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2008年3月31日 (月)

今か今かと

Img_0070雨雲のすき間からかすんで見える富士) 

長野立科町から雪の便りが届く。

満開の桜が雨に打たれて、散りゆくさまを見ながら、、、、、

夕方ころまでの厚い雲にさえぎられていた空も、北のほうから少しづつ晴れ上がってきた。

Img_0078 薄雲を通してみる富士は真っ白に厚化粧。竜爪山も見ようによっては白くなったのかなと思わせるものがあり、名残り雪は三月の最後の日を飾っているようだ。

さて、明日から新年度に入るが、何も明るい展望はない。こんな年も珍しいのではないだろうか。唯一、ガソリンの暫定税分だけ減るのだが、これも何時まで続くのか、自民党と公明党が衆院で強引に押し切れば、、、、これまた不安定要素。

安いうちに満タンにしておくしかないのだろうか。

ともあれ、ガソリンスタンドはいま閑古鳥が鳴いている。見方によっては、明日からの値下げを何処が始めるかによって、スタートダッシュをする方向を確認しようとする客、赤字覚悟か、売れなきゃ仕様が無いと見送るかを迷う店。ともに今か今かと様子をうかがっているようにも見える。

今度の問題を含めて、政治が国民のほうに向いていないと、迷惑が国民の方にばかり来る。

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今日の花。田んぼ一面に広がる蓮華の花。以前はこんな光景が良く見られたが、ここしばらく途絶えていたので、驚いた。

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2008年3月30日 (日)

雪景色に似たり

Img_0055 午後になって雨が降る、という予報のため午前中に散歩を済ませてこようと、バイパス北側の毎年見ている桜見物に行って来た。

ここは、農家の人以外めったに来ない所で、桜の木の下に、菜の花と大根のが植えてありこの時期いつも一緒に咲いているところで、私の桜名所のひとつにしているところである。

桜は、他より少し遅れていてまだ満開になっていないが、下の菜の花と大根は満開になっており、桜の根方に立つと、花の匂いに囲まれてほのぼのとした気分になる。

Img_0048 左の白い花の写真は、はっきりしたことは分からないが、山桜に近いのか青い葉が出かけていて、これもまた大根の花を従え、まるで雪景色といった感じ、、、

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床屋談義

床屋談義は面白い。こんな商売をしているとお客がいろいろな話を持ち込んできてくれるから、相手をするのも大変だろうが、ブログなどするには話の種に書かないことと思う。

今日は、あまり年の違わない主人と昔の映画についてのはなしになった。我々世代の若いころは映画の全盛期であり、名作もずいぶんと見てきたので、記憶に残っている作品が沢山あり、映画の話をするとはなれた所に住んでいた初対面の人でも、共通の話が出来る所がある。

三船敏郎の「椿三十郎」という映画があったが、これを最近同じ台本を使ってリニューアルしたのを見たそうだがちっとも面白くなかった。という話から始まった。

訳は、あまりにも主役が軽すぎると言うことに尽きるらしい。三船敏郎と仲代達也の一瞬にして勝負を決する場面に持っていく過程、武士とは、剣術(剣道ではない)の重々しさを織田雄二では表せないのか、監督の力不足か、、、

そんな話しから、フランキー堺主演の「私は貝になりたい」に及んだ。

後で調べてみると、1,959年に作られた映画だと言うから、二十歳前後に見たことになるのだが、床屋を営んでいた主人公が兵隊当時上官の命令で、捕虜を銃剣で刺したことが帰還した戦後に分かり、アメリカの倫理により裁判にかけられた末、B C級戦犯として処刑されるため十三階段を登る所で終了する。筋書きだった。

「私は貝になりたい」というのは、死刑の宣告を受けたあと遺書の中に、死んだ後、人間には二度となりたくない、という裁判に対する不信感と牛や馬では人間に虐待されるから、誰も来ない深い海の貝になりたい。ということから来ている。

床屋の主人は床屋の修行時代に見たので、印象深かったと言うし、私も筋書きを覚えているのは、上官の命令は絶対と言う軍の命令を理解しないアメリカ側の勝手な倫理、というかA級戦犯でも無罪になっているのにその人に命令されて動いた人が犠牲になっているのが、その映画の少し前まで沢山いたことで印象深かったように思っている。

そして、今年、この作品が三たび映画化されるようだが、当時の生々しい記憶が薄れない時に作られた作品を上まわることが出来ないのなら、(出来るはずが無いような気がする)止めてもらいたいと言うのが個人的感想。

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今、アメリカがイラクで行なっている戦争をでもそうだが、ブッシュ大統領やラムズフェルドたちタカ派の間違った倫理観で何万とも知れない人が死にその何倍もの人が怪我で苦しんでいる。

その責任は大きく思い、しかし、彼らが責任を取ったり、謝罪したり、審判を受け、罰せられることはまず無いだろう。B C級といわれる人はベトナム戦争でもいたので、同じような例はでてくる筈なのに、、、。

戦争指導者のA級の彼らが罰せられるのは死後閻魔様の前までお預けだと言うのがなんとも情けない。

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2008年3月29日 (土)

しっかりせんかい

Img_0034 ”一人静”が高草山の麓で賑やかに咲き出そうとしている。背後に万両を従えて、、、、

名前の由来は、源義経の思われ者で白拍子の静御前から来ているというが、似た名前を持つ”二人静”とともに京の都の舞姫には少し地味な花ではないだろうか。

”一人静”一本の棒の周りを細かい毛のように飛び出した針のような花は、名前は知らないが、女性が使う眉毛の道具に見えないことも無い。そのためか”眉掃草”と言う別名を持ち、この方がよっぽど花を言い表しているようだ。

.お性根をいれます

「それではお性根をいれます」と和尚さんは位牌を前にして、線香を持った手で空中に何かを書くような動作をした。

今日は、二月に亡くなった従兄弟の連れ合いの四十九日と納骨の法事に親戚の一人として行ってきた。

上記の言葉は法事のお経の間に言われたことことだが、同じ宗派でも所によってずいぶんと違うと感じた。たしか、故郷では同じようなことを「心を入れる」といったように憶えているし、法事の時などにそういう言葉を改まって聞いたことが無かった。

性根を入れる。とは、文字を書いただけの板(位牌)、石(墓石)、仏像に魂を入れることのようで仏教用語かなと思ったが、浄土真宗ではそういうことをしないと言われると、はたと困ってしまう。

”性根”と言われるとあまり良い意味で聞いたことが無い。「あいつは性根が悪い」とか「性根まで腐っている」「性根を入れて出直して来い」、、、、などネガティブな面しか感じない。

そんな感じを持っているので、位牌に向かって「性根を入れます」なんていわれると、「こりゃ、しっかりせんかい」と叱られているような気がしたのは自分だけだろうか。

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国会が相変わらず瞑想している。日銀総裁問題が解決していないのに、ガソリンなどの暫定特別措置法が行き詰っている。

大体、暫定を三十年も続けた上さらにはっきりしないままにもう十年というのは虫が良すぎる。

今頃になって、来年から一般財源にするとか言っても与党内がまとまっていない現状では、はたして約束が守れるのかといった問題や日銀でもそうだが官僚のほうばかり向いて話を纏めようとする姿勢から抜け出せない以上、野党に信用されないのは無理も無い。

せめて、早くに国会論議の的になるよう、一般財源化にする。と、言っていればまた違っていたかも知れないが、猫の目のように思いつきで話をしたり、傍観者のような話し振りで責任を相手方に押し付けようとする姿勢はどうにかならないかと思う。

こりゃ もっと性根をいれて取り組まんかい!

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今日の花。左、山吹、明るい黄金色の花は藪の中にあっても目立つ存在。 右、仙洞草、優雅な名前を持つが花はごく小さくひとつひとつは2mmないくらいの大きさ、道方に咲くImg_0009 Img_0001

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2008年3月28日 (金)

つんのめっている

Img_0044 今年の桜はつんのめっている。

昨日当たりで五~六分咲きかと思っていたのに、今日、すでに満開だという。

何をそんなに急ぐのか、少しづつ春が来るのを待つというのは風情があるものなのだが、、、

用事があって街中に行った帰り駿府公園を横切ってみた。

あんまり急な開花だったせいか、それとも静岡祭りに備えてのものかは知らないが、雪洞に灯りが入ってない上、夜桜のための照明もない。

また桜のころの花金なら、ブルーシートを敷き詰めてかと思ったが、割合と少ないように思った。しかし、日中の暖かさは夜風とともに去ったらしく、何時通りの花冷え宴会になってる。

P1010076 (昼間はこんなに穏やかで暖かい色なのに、)

ところどころにある照明は、日中の桃色が入った艶やかな花から色を吸い取り、真っ白な白粉のような色に変化させ、まるで魂を抜かれたかのように無表情になる。

”夜桜は怖い”と言われているが、こんなところから来ているのであろうか。

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今日は、アメリカ、ペンシルバニアのスリーマイル島で原発事故が起きた日である。あれから40年ほどほとんどの人は記憶になくなっていることと思うが、原発の事故は一度起きると取り返しのつかない惨事になることは誰でも知っていることとである。

今年になって、中電のプルサーマル計画に半径10km圏内の市が同意した。災害が起きれば一番影響が大きいし、どう見ても電力会社の隠蔽体質には胡散臭い所があるはずなのにあえて賛成している。

