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2007年12月31日 (月)

おおつごもり

今年も後僅かで過ぎ去ろうとしている。

子供の頃に比べると、一年の過ぎようは早い。北陸方面はいま雪が降っているとか、同級会の締めであちこち電話してみたが、昼近くなって本格的になったと言うから、一般には邪魔な雪でも、スキー場にとっては恵みの雪と言ったところか。

大晦日。昔は”おおつごもり”といったところも有る。つごもりとは月隠れが縮まった言葉だといい、旧暦の月末、新月の前の月が見えない日を言うそうだ。それに”おお”が付くのは年の終わり、つまり、大晦日をいう。

大昔、といっても昭和の始めころまで、一般には買物の支払いは盆と暮れに一度で支払うが一般的だったようで、大晦日の夜には、支払いの遅れた家に借金取りが群がっていたと言うことを落語の世界でよく聞く。

大晦日に支払いができないと言うことは、ほとんどが貧乏人であり、樋口一葉の「大つごもり」もそのことを主題として書いてある。

養父の家の借金を奉公先の主人に頼むが断られる、思い余って主人公お峰は奉公先のお金をくすね、主人の道楽息子に罪をなすりつけたが、その後の心の葛藤を描いた小説の題名である。

今の世の中付けで物を売ってくれるると頃などありはしない。それどころか、消費税たら言うもので1円足りなくても買えない始末。

「少々まけてよ」なんて商売人とやり取りを楽しんで買物をするなんてことは、これも、遠い昔の話しになりつつある。世知辛い世の中になったもんだ。

とはいえ、借金も無く平穏無事に年を越せるということは、ありがたいことである。

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風も強く、昼間は遠い空から冬の便り、風花(カザハナ)が舞ってきた。10年に一度降るか降らないかの暖かい静岡では、遠い所から風に載ってくる僅かな雪を言うのだが、年納めの今日、世の中の清浄を祈念していると見たのは考えすぎか。

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2007年12月30日 (日)

枯葉が舞い散るように

Img_0100 頭上は晴れ上がって日の光が降りそそいでいるものの西風が強い。

北のほうに雪雲らしきものがあって時おり風花崩れらしい水滴が落ちてくる。

近所の田んぼに行くと、風に吹かれた落ち葉が舞い散るような気配がした。見れば雀の群れ。

30センチほどに伸びて枯れた二番穂の下でせっせと餌をついばんでいる様子、人や車の気配がするとそのうちどれだけかが舞い上がり、強い風に吹かれてフラフラとした飛び方で風下に飛び散るが、すぐに戻ってくる。

よほど、美味い餌があるのか餓えているのか、かなりの数の群れであった。

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今日は餅つき。もち米を持ってきてくれる農家が、28日は何とかで日が悪く、29日もつく日ではない。今年は30日しかないので前日でないと持って行かない、「あんたんちはまめっぽいから早くやると搗いてしまうで、、、」という。只で貰っている手前仕方ない。

餅つきといったって昔みたいに杵でつくわけでなく、電動の餅つき機で造り、伸ばしたり、鏡餅を丸めたりだけのことだが、やはり、孫がいると以内とでは違う。

今年は孫たちも来ない。したがってとげとげしい雰囲気での餅つくり。

それでも、お鏡を三軒分と頼まれ物を含めると結構な量になった。杵を振るってやるのは情緒があるかもしれないが、「年寄りの冷や水」後が大変だよ。

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2007年12月29日 (土)

山中何所有

Img_0057 朝方までかなり強く降っていた様子の雨も9時過ぎには上がった。

散りそびれた紅葉に名残りの水滴をちりばめて雨雲は去っていった。

また降り出してもなんだからと言いながら傘を持ってぶらぶら歩きで、正月用の小遣いを下ろそうと郵便局の方に出かけたのだが、北側の山が霧につつまれて趣のある風景になってきたので足がそちらのほうに向いてしまう。

「まあいいか、どうも此方のほうに行けと神様が言っているようだから、、、」と、目的地に背を向ける。

霧につつまれ、頂だけ出している山を見ると、昔、漢詩の時間出でてきた一説を思い出す。

Img_0059_2 山中 何の有る所ぞ

     嶺上 白雲多し

ただおのづから       たのしみ悦ぶべし

持して君に奇するに           堪えず

この詩は陶弘景と言う人が時の皇帝に「山の中に何が有る」と聞かれて答えたものであるが、「山の上は雲ばっかりで、自分が愉しみ悦ぶところです、陛下にお届けする程のものではありません」と答えているところが好きで憶えているのだが、この年になっても山登りをするのはこんな気がどこかにあるためだと思っている。

.醜いアヒルの子

Img_0082 そんなことを思いながら、麻機沼の堤防を歩いていたら、向こう岸に白い大きな鳥が泳いでいた。「おや、もしかして白鳥?」と池を半周して近寄ると小白鳥?。

首から上はまだ灰色をし背中の羽も薄汚れた色をしている。身体は大きいがアンデルセン童話の「醜いアヒルの子」そのまま。この鳥も来春には変身を遂げるのか。

50mほど離れたところには、この池の主みたいな顔をして鴨の群れがゲーゲーゲーと大きな声で騒ぎ立てているが、そちらのほうの仲間入りもせず只黙々と泳ぎ回っている。

(この辺もアンデルセンはみていたのだろうか。テレビでよく見る餌に群がる鴨と白鳥の群れは本来のものではないようだ)

この沼に白鳥が来るのはめったに無い。多分親にはぐれでもしたのだろうか。それとも自分を見つけても逃げていく風情を見せないところから、人馴れしているのだろうかなど、、、、。いろいろと考えさせられる鳥だった。

写真、左、只一羽で黙々と、、、右、青鷺に逢っても無視

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2007年12月28日 (金)

ばら色の人生

Img_0052 バラの色とばら色の○○とはずいぶん違う。

バラの色といった場合には、濃い朱色から青っぽい色まで限りのないほどの種類がある。一方、ばら色のといった場合にはピンク系の色を想像するのは原種がこんな色だったのだろうか。いずれにしろ、人はばら色の人生を願う。

特に、キリスト教世界においては仏教の蓮の花に匹敵するくらい聖なる花という意味があり、あんなにも品種改良された原因でもあると聞いたことがある。

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テレビや新聞を見ていると、毎年この時季になると、今年の10大ニュースを書き立てる。それを見ていると「ああ、これも今年の事件だったの」というものが多々あることに気がつく。そして、それは、良いことより悪いことのほうが多い、不二家の偽装からはじまる、一連の食の不祥事は中国を笑って入られないほど深刻だった。

これだけ連日のように情報の嵐というか連鎖反応のようにしてニュースが流れると年初のことは遠い昔になり、だれそれに懲役何年などという判決が出るころには「この人なにをしたっけな」と解説を読まなければ思い出せないくらいになっている。

そうしたなかで、小さいながら私の重大ニュースとなると、近年有り難いことには辛いニュースがほとんど無い。

Img_0158 (左、中山道馬籠の宿 枡形)

今年も、考えてみれば弟に招待されて昼神温泉を中心に長野南部を旅行したこと、姉に連れられて行った、長良川の鵜飼を料亭の座敷から見せてもらったこと、毎年恒例だが長野へ兄弟五人夫婦で林檎狩りに行ったこと、長野といえばじゃがいもを植え、収穫し稲刈り手伝いなどほとんどが旅行がらみの楽しい出来事だった。

