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2008年4月30日 (水)

重いわぁ~

Img_0100 Img_0037 公園などにある藤はもう花の盛りを告げているが、山の藤は今が盛り。

森のあちこちを薄い紫に染め上げている様子は、着物の柄のようでうつくしい。

つる植物の常として、木に巻きついて高みに上がらなければ生存が出来ないのだが、たかられた木にしてみればこんな迷惑な話は無い。

重いわ、日の光は遮られるわで藤が大きくなるほど成長が出来なくなり、ついには藤を巻き込んで心中してしまうことになる。

民の竈は

政府はついにガソリンの暫定税率を強引に復活する法案を通してしまった。

国民の大多数が反発する中での強行採決であるが、この結果がどうなるのか忘れっぽい国民性を考えてのことだろうか。

勿論、民意にそぐわないとしても、後世「あの時これをしてくれたお陰で、、、」という法案もあるかもしれないが、この法律は福田内閣とともにそんな評価は与えられるはずも無い。

新古今集に仁徳天皇が人民が困っているのを見て「今より三年、ことごとく課税を止め、百姓の苦を息へよ」と言い、服や靴は破れるまで、食べ物は腐るまで捨てず質素倹約し、宮垣は崩れても直さず、破れた屋根から雨漏りし星が見えたという。

その結果、

高き屋に 登りて見れば煙立つ 

          民の竈は賑わいにけり

という状態になったそうだ。

(もっともオール電化では煙の立ちようも無く、屁みたいなものだが、、、、、、)

もちろん、いま仁徳天皇陵と言われるものを見ればその膨大な規模からそんなに仁政を敷けた天皇かどうかは分からないが、こういう政治を願ったのは今も昔も変わらないことであろう。

厚生年金を見ても、道路特定財源を見てもこういう気持ちが一つも伝わってこない。高級官僚の言いなりに振り回されている政治とは一体何なのか。

四月から諸物価が上がって、健康保険料などの上にガソリンがまた上がる。それなのに収入は増える見込みがないとすると、藤にたかられた木同様、重いわぁ~  と、潰されていくしかないのか。

今の政治家の顔を良く憶えておいて、今度は此方が仕返しをする番が早く来ることを願うのだが、、、、、、

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今日の花。左、吸蔓(スイカズラ)赤味を帯びた花が黄色く変わることから「金銀花」とも言われる。蜜が多く子どもが口をつけて吸ったことから付けられたとも言う。繁殖力が強く欧米では害草扱いされているそうだ。 右、常盤露草。葉は良く似ているが花は三弁花でかなり違う。南アメリカが原産とかで少し湿っぽい所で良く育つ。

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2008年4月29日 (火)

外国人だらけの、、、

Img_0078 「世の中は三日見ぬ間の桜かな」という言葉があるが、この時期の花の移り変わりはまさにその通り。

半月ぶりくらいの静岡城北公園は、桜は濃い緑の葉桜、藤も終わり、皐月も、、、、となった中で、いま、ヒトツバタゴ(別名ナンジャモンジャの木)が雪をかぶったように真っ白な花を盛り上げたようにして「どんなもんじゃ」と言っているように咲かせていた。

年々、木も大きくなって見事な景観になってくるのが分かる。「年年歳歳花相似たり」は通用しない。

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25日 小諸から草津へ

Img_0174 田沢温泉でゆっくりと朝の長風呂をしたあと、小諸の懐古園にやってきた。

義弟からは「上田の桜はもう遅いけれど、小諸ならひょっとして、、、、、あそこは川風で一段と寒いからね」というので一縷の望みを掛けて来てみたが、昨日の雨でかなり散っていた。

馬場先の石垣には降り積もった花びらが縁取りし、これも雪を思わせるほどの状態になり、

Img_0171 花さそふ 

あらしの庭の雪ならで

ふり行くものは 

    我が身なりけり

という百人一首の一句を思い出した。ふりゆくを古ゆくに変えて老いてゆく身をを嘆き悲しむ歌だといい、一世を風靡した人でもいずれは、、、老、病、死から免れることができないことを実感するという内容という。