そのわけは、交付金が目当てのようで、承諾したすぐ後には交付金の分け前争いが始まっている。これは何も静岡だけでなくあちこちでおきていることだが、一度これを受けると麻薬のように、やめられなくなり逆に電力会社に新しいものを造るよう要求するまでに到る。

その怖さは、魂を抜き取られた夜桜以上であろう。

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今日の花。左、玩具箱をひっくり返したような近所の花壇。 右、タンポポ、すみれとともに道端の春草の代表。

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2008年3月27日 (木)

かすみか雲か

Img_0018 垣通(カキドオシ)が明るい紫花びらをひけらかすようにの綺麗に咲いていた。

この花の名前の由来は、花が終わった後蔓が急速に伸び、垣根を縫うようにして這い上がる所から付けられたと言うが、花咲くころにはそんな印象は微塵も無い。

まるで、始めは処女の如し、、、のことわざを思い浮かべさせるような草である。しかし、民間薬としてはドクダミやゲンノショウコなどに匹敵する草として知られ、胆石、腎結石、黄疸、糖尿に効くといわれていて、子どものころ陰干しにしていたのを憶えている。そして、一番の薬効は”カントリクサ”という別名があるように、幼児の癇に効くというものだった。

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Img_0006 今日は、浅間神社から桜見物を兼ねて尾根道を歩こうと思い出かけてみた。浅間神社の桜は五分咲程度か、丁度結構な咲き具合である。

ここは四月始めの二十日会祭の準備をはじめている所、本殿脇に枝垂れ桜を見るため100円の料金所があったが無視して。麓山神社に到る百段の石段を登る。

この石段は、自分なりに一気に上れなくなったら山登りをやめようと思っている石段なので、毎回登る時は心している。上りきったところに最近植えた桜の若木があるがどれもまだ細くて花も少ない。

Img_0009 総漆塗り絢爛豪華な麓山神社の周り、そしてそれの連なるだんだん登りの山道のあちこちに桜の樹があり、静岡に来たばかりのころ花どきを遅れた来たため、舞い散る花びらが幻想的だったことを思い出したが、あれから三十年、桜も年老いたのか花の数が少なくなり青空が透けて見える場所が多くなったような気がする。

Img_0013 染井吉野は、園芸品種であるため早く沢山花を咲かせるもの、寿命が短いと聞く、頂上の平和観音は静岡空襲の犠牲者を弔う観音像で、この周りの桜もかなり花の密度も厚く咲いて、”かすみか雲か 匂いぞいずる、、、”といった雰囲気だったが、、、

そこで一休みの後、さらに賎機山に向かう。今日もこのコースは行き交う人が多い。掘り切りを渡れば、はや賎機城の郭内である。

もっとも、400年以上前の城跡であり、すでに畑として耕されていたりなどで当時の様子は分からないが、城というより砦といったところが相当だろうと思う。

安倍川を挟んだ向かい城とも言うべき安倍城ははるかに高く、見下ろされている以上、安倍川近辺の敵を見張るためのもの程度のものである。

そこを抜けて再び下りきったところで、お昼時間が近くなったので、天徳院傍の平地に下り帰途につく。

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2008年3月26日 (水)

黄砂と農薬の尾根歩き

Img_0226 午前十一時ころ雨が降り出す前に、今年最後の野蒜掘りに行ってきた。

今年最後と言うのは、野蒜がなくなるわけでなく、他の草が芽を吹き所在を隠してしまうので見つけ出すのが困難になるという意味で最後にした。

午後になって、陽が差してきたので梶原山~帆掛山を歩いてみた。目的は梶原山の山頂にある枝垂れ桜の開花状況を見たいのと、出来れば桜と富士。桜に当たる夕日なんかが撮れればいいかな。なんて思ったことにある。

Img_0209 登ってみると、黄砂の影響がつよく、周り中が靄の中のよう。先ほどの雷を伴った雨も黄砂には影響が無かったのだろうか。勿論、絶景の富士もどこへやら。

おまけにお茶畑に農薬を撒いているらしく、臭いがたちこめ健康には良くない環境下にあった。

梶原山の枝垂れ桜はまだ咲きだしたといった感じだが、満開になってもそんなに花が多くないと言う気がした。樹勢が悪くなっているのだろうか。

桜、夕日とも満足出来るものは無かった。

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今日の花。左、榛の木の雌花。尾花は柳のネコネコオンボ(猫の尾)みたいな形をして別の場所にあり。 右、梶原山で見かけた小さなすみれタチツボスミレの仲間かと思うが名前がわからない。 Img_0214 Img_0204

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2008年3月25日 (火)

笑い話にするには、、

早蕨Img_0193

君にとて あまたの年を 摘みしかば

       常を忘れぬ 初わらびなり

源氏物語の”さわらび”に出てくる山の坊さんが中の君に蕨とともに送った来たつたない歌といわれているもので、そのお礼の返歌が

この春は 誰かに見せむ 亡き人の

       形見に摘める 峰の早蕨 とある。

(貴族趣味紛々とした源氏物語はあまり好きではないのだが、、、)

毎年、牧の原の台地へ蕨採りに行っているのだが、今日は金谷の知り合いの母親の見舞いに行ったついでに、子生まれ温泉に行ってこようと思ったのがきっかけで、結果的にはどちらが主か分からなくなってしまった。

蕨の出る場所は毎年変化する。日当たりの良い草場に良いのが出てくるのだが、木の成長に従って日当たりが悪くなれば次第にやせ細り、ついには出なくなるし、あまり良い場所は先客が荒らしたりで針金みたいなものしかない。

蕨は少しあく抜きをすれば簡単に食べられるので、同じしだ植物の”ゼンマイ”に比べると、コゴミともに春の味を代表する山菜で人気が高い。

早速、持参のビニール袋にいっぱい摘み取ることが出来たので、重曹を少し入れてあく抜きをし、花かつををのせて今晩の酒の肴、残りは明日からの味噌汁の具にしよう。

Img_0198 余談。  飛騨ばかりではないと思うが昔、農家のお嫁さんはシャモジを姑に握られてお小遣いも全然無いなかで、現金収入のひとつとして蕨の根を掘ってさらし「わらび粉」という澱粉を造ったそうだが、子どもを背中に草の根を掘り分けての作業は大変だったとも、楽しみだったとも聞いたことがある。

.おばあさん二人

金谷の老婦人。この人を見舞いに行ったのは、この人の子どもとは古くからのの付き合いがあったためで、病人とはあまり逢ったことがない。

しかし、遠来の見舞い客がよほど嬉しかったらしく、鼻から酸素をいれ、点滴を受けながら小さな声で語り続ける。

少々耳の遠い私には聞き取りにくい声なので何回も聞きなおしたりしての会話となったが、次々と話す。あまり話しすぎては身体に悪いかと思い「少し眠ったら、、、」というが帰るまで話を続け、見舞いを切り上げるきっかけを作るのが難しかった。

その間、親にもしたことがなかった足をさすったり、涙を拭いたりで、親孝行をしたような気がするとともに、歯のない口の奥、小さい声しか出せない姿を見ると、自分も将来、こんな風になるのかなあと感じてつらかった。

そして、帰ってくると、リハビリ病院で治療しているこれも知り合いのおばあさん。その人の娘から「今日は病院を脱走しかけたんよ」と電話がかかってきた。

この人は、骨折のリハビリをしていたのだが、このごろ少し認知症の気もあり、前に見舞いに行った時も、「迎えに来てくれたのか?」というのが第一声で、病院生活が苦になって仕様がなかったようだ。

今日、車椅子に乗ってエレベーターで玄関に行き。「タクシーを呼んでくれ」といって、事情の知らない事務員がタクシーの手配をしている最中に見つかったようなのだ。

家族のものに連絡が入り、一晩だけの外出許可がでて、今晩は家に帰れたようだが、、、笑い話にするにはなんだか、つらいねぇ~

 

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2008年3月24日 (月)

城北公園の春

Img_0181 午前中降り続いていた雨も、午後になって晴れてきた。足止めを食らったような格好で出かけるのをためらったいた分、馬力がついたように麻機街道を城北公園に向かって歩いた。

Img_0177 公園の染井吉野はまだ少しか開花していなかったが、池の傍の枝垂れ桜二本は今が満開。といってもそんなに巨木でないので”お見事”というほどでもないが薄ぼんやりと煙るような風情を示し、池越しにみる桜は手前の東屋の軒先に揺らめく池の反射光とともに一幅の風景をかもしている。

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この公園では、早くもシャガと土佐水木が花開き、続いて咲く染井吉野の出番を待っている。

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飛騨は江戸時代の始めに幕府直轄の天領にされてから、高山に代官所がおかれ、代々の代官が交替に治めて来た土地である。

そのため、代々続くお殿様もなく、他の土地に比べ武士も少なく、地元採用の地役人が威張っているくらいで、あっち見てもこっち見ても大小はあるものの百姓 町人ばかり。

静岡に来て間もないころ、「私の家は徳川さんについて来た御家人だけど、あなたの家は?」と聞かれたことがある。

カチンと頭にきた私は「我が家は先祖代々の百姓である。しかし、何回もあった飢饉を乗り越えてきた人の子孫だから、いい種を受け継いでいるよ」と言ったが、はたしてこちらの言う意味が分かったかどうか。  わからんだろうな。

