匹、メスの閻魔蟋蟀が草の葉の上で動かないでいた。きっと私が聞いた声に聞きほれていたに違いない。お邪魔ついでに写真を一枚。

閻魔蟋蟀は、誰が見てきたのか、そのいかつい顔が閻魔様に似ているとして付けられたと聞く。いずれ、近いうちにお目にかかる事になるのでよくよくみておくことにしよう。

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しばらく前から何かしなければならないことをしていないような気がして仕様がない。考えてみるが思い当たらないので、なんとなく焦燥感がある、なんだろう?。

うつ病の前兆だろうか。そういえば、先日のテレビでも、キレて人に突っかかるのもうつ病のひとつだと言っていた。心当たりがないでもなかったので、以後「キレたらうつ病」と怒りたい時には呪文をかけることにしている。

九月十一日、政府が発表した「老後の不安」が二年連続最高を更新したとあった。そうだろうな、健康保険料や介護保険も上がり、税金も所得税と住民税を合わせれば変わらないというがそんなことはない。確実に上がっている!。

そんななかで、老後の生活に不安を感じない人が30%ほどいるのには驚いた。よほどなにかで溜め込んだのだろうな。

老後に不安を感じる残りの七割の人の要素として「生活資金が85%」「病気が55%」ほかに介護の問題が突出した不安三要素だったと言い、その根底にはお金に対する不安がまず来る。それが年年上がって来ていると言うところに問題がある。

「投資をしませんか?」「あの品物はこれから上がります、先物取引はどうですか?」という電話がかかってくるが、眉に唾をつける前に断わっている。

生活に対する漠然とした不安が、最初に書いた焦燥感にを招いているのだろうか。それとも、夏の暑さ負けした身体が招いている焦りなのだろうか。

秋を迎えて、メランコリックな気分と言えばカッコいいが、老人の日を控えてなんという対称も分からずに焦れている今日この頃である。

今日の花。左、蔓梅もどき、右、栗の実。実が熟して外皮がはじけて秋が来た。

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2007年9月14日 (金)

わたしを写して

Img_0058 長崎アゲハが、目の前をひらひらと飛んできたかと思うと、「ほれっ!写して」とばかりに木の葉に掴まり、標本の蝶のような状態でとまった。

広げた羽根の差し渡しは10㌢近くモンキアゲハやオオゴマダラとともに日本では最大級の蝶である。

特徴は、羽根の後が丸くなり尻尾みたいなものがないのでゆらゆらとした飛び方をすることであろう。

早速10枚ばかり写してあげたが、何処に届けてあげたらよいものやら、、、。

この蝶も、名前から見て分かるとおり、江戸時代には九州のほうにしかいなかったようだが、次第に北上し80年代は岡山辺だったのに、最近では箱根の山を越えて、東京近辺にまで進出している由、温暖化の象徴みたいにいわれているもののひとつである。

このブログを始めてから散歩には必ずと言っていいほどカメラを持って出かけているが、何度か今日のような場面に出くわした。

「一期一会」とはよく言ったもので、その場所に、その時間にカメラを持っていないと写せない物が多く、それは、まさに偶然の産物でしかない。

女子バレー

女子バレーのアジア大会の中継を見たを見た。タイで行なわれていてこの試合に勝てば24年ぶりの優勝と言う快挙がかかっているとアナウンサーがいつもの興奮気味の放送をしていたが、最後の1セットを見ただけなのでそんなに苦にならなかった。

本当、久し振りに見た試合は常に優勢を保ったままなので気楽に見れたが、どの選手もきれいなので驚いた。多分身長もかなり大きいのだろう、そのままモデルが務まるくらいの美形ばかりだった。60年代「東洋の魔女」として恐れられたころの選手とは比べ物にはならない。

マラソンなんかでも、走っているときは凄く綺麗に見える選手も、走り終えるとそれなりの人もいるから、バレーの選手もそうなのかも知れないと思いつつ見入っていた。何はともあれおめでたいことだ。

またしてもテレビから

またまた、自民党の総裁選挙の話しになるが、一夜で情勢ががらっと変わったようだ。まさに人の心と言うか、勝ち馬に乗る、というのか知らないが、政策もはっきりしないうちから支持を表明している。

