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2008年1月31日 (木)

結構焼き餅やき

Img_0039 穏やかな春の一日を思わせる日の光が降り注いでいる。

すこし、薄着をして散歩の出だしは床屋へ行ってきたばかりの首筋にスウスーと風が吹きぬけていく、「これはしまったかな?」と思ったが、途中で雪桜を見かけてから気分的にも暖かくなってきた。

昨年の葉を落としきらないで、花を疎らながら咲かせているのは、さすがに暖かい国 静岡ならではのこと。

Img_0034 途中で見かけたムクドリも春を感じてか艶かしい声で愛を語り始め、お互いの身体に触っていたが、下からレンズを向けているのに気づいたらしく、右左に分かれて飛びさった。

ちょっと無粋なことしたかな?

今日で一月もお終い。「お肌の曲がり角」ならぬ”季節の変わり目”が来ていることを実感させる、小さな花ひとつ。もうすぐ”三寒四温”の季節がやってくるのを心おどろかせながら待つのも良いもんだ。

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Img_0103 麻機沼の開けたところに、高級カメラをセットした人がいる。(ホーレツラッパのツーレツー マーチンダラ チョイチョイ)と古いおまじないをかけて、、、。

先月(12月29日)、私もブログで紹介した小白鳥の若鳥がまだいるようで、朝から待っているとのことだった、「しかし、今日はどこかへ行っているらしくまだ見ない」という。

よっぽど、「こんな高級カメラではまだ白くなりきっていない首筋が鮮明に写ってしまい恥ずかしくて、デビューできないんじゃないの」って言ってやりたかったが、、、、フフフッ

わしもけっこう焼き餅やきに出来とるわい。

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2008年1月30日 (水)

宝石のような水滴

Img_0035 庭のパンジーの花びらに昨夜の水滴が光って宝石のように光を跳ね返している。

Img_0036 パンジーとビオラ。何処で区別するのか分からないが、多分花びらの大きさで言うのではないかとおもう。ビオラとは英語で言うバイオレット、紫色から変化した言葉だと聞いたので、これは大振りのビオラと言うことになる。

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今日の新聞を見て驚いたことがふたつあった。

ひとつは、ガソリン暫定法の繋ぎ法案と言われるもの。先にC型肝炎の時は人の命がかかわる法律を作るのに、こんな方法もある中とおもったものだが、今回のはどう見ても納得がいかないものである。

全然論議なしに、数さえ多ければ国会を通せるのだとすると、国会そのものが必要なくなるのではないだろうか。

先の、対テロ法案と言われるものもそうだが、参院で否決されたものをその理由も考慮することなく即座に原案のまま可決するなど、議会軽視の姿勢はいまに自らの首を絞めることになる。

もうひとつは、ミートホープ事件の裁判で明らかにされたこと。大まかには知っているつもりだった、豚と牛の肉を混ぜ合わせたのはまだ赦せる。

しかし、腐った肉を入れただの、冷凍肉の解凍は雨水でやったの、赤味を出すため血液製剤を入れただのと来ると、やらせだというが中国の段ボール肉となんら変わりがないことになる。(夕方のテレビで、農薬入りの餃子が輸入されていたとのこと、その量の多さもさることながらさすが中国本家は違う、、、、聞けば最初の中毒者が出て一ヶ月も立っているとのこと日本も「どうなっとんじゃ~」

さらに、発覚したのは内部告発だと言われると、長年、専門家を騙したというのは逆に「タイシタモンダ!」というのか、専門家なんて言ったってチョロイものだなという気さえしてくるのはどうしてだろうか。

しかし、この会社はすでに自分の首を絞めてしまっていた。

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2008年1月29日 (火)

これぞ”梅雨”

Img_0010 朝からシトシトと雨が降っている。まるで、梅雨空みたいだなとおもっていたら、咲き出した紅梅に水滴がついている。

これぞ”梅雨”

傘を差す程もないとて、床屋へ急ぎ足で行ってきた。

いつも通りだが襟足を刈り上げたため寒さがまた違う。ポストには確定申告の封筒が入っている。こんななけなしの年金生活者から税金をとらなくても良いのに、、、

首筋がまた寒くなってきた。

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2008年1月28日 (月)

望外の一枚

Img_0004 城北下水処理場の近くを流れる三面張りの水路。

小鷺が一羽いたので、「まあ一枚写して上げようか」とあまり気にもせずに写した。誰かが投げ込んだのか錆びたトタンの傍にいたので景色が悪いなとも思って。

ところが引き伸ばしてみて驚いた。流れる水面に羽がこんなに綺麗に写しこんでいるとは全然気がつかなかった。こんなところが写真の面白味がある。

このごろ、曇ってはいるが風もなく、穏やかな水面に風景を映しこむことが多いが、今日のは望外の一枚。

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いま学校では、「モンスターピアレンツ」が問題になっているそうだ。

「家の子どもを学芸会の主役にしろ」だの、「うち子を先生が送り迎えをして」「クラス替えのときうちの子に合わない生徒は別クラスに」だのとおよそ常識的には考えられない要求をし、ノイローゼになった先生が病気休職をしたり、自殺にまで追い込まれる事態にまでなっているケースが有ると言う。

そのため、クレームに対する対策を弁護士まで巻き込んで強化しようとしている。と報道された。しかし、それで問題が解決するのだろうか。

いじめなどで、生徒が自殺した場合の報道などを見ると、学校側にもいろいろ事後の対策に抗弁し、責任を感じていないような学校管理職や教育委員会がでてきたりしている。

一面的な報道の仕方にも問題があると思うが、この人たちに弁護士が付いてしまえば無力な父兄が対抗する術がない。

私も一度、自転車の高校生と接触しそうになったことがあり、学校へ出かけたことが有るが、一応は謝罪するようなことを言うがその態度は慇懃無礼そのものであり、その後全然改良された気配はなかったった。

「交差点では標識に従って止まるよう指導してほしい」という話を理不尽な要求と取られたのかも知れないが、学校という閉鎖社会において理不尽かどうかをだれが判定するのか。

もともとは、権利ばかりを主張するクレーマーを育てたのは、自分たち世代にあるのだが、考えてみれば先生のほうも同様である。

「悪いのはみんな私たちです」というのも腹が立つし、、、、、

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2008年1月27日 (日)

蜃気楼のような野守の池

Img_0118 大井川の中ほど、川根町の野守の池に着いたのは日も落ち辺りに夕闇が迫るころだった。

Img_0112 今日は旧金谷町のお日限りさんの縁日だし、とある施設の棟上式に餅を撒くというので「遊びがてらおいで」という誘いに乗って出かけ、その後、川根町まで大井川沿いに登っていった。

野守の池は、夢想国師に恋をした京都島原の遊女野守太夫が、恋が成就しないと悟った後、この池に沈んだ事から名付けられた池田といい、最近では箆鮒釣りで有名なところと聞く。