これぞまさに、ばら色の人生(la vie en rosa)なのだが、年金だけでは追いつかず、何とか生活を縮めて、と思うが、石油の高騰に始まった諸物価の急騰は、今後の生活に不安を与え、今後も”ばら色”は色褪せてくるのが分かる。

「禍福は、あざなえる縄の如し」と言われるように、灰色の裏返し人生がこれからやってくる。四苦といわれる「生老病死」はこの年になると近い未来であろう。

後 何年生きられるのか。そのころになって今のしっぺ返しが来ないうちに、、、、、

もっとも、真っ赤なバラのような福は無かったので、過のほうも極端にはならないだろうと予想しているのだが、、、そんなに上手く行ってくれるのかな。

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2007年12月27日 (木)

星五位

Img_0022 五位鷺(ゴイサギ)の幼鳥を星五位(ホシゴイ)という。

のっそりといった感じで藪の中から出てきた。幼鳥とはいえ眼光の鋭さは鷲や鷹に劣らないものがある。

今年生まれたのだろうが、名前の通り濃い褐色の地に白い斑点が散らばっている。来春には衣替えし、白と青のツートンカラーのすっきりとしたタキシード姿に変身するまでの仮り着。

それにしても、子どもと大人の区別が衣装ではっきりするのも良いものだ。犯罪を犯した時の責任や選挙の時にはすぐに分かるから便利か、、、。日本人も昔、ちょんまげの形で表したものだが、いまでは区別がつかない。

もっとも、年は大人でも、、、とか、大人以上の、、、、というのが増えているから、区別しても仕様がないのかも。

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今日は風邪気なのか咳が出て寒気がする。昨日の安倍峠~バラの段の雪道を歩いたときだるかったのは風邪のせいだったのだろうか。

正月用の買出しに出た以外に散歩も少なめにして養生専一で過ごす。

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2007年12月26日 (水)

騙し騙しでバラの段(1,648m)

Img_0022 日本平の上が少し朝焼けを背中にして車を出発させ、安倍川沿いの道をおぼろに霞む月を左手に見ながら北上し、梅ヶ島温泉に着いたのは朝の7時車載の温度計は-2℃だが、そんなに寒くは感じない。

安倍峠への道は十二月九日を持って車両通行止めにされているので、温泉街の上にある電波中継所の傍に車を止め、支度して山道に入る。

この段階でまだ行く先を決めていない。この辺が一人歩きの良い所であり、危ない所でもある。

40分余かけて林道の出合いまで登ると雪が積もっていた。実は一昨日下から見たとき青笹山辺りまで山が白くなっていたので期待していたが、昨日今日の日中の暖かさと夜の寒さで表面が春先の雪のように硬くなって歩きにくかった。

そして、此処まで来る途中そんなに身体の調子が良くないと感じたので、八紘嶺はやめ、安倍峠からバラの段に行く先を決めた。

Img_0016 十一月に久し振りに自動車だ来た道を歩くが、固い雪を踏み抜き踏み抜きして歩くのが結構負担になる。10分ほどしてサカサ川沿いの旧道に入り谷伝いに歩く。

サカサ川源流付近では水量が少ないため枝のようになった氷が張り、此処でかがみこんで沢水を飲んでみたが喉の染み透るようで味は分からなかった。

昨日辺りこの辺を犬を連れて歩いた人がいたようで、その踏み後にしたがって歩く、安倍峠には8時半ぐらいに到着。

其処から、車道に戻り厳重に封鎖された車止めの横を通って富士山展望ポイントまで下って富士山を写す。今日は午後から快晴になると天気予報が言っていたが、この時間はまだ背景となる青空は見られず薄い雲がかかっていたが、この方が冬らしい。願わくば木の枝などに綿雪がかかってくれればいいのだが、昨年の二月に来たときとは趣が違っていた。

峠まで戻り、バラの段に向かうが、この斜面にかかると雪の量は急速に増える峠では20㌢程度だったのに倍ぐらいの感じになって歩きにくい。

つくづく体力を衰えか、身体の調子が悪いのか疲れが気になる。騙し騙しで登っては見たが途中でカメラの電池切れで写真は撮れず。「納めの山行き」はなんだか不完全燃焼で終わった。

左、サカサ川の開けた山道。右、墨絵のような御坂山地を遠望する。

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2007年12月25日 (火)

シャカシャカシャカとマラカス豆

Img_0008 Img_0040 「これ庭先にあったから持ってきた。マラカス豆って言うんだよ」と差し出された枝についたのっぺらぼうの豆。

茎にのっぺらぼうの薄い褐色の長さ3センチほどの豆の鞘の色、軽く振ってみると、シャカ シャカ シャカと乾いた音がマラカスのように聞えるし。よくぞ名付けたもんだ。

中がどうなっているのかとすかしてみれば袋の割りに小さな種が袋の内部からはがれてひと塊になっている。これが固い袋の中で踊って音を出すようだ。

持ち帰って調べてみると、正式の名は”黄金狸豆”といい、インドが原産だとあり、花は何の変哲もないマメ科花である。しかし、乾燥しているのに割れもせず鞘の中で小さな豆が踊っているのはどんな繁殖方法をしているのか興味がある。

貰ってきてすぐにというのもなんだけど、福はみんなに配れとばかりにお裾分け、、、

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この季節のことだけならいいのだが、木枯らしに吹かれるように1万円札を毀すとお金が瞬く間に何処えとも無く飛び散っていってしまう。

日銀は、景気の先行きに懸念があるという。懸念があるもないもバブル崩壊以来景気が良かったと思ったことが無い。先日まで長い間景気が良かったというが、最近の景気は一部の人だけがその恩恵によくするものになって来てしまい、全体のもにはなりにくくなっている。

世界的にそうなっているのだろうが、世界経済がマネーゲーム化し、有り余ったお金がいま石油のほうに行っているという。そのため、石油価格の急騰からあらゆる物に、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に飛び火している。便乗値上げを出来る所と出来ない所の差も大きくなり、相変わらずの弱い者いじめが横行している。

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今日の花。左、小柿、1㌢に満たない大きさながらかきのすべてをそなえているが、熟さないと渋い。子供の頃これが待てなくて口の中を渋だらけにしたものだ。右、姫向日葵、麻機街道沿いに咲いているが、この時期になるとなんだか寒い。

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2007年12月24日 (月)

狼男になりそうな満月

Img_0102_2 佳人が月に向かって「ふっ!」とため息をつくにしては今朝方の月は明るすぎた。(バイパスのうえに輝く今朝の月)

午前三時過ぎだったか、小用で起きたところあまり外が明るかったので、戸を開けて外を見ると雲ひとつ無い澄み切った空に満月が煌煌と輝いている。

天文学者には良いかもしれないが、私みたいなものにとっては、少しむら雲があったほうが良い。あまりの空を見上げていたら「狼男」になりかけたのか目がさえてしまい、布団に入っても眠れなくなってしまい、そのまま朝になってしまった。

目がさえたまま朝を迎えた。今日は娘夫婦が久し振りに食事を誘ってくれているので山歩きにも行けない。ならばとて、麻機沼に行って写した日の出の写真が下の通り、、、、、。

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食事をしながら、「今日はなんの日」と聞いてみた。子どもたちは当然のように声をそろえて「クリスマスイブ」という。

「違う、今日は納めの地蔵!」「なにそれ」じいじはすべってしまった。

世の中、あちこちでイルミネーションで飾り付けている家が多くなった。キリスト教徒でもないのに、、、5~6日もすればお寺やお宮さんでお賽銭を抛っている人々は、お地蔵さんの縁日にはこれっぽっちどころか、そんなのさえ知らない。

