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2007年11月30日 (金)

考えても見なさいよ

Img_0033 櫨の実が真っ黒になってぶら下がっている。

和蝋燭が廃れだしてからだれも採るものが無く、邪魔者扱いをされている木になった。

江戸時代には、一村一品運動みたいに各地で栽培されていたようだが、西洋蝋燭に押され、いまではかぎられた場所か、みやげ物としてか利用価値が無いそうだ。

きょうは、曇り空ながら天気予報は降らないと言い、僅かだが青い空も見えていたので麻機の上の山を歩いていると、ポツポツと雨が当たりだした。

天気予報を信用してそのまま歩き続けていたら、かなり激しくなり上着を通して濡れてきた。この時季の雨は身体に悪いので、早足を緩めることなく帰って来たが、これって、天気の不当表示ではなかろうか。

話は違うが、先日の東国原宮崎県知事の話しには笑ってしまった「徴兵制あってしかるべき」と、のたまったことだ。

”ヒガシコクバル”最近になってようやくすらすらと言えるようになった名前だ。キャッチフレーズ「宮崎をどげんかせんといかん」という言葉とともに宮崎産品のセールスマンとなり、テレビ露出とともに目立つ知事であるが、人気におぼれてか過去のことまで帳消しになったと思っているのだろうか。

彼が徴兵制をどんな風に思っているか知らないが、「若者の道徳観や倫理観を矯正したい」というとあきれて口が塞がらない。”そのまんま東”と言われた当時の行跡を人々が忘れたとでも思っているのか。多分自分は別の所にいて、他の人を自分たちに従順な型にはめたいという、偉い人によくある思想に取り付かれたのではないだろうか。

”隗よりはじめよ”以前に何度か軍隊に似た拘置所に入った経験からだとすると、最初の一回でなぜ矯正できなかったのか考えても見なさいよ。

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今日の花。左、冬珊瑚、見事に色づいている。もう少し大きかったと思うがどこかに珊瑚の簪があったはず、こんな色の玉に真っ黒になった銀の二股になった太目の針金が付いたもので玩具にして叱られた記憶があるが、何故貧乏な我が家に有ったのか、、、右、ノゲシ、野に咲く花も数が少なくなって目立つようになった。

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2007年11月29日 (木)

さざんか さざんか

Img_0010 さざんかさざんか 咲いた道

焚き火だ焚き火だ 落ち葉焚き

、、、、、

こんな歌があったっけ、一重あり八重あり、花の色も変化に富んで、ただ良く似ているのは葉の形だけ。

山茶花の生垣はまだあるが、街中の焚き火は無くなり、焼き芋はもとより、けむい風の立ち上る風情も遠い昔の話しになってしまった。

今日の山茶花も、花びらの先端に赤い絵の具をチョチョンとはたいて作った造花のようでおもしろくて写してみた。

花言葉は、”ひたむき”だそうだが、白い花には”愛嬌、理想の恋”赤い花には”理性、謙遜”があるという。それでは上の写真の花は白に薄く赤がかかっているので、、、若いときの恋なんだろうけど、なんと言って良いのかややこしいい、、、、、、「ええぃ、勝手にしろ。」

.落ち目の三度笠

きのう、防衛省の元事務方トップが夫婦で逮捕された。

私が、初めて勤めた鉱山は旧財閥系の会社で、採用時には本社採用は社員、地元採用は従業員と初めから区別され、国家公務員のキャリアとノンキャリアそのままの体制であった。

本社採用は、9年で係長になるのに対して、地元採用は係長はおろか、平の係員がせいぜいで、それもごく稀。

それだけに認められ、平でも係員になろうとようと涙ぐましい努力をした従業員が大勢いて、会社の大事な労務政策の一環をなしていた。昇格した場合、本人はおろか家族まで偉くなったように振る舞い、まわりから顰蹙を買う人もままいた。

本人は幾分仕様がないこともない、しかし、奥さんは関係ないはずだが、これが不思議と多い。多分上役におべっかを使ったりして内助の功があるとおもってのことか、、、。

守屋夫人も夫の出世とともにチヤホヤされた挙句が偉くなったような気分になったのではないだろうか、新聞によるとかなりのことを要求していたようで、官僚汚職に絡んで夫婦が逮捕までに到ったのは初めて聞くような気がする。

思えば、今年の春まで庁から省に格上げした実力派事務次官として権力を振るい、上役の大臣など「屁でも食らへ」と思っていたはず。

それが、秋風とともに「落ち目の三度笠」となり、どこまで落ちるのやら検討もつかない有様、、、、山茶花も済むころには、花びらが1枚1枚散るように、あれもこれもと、商社にたかってきた咎めが暴露され、とばっちりは波紋のようにあちこちに広がる。

虎の威をかった奥さんは今頃何を考えているだろうか。商社の専務とは友達づきあいだといっているそうだが、そんなことも分からなくなるほど、有頂天になって世間離れしてしまっていたことになる。

「わしもそんな友達を一杯欲しいもんだ。」と、、、、、

それにしても、この事件何処まで拡大していくのかわからないが、指揮権発動で幕を閉じないよう祈る)

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今日の花。どちらも名前は分からない、左は土手に咲くムクゲの葉によく似た形をした木の花。右はアスファルトのすき間に根を下ろしたムラサキニガナによく似た葉をした草花だが違うし、、。

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2007年11月28日 (水)

木の葉を払う

Img_0072 肌寒い一日であった。今日は七十二候のひとつで「北風 木の葉を払う」だという。

桜の木の枝に一枚だけ残った虫食い葉がゆれている。落ちそうでなかなか落ちないのは残り物の意地か。(信州立科町で写す)

先日来、飛騨、信州と歩いて気温がマイナス何度というところにいたので、寒さ慣れしたかと思ったがそんでもなかったようだ。

今朝の散歩時の気温は9℃。とすると15度ほど高いことになるが、青空の下の零下より、ときどきポツリと雨がちらつく曇り空のほうが寒さを感じるのは気持ちのもちようか。

歩きかけて1kmほど過ぎてからようやく身体が温まったのを感じ、二時間ほどたってから、ようやく汗ばんできたと言う有様だった。

そうしたなか”寒木瓜”の花を見かけた。

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木瓜の花のこまかいことは分からないが、春に咲く春木瓜に対して、今頃から咲く花を寒木瓜というそうだ。

花言葉を「先駆者」と勇ましいのが、、、少し似合わない

蕾から咲きそめにかけて青い味のかかった白だが、散り始めるころには赤く染まってくる。

まるで、水彩絵の具でサッと刷いたような彩りが素晴らしい。

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2007年11月25日 (日)

鹿が教えた湯治場

Img_0122 (谷に面した今日の宿)

そのむかし、鹿が教えた湯、つまり、鹿教湯温泉は傷に良い湯治場として世に知られている。

昨夜来の満月は煌煌として西の山に沈んで夜が明ける。朝早くから温泉街を散歩する。幾分寂れた感じは最近どこにでも見られる現象、観光客が少なくなったのか、大資本が客を吸引して小さな旅館が廃業していくのか、、、、