昨日、慶さんのコメントの中にもあったプライドの高い人の話しのなかに「下から貰ったお嫁さん」という言葉があったが、いまだに家格というか先祖が偉かったことをひけらかす人がいる。

徳川末期の武士というものはどれだけ堕落していたかを知らないのだろうか。

明治維新が何故あんなに簡単に方がついてしまったのか、ひとえにだらしのない武士たちが本来の任務を忘れ、主人のために戦うという気力もなく、農民兵に対して敗走したり、将棋倒しのようにばたばたと寝返ったのが最大の原因である。幕府側で一番粉骨砕身の活躍したのが農民上がりの新撰組くらいでなかっただろうか。

江戸末期の町民の子は寺子屋でかなりの数が読み書きや計算を習い、その当時の世界では有数の識字率だったという。

しかるに、勝海舟の父親を例にとるまでもなく、幕臣に読み書きさえ出来ない武士がかなりいたという自堕落ぶり、、、。さらに付け加えるとすれば、静岡について来た旗本や御家人の処置に相当困ったと言う記述さえある。(ざっくばらんに言うと厄介者だったようだ)

大河ドラマを本当の歴史と勘違いしてしている人には分からない話なんだが、、、、、、

「先祖が偉い」「家格が高い」と威張る人は、何も出来なくなった老人が昔の勢威を何度も語るようなもので、「それがどうした」でしかないはずなのだが、実力のない人にとってはそれに頼るしかないのだろう。

それにしても、格付け会社じゃあるまいに、上だとか下だとか騒いでいるんだろうか。江戸時代非人という階級を持って、百姓に優越感を持たせたとあるが、その名残りをいまだ大事に思っているんだろうな。

似たようなことのひとつに、主人が偉いと自分も偉くなったと勘違いする奥さんをよく見かけるが、「陰で笑われているのも知らないで」、、、」。

そして、元の戻るが、もし、上つかたから頂いた嫁さまだとこの人はどうなったのだろうか、逆にお仕えして苛められているかもしれなかったのだが、、。

「ええっ、上つ方はそんなことしないって。それに、武家のことをそんなに悪く言うのはコンプレックスなんだろ。ってですか」   

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2008年3月23日 (日)

ゴッツオウクイ

Img_0141 今日は彼岸の明け。ご先祖さまは満足して帰られたかどうか、、、。

今日も曇ってはいたが、暖かい天気で散歩を終えて帰ったら下着がおもくなっていた。近所の染井吉野も改めてみると結構咲き出していた。

それにしても今年の桜はいつもの年に比べてかなり早い。3月に入ってからの気温の高さによるものだろうが、こんなに早く咲いても、最近念仏のように言う「地球温暖化」を誰も言わないのは何故だろう。きっと桜の魔力に取り付かれてかれているんだろうな。

Img_0136 菜の花のお花畑もいま虫たちにとって一番の食事どころと見え、蜜蜂や花虻、蝶々とゴッツオウクイがいっぱい集まっている。その中のひとつベニシジミが華麗なドレスをまとって、カメラを持った自分も気にせず夢中になって次から次へと食い散らかしている。

昨夜は飛騨で言う「ゴッツオウクイ」 漢字に直すと”御馳走食い”となる。普段何もしないのに御馳走のときだけ顔を出す輩(やから)であまり褒められた言葉、たぐいではない。が、ご招待に与かったのを幸いにして、ぬけぬけと顔を出し夜遅くまで遠慮もなしに酒 肴をいただくのは、まさにゴッツオウクイ。

その余波で、今朝は朝寝をし散歩も短めで済ませた。昨日の突先山では、春まだきで花も見られずただひたすらの上り下りだったが、下界の春の野は賑やかに春が笑いさざめいている。

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先ほど大相撲で朝青龍が優勝した。

私は彼が好きだというと、「変わってるね」という人がいたが、いかにも優等生顔した白鵬より花があるように見える。確かに出場停止になった経緯は悪かったが、彼くらいの年頃の人に”心技体”全てを兼ね備えるには少し無理があり、あまり規則でしばってしまうと「角を矯めて、、、、」になってしまうだろう。

名横綱として名をはせた現理事長はもとより、有識者といわれる横綱審議会の委員にしてさえが心技体の心が出来ていない人が多いのだ。

朝青龍の土俵を見ていると、仕切り直しが済んだ後、これからというときの所作に見せる一種の舞いのような仕草はモンゴルの勇士をを見るようだし、明日の新聞でどう書かれるか知らないが、優勝が決まって引き上げていくときの様子に、心から「おめでとう」と拍手をしたいと思った。

それにしても、彼ら外人力士の日本語の上手なこと、多分日本人社会に入って兄弟子たちから懸命に覚えたものであっろう。自分たちも、ほとんど白紙状態で海外へ仕事に出かけたころは、カタカナで書いたスペイン語で仕事をし、二週間で程で差し障りがないようになったが、それと似た環境での言葉は上達が早いのだと思う。

あんななのを見ると、国内留学などと言う大金を使っての授業がいかに無駄かわかるというものだ。

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今日の花。左、鬼野芥子(オニノゲシ)、秋から連綿として咲いている。鬼という字が付くのは葉に鋭い棘がついていることによる。 右、薄白野芥子(ウスジロノゲシ)野芥子のアルビノかと思ったが調べてみたらこんな名があった。何れも芥子の名がつくが関係なし。

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2008年3月22日 (土)

桜桃も開花宣言

Img_0110 静岡では染井吉野の開花宣言が今日だされたとのこと、「サクラサク」は電報でなくとも嬉しいもの(今どきこんなことしないか)。

染井吉野という品種の桜をもって開花の状況を大々的に報道するのは、日本だけだというが、それだけ花が好かれ、春を待ちわびているかが分かるような気がする。

「酒なくて、なんのおのれが桜かな」という人は万障繰り合わせて花見をやらないと”三日見ぬまの桜かな”となるので、来週は茣蓙を持って走り回らなけりゃならんことだろう。

我が家の”ユスラウメ”も、桜に合わせてか三分咲きとなったので開花宣言を出さなきゃなるまい。

”ユスラウメ”は漢字で書くと桜桃と書くらしいが、どうしてその字が当てられたのかわからない、しかし、孫たちは”じいじんちのさくらんぼ(桜桃)”と言って誰にも邪魔されずに食べられるさくらんぼとして楽しみにしている。

一体に桜や梅、桃の類は花が似ているうえ、咲く時期も幅広いので、何がなんだか名前も分からないものが多くて困ってしまう。

.突先山(1,022m)から中村山(1,007m)

Img_0095_2 雲ひとつない青空が朝から広がっている。今日は連休中の土曜日なのであそこは人で一杯だろうし、ここはあの花が咲いてから、、、、などと考えていたが、突先山を藁科川側から上って見たいと思っていたのを思い出して、そこにしようと起き出してきてから決めた。

藁科川沿いを20km、さらに脇道を7km入って栃沢と言う集落を抜けた先の駐車場に車を停めたのが八時半近くだった。

気温は三度とそんなに低くないのだが車内との温度差からか、かなり寒く感じた。早速支度して谷沿いの道を登る。

流れ降る谷の音に負けまいとしてかミソサザイが声を張り上げて鳴いている。姿は見えないが、小さく、色の茶黒い鳥であることは知っている。良くあんなに大きな声が出るもんだと感心しながら聞きほれる。

谷のあちこちには放棄された山葵田が荒れ放題になり、小さな山葵がポツポツとあちこちに生えている。きっと、台風か何かで大水が出、荒らされたあと放棄したものように見られる。

かなり上のほうまで、そんな状況が続いた後、谷から離れると一遍に物音ひとつしない静寂な山に戻る。道はところどころ荒れてはいるが、迷うようなことがないほどしっかりしている。

Img_0102 登りだして、四十五分、釜石峠に到着する。古い昔には頻繁に使われたようで、何時のものか分からないが、”左 美和村あし久保 右 玉川村 たくみ”と読み取れる字を両脇に書いた道祖神が二本の杉の間に立っている。

ここから先は、何回も登った道なので暗い杉の木の間を縫って登る。予想通り頂上(1,022m)までは人けなしで登る。頂上からは富士山方向に切り払ってあるので、安倍川沿いの山、真富士山の後に富士山が青い空をバックにしてくっきりと見える。しかし、反対側の南アルプスは落ちているとはいえ木の間越しにチラッと見えるだけ。

時間はまだ十時を少前なので、峠の反対側の中村山(1,007m)に登ってみようと思った。この山、峠から突先山に登る途中で二度ほど見えたが、隣の大棚山とともになだらかな斜面を持ってひかえている。

水平距離にして2kmとははなれていない。「お~い 中村君!」と呼べば聞えそうな感じがして、、、。

峠に戻ったのが十時半。そこで一休みの後、中村山を目指し再挑戦。

この山は、最近笹を刈り払ったらしく道がはっきりしていると思ったが、途中の杉林の中はところどころに目印があるものの、踏み後がはっきりしない箇所があり、山慣れしていない人には難しいのではないかと思う。特に、降る時に気をつけないと勢いで道を踏み外して、迷う恐れがある。

