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2007年10月30日 (火)

夜明けの富士 太郎坊から

Img_0045 写真。朝日を浴びて赤く染まった富士山頂と残り少なくなった富士薊)

午前五時半、東の空一面が赤くなっているもの、空には雲ひとつ無く、半月とオリオン座が近接して輝いている。富士はまだ、闇の中に薄く見えるだけ、、、

富士山御殿場口の太郎坊駐車場に車を停めたときはまだ暗く、街灯が辺りを照らしていた。それでも先客?が二台離れて駐車していた。

今日は此処から登れるだけ登って来ようと思ったのと、朝日の写真を作りたくて来た。早速支度して、駐車場をでる。傍の車が慌てたように車内灯をつけるが、こちらは久し振りの御来光なので嬉しくてじっとしていられない。

富士山にはいろいろな登り口があるが、同じ5合目と言っても富士宮口と吉田口は標高が2,300mを越えるのに対して、須走口は2,000mほど、御殿場口に到っては1,400mしかない。そのため、このコースは人気が無く山小屋も少ない。唯一賑うのは富士登山駅伝があるときだけぐらいのもの。

宝永火山の噴火で降り積もった小さな火山礫(スコリア)は、灰分が無いため固まるということが無く歩きにくい。”三歩進んで二歩戻る”というほどではないにしても、無駄足が疲れさせる。

Img_0043 30分ほど登った所で朝日が顔を出した。予想より下のほうだった、雲の切れ間みたいな所から海坊主のように赤い火の玉が上り、富士の頂を染めているが、こちらも少し迫力不足。それでも山は一瞬で明るくなった。

道脇には、かさかさになった御蓼(オンタデ)と富士薊の穂が風に吹かれて舞い散っている以外なんの音も無く静寂な世界が荒涼として広がっている。

昨年登った二子山を横目で見ながら、登れば下から湧き出た雲の勢いが激しく、たちまち下界が見えなくなった。次郎坊(1,900m)に着いたのは登りだしてから一時間と少し、此処から上は傾斜も急になるので、今度は二子山の裏を回って下ることにする。

二子山から来る道と合流し、幕岩へ下る道との分岐で一休みし食事にする。此処から先に落葉松林に入るのだが葉の色がほん黄色くない、やはり、今年の紅葉は良くないのだろうか。

分かりにくい道を探しながら下る、幕岩は思っていたより愛想の無いところで、名前負けか。此処から道は幅広くしっかりとついている。

Img_0068 明るい森林帯を横道が走り、心地よくもとの駐車場に向かって進めば、ようやく赤いカエデや黄色いイタヤ、そして、倒木にはキノコもあって楽しい散歩道になった。

全工程四時間すこし。

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今日の花。左、マユミ 右、カエデと松と富士

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2007年10月29日 (月)

今回は感より科学

Img_0164 朝六時ころの空を見て山行きをあきらめた。(写真は、麻機から望む竜爪山 秋真っ盛り)

昨夕は月も煌煌と輝き、天気予報も晴れることを約束していたが、今朝の空は暗い雲で今にも降りそうな気配がしていた。こんな日に行って見たって、と断念するのは簡単。

ところが、まもなく雲も東に押し流されて明るくなってきたのは八時ころ、十時ころには巻雲も見え、富士山も顔を出した。今日は、感より科学の勝ち。

ポカポカと暖かくなると、いま盛りのセイタカアワダチソウに最後の蜜を求めて虫が群がり蜜吸いに脇目も振らず、少しぐらい花を揺すってもはなれようと。しない。

沼には、鴨の仲間も戻ってきたらしく賑っている。

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今日の花。左、紫苑、綺麗な名前に似て花も愛らしい 右、セイタカアワダチソウに群がる昆虫のひとつ、花虻。蜜吸いに熱中していた。

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2007年10月28日 (日)

小母さんの団体は

Img_0071 台風一過。空に雲ひとつ無い秋の空が広がっている。

近所から見た富士の姿があまりにもくっきりと見えるため、家庭サービスを兼ねて、朝霧高原、田貫湖に行ってきた。

まづは、田貫湖の南側、キャンプ場入り口の駐車場に車を停めて、田貫湖の外周散策路を一周することにした。

富士山の最大崩壊地、大沢崩れを真正面に見ながら芝生を、桟道を歩く。空は澄み富士や長者ヶ岳がすっきりと見え、山の紅葉の色づき具合が分かる。この当たりのカエデは少し色づいただけだが、上の方では盛りらしい。

Img_0060_2 そして、湖の中には見慣れない水鳥の一団が人を目掛けて集まってくる。「なんていう名の鳥?」と聞かれてもとっさのことで分からない。シジュウカラガンみたいだけど、そんなのがはや渡ってきたのか?、アヒルではないし、分からないなぁ。と

かえって調べたらカナダガンだと分かったが、そんな鳥が何故こんな所に、そして、あまりにも人馴れしてしているので昨日今日此処に来たのではないみたい。誰かが連れてきて放したのか、、、、)

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そんな景色を見ながらの散策だが、前後にバス観光客らしい一団がダラダラと歩かれて、抜きもさしもならない。自分勝手かもしれないが、もう少しまわりに気づかって、せめて2列で歩いてもらいたいと腹が立った。

約50分かかって元の駐車場に帰り着いたのだが、どうも景色とちがってすっきりとしないので”小田貫湿原”の方に回ってみることにした。こちらは来てみると駐車場に車が全然止まっていない。

Photo やれやれ、花はなくてもとおもって入ると、ルリタテハが一羽飛んでいた。これは幸先よいと中に入ったら、バス一台分らしい人が座り込んで食事中。

中には10人弱の小母さんが、座る場所が無かった(もう少し分散すれば場所はあるがガイドの傍を離れたくないらしい)と見えて、道の上に車座に座り込んでおにぎりを食べている「どうぞ、どうぞ真ん中を通っていって」と言い誰一人道の上のおかずなどを避けようとする人が居ない。

踏まないように気を使ってみたが、これも腹立つ。「せめて片隅に避けられないかね」と言ってみたが、ふたたび空虚な声で「ゴメンね」というだけ、常識の無さにあきれる。

小母さんの団体というものはどうしてこんなに非常識、、、、(小父さんもだって?   そうかもしれない。群れないと良い人が多いのだけど、、、、)

どうしても、気が収まらないので一番近い「天母の湯」に向かう。ここは塵焼却場の余熱で沸かした湯だが、目玉は薬草入り露天風呂である。眼下の富士市から駿河湾、伊豆の山を眺め、ゆったりと浸かれば気も落ち着き、帰りの車内は身体から発散する薬草の匂いを確かめながらの運転になった。

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今日の花。左、竜胆(リンドウ)右、山韮(ヤマニラ)秋は紫の花が多い。何れも小田貫湿原にて

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2007年10月27日 (土)

雨 あめ

Img_0034 台風に伴う雨が終日降っている。(南天の実に付いた雫。ひとつひとつにミニワールドが)