この日は、城内の小諸神社の祭りとかで、城門近くでは香具師も沢山出ていて懐古園の額が掲げられている付近では写真も難しい状況だった。

Img_0186 ここで昼食をとったあと、軽井沢から峠を越し鬼押し出し(写真、左)へ、入館料1人600円を払ってはいれば、季節柄か前回(7年位前の夏)よりも人は多くないものの、話す言葉がまったく違う人がかなり増えている。

そして、目的地草津温泉に到着したのが四時だった。今夜の宿は昨夜と打って変わって近代的な宿”テルメテルメ 中沢ウ"ィレッジ”

草津温泉中心部の北西、ベルツの森といわれる高台の森の一角にあり最上階からは浅間山、白根三山が望めるリゾートホテルだった。

Img_0192 ここは食事が別だったので、夕方街中に行くことにしホテルから湯畑のシャトルバスに乗ろうとしたら、台湾からの客が大勢乗り込んだため、我々だけ別のワゴン車で送ってくれることになった。

発車しようとした時、従業員に連れられて慌てて乗り込んできた女性客、トイレの間に置いて行かれたとのこと、お国柄か添乗員や友達も確認せずに出発してしまったらしい。言葉も分からない女性はかなり心配したことだろうが、終点で追いついても添乗員は”知らぬ顔半兵衛”

Img_0190_2 この日は、同じツアーでバス五台を連ねてきたそうで、湯畑に行っても外国語だらけ、カメラのシャッターも訳の分からない言葉より、手振りで頼まれ二度三度。そのたび「アリガトゥ」とイントーネションの違う御礼を聞く。

これからの、日本の観光地はこんな状態になっていくんだろうな。と改めて感じさせられた。

Img_0199 食事は、中華料理を頼み、外に出れば照明の明かりに浮かんだ湯煙と神社の鳥居がここは日本だと言い、幻想的な風景をかもし出していた。

帰りのシャトルバスで運転していた従業員に「中国語も憶えなきゃ大変でしょ」と言ったら「難しくて、、、」とのこと、しかし、こんなに来れば風習や規則も日本慣れしてもらわくてはトラブルの元。

湯上りタオルを腰に巻いて風呂に入っている人を見たというが、はたして中国人?かと思った。というのもテレビで見る芸能人も巻いているから、それに影響された人かも、、、と、

まぶたが重くなるまで飲んだ翌日は霧が深く立ち込め雨も小止みなく降っている。宿の周りのザゼンソウや水芭蕉もさすがに時期を過ぎたらしく哀れね姿になっている。

昨日開通したと言う、白根山の道もこれでは何にも見えないだろうと、宿で弟夫婦と別れて一路静岡を目指し、長い旅路に終わりを告げた。

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今日の花。草津ベルツ森に咲く水芭蕉と座禅草。春遅いこの地でも賞味期限が、、、、 

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2008年4月28日 (月)

藤村も泊まった卓球温泉

Img_0035 今日は気温もずいぶんと上がっているようで、久し振りの麻機山の農道を軽装で歩いてみたがかなり汗ばんでしまった。

山はいま、蜜柑の消毒に入っている時期だが、蜜柑の葉で育つアゲハチョウの仲間と、食べられては困る蜜柑農家の戦争か。

黒い羽根、黄色い羽根、白い羽根の蝶が互いに入り乱れて卵を産む場所を探しているらしく、忙しく飛び交っていた。

.田沢温泉 ますや旅館

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24日。小雨が思い出したように降る中、桜も散った上田城、眞田の里などをうろうろと見て時間を潰す。食事は市内の「刀屋」という名代の店に入ったが、連休を控えて混み具合が少なく、ゆっくりと食事が出来たのが幸いだった。

信州上田から松本に抜ける道を少し左に曲がりこんだ所に田沢温泉という宿が五軒しかない小さな温泉場があり、その昔、島崎藤村も泊まったことがあるという”ますや旅館”という古い宿に泊まった。