Img_0105 そんなことを思いながら、四十分近くで三等三角点のある頂上に着くが、この山の変わっている所は、その近所30mほどの所に2ヶ所それより高いと見える場所が有ることだった。

どんな理由で三角点が決められたものか知りたいものである。その場で、昼御飯にしたが、眺めも何にもない山頂。ただ木の葉がない分だけ陽がさんさんと降り注ぎ、落ち葉の上でしばらく横になった。

結局、駐車場に戻ってきたのが午後一時。栃沢の枝垂れ桜も蕾が固く、立ち寄ることもなく帰宅する。

今日はこれから知り合いの家に”ゴッツオゥクイ”の迎えが来るというので、、、、忙しい。

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2008年3月21日 (金)

介護される心得

Img_0087 雪柳が今を盛りと咲いている。細い枝にびっしりと小さい花をつけている。

P1010075 少しはなれてみると、名前の通り雪をかぶったように見え、その小さい花に小さい虫がいくつも集まっている。

昨日から今朝に掛けて冷たくて強い風が吹き込んで、長野では白樺湖に到る道路に雪が積もり、前日に脱いだスタッドレスタイヤをまた履きなおした。と電話があった。

そういえば、「自分はまだ履いているよ」って言ったら笑われたので今日はタイヤ交換をした。気持ちのどこかで履き潰そうかとも思って履いていたのだが、いかんせん音が大きくて気が引けていたこともあったので、、、、。

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十七日だったと思うが、NHKを十一時ころ入れたら、上野千鶴子という人がでていて、「おひとり様の老後」というのをやっていた。

そのなかで、”介護される側の心得10ヶ条”というのをやっていた。今までは自分が介護される側になるというのは考えたことも無かったので、一寸興味を持って途中からだったが見ていると、やはり日本人の基本精神にある情緒にいきつくのかなあという気がした。

長くなるので端折るが、印象に残った言葉の中に「大変でしょうから一緒に住みませんか」という誘いは悪魔のささやきであるという。始めのうちこそニコニコ笑って過ごせるが、寝たきり介護などによるトラブルは後を絶たない。

介護を受けるようになると、自分のような役立たずにもったいないとか、申し訳ないという感情が先にたってしまい、「自分は介護を受ける権利がある」と主張することに日本人は馴れていない。

そして、10か条の中に、

○ 何が気持ちよくて、何が良くないとはっきり言う。

○ 「はい、ア~ンして」など子ども扱いを拒否する。

○ 介護してくれる人に、過剰な期待と異存はしないこと。

○ 正規な料金で決済し、チップや物をあげない。

○ ユーモアと感謝を忘れない。などがあった。

看護士をしている娘が以前、子育ての合間に出来る仕事として、訪問介護をしていたが、その時、断るんだけど物をくれたがる人がいて傷つけずに断るのが大変だった。と言っていたことがあった。

なるほど、日本人の感覚からすると、他人に介護されるという経験は今までなかったことである。他人に家の中を見られると言うことに対する不安と恥かしいところを見せたくないなど、、。

義理や人情の世界から言うとただお金だけというのも居心地が悪い。よく、「お前はクールだからな」と言われた自分でもそう思うのだから、今の老人たちには介護をするのも地獄かもしれないが、されるのも地獄ではないだろうか。

しかし、そろそろこんなことも考えなきゃならん年頃になってきたが、今までは「いいお爺ちゃん」「可愛いおじいちゃん」を演じないと、抓られたり、苛められたりするのではないかと思っていた。自分は性格が”意地悪爺さん”的な所があり、これを直すのは大変であり、困ったなと思っていたが、もう少し研究の余地がありそうだ。

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今日の花。左、詰草、物を梱包する際、すき間を埋めるために使われたと言うことからつけられた名前、味も素っ気もなし。右、しだれ柳の新芽。柳青める日、、という歌があったけ、、、そういえば、今日は初ツバメも見参。

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2008年3月20日 (木)

閣議で告示”春分の日”

Img_0074 今日は春分の日で、彼岸の中日でもある。

本来は、牡丹餅を作って墓参りをするべきなのだろうが、墓が遠すぎる。やむを得ず、先日採った蓬を使い草餅にして仏壇に上げ、孫のところへお裾分け。

余った分は、ボチボチと小間口にして年寄りの胃の腑に納めることにしよう。

昨日見た花だが、道端に金襴草(キランソウ)が咲いていた。別名「地獄の釜の蓋」という、おどろおどろしい名前を持つ草である。

良く見ればカキドオシに似たきれいな花と青紫がかった葉っぱを金襴の切れ端に見立てたようだ。が、墓の近くなど他の草がまだ生えないうちに、べったりと地面に這って咲き出すことから別名がついたのではないだろうか。

はぐって見ても地獄は見えないほど遠い所にある。

春分の日は真東から太陽が昇り真西に沈む、昼夜が同じ時間になるとは、前から聞いていたが、日本では、閣議でこの日が告示されると言うのは始めて聞いた。

いくら、祝日とはいえ自然現象が閣議で決まるとは、、、、もっとも、国立天文台で算出した日を追認するだけで、変更したことはないそうだが、、、、それにしても、なんだか笑ってしまうね。

春分の日、いや、彼岸の中日は、真西に沈む夕日を拝んで西方浄土の世界に思いをはせるのは日本だけだったのだろうか。日本だけだとすると、これは太陽信仰の名残りなのだろうか。

いろいろと興味が湧いて尽きない。それにしても、世界共通のものと思っていたが、そうでないとすると、世界はこの日をどう見ているのだろうか。

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日銀の総裁が決まらないそうだ。もともと、民主党は財務省の出身者は駄目と言っていたのに、再度出してきたのだから、「分からない」ということ事態おかしいのだが、自衛艦「あたご」など、他の事に関しても福田総理の資質を疑うしかないようだ。

小泉、安倍と格差拡大路線が続いて、辟易していた後だけに、この人なら安定した政策が出てくるのかと思ったが、政策らしきものが見られない。どうも見損なったようだ。

参院が逆転しているのは、就任時から分かっているのだから、それに対応した政治をするのが年の功というものではないのか。

自衛隊の給油活動を衆院で再議決して味を占め、同じ手法を繰り返せばよいとでも思っているとしか感じられない。

このままで行くと、日本は地獄に落ちると言った経済評論家もいたが、ひょっとすると福田総理は金襴草なのかもしれない。

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今日の花。左、灯台草(トウダイグサ)港の灯台というより、部屋を照らす燭台と見たほうが良い、明るい日差しを受けると、花のある中心部が輝いて見える。右、踊子草、姫踊子草に比べると花は格段に大きいが、色も大人しく、花は葉の陰に隠れて地味である。

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2008年3月19日 (水)

志学の春

Img_0053 Img_0058 ハナニラが咲きそろっている。白い花びらの中心に青みがかった線がまっすぐに入り清楚、可憐な感じがするが、結構寒さにも強く繁殖力も旺盛である。

花言葉は、悲しい別れとあり、なんだか寂しい感じのすることばがつけられている。

卒業式

散歩の帰り道近所の中学の前を通ったら、丁度卒業生が校門から出てくるところだった。若いはつらつとした生徒の笑顔。拍手で送る両側に並んだ在校生と、、、私に関係した子供がいないがしばらく立ち止まってみていた。

今の時代では、ほとんどが高校に行くのだろうが、私たちのころは半数に満たなく、残りは就職のため四月になる前には、各地に散って行き、そのままいまだに再会したことのない級友もいて、卒業式は文字通り”悲しい別れ”のひとつだった。

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子曰 我十有五而志於学 

昔習った論語の中の有名な言葉の出だし、子いわく 我十五歳にして 学問に志し、と孔子が2千年以上前に述べた言葉を思い出した。

数え方は違うかもしれないが、中学を卒業するときが丁度十五歳。この年までの教育は社会にでた時の基礎教育だと思えば、これから先が学に志して高校に行くことになるのだが、本当に勉強したくて行く子どもはどれだけいるのだろうか。

(校門に行く前、学校のフェンスと植木の陰で怒声が聞え、上着を脱いでいた生徒がいたが、彼らにとって後味の悪い卒業式だったことのように見えた)

大半の親は、この年で仕事をさせるのは可哀そうだという理由でもう三年。続いて四年と遊ばせているに過ぎない。

そこに、自立が遅れる要素があるのではないだろうか。

いま、大人の線引きを二十歳から十八歳に引き下げ、少年法や選挙権をはじめ労働基準法、道交法などについて法制審議会で検討を始めたという。

新聞では、世界の中で十八歳としているところがかなり多いというが、日本ではどうなんだろう。ついでに煙草、酒も解禁と言い、「18歳未満お断り」はすでに、大人の線引きだと言う。

しかし、どうなんだろう。税金も納めないで親がかりの生活をしている人にそんな権利を与えれば親は金がかかって仕様がない。

七十而従心所欲不喩矩 

七十にして心の欲するところに従い矩を越えず、とも、孔子は言ったそうだ

矩(のり)とは、国の法律ばかりでなく道徳観も含めていると考えると、もうそろそろこの年に近づいてきている私としては、人のことをあれこれといえたものではないが、、「まぁ、これもいいっか」で過ごしていこう。