昨日も今日も雨に閉じ込められているのも嫌になって傘を差しての散歩道、幾つかの雨だれの写真を写してきた。知らない人が見ればきっと不審者に見えたかもしれない。

そういえば、雨はよほど演歌にしやすい題材らしく、雨の歌で検索したら百曲ぐらいはあるようでとても数え切れなかった。

日本は四季それぞれに降る雨が違い。日本人の気性とも合って、というより気象が日本人を作ってきたのだろう。

とにかく、ウエットな歌が多い。失恋すると必ずと言って良いくらい雨が絡んでくる。あまり世界の気象に詳しくは無いが、ヨーロッパや南米など大陸性気候は「夜が明けたら雨季だった」なんてのが多く一夜にして季節が変わる。

有りがたい?ことに、日本には四季というものがあり、行きつ戻りつを繰り返しながら徐々に春夏秋冬と変わっていきそれぞれに彩りを味合わせてくれる

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Img_0032 今日の新聞によると、安倍奥の盟主「山伏岳(ヤンブシ)」で立ち木をかなり傷つけているらしい。それも長年にわたってのことだと書いてあった。自分もこの山には何度も登っていながら気が付かなかったのだが、どんな人がやったのだろうか。(写真、今年3月のヤンブシ頂上から)

切った木でベンチまで作っていたというから、本人たちは良いことをしたという気にさえなっていたのではなかろうか。

最近は、山での塵も少なく、立ち木に名前を彫る人もいないのでマナーがよくなってきたのかと思っていたのだが、公私の区別がつかない人は何処にでもいるものだ、、、、関係者は嘆き、警察は器物損壊で調べると言う。

しかし、ほかの山に行って見ると富士山方向だけ切りあけていたり、頂上に不似合いな芝生を植えていたりする山も多い。これは市役所や観光関係者の一部の人の見解で良かれとしているらしいのだが、このへんをどう解釈したらよいのだろうか。

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今日の雨。左、カンナ、花季の長い花でいまだに咲いている。右、山茶花、、、の宿はもう少し冷たい雨が似合う。

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2007年10月26日 (金)

予想外だった

Img_0007 終日雨がふり、川面は暗い。鴨の群れも動きを止めて秋雨に打たれている。

台風の影響とかで、朝から時おり降る雨はタイミングよく?散歩に出かけようとするたびに降ってきたので、いちにちほとんど家から出ることなしに過ごし、「カウチポテト」状態でいたら、おなかが張って苦しい。

いくら、食欲の秋と言われてもちょっと詰めすぎた。

今日は、天文学的な満月だと載っていた。先日の十三夜から数えれば十六夜(いざよい)になるのだが、あまり理知的に言われるとなんだかややこしい。

いずれにしろ、生憎な空模様ではお月様にお目にかかれる術は無い。

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今日は朝から亀田兄弟の長男の謝罪会見でテレビ局が盛り上がっていた。この中で「おやっ」と思ったのは、彼が意外としっかりしてインタビューに応じていたことだった。

年が20歳というだというが、おもわずその年代の自分と重ね合わせて見ていた。自分も20歳の時、親の病気の都合で一家の大黒柱にならざるを得なかったのだが、これだけの記者を前にして、ほとんどぼろを出さずに応対しえただろうか、、、、と。この会見だけで、良い悪いは別にして、彼に対する印象がずいぶんと違ってきた。

こうなるとまた、「子どもを守る」と言っていた、彼らの父親のだらしなさが余計に目に付いてしまった。

その後、中電の浜岡原発差し止め訴訟の判決が出たが、こちらはほとんど中電の意見を入れて原告敗訴になった。と報道されていた。

この裁判ではいくつも疑問をもっていたが、これほどまでに被告が勝てる状況だったのだろうか。今までいくつもの原子力関係の事故が起きてきたが、そのどれもが「想定外」という言葉が入っていた。

「想定外」というのは、自然の力を計算できるとした人間のおごりであろう。東海地震の震源地の真上に、どうして次から次えと作り続けたのだろうか。

耐用年数の問題はどうなのか?など、自分たちが納得し安心できるような判決が示されたとは思えない。

裁判官も長いものに巻かれる人の子だったか、差し止めした場合の影響を重視し、上級審に判断を丸なげしたような気がするし、国におもんばかった判決をだしたと勘ぐってしまうのだが、、、、。      如何

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今日の花。左、蜜柑。静岡の蜜柑は酸味が少しきつい”青島”という種類が多い。近年手入れする人が減って、これは摘果しなかったもの。右、山茶花、この秋庭で始めて咲いたもの。

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2007年10月25日 (木)

長い旅をまえにして

Img_0006 藤袴(フジバカマ)に浅葱斑(アサギマダラ)とまり、静かに蜜を吸っていた。

浅葱斑の浅葱とは文字通り葱の若いころの色合いで、羽根の中央が薄い青緑になっているところから付けられた名前だと分かる。この辺が、カタカナになると意味が分からなく、興味をなくす元になるのではないだろうか。

ともかく、この蝶は沖縄など南西諸島を春に飛び立ち、2,000kmほども飛んで東北地方や2,500mを越える山で見ることが出来るほど飛ぶ能力に優れている。

同じ蝶が、また戻るわけではないがいま平地で見られると言うことは、これから南方に戻るために力をつけているところか。

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今日の蝶。左、紋白蝶。右、黄蝶。いずれも油菜科の野菜に卵を産みつけ被害を大きくするが、無農薬を宣伝するため最近ではいくらか許しているところがある。黄蝶は触覚で隣の蝶に触れていたが、どんなコンタクトだったのだろうか。

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2007年10月24日 (水)

猿蟹合戦の蟹

Img_0077 小春日和というのにはまだ早いが、上空を覆った高気圧にせいで乾燥した青空が広がり、心地よい一日だった。

午前は後片付けと、ペンキ塗り。午後になって麻機の山に上がりアケビ採りに興じた。

アケビは、丁度熟れごろであり、沢山口を開いているのだが藪をこきわけるのも苦痛なら、木に登るのも体重の重さと腕力の減退で億劫というより出来なくなり、手の届く範囲で大半を見逃して帰ってきた。

あたかも、猿蟹合戦の蟹のような気分だった、それでも写真のように籠半分くらい収穫。

あまり食べる人もいない昨今、これぐらいで充分なのだが、すぐ目の上に見事なものが下がっているのを見捨ててくると言うのは、モッタイナイ感じがして仕様がない。

食の偽装.