ここも朝市をやっているそうだが、私の自動車は米とリンゴなどで満杯、若干の余裕もなくなっているのでよらないことにした。

Img_0107_2 (鹿教湯温泉のシンボルマーク五台橋)川沿いに名所があるとのことで、町外れにあるつり橋、”紅葉橋”を渡り、右岸の遊歩道を下って鹿の化身だったと言われる文殊様をまつったお堂から屋根の付いた橋”五台橋”を渡って帰った。

Img_0106林の間にひっそりと立つ薬師堂)帰ってから、野天風呂に首まで沈み込む。この時季のため仕様がないかもしれないが、周りの木々からの落ち葉が沈み込んでいる。それを掻き揚げ尻を据える。

最近珍しいタイプなのか、ここは混浴になっていて女性が入っていた。そして、一部目隠しが切り取られているので道路から覗き見しようと思えば見られないことも無い。他にも五台橋の傍の風呂も同様であった所を見ると、これもこの温泉の特色なんだろうか。

さて、走行距離も500kmを越え、燃料も少し少なくなってきたのでどこかで追加しようと思っていた矢先。田舎道の小さなスタンドに「ガソリン143円」と書いた段ボールを見つけた。

「わぁ 今どきにしては安い」裏手にいた主人を確かめて満タンにしてもらった。出かけるとき静岡では151円という看板さえ見た。それが、山梨に入ると147円が普通になり長野で143円とくると何かおかしい気がする。

同じ原価なら、製油所や港から遠い内陸部のほうが高く、静岡が安くてもいいはずなのに、、、、、どういう仕組みになっているのだろう。

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今日の花。雪をかぶった一位の木。赤い実が映えてクリスマスツリーのよう。紅葉も大木の下の部分が霜や雪を逃れていまを盛りに映えている。Img_0024 Img_0052

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2007年11月24日 (土)

今朝はマイナス7℃、と

Img_0080 考えてみれば昨日は”勤労感謝の日”だった。長い間健康で働かせてもらったおかげで年金生活を送ることが出来るのに、つい仕事もせず、新聞もテレビもろくに見ていないので忘れて過ごしている。

もっとも、最近の祝日を世間では単なる休みとしか見ていない風潮があり、祝日の意義を強調しない風潮があり、それに乗っかってしまった。と言い訳しようか、、、、

さて、岐阜県平湯温泉の標高は1,300m前後。昨夜の月明かりを見て「冷え込むぞ」と予想をしていたが、思ったほどではなかった。

気温は、マイナス4℃、自動車は一面真っ白けは当然のことだが、風もなく放射冷却がきつければもっと下がっていることと思っていたので、、、

朝日が笠が岳に反射して赤くなるのではないかと思い、夜も明けきれないうちに宿を出て撮影スポットに出かけてみた。六時半過ぎようやく日が差し出す前まで時間の長いこと。耳まで帽子のひさしを下げて待った。

撮影の後、平湯大滝に行こうかとも思ったが、食事が七時半では行って来られない。仕方なく戻り朝風呂に冷えた身体を入れたが、しばらくは湯が熱すぎて身体を動かせなかった。

宿の支払いを済ませて、凍みも解けかけたと判断し、長野に向けて昨日と同じ車列をつくり安房トンネル~松本市~三才山~立科町へと路面氷結に注意しながら二時間半。知り合いのりんご園に到着する。

Img_0043 「今朝の気温はマイナス7℃だったよ」とりんご園の奥さんは言う。標高は平湯よりかなり低いのに浅間から菅平にかけての吹きおろし風がきつかったのだろう。我々のため小さいながらリンゴをつけた木を一本だけ残しておいてくれたが、リンゴが氷ってしまわないように管理が大変だったことが言外に分かった。

リンゴは”ふじ”収穫が一番遅いが、現在の所一番味も良く作られている種類である。今年は夏前の雹にやられて傷物が多かったが、その後の好天で蜜の入りも良く味はよかった。

そのため、商品にはなりにくい”はぶき”と言われる、安いほうをそれぞれに20kg~50kgをわけて貰い。贈答用といわれるものをそれぞれに買い込み宅急便で送るなどしたうえ、さらに大根白菜などの農産物で尻の重くなった自動車を鹿教湯温泉に向かわせた。

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今日の花。雪をかぶった小菊と薔薇。赤と白の取り合わせが際立っている菊。温暖化という言葉につい騙されて花をつけたところで不意打ちを食らった感じの薔薇、予想外の展開に戸惑っているように見える。

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2007年11月23日 (金)

神妙に聞き入る

Img_0057 本日は、二十四節季のひとつ”小雪”だという。

天気予報が良いほうに転んで快晴であったが、”小雪”という言葉どおり自動車にはうっすらと雪が積もり、フロントグラスも凍っていた。

Img_0054 「故郷の山に向かいて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」と石川啄木が言っているが久し振りの白い山、居た時はそんなこと考えもしなかった山を見ていると、何か感じるものがある。(ふるさとの山のひとつ 大洞山)

暖気運転で温めて溶かした後、少し買物に出かけ、岐阜、愛知、三重とバラバラになっている5人の兄弟とその連れ合いを中心にした仲間と落ち合いお寺に向かう。

こんな時には、携帯電話がつくづく便利なものと再確認させられる。菩提寺の和尚と本堂で久々の対面の挨拶の後しめやかに読経。普段は信仰心の薄い自分なのに”般若心経”に唱和し”法華経”では父母を思い出し神妙にききいる。

その後、塔婆を墓に持って行き法事は無事終了。いままでならこの後和尚を囲んで御斎を頂くのだが、飲酒運転になりそうなので省略。

日没前に、今夜の宿、平湯温泉に車四台を連ねて高原川をさかのぼる。正面に焼岳が荒々しい素顔を隠そうかとするように、真っ白に化粧しているが谷筋まで埋められないためシワが残る。

Img_0058 午後四時、西のかた端正な笠が岳をを望む宿に到着。駐車場は一面の圧雪が凍りつきスケートリンクもかくやとばかりに凍りついているため、他の車にサイドブレーキを掛けないよう注意して駐車する。

今夜は、兄弟の伴侶に感謝しながら心置きなく歓談する。窓の外は満月を控えた月が煌煌と輝き、明日のきつい冷え込みを予感させていた。

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2007年11月22日 (木)

取り残しのリンゴに白い雪

Img_0035_2 (写真、採り遅れているリンゴにも雪が積もる)

ここ二~三日北陸地方を初め日本海側に冷たい空気が入り雪を大量に降らせている、と言う報道があった。

二十三日に母親の13回忌を飛騨神岡町で行う計画を立てていたので、それに間に合わせるため本来なら一気に飛騨神岡へ向かうのを、急遽長野は立科町で一泊し余裕をもって行こうと予定を変更することにした。

静岡の空は、冬型特有の快晴。富士は中腹に襟巻きをしたような雲をまきつかせているものの空は雲ひとつ無く、ひとっころ真っ白だった山頂もすこし茶色がかっている。そして、山梨県を通り過ぎ、長野県に入っても良い天気は続く。

