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2008年3月 1日 (土)

満観峰から蔦の細道

Img_0122 山道を一人で歩いていると、頭の中で妄想が駆け巡る。(写真は途中の山道から見る満観峰 470m)

今日は、蜜柑が欲しかったので宇津の谷トンネル傍の逆川と言うところの農家へ行き、そのついでと言ってはなんだけど満観峰へも登ることにした。

この山には、毎年ぐらいに登っているが、前回は一年程前に来たきりなので、久し振りと言った感じだった。しかし、なれた道、標高470m山頂には割合と簡単に登ってしまった。

来てみると、先客が二組いたがあまり挨拶もしたくないようなので、向かいに見える高草山まで足を伸ばそうと、休憩もそこそこに、反対側を下っていく。と、”つたの細道”へ行く分岐に出たので、高草山ピストンよりこっちのほうが面白そうと思って、方向を変換した。

一人歩きはこんな時好きなようにルートを変更できてよいが、もし、遭難でもしたら捜索範囲が絞れなくて大変。そのため、迷惑のかからないよう気をつけているつもりだが、、、、

道は、満観峰を右手に見ながらぐるっと回り込むようにしてだんだん下がりに降って行く。

その途中が上に書いた妄想の道である。

Img_0137 むかし、上古の時代から今の静岡市と焼津 岡部 藤枝を含む志太平野との間に垣根のような山が連なっており、一番古いのが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説で有名な海岸近くの日本坂峠、ついで平安時代になると”つたの細道”として詩歌によく読まれた道になり、豊臣秀吉が北条征伐で大軍を通すため宇津の谷越えの道を作り、ついで明治、昭和、平成と国道一号のトンネルが掘られ、交通の難所も今では昔の話になってしまった。

しかし、蔦の細道になった頃でも、本道から脇道に逸れ、私の歩いているような道を歩いたとしたら、、、、。

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日が暮れて道が分からなくなった旅人が、山中の小屋の灯りを頼りにたどり、ほとほとと門口の戸を叩き「旅の者ですが、行き暮れて難渋しています。どうか今宵の宿をお願いできませんか。出来なければ軒下なりとも、、、」と頼み込む。

中の主人は「さぞ、お困りでしょう。どうぞ此方へ」と迎え入れるが、主人は鬼や山賊であり「鴨が葱背負ってやってきた」とばかり夜中に身ぐるみ剥いで殺した。なんていう昔話の筋書きが思い浮かぶ、、、

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そんなことを考えたりしながら、瘤尾根を二つ上り下りすると峠に到着。峠は紅白の梅が咲き西側に開けているが、風が強く花の香りはどこかへ吹き飛んでしまう。

下から、老夫婦が上がってきて、「満観峰120分」と書かれた案内板を指差し、「こっちへ行ってきたですか。それにしても風が強いですね」という。

たしかに、山道も各所で杉の木同士がこすれて「キューッ キューッ」と鳴る音を聞いたが、直接にはそんなに風に吹かれることはなかったので峠の風の強さは分からなかったが尋常ではない。

寒くなったようで、老夫婦は休む間もなくもと来た道を降っていく。

ここで食事をした後、道の駅近くに下りれば奇妙なものがあった。「筒”夢」と書いてドームと読ませるらしい、看板があり、孟宗竹の節の部分だけを切って繋ぎ合わせカマクラのように作ってあるが、意味がよく分からない。

Img_0142 近寄ってみると、「靴を脱いでお入りください」とあり、下には青竹の割ったのが敷いてあった。芸術作品なのかはたまたお遊びか、結局は遠巻きに眺めただけで道の駅経由で逆川集落の駐車場までテクテクと戻る。

今日の山行きは三時間と少しで終了となる。

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