今日、ミートホープの社長が逮捕された。事件が発覚してから4ヶ月と言うが次から次えとにたような事件が起こり、なんだかもっと古い話しのような気がする。今年はこれで食品関係の偽装が「白い恋人」「赤福」「比内地鶏」など大きいもので四件あったことになり、中国のことをあまり言っていられ無いような状況になってきた。

いずれも、内部告発が元になっての発覚なのだが、経営するものにとって従業員にも納得(労務管理を含めて)させるものを作っていかなければ、いつ告発されるかわからない。

昔のように、会社に対する帰属意識が強烈だったころとは違い、事業主が合理化などで経営方針がドライになった昨今、従業員の気持ちも変わって来ている。

儲けにだけこだわった商売をすれば、この種の事件は後を絶たないようになる。

一方で、まだ食べられる物を捨てるというのはもったいないことである。餓えた時代を経験したものとしては分かる。この辺になにか解決策はないものだろうか。食料自給率が40%を切る国として、贅沢なことは言っていられない筈なのだが、、、、、

今日は”降霜”

長野ではもう霜が降りて、立科町では一昨日の朝トラック前面が真っ白になっていたという。しかし、ここ静岡ではまだ最低気温が10度を切った様子もなく霜はおろか紅葉の話もまだ聞かないので、紅葉見物を兼ねた山行きはまだ先のこと、、、、、

同じ降霜でも、霜降りの牛肉は日本独特のものだった。脂の入り具合によって、舌先でとろけるような味がする。外国で食べた肉の硬さ、脂身もなく口の中でいつまでも噛んでいた後に食べるとこの世のものとは思えないほど美味しい。しかし、これほど美味しくするにはそれ以上のモッタイナイを付け加えねばならないのだ。

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今日の花。左、蕎麦の花、成長の早やい蕎麦は2ヶ月で三面体の黒い実を付け、新蕎麦となる。右、沢胡桃(サワグルミ)黒くなって自然に落ちても誰も拾わない。まだ青いうちに叩き落して土に埋けたのはいつの頃だったか。

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2007年10月23日 (火)

十三夜

Img_0083 日が沈むころに、月は早や中天近くまであがっていた。

今日は十三夜だと早くからテレビは言っていた。完全なものより少し瑕疵ののあるものを好むのは日本人の古来からの思想か、、、

子どもの時、”青い月夜の十三夜”という歌があった。古い時代のよき歌で印象に残っている。ほかには、樋口一葉の短編小説で「十三夜」というものがあるが、こちらは、嫁ぎ先から逃げ帰ってきた女性の話。

十三夜とは、なにかあやしく男と女をわきたたせる何かがあるのだろう。

日暮れが迫ったここ麻機沼近辺では、薄の穂ごしに月が出ていた。ここに団子を飾れば絶好の舞台になるだろう。

夜が更ければタヌキもご相伴に預からんものとのそのそと出てきて、タヌキ囃子でも興じてくれればもっと楽しい。そんな昔話みたいことを考えながら、日暮れて足元がおぼつかなくなるまでベンチに腰掛けていた。

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昨日今日と、我が家を少し手入れした。昭和53年の建築基準法以前に立てた我が家は寄る年波にたえかねて、一部鉄を使っていたところの錆が進んできたため、長野から来てもらって修理することになった。

本来なら、市の耐震診断を受けて改築すれば、補助金も出るのだが、それをするとアッチもコッチもといわれ、生半可なお金ではすまなくなり、中古車の修理ではないが新しく買ったほうが得みたいな状況になりかねない。

そのための処置だったが、来てもらえば当然夜の歓迎会が盛り上がる。知人にも声かけ、6人でビールだけでも10数リットルを平らげ、ほかに、、、、となると、ブログどころの騒ぎではない。

         騒々しく夜は更けて行った。

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2007年10月21日 (日)

アカトンボ

Img_0074 赤とんぼ

夕焼け 小焼けの 赤とんぼ

おわれて 見たのは いつの日か

、、、、、、、、、、、、

夕焼け 小焼けの 赤とんぼ

とまって いるよ 竿の先

三木露風の作詞で有名な童謡である。ちいさな庭の山茶花も一厘ほころび、赤とんぼが長旅に疲れたか棒杭の先に羽根を休め、人が近寄っても逃げないでいるいる。秋はこれから晩秋にはいる。

赤とんぼには幾つか種類があるが、写真のトンボ、秋茜(アキアカネ)は一番数の多い種類ではないだろうか。

このトンボ、私と同様、夏の暑いのが苦手だと聞く。そのため、六月ころ田んぼなどで羽化したあと、高い山に避暑をすると称して登っていってしまうそうで、夏場は近所で見ることが出来ない。      羨ましいかぎりだ。

そして、今頃になって田んぼのある人里に下りてきて、子孫繁栄の儀式に入る。

赤とんぼの歌は、子供の頃から不思議な歌だった。私たちの飛騨で赤とんぼという場合、言葉のアクセントが無く平板に流れていくのだが、歌の文句ではアカというところが異常にきつく発音するのと、おわれてという文句は追われてとばっかり思っていた、まさか、背中から見た記憶とは想像も付かなかった。

また、竿の先は意味も分からず、くすっと笑うことになっていた。

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今日のテレビで、水木しげるの戦争というのと、学徒兵許されざる帰還、、、というのをやっていたが、いずれも、旧軍隊で玉砕したと発表された部隊と特攻隊として出撃に失敗したり、生還した人に対する隠蔽を軍の上層部がやっていたことを題材にしていた。

先日、沖縄戦で集団自決を軍が強制したことを教科書から削除しようとしたことなどから沖縄県民の反発を招き修正をすることになったように、上層部の面子だけで、死に追いやられた人がどれだけいることか、、、。

現在においても、イラクやアフガニスタンで無駄死にさせられいる人は、かなりの数に上っている。戦争とはそういうものだという認識が足りないのではないだろうか。(細かく書きだすと何処へ行ってしまうか分からないので打ち切り)

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今日の花。

左、ダリア、千変万化種類も多く名前も知らないがシンプルな所がいい。右、トリカブトだが、茎もしっかりとして見たことの無い種類、花壇に植えられていたものだから園芸品種かと思うが、毒の方はどうなのだろう。何れも今日蕎麦を食べに行った有東木で写す。

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2007年10月20日 (土)

空を掃いたような

Img_0049_2   昨日の雨空を掃いたような雲がかかっていた。

巻雲というそうだ。雲の中で一番上にかかる雲で秋を代表する雲のひとつだと言うが、大きな箒でさ~っさっと掃いたような、または水墨画を描いたようで気持ちがいい。

爽やかな風の下、ススキの穂波もゆれ静岡市のシンボル竜爪山をはじめ、天辺を白くした富士ももすっきりと見える。

多分、この天気では竜爪山は人でいっぱいになっているのではないだろうか。人ごみぎらいの当方としては、こっちならと麻機沼の草葡萄を孫の土産にせんものと出かけて見たが、こちらもNPO法人麻機沼を守る会?とかが横断幕を下げて駐車場に車を溢れ返させていた。

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Img_0043 午後は孫とさつまいも掘り、午前中湿っていた土も乾いて掘りごろを迎えていた。蔓を刈り取って横に移し、両側を掘って蔓の根元を引っ張れば大きく育った芋がごろりと転げだす。