なんだか騙されたような気分でいると夕方になって雪がちらつき二十二日の朝には雪の量は少ないが一面白い綿帽子を被った木とやまになり、気温は氷点下二度にまで下がっていた。

気温が少し上がる十時まで待って、三才山を越え松本への道すがらスタッドレスタイヤで支度はしているものの、路面が光っている場所もあり少し怖い思いをしながら通過。

松本から、梓川伝いにいくつものトンネルをくぐり安房トンネルをくぐれば飛騨の平湯温泉。海抜1,300mを越え日本海側の斜面に当たるため雪の量は一気に増え約20センチはありそうに見えた。

Img_0007 長野からそうであったが、ここも急な積雪のため、紅葉や楢の木の葉が落ちきらないうちの雪化粧がつづき、景色的には綺麗であったが、前方が凍っていないか、シャーベット状の雪が無いかと目を奪われ、あまり周りを見る余裕が無い。この地にいた当時はこのくらいの雪は全然気にしなかったものだが、30年の月日は、加齢とともに自信をなくしていく。

Img_0045 ようやく、故郷の神岡に着けば山々は白いものの路面の雪はなし、しかし、車から降りれば凛とした感じの気温が身を引き締める。

3ヶ月ぶりの墓掃除だけして従兄弟の家に転がり込み、そのまま外に出ずじまいで昔話で夜を更けていき、窓越しの空から白いものが舞い落ちているのが見える。

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2007年11月21日 (水)

店栄えて味落ちる

昨日の続きになるかもしれないが、ミシュランの認定を受けた食べ物屋が191軒もあり、東京は世界一の食の文化圏になったそうだ。

日本人の悪いくせで、他の国から認められてはじめて自国の文化価値にきずく国民である。つまり、他人の評価でしか自分の立場がわからないらしい。

他国が良いというから良いのだろう程度の国民である。そのため、ブランド物も自分で判断できない。

いま問題になっている船場吉兆の牛肉偽装問題も、但馬牛が美味いと言う評判に付け込んだもので、同じような味でもブランド信仰で値段に天と地ほどの開きが出て来る。

日本人は、古来味には敏感な国民であると言われ、それぞれに好みの舌を持っている。それも、工場大量生産で味の濃いファミリーレストランやコンビニで失われ味の良し悪しがわからない味音痴が増えている。

デブタレントが何でも美味そうに食べればこの味が良いんだと、、、、いう風に。

どのくらい前だったか、イタリヤの北のほうスイスとの国境に近いところにコモ湖という湖があり、そのどこかで当時海外旅行の土産品によく売られたスカーフを作る工房があった。

ガイドに言わせると、ブランド名はつかないが同じ品物だと言うので、半値以下で土産に買ってきたが、はたして、どうだったのか今も知らない。

私は以前から、観光バスが来るようになると食物屋(料理店)の味が落ちると言った来た。小さくやっていた時は親父さん一人の腕が直接食べられたものだが、店を大きくして、沢山の人がくるようになると他の料理人の味が入りかわってくる。そのころになって親父さんの味を楽しみたいと思ってももう遅い。

ミシュランだかなんだか知らないが、日本古来の食べ物を知らない人に店を格付けされて喜んでいると、本来の日本の味がどこかへ飛んでいってしまわないか。

ある料理評論家は、世界から食べに来るので10兆円にもなる経済効果があるといっていたが、その前に、ブランド好きの日本人が押しかけて店の味を台無しにしてしまうこと間違いなし。

”店栄えて味おとろえ、のち、店は潰れる”は私の格言としておこう。

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以上、書きかけのままであるが、急に出かけなければならないので、修正を帰ってきてからに、、、、、

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2007年11月20日 (火)

青空が後めたい

Img_0052 今の時期、静岡らしい景色といえばみかんに富士山であろう。

その典型のような風景が見られるときは、西のほうに高気圧が張り出してくる西高東低といわれる冬型の季節風が吹く日とも重なる。

日本海で、吸い上げられた水蒸気が北アルプスなどに大量の雪を降らせた後南アルプスで勢いを失い、なよなよとした風になり、さらに安倍川周りの尾根を過ぎたころには小春日和の天気になっている。

つまり、日本海沿岸が荒れ山沿いの地方に雪が降るほど、、、、長野付近で空っ風が吹くほど、、、、良い天気が続くのだと思えば、ふるさと飛騨に対してなんだか申し訳ないというか後めたい感じは前からあった。

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Img_0038 この富士山のみえる麻機山の農道沿いに、臭木(クサギ)の実が鳥に食べてもらおうと中身をさらけ出して待っている.

その様はまるでテルテル坊主を逆さにしたような格好、いや、追羽根の羽といったほうが良いのかもしれない。人形と見る向きには目鼻立ちが無い飛騨の”さるぼぼ”などに見られる古い型の人形かともとれ、なんとなく懐かしい風情がある。

食べてみた事がないので分からないが、鳥にとってどんな味なのだろうか、その数が一向にへらないところをみるとあまり美味くないかも知れない。

「秋の渇きは人につく」ということわざがある。夏ばての身体が回復し食欲が増進するいまごろをいうそうだが、秋は、耐乏の冬を控えて充分に栄養をつけておかななくてはならない時季なので、かくいう私もなんでもたべてみたい。そして、人ばかりでなく全ての動物に”喉の渇きに水が一番”とあるように”秋のかわき”があるとおもう。

たべられる側の植物にとっては柔らかい葉を食べられるなど、生命にかかわる春はいろいろと防衛策を講じる。葉に毒を持ったり、棘をつけたり、臭木のように嫌な臭いをさせたりしている。しかし、花の時季は良い匂いで虫を誘い、子孫すなわち種を方々に肥料とともに拡散することが必要な時は、果物に甘さや栄養分をを注いで食欲を刺激する。

となると、植物のほうは「かわきを癒すはわれにあり」と店を広げて客を呼び込む。      ミシュランの星をみせびらかして、、、

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今日の花。左、枇杷、 右、野紺菊の園芸種。

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2007年11月19日 (月)

偶然の一致?(ひっつき虫)

Img_0196 いま時季、散歩の途中うっかりと道を外れないこと。写真でもとりたいと草むらに足を入れれば、たちまちズボンにこれでもかとひっつき虫が食いついている。

ひっつき虫の一つ、栴檀草にも幾つかの種類があって花の構造が少し違うようだが、ひっつき虫になる種のほうは違いが分からない。

Img_0198 そのひとつを拡大して見ると、先端に2本のやりを出しているが、その周りにさらに小さい返しがあって、一度刺さると抜けないようになっている。

ちょうど、自分たちが子供の頃作った魚をつく道具”ヤス”と同じ構造になっている。植物が人間を真似するわけがないのだから、進化の過程の中でよくこんな風に変化させたものと感心するばかり、、、、、

また、人間がこれを見て真似をしたのかも知れないとすると、良くこんな細かいところを見たものだなぁとこれまた感心する。

それとも偶然の一致?