すべては、今流行っていること、みんながやっているに埋没して安心感得ることにしか興味のない”上滑り人生”を演じている。

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今日の自然。左、寒さをこらえて夜明けを待っていた紋白蝶。すこし触ってみたが動こうとしない。春まで生き残れば、、、だが。 右、イチジク。何回か霜に当たってしなびたようになるとこれがまた美味い。ときどき手で触って硬さを確かめている。

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2007年12月23日 (日)

水面を覗き込むナルシス

Img_0083 Img_0162 ギリシャ神話の中に、ナルキッソスという美少年が、水面に写った美しい少年(自分)に恋をして離れられなくなり、やせ細って死んだ。その後に水仙の花が咲いていたことから、水仙にナルシスという名を付けたとある。

ナルシストは、自分を美化し愛するあまり他をかえり見ることが出来なくなった内面的引きこもりの人をいい、精神病学的には幼児期に家庭内の問題から起きることが多いと言われているそうだ。

9時過ぎから空も晴れ上がり暖かくなってきた。水路周りに植えられていた水仙の中に、昨夜来の雨に打たれてか水面を覗き込んでいるものがあったので写してみたが、両方を重ねると花に光が当たっているのに水面は暗く、コントラストや距離の関係でなかなか上手くいかず、水に映った水仙が上記の写真。

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不正請求で問題になったコムスンの親会社グットウイルが人材派遣業でも違法を繰り返し営業停止の行政処分を受けることになった。

このことからコブラ頭の折口会長が代表権を返上するそうだが、ただそれだけで良いのだろうか。

この人の経営方針はコムスンの時の謝罪会見を見たときから、どう見ても自分さえ、、、というナルシスト的に見えた。

今年、話題になった一連の不祥事でもそうだが、「引退します」「辞職します」といって表舞台から引き下がっても実質的には企業を支配している同族の経営者と同じように見えて仕方がない。これから、大株主として表面にでないだけ余計に始末が悪くなっているといえないだろうか。

折口会長のように、ただ自分が儲かればよいと言うような人には、ホリエモン同様、再チャレンジとかで復帰することが無いよう刑事問題化できないものかと思うのだが、、、、

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今日の花。左、胡瓜草、花の径は3mmほどしかなく小さく目立たない花だが、拡大してみるとその花びらの色合いが美しい。右、アロエ、昨夜来の雨に打たれて花の茎間雨粒を光らせていた、その反射が綺麗で写したがレンズを通すと、、、、出ない。

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2007年12月22日 (土)

蝋梅も咲いて冬至

Img_0006 蝋梅の花が咲き出した。花びらに蝋を塗ったように艶々しているとこから名付けられたようだが、冬の花の少ない時期に黄色い色と香りで目立っている。

中国原産のこの花、すっかりと栽培種になっているが最近は花が大きく全てが黄色い”素心蝋梅”というものがほとんどで、写真のように中が赤紫になっているのは少なくなった。

花言葉は、慌てふためく周章狼狽でなく、「先見、先導」というらしいが、春に先駆けて咲くという意味らしい。ついでにギリシャ語では”冬に咲く花”と単純明快な名前だそうだ。

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今日は、冬至。一年で一番日が短いのを強調するかのように午後になって降りだした雨の中4時すぎには薄暗くなってきた。

北極圏では、此処しばらく太陽が拝めない日が続くのだろうが、それよりずっと南のパリーなんかでも、朝の九時ころまで薄暗く、とても”花の都”といった雰囲気が無かった。

Img_0072 そういう点から言うと、日本は、いや静岡では、ほそぼそとはいえ野の草に花を見ることが出来る。これからの寒さでレンゲや菜の花、つめ草などもやられるかと思うが、完全に絶えることが無いだろう。

これから、”米一粒づつ日脚が伸びる”と昔の人が言ったが、それを楽しみにして春を迎えたい。

ということで、今晩は先祖代々冬至にかぼちゃを食べるという習慣を今日も絶やさずに行なった。

今日の献立は、(というほどの物ではないが)かぼちゃに肉、牛蒡などを入れたけんちん汁風な鍋に、小麦粉の団子をを放り込んだ水団であった。なんだか山梨名物の”ほうとう”のような味もして身体が温まり、乙な味がした。

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今日の花。左、掃き溜め菊、なんともかわいそうな名前をつけられた花、外来種で最初に見つけられた場所が掃き溜めだったためという。右、アメリカ栴檀草、花の大きさは掃き溜め菊とずいぶんと違うが花弁のお粗末さからよく似ている。

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2007年12月21日 (金)

サギが釣する?

Img_0008 鯨ヶ池の北側に架かる第2東名の工事現場。何時になったら通行できるのか

良い天気も今日までだとのことで、どこかの山に行こうかと思ったが今ひとつ気乗りがしない。

こんな日に出かけて、アクシデントがあれば後味が良くないと思い中止した。しかし、どこへも行かないのもこれまた癪だと思い、通り過ぎるだけの”鯨ヶ池”に行ってみる。

この池は、安倍川の河川敷ながら一段と奥まった所にあり、周囲2km弱の池である。周りを見るとこの池に注ぎ込まれる川らしいものが無い所から、安倍川の伏流水が水源だと言うが3kmほど離れた安倍川よりかなり水位が高いのが気になる。

とにかく、静岡では淡水魚の釣り場として毎日人が来ている。

池の中に、桟橋を架け、釣り場を作って有料で営業しているらしいが、釣をしないわたしは遠目でしか見たことが無い。

Img_0002 今日此処に来て珍しく見えたのは、釣り人のすぐ後ろに一羽のチュウサギが控えていたことであった。

サギの仲間は鴨に比べると警戒心が強くなかなか人を近寄らせないものだが、多分釣り上げた小魚をもらえるのを知ってのことと思う。

Img_0004 見ている間は、釣り上げる人がいなかったので、餌にありつけなかったが、その人が散歩がてらに席をたった後は置いていった竿のところでじっと水面をみつめていた。

ひょっとして魚がかかれば釣り上げるつもりで無いかと思うほど真剣そうにみえた。写真のほうは、焦点が合わず失敗作。

その後、第二東名の取り付け道路の工事現場を見て帰って来たが、この辺りもこの後2~3年で様変わりしていく場所になるようだ。

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今日の花。左、からし菜、陽だまりの暖かさにさそわれて咲き出した。 右、オナモミ、何かにくっつく機会がなかったのか、早く連れて行ってもらわなくちゃ、、、

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2007年12月20日 (木)

冬来たりなば 春遠からじ

Img_0152 Img_0147 冬来たりなば 春遠からじ。

if winnter comes  can spring be befar behinnd ? 