畑も、植えた人も知り合いなので、一畝分けてもらっての農作業だが、面白いのかもっと掘りたいという。しかし、こちらとしてはそんなに掘っても始末の仕様がない。

「くりより美味い十三里」とは江戸時代の焼き芋屋のコマーシャルだが、小さなものを選んでアルミホイールに包み、脱穀し燃やしている籾殻の中にいれて帰った。

「まだか まだか」と催促する孫をなだめ、日暮れ時に取り出してくる。

Img_0060 アルミホールをはずせば、中からちょっと土が残り焦げ目の付いた芋がポロリと出てくる。アチッチと言いながら割れば黄色い中身とともにいかにも美味そうな香りが鼻を付く。

あしたも良い天気を思わせる夕焼けと半月の中、「じいじ、明日も焼こうね」というのに、そらをつかって「空かね 芋かね」と

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今日の蝶。左、ウラギンシジミ。 右、ヤマトシジミ。先月半ばくらいまで羽根をたたんで裏を見せなかったシジミチョウも、最近ではこれ見よがしに広げている。これも季節のなせる業か。

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2007年10月19日 (金)

蟻んこの行列

Img_0012 近所の小学校で稲刈りをやっていた。

およそ50人くらいと見受けたが、高学年らしき児童が田んぼに入って稲を刈り、道路まで運び出したものを今度は中学年らしき子どもが、学校まで手で抱えて持っていくという作業をしていた。

Img_0015 生真面目にもてるだけの稲束を抱え、道路の脇を一列になって歩く子を見ているうちに、子どもたちが蟻んこのように見えてきた。

蟻んこや蜂は一見みんながセッセと動いているようだが、中にはズルするのが2割はいるそうだ。その2割を除くと、残った中でまた2割が働かなくなると言うが、この話、人にも当てはまるのだろうか。本当かどうかは知らないが、2割のほうは見ないようにして写す。

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午後になって、静岡JAの合併記念とかで、吉本新喜劇とお笑いタレントを招いての大会があり出かけてきた。

入場券には誰が来るとも書いてないので、そんなに期待もしないで会場に行ってみると結構沢山の人がいた。でも、見わたすと白髪や薄い人ばかりでほとんどが60代から上の人ばかり、ウイークデーということもあるのだろうが、JAもこんな人ばかり相手にしているんじゃ、、、、ね~。

3時すぎからの開演だが、ほとんど知らない芸人ばかり、昔はテレビなんかで劇場中継もあって吉本新喜劇の俳優も知っていたが、今では代替わりしたのか、こんなところまで来ていられないのか、と。

それでも、たまには外に出て笑っていられれば、というのが周りの感想。

Img_0022_2 最後になって、ようやくオール阪神巨人が出てきて盛り上がった。やはり格が違うと感じた。

しかし、ほかの出演者の芸歴はいずれもかなり長いようだし、テレビにコントなどで出てくる芸人やクイズ番組に出て来るアホバカタレントと言われる人と遜色ない芸を見ていると、つくづく運のあるひと無い人の差が見えてくるようで、なんだか複雑な感じ~。

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今日の花。左、伊吹防風(イブキボウフウ)。右、白玉菊。せり科の草も、菊科の草もなかなか区別がしにくいのでこれであった欲しいという願いも込めて、、、。(八高山で写す)Photo Photo_2

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2007年10月18日 (木)

茸づくしでどーよ

Photo 月夜茸(ツキヨタケ)が有名なのは、この茸が美味そうに見えること、そして、小さいものは野性の椎茸に見えたり、大きいものでは私たちが”モクダイ”と言う名前で好んで食べるヒラタケによく似ていることである。

そのため、全然茸を知らない人より、なまじっか知っている人のほうが中毒になる。その毒はかなり強いらしくよく新聞に載っている。

「この茸、本当に光りますか」と昨日地蔵峠であったNさんから聞かれたが、夜中の山を歩いたことがないので私はまだ見たことがない。ただ、この茸の見分け方として、秋の早い時期に出てくるのと、木についている部分が短いながらも小さな茎を持っている。さらに、割ったとき茎に近いところに黒い斑点があることで区別し、あとは、疑わしいと思ったら、、、、。

Photo_2 疑わしいと思って食べるとそのことだけで、下痢をする人がいるし、今まで安全で美味いと言われていたスギヒラタケ(写真左)にしても、二年ほど前に東北地方で中毒を起こしてから、不気味な存在になった。

そんなこんなで私は、どんなに沢山獲れても、茸のお裾分けだけはしないことにしている。

しかし、いままで安全だったものがなぜ急に有毒化するのだろうか。スギ花粉症などに見られるように日本人の体質が、抵抗力が、変わってきたのではないだろうか。

東南アジアへ旅行に行って現地の人が食べたり飲んだりしてもなんとも無い物で、赤痢になったりするのもそんなところ原因があるように思う。

あんまり衛生面に気を配った挙句、ばい菌などにたいする免疫力をなくし、スーパーで売っているような「もやし」や「エノキタケ」のような人間を作ってしまったのではないか。もっと、泥んこ遊びをさせて”きれいきれい”なんかで手を洗うことを止めましょう。と言っても無理かな?。

ちなみに天然のエノキタケは茶色くて足の短い茸で、同じものとは思えない程違うし、もやしも同様だ)

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今日のきのこ

左、焼麩茸(ヤキフタケ)。若いうちはまだしも固くていかにも食べられませんの代名詞みたいだが、自然は彼らを欲している。右、埃茸(ホコリタケ)、このくらいになると真ん中の穴から埃のように胞子を飛ばすので子どもの玩具になる。しかし、若いうちは美味いと言うが食べた事はない。

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2007年10月17日 (水)

まだ紅葉には 青笹山(1,550m)

Img_0196 明け方の四時だった、小用で起きてみた空にはオリオンがすっきりと見えた。雲も風もない朝を約束しているかのように。

再び目が覚めたのは六時過ぎ、急いで朝ご飯の後支度をして正木峠(どの字が本当か分からないのでとりあえず、、、、)に着いたのは七時半だった。

何の音もしない静寂な山道を登る。今年は五月にシロヤシオを見に天津山まで行っているのでそれ以来になるが、この道はこれで何度目だろうか。

順調に地蔵峠、仏谷山と過ぎるのは”実もない花もない、、、”の証拠。仏谷山から引き続き青笹山に向かう。今日の目当てはサルナシの実。この稜線近くにサルナシの蔦があり、前に沢山取ったことがあるので今年はどうかなァと来てみたが何れも実一つ見つからない。

熊や鹿に荒らされた形跡もないことから、出来なかったようだ。気候のせいか、今年の山は不作なのかもしれない。猿や熊などがまた里に下りてくるぞ、、、と。

Img_0214 紅葉にはまだ間があるようで、落葉松も青々としているなか、ナナカマドの実(左の写真)とズミ(小梨)実の赤、そして、ヤシオ躑躅の一部が色づいているだけ。

また、周りの倒木などに茸がないかと入りたいが、最近道の手入れが行き届いていないため、笹が伸び道をふさいでいる上、露がいっぱい付いていて肩から腿の下にかけてぐっしょりと濡れてしまい、道を外れる気が起きない。