着いた時には、街灯の電気もつき、釣りする人もいなく、二羽の白鳥も寝ぐららしいところで、じっとしていた。

向こう岸の、家と山は池を鏡にして蜃気楼のようなたたずまいを見せている。

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やっと先ほど大阪府知事の選挙で、橋下さんが当選したという報道を見た。

大阪の人のタレント好きがまた現れたなと言う気がした。負債だらけのこの府の建て直し、音に聞く職員のだらけぶりなどを聞くに付け、あえて火中の栗を拾おうとする気持ちがどうにも分からない。

さらに、選挙の応援のためには本会議の投票を止めてまで駆けつけた小沢さんの八つ当たり的反論など、この選挙には奇妙な思いが尽きない。

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2008年1月26日 (土)

火宅に救いは

Img_0095 昨日、石割山から帰ってきてから何回も生姜湯を飲んでいる。

どうも、その前の日から喉の調子が悪かったのをさらに悪くしたみたいで、声がガラガラ気味の喉に染み渡るように下がっていくのが嬉しくて、またしても手を出している。

それにしても、昨日出かけてきて良かった。今日は一面の曇り空になっているので、昨日の景色は望むべきもないだろう。

帰りに寄った”忍野八海”二十数年、本当に久し振りと言った感じだったが、「はて?こんなところだったのかなぁ」という感じがした。

「それぁ~、二十年余もたてば何でも変わるもんだよ。」ッて声も自分の身内から聞えて来ないでもないが、なんだか印象が違ってしまった。

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日蓮宗が一番大事なお経だと言う法華経の中に三車火宅というたとえ話がある。

”法華経”は解説書をさらっと見ただけなので何も知らないが、解説書によると「ある年老いた長者のボロボロに荒れ果てた家の中に子どもが遊んでいると、その家が火事になった。火の恐ろしさを伝え逃げるようにすすめるが、子どもたちは言うことを聞かないので、長者は外に出たら馬 鹿 羊の車を用意してあげるので出てきなさい。といい、出てきた子どもにもっと立派な車を与えた」と大あらまし書いてあるそうだ。(長者とは父なる人 釈尊だとある)

これを見て、いまの日本に当てはまるのかな?という気がした。子どもが国民だとすると長者にあたるのは首相であり、国民に目標を持たせて導く人であらねばならない。

小泉 安倍と二代続いた政権は、劇場型といわれる政治をし、このままでは何処へ行ってしまうかと不安になった国民は、参院選で反対意思を表明した。

変わった福田首相に穏やかな政治を望んだのだが、この人は「何にもしないことが良い。」と、いう人だったらしく、何事にも後追いの姿勢を崩さない。

良い悪いは別にして、池田首相は所得倍増論を訴え、田中首相は列島改造論を、そして、小泉首相は構造改革を、と、国民に明るい展望を示した。

しかし、現首相は問題になっているサブプライム問題やそれにかかわる株価下落についてなんにも手を打たないし、諸物価の値上がりで家計は”火の車”「国民の目線で」というわりには国民年金、ガソリンの暫定税率、C型肝炎、食の偽装などにも積極的に動こうとはしない。

末法の世界に入り、長者(釈尊)がだめなら張三李四の我々は、何処からか観音様や地蔵菩薩が現われるのを待つしかないのか。

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2008年1月25日 (金)

穢れは許容範囲(石割山1,413m)

Img_0071 山中湖平野の駐車場に着いたのが午前八時半は、気温は氷点下6℃。

すでに、先客の車が三台入っており、そのうち2台の人たちは重装備の支度をしていたオーバーシューズにアイゼンを付け、、、、ゴーグルまで。

こちらは後から到着したのに、工事用防寒靴に履き替え、一重のナイロン製ズボンを重ね着するだけだからすぐに支度が整う。「お先に」と声をかけて”石割神社”の長い参道を登りだす。

Img_0056 参道は登り出しから20センチほどの雪が積もり、昨日誰か一人だけ登ったらしい足跡のあるのみ。

400段といわれる石段を20分ほど掛けて登れば、その先には東屋があり、石割り温泉からの道と合流すると書いてあった。ここから先、幅の広い山道を30分ほど登ると足割神社に到着する。

ここの御神体は、天手力男命だといわれ天の岩戸を広げた神であるが、そんな神でなければこの巨石を真っ二つに割る力はないだろう。

Img_0064 Img_0062                

巨石のすき間は一番狭いところで30センチほどしかない。言い伝えでは不浄の者は通り抜けられないとあった。降り積もった雪にはだれも通ったことのないのか足跡はない。

リュックを下ろし腹と尻をこすりつけながら、新雪を踏みどうにか通らせて貰えた。と、いうことは、私の身の穢れはまだ許容範囲ということになるか。

道はここから本格的な山道になる。雪がさらに深く、足元がはっきりわからないなかでのラッセルは疲れがきつくなる。何回も休んだ末十時半ころようやく山頂に到着する。

山頂は、大きな木もなくそれまで木の枝越しの富士もさえぎるものがないので、目の前いっぱいにに広がる。そのほか、南アルプスや御坂山塊をはじめ名も知らぬ奥多摩、奥秩父の山と何れも白く化粧をして富士山の侍女のように居並んでいる。ここで少し休憩と腹ごしらえをして、平尾山方向に下ることにする。

富士山を正面に据え幾つもの上り下りを繰り返し次第に下がっていくのだが、此方のほうが積雪量が多く場所によっては腰の辺まで来るところもある。降りだから良いようなものの、登り道としてはさらに大変だったことと思う。

そうこうしていると、何処が平尾山か分からないうちに、平野からの登り道と合流する場所に来たので、自動車の停めた場所に向かって下り、十二時少し過ぎて山登りは終了。

食事の後、忍野に近いことから、忍野八海を周って帰途につく。

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2008年1月24日 (木)

寒い朝 初地蔵

Img_0040 北風吹きぬく 寒い朝も~

という歌があったが、昨日の雨空から一転青空の広がった朝を迎えた。

今日は、”初地蔵”ということで、近所の厄除け地蔵まで歩いて出かけた。ここの地蔵さんは縁日の日は、香具師はいないが、近郷から野菜や餅などの食料品、衣類に靴にと結構いろいろな品物が並んでいるので良く出かける。