なにせ、自分には甘い体質だから

(喩の字は本来足偏であるが、パソコンにはこの字はないので、、)

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今日の花。左、花大根、花の形が似ているところから。右、連翹(レンギョウ)こぶしなどの仲間と言うが花一厘はごく小さい。

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2008年3月18日 (火)

おぼろに霞む黄砂と花粉

Img_0016 少し前までは”おぼろに霞む春の野辺、、、”なんて今の季節をたのしんでいたが、今では”黄砂降り花粉舞い散り、、、、”マスクと眼鏡は手放せずと言うような人を多数見るようになってしまった。

今日も気温は20度を越し、四月の気候だと言っていた。久能街道から東照宮に上れば春の暖かい日差しの中、Img_0045 一見”春の海 ひねもす のたりのたりかな と言った風情があり、先日まで間近に見えていた伊豆半島どころかすぐ傍を通る貨物船まで薄らぼんやりとしているのが、霞でなく黄砂のせいだと思うと鬱陶しくなる。

Img_0038 麓の梅園は花が散ってしまい、道路わきには山桜が一本朝日を受けて疎らながら花さかせている。上の境内に咲いている緋寒桜の濃密さに比べると、これは清涼剤と言った感じがする。

Img_0006 東照宮は、昨年大修理を行なって本殿は綺麗に漆で塗り固められ、極彩色の建物は侘び寂びの世界の真反対を演出している。

前回行ったときはまだ工事中だったので、新装されてから始めてだったが、その装飾には漆塗りの高い技術が施されているのを素人目ながら感じさせられた。

ただ、歴史に現れてくる家康像から見てこの造りには、あの世からどう見ているだろうか。安土桃山時代の流れを汲む豪華絢爛、けばけばしいばかりの造りは、信長 秀吉に比べてずっと地味だったと言われる家康にとって、尻がこそばゆくなり落ち着いて座っていられない心境のような気がする。

ともあれ、死んだ者にとってはこの世のことは抗議する術がなく、生者に任せるしかない。

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今日の花。左、紫華蔓(ムラサキケマン)左、黄華蔓(キケマン)華蔓は仏具の一種でそれに似ているところから命名されたが、独特の匂いもあり子どもの頃は避けていた。

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2008年3月17日 (月)

蓬摘み

Img_0025 今日も朝から暖かい春の日にさそわれ麻機沼周りの散歩。

昨日見た土手伝いに蓬の若芽が摘めるくらいに大きくなっていたので、ビニール袋を片手に持ってでかけた。

田んぼなどの脇にもいいのがあるのだが、肥料はまだしも除草剤でもかかっていたら、それこそ”日本版農薬入り草餅”になりかねないので敬遠する。

Img_0044 風もなく暑いくらいの日差し、菜の花で黄色くなった土手周り、ツクシ タンポポのご常連はもとより花の種類も多くなり、かなり歌うたいも上手になった鶯があちこちで美声を競いだし、世はまさに春!。

座り込んで、草を摘んでいると通りかかった人が何か可にか話していく、その相手をしたりしているうちに袋がいっぱいになる。

その中の一人に、蓬を知らない人がいた。年のころは70代に入っているのに。福島の農家の生まれだというのだが、、、。

驚いたね~。ずーっと前にも同じような驚きをしたことがある。

それは、高校に入学してからのことだったが、同級生と話していたら「銀シャリしか食べたことがない」といった。彼は富山の農家の出だが、そんなことがありえたのかという驚きは今でも覚えている。

銀シャリとは今の人には通用しないかもしれないが、米だけで炊いた御飯のことで、戦後間もなくの食糧難のとき、何でも混ぜ物をして量を増やし、腹を誤魔化したものである。

先日もこの話をしたら”五目飯”や混ぜ御飯と間違って取られたが、そんな立派なものではなく、草を入れたり大根を入れた御飯で、今の人ではとても食べられた物ではないと思う。

銀シャリが夢のまた夢の時代に、銀シャリたっぷりの生活していたなんて、と驚いたが、今日、同年代の人が蓬を知らなかったのはそれに似た驚きだった。

「草餅は食べたことがあるが、こんな草で色をつけていたのは、、、」と言われると世の中広~い。

しかし、孫たちにも食べさせたいと摘んでいる草も、ただ、餅にして食べさせるのでは、遅かれ早かれ専門にしている人以外に蓬が食べられるなんて知らなくなるだろうし、合成調味料や着色料を使うようになるとそれこそ誰も知らなくなる。そんな時代も近いのかもしれない。

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Img_0103 土手はいま、姫踊子草が笠を高く掲げて踊りだす準備を整えているかのように、群れを成して伸び上がっている。昨年末からの”ホトケノザ”の後釜を狙うかのように、しかし、色と言い、形と言いよく似ているので知っている人にしか分からない。

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2008年3月16日 (日)

春のお裾分け

Img_0100 知人の家のたけのこ掘り。

竹の落ち葉が降り敷いている中に、地表に出ようかどうかと迷っている感じの筍を見つけ出す。まだ小さい、長さは勿論だが太さも10センチに満たないが、今の時期のものはかなり高価だそうだ。

今年は、中国産が例の農薬入り餃子の影響もあって、輸入が少なくなる気配もあるようだと、テレビも言っていた。

たけのこ掘りは、人任せにし林の中を吹きぬける風に当たっていれば、枯葉の匂い、若芽の香りもそこはかとなく感じらて、竹の枯葉を尻に敷いて座ってみると、大の字になって眠りたい誘惑に駆られる。

そんななまくら者にも、春のお裾分け。焼いて二本、刺身に三本と春を味わってまた寿命が少し延びたかな、、、。

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山はいま、緋桜が咲きお七を気取ったヒヨドリがメジロを威嚇している。そして、木五倍子(キブシ)は暖簾を下げ、アケビもいまや遅しとばかり蕾を膨らませている。

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2008年3月15日 (土)

菜花 蝶と化す

Img_0017 今朝の報道によると昨日の雨は遠州の方でかなり荒れたらしく、何軒も風による被害にあったようだ。

一夜明ければ台風一過のような状態で空はすっきりと晴れ上がり「暑いですね」というのが、散歩ですれ違った人の挨拶で一番多い言葉だった。

七十二候によると今日は「菜花 蝶と化す」とあり、それに合う写真がとれないかと菜の花が多いところを選んで、蝶を探してみた。

Img_0008 居るにはいる。紋白蝶を中心に紋黄蝶、豹紋蝶、ヤマトシジミ、そして、蜜蜂とその仲間が出ているが、蜜蜂などに比べて紋白蝶の落ち着かないことおびただしく、ろくに花に掴まらないで花の間を飛び交っている。

どうやら、卵を産み付けたがっているようだ。今飛んでいる蝶は越冬した蝶なので寿命の短さを自認しているのだろうか。とにかく忙しい、まさに花から蝶が飛び出しているような感じがする。で、こんな有様を表した言葉かもしれない。

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いま、静岡県では富士山が世界文化遺産の候補になったことをうけ、さらに南アルプスもと運動を始めた。

日本には、このほかにも沢山の地域を文化遺産にしたくて運動している所があるようだが、世界中になるとどのくらいの数がその準備ををしているのだろうか。

と、思っていたら今度は、イタリアを中心に地中海料理も文化遺産にという声を起こした途端、フランス料理もときた。

文化遺産は、保護しないと崩壊していくものを、保護するためと聞いたことがあるが、食習慣まで崩壊するのだろうか、どうすれば守れるのだろうか。

この調子で行くと、文化遺産とは何ぞやから始めなければならなくなるし、現在世界に851件の文化遺産があるそうだが、何処まで増やしたらいいのか区切りをつける必要がありそうだ。

イタリアだフランスだと言えば日本料理も黙っていられないし、食の国中国も当然だろう。しかし、何処の国だって長年かかってその国の食を完成させてきた以上、ここが美味くてあそこが不味いとはいえないはずだし、不味ければいままで生き残ってこなかったはず、、、。

先日話題になったミシュランの格付けも、一部の人の評価に過ぎず、ゲテモノと思ってもその土地の人の舌にあえば最高級のはず、、、、その辺が景色にしても食にしても格付けするのが可笑しいと思わないのだろうか。

「ええい 面倒くさい」いっそのこと、地球を文化遺産にしてしまえばこと足りるのではないか。、文化遺産にこだわる人は何かそれによって利益をもくろんでいる人たちではいかと疑いたくなる。

私が思うには、富士山は何処から見ても綺麗だし、いまの国立公園で充分ではないかと思うがどんなもんだろう。

今日の鳥。水ぬるむ麻機沼の上空を飛ぶダイサギとウ

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2008年3月14日 (金)

催花雨というには、、

Img_0183 雨が降るという予報があったので、その前にと出かけてきた。

目に付く庭木の花も世代代わり、いまは桃や桜など薄桃色か菜の花系の黄色が主体となっている。

Img_0185 そんな中、スノーフレーク(すずらん水仙)が咲き出した。花が鈴蘭に似た形をし、葉は水仙に似るという変わった植物だが、同じヒガンバナ科でありながら、水仙の分類に入らないのか、水仙の種類と検索してみてもでていない。