細島峠を過ぎた辺りから、山梨川から吹く風が強く身体が冷えたので、ヤッケを取り出して重ね着をしながらようやく山頂に着いた。

Img_0208 仏谷山からチラチラと見えた富士山も青笹山からは藻裾に雲を巻きつけ、薄墨で書いたように見え、清水港は霞の彼方と言った状態だった。そして、静岡の何処の山にもある、例の串刺し団子のような頂上標識の下には一株の御山竜胆が咲いていた、この山ではほかに見ることがなかったので不思議な気がした。

帰りは、来た道を戻るピストン登山。不思議なもので来るとき気が付かなかった物が目に付く、ゆっくり来たので見落としはないと思っていたが、物事は裏表じっくり見ないと見た内に入らない、を実証したようなものである。

Photo 地蔵峠まで戻ってくると、同年輩に人が一人いた。自分が採ってきた茸(クリタケ)とサワモタセの話から、しばらく四方山話にはいったが、この人もあちこちの山を歩いているらしく話が長引いて、結局はここで打ち切りにして帰る。と言うことになり正木峠まで一緒に帰った。

サルナシ探しや茸取りを含め、登り出しから五時間の山行きとなった。

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今日の花。左、僅かながらこんなに色付いたヤシオ躑躅もあった。右、同じ枝なのにここだけが色付いた紅葉何が原因だったか。

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2007年10月16日 (火)

チャンピョン

Img_0057 久し振りに”草葡萄”を見つけて食べてみた。本当の名はなんというのか知らないが、名前から分かるようにごく低い所にあったので、小さい子どもでも簡単に取れた。

ある年のこと、これとよく似た黒い実を食べて亡くなった子がいて、以後はしばらく学校で禁止されていたが、いつも腹が空いている身としては、そんなこと守って入られない。こっそり山に入って食べたものだった。

懐かしい味は舌が憶えている、山葡萄に比べると量はすくなく、小粒ながら皮との間の苦味もなくて、美味い果物のひとつだった。

多分、今から考えると、中毒を起こしたよく似た実というのは青葛篭藤(アオツヅラフジ)の実だったのではないだろうか、食べた事がないので味は分からないが葉の形が違う。ただ、どちらも低いところにあり、こういう犠牲は食糧難で食べ物のない時代には、なんでも口にしたため、ほかの食べ物でも何回か聞いたことがある。

野生の食べ物は、そんな意味で時として冒険が付き物だが、親から、先輩からの伝授で憶えてきたものだ。

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11日に行われたボクシングの世界タイトルマッチは見る気がしなかった。

いまから、30年ほど前に当時アリスといわれたグループが歌ってヒットした”チャンピヨン”という歌が頭をよぎったのと、挑戦者の亀田一家が嫌いだったから、、、。

この”チャンピョン”のモデルが、カシアス内藤という選手だそうで、今回のチャンピョンと同じ姓だったのはは偶然の一致だが、33歳のチャンピョンが18歳の小生意気でも、体力のある挑戦者に歌の文句のように敗れてしまうのか、そんな試合を見たくないと思った。

ところが翌日のテレビを見て驚いたね。まるで歯が立たないと分かるとキックボクシングまがいの試合をして大差で挑戦者が負けている。勝つためには反則をしてでもという父親の指導の下、一家ぐるみの薄汚さは、お金儲けに走ったホリエモンらとなんら変わることがない。

試合前から、言葉や態度があまりにも悪いので嫌いだったが、テレビ局は「国民的ボクサー」だ、一家の家族愛は最高だと持ち上げさらに増長させた。

結果的に、今日当たりの報道を見るとどの局も「亀田一家」叩きにまわっている、まるで、胴上げの最中に一斉に手を引き地面に落としてしまう送別会のようになった。

もし、一部で言われている一家が演技で”ワル”をやっているとしたら、いまごろ歌の文句にあるように「かえれるんだこれで元の男に、、、、」と言って、、、いるはずないと思うんだけど。

この後、彼らがどういう道を歩むのか、興味津津。

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今日の茸。左、栗茸(クリタケ)右、箒茸、飛騨では鼠茸(ネズミタケ)という。何れも昨日の八高山で採取し、美味しく食べさせてもらった。これらの見きわめは親父譲り。

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2007年10月15日 (月)

遠い汽笛を聞きながら八高山(832m)

Img_0107 (馬王平から八高山山頂を仰ぎ見る)

昼のおにぎりを食べだしたとき、はるか下のほうで蒸気機関車の汽笛が聞こえ、下流の右手から左のほうに移っていく。

案内書には、富士から南アルプス笊ヶ岳にかけての山々が見えることになっているが、低い雲と霞に阻まれて望むべくもないし、西のほうには上手くすると、浜松のアクトタワーが見えると書いてあったが同様である。

今日は、旧金谷町の八高山に登ってみた。朝になって空を見ると秋晴れのよい天気。うずうずして来たが時間も遅くなっていたので「さて、何処にしようか」と迷った挙句、紅葉も期待しなくていい山ということで、この山を選んだ。

大井川鉄道の福用という無人駅に車を置かせてもらい、案内板にしたがって白光神社の参道にくれば祭り提灯が沢山下がっていた。聞けば、昨日が祭りだったので、役員の人がアトフキをやっているとのこと、「祭りの日でなくて惜しいことしたね」と言い、お宮さんのすぐ傍から急傾斜の斜面にとっかかる。

Img_0150 50分くらい急斜面と格闘しようやく主尾根、そこからは平坦な道を歩くこと30分で馬王平に到着する。すると、ここまで、掛川市の方から車で来られる林道があり馬王平は広びろとしていた。これから目指す八高山の頂上が正面に見え、足元には関屋の秋丁子(セキヤノアキチョウジ)(左上の写真)がいま盛りに群落を作っていた。

再び、静岡特有の杉桧の暗い植林帯を登り、電波中継所をを巻いて約30分で先ほどのお祭りをしていた白光神社の奥の院に到着した。

ここも、昨日の祭りで誰かが来たらしくしめ縄や小さな御幣があちこちに飾ってあり、本殿前に御幣が飾ってあった。いまでは小さな社殿になっているがその昔は修行者もいたとのことで、石垣の規模の大きさから何かあったことを想像させるものがある。

Img_0132 お宮さんに会釈をした後、右手を回って頂上まで200mとか、頂上には例によって団子のような標識とベンチ、そして、写真付きの案内板と親切そのもの、、、(大きなお世話)

また、その辺りだけに遠州白熊(エンシュウハグマ)という花があちこちに咲いていた。名前に遠州が付くだけあって、遠州と三河の一部でしか咲いていないという。

花は、高野箒に似ているが、草丈は10㌢程度のごく小さいもので気をつけないと見落としそう。

Img_0115 帰りは、主尾根の分岐を左に取り、傾斜がゆるい坂を下ることにしたが、深山シキミ(写真左)の艶やかな赤い実が印象的だったのと、少しばかりの茸を採取し、今晩の味噌汁の具として胃袋に消えた。

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2007年10月14日 (日)