季節によって店の開く時間は違うと思うが、朝早くから品物を並べているため、少し遅いと品切れするものが出て来る。

私どもも、朝の八時に向かったがお目当ての山葵は一把を残すのみだった。

.寿桂尼は何とかママか

Img_0060 日本全国に愛宕山と名の付く山はどのくらいあるのか分からないが、何れもそんなに高い山はない。

静岡市内にもそんな名前の山があり高さは100mはないようだ。ここも今日は、初縁日と言うので午後になって出かけてみたが、人っ子一人いない山登りになってしまった。

この山は、もともとは駿府の城の鬼門に当たる位置にあり、今川のころは小さいながら城の形を取っていたらしく、いまもそのころの堀や櫓址が地形として残っている。

その麓に、龍雲寺というお寺があり、その背後100m足らずのところに寿桂尼の墓と伝えられている五輪の塔が二基ある。

寿桂尼は駿河の国主だった今川氏親に嫁いできてその子 氏輝 その弟 義元を生み、義元が桶狭間で戦死した後、孫の氏真と亡くなるまで今川家を支え死後はその鬼門に当たる愛宕山の麓に埋葬して今川家を守ろうとした女性である。

しかし、戦国大名としての今川家は寿桂尼を失うと翌年、氏真の人望のなさから事実上滅んでしまったが、取りようによると和泉流宗家の何とかママや吉兆のささやきママみたいなところも有ったのかと思わせるところが多分にあるような気がする。

その一方で私の推測であるが、貧窮した公家が援助してもらうため姫を地方の裕福な大名に降嫁させた時代でもあり、彼女も多分そのうちの一人ではないだろうか。それが、縁のない国に来て、主人なきあと子ども二人と孫の代まで後見役のように支え、守ったことは女傑というしかない。

一体に、東男に京女と言われるが、公家の女性に後年政治上のことで名を成した人が多いのはどうしてなのだろうか。

徳川の時代になってからも、5代家宣の天英院 13代家定の天障院や皇女和宮、など歴史の本などに拠ると当時の女性で名前が分かっているのは稀な中で、、、、、

そしていま、寿桂尼の墓だといわれる二基の五輪の塔のうち、どれが彼女のものか分からないと言う。とすれば、もう一基はだれなのか、その後ろに小さな五輪の石塔は侍女か、はたまた、、、小説家なら面白い筋書きが出来ると思うが、、、

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2008年1月23日 (水)

冬の雨は気が滅入る

Img_0069 冬のホウズキ、茎も葉もすべて枯れたホウズキが中の赤い実を袋のすき間から覗かせている。

Img_0009 ホウズキを漢字で書くと”鬼灯”とも書くが、これは、お盆に飾ったホウズキをもって、冥土に帰る足元を照らすように、と言う意味からきているそうだ。

こんな実を見ているといかにも墓地にある破れ提灯を思い出させるものがあり、わびしい気がしてならない。

.遭難事故の多い日

朝から関東地方に雪が降っていると報じていたし、静岡でも氷雨とは言わないが冷たい雨が降っていた。

”今日はなんの日”というのを見ていたら、”八甲田の日”だとあった。明治35年の今日、青森の歩兵第5連隊が雪中訓練として出発し、210名の隊員のうち199名が死亡残りすべてが重症になるという事故であった。

理由として厳しい寒波が来たこと、装備、情報知識の不足など幾つか挙げられているが、詰まるところ指揮官の判断の誤りに帰する所が大きかったようだ。

また、”真白き富士の嶺”で有名な江ノ島沖の遭難も今日だったようだが、荒れた海にボートで乗り出しての事故であるところから、今日は天気の荒れる特異日なのかもしれない。

違和感のあるガンダーラ美術展

Img_0042 そんなこんなで、何処も行く予定がなかったが退屈紛れに、県立美術館でやっている「ガンダーラ美術とバーミヤン遺跡展」に行ってきた。(左、写真はパンフレットから)

駐車場から箒をさかさまにしたような欅の並木を傘を差してのんびりと歩き、10分ほどで玄関に到ると、傘がいっぱい傘立てに刺さっている。見ると近所の中学の名前が書いてあるの、「生徒が沢山来ているな」と思い、一瞬ひるんだが折角来たのだからと、受付に行く。

見ると、70歳以上とJAFの会員は割引と書いてあったが、70歳にはもう少し足りないし、JAFカードも自動車の中、取りに戻るのもなんだしと思い、正規の料金を払って入場する。

中には、やはり生徒が沢山いたが、割合と静かに見ているし行儀がいい、しかし、小母さんグループがやっぱりと言った感じ、、、いつものことながらどうしてなんだろう。

そんな気持ちで見たいたためか、どうもしっくりとこない。

ひとつは、初めから分かっていたことだが、日本の仏像から顔つきが離れずぎている。イタリアの美術館のミケランジェロなどの作品に混じっていても分からないくらいの顔つき。もともと、釈迦などはそんな顔つきをしていたのかもしれないが、いま我々が見ているふっくらとした東洋的な顔つきの仏像とはあまりにも違いすぎる。

さらに、この仏像の所持者に「個人所蔵」というのと何とか寺とかかんとか宗という「宗教法人」が非常に多かったことである。

気になったので展示品の裏を覗いてみたが裏は制作時に削ったのか、鑿跡が付いているのでどこかに嵌め込んであったもののようだが、さぞかし高い値段取引されたものなのだろうなという感じがした。

草木の全然ないガンダーラの写真パネルもあったが、この遺跡にはいま何が残っているのだろうか、探検家といわれるハゲタカ連中の儲け話を見ているようで次第に気分が滅入ってしまった。

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そう言えば、”外は冬の雨まだ止まず この胸を濡らすように、、、、”って歌もあったっけ。

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2008年1月22日 (火)

お天道様が、、

Img_0092 今朝方は、星も見えたが次第に曇り山の上は雪降りのようであった。

星空を見たときは、出かけようかなと思っていたが、昼の放送ではしないでもスリップ事故が多かったようで、止めて正解だったかもしれない。

私の車には、11月の林檎狩り以来3年目のスタッドレスタイヤを履いているが、最近では雪道走行には自信がなくなっている。

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と、いうことで、近周りの散歩に相成ったが、足元の枯れ草に天道虫の越冬するところでもあったのか、この寒空のあちこちに、一匹また一匹と動かないでいる。

Img_0094 八百万の神と、精霊で満ち溢れた日本。かなり居心地が悪くなったかもしれないが、道端の田んぼには年初からの田の神を招きいれた飾りも、寒空に揺らいでいるのをみると、この天道虫が精霊のように思えてきた。

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2008年1月21日 (月)

文字通り”大寒”

Img_0065 今日は大寒。昨夜来激しく降っていた雨も、今朝起きてみれば静岡の山”竜爪山”のほとんどを白くするほどの雪景色になっていた。

早速、”雪見遠足”に有東木へ蕎麦食べを兼ねて行ってきた。”雪見遠足”とは多分静岡独特のものと思う。10年に1回降り積もるかどうかなので雪が珍しく、保育園や小学校では雪を見に行く遠足があり、雪国育ちの私には不思議な行事だったが、最近ではやはり懐かしく思われるようになってしまった。