見ていると代議士先生も国のことより自分のことしか考えていない人が多いようで、昔の歌にあった「きのう勤皇 明日は佐幕」そのまま、1年前には安倍さんだった筈なのにその同盟者には、、、、だもんな。

部外者の私としては、どっちもどっちという感じ。{口の曲がった人も嫌いだが、いま勢いをつけてきた人も官房長官時代に人を馬鹿にしたような口調が忘れられない}

これから出てくる政策もその場限りでしかないように思うので、「まぁ せいぜい気ばってや」程度にしかとらない。

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今日の花。左、丸葉婁紅草(マルバルコウソウ)  右、藪蘭(ヤブラン)

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2007年9月13日 (木)

辞め時ってのは

Img_0071 雨蛙が茎だけになったアレチノハナガサに思案顔で掴まっていた、カメラを向けると面倒くさそうに視線はそらすものの、その位置からは動かない。

もう繁殖期は済んだはずだから、そろそろ今年のねぐらについて考えているのだろうか。ちょうど、勤めをやめた後の我々のように、この先どうしようかと、、、

私も、最後の仕事は自営だし、後継者がいないのでどんなたたみ方がいいのか前から想定していたが、厚生年金の受給年齢に達していたのと仕事の量が薄くなったことで踏ん切りをつけられた。

勤め人には定年というものがあって、年齢でどんなに丈夫で働けたとしてもこの日でという決まりがあるので踏ん切りをつけるもつけないも、その時点までに考えなければならない。しかし、自営の場合、倒産したとき以外、その後をどうするのかは自分の判断で決めるしかなく、ずるずると時を過ごして辞めるに辞められない事態がきて、後悔している人がいる。本当に辞め時というのは難しい。

そういえば、パチンコ。これも辞め時の難しいゲームだね。何処が上限か分かる方法がないものかしら、、、、、、

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今日は朝からテレビは安倍総理のことで騒ぎ立てている。

辞職の弁のひとつに、小沢委員長が会ってくれなかったというのがあったが、まるで子どものようだとか、第二次安倍内閣を組閣し、所信表明演説をした翌日に飽きた玩具を放り出すように捨てたお坊ちゃんだとか、日ごろ私が思っていたことを含めて国会議員やら、評論家といわれる人がテレビの中で、ワイワイガヤガヤとやっていた。

首相のしたことは、あまりにもでたらめなことだが、話をしている人を見ているといずれも、酒場のカウンターに並んで上司の悪口を言って喜んでいるサラリーマンのように見えたのは僻目だろうか。それこそ、テレビ関係をはじめマスコミに玩具を与えてしまったような感じがする。

首相は辞め時を間違えた、参院選惨敗で辞めいればもう少し評価が上がっただろうが、今後何時までたっても優柔不断な在職中の不祥事とともに、このことを言われ、再び芽が吹くことは無いと思う。

「運命の女神の後ろ髪は捉まえられない」ということわざがあるが、まだ若いだけに将来悔やむことがあるだろう。民主党の前原代表ともどもまた戦後生まれの代表は、その未熟さゆえにしばらくおあづけになるのかもしれない。

なにしろ、金銭感覚が麻痺し、自分の権益に汲々とし、国民の生活環境やどう思っているのかが分からない政治家は、これからも淘汰されていくしかないのだ。

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今日の花。左、クコの花、 右、ホウヅキ、何れも薬草として使用される。

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ちょっとのことで浦島太郎

Img_0049 昨夜来の雨がさらに激しくなってトタン屋根を打つ音で目を覚ました。

外は七時になり夜が明けたはずなのにまだ暗い。テレビは自分たちの入る地域と東海から関東にかけて赤い色で大雨注意の降雨量をしめしていた。

「天気予報は曇りのはずだったのにな」と、飲みすぎた頭で考えてたがそれさえそうだったのかどうか判然としないまま朝ご飯になった。

Img_0035 ようやく九時過ぎに雨も上がったので、近所のお寺”津金寺”に行って見ることにした。この寺は前にも書いたが信濃の談義所といわれた真言宗の古刹としてより、花の寺として有名で春のカタクリからいろいろな花を咲かせ、今の時期は萩の花で人を集めている。