もともと、日本の格言だと思っていたこの言葉が英国の詩の一節だと聞いて驚いたことがある。

なぜならば、初めてこの言葉を目にしたのは中学のころの漫画であり、雪山を歩いている武士らしき人の吹きだしに書いてあったからである。

と、すると、”冬来たりなば 春遠からじ”はずいぶん昔に翻訳された言葉なのだろう。今時ならもっと違った感じの言葉になっているはず、、、

とにかく、どの木も葉の落ちた枝先を見ると、来春に備えて準備している。

こぶしの花芽。固くて黒い鞘を払い、産毛の生えた蕾を膨らませている。寒い冬は毛の生えた外套の方が良いのだろうか。

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薬害肝炎の訴訟和解で患者が要求している一律救済に国側が応じない考えだと新聞に載っていた。

この問題は、国の対策遅れで患者を大量に発生させたもので、薬害があると報告を受けながら薬を売った企業とともに責任は免れないはずである。それを期間を決めて線引きし、差別するのは原爆被害や水俣病に見られたように一日の差、1mの差で天と地ほどの差を生むと言うことが分からないお役所の机上論でしかない。

C型肝炎にかかっている人に聞いたところ、まず、薬害だと証明するカルテが無いとのことであった。そのうえ、インターフェロンを使った治療をする場合は、副作用が激しく身体に対する苦痛が強いこと、月々8万円以上の費用がかかると言われたという。そして、いろいろな事情で完全に直るかどうかも保障できないとなれば、、、、だという。

厚生省は、お役人の倫理にしたがって責任は認めたがらない。あれだけはっきりとものを言っていた大臣も、年金問題を含めて最近歯切れが悪くなってきたのは官僚や首相とその側近たちの事なかれに巻かれだしたのか、、、

いずれにしろ、患者たちに春遠からん事を願っている。

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2007年12月19日 (水)

麻機田んぼのけむり

Img_0085 バイパス北側の田んぼのあちこちから煙が上がっている。

この辺では自慢している”麻機蓮根”を掘る人たちが、邪魔になる枯れた蓮の茎を集めて燃やしているのだ。

今年一番の冷えとはいっても、最高気温はまだ12度を越え他の土地とは比べ物にならないのだが、この気候に慣れているとつい焚き火にに手を出し、”あたろうよ 暖ろうよ”と、そして、知らぬもの同士の世間話になる。

週半ばのこの日、蓮根掘りをしている人は、私同様お年寄りばかり(といって土日でも若い人はほとんどいないが、、、)、風に吹かれて白く薄くなったススキの穂波のような頭をし、身体を温めながらの作業、風向きによってあちこちと移動しながら、世間話を飛び火させる。

「世間話の中身?」  お上の話からお下まで、な~に、ごくつまらないことそれが世間ばなし。

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2007年12月18日 (火)

疲れを知らない子どものころを

Img_0124 駿府公園内の噴水

小春日和とはもう言わない季節になったが、今日も晴れ、これで何日晴天が続くのだろうか。

久し振りに、北安東から駿府公園、県庁を廻って北街道、唐瀬街道と約10kmを二時間半かけて歩いてきた。

花など写すものも少なくなり、立ち止まるところもないまま駿府城跡の駿府公園は校内マラソンでもやっているのか、外周を高校生くらいの生徒、中では小学生らしい一団が周回していた。その走りっぷりを見ていると先頭の生徒は疲れを知らぬ気にストライドが伸びている。

橋終えても、友達同士なのか鉢巻を振り回してふざけあっている「あんな時期もあったのだがなぁ」と老兵は思う。いまでは、、、、、、とても とても。

片隅のベンチではお年寄りが集まって声高に話している。耳の遠い年寄りばっかりではどこでも声が大きく内緒話は出来ない。八ッあん、熊さん、隠居役が決まっているのか話が弾んでいる様子。

「自民党の伊吹たら町村たら水戸黄門に出て来る悪役そのものだら~、あのまんま出てきても可笑しくない顔してるだよ」「公明党の何とか大臣、何時見てもそっくり返っているしな」などなど、床屋談義ならぬベンチ談義は無責任できりがない。

帰りは、途中から歩いたことの無い赤線道路(むかし田んぼのあぜ道や水路で道路認定をうけ、赤い線で示されているところからつけられた名前)の狭い道を選んで帰ってきた。

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今日の花。左、刈り取りの済んだ田んぼに咲く蓮華草。 右、駿府公園内に咲くツツジ。葉が紅葉しているので始めは気がつかなかった。

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2007年12月17日 (月)

日向ぼっこの葱

Img_0187 西高東低の気圧配置は冬型と呼ばれ、こちらでは晴れているが西風の強い日が多い。

そうしたなかで、風にあたらない陽だまりに下仁田葱によく似た長葱が乾してある。まるで、大根足を並べたようにして、、、、、土が付いたままの足はなかなか日焼けもしないでぽかぽか陽気を気持ちよさそうに受けている。

こうすることで日持ちも良く、甘味も出るというが、すき焼きになど入っていたら、、、と想像するだけでよだれが出そうだ。

下仁田ネギとは、群馬県下仁田近辺で取れる葱という意味だそうだから、其処から離れた場所の葱は種が一緒でもそういわない、というので似ているというのだが、、。

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出来たばかりの防衛省が腐りきっているらしい。前の大戦で軍部が独走し歯止めが聞かなかったことから、自衛隊は文民統制の下、内局と呼ばれる官僚が権限を握っているのだが、これが、腐敗していると新聞は報道する。

このままで行くと、昭和のはじめ5.15 事件からから2.26事件に至り社会が軍国化していった時代に似てきているのではないだろうか。

当時の世相を見ると、財閥系企業と政治家の癒着、腐敗、そして、深刻な不況で庶民が苦しんでいたので、政治家たちの暗殺に「いい気味だ」という感じさえ持たし、それを利用した軍部中堅が力を持ってしまったことが間違いの元だった。

今の政治を見るに、政治家や官僚は自分の栄華に酔いしれて、税金や薬害問題、年金問題をゲーム同様にもてあそび、アメリカでもあまり問題視していないテロ特措法に血道をあげている。国民と目線が違うとしか思えない。

国民のほうも政治家に愛想を尽かし、支持政党なしがもっとも多い比率を占めている。

もし此処で、武器を持った連中が政府要人を襲ったとしたら、案外喝采する人が出てくるんじゃないだろうか。歴史は繰り返さないよう監視しなければならないのだが、政治家や高級官僚がそのことに気づいていない。

彼ら自身に対する”テロ特措法”を準備して置くように警告しておこうか。

”隗より始められない”ところに問題がある。

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2007年12月16日 (日)

紫苑の花は霜知らず

Img_0115 心あてに おらばやおらむ初霜の 

をきまどはせる しらぎくの花

うららかな日曜日、”昼は蕎麦良いね”ってんでいつもの「うつろぎ」へ食べに行く。

その途中で見た霜。大きくしてみたところこんな形をしていた。地面から立っている霜柱は良く見るが、草の葉っぱの葉白い縁取りがあるという程度にしか見ていなかったのでちょっと驚いた。

菊科の紫苑の花には霜が付いていないのに、地面についている草の葉に霜が降っていた。上の歌の文句は百人一首にあるものだが、霜が降って菊の花が分からなくなるということはあり得ないのでジョークで歌ったものであると想像する。

それにしても、霜が白い角のように突き出しているとは知らなかった。

左、少し離れて 右、日が当たりだして露になり初める頃

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2007年12月15日 (土)

三保の松原

Img_0097 先日長野では毎日のように”日の出散歩”を行なっていたが、静岡でもどこかへと考えていた。

年賀状の写真にも使えるものを撮っておきたいという考えもあわせて、三保の海岸へ出かけてみた。

今の時期の日の出は六時半過ぎ、それまでに目的地に行きたいものと、まだ星が瞬いている五時半過ぎに家をでた。

驚いたね~、すでにこの時間、歩き回っている人が沢山いて、暗闇の中反射材も電灯ももたずにいきなり暗がりから現われる。よく事故にあわないものだと感心する。

海岸に出ると、伊豆半島の上は赤く染まり出していた。それから20分ほど、車を羽衣の松駐車場に入れ、仕度し、まだ暗い松林に入るとその向うの海は真っ赤になっており、犬の散歩や釣り人をふくめて何人かが動いていた。