以下は今日の有東木の景色。

集落には10センチほどの雪が積もり、咲き出したばかりの蝋梅にも、、、

Img_0109 Img_0094                  

Img_0102 Img_0105 椿も雪をかぶって      

Img_0103

南天、万両も白い雪が引き立て役になり色あざやかに

Img_0081 Img_0084                  

途中、雪遊びをしていた一人の男の子。

「今日はどうしたの?」「バスが来ないので学校はおやすみ」

私の子どもの頃も、やはり吹雪くと学校が休みになったのを思い出して。

「もうけたね」と言ったら「うん へへへッ」だって、変わっちゃないね。

         

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2008年1月20日 (日)

その柿 甘いか

Img_0051 ムクドリが木の枝につかまって、のこり柿を狙っている。

多分食べたいのだろうが、下からカメラを持って覗いている私が気になるのか、つっつこうともせず、柿と私を等分にみながら様子見をしている。

この柿は、多分渋柿だろうが、今まで残っていれば甘い熟柿に変わっているいるはず、、、、でもどうだろう。

この鳥は1~2羽でいるときは可愛らしいのだが、群れになると大変。

静岡でも最近は何処をねぐらにしているか知らないが、ひとっころ駅前の欅の木や、青葉公園の並木に集団で集まっていたときは、その鳴き声とフンで、それはひどいものだった。

鳥でも人でも群れると常識がなくなるのは同じなのだろうか。

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2008年1月19日 (土)

柏尾峠からヤンバラ

Img_0038 朝の曇り空がいつの間にか快晴になっていた。「この時間から出かけるところは」と考えた末、柏尾峠から高山にでも行ってみようかと出かけた。

Img_0045 柏尾峠は、静岡の東端の瀬名から清水の柏尾に抜ける峠で、ここにある立派な記念碑によると、昔はかなり人の行き来があったようで、嫁入り峠とも呼ばれるほど両村の交流があったようだ。

いまでこそ、狭いながらも舗装がされているが、その当時は結構な難所だったと思われる。

ここの駐車場に車を停めて山道に入る。案内板には山原中継所と矢印があり、方向違いでないかと思ったが他に道はない。昨年一本松で出会った人は、この道を通って高山(888m)に行くと言っていたので、「ええい ままよ」と歩きだした。

Img_0041_2  道は、よく踏まれており高低差も少なく歩きやすいが、尾根には出ないので見通しが悪い。しかし、写真のように竹林の中を歩いたり,台風で倒れたらしい倒木を何本もまたいだり潜ったりで変化に富んでいた。

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Img_0014 Img_0012 道脇に咲くスミレや青木の赤い実を見たりしながら30分ほど歩くと、突然舗装道路に出る。「おや、ここは先日竜爪山を登った帰りの道ではないか。こんなところに出るんだ」と、思った途端、なんだか気が抜けてしまい、再び山道に入ったものの足取りが重くなってしまった。

山道に入って10分ほど、高山と山原の分かれ道、今日はここが最高点だと思うが標高は分からない。とは言うものの、今日は山原を往復するだけに決めて右側の道をとる。

Img_0016 (写真、柏尾峠からの清水市街、遠く霞むは伊豆半島)

山原と書いて此方ではヤンバラというが、見通しの良い山で放送用アンテナなど大型の鉄塔が幾本もありそれぞれがフェンスで囲っているため富士山方向はあまり展望が良くない。しかし、目の下には清水市が一望に出来、夜などは綺麗な夜景が見えるのは分かっているが、登り道がかなり急傾斜なので、帰りが心配のあまり来たことがない。

自動車を、柏尾峠に置いてきている関係で、そのまま下に降りるわけにも行かず再び展望の悪い山道をてくてく、、、と約三時間の山歩きとなった。

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2008年1月18日 (金)

冬土用はなに食べる

Img_0010 山茶花を写そうと近寄ってみたが、この花、なかなか写しにくい花である。

傷みやすい花弁のためもあるが、近寄ってみると必ずずどこかに欠陥があり、大写しにしにくい上、離れるとまた一様でないため構図が取りにくい。

とかく今どきの花でありながらようやくこれかなってのがこの一枚。

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よく能面のような顔、と言った場合、喜怒哀楽を表にださない無表情な人を言うが、実際の能面は、その傾け方や仕草で千差万別の感情をを表す日本文化の極みの一つであろう。

今朝方の散歩道は、低く暗い空、僅かではあるが風も吹いてこの冬一番の寒さを感じた。気温的には霜が降りた昨日のほうがよほど寒かったはずだが、体感温度は今日のほうがよほど寒く感じ、手をしっかりと握り締めて歩いた。

道端にはレンゲや野芥子、タンポポなども咲いてはいるが、昨日の太陽にさらされて光り輝いていた花とは同じに見えないほど沈んだ色をしている。

これは能面のように、こちらの気持ちがかじかんでいるためばかりではないような気がする。

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今日は冬土用の丑の日だという。四季それぞれに土用があるが、夏の暑い盛りだけが強調され他の季節の土用は平賀源内の宣伝がなかったばかりに、見捨てられてきた。

夏土用が暑さにばてた身体を、、、というなら、冬土用は寒さに縮みあがった身体にいいもの、鍋料理に熱燗で尽きると思うが、、、。

そこで、調べてみたら、昔は寒に練り上げた紅の質が良い所から「丑紅」といって寒紅売りの人が売り歩いたと言う。

私の子どものころでもそんな言葉や風習を聴いたことがないところから、かなり古い時代ことらしいが、このころの紅は紅花から作られていたようで、単なる化粧品以上に肌荒れや、口の中の傷などの薬としても使用されていたと言う。

天然の紅花で作った”紅”。使ったことがないので知らないが、なんだかホンワリとした感じが伝わって安心感がある。

今日は何でも天気のせいにするが、考えがまとまらずだらだらと、、、おしまい。

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今日の花。左、花も済み綿毛をつけてタンポポ、あまりの寒さに種を飛ばす時期をうかがっているのか。右、咲き遅れてか関東嫁菜、

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2008年1月17日 (木)

春なわすれそ

Img_0304東風吹かば 

匂い起こせよ 梅の花

あるじなしとて 春なわすれそ

むかし、菅原道真が大宰府に流されて歌った有名な和歌であるが、ここ、麻機山の農道脇、耕作者がいないのか荒れ果てた畑に咲く梅の一枝。

律儀に花を咲かせ始めた、梅はやはり白い一重のものが私にはいかにも梅らしくて良い。

太陽に向けて花弁をいっぱいに広げたこの花、見ようによっては天神さんに向かって匂いを送っているように見えぬこともない。

Img_0312 今朝ほどの寒さで、日陰のところは白く霜がかかっていたが、日の当たる場所ではオオイヌフグリがコバルトブルーの宝石をまいたように点々と草むらで光り、タンポポやオオタビラコが地面に這った草から一段と高く、黄色い花を輝かせている。