しかし、鈴蘭はユリ科なので水仙のほうに近いのだが、このあいまいさが注目されるのか、花言葉は”人をひきつける”と言うのだが、、、、

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昨今、円高で1ドル100円を前後するようになったと騒いでいる。株や為替をやっている人にとっては大変なことだろうが、私たちにとってはどうなのだろう。

報道では、大変だァ~の一本やりだが、円高になれば石油の輸入をはじめ価格が安くなって当然のものがあるはず。

しかし、大変だァ~の声からは、値下げの話が聞かれない。結局どちらに転んでも個人は救われないと言うこと。

また、円高とは言うけれど世界の情勢から見ると、ヨーロッパの通貨に対してはほとんど変動していないのだから、ドルの一方安でしかない。その原因はアメリカの住宅バブルの起因するのだが、ドル一辺倒の政策をとってアメリカ国債をどんどんと買い入れてきた日本に今後どんな影響が起きるのか、他人事でない状況はこれから深刻になりそうだ。

そうは思っていてもどうしようもないことだけど、、、、

ついでに、東京の通称”石原銀行”もどうなっていくんだろう。都議会では自民党など与党がやむなしとしているようだが、追加融資は傷口を広げるのは目に見えている。

その責任は、きっと誰も取らないのだろうね。

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山路来て なにやらゆかし

         すみれ草   芭蕉

麻機の道脇に濃紫のすみれがポツポツと咲き出していた。何とかすみれでなしにただ一言”すみれ”という種類だそうだ。あまり単純すぎると余韻がないがこれも先人が勝手につけた名前、、、。

外はいま、今年一番の降り方ではないかと思う雨が雷を交えて降っている。この時期の雨を花を催す雨と書いて”催花雨”という、待ちわびている草花に優しい言葉であるが、「大雨警報」まで出されるのはチト行きすぐと言うもの。

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2008年3月13日 (木)

見わたす山の端 霞深し

Img_0152 奈良東大寺二月堂のお水取りも済んで春はいよいよ本番になってきた。

夜空に星がいっぱいの信州立科町から静岡に来れば、気候は一ヶ月くらい違うようで、花や木の芽にも格段の違いがあり、久し振りに麻機周りを歩けば下着が汗ばんでくる。

またもや黄砂のせいらしく、近くの山までが靄の中につつまれ、竜爪山も上のほうが見えない。近所の小川の脇に咲いた菜の花も最盛期を迎え、柳の樹も枝垂れた先は薄緑を帯びている。

Img_0151 Img_0147 そして、今年はじめてのベニシジミがこれ見よがしに羽を広げている。

思わず口に出るのは、

菜の花ばたけ~に 入日うすれ 

     見わた~す 山の端 霞深し、、、

そんな中で、今日は野蒜採りにに向かった。前回シャベルの柄で手のひらに水ぶくれの一歩手前まで行って掘るのを止めたので、今回は手袋持参という格好での散歩となった。

Img_0143 人の畑に入るわけには行かないので、草むらに入っての作業はまだひっつき虫もあってズボンの裾がひどいものになる。雪国ならとっくに押しつぶされているはずなのに、と文句をいい。

根の深さがまちまちなのと大きいのは長年人の手を逃れてきただけに掘りにくい所に多いのでここにも文句を言いながら、何とか必要量を満たして御帰館すれば、テレビは毒芹を食べて中毒になった人がいると報じていた。

これから、山菜罪の季節に入るとこんな事故を良く聞くようになるが、毒芹の根はどう見ても食べたいという気がする植物ではない、と思うのは自分だけだろうか。

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2008年3月11日 (火)

重い腰をようやくあげて

Img_0131 (八ヶ岳、八つの山頂のひとつ権現岳、白く輝く峰はまだ冬のまま)

ようやく重い腰を揚げる日が来た。

昨夜、東御市八重原のスナックに招待されていたので、そのためだけでもう一泊となった。黒斑山の頂上で「宿代が只と言うのはいいですなぁ」と言われたが、すっかり人のいいのを利用しているようで顔の割には恐縮していたのだ。

少々のみやげ物を買った他に、猪の肉もちゃっかりせしめて出発。

少し時間もあったので、途中の寄り道として小海町の「奥村土牛記念館」に立ち寄って見ることにした。

Img_0007 建物は総二階建ての和風建築で古い庄屋を思わせるつくりになっている、が、肝心の奥村土牛については長生きをした画家と言うしか認識がないので、今まで立ち寄ったことがなかった。

入ってみると、程よい暖房が施された、学校と言うような雰囲気が感じられ、額に入れた絵が飾られていたが、鉛筆などでサッと描いた下絵的な絵が多く、色彩とともに華やかさが感じられないように思った。

この人の画風がどうなのかも知らないので、なんとも言いようがないが、著名な日本画家ならもう少し、、、。

平日の帰り道は、混雑による渋滞もなく。道路も乾いていてスタッドレスタイヤの音ばかりが気になる野辺山越え。最近良く立ち寄る林間の蕎麦屋に立ち寄る。

Img_0130 野辺山越えの間中車窓から見えていた八ヶ岳はここからも松ノ木越しにすっきりとした姿を見せていた。

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2008年3月10日 (月)

春を感じる水煙

Img_0110 結局、この五日間結婚式にかこつけて、長野に居候してきたことになる。

P1010036_2 (林檎の木の下で遊ぶツグミ)九日の朝は予想通り雨が降り、昼近くなって日がさすようになると気温が急に上がったようで、温めれた地面から上がる水蒸気が水煙のように立ち込めて幻想的な風景が出来、遅かった長野の春も気温の上昇とともに目の前に来たように感じる一日となった。

昨夜は、山から帰ってくると花札の「猪鹿蝶(イノシカチョウ)」ならぬ、猪、鹿、熊の肉があるのだけど何から食べる?とのこと。「猪と鹿は前に食べたことがあるのでわかるけれど熊はない。義兄さんはどうなの」と言われたので、飛騨にいたころ従兄弟が毎年獲ってきたのを貰ったからなんとかなるよ。と返事して調理を任される。

一番無難な所で、鍋にしようと薄く細かく捌き、ニンニクの細切れとしばらく混ぜ合わせておいて、熊の脂身とニンニク、玉ねぎを鍋の中にいれ熱した所で野菜をいれ熊の肉を放り込み煮あげる。

そのあと、砂糖と醤油で味付けしたところ臭みも抜けて完食し、お陰で熊につられて来てくれた友人たちと飲む酒の量も増え、熊を食って目の下に隈が出来そうだなんて騒ぎながらの連続酒盛りになってしまった。

また、肉の量がかなり余ったので、残りは韓国風のブルコギにしたがこちらもニンニクや胡麻油、胡椒が良くなじんで評判良く、面目を施した。

(長門牧場はまだ一面の雪)

Img_0116 午後には、白樺湖や大門峠のをまわり、長門牧場のチーズなどを買ってきたが、小降りの雨と高い気温は終日眠気を誘って、ごろ寝で過ごす。

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2008年3月 9日 (日)

流行で登る黒斑山

Img_0071 昨日は一日中雲ひとつない空のした浅間山は小暗いくらいの青空を背景に真っ白く輝いていた。

そのすぐ麓、軽井沢から見る山は落葉松の木の間に圧倒的な姿を見せ、結婚式と披露宴の間の時間焦れ焦れと眺めていた。

三月九日、日曜日で山登りをする人が沢山いて嫌だな。と思いながらも明日は天気が崩れると聞けば今日しかない。午前七時過ぎ零下6度の立科町を出発、長野と群馬の境、車坂峠へと向かう。

峠から見た景色は、眼下の佐久平にうっすらと靄がかかっているものの北アルプスから中央アルプス、乗鞍御岳、近くには蓼科八ヶ岳、富士山までが一望できる。

Img_0095 (籠の塔山越しの後立山)まるで、戦場の古武士のように「やあやあ 遠からんもは声にも聞け、近くば寄って目にも見よ、、、」と名山が名乗りを上げているような感じで居並ぶ。

支度をしていると、ホテルから出てきた重武装の一団が峠の登り口で最近流行らしい西洋かんじきのようなスノーシューとかゆうものをリーダーの指示の下、装着し始めていた。

それを横目にして、中コースを一人で登る。登り道はここ二~三日の好天で沢山の人が歩いたようでスノーシューで踏み固められており、夏場より歩きやすい。ただ、あまりの好天で雪が眩しくサングラスを持っていないことが残念だった。

Img_0062 積雪のため高くなった道筋で木の枝が低くなり、樹間を首曲げながら登り、尾根に上がれば目の前いっぱいに浅間山の前峰、立て筋模様が特徴の前掛山が雄姿を見せ付ける。

黒斑山と標高差にすればそんなに差がないのに、存在感がまるで違う。しばしの休憩の後、最後のひと登り黒斑山山頂(2,404m)を目指す。

Img_0087 (左側斜面を登っている人がいる)片側が切れ落ちている尾根伝いの道、先客がスノーシューで道普請するようにゆっくりと登っているのを追い越し、山頂に付いたのが上りだして一時間と少し、前回の七月に登った時と比べると案外簡単に着いてしまった。

頂上で写真撮り、休んでいると続々と人が集まってきて、あちこちを指差して話す、何れも私とどっこいの年齢と見た。そのうち一人が浅間山の後左を指差して「あれはホタカじゃない」というので、「穂高は後でしょう」というと「あれが男体山なら、あれが上州ホタカにならないですか」ときた。