Img_0059 広い境内には、雨の余韻が残りまだ時おり降り出すほか、杉の巨木などにある雫がなにかの折に降り注ぐと言う状態でゆっくりと見られないが、各所に秋明菊(シュウメイギク)が鮮やかに咲き、なぜか浜茄子(ハマナス)の実も真っ赤に色づいていた。

名物の萩の花は、雨に打たれて垂れ下がり足元に花びらを散らし、脇役に追いやらている。

時間がないので、早々にして帰ってくると頼まれていた買物、取り主のいないブルーベリーの採取などをして帰路に着く。

山梨まで帰ってくると、娘の携帯に仕事の連絡が入り最後に「アベサンヤメタ」という言葉が入った。娘は、少し前にやめた同僚の名前だと思い、「ずいぶん前の話じゃん」と言ったら、「安倍首相だよ!」とのこと、一瞬理解出来なかった。

わずか、数時間ラジオも入れていなかっただけで、”浦島太郎気分だね”と言いつつ、、、、、、

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今日の花。左、女郎花   右、枝垂れて咲く萩の花。(いずれも津金寺境内にて)Img_0046 Img_0069

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2007年9月11日 (火)

小諸なる

Img_0013 九月十一日またしても、長野から急な要請があり、自動車の車検を予定していたのを延期してもらい出かけることにした。毎月のように出かけている最近、自動車屋さんは大変迷惑だったろうと思う。(小諸城天守台跡から望む馬場)

出掛けはよい天気だったが次第に雲が多くなり、野辺山を越えた付近から降りだし佐久に入るまで降られた後、雨がやんだので小諸の懐古園で少し遊んでから、立科町に上がった。

懐古園もこれで何度目になるか、古い城によくある山城でなく千曲川を背にして北国街道や、浅間山に向かって立つ平城で、近くの上田城によく似た構造を持つように見える。

この城跡を有名にしたのは、島崎藤村の作品、なかでも"小諸なる/ 古城のほとり/ 雲白/ 遊子かなしむ、、、、”ではじまる「千曲川旅情のうた」ではないだろうか。城は前にも書いたように、平地で背後が一段と下がった千曲川であるため、深い空掘りが幾重にも取り囲み、いかにも攻めるに難しそうな縄張りがしてある。

最近長野はNHKの大河ドラマに影響されて、何でもかんでも「山本堪助」が絡んでいたとしている所が多く、パンフレットにはここも山本堪助が縄張りをしたと書いてあったり、長野に侵略した武田信玄をたかく評価しているものが多い。

私としては、史書に実在した証明のない人物は、猿飛佐助同様物語を面白くさせるために後世の人が作った架空の人間だと思っているで、郷土史家らがこういうパンフレットをつくり、観光協会の名で出すのは非常に不愉快である。

もっと、地元の豪族村上氏などをとりあげて、紹介してほしいものと思う。

その後、途中知り合いの家で、プルーンとりんごを分けてもらい義弟の家へ。その夜はまた別に家に寄せてもらい、静岡で手折った月下美人の開くのを眺めながらまたお呼ばれ、こんなにしょっちゅう出かけても嫌な顔をせず歓迎してくれる人たちに「感謝感謝」で言葉なし。

今日の花。左、天守台下に聳える樹齢三百年といわれる欅の木、長い風雪を見てきたことと思う。右、七竈(ナナカマド)信濃の秋はこの実の色づきから

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2007年9月 9日 (日)

菊の節句というけれど

Img_0057 今日九月九日は重陽の節句だと新聞は書いていた。

重陽の節句は九が二つ重なってめでたい日。別名「菊の節句」とも言うが今どき路地物の菊はつぼみさえない。やはりこれは旧暦で行くしかないが、旧暦で言うと今年は十月の十九日になるからそれでも菊には少し早いぐらいだと思う。