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女優三田佳子の子どもが、麻薬所持の疑いで3度目の逮捕になったことでテレビ各局とも延々と繰り返し放送していた。聞けば子どもとはいえもう27歳になる男だと言う。

どれだけ、身体に害があり、周りを不幸に巻き込んで辛い思いをしてもまた麻薬と縁が切れなくなくなる、その常習性に恐ろしさを感じてしまう。

そして、有名人はつらいね。と思った。もし、この男が名も知れぬ親を持っていたとしたら、そうであったとしても子育てが間違っていたなどと他人から言われなくて済んでいなかったはず、、、。

有象無象が嵩にかかって質問をしていたが、この連中、はたして人から指摘を受けないような子育てをしてのうえだろうか。

そんなことを思いながら見ているうちに、上手に受け答えする三田佳子を見ていると「おや、この人は役者なんだよな。ひょっとするとこういう設定を考えて苛められ役を演じていても不思議ないな」ということがふと頭をよぎった。

そこから先、そんな思いでテレビを見出したら、これは現実ではなく芝居の世界に見えてきてしまい、一気に熱が冷めてしまった。  なんだかなぁ

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今日の花。麻機流通側の堤防、草紅葉と名前の知らない園芸品種の花。ある人によると、生態系を無視して堤防や法面に外来種を入れる公共工事を監視しなければ、日本古来の種が絶滅するというのだが、、、

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2007年11月18日 (日)

木枯らし一号も吹いて

Img_0187 ~高嶺降ろしに 草も木もなびき伏しけん おおみよの、、、、~ではないが、薄も柳も新参の冬将軍の前でひれ伏している。

もっとも彼らもしたたかで、「なぁに、これもいっときのことさ。頭を下げてさえいれば風はいつか通り過ぎていく」と悟りきっている。

まるで、最近の不祥事を起こした会社の記者会見のように、、、

朝から静岡にしては冷たくて強い風が吹いていると思ったら”こがらし一号”だとのことだった。

こがらし一号は北からの風が枯葉を吹き飛ばす強さ風速8m以上で吹き、前日より三度気温が低くないと与えられない上、こがらし二号、三号というものは無いそうで、春一番二番や台風二十何号など比べると貴重な存在であると言うが、寒さに弱い人にはつらい季節が来る。

おかげで、今日の散歩は風に吹かれて出かけたものの、帰りはずっと向かい風。まさに「行きはよいよい帰りは怖い」を地でいっていた。

またふるさと飛騨では、この13日に初雪がふり、焼岳ふもとの中尾温泉辺りで20㌢も積もったと知らせが入った。その雪が消えたかどうかは知らないが、今頃はまた降り出しているのかも知れないと思うと、今度の連休が心配になってくる。

明日にでも、スタッドレスタイヤに履き替えてこなくてはなるまい。

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はちすの実

Img_0161どぶに落ちても 根のある奴は

いつか 蓮(ハチス)の花と咲く

、、、、、、、

ごぞんじ”男はつらいよ”の主題歌の一部だが、いま、麻機まわりの蓮田で蓮根掘りがさかんにおこなわれている。きょうも”こがらし一号”の冷たい風の吹く中、注文があったのか、日曜日で人手があったのか沢山の人が入っていた。

これから正月に掛けてが最盛期、片隅では蓮の実が枯れた葉や茎とともに転がっている。種になる実は固く少々の力では割れない硬い殻につつまれて次の年の発芽を待っている。

大賀蓮の実は縄文時代の実がそのまま地面の下に埋まり、二千年の時を経て掘り出されて発芽したと言うくらいつよいものである。

この近辺のものは美味いことで評判らしいのだが、どうもあの粘りつくような感触に好き嫌いがでるようだ。わたしは後者。ということで、蓮根掘りもほとんどが遠目で見るだけ。

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2007年11月17日 (土)

精気を吸って酔う

Img_0091 初冬のあまり強くない陽の光が酔芙蓉の花を透き通している。花びらの脈、額の脈を浮き上がらせて、、、、

時季としては、もう遅いのだが、それでも太陽の精気に酔って赤く色づいていくにちがいない。

Img_0086 そばの小菊には、これまた冬を控えて蜜を溜め込もうとするかのように黄立羽蝶(キタテハチョウ)が群れ、人の危険より栄養とばかりしがみ付いている。

うららかな 

     小春日和

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先日の新聞に、熊本市の”こうのとりのゆりかご”(通俗名赤ちゃんポスト。この言い方好きではない)にこの半年で8人の乳幼児が預けられたと報じられ、その人数が多いとかどうとかと議論されていた。

いまから、百年位前までは法律もずいぶんと大雑把な所があったらしく、私の母親の家の長女は、拾い子だったそうだ。母親の家は、その集落でも新参者でわずかばかりの土地を耕して、賃仕事で生活をしている貧乏人だったのでどうしてそんな子どもを育てる気になったのか、ついに事情を聞くことも無いままに知っている人は他界してしまった。

拾い子の後に子どもが3人出来ていることを考えれば、祖母のまだ若いころにした行為だが、分け隔てなく育てと見えて母親らは少し年の離れた長女として尊敬し頼っていた。

父親にも、そんな小父さんがいたとか聞くと、明治のころまで捨て子や貰い子はざらにあったのではないだろうか。という気がする。もちろん、現代と違って人手が欲しいという面もあったに違いないが、おさな子では人手になるまでには時間がかかりすぎる。

母親が子どもを手放すと言うのは、男以上につらいものがあると良く聞く。そのうえで見ず知らずの他人に託すのはどんなにつらいことだろうか。

最近、妊婦のたらい回しが問題になっている。妊娠は病気ではないので検診などで保険が利かないそうで、後で戻ってくると言っても当座のお金がない人が検診に行かないためかかりつけの医者が無くとっさの場合に断られることが原因とか、、、

裕福な人は、子どもが親に捨てられたことがトラウマになる、というがそれは育てられ方によるのではないかと思う。戦後アメリカに貰われていった数多くの養子たちはみんなそうなったのか?それより、育児能力の無い親に苛められたり阻害されたり、殺されるよりはずっといいと思うのだが。

いまの日本は子どもが少なくなって、小子化担当大臣まで作って法律を作っているが、このような場合にはなんの力にもならないとか、あの人たちは大臣という名目だけで満足しているわけでもないと思いたいのだが、、、、、、、

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2007年11月16日 (金)

老兵は死なず

Img_0128 冬の訪れを告げる鳥のひとつにジョウビタキがいる。

茶色の上下に白い紋の入った黒い袖、銀髪の頭としゃれた格好で「ヒッ ヒッ」と甲高いが単調な声で縄張りを宣言している。

この鳴き声が名前の由来か。

闘争心は旺盛で、鏡に映った自分にまで攻撃をかけるのに、案外他のものには無頓着なのか、人や猫がいても傍まで来ることがある。

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Img_0140 今日は久し振りに、城北公園に行ってみた。どこかの近所の小学校が野外授業らしく、メモ帳を持ったグループで木の名前などを写し取っては走り回っていた。