半分引っ掛け気味に取ってしまった私は「そんな山、聞いたことない。」と返事したが、考えてみれば浅間山から北東の山は全然知らないのだ。

黒斑山山頂で三十分。次々と登ってくる人も増えたので、下山することにした。

Img_0091 (ダケガラスがのんびりと人間見物)帰りは、槍の鞘を経由して表コースを下ったが、途中で今朝ほどのスノーシュー軍団21人とすれ違った。この踏み固められた道をなぜリーダーはスノーシューを履かせるのか、”輪かんじき”しか経験がないが、素人では両足を拡げて歩くのは並大抵ではないと思う。

ただ流行に乗ってこんなものを装着したら疲れるだけと言うのが分からないのだろうか、輪かんじきがそうであるように、スノーシューは飛騨言葉で言う「ごぼる」(新雪などで足がめり込む)雪のための道具のはずなのだろうが、、、、、

お陰で、すれ違いはうろうろしている軍団の脇を私がごぼるりながら雪の中に足を入れて降った。

Img_0102 (佐久市から見た黒斑山と右浅間山)車坂峠に戻ってきたのはお昼少し前。傍によって来た人に山の状況をを聞かれたので、道はドンドンなので出きれば簡単なアイゼン程度がいいでしよう」と、、、

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2008年3月 8日 (土)

ドミノ倒し?石の教会

Img_0009 「軽井沢”ホテルブレストンコート”に朝の八時三十分までにお集まりください」と招待状に書いてあった。

この招待状が、長い一日の始まりだった。女性陣は着付けのため六時ころから美容院へ着付けに向かい、立科町を七時過ぎに出発した。

中軽井沢の駅前から目的のホテルに向かったが、なにせカーナビのついていない車ではなかなか場所が分からない、再三電話で確かめて到着すれば時間はぎりぎりだった。

ホテルの人に案内されて、結婚式場に向かうと、巨大な黒いトーストまたは、ドミノの倒れかけたような建物があり、これが、「石の教会」として最近の若者に人気のある教会だという。

「教会内では一切のカメラやビデオは使用しないでください」と出発前に注意されていたので、カメラを片付け内部に入ると巨大な石と見えたのはコンクリート製のようだが、内部には石積みで囲ってあり倒れかけのドミノの間は明り取りの覆いがしてあり、正面は大きなガラスで外が見えるようになっいる。

この建物は、内村鑑三記念堂とかで、仏教徒の私には何も分からないが、無教会を唱えた彼を偲んで建てられたと神父は話した。内部は石積みで壁が作られており、質素な感じの造りになっており、教会に付き物の十字架や金ぴかの祭壇や飾りなどもなども見当たらなかった。

式は、神父の指示で滞りなくというかあっさりと済み。教会の出口で初めてお祝いの言葉をかけ通り過ぎる。日ごろ勝気な姪も感激していたらしく、目元に涙を溜めている。

ついで、ライスシャワーにと米を一握り渡され通路の両側に並ばされ、二人が通ると空に撒き散らしたが、我々世代には米を撒くなんて”モッタイナイ”の一語。こんな風習は止めてもらいたい。と内心思いつつ右に倣え、、、、

そのあと、場所を変えての披露宴となったが、式の後2時間余も間があり、披露宴は小さなベーカリーで行なわれた。

新郎新婦で全てを決め、費用もほとんど自分たちで賄ったと聞くと、最近にない快挙だと拍手をしたくなったが、二人の親もほとんど式次第は知らないと聞くと昔、自分がやったのと同じで、後々反省したり自慢したりするのだろうな。と感じた。

二人の周りは友達関係で占め通路を隔てた一角に両家の親類がかたまると言う変わった形式で、私の席からは柱が邪魔をして席を立たないと二人が見えない

また友達関係に、丸坊主からモヒカン狩り、長髪の後縛りなど奇抜な髪型もあって、手製の披露宴、今どきの若者の交友関係など面白く見させて貰ったが、延々と三時間余は、早朝から午後三時半までは一寸身体にこたえる。

昨夜、長野の友達の家で遅くまで飲んでいたせいもあって、披露宴が終わるころには睡魔との戦いになってしまい、帰り着くとしばしの昼寝を決め込まざるを得なかった。

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2008年3月 6日 (木)

虫たちの年始

Img_0194 写真、麻機を流れる巴川の上流は菜の花が咲き、川柳もうっすらと緑を帯びてきた。

Img_0235 昨日の啓蟄は、虫たちにとって「冬休みは終わりました」というしるしらしく、今日はかなりの数の虫をがみられた。

ただ、出てきたばかりにしては活発に飛び回り写真にはしにくい。紋黄蝶や豹紋蝶も出て来ていたが、満開の菜の花にとまることなく、あちこちと飛び回っている。

まるで、年始の挨拶周りのように落ち着かないことおびただしい。となると、昨日のウラギンシジミは年始の酒によっていたことになるのだろうな。

Img_0213 小さな、水路にはなんだか分からないが小魚も群れており、まるで”メダカの学校”状態。

春が来た はるがきた

  どこにきた、、  と、、、

明後日は、姪っ子の結婚式にお呼ばれ。で、長野に行かなければならないので、その支度にかかる。

なにしろ、静岡に比べればまだ寒いようなのでどのくらい着こんで行けばよいのか、外国旅行をするときのように寒さの確認をとる。

時間は逆戻りできないが、季節は出来るようだ。

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今日の鳥。水ぬるむ川にケリ(左)と千鳥(たぶん メダイチドリ)。同じ科に属するのでよく似ているが足の長さに大きな差がある。生活環境の違いだが、人間並みに足の長さを羨むなんてことがあるのだろうか。

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2008年3月 5日 (水)

寝ぼけまなこの啓蟄

Img_0080 今日は啓蟄。巣篭もりしていた虫も戸を開けて這い出す時期だと言う。

昨日までの暖かい風も今日は一段落。虫が這い出すには一寸寒いかなと思っていたが、律儀な”ウラギンシジミ”が寝ぼけまなこで椿の葉裏につかまっていた。

今まで何処に潜んでいたものだろうか。年越しの身体は羽の裾も擦りきれ、生きることの大変さをものがたっている。

しかし、出てきたもののまだ目が覚めていない。羽に触っても少し反応するだけで飛び立つ気配はなく、こんな時鳥に見つかったら苦労も水の泡となってしまう。

梅が島から下ってきた人の話しに寄ると、安倍川筋では風花が舞い散り、上のほうは白くなっていたと言う。

春は名のみの  風の寒さよ

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いまテレビを騒がしているもののひとつに、ロス疑惑事件の元被告三浦和義がサイパンで逮捕されたことであろう。

日本の裁判では、証拠不十分で無罪になり、天下はれて大手を振って歩けると思ったら、アメリカの法律では重大な事件には時効がないとかで、30年近く前の逮捕状が生きていたと言う。

考えてみたらこの人は、それこそ波乱万丈、一寸先の見えない人生なんだろうな。しかし、彼の言動からいって証拠は有罪にするだけの物がなかったのだが、胡散臭い人には違いないと今でも私は思っている。

一方でアメリカにこんな法律があるのを初めて知ったが、日本でもこんな法律があっても良いのではないかと思う。時効がないと警察も手を引けないというが、発覚した時点、新証拠が出た時点で捜査を仕直せばいいのではないだろうか。

江戸時代まで被害者の遺族による敵討ちは、全てではないがまさにこんな状態だった。。

当時はアメリカのように、各藩ごとで半独立国的な自治をしいており、警察力も弱かったので犯人を追っかけて全国を捜し歩くと言うことが出来なかったので、はっきりわかっている犯人を、遺族が討ち取っても良いという、許可を藩主がだした。

いろいろと条件もあったようだが、犯人が死ぬまで追っかけられたことであり、悲喜交々が小説や芝居、落語の話題になっている。

去年だったか、家の立ち退きを迫られて殺人の自首をした人がいるが、時効で手がつけられないうえ、年金で悠悠と暮らしているという例があったが、遺族のなんとも言いようのない怒りは傍目にでも分かる。

また、別な面で見ると、一旦無罪の判決を下した人が他国の警察に同じ罪で逮捕されたことに対して、日本政府が何らかの申し入れを行なったと言う報道がないがこれもまたどういうことなのだろうか。

胡散臭い人なので、そちらで何とか処分してください。とでもいっているのか。

ともあれ、早春の寒さにまだ首を引っ込めて、目が覚めていない様子が見て取れる。

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2008年3月 4日 (火)

亀の花見?