羽衣の松を過ぎ、海岸を右に進めば松越しの富士が見える地点にでるのだが、今年は、この当たり一帯で護岸工事が行なわれている。遠巻きに避けて撮影場所に向かえば、薄暗い富士と真っ赤に焼けた伊豆の上空、あれは、土肥の上に当たるかなと思いながら、帽子の縁を耳にかぶせる。

長野に比べれば、気温はずいぶんと高いものの、じっと立っている身体に風が身に沁みこむ。

Img_0073 ようやく日の出らしく富士の上にかかった雲が赤く染まり、周りの空気も桃色がかってくる。まもなく日の出、黙然と釣に励んでいる人の脇で近所の宿に来ていた観光客らしい人々が歓声を上げ、写真を写しあっている。

わたしは、場所を変え太陽が10度くらい上がったところで、松林の中をしばらく歩いてかえる。

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2007年12月14日 (金)

神の手と言わずに、、

Img_0034 路地物の仏手柑(ブッシュカン)を久し振りに見た。

この奇妙な形の果物を見たのは、今から20年ほど前、中伊豆の小さな宿に仕事で泊まっている時だった。

人の手の形に見立てて名付けられたものだが、原産地がインドだけ「神の手(ゴットハンド)」といわずに「仏の手」としたのはうなずける。

(よけいなことだが、ブッシュ大統領の手だったとすると気持ち悪いものがある)

そして、原産地の気候を引きずってか、寒さに弱い柑橘類で和歌山や静岡などに僅かあるだけとか。そのくせ、熟すのは寒さも厳しくなってくるこの時期というのも面白い。

改良されてこんな形になったと言うより、枝に棘が多いことからも原種に近いものかもしれない。そのとき聞いたのは果汁が入った実の部分がほとんど無く、香りの良い皮の部分をいろんなものに漬け込んでシロップやジュースにするとのことだった。

.薬物で記録はどうなるの

今日の新聞でアメリカ大リーグの選手に薬物疑惑が出ていたが、野球嫌いの私でも知っている有名な選手を含む約90人の名前が発表された。

薬の助けを借りて記録を伸ばし、活躍する選手といえば、昔は国威発揚とするソ連など共産圏に多かったようだが、最近はアメリカの選手に多いと聞く、そして、薬とそれを調べる検査薬との騙し合いがオリンピックのたびに話題になっていた。

オリンピックの場合、個人競技が多いので薬物反応がでて記録が抹消されても次の人の順位を繰り上げるだけで済むかもしれないが、団体競技の場合どうなるんだろう。大リーグを取ってみても、あの選手のホームランで負けたというとき、その記録を抹消するとゲームはどう記録されていくのだろうか。

(これは後で聞いた話、大リーグでは罰則が非常にゆるいそうだ。そのため薬を使っても稼げる時に稼いでおこうという風潮が蔓延しているそうだ。松坂投手を見ても日本ではびっくりしてしまう額だものな、、))

それにしても、オリンピックなど記録を抹消された選手は、その数年間を何のために生きてきたのか後になって悔やむだろう。ことを思うと釈然としないものが残る。

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2007年12月13日 (木)

「偽」を見てせざるは

Img_0038 Img_0037_2 野山から花が少なくなると、人様の庭を見るしかない。しかし、他人様の庭の花は園芸品種がほとんど、さらに、外来種だとなると名前がさっぱり分からない。

世界は地球規模の温暖化で騒いでいるが、植物や動物においても国境が無くなり、そのうちにその土地の固有種というものが、繁殖力の強いものに取って代わられ、絶滅するしかなくなってきている。

経済においても、資本がグローバル化が進み巨大な資本しか生き残れない、、、そうすると、身分の固定化が進み、金持ちや権力は一部の人のものになり、夢も希望もない暗い社会が招来しそうな気する。

この花が、そうだというわけではないが、”アブチロン”という薬みたいな名前を持った花だと分かったのはつい最近。

Img_0060 ブラジルから来たそうだ。はじめは、寒くなったのでハイビスカスがいじけたものかと思ったが全然種類が違い、一般に”チロリアンランプ”(写真 左)と呼ばれる花と同じ仲間で名前も一緒だと聞いた。

ブラジルから来てチロリアンとは、名付けた人もどうかしているが、どう見ても親類とは思えない。

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「義を見てせざるは 勇なきなり」とは、論語にある言葉で、江戸時代には武士の気概の根本だったそうだ。

「だったそうだ。」というのはあくまでも建前だったからという意味で、、、、

今年の世相を表す一文字が「偽」だという。そうだろうな記者会見を開き、頭を下げた人を沢山見たものなぁ~

「偽をみてせざるは 幽なきなり」  幽という字には人目につかないと言う意味がある。さて、孔子さんが生きていたらどう見るか。多分「人というものは進歩せんもんでんな~」とぼやくに違いないだろう。

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2007年12月12日 (水)

”ゴメンナサイ”が言えなくて

Img_0032 紅花襤褸菊(ベニバナボロギク)、アフリカが原産地というわりには寒さに強いらしく、いま盛んに咲いている。

白い綿毛が襤褸のように巻きついて見えるところから付けられた名前だが、下向きに垂れ下がったものもあるなかで、花弁を広げて開ききっているものは見えない。とすると、これで精一杯の満開なのかもしれないが、「おちょぼ口」で面白い。

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ひさしぶりに麻機の山を農道伝いに回ってきた。

暖かい。風がないせいもあるのかもしれないが、登りだしてすぐにヤッケを脱ぎ腰に巻きつけての散歩になった。

木の葉は大分と減ってはいるが、長野のように染みとおるようなきりっとした空気はない。

ぐるりと一周して下の池に戻ると、同年輩の人が近寄ってきて、「ヘリコプターの落ちた所は?今日撤去すると聞いたので、、、」と聞かれたので「此処じゃなくて流通センターの北側ですよ。野次馬ですか」「はいそうです」と自転車にまたがり去って行った。しかし、後から新聞で見たが、お昼に近い時間だったから、撤去した後だったかもしれない。

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はじめからそう思っていた。「来年3月までに5千万件を解決する」といった厚生年金の問題。

今頃になって、出来ない言い訳に四苦八苦。あげくのはてに「選挙で簡素化して言ったことだ」とか「公約違反はおおげさだ」というに及んでは、公約をもとに選んだ人はどうなるの。

私は、旧の記録を破棄したと聞いた段階から、解決するはずが無いと思っていたが、そんなことを今になって「こんなに杜撰だったとは思わなかった」というほうにあきれている。

今日も国会の中継を聞いていると、「ゴメンナサイ」の一言がなかなか言えなくてあれこれと理由付けをしていたが、どこかに捨ててしまった記録が出てくるはずがないことは、はじめっから分かっていたことじゃない!。

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今日の花。左、磯菊、葉っぱに白い縁取りをし黄色い花を密集させ、伊達こいてる。  右、ネリネ、またの名をダイアモンドリリーという。彼岸花に似ているが花と葉が同時に見られ、ダイアモンドの訳は、日に当たるとキラキラ輝くとあったが見る限りそんな気配はなかった。

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2007年12月11日 (火)