また、最近駿府公園から移住してきたD51(デゴイチ)の手入れに元国鉄の職員らしき制服を着た年配の人が手入れし磨きをかけていた。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ、、」というマッカーサーの言葉を思い出した。

彼がこの言葉を口にしたときは、かなりの失望感を味わっていたと思われるが、元国鉄の職員にはそんな気配は感じられなかった。

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今日の花。左、実蔓、花が目立たない割りに実がつやつやとして輝いている所から付けられた名前。別名美男蔓はねばねばした果汁を髪につけたことから。なにかの薬になるというので焼酎に付けてみたが、そのままになっている。右、千両、めでたい実ということで正月飾りに、、、、

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2007年11月15日 (木)

悲しい過去持つ”いやしの里”

Img_0117 Img_0116 近所の小学校の傍で木立ダリアを見た。別名を”皇帝ダリア”という立派な名を持つ花だそうだ。

普通見かけるダリアともっとも違う所は、背丈がものすごく高いことである。このダリアで3mくらいか、最も高いのは5mにもなるそうだから、茎もよほどしっかりしていないと倒れてしまう。

青みを帯びたピンクと難しい形容を使うが、メキシコ原産のこの花、これから何時ごろまで咲き続けるのだろうか。

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Img_0078 昨日、鬼ヶ岳に登るため駐車した場所は、西湖いやしの里の駐車場だった、町が管理する駐車場だが管理人がいないので料金所近くに無断駐車をし、降りてきてから支払いをするとフロントに紙をつけて登った。

帰ってきて、支払いを済ませながら聞くと、200mほど離れた所に、山梨の民家に似せた藁葺きの家二十三棟を建てて、いろんな展示をしているので見ていってくれとのことであった。

山際の民家は、昭和41年の台風でほとんどが土砂に押し流されたそうで、このとき、安倍川上流の梅が島も被害を受け、静岡山梨両県で314人犠牲者が出たそうだ。

Img_0089 集落はその後復興することなく荒れ果てていたが、町村合併の事業で昨年完成されたものという。

集落の真ん中を流れる谷は、この時季、水を見ることが無いが台風のときはよほど荒れ狂い、大量の雨が山抜けを起こしたのだろう。

今では、どの建物も人が住んでいることは無いようでみやげ物や展示品が並べられていた。惜しいことには、設計が面倒だったのだろう、どの建物も同じような大きさと造りかたをしていること、それに壁に違和感が残ったことだった。

復元ということではないらしいが、折角藁まで調達して本格的藁屋根にしたのなら、馬籠の宿をはじめ中山道の宿場町に見られるような建物の大小、その家の特徴が見られるような取り合わせが欲しかった。

Img_0095 この場所からの、富士山の見え方も綺麗だったし、紅葉が、庭の花々が、丁度よい時期だったのでこれに免じて及第点をさしあげよう。と、、、でかそうに考えていた。

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2007年11月14日 (水)

秋が去った鬼ヶ岳(1,738m)

Img_0021_2  今日は朝早くに起きて、富士五湖のひとつ、精進湖に向かった。昨日は、朝から良い天気だったが、今日は少し気になる予報が出ているので、空の模様を確かめながらの出発。

最近の気温にしては暖かいのと朝霧高原辺りからようやく富士山のシルエットが見えかけたものの雲がかなり多い。

五時半過ぎようやく撮影ポイントに到着、確かめるともう30台以上の自動車が湖岸に集まって、三脚にカメラを乗せて待機している。ナンバーは関東一円で、地元車はほとんど見えない、カメラを見ると趣味を通り越した立派なものばかり、中には3台も持ってきている人がいる。   「プロの方ですか?違います?ギョッへーですな」と心に思う。

Img_0041 六時過ぎると夜も明け始め、空が明るくなり雲が夕焼けの逆の順序で明るくなる。朝日が顔を出す。この時季の太陽は、富士山から随分とはなれているのはもとより承知なのだが、此処から見る富士は”子抱き富士”と言って山頂の真下に当たる部分によく似た形の寄生火山”大室山”を抱えているように見えるので、横からの光の当たり具合が見たかった。

雲の様子からして、西側の本栖湖側に雲が低く、多分富士が見えないのではないかと思われるので、こちらにして正解だったが惜しむらくは、風が少し出ていて、湖面に逆さ富士が出なかったことである。

.鬼ヶ岳

日の出を見届けてから、となりの西湖北側の上にそそり立つ鬼ヶ岳(1,738m)に登ってみようと一番西側の集落の駐車場に車を停める。朝七時東入谷からはいり、堰堤を二つ越え三つ目綺麗に塗装をした堰堤から山道に入る、杉桧の暗い林、ほとんど落葉し明るい落葉松林を越えると急登続く尾根筋のブナの自然林とこの山は区切りがいい。

山の様子としては、霜も降りたのか花と名のつくものはほとんど見当たらず、かろうじてあった竜胆も一部はドライフラワーのようになっていた。落葉松やブナもほとんど枝には無く、落ち葉が道の上に降り積もり隠している所ある、百人一首の「契りおきし させもが露を 命にて あわれ今年の秋もいぬめり」という歌がふっと頭に浮かんだ。

最後に木の背丈が低くなって富士山を真正面に見る雪頭岳の頂上近くの斜面に出る。雪頭の言われは、したから見たとき雪の少ない部分が白く輝いていたためではないだろうか。

Img_0055 ここに、柏から来たという同年輩の人がいて、富士を眺めていた。聞けば夜明けを待って上りだしたという、そして、此処から富士の笠雲を眺めていたそうだ。(写真左は雪頭岳の山頂近くから見た富士、下は出発点の西湖。UHOみたいな雲、朝から午前中一杯同じ位置にいた)

Img_0072 しばらく話した後、雪頭岳。そこから15分ほどで目的の鬼ヶ岳(1,757m)に到着する。そこで早い昼休み(午前九時半)をしたあと、鍵掛峠を目指して尾根を縦走した。(写真。鬼の角を思わせる岩、鬼ヶ岳名前の由来との説もある)

この尾根は、全体としては下り坂ではあるが、標高で50mくらいのアップダウンを繰り返してのコースとなる。表土が少なく岩がむき出しになった部分もあって、変化に富み、おもしろいコースであるが、カメラの電池が無くなって撮影は出来なくなった。

この尾根筋から見ると、雪頭岳は鬼ヶ岳のほんの一部と言った感じだが、下から見ると立派な山に見え、別名を付けられているのは前面に押し出されているせいだと思う。

40分ほどで、鍵掛峠、そこから麓のの駐車場に一時間ほどのコースだったが、なんだか迷いやすい所があったりして初めての歩きでは難しいかなという感じがした。最後に”子抱き富士を一枚。父親の膝に入った子供というがどうだろう。

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2007年11月12日 (月)

寒さを予感?姫赤立羽蝶

Img_0036 昨日の夕方、まだ越冬するには早いのではないかと思っていたが、姫赤立羽蝶(ヒメアカタテハ)が軒下から動かなくなった。

こんな場所で、と、様子を見ていたら、朝になって日がさしてきたあと、暖かさに誘い出されたか、いつの間にか見えなくなっていた。

きっと今朝の寒さ(静岡で10度以下)を予感して、ビバーグ?してたのかな。

Img_0020 やっと季節に見合った寒さが来たのだろうか、このごろではおなじみになった白い富士山も国一バイパスの橋脚下からすっきりと見えた。

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今日の花。左、錦木、名前の由来は葉っぱが赤く紅葉するところからだが、一足早く実が赤く染まった。 右、大文字草、花びらが大の字になっているところから、まだ咲いていたのが不思議、これも暖冬?