そこで、菊の花は望むべくもないので、今の流行(はやり)であるニラの花でご勘弁を

少し前に行った床屋での談義から

「我々の若いころは半分は中学を出ると田舎を離れて就職し大学なんてほんの僅かしかいかなかったたものだ。当時、女の子は紡績工場に集団で行くのが多く、男は工場で下働きしながら仕事の仕方を憶えたもので、一日240円ほどしかもらえなかった。」

「そうそう、1ドルが360円のころだろ、一日働いてもその1ドルにならなかったのを憶えているよ。やっぱり最貧国だったんだよな」

その中から、食費を払い、残ったお金をためて正月に錦(文字通りの一張羅を買って)を飾って帰り、楽しい話だけと、家のものに渡す小使いをしっかり持って帰るのが楽しみだったし、そんな社会風潮だった。

そしていま、同級会などに出て話をしていると、いまだに子どもにあてにされ、臑や尻をかじられているのが結構いるよ。

「若くて貢ぎ、老いて年金や退職金を齧られる人生、つらい世代だよな」

一昔前の「切れる若者」は「お尻かじり虫」「身勝手な親に」成長した。育て方が悪かったと言えばそれっきりだが、時の流れに身を任せた結果だとすれば、、、、。

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今日の花。左、玉すだれ 右、人参

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2007年9月 8日 (土)

何が魅力なのか

Img_0025 蓼食う虫も好き好きとか、今日は、ヤブカラシの花にアゲハチョウが群がっているのを見た。

ヤブカラシは、私の目から見ると、小さくてなんてことがないどころか、他の草を押さえつけて猛威を振るう、ろくでもない雑草に見えるのだが、アゲハ、黄アゲハ、クロアゲハ、など何種類もの蝶が群がっている。

すぐ傍には、大きくてもっと蜜のありそうな花があるのに見向きもしないでこちらにたかっている。遠目には花が目立たないのでこんもりとした木の周りを飛び交っているだけにしか見えない。

Img_0012 何がそんなに魅力的なのだろうか。先日も少し取り上げたが、山本周五郎の「やぶからし」はこんな所を見てヒントを得たのではないと言う気さえした。

同様、アレチノハナガサにイチモンジセセリが沢山付いているが、この花もたいして蜜がありそうな花には見えない。きっと彼らのどこかを刺激する味なり匂いがあるのだろう。

ーー白露ーー

Img_0043 今日は二十四節季に言う”白露”朝に夕に草木の先端に露がつき、秋も本格的になる時期を言うらしいのだが、この暑さはどうだ。「もう少し遠慮というものがあるだろう」と天に向かって言っても仕様がないか。なにせ地球温暖化だものな。

日本には、草の先端につく露を見て、そのはかなさを人生に見立てると言うことがあり、万葉の歌集以来白露を読んだ歌が沢山作られてきた。

そこで、時期は違うと思うが百人一首から、

白露に 風の吹きしく 秋の野は

   つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける

             文屋朝康

今日の蝶。荒地の花笠の蜜を求めて、左1文字セセリ。右、雀蛾

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2007年9月 7日 (金)

三歩あるけば

台風静岡を直撃。何人もの友人知り合いからお見舞いをいただきまことに有難うございました。

さいわい、午前中の横殴りの雨が天井裏に入ったのと鉢植えが転んだ程度で済みましたのでご報告申し上げます。

Img_0001_2 きのう止むを得ない用事で出かけた途中で見たビニール温室の屋根、風が入ったらしく屋根の部分が翻っていたが、その後どうなったのだろうか。

そして、台風一過

まだ西から吹き戻しの湿気が多い風が吹き、すっきりとした青空はまだ先のように見えた。静岡東部では被害が大きかったようだが、市内では稲穂がたれるほど実が入っていないらしく倒伏した田んぼもすくなかった。

Img_0008_3 麻機沼では、折れた柳の傍で鴨が何事もなかったように餌を啄ばんでいた。荒れ狂った嵐の中、暗い夜をどうして過ごしてきたかなんて忘れてしまったかのように、、、

そういえば、「鶏は三歩あるけば忘れしまう」というから鴨も一緒なんだろうか。

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厚生労働省とその周りの伏魔殿ぶりがまた発覚し、舛添大臣がまた怒り心頭といった様子をテレビが放映していた、いかにもその通りで公金を誤魔化した人は当然詐欺に当たり、告訴されても仕方ないことであろう。