Img_0169 確定申告の用紙を税務署に行ってポストに放り込んできた。

この時期になると、毎年面倒くさくて嫌になるが日当分だけでも取り返してこなければと思い行っている。

次第にシンプルな生活は、難しい計算もなくなり、前年のものを参考にして簡単に作れたので、直接税務署に持っていくことにした。

間違っていれば、後でなんか行ってくるだろうし、”後は野となれ山となれ”

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帰り道は浅間神社から城北公園周りに散歩しながらのんびりと廻って来たが、まだ花の数も少なく変わり映えしない。

なかで、ここ2~3日のことと思うが、城北公園の植木の間を掃除し、塵を除けたようで、すっきりとしていた。いつもは、池の傍に捨て猫のために小屋などを作ってあって餌もおいてあるのだが綺麗に片付けられており、猫の姿も疎らである。

本来はこうでなければならないのだが、捨てる人がいて、それを可哀そうと思う人がいるため野良猫の住処と化している。多分綺麗にしてもすぐに小屋作りをする人がでてくると思うが、それまでの、、、、

そうしたなか、気温も上がって活動を始めたのか、亀が池の中の石の上に上がって日向ぼっこをしている。

向こう岸の桃色の梅をあたかも眺めているかのように、首を高くあげて、、、

北陸地方だけかもしれないが、酒を沢山飲む人を”ガメ”と言う。何かで見たのだが海亀を放すとき酒を飲ましていたように思う。亀にしてみれば大変迷惑な話と思うが、酒好きというのはどこからでた話なんだろうか。

本当に好きだとしたら、この様子は、酒を飲んで花見をしているのかもしれない。

上空は、昨日に続いての黄砂で遠景が霞んでいる。中国で高度高原の砂漠化がさらに進んで今後黄砂がもっと増えると言う予想があるが、これも、先進国になるまでの通り道なのだろうか。

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2008年3月 3日 (月)

桃の節句

Img_0113 予報どおりの黄砂か霞かは分からないが、朝から遠くの山は見えない。

欲しい物があって下見にイトーヨーカ堂に行って来たが桃の節句なのに、かかっている音楽は”鯉のぼり”。節句はもう二ヶ月先の商戦に入っていて、菱餅の変わりにケーキが主役を演じていた。

家には雛人形がない。女の子はかっていたが、親の代から買って飾ったことがない。何かにこだわって買わなかったのではなく、ずるずるとそのまま来ただけのことなのだが、私自身があまり興味がなかったことが一番の原因ではなかっただろうか。

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Img_0230 ”桃の節句”なんだか書いていても心浮き立つ明るい感じがするが、その裏で、今日もスギ花粉なのか黄砂の砂粒が飛び散っているらしく、まだ、花粉症にかかっていないと自負する私の目にも異物が入っているのを感じ、少しむずがゆい気がする。

このスギ花粉、江戸時代にはかなり少なかったようだ。

昨日の新聞によると今から幕末のころで今の1/8くらいだったのが1,970年代になって急増したしたそうだ。

この原因は、多分戦後の植林運動で成長が早くお金になる杉を沢山植えたのが20年ほどして花粉を撒き散らしているのではないだろうか。と、すると、これも人災のひとつになるのだが、、、

飛騨の山は、冬になると五分刈りの頭のようになると前に書いたことがある。山頂や尾根筋にあたる部分は楢やブナをはじめ落葉する木が多く、静岡の天竜美林と言われるような景色はない。

冬、安房トンネルを過ぎ、五分刈りのような山を見ると故郷に来たなぁ、と感じるのは何も私だけではないようで、先日の同期会でもその話しが出た。

雪の多い山では、杉や松のように常緑樹は雪の重みで枝折れどころか幹ごと折れてしまう場合があるので、べた雪の降る地帯は金沢の”兼六園”などに見られるように雪釣りをしなければならない。

”桃の節句”から話が飛んでしまったが、春早い此方でも路地物の桃の花はまだ早い。

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2008年3月 2日 (日)

タイムスリップのお祭り

Img_0158 知り合いの人が野蒜を食べたいというので、流通北側の麻機沼に採りに行っていたら、山向うで花火があがり、反対側の山にコダマして鳴り響く。

予定の量を掘り起こしていたので、山越えして反対側に降りてみた。

Img_0160 そこは南沼上の大安寺と言う寺の毘沙門天のお祭りの最中。

寄ってみると、境内に流れている音楽が「銀座カンカン娘」。デスクジョッキーはどう見ても八十代のお爺さん。

”これ~が銀座のカンカン娘 これ~が銀座のカンカン娘”と繰り返し始めると慎重に針を上げて、掛けなおした曲がまた古い。「憧れのハワイ航路」だった。

ジョッキーが古ければ選曲も古い。そして、78回転らしいレコードは大げさに言えば文化財になるんではないかと思い、氏子たちとは少しはなれたところに腰掛けて聞き入った。

ついで、手品だと言うので、そこを離れて階段を七十八段登ったところにある毘沙門堂に上がると内陣ではご祈祷の最中らしく、お堂の中に人がいる。

その横の縁に子どもたちが水あめを舐めているのだが、年上の子が女の子に「早く箸でくるくるっとまわして」などと教えている。

下での歌謡曲と言い、子どもたちの仕草と言いなんだか四~五十年昔にタイムスリップしたような気がして懐かしいような、夢を見ているんではないかと思わせるような変な気分になった。

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大安寺は,流通センターの北側にある諏訪神社とともに”沼の婆さん”を奉っている。

”沼の婆さん”は、むかし、麻機沼が今よりかなり大きくて荒れ果てていた時代。この辺りにいた娘が、母の病気快癒のため浅間神社に参拝しようとして沼を渡っていた時、河童に引きずりこまれて亡くなった。

それを怒った、娘のお婆さんが龍に変身して河童を退治し、その後、沼の守護神になろうと身を投げ、死んだと言う。

死後、法器草と言う草が生え、その草を村人が食べた。と説明書に書いてある。

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今日の花。左、三椏(ミツマタ)昔は紙の原料として栽培されていた、名前の通り枝が、三本三本と分かれる。 右、銀葉ミモザ、真黄色の花を咲かせる。ひとつひとつは虫眼鏡で見たいような小さい花の群れであり、この木一本でどれだけになるのやら、、。

Img_0156 P1010060

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2008年3月 1日 (土)

満観峰から蔦の細道

Img_0122 山道を一人で歩いていると、頭の中で妄想が駆け巡る。(写真は途中の山道から見る満観峰 470m)

今日は、蜜柑が欲しかったので宇津の谷トンネル傍の逆川と言うところの農家へ行き、そのついでと言ってはなんだけど満観峰へも登ることにした。

この山には、毎年ぐらいに登っているが、前回は一年程前に来たきりなので、久し振りと言った感じだった。しかし、なれた道、標高470m山頂には割合と簡単に登ってしまった。

来てみると、先客が二組いたがあまり挨拶もしたくないようなので、向かいに見える高草山まで足を伸ばそうと、休憩もそこそこに、反対側を下っていく。と、”つたの細道”へ行く分岐に出たので、高草山ピストンよりこっちのほうが面白そうと思って、方向を変換した。

一人歩きはこんな時好きなようにルートを変更できてよいが、もし、遭難でもしたら捜索範囲が絞れなくて大変。そのため、迷惑のかからないよう気をつけているつもりだが、、、、

道は、満観峰を右手に見ながらぐるっと回り込むようにしてだんだん下がりに降って行く。

その途中が上に書いた妄想の道である。

Img_0137 むかし、上古の時代から今の静岡市と焼津 岡部 藤枝を含む志太平野との間に垣根のような山が連なっており、一番古いのが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説で有名な海岸近くの日本坂峠、ついで平安時代になると”つたの細道”として詩歌によく読まれた道になり、豊臣秀吉が北条征伐で大軍を通すため宇津の谷越えの道を作り、ついで明治、昭和、平成と国道一号のトンネルが掘られ、交通の難所も今では昔の話になってしまった。

しかし、蔦の細道になった頃でも、本道から脇道に逸れ、私の歩いているような道を歩いたとしたら、、、、。

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日が暮れて道が分からなくなった旅人が、山中の小屋の灯りを頼りにたどり、ほとほとと門口の戸を叩き「旅の者ですが、行き暮れて難渋しています。どうか今宵の宿をお願いできませんか。出来なければ軒下なりとも、、、」と頼み込む。

中の主人は「さぞ、お困りでしょう。どうぞ此方へ」と迎え入れるが、主人は鬼や山賊であり「鴨が葱背負ってやってきた」とばかり夜中に身ぐるみ剥いで殺した。なんていう昔話の筋書きが思い浮かぶ、、、

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そんなことを考えたりしながら、瘤尾根を二つ上り下りすると峠に到着。峠は紅白の梅が咲き西側に開けているが、風が強く花の香りはどこかへ吹き飛んでしまう。

下から、老夫婦が上がってきて、「満観峰120分」と書かれた案内板を指差し、「こっちへ行ってきたですか。それにしても風が強いですね」という。

たしかに、山道も各所で杉の木同士がこすれて「キューッ キューッ」と鳴る音を聞いたが、直接にはそんなに風に吹かれることはなかったので峠の風の強さは分からなかったが尋常ではない。

寒くなったようで、老夫婦は休む間もなくもと来た道を降っていく。

ここで食事をした後、道の駅近くに下りれば奇妙なものがあった。「筒”夢」と書いてドームと読ませるらしい、看板があり、孟宗竹の節の部分だけを切って繋ぎ合わせカマクラのように作ってあるが、意味がよく分からない。

Img_0142 近寄ってみると、「靴を脱いでお入りください」とあり、下には青竹の割ったのが敷いてあった。芸術作品なのかはたまたお遊びか、結局は遠巻きに眺めただけで道の駅経由で逆川集落の駐車場までテクテクと戻る。

今日の山行きは三時間と少しで終了となる。

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