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2008年3月24日 (月)

城北公園の春

Img_0181 午前中降り続いていた雨も、午後になって晴れてきた。足止めを食らったような格好で出かけるのをためらったいた分、馬力がついたように麻機街道を城北公園に向かって歩いた。

Img_0177 公園の染井吉野はまだ少しか開花していなかったが、池の傍の枝垂れ桜二本は今が満開。といってもそんなに巨木でないので”お見事”というほどでもないが薄ぼんやりと煙るような風情を示し、池越しにみる桜は手前の東屋の軒先に揺らめく池の反射光とともに一幅の風景をかもしている。

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この公園では、早くもシャガと土佐水木が花開き、続いて咲く染井吉野の出番を待っている。

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飛騨は江戸時代の始めに幕府直轄の天領にされてから、高山に代官所がおかれ、代々の代官が交替に治めて来た土地である。

そのため、代々続くお殿様もなく、他の土地に比べ武士も少なく、地元採用の地役人が威張っているくらいで、あっち見てもこっち見ても大小はあるものの百姓 町人ばかり。

静岡に来て間もないころ、「私の家は徳川さんについて来た御家人だけど、あなたの家は?」と聞かれたことがある。

カチンと頭にきた私は「我が家は先祖代々の百姓である。しかし、何回もあった飢饉を乗り越えてきた人の子孫だから、いい種を受け継いでいるよ」と言ったが、はたしてこちらの言う意味が分かったかどうか。  わからんだろうな。

昨日、慶さんのコメントの中にもあったプライドの高い人の話しのなかに「下から貰ったお嫁さん」という言葉があったが、いまだに家格というか先祖が偉かったことをひけらかす人がいる。

徳川末期の武士というものはどれだけ堕落していたかを知らないのだろうか。

明治維新が何故あんなに簡単に方がついてしまったのか、ひとえにだらしのない武士たちが本来の任務を忘れ、主人のために戦うという気力もなく、農民兵に対して敗走したり、将棋倒しのようにばたばたと寝返ったのが最大の原因である。幕府側で一番粉骨砕身の活躍したのが農民上がりの新撰組くらいでなかっただろうか。

江戸末期の町民の子は寺子屋でかなりの数が読み書きや計算を習い、その当時の世界では有数の識字率だったという。

しかるに、勝海舟の父親を例にとるまでもなく、幕臣に読み書きさえ出来ない武士がかなりいたという自堕落ぶり、、、。さらに付け加えるとすれば、静岡について来た旗本や御家人の処置に相当困ったと言う記述さえある。(ざっくばらんに言うと厄介者だったようだ)

大河ドラマを本当の歴史と勘違いしてしている人には分からない話なんだが、、、、、、

「先祖が偉い」「家格が高い」と威張る人は、何も出来なくなった老人が昔の勢威を何度も語るようなもので、「それがどうした」でしかないはずなのだが、実力のない人にとってはそれに頼るしかないのだろう。

それにしても、格付け会社じゃあるまいに、上だとか下だとか騒いでいるんだろうか。江戸時代非人という階級を持って、百姓に優越感を持たせたとあるが、その名残りをいまだ大事に思っているんだろうな。

似たようなことのひとつに、主人が偉いと自分も偉くなったと勘違いする奥さんをよく見かけるが、「陰で笑われているのも知らないで」、、、」。

そして、元の戻るが、もし、上つかたから頂いた嫁さまだとこの人はどうなったのだろうか、逆にお仕えして苛められているかもしれなかったのだが、、。

「ええっ、上つ方はそんなことしないって。それに、武家のことをそんなに悪く言うのはコンプレックスなんだろ。ってですか」   

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