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2007年11月11日 (日)

ボヤッと一日

Img_0079 (たいくつのあまり、ウウウッと羽を伸ばしてみる)

朝からうだうだと何することも無く時間を費やしている。庭木を構ったりペンキも少しやってみたけど気がのらないので根気もなく中途半端で過ごしてしまった。

近くのお宮さんにでも行けば、七五三の晴れ着や清沢の神楽なども見れたのだが、、、

そうしたら、隣との境に降りてきたヒヨドリもすることがないような顔をして、しばらくやすんでいた。

Img_0078 普段、騒がしくギャ~ギャ~わめきたてて、柿などを啄ばんでいる様は小憎たらしい感じなのだが、こんな風にボヤッとたたずんでいると結構様になるから面白い。

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このごろのガソリンの急騰は恐ろしいものがある。おかげで、成るべく自動車は使わないようにしているが、自動車税や任意保険は何にもしなくても掛かってくる。

ガソリンが急騰しているのは、中国やインドの使用量が増えた生だと思っていたが、どうもそれだけではなく投機資金やアメリカ、ロシアに踊らされている面が大きいとのことも本当に腹が立つ。ついでに、揮発油税と称して1リットル当たり48,6円の税金、それに消費税を上乗せするなど、他の国に比べるとアメリカの2倍近くもする価格になっていることが分かる。

揮発油税は使い切れないので一般財源に回そうという案もあるようだが、「少しは税率を下げるよう工夫せんかいッ!」って怒ってみるのだが、、、

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今日の実。左、藪茗荷(ヤブミョウガ)葉がミョウガに似ているだけで匂いもないし、ミョウガとは何の関係も無い植物。 右、柊金木犀、葉が柊に似た色の木犀という意味、匂いがよい。

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2007年11月10日 (土)

したがって写真カット

Img_0055_2  山茶花の木の下から急に大きな蝶が飛び出しフラフラと飛んだ後見えなくなった。  「クロコノマチョウだ」何処に降りたかと近づくとまた足元から飛び出した。この蝶は枯葉に似ているうえ、暗いところを好むのでなかなか見分けにくい。(この写真でも見難い)

アゲハチョウが見られなくなった昨今では一番の大型蝶なのだが、夏のころよりまたひと回り大きくなったように見える。蛇の目蝶のの仲間だというが、羽から蛇の目も消えて森の忍者といったところか。

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今日は、孫の授業参観の日、3時限の授業が体育で、「クラス別のリレーのスタートをやるから見に来て」というので時間を合わせて出かけてみると、グラゥンドに児童が出てきてウオーミングアップを始めていた。

半そで、短パンでは寒いらしくシャツの中に両手を入れている子もいたが、目ざとくじいじを見つけたせいか張り切った様子を見せていた。

準備体操も済み、スタートの合図を待つ。号砲は鳴らなかったが一斉に走り出しほとんど差の無い中、バトンタッチをしようとしたが、左利きのためバトンを持ち替えようとしたのか、他の子のバトンと触れ合ったのか落としてしまい、一番最後になってしまった。

「アチャ、、、」と目を覆う。走る前、あれだけ自信を持っていた本人が一番落ち込んでいるだろうな。弁当持参の今日はすぐには帰ってこない。

励ましの伝言を残して、じいじは顔を見ないで帰ってきた。したがって、孫の写真はカット。

今日の花。左、ムべ、「むべなるかな」という言葉の語源になった果物。古来長寿の果物とされた珍果。アケビによく似ているが割れて中が見えることが無い。右、ラッキョウ。もともとは胃腸や心臓に良い薬として使われたもの。小粒だけど三年ラッキョの漬けたものは最高。でも、効率を求める社会では辛抱しきれないみたい。Photo Photo_2

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2007年11月 9日 (金)

今年最後?の月下美人

Img_0010 Img_0002 さすがにこれだけ大量に花開いた月下美人を居間に閉じ込めるとその匂いは強烈で圧倒される。

先日来、つぼみは持っていたものの寒さのせいか、2㌢ほどの小さいつぼみのうちに落下するものがあったので、夜になると温室代わりに家の中に引き込んでいたが、今日12個も一斉に花開いた。

いままでは、濡れ縁において、中から眺めていたのでかすかに感じただけだったのだが、今回のこの匂いたるや”香り”などという生易しいものでなく、パリのデパート(プランタン)一階の香水売り場のような匂いを部屋の中に充満させている。

それにしても、今年はよく花を咲かせてくれた。しかし、多分これが今年の最後になると思うので、この花が済んだら株分けをし、剪定しなくては冬越しが出来なくなると思う。何しろ高さ1.3m。横2.0mを越えているんだもの、、、、

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Img_0065 今日は、何時も麻機しか歩いていないので、たまには他をと思い、草薙の県立美術館周りを廻ってこようと思って出かけて見た。美術館のプロムナードの前では小学生の課外授業らしい一団が記念写真を写していた。

その脇を通って美術館に向かい、さらに、ロダン館の裏を回ってみたが桜の花びらは散ったもののまだ他の木々は色づいてもいないうえ、花はカントウヨメナと狂い咲きのツツジが少しあるだけで落ち葉を踏んでただ歩くだけの散歩に終わった。

最終的に、下のグラウンドに降りてきたら子どもの歓声が聞え、先ほどの小学生がビニール袋で手作りをしたらしい凧を揚げていたので、しばらく見とれていた。

こういう工作物には、自分たちのときもそうであったように得意不得意がはっきりでるようで、高く上がる子や地面から離れない凧を引きずっている子などがいて、見ていて面白かったので、つい長居をさせてもらった。

帰りは、”イオン”をまわって、散歩用の沓一足を購入し、早速その場で履き替えて足も軽くご帰還する。

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2007年11月 8日 (木)

ポカポカと立冬

Img_0004   庭の千草も 虫の音も

枯れて淋しく なりにけり

ああ白菊 ああ白菊よ

ひとり遅れて 咲きにけり

むかし、唱歌でうたった歌である。この歌を習ったころの飛騨は寒さも厳しく、菊の花も霜にやられてうつむいていたり、雪を被って倒れ伏したのを思い出す。しかし、なぜ、白菊なのか、ほかの色もあるのに、、、なんて思いはあった。