今日は、久し振りの快晴に誘われて麻機の上の山並みを歩いてみた。

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今日17日は、阪神大地震から13年目の当たる日だそうだ。当日は朝早くゆれたのは知っていたが、そんなに被害がでているとは分からず牧の原の現場に出ていたが、今日のように快晴の上風が強かったのを憶えている。

この地震の反省から、災害に対する即応性や被害者のケアなどが論じられて幾分進歩を見たが、昨年だけでも60人にのぼる孤独死などが問題になっている。

そして、災害の記憶が薄れつつあることを、テレビなどは関係者にインタビューして嘆いていた。

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話はがらっと変わる。そのむかし、熱海の海岸で間貫一と言う青年が「今月今夜のこの月を僕の涙で曇らせてみせる」と連載小説で語らせた、今月今夜というの1月17日だったそうだが、それから120年ほどたった今日、やはり月は雲の中、よほど恨みは深かったのだろう。

貫一さんも、天神さんも男の恨みは長く続く。

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今日の花。左、いわずと知れたタンポポ。右、大田平子(オオタビラコ)春の七草、仏の座はこれ。

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2008年1月16日 (水)

それでも進化はする

Img_0009 カケスが山から下りてきてクヌギの木の枝に止まり、下を見ながら首をかしげている。

これは、きっと何かを隠しているなと思いながら見ていると、周りを警戒したあと下に飛び降りて団栗を拾い上げた。後で見るとまだ幾つかまとめて置いてある。

Img_0010 羽を広げると黒 白 青とダンダラ染めになっており、きれいで可愛い鳥だったが、山での声はギャーギャーと言う声に近く、天は二物を与えずの典型みたいである。

この鳥は烏の仲間だけあって結構賢い上、人に慣らされると人の言葉を喋ることがあるので中学のころ雛を捉まえて飼ったことがある。そのころの名は”カシッパ”と呼んだ。

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先日新聞を見ていたら、「アメリカの科学アカデミーは、現代生物学の根幹として、進化論を公立学校の化学の授業で教えるべき」と、3度目の提言をしたとあった。

「へぇ~、科学の先端を走り、遺伝子分野でもダントツのアメリカでね~」と思ったら、キリスト教保守派が進化論を否定し知的な存在(多分神様)が人間を作ったとする説をかかげ、かなりの人がそれを信じていると言い、ブッシュ大統領までがその説を支持していると聞く。

数年前、家に来たキリスト教勧誘者も人は神が造りたもうた物、麒麟は初めから首が長かったと言っていたのを思い出した。

キリスト教はその昔、地動説にも反対 弾圧した経歴があり、すべては聖書を基準にする原理主義者が根強い力を持っている。となると、イスラム原理主義と衝突するのも無理ないか。

それに比べると、仏教徒と言うべきか、日本人というべきか分からないが、我々は次から次へとこれが真実です。あれが学説です。と言われるとすぐに信じてしまう傾向にあり、学校で教えられた地動説や進化論は定説として疑う余地のないものと思ってきた。

権威に弱いのか、はたまた古いといわれれば従来の知識を簡単に捨ててしまったり、神仏混交のように古い考えに新説をこじつけたりして処理できる能力があるというのだろうか。

進化論的に言うと、新しい環境にすぐ対応できる強靭な人種なのかも知れない。しかし、いずれの日にかガリレオのように、「それでも生命は進化している」と言い張るような度胸もないことは確かである。

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2008年1月15日 (火)

なんでもない日になった

Img_0178 あした浜辺を 彷徨えば

昔のことぞ しのばれる

よする波 返す波、、、、

こんな歌詞の唱歌があった。

昨日の朝。曇っていたせいもあって七時近くになっても外は薄暗かったが、海岸まで降りて松葉が降り敷いた砂浜を歩いてみた。

風もなく、花もない冬の海岸。しかし、足元を静かな音で満ち退きする波の音は海の小さな呼吸のように聞えて心休まるものが有る。

Img_0184 と、松木立の向うを夜漁を終えてか、いさり火を残したままの小さな舟が、低いエンジン音をたてながら漁港の方に向かっていく。大量だったのだろうか

山で育った私であるが、小さな波の音をず~っと昔に聞いたような気がする。母親の胎内の記憶か、遠い先祖の、、いや、海で暮らしていた何億年前の記憶なのか、と考えながら静かな海岸に足跡を刻んで歩くのは昨夜の楽しさもあって心地よいものがあった。

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Img_0078 今日十五日は小正月。昔は何かと行事があった。私が小さいころ住んでいた集落では「佐儀長」と言って5mくらいの杉の木を青年団の人が雪の中ら切り出してきて広場に立て、注連飾りや書初めなどを焚き上げ、鏡餅の切れ端を炙って食べたものだった。

しかし、最近では火の始末や混じっている化学製品の煙などで「どんど焼き」「歳(さい)の神」を含めて全国的に廃れて来たようで、お宮さんの焼却場で処理する所が多くなってしまった。(写真は静岡市平山で)

また、小正月は女の正月。丁稚どんの正月とも言われたが、女性に力も強くなり、商店街も週休制になるなどして意味は無くなった。

そして、戦後になって成人の日と言われるようになったが、それも今では第二月曜日だといわれると、一月十五日はなんでもない日になってしまった。

今年の成人式は平穏無事に済んだようで、ここしばらく続いた成人式暴動も収まったようだ。このままで行くと若者のエネルギーは何処で発散するのか、あれほど嫌っていた傍若無人ぶりも無くなると次が心配になってくる。

丁度、60年代に世間を騒がした学生運動が沈静化した後、若者が次第に無気力になったように、傍若無人の押さえ込みは今後にどう影響するのだろうか。

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2008年1月14日 (月)

サービスに見る現代感覚

Img_0192 人それぞれと思うが、孫たち二人の言うことに現代っ子の感情を見た思いがした。

中二の娘「仲居さんが食事の間中傍にいてあれこれと手を出されていやだった」小三の男の子「ホテルの人に会うと、みんな気を使ってニコニコ顔をされるのでロビーのほうに行きにくかった」と

つまり、人目など気にしないで家族など知ったものだけでワイワイとしたいのだと感じた。

しかし、「それを取ったらサービス業は成り立たないし、じいじの年頃ならそれがあるから行くのだがなぁ、、、」といってみたが、コンビニやデパートなど、しつっこく付きまとわず客との距離感がある世界で育つと、従来のサービスがサービスで無く、ただ、煩いとなるのだろうか。

皆がそうではないと思うが、インターネットで旅館の評判などを見ると親切があだになったり、不親切になったりの評価があり、これからの旅館などサービスのしかたが多様化していくのだと思う。

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帰りは一路海岸線沿いに帰る。水族館を見たいという要望で三津シーパラダイスに立ち寄ることにした。

静岡に来てまもなく、この海岸線が出来たころを知っているものにとっては道路状況もよくなって快適であったが、三半規管の弱い孫たちにとってはうねうねと曲がりくねり、山と海岸の間を上り下りする道は大変だったらしく、「まだ着かないの? あと何分?」の連続だった。

