花はなんのは~な
あんひとたちゃぁ よか衆
よか衆 よか帯 よか着もん
五木の子守唄で有名な民謡の一節である。
貧富の格差が声高に言われる昨今だが、この歌の文句が出来た当時はこんなものではなかったとおもう。
実際、私が小さかったころでもそういう感じはなんとなく分かった。食べるもの着るものはもとより、家には一目見ただけで分かる差があったし、祭りの寄付などはあそこは御大尽だから、うちはこのぐらいで、、、と少しで済ませられた。
戦後、農地解放で自作農が増え差が縮まったかのように思えるが、山林を含む土地は対象外だったので、田んぼの少ない飛騨ではなんの変わりもないような感じだったし、小さな集落では何人かの地主で土地を占有していたので、ほとんどが借家借地だった。
その後、昭和30年代に入って就職した時「同一労働 同一賃金」をスローガンにする労働運動に共感したものだった。
そして、昭和50年代になるとほとんどの人が自分は中流であると認識するほど平均化したが、小泉政権以来の金持ち優遇策を取ると、今度は「勝ち組 負け組」の二局化が始まり、勝ち組といわれる御大尽は負担を避けて溜め込むことに精を出す。
現在は、昭和初期までのような貧富の格差はないのかも知れない。しかし、これほど声高に言われるのは、富の分配が偏り、有り余ったお金はヘッジファンドとやらでガソリンや穀物を投機の対象にし、ますます差を広げ貧乏人ほど負担感を強く感じさせる社会になっていく。
一部の人だけの労働組合、農協などは方向転換し、弱い者の味方は力を失い、ワーキングプアーなんて言葉がまかり通るようでは、「何から何まで真っ暗闇よ、、、、」と嘆くしかないのか。
つんつんつばき
水は 天から もらい水
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いずれは散り、地に帰りゆく椿 一瞬の花なれど、、、、栄華を求めて
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