なんでもない日になった
昔のことぞ しのばれる
よする波 返す波、、、、
こんな歌詞の唱歌があった。
昨日の朝。曇っていたせいもあって七時近くになっても外は薄暗かったが、海岸まで降りて松葉が降り敷いた砂浜を歩いてみた。
風もなく、花もない冬の海岸。しかし、足元を静かな音で満ち退きする波の音は海の小さな呼吸のように聞えて心休まるものが有る。
と、松木立の向うを夜漁を終えてか、いさり火を残したままの小さな舟が、低いエンジン音をたてながら漁港の方に向かっていく。大量だったのだろうか
山で育った私であるが、小さな波の音をず~っと昔に聞いたような気がする。母親の胎内の記憶か、遠い先祖の、、いや、海で暮らしていた何億年前の記憶なのか、と考えながら静かな海岸に足跡を刻んで歩くのは昨夜の楽しさもあって心地よいものがあった。
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今日十五日は小正月。昔は何かと行事があった。私が小さいころ住んでいた集落では「佐儀長」と言って5mくらいの杉の木を青年団の人が雪の中ら切り出してきて広場に立て、注連飾りや書初めなどを焚き上げ、鏡餅の切れ端を炙って食べたものだった。
しかし、最近では火の始末や混じっている化学製品の煙などで「どんど焼き」「歳(さい)の神」を含めて全国的に廃れて来たようで、お宮さんの焼却場で処理する所が多くなってしまった。(写真は静岡市平山で)
また、小正月は女の正月。丁稚どんの正月とも言われたが、女性に力も強くなり、商店街も週休制になるなどして意味は無くなった。
そして、戦後になって成人の日と言われるようになったが、それも今では第二月曜日だといわれると、一月十五日はなんでもない日になってしまった。
今年の成人式は平穏無事に済んだようで、ここしばらく続いた成人式暴動も収まったようだ。このままで行くと若者のエネルギーは何処で発散するのか、あれほど嫌っていた傍若無人ぶりも無くなると次が心配になってくる。
丁度、60年代に世間を騒がした学生運動が沈静化した後、若者が次第に無気力になったように、傍若無人の押さえ込みは今後にどう影響するのだろうか。
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