この旅館は、10年前に「卓球旅館」という映画のロケ地ともなった旅館で、知る人ぞ知るという宿だそうだが、映画については知らなかった。

Img_0157 何しろ、藤村の時代の建物ということで、当時はモダンな建物だったかもしれないが木造三階建ての建物は何処も歴史を感じさせるものがあり、ゆがみのある小さな窓ガラス、ギシギシと鳴る階段、天井の高い部屋の外回りを縁側が囲んでいるうえ、掛かっていた寒暖計は「なんでも鑑定団」に出したいくらいのものであった。

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Img_0161 風呂は、源泉掛け流しだが露天風呂と内湯だけ、40度に満たないと思われる湯温は長く入るに適しており、硫化臭とともにいかにも効きそうな感じがする。

さらに、すぐ傍にある桜の大木から花びらが舞い落ちて露天風呂に浮かび、風呂に身を沈めると花びらがお湯とともに流れ出る。こんなわたしでも詩情を誘われる、、、、勿論 出来なかったけどね。

ただ、洗い場のプラスチック製の腰掛が割れていて、腰掛けると割れ目に尻の肉を食われて痛かったのも、、、、、、、

食事は、長野だけに山菜と鯉料理。  なので、”古きを親しむ”という心が無い者にはチョッとという所もあり、誰にでも進められる宿ではないようだ。

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一ヶ月前の春を楽しむ

今日も穏やかな春というより初夏の一日になり、長野周りの気候から見ると、一ヶ月ほど進んでいるように見える。

笠取峠の松並木

Img_0102 23日。朝早く豊田を出発し、九時過ぎには長野県立科町に到着した。

今回の旅行の名目上の主目的(大義名分?)は”立科町でじゃが芋を植えよう”だった。「こんなに遠くまでじゃが芋を植えに来るなんて」という人もいるが、地味が良いのか静岡では味わえないほど美味く、昨年も収穫した100kg余をまたたく間に食べきってしまったので、今年はさらに量を増やす事にした。

畑はすでに義弟が掘り起こし畝を作り肥料を入れてくれていたので、種芋を植え、土かぶせするだけの大名植えだったので、手に肉刺や水膨れなども作らないで済んだ。

大名植え。植樹祭などに見られるように全てお膳立てが出来た所で手を汚すことも無く格好だけの木を植える作業的儀式をいう)

20kgの種芋だったが1反歩ほどの畑に全て午前中に植え終わり、午後には時間が出来たので4kmほど離れたところにある天然記念物”中山道笠取峠の松並木”を見に行くことにした。

東海道に比べれば、中山道は江戸時代の面影を残している所が多く、この松並木も同様である。しかし、幕府が小諸藩に赤松753本下げ渡して芦田の宿から峠の頂上(887m)まで風除け、日除けのために植えさせた物と記されているが、今では100本余りになったそうだから規模は大幅に縮小されたことになる。

Img_0107 ここでも、すでに見終わったものと思っていた桜が満開を迎えており、松の緑、根元のタンポポなどとともにのどかな田舎の春をいっそう花やかなに引き立てていた。

Img_0130 そして、帰り道いつもどおりに津金寺の境内の桜(上の写真)、そして下の写真にある。カタクリ、ヤマエンゴサク、リュウキンカ、アズマイチゲ、ヒトリシズカ、ニリンソウなどを楽しんで帰れば、近所の知り合いが毎度の事ながら「夕食に来ないか」と誘いあり、夜遅くまで歓待を受ける。

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2008年4月27日 (日)

女城主の城に登る

昨日の朝、霧雨に沈んだ草津の宿で、長野の聖火リレーの映像を見ていた。

どんな服装をしていても警察官に護衛されてのリレーには白けさせるものがある。世界各地で報道された聖火リレーの中では比較的平穏に行われたものだろうが、中国政府の思惑と逆に、世界中にチベット問題をばら撒いたようで、最初、内政問題で片付けようとしていたものを、やっとダライラマ側との交渉すると発表し鎮静化を図ることにしたらしい。