先の「女性は子どもを産む機械」発言で物議をかもした大臣とは随分違う。お役所の意見だけを聞いて厚生年金の喪失を当初は問題なしとして、総理に報告し、その認識が選挙で自民党が大敗した原因のひとつを作った人、、、。

この人は、東大出のお役人出身だけに世情には疎かったと思えるが、かなりの能無しである。しかし、地元ではそうした認識をとらず、磐石な支持を得ているとなると、ここは、選挙民が、、、、、となる。

参院選挙で大敗と言う台風も、三歩あるけば元の黙阿弥か。

今日の花。左、鬼野老(オニドコロ)山芋とよく似た葉を付けるがムカゴは付かない。根を食べられると言う話も聞くが苦くて、、、、右、酔芙蓉(スイフヨウ)咲だしが白いが次第に赤くなってしぼむ芙蓉。酔っ払って顔が赤くなるのを見立てて

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2007年9月 6日 (木)

草ぼうぼうのアヤメ平

Img_0174 台風前触れの雨と風が激しくなり、歩くこともままならないので昨日の続きを書くことにする。(写真はアヤメ平の一角)

裸山を通らないコースでアヤメ平つくと一面草ぼうぼうの空き地と化していた。以前ここに来た時は、背丈の低い草原であったが今では草の中にかろうじてロープで歩く道が記されている状態である。アヤメも今では数がすくなりどうしようかと検討されているようだが、自然に任せるのであれば消え去り、元の原生林に帰るだけだし、手入れをすればただの観光地になる。山伏岳のヤナギラン同様、これから難しい選択が待っている。

アヤメ平をぐるッと一周するとどうした弾みか空が明るくなってきた。しめた、「これはひょっとしたら、、、」という期待もむなしくまた雲が厚くなる。

しばらく時間をつぶした後、元の道にとって帰し、裸山に向かってだらだらと登ると、裸山下の空き地に出る。この場所は、木の切り株は見当たらないものの、多分木を伐採する時にでも作られた場所のように見える。

現在は、ロープを張り立ち入り禁止にした場所に松虫草や母子蓬、矢車草などを中心にしたお花畑になっている。すぐ上に土むき出しの頂上があるのでここで今日初めての休憩をし、昼御飯にした。

霧に隠れて展望はないが食事を含めて約三十分、座っていると突然夕立のような雨。「それ来たッ」てんで合羽を出し下山の支度をする。

ふたたび、櫛形山頂にむかって急ぎ足で戻る。山頂からのくだりで小止みになったが、本当に今日の山行きは展墓もなく雨に追い立てられ、急ぎ足の連続だったので、きっと見落とした花もあったに違いないし、雨水を気にするあまり良い写真が取れなくて残念だった。

ちなみに、櫛形山で写した写真を、右に「櫛形山 九月として掲載してみた。

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今日の花。左、満開のカニコウモリ、小さな花だが大きくしてみると全てが揃った花である。右、フシグロセンノウ、どこ見ても同じ色合いの赤というのもチョット不気味で面白い。何処に咲いてても目立つ花

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2007年9月 5日 (水)

雨の櫛形山(2,052m)

Img_0235  甲府盆地の西側に鍋蓋のような山がどしんと居座っている。名前を櫛形山というが和櫛の背中(?)に見立ててつけた名前だと言うのがすぐ分かる。

富士山は勿論だが、この山をランドマークにすると甲府盆地では迷うことがない。台風が近づいてきたと言うので、山道が荒れる前に、夏の花が吹っ飛ぶ前に、その山に登ろうと思っていた。

昨日はよい天気で、静岡からでも一日中富士山が見えるほど天気が良かったが、用事があって出かけられず地団駄を踏んで過し、今朝早く富士山が見えるのを見澄まして櫛形町(今では南アルプス市という)に向かった。

しかし、富士山が見えたのは県境まで、地元の天気予報は、午後からかなりの雨が降るという。それでは、その前に登って来ようと自動車を一番高い駐車場、池の茶屋にもっていくことにした。

