小諸なる
九月十一日またしても、長野から急な要請があり、自動車の車検を予定していたのを延期してもらい出かけることにした。毎月のように出かけている最近、自動車屋さんは大変迷惑だったろうと思う。(小諸城天守台跡から望む馬場)
出掛けはよい天気だったが次第に雲が多くなり、野辺山を越えた付近から降りだし佐久に入るまで降られた後、雨がやんだので小諸の懐古園で少し遊んでから、立科町に上がった。
懐古園もこれで何度目になるか、古い城によくある山城でなく千曲川を背にして北国街道や、浅間山に向かって立つ平城で、近くの上田城によく似た構造を持つように見える。
この城跡を有名にしたのは、島崎藤村の作品、なかでも"小諸なる/ 古城のほとり/ 雲白/ 遊子かなしむ、、、、”ではじまる「千曲川旅情のうた」ではないだろうか。城は前にも書いたように、平地で背後が一段と下がった千曲川であるため、深い空掘りが幾重にも取り囲み、いかにも攻めるに難しそうな縄張りがしてある。
最近長野はNHKの大河ドラマに影響されて、何でもかんでも「山本堪助」が絡んでいたとしている所が多く、パンフレットにはここも山本堪助が縄張りをしたと書いてあったり、長野に侵略した武田信玄をたかく評価しているものが多い。
私としては、史書に実在した証明のない人物は、猿飛佐助同様物語を面白くさせるために後世の人が作った架空の人間だと思っているで、郷土史家らがこういうパンフレットをつくり、観光協会の名で出すのは非常に不愉快である。
もっと、地元の豪族村上氏などをとりあげて、紹介してほしいものと思う。
その後、途中知り合いの家で、プルーンとりんごを分けてもらい義弟の家へ。その夜はまた別に家に寄せてもらい、静岡で手折った月下美人の開くのを眺めながらまたお呼ばれ、こんなにしょっちゅう出かけても嫌な顔をせず歓迎してくれる人たちに「感謝感謝」で言葉なし。
今日の花。左、天守台下に聳える樹齢三百年といわれる欅の木、長い風雪を見てきたことと思う。右、七竈(ナナカマド)信濃の秋はこの実の色づきから
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