あとは、口先だけ、上辺だけで終わらせないように願う。

.歴史に悲しい岩村城のこと

Img_0053 22日。(写真上。岩村城のシンボル六段の石垣。本来は一枚の壁だったものを江戸時代に入って法楽予防に重ねて補強してあるとのこと)

豊田市外から北におよそ70km。岐阜県岩村町に13年ぶりの再会となる従兄弟を弟夫婦とともに尋ねた。

Img_0058 岩村町は、古くから東濃の中心地として重要な場所だったらしく戦国時代、武田信玄と織田信長の争いに巻き込まれた際に、信長の伯母に当たる人が城主になり、哀れな最後を遂げたことから有名で別名を”女城主の城”とも言われている、そのほかにも小牧長久手の戦いの際もここで戦いがあるなど、小さな町ながら歴史に名高い城である。

江戸時代には、松平氏の領地ともなり何人か老中まで出している家柄と、佐藤一斎や明治期の下田歌子など学問での有名人を出しているところで、街中は重要伝統的建造物に指定されている通りもあり、古い時代をしのばせる街である。

Img_0024 古い建物の多い中、紺屋を営んでいた”土佐屋”の内部を見せてもらった時はなんだか懐かしいような気分にさせるものが展示してあったりなど、、、、

従兄弟の案内であちこちを巡ってもらったが、食事のあと日本有数の山城で標高720mの本丸跡までゆっくりと登ることにした。

この城の建物は、明治の初め全国の城同様取り壊され、売りに出されたため石垣しか残っていない上、土地も民間に売却されたため植林されて、面影を大分失っている。

Img_0037 再現された太鼓櫓の脇から下田歌子の勉学所、そして石畳の坂(これは最近新たに敷いた)を登り、一の門、土岐門、霧ヶ井戸そして本丸の六段の石垣の謂われなど次から次えと説明を受けての登城となった。

本丸跡には桜の花が満開を迎えており、時々ハラハラと舞い散るなかに、低い音で”古城”の曲を流していたが、普段なら演出がどうのこうのという私でも静かに聞けるところがあった。

そうこうする内に午後も四時をまわった。まだ見るところも随分と残しているようなので「また次の時に、、、」と約束してこの町に別れを告げた。

Img_0072 帰る途中、明智光秀の生誕の地として知られる明智町に”大正村”というのがあり、これも寄って見ようと駐車場に車を入れたが時間も開館時間を僅か残すだけのため早足で見て、豊田市に戻ったのは夕日が沈んだ後だった。

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2008年4月26日 (土)

羅漢さんがそろた

21日から26日まで世間に先駆けて五泊六日のゴールデンウイークを楽しみ、世間が休みになる今日帰ってきた。

閑人には、あまり人ごみの中を歩かないほうが良いかと思ったためだが、観光地は世間の休みにそなえて準備しているため、当たり外れれはやむをえない所か、、、。

Img_0015 21日。暖かい日差しの中、豊田市の弟の家に向かって車を進めていたが、少し時間もあるということで、浜松西インターから奥山半僧坊”方広寺”に参拝して見ようという気になった。

ここの門前には、仕事の時何度も止まった定宿があり、懐かしい場所のひとつであり、参道の羅漢さんを、、と

Img_0005 しかし、久し振りの宿は代が変わったらしく、ひっそりしていたのと羅漢さんもなんだか新しいものばかりになったような感じと日当たりのせいでなんか違和感があった。

羅漢さんは、釈迦が入滅した後、経典を編纂するために集まった弟子たちだそうで、それぞれ有徳の僧たちであるが、その表情や形はさまざまに作られていて、本堂に祭られている仏とは全然違う雰囲気があり、なにやら親しみを覚えるものがある。

五百羅漢と言われるものの中にどれか一つ自分なり知り合いに似た顔つきの羅漢さんがいるといわれるが、ここの羅漢さんの大半は綺麗に磨きの入ったものが多く、清水の清見寺の羅漢さんのような趣になるには時間が必要かなと思った。