マッキッキ~に染め上げて

Img_0064 今年もまた、背高泡立ち草が咲きだす季節になった。休耕田を中心に少し湿気の多い場所を真黄ッキ~に染め上げている。

一時は花粉症に元凶とも言われていたが、風媒花ではないのでその疑いは消えたものの、繁殖力が旺盛でほかの植物を駆逐してしまうことからあまり歓迎されている花とは言えない。

この花が持ち込まれたのは、養蜂家がこの時期に咲く蜜の多い花ということで持ち込んだという説もあり、食用として輸入したが失敗したジャンボタニシ同様、手が付けられない状態になってしまった。

これだけ流通手段が発達すると、種は世界を廻り弱肉強食の結果、日本中に何とか銀座があるように、何処へ行ってもその土地独特の種はなくなり、右見ても左見ても強い雑草ばかりで、世界中一緒の風景になってしまうことが早晩来そうである。

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本日は、孫の一人が最近では遅めであるが、大人になった祝いの赤飯をお裾分けしてもらった。

地球温暖化などで、環境が悪化していくと囁かれている中で、どんな人生が待っているのか、じいじとしては少々心配しながらもここまで育ったことを喜んでいる。

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今日の花。左、疣草(イボクサ)露草の仲間だけによく似ている。疣を取る草ということで名付けられたが薬効はないらしい。農家には嫌われているが可愛い花である。右、溝蕎麦(ミゾソバ)蓼の中ではきれいな花を咲かせる種類のひとつ。何れも麻機沼で写す

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2007年10月13日 (土)

鉄塔を見上げて

Img_0107 Img_0108 暑さボケが加わってか、あちこちで異変が起きている。

大したことないことがらかも知れないが、、、バイパス周りに植えてある躑躅が咲き、麻機の山では桃の花(厳密にはプラム)が咲いていた。さらに、昨日のテレビでもう流感までが流行りだしているという。

いつの年でも”狂い咲き”という現象があるものだが、どうも、季節感が次第にトンチンカンになってきたようだ。

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Img_0065 いま、第二東名の取り付け道路工事に伴って、中電の鉄塔が一基建て替えられている。いままでの鉄塔よりかなり高く4~50mくらいになるのだろうか、最上部の作業員が小さく見える。基礎工事にかなりかかっていたが、いざ櫓を組みだしたら2日ほどで組んでしまった。

やはり、クレーン車が入れるせいなのだろうな、自分たちが、アンデスの山中で組んだボーリングの櫓や、沼津の付近で組んだ井戸櫓を思い出した。

Img_0042 20m程だったが、櫓の支柱に滑車の付いた櫓をくくりつけ、手で鉄骨部材を引き上げて組んだものである。

いまでは安全面が重視されているので墜落防止の腰綱もつけなかった我々のやり方なんてありえないことだろうし、いま登ったとしたら、身体がこわばって身動きも出来ないかもしれないなどと考えながら、秋風の元、しばし、空を仰いでで眺めさせてもらった。

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今日の花。左、犬サフラン、サフランの仲間ではないそうだが、柔らかで上品な色合いの花を密集して咲かせる。右、紫蘇、今頃になって花を咲かせているが、はたして実がなるのか。時間との勝負になってきた。Img_0116 Img_0126

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2007年10月12日 (金)

帯祭り

Img_0017_2  今日から始まった島田の”帯祭り”を見に行ってきた。

家から一時間ほどで大井川河川敷にある駐車場に入り、そこからバスで市役所近くまで運んでもらう。

午前11時すぎ、すでに街中は三年に一度の大祭で盛り上がっている。

Img_0026 一番メインの大奴を見んものと探して歩くうちに、屋台の上踊りに見とれて、行列に追いついたときには、大奴の演技は午前の部が終わっていた。(大奴も普通のおじさんに戻って食事に帰る)

Img_0037 そのかわり、大鳥毛といわれる30kgあるといわれる纏を振り回して受け渡す演技をじっくりと見させてもらった。

帯祭りは、連続してではないがこれで四度目になる。これまでは大奴を中心に見てきたのだが、今回見ることを妨げたのは前にも書いた屋台の上踊り。

よく、「子役に食われる」というが、長唄に合わせて、踊る子どもの可愛らしさに見とれてしまったことにある。

二つしか見ていないので軽々に決められるものではないが、今回見た鏡獅子の女の子、7歳と脇に書いてあったが、踊る仕草を含めてまるで人形のような美しさであった。

いままで、人形を見て、「子どもの理想像で実際にこんな子供はいない」と思っていたが、訂正しなければならない。

もう一人は、8歳の女の子でやはり綺麗だったが、演目が大人びた踊りだったので、私としてはあまり、、、、。しかし、ここまでの練習は大変なものがあったに違いないと思う。

午前中は、天気も良く暑さまけをしそうだったので、お昼過ぎに自動車に戻り、川根の温泉で息抜きをして帰ってきた。

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2007年10月11日 (木)

静かなひととき

Img_0015 麻機沼に鴨が二羽寄り添って休んでいる。

傍を通りかかっても動こうとしない。ヒドリガモやカルガモでもなく、マガモの雌に似ているが、もう一羽根に派手な色がない。

マガモだとするとこれからの恋の季節を控えて、色鮮やかな羽毛に変身するのだろうな。

何処から飛んできたのか、疲れた様子。子育てを済ませたのか周りにはなんの影もない。人間なら、大仕事を済ませ何も語らなくても”以心伝”と言ったところか。心静かな余韻に浸っているようにも見えた

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今日の花。左、オモダカ、白い清楚な花を咲かせて秋深し。 右、ゴーヤー、実が黄色く熟れてはじけたところ。中身はとても瓜とは思えない様相。Img_0008 Img_0041

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2007年10月10日 (水)

金木犀のかおり

Img_0079 久し振りといった感じで近所の散歩に出た。昨日は空模様がよくなかったのと稲刈り疲れか身体がだるくて、散歩に出る気がなくそこらをよろよろと回っただけでお茶を濁した。

近所の下水処理場まで来たとき、強烈な匂いが吹き渡ってきた。金木犀だ!。高さ5mくらいか金木犀にしては大きいほうにはいるその木に、黄色い花をいっぱいつけて香りを放っている。

以前、トイレの消臭剤と言えば金木犀と言われた時代があったが、これは、ボッチャントイレの匂いを消すため、さらに強烈な匂いを漂わせた結果であり、そのため金木犀の匂いを嗅ぐとトイレを思い出す人がいて、金木犀には気の毒な事になった。

その後、トイレの消臭剤はラベンダーが主力になったので、、、、、これまた気の毒をした。

私自身は、この香りで思い出すのは、名古屋城の近辺で招待された結婚式場に行く道すがらを思い出す。歌は世につれ、、、という言葉があるが、香りや花にもその時を思い出させるものがある。

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今日10月10日は43年前に東京オリンピックが開催された日である。あの日は全国的に晴れた日だったのか、テレビの中も自分の頭の上もピーカンの青空だったのを覚えている。このオリンピックに間に合わせて買ったカラーテレビには真っ赤な選手の上着が写っていた。