この駐車場は、アヤメの咲く時期は人で人で大変な賑わいを呈するというので人嫌いの私としては聞いただけできたくない気分になる。やはり山は静かに登りたいものだ。

Img_0116_2 池の茶屋林道を登り、駐車場に入れた時には霧雨まがいの水滴が落ちており、工事用の車が二台駐車しているだけだった。合羽を着るほどでもなしと登りだすと、丸葉岳蕗と更科ショウマを中心にして唐松林のなかで花を咲かせていた。

雨が大降りになる前に、せめて櫛形山頂上をピストンしたいと行ききらせながらの登りはあまり花を観賞するどころではない。それでも、タムラソウやバイケイソウを横目で見ながら、頂上へは50分足らずで到着。

曇り空ながら、私の熱気に押されてか雨はまだ降らない。それじゃ~、と嵩にかかってアヤメ平まで言ってみようと言う気になって歩き出す。

櫛形山山頂周辺はほとんど手が入っていないため原生林が多く、ツガの木や岳カンバの古木が異様な形で残っており、一本一本に趣のある木が沢山ある。

Img_0155 また、霧の発生が多いためサルオガセをまといつけた木などを眺めながら高低差の少ない山道を平地の散歩程度の早足で進む。

幹周り10m近いと思われる唐松の古木のところで、まずはアヤメ平へと向かうことにした。

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今日の花。

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2007年9月 4日 (火)

記念写真はこれ一枚

Photo_2 相変わらずむし暑い中にも時のうつろいは確実に進んでいて、麻機沼の周りでは蝶トンボも姿をめっきり減らし、かわってアカネ系のトンボが遊弋している。Img_0049_2

昆虫も、「ギースチョンッ」と鳴くキリギリスから「コロコロコロ」と連続してなくコオロギに変わっている。季節の舞台は主役を次から次へと用意して登場させて行く。

土手を歩いていたら、下のほうを青い塊が一直線に飛び去った。「カワセミだ!何処へ行くのか」と行方を確かめ、留まった辺りの見当を付けて道の端っこを忍び足で近寄る。

すでに、一回小魚を捉まえたあと、気づかれないように近寄ったつもりだが、見破られていたらしく記念写真は1枚だけ、、、、、

安倍さん可哀そう

「安倍さん可哀そう。あんなにボコボコにされて、、、」まだこんなことを言う女性がいた。「あの人何にもしてないのにね」と、、、

そこで、安倍さんという人は、昭和17年翼賛選挙で政治と言う店を開いた「岸信介商店」以来65年続く老舗の3代目坊ちゃんであり、庶民の苦しい生活を知らない人であり、先の「お友達内閣」もそんな人を主体とした内閣だった。と説明し、それが批判された。と説明した。

男と女、全てがそうだとは言わないが、価値観やものの見る角度が違うようだが、現象だけ見て判断する。これも母性本能のなせる業だろうか。

そう思っていたら、今朝のテレビで「一度落ちた女性の支持票は戻らないので、内閣支持率は上がらないだろう。」女は後を振り返らない、「よりを戻してくれと」頼むのは男ばかりだという人がいた。

どっちもそんな気がする。結局女の人は何時までたっても男には分からない。

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今日の蝶。紋キチョウと大和シジミの結婚式。Img_0058           

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2007年9月 3日 (月)

ちらちらと

Img_0098 裏の川に小鷺とカルガモの混成部隊が来ていた。

たぶん水草を食べる鴨に驚いて小さな生き物が飛び出してくるのを狙ってのこと思う。用心深い小鷺はこちらを気にしてちらちらと視線を送り、遠ざかりたい雰囲気があからさまに見て取れる。

それに比べて最近人に苛められないせいか、家鴨並みになった軽鴨がガアガァと声高に騒ぎながら餌を啄ばんでいる。

.孫のお迎えさん

今日、孫の小学校で防災訓練があり、非常時には帰られない公務員の両親にかわっていつものようにじいじがお迎えに行く。

予定の時間少し前に校庭に入ると、訓練を終えた児童が集まって座っているが、お迎えが気になるらしく、どの子もちらちらと後を交互に振り返っては探している様子、そして、お迎えさんを確認するとホッとした様子で隣の子と何かささやき合っている。