今ではザラ

Img_0122 写真は今年六月に写した麻機沼、この付近だと思う。

九日の午前にヘリコプターが墜落し、死傷者が出たそうだ。

新聞によると、墜落した場所は私が週に一回は行く散歩道にあたる場所で、毎年綺麗に蓮の花が咲くところのようだ。

地上の人のいないところで、巻き添え事故がなかったのが不幸中の幸いと言ったところか。

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今日は来年二月に行なう高校の同期会の案内を発送した。もっと早くする筈だったが長野に行ってきたのと、旅館のパンフレットが間に合わなかったため、、、

来年は、数え年の”古希”今どきの人は”カゾエドシ”を知らないそうだ。当然七十歳は古来稀だったかもしれないが、今ではザラ。

それでも、31人中3人は鬼籍に入っている。なんとか中部地方と関東地方に散らばっている同期生が応募してくれるのを待つ。

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今日の花。薺(ナズナ)と数珠玉(ジュズダマ)何れも路傍の草。

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2007年12月10日 (月)

しらたまの、、、

Img_0177 遠く浅間の下に川霧がただよう。

佐久、小諸、東御などでは「霧が降ると良い天気」と言い伝えられている。

千曲川の流れが上空の寒気との差で川霧を発生させ、すっぽりとこの一帯を覆ってしまうことから言われてきたものと思う。

今朝もこの現象が現れていた。立科町から眺めると、浅間山の裾から菅平の裾に掛けてすっぽりと雲海の下に沈みこんでいる。

この下に住む人々は、しっとりとよどんだ空気を味わい、暗い外を見て朝寝を楽しんでいることだろう。

Img_0183 昨夜まで、毎日あちこちでお呼ばれの酒の臭いを脱ぎ捨てるには、絶好の天気。澄み切った空を染めて朝日が昇るまでの間、手近にあった熟柿を酔い覚めの柿とばかりに、枝からもぎ取って口に入れてみた。

これがまた冷たいのなんのって、夜の冷気を溜め込んだのか思わせるような感じで酔いどころか身体全体に震えが来る。人口のアイスクリームをとっくに越えてしまっている。

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明治の詩人、若山牧水が佐久で作ったと言われるものの一つに

しらたまの 歯に凍みとおる 秋の空

     酒はしずかに  飲むべかりけれ   と言うのがあったが、これをパロデイ化すると、、、

隙っ歯の歯ぐきに凍みる 冬の朝

       熟柿は 凍えて味わからず   お粗末

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午前十時過ぎ、満載の林檎。さらに米も継ぎ足せば、自動車は後輪を下げて仰向けにそっくりかえる。

トンネル内の点灯は対向車に迷惑だろうと、スモールで走行。日暮れ前に到着。長野の人たちの親切に付け込んだような5日間どうもありがとうございました。

  

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2007年12月 9日 (日)

箱畳公園から

立科町から上田市に入ったところに「箱畳公園」というのがある。

もともとは農業用のため池だったが、隣接する地に工業団地を作ったさい整備して公園にしたそうだ。

此処からの蓼科山の展望は良いのだが、無粋な中継塔を立て景色を台無しにしてしまった。

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Img_0146 Img_0147                 

今日は義弟の家で法事がある。それに列席するために今回の長野行きであったが、閑人は「来い」と言われれば、人の迷惑かえりみず早速言葉に甘えてしまう。

「法事は、親類縁者を一堂に会することに意味がある」と年長者ぶって言ってみたら、津金寺の和尚も仕方なかったのか「そのとおりです。そのため主人は施主 ほどこしをする人と書くのです」とたててくれた。

まったく、今どきの和尚も我儘なお爺を相手に楽ではない。

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2007年12月 8日 (土)

美味い物は教えるな

林檎畑の真上に光る居残りの明星、見えるかな?Img_0161         

東南の空が真っ赤に焼けはじめているなか、明けの明星がたった一つ居残って輝いている。今日も良い天気になるだろう。

「朝は朝星 夜は夜星」とは昔の百姓の野良仕事を表した表現であるが、この朝星 夜星は天空高く輝く明星(金星)を指しての事。先祖代々百姓の血が流れているのか、就職した会社が何れも朝早かったためか夜が明けると起きだしてしまう。

今日の散歩は津金寺。信濃の談義所といわれる天台宗の古刹は、義弟の家から約2kmほどの所にあるが、朝の散歩には丁度良い距離にある。

いまに時季、花は絶え 紅葉は散って枯れ葉となっているが、空気は澄み遠目が利く。Img_0159 浅間山はすっきりとしていないが其処此処の田んぼからは朝もやと見間違えるような煙が舞い上がり、のどかな田園風景をかもし出している。

途中の高台に上がって日の出を眺めた後津金寺の境内を一巡りし岐路に着く。此処からの帰りで楽しみにしているのは、近所の高校生との挨拶。

田舎では、往々にして朝の挨拶をしてくれる子どもがいるが、生意気盛りでシャイな高校生が「おはようございます」なんて挨拶はない。それも男の子までというのは、、、。

親や近所のしつけか、学校の指導か、、、いやいや、生徒の心根とと思おう。

朝の食事の後、近所の林檎農家に行って、前に頼んでおいた林檎を分けてもらった。この家の林檎は先々週、私が兄弟を連れて来たときに、私自身も60kgほど購入したが、全て頼まれ物。帰ってから私の口に入ったものはそのうち五個ほどしかなかった。

品種は「ふじ」というものだが蜜が良く入っていて評判がよく、頼まれ仕事をしなくてはならない。そのため我が家だけに通じる格言「美味い物は 人に教えるな」と、、、

今回も90kg購入、ワゴン車の後部は林檎で一杯。今日で、この農家の林檎はほぼ完売とにこと。

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2007年12月 7日 (金)

氷の粒で歓待

Img_0072 墨絵を思わせるような落葉松林

夜空は寒々と冷え、幾つか見知っている冬の星座を散りばめて、空に瞬く星は明日の天気に太鼓判を押してくれる。

夜明けの散歩はいつもながら荘厳な日の出を演出し、遠くは軽井沢方面の低まった山あいから真っ赤に焼けた雲を先導にして昇りだす。何時見ても手を合わせたくなる現象である。

しかし、今日の夜明けは上空には雲ひとつ無く晴れ渡っているのに、浅間山も蓼科山も寒さに震えてか、厚い雲の布団をかむったようにして顔を出さない。

「そのうちそのうち」と思っているのに日は高くなり、朝ご飯を支度して待っている義弟の家に戻ってきた。

今日は、一日閑の予定なので、蓼科山の南側に連なる横岳か縞枯山に登ってみようと計画していた。義弟が知り合いの女神湖でペンションを経営している主人に状況を聞いてみると、うっすらと雪が積もっているとのこと。

Img_0118 九時過ぎ、大門峠に向かって出発。峠を越え女神湖に着いたのは九時半前、ここまでは車の量も多く道には雪も無かったが、この先からが路上に雪が敷き詰められた状態になってすずらん峠の先まで慎重運転を強いられる。

十時ころ予定の駐車場「ピラタス蓼科」に到着してみれば、上空厚い雲におおわれ2,000m前後から上は雲の中に隠れている。ここからゴンドラに乗って標高2,240mの地点に上り、坪庭といわれる平坦地から横岳と思っていたが、ゴンドラ終着点で風速10mほどの風が吹き視界がままならないと聞くと即座に断念した。

しかし、ここまで来て即座に引き返すも癪なので、横岳登山道と書かれた標識から登れるところまでと向かってみたが、足跡は僅かでなくなる。積雪量は2~30cm、かろうじてここがそうだと分かるところを拾いながら新雪を踏み分けて歩く。