Img_0231 ようやく着いた水族館のお目当て、じいじは最近始めたというクラゲの群遊。何百匹とも知れないクラゲの水槽の有る区画を三方鏡張りにし、クラゲの中に身をゆだねるような仕組みにしてあり、しばし、浮遊感の有る体験をした。

外は、相変わらずのうす寒さ。ぐるりと廻ったが、一時大人気だったラッコのいる所がたった2匹になってしまっていた。いま何処の水族館もラッコが手に入らず大変と聞いていたがここもそうなのかという感じ。

Img_0228 ついで、イルカのショー、海獣のショーなど孫好みのショーに付き合ったあと、沼津の魚市場に立ち寄り、夕刻まえ心地よい疲れをもって帰宅した。(写真はカマイルカの泡吹き)

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2008年1月13日 (日)

光の道と珍味で

Img_0141 いやぁ楽しくてうれしい2日間であった。

娘夫婦が一泊旅行に連れて行ってくれた。

行った先は、近場。土肥温泉だったが、日ごろの感謝を込めてと招待してくれた。

出掛けは曇っていたが、次第に小雨がぱらつく状態になり戸田に付いたころは傘を差すほどではないが冷たい風も吹いていた。

しかし、港から少し上がった高台にある宿に着くと、はるか彼方水平線と見えるところが明るくなっている。

この宿は、夕日と富士山が売りだが今日の富士はどう見ても望むべきも無いようだ。が、ひょっとしたら夕日がと思うと楽しみが出てきた。

部屋は、駿河湾を見晴るかす向きに、娘夫婦と孫が一部屋、私たちが一部屋と取ってくれたので、男同士とばかり早速娘婿を呼んで、ビールを飲みながら夕日見物にした。

西の空は、嬉しいことに雲が切れて、海面が輝いてきた。と、その時途中に雲の切れ間が出来たのか手前の海上に200m程の光の輪が出来、上の写真のような、なんとも不思議な光景が出現、ますます、それに興じてビールの量が増える。

Img_0158 結局は、日没まで1時間半にわたって夕日が描く光の道と少しの珍味をつまみで夕食前に出来上がってしまった。

(その時間、温泉に浸かっていた娘たちのよると、夕日を風呂から見たい人で、露天風呂が満員だったそうだ)

その後、お決まりの温泉に浸かり、舟盛りと鮑の踊り食いという豪勢な料理に深酔いし、家族風呂を用意してもらったが、とても入れる状態になく、食べ、呑みすぎで夜が更けた。

これぞ、極楽極楽。

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2008年1月12日 (土)

寒中の雨

Img_0112 昨夕から細かい雨が降り続いている。雲とも霧とも付かぬものが低く垂れ込めている。

”寒中の雨”正月用の花にされなかった蔓梅もどきも雨に打たれて少しは精気を取り戻すのだろうか。

寒中の雨は、寒い筈の飛騨でも良く降った。寒いさなかに突然南風が吹き込んで雨になるらしいが、けっして歓迎されるべきものではなかった。

雪の上に雨が降ると、濡れた雪がしまりその上に新雪でも積もろうものなら、その雪は泡(アワ)になって斜面を駆け下り平地にまで被害を及ぼす。

泡とは、表層雪崩のことを言い、先日、槍ヶ岳の槍平で遭難したのもこれであったようだ。

今日の雨はあちらのほうではどうなったかまだ分からないが、午後になって箱根も雪が降って車が動かないので約束をキャンセルして欲しいと連絡が入った。

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今週、NHKのBS放「奇跡の映像 よみがえる百年前の世界」という番組を見ていた。第一次大戦前後の状況を当時の大富豪アルベールカーンという人がカメラマンに撮影させていた記録を八回にわたって放送するものであるが、そのうちの七回を見た。

このなかで、驚いたのはすでにこの時期にカラー撮影をしていたことである。私が始めてカラーの映画を見たのは昭和26年くらいだったと思うし、自分がカラーフイルムを使ったのは昭和36年くらいだったと思う。

その映像からは、やっと百年前のヨーロッパでは、いまのように何処に行ってもネクタイとスーツと服装でなく、地域ごとに多様な民族衣装をまとい言語も方言以上にさまざまであったことなどが分かり、これが、戦争というものによってまとめられていく過程が写されていた。

次に、第一次世界大戦でフランスがドイツの侵攻に対抗するためフランス西部に塹壕を延々と掘ってこう着状態になった状況はレマルクの有名な小説「西部戦線異状なし」を反対側から写したもので、いくらかは知っていたつもりだったが、やはり映像は違うなぁという感じを持った。

もうひとつ、いま、中東で宗教間の対立が起こっているが、その遠因は大戦が終わった後イギリスとフランスが地図の上に線引きをしてシオニストやマロン派といわれる人に肩入れしたことにあるなど、、、、非常に面白く見せてもらった。

次回は、東洋が主題になるそうで見逃すわけにはいかないといまから手ぐすねを引いている。

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今日の花。左、田枯らし(タガラシ)田んぼでは厄介者扱いにされている草。 右、柾木(マサキ)赤いものの少ない季節に目立つ所から正月飾りに使われる。上のおおとともにニシキギ科に属する。

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2008年1月11日 (金)

猫柳もコートを脱いで

Img_0096 本来なら寒に入っているのだから、もっと寒くなってもいいはずだが、先日来の陽気のため、猫柳が殻を脱ぎ捨て白い綿毛を見せだした。

一旦脱いだコートは再び着直すことが出来ない。これから先どうやって過ごすことになるのか他人事ながら心配している。

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今日、国会では薬害肝炎の救済法とテロ対策特措法が成立したと言う。

両方ともすったもんだの末の成立であるが、薬害肝炎については、これで完全とは言いがたいものがある。なぜなら、患者の多くは前にも書いたようにカルテが廃棄されたり、注射の回し打ちなどで感染しており、感染の証明が難しいところに有り、これらの患者が救済されて始めて救済法の価値が出て来る。

またテロ特措法も、「停止中の実害無し」という外電などを見ると、国会を何回も延長してまでやらなければならないほど重要なことだったのか、参議院の決定を完全無視してまで強行してよいのか。また、民主党の党首が投票をしなかったことなど、なんだかいい加減に処理されたようでこれまたすっきりしない。

Img_0028 今日も穏やかに晴れ上がり、麻機沼は鏡のように周りの景色を写しこみすっきりとした景色を見せているのに、、、、。

おれは川原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき

みたいに、ちょっと湿っぽくなるが、、、、

そうこうしているうちに、天気予報で「降るぞ降るぞ」と言っていた雨粒が夕暮れとともに本降りになってきた。”寒中の雨”が始まった。

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2008年1月10日 (木)