そしていま、丁度その時季に当たるころになって、ふと周りを見わたせば、あれほど騒いでいた虫の声も何時とはなしに聞えなくなっていたことに気がつく。

季節は進み今日は”立冬”だと言う。立春と言われても春の気配がはるか彼方であるように、地球温暖化といわれる昨今は、ポカポカと暖かく冬の気配が感じられない。

しかし、先日も長野から自動車のフロントグラスが真っ白になっていた。今度来る時はスタッドレスタイヤに履き替えて来るように。と言われれば、冬を意識しないわけには行かない。

Img_0137 ”冬来たりなば、春遠からじ”とか、田んぼ際の散歩道にはもう、ホトケノザが花を咲かせ、ひっつき虫の間には野蒜が出てもう春がそこまで来た感じさえし、静岡という土地柄のせいか、野菜ばかりでなく野の草も季節感がぼけているような気がする。(ひょっとすると人間もかも、、、)

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今日の花。左、秋の野芥子 右、鬼田平子(オニタビラコ)花だけ見ると良く似ているうえ、どちらも畑や田んぼに生える雑草である。しかし花言葉に大きな差がつく。左、控えめな人 右、怠け、頑固、粗暴と来る。どうしてこんなに違うのか「責任者出て来い!」

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2007年11月 7日 (水)

とにかく難しい

Img_0011 今日もお供を沢山連れ帰って叱られた。

お供とは、ヌスビトハギ、栴檀草、イノコヅチ、ノブキなどさすがにオオオナモミはくっついてもすぐ傍で分かるが、ほかのものは綺麗に落としてきたつもりでもどこかにくっついて、家の中まで持ち込んでしまう。

彼らも、子孫を残すために引っ掛けたり、粘ついたりなど手を変え品を変えて運ばせようとするのは分かるが、叱られるのは何時もこっちである。

今日も大量に持って帰ったのは、上の写真の黄色いコスモスを写そうとみちからはずれてせいである。コスモスも以前は赤、白、ピンクぐらいだったが、最近いろいろな種類が出てきたようで、上の種類を始めは黄色コスモスの花が小さいだけかと思っていた。

しかし、傍によって見るとかなり強い香りがし、なんだかまた別の種類らしい。帰ってPCで調べてみたが該当するものは無く、「イエローガーデン」という種類かとも思うが、香りが強いと書いてはなかった。とにかく園芸品種は、難しい。

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Img_0033 小沢一郎党首が党役員の慰留をうけて辞表を撤回したそうだ。一般国民からすると「なにやってんだか!」ということで終わった。

とにかく、一人合点で決めるのではなく、分かりやすい言葉で説明をしないと、記者会見で言ったように次の選挙に響くこと間違いない。

なにしろ、参院選で勝ったのは小沢党首の指導力というより小泉、安倍と続いた弱い者いじめであり、不祥事のせいと私は思っている。その辺を間違って受け取って「おれにまかせておけ!」では、政治そのものに対する不信感はぬぐえない。(何しろ政治家は信用できない人の集まりなんだから)

これまでの一連の流れを反省しないと写真の看板のように傾いていくこと間違いなし。看板を支えているのは我々だと言うことを忘れたらひっくりかえるよ。

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今日の花。左 公孫樹  右 楓、何れも密集し枝の所在も分からないほどだ。

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2007年11月 6日 (火)

ヒッチコックの「鳥」を

Img_0139 時おり小雨がぱらつく夜が明けた。天気予報を見ても一日こんな天気が続くというので、念のため折りたたみの傘を持って日課の散歩に出かけた。

地面はしっとり濡れ、靴も濡れるが栴檀草のひっつき虫も嫌なので、成るべく舗装された道を選んでいると、頭上の電線にカラスが群れていた。下で大きくかしわ手を打つと一時は飛び立つもののすぐに帰ってくる。

おもわずヒッチコックの「鳥」という映画を思い出した。鷲などの猛禽類でなく、カモメやカラス、そして雀など身近にいる鳥が集団になって人を襲う映画だった。

どんな仕掛けであの鳥たちを動かしたか知らないが、帰って調べると1,963年制作と意外に古い作品だったので、今はやりのCGではなく、せいぜいが合成写真だったのだろうが、すごい迫力があったものだ。

上の写真は、その先で見たムクドリを写したものだが、この映画を見ていない人は、五線譜にお玉杓子が並んでいて、「どんな曲なのかな?」と想像しても、この鳥が一斉に襲ってくるとは思わないだろう。

安倍城址で遭難

報道によると安倍城址に登っていた人が、遭難し、今朝ほど遺体で見つかったと言う。上り口の洞慶院からあまり高くない位置で転落が原因らしいと書いてあったが、何処にそんな場所があったのか見当がつかない。

娘らからも「一人歩きはいい加減にして」と言われるが、生来我儘な性格から単独行が一番気に入っている。しかし、このようなことにならないよう用心深い山登り、すぐに逃げ帰ってくる山登りを心がけたいと思っている。

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今日の花。昨夜来の雨に打たれていたアサガオとツワブキ。最近気になっているのだが、アサガオはこんなに遅くまで咲くものだったのだろうか。まだ葉も元気だし花も結構大輪だ。野に咲く花と一緒なのだから人の保護も無いはず、、、品種が違うのかな?これじゃ夏見ても”涼しげな花”とは思わなくなるね。

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2007年11月 5日 (月)

首をなが~くして

Img_0013 うららかな小春日和。公園の池に住んでいる亀たちがのんびりと日向ぼっこを楽しんでいた。

やはり、この時季になれば、水の中より温度の高い石の上のほうが居心地が良いのだろうか、いくつもの亀があちこちの岩に上り、時おり首をなが~くして何かを探しているような気配を見せる。

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民主党の小沢代表が辞表を出したとしてマスコミが朝から騒いでいた。先日来、首相と二人で密談していたが、その手法は昔の自民党を思わせるようで違和感があったが、結論は自民党との”大連立構想”を党に持ち帰ったことに有った。

古いタイプの政治家同士のはなし、本人は「俺に任せておけ」だったが、さすがにほかの役員の受け入れられることではないと諌められると、プッツンと切れたらしく「辞める」と言い出した。

政治家というものはもう少し百戦錬磨で度量の広いものかと思っていたが、自分の思い通りにならないからと言ってきれるようでは、駄々っ子もいいところ、壊し屋と異名をとる彼は物を大事に育てると言う感覚が無いみたいで、何かというと「嫌なら出て行け」と何度も言った。

今回の騒動もその一環であり、そう大した玉ではないことを世間に晒してしまった。

彼もお坊ちゃん育ちの二世政治家だというから、先の安倍首相同様と言われても仕方ない所だろう。あれだけ言えばこの先どうなるのかぐらい分からないのだろうか。

本当にこの国は卓越した政治家に乏しい国である、何時になったらと首をなが~くしてまっているのだが、、、

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今日の実。左、南京櫨(ナンキンハゼ)皮が爆ぜて白い固い種がでてきた。紅葉はまだ先のようなのに、、、右、クコ、玉すだれのように下がっているのが面白くて写してみた。

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2007年11月 4日 (日)