やはり早めにお迎えさんが来てくれるのは嬉しいのだろうな。

しかし、こういう訓練は確かに重要だと思うが、やはり訓練は訓練。いざというとき共働きでお迎えさんが難しい家庭ではどうするんだろうとか、私たちにしてもその時はたして無事なのか、歩いてたどり着くのにどれだけかかるか。やはり、お互いの「ご近所の底力」に切り替えるしかないと思うのだが、、、。

また交替

「あらら、またかいね。今度は一週間しか持たなかったョ」今日の報道を見て思った。この調子では自民党に大臣を務まる人はいなくなるね。今度の大臣は辞めるのに際して記者会見で「大臣とは厳正中立で、、、、」とのたまった。悪いことをしたから辞めるのでなく、内閣に迷惑をかけるので、という考えがありありとしていた。

さらに、玉沢農相が帳簿を誤魔化していたとして自民党を実質追放になったが、同様な理由だろう、、、、そして これら人ばかりではないのだろう。これだけ農政通といわれる人が連続して不祥事が発覚するようでは、もう何を言ってもしょうがないね。

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今日の花。黄コスモスの酒場に集まる揚羽蝶と褄黒豹紋蝶

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2007年9月 2日 (日)

幽玄の揚羽蝶

Img_0012 曇り空の一日。なんという当てもない一日となったので、静岡城北公園まで行ってみる事にした。

グラウンドでは、少年サッカーをしているものの、後はひと気も少なくひっそりとしていた。

この公園の一角にメタセコイアの森がある。目通り30cm高さは10mくらいか。良く似た種類にセコイアと言うのがアメリカにあるのを写真で見たことがあるがそれはとてつもなく大きい木になるので、この木もどれ程の物になるのか楽しみだ。

むかし、メタセコイアは生きている化石のひとつだと聞いたかとがあるが、冬になると葉を落として明るくなる散策路も今は暗く風がない。その中をナガサキアゲハが一羽(頭)ひらひらと飛び回っている。勿論音もなく、幽玄の世界に遊ぶかのように、、、、、。

昔の人は、揚羽蝶のような大きな蝶は人の魂が宿っている言う風に考えたと言うが、暗い森を黒い蝶が舞っている様はそんなことを想像させる。

Img_0110 そんな蝶に引き寄せられるようにして、ついて行ってようやく写したのが左の写真。咲き遅れたムクゲの花にまとわりつき花蜜を吸っていたが、この蝶もかなりくたびれているようで羽根の先端がかなり傷んでいた。

そのため、飛び方が不安定にゆらゆらとしていたのだろう。ひょっとしたら”千の風に乗って”遠い所から飛んできたのだろうか。

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今日で、大阪の世界陸上は終わった。若いときから不器用なほうで運動と言えば走ることと力任せの格闘技(柔道、相撲など)は出来たが球技はまったく駄目だった。

そんな関係で、陸上競技はよく見るほうだが、今回の陸上競技ほどつまらない放送はなかった。前にも書いたように放送関係者だけで盛り上がっていた。彼らが盛り上がって大きな声を出すほど面白くなくなっていった。

そして、日本の成績もかなり予想を下回ったのではないだろうか、それにしてもトラック競技は、肌の色が暗褐色でないと駄目なのかと思うほどアフリカ系の独壇場であった。

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今日の花。左、洋種山牛蒡、実も色づいてきた、うっかりつぶすと赤い色に染まってしまい、落とすに苦労する。 右、蒲の穂、蒲鉾の蒲より竹輪のほうに似ているが昔は魚のすり身を棒に巻き付けたのだろうな。

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アリエナ~イ

Img_0035 防災の日だということで、朝からスピーカーが怒鳴っているが、麻機の沼はどこか遠いことのように静まり返っている。

テレビに映し出された人々は手際よく立ち振る舞っている。自衛隊の上陸用舟艇みたいなものからトラックが吐き出され、首相もヘリコプターで飛んできた。

炊き出しのおにぎりを食べないですぐお付の人に渡していたのは、放送されたくない場面だったろう。あまりにも手際よく行くのは前もって準備されていた通り動いたものだったが、伊豆の会場では飛んでくるはずのヘリコプターが転校不良が原因で来なかったそうだ。