シモバシラは草の名

Img_0067 (竜爪山文殊岳(1,041m)から見た霞みたつ富士山)

今年の初のぼりをどこのしようかと考えていたが、やはり、一番身近な山竜爪山にし今朝方登ってきた。

ここしばらく暖かい日が続いて、凍結の心配も無いのでのんびりと車を走らせ、穂積神社の駐車場に入れ、支度をしてから私にしては少し大目のお賽銭を上げ、今年の山行きすべての無事をお願いしておいた。

この山もこれで何回目になるのだろうか、数えたことも無いのだが、あっちこっちと登り口を変えて、、、、、、とにかく手近なだけになれた道、ゆっくりと歩調を整えて階段のぼりに励む。

登る道々からはうっすらと霞がかかったような富士が姿を見せ、気温の高さとともになんだか春の山を登っているような気がしてしまった。

Img_0074 頂上近くになってシモバシラという紫蘇科の草を見る。この草は茎に水分を含んでいるため、夜寒くなると茎の水分が凍ってチューブから押し出すように霜が凍って出てくる。

夏場に紫がかった草花を見ては、名前の由来が分からない草である。

薬師岳(1,051m)を越え、文殊岳(1,041m)のベンチで一休み。眼下の静岡市内は靄の中に薄ぼんやりと透けて見えるような状態、その上清水港は日の光が海面に反射して定かでない。

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今日の花。左、黄色水仙。登り口の民家に咲く。右、十両、正式の名前はヤブコウジというが、千両万両とともに冬の彩りとして愛でられている。穂積神社近くで

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2008年1月 9日 (水)

明鏡止水

Img_0048 風もなく水面が鏡のようになって景色を写しこんでいる。

朝方曇っていた空に青みが差してきたが山の端辺りは春霞のようにおぼろに煙っている。

麻機沼の今日は「明鏡止水」という言葉がすっきりそのままの世界。

ふきのとうも顔を出し、野天の西洋桜草もほころびだした。

長野からも「最近はあったかいよ」と電話が入る。

この調子では、近在のスキー場も雪を維持するのが大変だそうだ。

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今日の花。左、ふきのとう。山に自然にあるものでなく作り蕗。葉もかなり残っている。右、西洋桜草、マラコイデスという種類の花で、やはり路地物、咲き初めが綺麗。Img_0044 Img_0052

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2008年1月 8日 (火)

苦髪楽爪

Img_0051_2 ゼラニューム。まるで金属のような名前のこの花が日本に来たのはいつの頃だろうか、寒さにも強いのでこの時期にも野天で咲いている。

園芸品種だけあって、いろんな色があるが、私は真っ赤なものより上のような花色合いが好きである。

花言葉としては「君ありて幸せ」なんて綺麗な言葉があったが、30数年まえ、リマのペンションのパテオと言われる中庭の壁一面にこの花が飾ってあったのを思い出す。

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Img_0053 「苦髪楽爪」という言葉がある。平仮名に直すと「くがみらくづめ」と呼ぶ。(写真 この猫も婚約中)

意味は苦労しているときは髪が伸び、楽しているときは爪が伸びるという。その反対の言葉もあるというが、わたしは「苦髪楽爪」派である。

むかし、鉱山で働きはじめたころ。手袋をはめたら「そんなことで仕事になるか!」親方から叱られた。そのころは、素手で土砂や機械を使えば、爪の先なんて伸びる先から削れて行ったが、若さのせいか手が荒れることはなかったように思う。

そしていま、仕事を辞めてから爪が気になり、深爪するくらいしょっちゅう爪を切っている。一方、髪のほうは若い時代は成長力が強いので良く伸びるが、年をとれば成長どころか毛の数も太さも減ってくるので、防戦一方の人が増えてくる。

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先日、オダギリジョーという、何をしているか知らない人が結婚だとか婚約だとかの記者会見をやっていたが、あの髪の不精ったらしい格好はなんだったのだろうと見ていたら、解説にでてきたキャスターが”イケメン”だと言っていた。

わたしのこれまでの感じでは”イケメン”というのは古い言葉で言う”二枚目”とか”男前”と言っていたのと同義語だと思っていたが、あの男はどう見ても私の基準からいって"男前"には見えず、隣のお嬢さん(これもどんな人か知らない)が綺麗なだけにかわいそうな気がした。

しかし、あの髪型は典型的な苦髪に違いないとみた。また、女の子が付け爪までして延ばしているのは、若いうちから楽をしているという現われだとすると、いまの世の中「苦男楽女」と変えなければならないのだろうか。

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2008年1月 7日 (月)

唐土の鳥は

Img_0002 七草なずな       唐土の鳥が

日本の土地に      渡らぬ先に

、、、、、、、

今日一月七日は七草粥を食べる日。我が家でもしきたりに従って昨日摘んできた芹に大根 蕪の三草粥に省略して朝ご飯に供した。

上のはやし歌は、いつの頃なのか知らないが、七草粥の歴史は古いらしい。そこで不審に思っていた”唐土の鳥”ということを調べてみたら学界でもいろんな説があってきまった解釈が出来ていないそうだとある。

学者先生は閑人が多いのかこんなことまで研究しているのかと思ったらおかしくなった。「なぜって」こんなの簡単だよ。

”唐土の鳥”ってのは、いまの中国から悪い病気を持ってくる鳥という解釈に従えば、鳥インフルエンザを持ってくる渡り鳥しかいないだろう。

昔からあったんだよ。新種のインフルエンザを次々と持ち込む鴨の仲間だろうな。予防注射の無かった昔は一旦流行ると春まで収まらない。

それで、呪文を唱えながら薬効の有る草を細かく叩いて炊き込んだのだよ。

しかし、今の時代、芹 すずな(蕪) すずしろ(大根)はこべまではともかく、ナズナ(ぺんぺん草) ゴギョウ(母子草) ホトケノザ(大田平子)に到っては食べたいとは思わない。

さて、松の内も今日でお終い。松飾をはずしてしめ縄も片付け、鏡餅も下ろしたが、さてどうするか。

まえは、こんなに早くおろさなかったような気がする、硬くコチコチになり青カビ赤カビが入り混じった物を包丁でこそげ落として佐義長に持って行って、正月飾りや書初めを燃やしその火で焼いて食べて物だがそれは小正月の15日だったはず、、、

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今日の花。左 ホトケノザ、霜に打たれながらも枯れることなく咲き続けているが、春の七草ではなく、右のオオタビラコが春の七草として食べられる。

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2008年1月 6日 (日)