あのころは、生活が急速に変化していった時代で、三種の神器から3Cの時代にまさに入ろうとしていたときであり、なんとはなしに高揚感があったように思う。

来年は、北京でオリンピックが開催されるのだが、彼の国もいまこんな感じなのだと思う。

ただ、外目から見ると一党独裁国家であり、衛生を含めての環境問題や応援態度から民衆のレベルが気にならんでもないが、これを機会に発展することは確実であろう。

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今日の花。左、七竈(ナナカマド)右、紅葉。何れも長野県立科町で、、、P1010024 Img_0013

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2007年10月 9日 (火)

寒露 甘露と

Img_0036 季節は進み、白露から一ヶ月今日は「寒露」だという。

寒気が強まり、露も冷たさが増してくる季節である。薄も白い穂を出しところ何処にある夜露を朝の光で輝かせている。

長野で満天の星を見ていたときはさすがに寒く感じたが、今日の新聞では、夏の暑さのせいで平地の紅葉は師走に入ってからでないかと言われ出したそうだ。

若いころ、ふるさとではとっくに済んだはずの紅葉を十一月に金沢兼六園で見たときには驚いたが、今年はどうなのだろうか。

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寒露によく似た言葉に甘露という言葉があるが、甘露とは、中国の伝説によき政治(仁政)が行なわれたときに天がその祥瑞として降らせる甘い味をした液体のことを言い、転じて美味しいものを甘露という。と辞書にある。

そうなると、甘露が天から降ったことは多分一度もないに違いない。

ドサクサの末発足した福田内閣の支持率は50%を超えているという。ご祝儀相場で出された数字なのか、あまりにも不評だった前首相への反動か知らないが、首相が変わっただけの居抜き内閣などと言われてマスコミの評判は芳しくないわりには高い支持率が出た。

これは、大衆の政治的関心がちょっとしたことで動き回る流動体みたいなものであることを照明している。

今度の内閣が、低所得者や地方(僻地)に住む人に対してまだ何の恩恵も果たしていないうちから、してくれるだろうと期待感を持ってのものだろうか。それともアンケートの対象が偏っていたためなのか。

いずれにしろ、この寒空のもと甘露が降ってから支持率を挙げてもおそくはないはずだが、、、、、、

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今日の花。左、四手沙参(シデシャジン)四手はしめ縄につける紙から来たというが、、、  右、薄荷(ハッカ)日本人に好まれる代表的な香草

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2007年10月 8日 (月)

秋の空で稲刈りを、、

Img_0033 今日は雨が降るということだったが、朝焼けが綺麗だった。夜の冷え込みもさほどではなかったが、ススキに付いた霜は心なしか白く感じられる日の出だった。

この日の日の出は、少し前の空は空の東半分の雲が真っ赤に焼け、西空にはうっすらと虹がかかるというめずらしい光景だったので、「この調子では、西のほうは雨が降っているな」と思っていたら、太陽が顔を出すか出さないかに雲で覆われてしまい、すぐさま小粒の雨が降り出した。

まったく、”女心と秋の空”をそのままにしたような天気だった。

田んぼの方は、あと小半日で稲の刈りいれも済みそうだったが止めて家の中でゴロゴロと過ごすことにした。しかし、その後の降り方がかなり激しくなって田んぼが水だらけになったので、後は任せて静岡に帰ってくることにした。

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今日の花。蔓藤袴(ツルフジバカマ)春に咲く草藤によく似ているが、花の咲く時期と大きさが違う。秋の七草の藤袴とは関係ない。右、秋の麒麟草。この花も秋を代表する野草のひとつ。

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2007年10月 7日 (日)

油切れの身体

Img_0066 いやぁ、世の中広いわ! 5日に出発、六日七日と稲刈りの手伝いに長野まで出かけてきた。

黄金色に広がる田んぼの脇に立ったときは、勇気凛々だったが、ところ変われば品変わる。静岡や飛騨でのやり方とかなり違っていたことと、田んぼに入った人が少なかったため、呑まれてしまってたちまち気力が萎えてきた。

稲を刈って束ねるのは機械がやるので、今では何処も同じだが、稲の束を稲架(はさ)の架ける方法が土地よってかなり違う。それぞれ理由があってのことだろうが、建築物同様全国のやり方を調べるのも面白いと思う。

Img_0064 佐久地方の乾し方は、一段の横棒にぎっちりとかけるのだが、稲束を二つに割るのではなく、軽く一つまみにして、少ないほうを交互に架けて行き、その上に二つ割にした稲束を被せていくというやり方だった。

しばらくぶりの農作業は、使わない筋肉を動かすのと、作業方法が分からないため、一日目が終わった時点で疲れが厳しく、日帰り温泉にしばらく使って揉み解さないと動く気力がなくなるほどだった。

翌日の作業は、仕事懸かりから体がきつく、作業手順が分かったものの、身体の筋肉は油の切れた機械のように滑らかに動かない。

遠くに見える田んぼでは、コンバインが見る見るうちに田んぼを片付けて次の田に移っていくのを見とれてしまった。

思わず、前にテレビで見た中国の麦家(マイカ)が頭によぎった。将来日本も同様になるのだろうなと、、、

中国では昔から大きな鎌を一丁持って、平野部の実りの早い人の家の麦刈りを賃仕事として請け負い、次第に熟れた麦畑を回って稼ぎ、最後には山奥の自分の家の麦畑にたどり着く仕事をしている人がいるそうで、その人たちを”麦家”と呼ぶそうだ。

それが、改革開放の波に乗って大きなコンバインで麦を刈り、脱穀する人たちがでてきて、麦畑の刈り取りを競争しているとのことで「激突する鉄と鎌」といった題名(?)で放送されていた。

しかし、鎌を持つ人が半日かかってやる仕事を、コンバインは15分で片付け脱穀までしてしまう。農家にとっては刈り入れ時期の問題もあり、高くても機械麦家に頼む率が多くなり、鎌しかもてない農民との生活格差はますます開いていくというものだった。

稲架で自然乾燥し、熱を出来るだけかけない方法で脱穀精米したほうが美味い米になると言うことが分かっていても、高齢化などで身体が動かない。

そして、今どき鋤鍬などで田畑を耕す農家がないように鎌で稲刈りをする農家もいない。高齢化し身体が動きにくくなってくる農家において、どうしても機械に頼る農業になっていくしかないのだろうな。

そんなことを、感じさせられた稲刈りの手伝いだった。

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2007年10月 5日 (金)

5球スーパーで

P1010091 久し振りに秋らしい天気になったが、夕方には一面の厚い雲の下夕焼けを見ることが出来なかった。秋に三日の晴れ間なしとは言うがあまりのも根性なしである。そして今日も、秋の夜長を思い出に浸ることとする。

私が育った鉱山の社宅は、いわゆるハモニカ長屋といわれるものだった。戦前の九尺二間の長屋はさすがになくなっていたが、それでも、八畳六畳の二間が最高で、風呂と便所は共同、流し(台所)は各家ごとに割り当ててあるものの共同であった。(写真、採鉱中止で荒れはてた社宅)

