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2007年12月29日 (土)

山中何所有

Img_0057 朝方までかなり強く降っていた様子の雨も9時過ぎには上がった。

散りそびれた紅葉に名残りの水滴をちりばめて雨雲は去っていった。

また降り出してもなんだからと言いながら傘を持ってぶらぶら歩きで、正月用の小遣いを下ろそうと郵便局の方に出かけたのだが、北側の山が霧につつまれて趣のある風景になってきたので足がそちらのほうに向いてしまう。

「まあいいか、どうも此方のほうに行けと神様が言っているようだから、、、」と、目的地に背を向ける。

霧につつまれ、頂だけ出している山を見ると、昔、漢詩の時間出でてきた一説を思い出す。

Img_0059_2 山中 何の有る所ぞ

     嶺上 白雲多し

ただおのづから       たのしみ悦ぶべし

持して君に奇するに           堪えず

この詩は陶弘景と言う人が時の皇帝に「山の中に何が有る」と聞かれて答えたものであるが、「山の上は雲ばっかりで、自分が愉しみ悦ぶところです、陛下にお届けする程のものではありません」と答えているところが好きで憶えているのだが、この年になっても山登りをするのはこんな気がどこかにあるためだと思っている。

.醜いアヒルの子

Img_0082 そんなことを思いながら、麻機沼の堤防を歩いていたら、向こう岸に白い大きな鳥が泳いでいた。「おや、もしかして白鳥?」と池を半周して近寄ると小白鳥?。

首から上はまだ灰色をし背中の羽も薄汚れた色をしている。身体は大きいがアンデルセン童話の「醜いアヒルの子」そのまま。この鳥も来春には変身を遂げるのか。

50mほど離れたところには、この池の主みたいな顔をして鴨の群れがゲーゲーゲーと大きな声で騒ぎ立てているが、そちらのほうの仲間入りもせず只黙々と泳ぎ回っている。

(この辺もアンデルセンはみていたのだろうか。テレビでよく見る餌に群がる鴨と白鳥の群れは本来のものではないようだ)

この沼に白鳥が来るのはめったに無い。多分親にはぐれでもしたのだろうか。それとも自分を見つけても逃げていく風情を見せないところから、人馴れしているのだろうかなど、、、、。いろいろと考えさせられる鳥だった。

写真、左、只一羽で黙々と、、、右、青鷺に逢っても無視

Img_0090 Img_0075

            

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