芹栄えて

Img_0184 今日は”小寒”。言葉どおり霜も降りたが日が差し出すと、ポカポカと暖かい一日になった。

天気予報では、桜の咲くころの気候と言っていたが、遠くに霞む富士はいつもの富士と違って優しく見えた。

正月に小遣いを使い果たし、なけなしの年金をと出かけてみると、私ばかりでないようで長い行列が自動支払機の前に出来ていた。

それを見て、我慢しきれないじいじは「また明日」とばかりにかえって来たが、腹が膨れているように貯金通帳も数字が膨れてくれるといいのだが、何時見てもダイエット中。

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24節季の小寒のほかに今日はImg_0188 七十二候では”芹栄う”だとある、明日は七草粥。芹はその材料のひとつなので少しばかり採りに行く。今の時代七草もすべて栽培されスーパーにまとめて売ってあるが、自然のものでは芹ぐらいしか摘むものが無い。

「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ」なんて情景は遠い昔のことになった。

Img_0209 そんなことを思いながら、歩いていたらあれほど用心深い青鷺が道端にゆったりと佇んでいる。別に怪我をした様子もないし、、、

間近で見る青鷺は、さながら蓑をつけた風格の有る老人といった雰囲気、眼光はするどく、あごひげの立派さ、背筋をまげて前を見据えて微動だにしない。

ひょっとして、御節料理の食べすぎで動くのも嫌といった状況なのか、、、、そうッと近よって記念写真を写させてもらった。

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今日の花。左、大犬ふぐり、小さな花ながら色合いのよさは園芸品種の花に負けない。  右、烏のえんどう、柔らかそうな蔓にマメ科の花山羊など草食動物が見たらよだれをたらすに違いない。

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2008年1月 4日 (金)

動かざること山の如し

Img_0048 三が日も済んで今日から仕事始め。

これは世間事であって、わたしには関係が無いし、民間の会社では七日から始業の所が多い。

Img_0045 といことで、今日は城北公園から臨済寺の付近をゆっくりと廻ってきたが、すっかり葉を落として明るくなったメタセコイアの並木、人気の少ない公園の中は静まり返っている。

どこも冬枯れで色っぽいものがないと思っていたら、常緑樹の下に行き遅れの紅葉が数本。其処だけの色づきが、まるで白黒映画の一部だけに色付けしたように輝いていた。

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正月に来客も少しあり、賑やかに過ごせたのは嬉しいことだった。いくらお年玉目当ての孫だといっても、、、、近い将来これもなくなるかと思うと、自分の懐寂しいのも忘れて奮発したくなる。

それとは別に、御節料理などと高尚なものではないが、手作りの惣菜は私たちの故里を知らない孫にも懐かしい味と思えるのか、「これはこっちには無いけど美味いね」なんていいながら御飯とともに食べまくりつぎつぎと平らげていく。

一方、じいじはお年玉の後は、姉夫婦との語らいに腰も上がらない。まさしく、「動かざること山の如し」と背中に旗印を背負ったような状態。

おかげで、飯時間になっても腹が空かず、メタボリックが進行したに違いないと、いささか心配し、秤に乗れない気分である。

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2008年1月 3日 (木)

男の子三人寄ったら

Img_0149_2 モーニング娘ならぬ”かしまし娘”のテーマソングに「女三人寄ったら 姦しいとは愉快だね」っていうのがあったが、男の子三人寄ったら、もう、これは大変。

家は揺れるし、騒がしい。昨晩集まった男の孫、高1 中2 小3 ドッタンバッタンと喧しいことこの上もなし。おまけに御飯は五合炊いたのをいっぺんに食べ追い炊きしなければならないほど食べる。

今朝ほど、一番上が郵便局のアルバイトに行く時間まで騒々しかったが、潮が引くように静かになった。おかげで爺婆四人は由比のさった峠に行って見ようということになった。

早速支度して、興津側から自動車で登り、峠の駐車場に入れた後、旧東海道といわれる道を展望台に向かった。此処に10人ほどの人がカメラを構えて、すっきりとした青空の下陰りの無い富士にレンズを向けている。

ここに少しいて、もう少しすると早咲きの桜が咲く峠に向かった。此処ではほとんど人もいなくてのんびりと富士を眺めていたら、集団ハイキングの人、60人程もあがってくると言うので接触を避けるため、もと来た道に戻った。

駐車場から、倉沢にくだり江戸時代の名主の家、旧小池邸に来てみたが、正月休みのようで戸がしまったまま、仕方ないので由比本陣跡の”東海道安藤広重美術館”を一巡りし、桜海老の悪口を言いながらも折角来たのだからと、食べもの屋に入って、天ぷらそばを頼んだが、桜海老の掻き揚げは油がきつすぎてやはり美味くないことを確認した。

Img_0153 ついで、富士岩本山公園を散策し富士宮浅間神社を回り帰って来たが、風も無く穏やかな日和に恵まれ楽しい一日を過ごしてきた。

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2008年1月 2日 (水)

酒が飲める さけがのめる

Img_0130 高気圧に覆われているとかですっきりとした日和になった。

山の際もまるで線を引いたかのように青空に浮き上がっている。富士山もかなり下まで白くなり、夕べの酒が残っているのか目にまぶしい。

「年なんだから、いいかげんせんと、、」といわれているような気がする。

今日は早めに散歩を済ませ、午前中は箱根駅伝などをのんびりとみているが、午後には岐阜から姉夫婦が来る上、次女が孫どもを連れて来て泊まると言う。今晩は”オラケタル旅館”と看板を上げなくてはならない。まさに、台風の前の静けさと言ったところか。

部屋割りと布団干しに正月早々大忙し、、、、でも、人が集まると言うことはてい主役にとっては好ましい。

日ごろは、缶ビール350mlで充分なのに、夕べは娘婿が来ただけで4倍くらいは軽く行ってしまった。ということで今日は早めにブログを上げて、、、、

「酒が飲める 酒が飲める 酒が飲めるぞ~」とバラクーダ並みに歌おうか。何ちょっと古いってか。

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今日の花。左、黄水仙 右、えんどう豆、何れも麻機の畑にて

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2008年1月 1日 (火)

初日の出

Img_0121_2 明けまして

    おめでとうございます

ことしの幕開けは穏やかにというより、身の引き締まるような寒さだった。

朝焼けの始まった空に追い立てられるようにして急ぎ足で池ヶ谷の上、バイパス脇の階段を70mほど登った所に向かった。

初日の出を見るには此処と決めていた。富士山と初日を同時に見られる場所として条件が揃っているとおもっていた。

Img_0117 上がって見ると普段はひと気の無い場所であるが、すでに10人ほどの人が上がっていた。富士山はまだ眠そうに雲の布団を被っており、日本平の先、富士山が登ってくる伊豆半島の辺りに低い雲がかかっていた。

この高台に着いたのは六時四十分くらい。富士山の布団も赤く染まり、日の出も間近に見えたが、寝坊助富士山は布団からでない。

伊豆の上の雲もそのまま、結局は地平線から出る時刻を5分ほど遅れて雲の上からの初日の出はすでに強烈な光を伴っており、地平線からゆらりと昇る厳かさより「ウォッス!」といった感じか。

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