地元で待っていた人は、「これくらいの曇り空でで来られないのか」といい、緊急援助隊側は「訓練だし安全のために中止した」と言われればどっちも理屈であると思う。そして、実際最近起きた地震にはこんな場面をついぞ見ることがなかったように思ったのだが、、、、。

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「心中」という言葉がある。もともとは「ご心中お察し申し上げます」というように相手をいたわる言葉だったが、江戸時代、近松門左衛門が曽根崎心中を書き上げて以来、若い男女が世をはかなんで相対死(合意の上での相対自殺)することを心中と言うようになった。

戦後になって、家長権が低くなると親の承諾なんか気にしないで一緒になれるところから心中ということはほとんど死語になり、変わって生活苦から子どもを殺して親が死ぬというような「無理心中」と言う言葉が中心になった。

しかし、無理心中は殺人者が後追い自殺することであり、こういう言葉は早急に使わなくしたいと思う。先日の東京で現職警察官がストーカー行為の挙句女性を射殺し、自分も自殺したと報道されていた。これに対して警察は退職金を払うと言っていた。これは、法律をどう解釈したか知らないがアリエナ~イ

よく事情を知らないで言うのもなんだが、勤務時間中に制服を着て拳銃を使ってした行動だとしたら、これほど警察の信用を失墜させたものはない。殺人者に退職金を払うと言うのは世間の常識では通らないことである。もし、警察幹部のいうように退職金を払えばどういうことになるのか分かっていて発表だったのだろうか。

結果的に、警察官の親が辞退したことにより支払いはしないことになったが、黙っていれば支払っていたに違いない。

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今日の花。左、烏瓜も色づき始めて、、、右、お茶の花、静岡ではありふれたものだが、放棄した畑のほうが早いような気がする。

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2007年9月 1日 (土)

文明とは

Img_0037 藪枯らしが目立ってきた。繁殖力の強さから見る見るうちに木も草も包み込んで下の植物を枯らしてしまうことから付けられた名前というが、下の草もそんなことにめげずしぶとく生きている。

そのくらいでなきゃ雑草稼業やってられない。

この名前を聞くと、昔読んだ山本周五郎の時代短編小説「やぶからし」を思い出す。生まれついての放蕩がやまず勘当されされ、自らを「やぶからし」と自嘲する前夫の下に幸せな家庭を捨てていく女心、、、、

花の部分を大きくしてみると、丁度学校で習った化学の亀の甲のように枝分かれした先に小さな花がひとつひとつと咲いている。

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子供の頃の話。「アメリカさんは不器用やで、鉛筆もよう削れんのやって」「フーン、そしたらどうやって鉛筆削るんやろう」

こんな話をしていたころ、どの子どもたちも”肥後の守」という二つ折りの小さなナイフを持っていた。先日、関市のカミソリ会社の博物館に行ったとき見た”肥後の守”はこんなに小さかったかなとと思うほどチャチだった。

これで、鉛筆を削る以外に竹とんぼを作ったり、杉鉄砲を作ったりするため、学生服のポケットにいつも入れていたが、なんの問題も起きたとは聞いたことがなかった。

家に帰れば、のこぎりで薪を切って、ヨウキ(大きな斧)で薪を割り、草刈には鎌を持たされ、半人前でも貴重な労働力として働かされ、結果的に、機械化された国のアメリカさんよりは身体を動かした分だけ器用だった。

それから50年余、危ないからとて刃物を持たせられなかった子どもは背が高く小顔になって、アメリカさんの体形に似てきたうえ、鉛筆削りは勿論、釘打ちや鋸を使えなくなった大工やシャベルも使えない土方までつくりだし、胴長短足の我々が前昔笑ったアメリカさん並みになってしまった。文明とは、機械がなくなったら自活できなくない人間を作り出すことを言うのか。

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今日の花。左、マメアサガオと右、ホシアサガオ、よく似ているので判別しにくいが、マメアサガオは花柄に突起があり白から薄紫が多い。ホシアサガオは紫色の花ををしているという。

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