子供の頃、正月用の花餅にする木を探して山の中を歩き回ったことを思い出すと思わず楽しくなる。下のほうには出発点が見えているので迷う心配は無い。

Img_0110 高度を次第に増すと、小さいながらも風に吹き付けられ小枝の風下側に雪が着いている来年春に花さかせようとふくらみを少し大きくしているツツジの蕾を包み込もうとするかのように、、、、、、

Img_0095 Img_0102 そして、葉を落として立ち枯れのように見える唐松林は、白く煙ったようなとんがり帽子を整然と連ね、樅の木は枝先に綿のように雪を降り積もらせトナカイとサンタクロースの登場を待っているように見える。

Img_0063 Img_0087 雲との接点近くになったところから風の強さが違ってきた、「登っているうちにもしかして雲が切れ空が晴れるのでは、、、」という一縷の望みもここで捨て、下ることにした、標高では2,000m少し登った所と勝手に決めて。

下り始めて、少しすると雲間から日差しが出てきた。上手くすると蓼科山や八ヶ岳などが姿を現すのかと待ち構えたが雲の切れる気配はなし。

しかし、天は折角の訪問者を歓待するように、落葉松についた小さな氷の粒をさらさらと降りかけてくれる。山歩きと少しばかりだが太陽の輻射熱で暖まった顔に心地よく振りかけてくる。

午後、三時帰り着いても蓼科山はまだ雲の布団を被ったまま、風邪でも引いたかご機嫌斜め。

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2007年12月 6日 (木)

吉兆?

彩雲

Img_0054 自然現象としてはそんなに珍しいものではないとのことであるが、私自身としては、何時見たのかも分からないほど久し振りの現象であった。

彩雲は、太陽の近くを通過する雲に含まれる氷の粒に太陽が当たって、虹のように雲が彩られる現象で、仏教では良いことがあるまえぶれ、吉兆として喜ばれている。

虹と違うのは、太陽に向かって見えることで、虹のように太陽を背にしないこと、雲にだけ色彩が表れることである。

静岡の真北、丁度200kmはなれた、長野県の立科村に入ったところでこの雲を見つけた。どこかで写真にしようと思ったが車を停める場所が無い。

自然現象だけに、何時消えるか分からないとあせりながら「農ン喜村」という農産物を売る店の駐車場に入れ、裏の高台に息せき切って写したのが上の写真。(一番綺麗な時季を失してしまっていた)

この後早速、ジャンボ宝くじを購入したが、これが仏教上の吉兆なのかどうか分かるのは年末だが、仏教では宝くじなど物質的なことは良いこととしなければ亜該当しない。願わくば、大阪の「船場吉兆」の二の舞にだけはならないように、、、、

武田八幡神社

Img_0050 ここ何年か、長野に向かって車を走らせる回数がめっきり増えている。今年はすでに六回目になるか、そうした中で何箇所か気になる場所があって立ち寄りたいとは思うのだがいろいろと都合があって通り過ぎている。

今回は、そのひとつ武田八幡神社に寄ってみた。韮崎の国道18号線の案内に釜無川の対岸2kmにあると書いてあったので、向かってみた。

NHKの大河ドラマで今年はどこへ行っても、「山本堪助」で賑っているので、ここもそうなのかな?という気もしたが、案に相違して森の奥深くといった感じで鎮座していた。

古くから、この地は武田の庄と言われておりこの社で信義というものが元服をし武田信義と名乗り勢力を広げたのが始まりで、武田家の氏神となったと案内板には書いてある。

武田信義は、森羅三郎義光の子孫だと名乗り、当然源氏の流れだと言うことになるのだが、、、

Img_0046 とにかく、行ってみると、最近あちこちに立っている幟も少なく、忘れられたようなたたずまいの中、鳥居の両側に風格のある大きな杉の木がたち、そこから登る石段、ひと気の無い境内、その奥に鎮座している舞台と本殿はまさに神寂びている感じがする。

紅葉も済み、降り積もった落ち葉を踏み分けての散策は気分をやわらげてくれる。

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2007年12月 5日 (水)

男女七歳にして

Img_0174_2 農道で手を繋いで歩いているご同輩を見た。べつに身体が不自由いうわけでもないらしい。知り合いなら「よォッ ご両人」と声をかけるところだが、、、 

「男女七歳にして席を同じゆうせず」

昔「礼記」という書物に書いてあり、つい先だってまでそれに基づいた教育がなされてきた。

周りの大人がその影響を受けていたためか、戦後の民主教育を受けたのにもかかわらず、女性の友達が出来、話しをしたのが高校生になってからと、今では想像も出来ないくらい晩熟というか意識していたものだ。

学校の教育も、男らしさ、女らしさを言外に求めていたように思う。

最近、小学校では、ジェンダーフリーとかで男らしさ女らしさを求めず、人間として皆平等ということから、出席簿も入り乱れているので、名前によっては男か女か分からないこともあるという話を聴いた。(この項は不確か、いずれ孫に聞いてみる)

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大阪の大田知事が三選出馬を阻まれたそうだ。原因はいろいろと有るようだがどうも、自分勝手なところがあり、前回前々回と支持した政党にも嫌われたためらしい。(持ち上げておいて落とす典型)

関係の無いわたしも、ときどき見るだけだが、官僚出身のえらぶった態度があり、思ったことをそのまま口にするあたり、あまり印象は良くなかった。

女の人に限ったわけではないが、浜松の国会議員をはじめ相撲審議会の女性委員などこの手の人をよく目に付くような気がする。これは、私の受けた幼いころの”女らしさ”教育のせいかもしれないが、、、、

最近の言葉でK,Yというのが流行っているそうだ。安倍内閣のとき出来たらしいが、周りの”空気読めない”という言葉の略だと言う。

つまり、世間がいまこの問題をどう見ているか分からない。分かろうとしない人に対する言葉らしい。

余談になるが、今から50年余も前に私たちの間で流行った略字に”M M K"というのがあり、意味は「もてて もてて 困る」だった。しかし、だれも周りに該当するものがなく、すべては「M M not K」ばかりだった。故に今どきこんな言葉が出てきたことが不思議に思う。

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今日は、来年二月におこなう同級会の案内準備で印刷したり、切手を買ったりと準備をしていたが、明日からの法事のため全てを中断。したがって、ブログも同様お休み。

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2007年12月 4日 (火)

太陽が目にしみる

Img_0028 今日の天気は電文風に書くと「天気晴朗なれど冷風強し」言ったところか。

昨日の雨が嘘のように晴れ上げっていた。富士山には雪が降らなかったのかこちらから見ると薄茶褐色をしていた。

午前中ちょっと用事があったので、夕方に巴川上流の土手を歩いていると、傾いた太陽の光を受け、川に突き出した小枝に翡翠(カワセミ)が一羽眩しそうに下の川面をうかがっていた。

ひょっとすると小魚を捕るところが見られるかもしれないと、土手の柵に掴まって見ていると、しばらくしてダイビングしたが失敗した様子。「わぉ、カワセミでも失敗することあるんだ!」

元に戻って照れくさそうしていると、下のほうから突き上げるようにして、もう一羽が飛び上がってきてもつれていたが、追っ払われてしまった。

Img_0037 これを擬人化してみると、恋人に魚を捕っていいところを見せようとしたものの、川面がキラキラと反射し目にしみる。

彼女がじれったそうにしているので「ええいままよ」と突っ込んでみたがやっぱりダメ。「アホ バカ マヌケ、そんな下手な狩で私におまんま食べ去られて~、3年早いわよ、あっち行って~」と言ったところか。