たび重ねて行く先変更

Img_0091 写真、安倍峠東側から見た富士山

朝方曇っていた空から次第に青さが増してきたので、梅が島に行って日帰りの湯にでも浸かって来ようということになり出発した。

我が家から40kmほど、市営の「黄金の湯」では紅葉が赤く染まりいま丁度いいところと言った感じだったが、温泉街まで久し振りに足を伸ばしてからにしょうとさらに奥に向かう。

そこで見たのは、身延町に抜けられますという看板。「おや、いつの間にか工事が済んでいたんだ。なら、安倍峠のオオイタヤメイゲツの黄葉が見られるかもしれない」と車を峠まで持っていくことにした。

此処三年ほど土砂崩れで、通行止めになっていた道路は、すれ違いが出来るほどに拡張され、ところどころに駐車している車さえなければスムーズに通過できるようになっていた。

峠近くの駐車場にかろうじてあったスペースに車を止め、安倍峠に行ってみた。しかし、この付近はすでに黄葉の時季が済んでほとんどが落ち葉になっていた中で写真の位置がかろうじて残っていると言う状態だった。

Img_0084_2 笹原の中に適当に間を置いて立ち並ぶオオイタヤメイゲツとはカエデの一種だがいろは紅葉のように赤くならない種類での木である。差し込むひかり、隈笹の緑といっぷくの絵のようで心地よい感じ。

車に戻ってしばらく、富士山も今日は綺麗に見えそうだから身延へ下ってしまおう。と車を進めると、道片に遠くから来たと分かるナンバープレートの車が何台も駐車しており、その間を高級カメラの放列が埋め尽くしていた。

私も、その仲間に入れてもらって何枚かうつしてみたが、此処に来ている小父さんカメラマンは三脚に乗せたまま一向にシャッターを切ろうとせず、富士の方向を見ているだけ。

居心地が悪くてすぐにそこを離れて下山したが、前に通ったときは、舗装もされておらず上から石が落ちてくるような道だったが、此処も全舗装に変わり峠のカメラマンが増えた理由なんだと思う。

南部町の温泉に向かいゆっくりとぬる目の湯に浸かってご帰還。今日は、度重なる行く先変更で走行距離120kmのドライブをした事になる。

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2007年11月 3日 (土)

ジンジャー

Img_0042 白色ジンジャーの花が元気よく咲いている。ジンジャーは日本語で生姜のことを指すが、我々が常用している葉生姜とは少し趣が違う。

花ひとつひとつは大まかなものだがかたまって咲くとその白さゆえに遠くからでも目立つ存在になっている。

ジンジャーはこの白色がもともとの色だったが、園芸化されて黄色をはじめいろんな色に分化したとされ、その香りはくちなしに似た清清しい感じがする。

花言葉は、”豊かな心”というらしいが、花にはその感じがある。

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今日の花。左、石榴(ザクロ)の実、熟れてはじけて種が見える。鬼子母神伝説では人の味に似ているとされているが、、、、右、小紫。紫式部とよく間違えられるが粒が小さくまとまっている。花言葉は上品、聡明だそうだが、、源氏物語の作者の印象からか。

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2007年11月 2日 (金)

静岡大道芸

例年通り静岡大道芸が昨日から始まった。毎年この時季のものでありすっかり定着した感もあるので楽しみにしていた。

午後になって、近年に無く分厚い雲に覆われた空の下、折りたたみの傘を持った人を自転車で追い越しながら「何か雨具を持って来ればよかったかな」なんて考えながら駿府公園に向かった。

着いて見ると先生に引率された子どもの数が多いものの、公園内の人出はいつもより心持少ないような気がしたし、いつもある大仕掛けの櫓が無い。グルグルと公園内を見て回ったがこれというものが無いまま帰ってきた。

その仲の幾枚かのスナップ

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足技で見せるイタリア人は、子ども席を作って子供心をつかむ。下の幾つかのトランクにはそれぞれの衣装が入っており宝箱のよう。

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2007年11月 1日 (木)

規格外れ

Img_0010 下の方からワイワイガヤガヤと賑やかな声が聞こえてきた。途中で悲鳴のような声が混じっているのは、道に大きな”みみず”がいたせいららしい。

広いところで待っていると、小学校低学年らしい子ども30人ほど、おおきなリュックに何が入っているのか、遠足の子どもが上がってきた。

どうも、谷津山公園まで行くようだ。なかのひとりが「上にライオンがいるの?」と聞くので「いないだろうな」と返事したら「センセが嘘ついてる」といいながら走って登る。不味い返事だったかなと思ったが、後から後から登ってくる。

そして最後は、ひとり規格外の子どもらしいのが少し間をおいて先生らしき人を従えて来ると、空を見上げて「あっ 戦闘機が来た。良く分かったでしょう」と言いながら全然急ぐ様子もない。

きょうは、家から2㌔ぐらい南にある愛宕山に上り、そこから尾根を西に取り貯水池から護国神社に下り、境内を散策してから柚木を回ってくる6kmコースを選んだ。

いよいよ、神社の境内に差し掛かるとまた一団の小学生。今日は山頂にある愛宕砦は子どもでいっぱいなのだろうな。そういえばここにライオンベンチがあったげな。

境内では菊花展を例年通りやっていた。しかし、いつ見てもこの菊はこんな形、高さ、大きさと決まっているようで、斬新なもの、変わった造りのものがないので見る気がしない。そこで、少しばかり赤い葉のある池のほうにまわり一周することにした。

Img_0029 と、こちらには保育園の子どもがやはり遠足、小さな手にはそれぞれビニール袋を持ち、団栗を集める子、綺麗な落ち葉を集めている子。先生に拾ったものを持っていって何か話しかけている子などが見えてほほえましい。

最近の風潮からいって、部外者が接近するのがはばかれるので、遠目でしか見えないが、此処にもやはり規格はずれらしく、先生に「おや、ビニール袋は何処においてきたの?」と聞かれている子がいた、きっと何かに夢中になって手のほうがお留守になったか、、、。

自分の子がこうだと困るかもしれないが、はたで見ているとこういう子ども好きだな。世の中、気ぜわしくなると金太郎飴みたいにみんな一緒のことを考え行動することをめざし、規格外を排除しようとする方向に動く。

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今日で、テロ特措法が期限切れになった。政府はアメリカさんに迷惑をかけられないと、アメリカとともに、いろいろ脅したりすかしたりしたが功を奏さなかった。

日本は、自分を評価するのに周りの評価や意見で確認する傾向があり、わが国はこう考え、行動すると言う独自性をもたない、と言われる。つまり、自分に自信がもてないのだろうな。

古くは浮世絵や細工物を外人が評価してから気づいたように、国連やアメリカの評価して貰わないと自信がもてない。そのための行動しか取れない。つまり、規格外(仲間はずれ)を極端に恐れる。     またまた脱線気味。

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今日の景色。左、朝のお勤め?がすんで一列になって社務所に向かう。衣装に階級が、、、右、池に一羽の鴨、池に映った数少ない紅葉の陰を揺らしている。

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