こうした中で、娯楽と言えば映画と演芸。戦後復帰の原動力として鉱山は景気がよかったので、周2回の映画と美空ひばり以外の芸能人がかなり来ていた。

しかし、秋から冬の夜は長く、一番の楽しみは当時全盛だった”5球スーパー”から流れてくる歌と落語、浪花節などを聞くこと。

”5球スーパー”と言っても今では何のこと?と言われるのが落ちだろうけど、真空管を5つも使った高級ラジオであった。ここから流れる落語や浪花節は最高だった。

耳で聞いて、場面を空想する楽しみ、巧みな話術でその世界に引き込んでくれる。先日、ご当地の新聞に「本を読むのは音読か黙読か」なんてのをやっていたが、私は、ラジオ同様、黙読し空想の世界に入っていくほうが好きだ。

先日も、浅草演芸場で落語を聞いたが、演者の質もあったかもしれないが、手振りや顔つきが気になって、目を瞑って聞いていたが、このほうがよほど臨場感があったのを憶えている。

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とつこつしている間に、長野の義弟から稲刈りの手伝い要請があった。「猫の手」程度しかならないけど、毎年100㌔ほども貰っているので明日出かけることにした。

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2007年10月 3日 (水)

野菊は嫁菜?

Img_0034 嫁菜(ヨメナ)どうしてこんな名前が付いたのだろうか。

子供の頃は。全て纏めてこんな花を野菊と言っていたし、学術的にも野に咲く菊科の植物の総称だという。

その花の中央に花蜘蛛がひとつ、じぃっと餌になる虫を待っている。緑色したその姿は結構愛らしい、しばらく見ていたが花の一部になりきっているかのように動かない。

結局、餌になる小虫の方は私がいるので近寄らず、邪魔をしては悪いかなと思ってその場を離れた。

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若いころ伊藤左千夫の「野菊の墓」という本を読んで泣けたことがある。

その後、映画やテレビで「野菊のごときは気味なりき」と名前を変え何度か作られそのうちのどれかをを見たが覚えがある。

正夫という少年と従姉妹で2歳年上の娘の純愛物で、世間や親類の思惑で民子が嫁に行き、流産のあと肥立ちが悪く、若くしてしんだあと、周りがめんめんと悔やむ、そして、墓の周りを民子が好きだといった野菊の花で埋め尽くすと言うような筋書きだったように思う。

この物語は、作られたのがいまから百年くらい前のころだそうで、葛飾柴又は映画「寅さんシリーズ」や演歌「矢切の渡し」で有名になる前は野菊の墓だった。

明治の初め、封建時代の産物を背負っているころ、男女交際にうるさい時期であったし、親の決めた男とお見合い結婚が普通の時代に書かれたものだが、昭和も30年代に入っても男女があまり大っぴらに連れ立って歩くと言う風には田舎ではなっていなかったし、私の周りでもそういうことはタブー視されていたためかなり実感があった。

この、小説の中で、「私は野菊の生まれ変わりよ」という民子の言葉の後に、粗野でなく、可憐で優しく品格があり、、、と民子になぞらえて野菊を褒め上げているが、この場合の野菊とはどの花だったのだろうか、時期から言って紫苑か野紺菊か嫁菜しかなく、私は一番鮮やかな嫁菜の方をとりたいと思う。

今日は、嫁菜に始まって、連想がここまで来てしまった。秋の夜長はまだまだ先がある。

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2007年10月 2日 (火)

水葵も咲いて

Img_0002 曇ったままの空ながら雨の気配もないので、散歩する距離を少し延ばして麻機北の方まで延ばしてみた。

蓮田の中では、枯れた蓮の茎の中に水葵(ミズアオイ)点々と澄んだ花を咲かせている。麻機沼の中の生命力旺盛な布袋葵(ホテイアオイ)に比べるといかにも楚々としている。

1年生の植物なので、蓮田を掘り起こす前に実をつけなければならないが、育つ場所が年年少なくなって絶滅危惧種に指定されているそうだ。美人薄命の感をいよいよ強くする。花言葉は、「雲隠れ」だというが、いずれ絶滅して雲隠れするかもしれない。

子供病院の裏側あたりでは、モズの高鳴きを聞き、保育園の運動会の歓声とスピーカーから流れる音を聞けば秋も真っ盛りといった感じ。

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今日の花。左、桜蓼、蓼の中で一番綺麗だと評判をとるが何せ小さい。右、なんの花かな~?、マメ科の植物のようだが背丈は3mくらいの葉が落ちない木に咲いていた。Img_0004 Img_0015

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2007年10月 1日 (月)

ひりりと辛い

Img_0060 山椒の実が黒く色づいてきた。赤い鞘の中から真っ黒な実を覗かせていかにも「辛いぞ!」と誇示しているようだ

「山椒は小粒でもひりりと辛い」昔はこう習ったように思う。でも、最近ではピリリと辛いと言うらしく、インターネットを見てもひりりとは書いた物はなかった。

思い違いで憶えたのかもしれないが、”ひりり”というほうがいかにも辛そうに思うのは自分だけなのだろうか。

山椒は、若芽のときの香りも素晴らしく日本料理にあっている、椒という字はそれだけで辛いことをさすという。

しかし、胡椒のほうは臭みを消す作用もあるみたいで、西洋では長期保存で傷みかけた肉の匂いを消すためにも重宝されたと言うから、用途が違っていたみたいだ。

.審議会は錦の御旗?

いま日本に、審議会や審査会と言われるものがどれほどあるのだろうか。おそらく数え切れないほどある、小粒の私にはひとつも回ってこない、こないからいうのではないが、、、、、、、

審議会とか審査会というものは、表向き学識経験者とか、そのほうの権威、名士とかで選んでいるが、指名する団体のお気に入りの人、都合のよい人、御用学者とかをお手盛りで集めたに過ぎない。

その結果、答申は集めた団体の気に入るような結論しか出さない、団体はそれを外部の識者にも認められた答申として錦の御旗にする。

なにかの本で読んだことがあるが、アンケートや民意を 「くわえ煙草の人の筆先でちょんと蹴られ」という意味の句があった。審議委員の感情、好き嫌いで決められるのもある。(静岡でも政令指定都市になった時、ひらがなの”しずおか市”や区の名前もアンケートでは北区、南区が多かったのだが、ろくに審議もしないでいとも簡単に変えられている。)

先日、横綱審議委員会の女性委員が朝青龍の問題を記者団の前で話していたのは、聞いていてただ朝青龍が嫌いという感じからの発言だったし、そんなこと記者団の前で話すのもどうかと思った。(審議会に属さない野次馬としてならいいのだが、、、、)

また、それよりも重大だったのは、沖縄戦で軍による集団自決を強制したとされる記述が削除させられた問題でも、審議会の判断だけで決められたもの。

国の重大事を、歴史を、審議委員が沖縄の現状もよく知らず、ただ自分たちの思い込みと文部科学省のご意向を汲んで決めたこと、事実をアッチコッチへと簡単に変えられてはたまらないのだが、、、、、。

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