翡翠カワセミ)の世界もつらいね。寅さんばっかりではないようだ。

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ベネズエラのチャべス大統領が終身の大統領になるのを阻止された。表には出ていないが、多分国家権力を動員したうえでのことだと思うが、阻止したのは、国民の賢明なる判断だった。

腐った水が濁るように、権力の座に長くいると不祥事が起きるのは昔から言われてきたことだ。

老舗と言われるメーカーの不祥事。偉いお役人や知事の汚職は長い間によどんだくうきのためであり、これらに共通することは指摘されるまで本人はこれくらい当たり前だと思っていたことだ。

周りの”おべんちゃらこき”の心地よい言葉でおだてられて舞い上がっているうちに、世間の常識から外れてしまうのだろうな。

神奈川県が、知事などの多選を禁止する条例を可決したことに、静岡県の知事や市長が感想を聞かれ「そんなことをする必要が無い選挙民に任せることだ」と言っていたが、他の酋長(首長)も同じ考えの人が日本では多いと思う。

アメリカ大統領は、その辺の感覚が独立いらいあるようだし、ロシアにしても形ばかりか知らないが任期を延長しない。

騙されても、誤魔化されてもその場で怒るだけですぐ忘れる。日本国民は熱しやすく冷めやすいだけにこんな法律は必要なんだが、、、、

といって、毎年のように変わるのも、、、これまたね~

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今日の花。左、庭の南天の葉、一枚の葉でも紅葉するしないがある。これも天然の美? 右、掃き溜め菊、かわいそうな名前の由来はつけた人が偉い学者さんだったため。拡大してみると栴檀草によく似ていることよ。神さまもこの花のデザインを手抜きしたか。Img_0040 Img_0050

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2007年12月 3日 (月)

雨に歩けば怪しい爺さん

Img_0004 朝から雨が降っている。気温は9度なので氷雨というほど冷たくは無いが、この時期の雨には濡れたくは無い。

歯医者の帰り、塀越しに他人んちの庭の花を見ながら歩き、ときどきは花を写す。

風もなく空気が動かないためか、微妙な香りの泡があるような雰囲気を漂わす薔薇は、真っ赤に咲き花びらの先端に露をつけている。

Img_0006 お茶の花を思わせる白い花は差渡しが10㌢近くあり、石楠花を思わせるがこんな時季に咲くのだろうか。とにかく栽培種は名前も素性もわからない。

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Img_0012 さらに歩けば、川面を見つめて寂しく佇む美女に有らず小鷺一羽。激しい雨に打たれて身じろぎもしないでいる。

距離は遠く、雨が邪魔して霞む。なのに、怪しい爺さんは散歩にかこつけて、あちこちと徘徊する。

さいわい、学校から帰る児童のいない時間なので大目に見てもらっているのだろうが、近所で事件があれば早速告げ口の対称になりそう。

散歩は田んぼの中にかぎる。

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余談になるが、本日は私の本当の誕生日だそうだ。

だそうだ。というのは、実際私がその日を知っているわけでなく(知るはずも無いが、、、)母親が生前にそう言っていたからである。

まだあのころは、病院での出産は少なく産婆さんが取り上げた時代で、なにかのついでがあって役場に行った時届けるのが普通だったそうだ。

そのため、あまり遅れると叱られるので手近な日を選んで適当に言ったり、正月など区切りのいい日にしたりしたことから、周りにも生まれた日と届出が違う人が何人かいる。

そのため、実際に生まれた日が先になるのは多かったが、私の場合は生まれる前に公式の誕生日があるのは稀だそうだ。

さすがに、私の時代ではなかったが、生まれてすぐに死んだ兄の誕生日をそのままつけられたなんてのもあったそうで、昔はおおらかだったなぁという話はチャンチャン。

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2007年12月 2日 (日)

山に来た 里に来た 野にも来た

Img_0110 朝からポカポカと小春日和。散歩日和。

最近着込んでいた上着もはずして農道を歩けば、シジミチョウがあちこちで飛び回り、沼の中では杭に掴まっている鵜に監視を任せてカルガモやマガモが眠りこけている。

静岡市街地の北部、子ども病院がある一帯を漆山という、この後ろの山がいま紅葉の盛りである。

高さはせいぜい150m程度の低い山であるが、道が荒れていて登る所がない。今日もすこし登りかけてみたものの、栴檀草の種がズボンにくっつき毛が生えた状態になったので慌てて降りてきた。

この山の赤い色の葉は近寄って見ていないのではっきりしないが、昨日反対側を登ってみた限りでは櫨の木がほとんどだった所から、こちら側もそのように見える。

漆山とは、昔、漆の木を植えていたから名づけられた所が多いが、ここはどうなんだろう。漆の木の葉はくるみの木の葉に良く似ていて、櫨の木の葉よりひと回り大きく、産毛がついているような感じを除けばよく似ているので間違えたのかもしれない。

一方、目を下に向けると草むらの中の野苺なども赤くいる付いてきた。

まさに、紅葉が山に来た 里に来た 野にも来た。となる晩秋。

   Img_0087_2                 

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2007年12月 1日 (土)

とんでけ~

Img_0059 一度くらい白バイの先導で走ってみたかった

白い綿毛をつけた葦やセイタカアワダチソウの混じった高い草の中で雀どもが井戸端会議を開いているらしくジュッジュクジュッジュクと騒いでいる。私が近寄るとわらわらと小さな藪をさらに深く入り込んで騒いでいた。

さだめし、静岡対抗駅伝の噂話で盛り上がっていたのだろうか。

今日は、いつもの散歩道を横切る格好で駅伝競走のコースが設定されているので、少し時間をずらして応援することにした。

ただ、街中は黄色いジャンバーを着込んだ関係者や応援の人出が多いので田んぼの中で待ち構えることにした。

この大会は、静岡県の市町村各1チームを編成して参加していたが、市町村合併の影響を受けて村が無くなり市の部、町の部だけになった。しかし、チームの数はほとんど減っていないようだ。

ようだ、とあやふやに言うのは、すぐ傍にコースが設定されているのに、いまだに余所者意識が強く、関心が無いためであろう。なにしろ、この大会を見るのが今回が初めてなのだ。

駅伝そのものに関心が無いわけではない。私自身も50年以上前から学校対抗、会社対抗、町でと何度も引っ張り出されて走った経験があり、区間賞を取ったこともある。しかし、いずれのチームで走った時でも”優勝”という経験は無い。

Img_0062 先導車が通り抜けた後、目の前を、若い高校生が駆け抜けていく、スタートして1キロに満たない場所だけにまだ余裕があり、どの選手も颯爽とした走りぶりをみせすがすがしい。

静岡では走ることを”とぶ”という。初めて聞いた時には意味が分からなかったが、最近になって飛び跳ねると言う言葉から変化したものと思うようになった。その走りっぷりは若さとともに未来に向かって「とんでけ~」といったところか。

若いときの自分に重ねて見たが、それは気分のうちだけ、、、、私なんか多分レベルが違っていたとことと思う。

全ての選手が通り過ぎて、閑散となった道を散歩の継続で歩き出すと、子ども病院裏手の山が綺麗に色づいていることに気がついた。

紅葉前線もここまで来れば、今年の秋はもうお終い。今度の寒波で完全な冬になるのだろうと思わせる。

今日の花。里まで降りてきた紅葉、みかん畑の脇に立つ櫨の木と西洋柊、ヒイラギの実は青黒いと思っていたので調べてみると外来種のようだ。しかし、実のつけ様は見事の一語。

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