Img_0018 Img_0010 亀背橋(上)も若葉の合間に朱色の橋げたを見せていたが通行止め、時には五体になるという石橋の羅漢さんは今日も四体、(方広寺の不思議の一つというが、、、)など境内を一巡りで早々に引き上げ、門前町の名物直径8㌢くらいもあろうかという”おおあんまき”を買って、峠越えに三ケ日に降り、姫街道を豊橋インターに向かった。

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2008年4月20日 (日)

妖怪だァ~

Img_0022 空に企画人飛行物体があるように、この妖怪のようなものを知っている人はどのくらいいるだろう。このなんともおどろおどろしいものを、木耳(キクラゲ)という。

木耳といえば中国料理に欠かせない材料の一つで、そのコリコリッとした食感は、姿ばかりでなく珍味のクラゲに似ている。

実際に見た人は少ないはず。木によって、生えてる場所によって色や形が違う。こんなのも珍しかったので、逆光にし日の光を通してみると、ますます怪しげな雰囲気が出てきた。

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先日、名古屋高裁でイラク派遣の航空自衛隊の業務が違憲だという判決が出た。

小泉元首相の「戦闘地域かそうでないか分かるわけない」や「自衛隊のいる所は戦闘地域ではない」など説明にもなっていない、いい加減な答弁で強行採決したものだが、原告の補償請求は棄却したものの、派遣は戦闘地域であり違憲だというものであった。

このことに関して、政府は無視することにしようとしている上、空幕長は「そんなの関係ない」と茶化していた。

日本は、三権分立の民主国家である。その一つの司法の判断を行政が無視するということは、民主主義を否定することになるのではないだろうか。中国政府のオリンピック聖火何とか隊を日本は法治国家なので拒否したと聞いたが、ご都合で憲法や判決を無視するようでは、そんなに大した国でもなさそうだ。

我々は、どんなに不満でも裁判で判決が出れば従うしかないと思っていた。

イラク派遣は、もともとが、国民の総意に反し、ブッシュの言うことを聞かないとイジされるとばかり無理に送り出したことにあるのだから、もう少し真摯な態度がほしいものと思うが、、、

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今日の花。左、黄詰草、シロツメクサに比べるとごく小さく、見逃しやすい。 右、白根アオイ。はかなげな葉っぱに柔らかそうな花が揺れている。

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2008年4月19日 (土)

遠くなりにけり

Img_0050 東京タワーが出来て五十年という記事を見た。そうすると上の写真は五十一年前になる。

「うわ~ そんなにもなるのか」というのが感想。我ながら年をとったことの驚いている。

写したのは高校の修学旅行のとき、バスの窓越しに写した建設中の東京タワーで、神田の旅館から保土ヶ谷の火薬工場へ行く途中だった。雨がシトシトと降っていたこと今でも憶えている。

このあと、何回も東京に行っているものの、東京タワーには一度も登っていないのはなぜだろう。

Img_0044 もうひとつ、この写真をコピーしていたら勝鬨橋の写真もあった。

勝鬨橋は橋が両側に立ち上がって船を通す仕組みの可動橋であったが、出来たのは昭和十五年というから私より一つ下になる。船を通すために最後に稼動したのがこの写真の十年ほど後だというと、今では動いたのを知っている人は稀だろうと思う。

今考えれば、うまいときに修学旅行をしたものだ。

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目病み男は

”目病み女に風邪引き男”というのがある。落語のまくらにも使われ、江戸時代から使われた言葉らしい。

目を病んだ女の人は、目が潤んでいるためセクシイだと言うし。風邪を引いた男は声がかすれ、そのハスキーな声がなんと言えない。というが、治ればその思いも消えてしまうことから、一時的な魅力に惑わされるなという教訓だというが、、、、、。

今日は午前中晴れ間が覗いていたので、はっさくと甘夏摘みの手伝いに行ってきたが、木の枝に登り顔を上げてところで目じりの付近を小枝が触って、すこしゴロゴロとした痛みが今もある。

鏡を見たが、すこし充血している程度なのでそのままにして、「どう魅力的?」と問いかけてみたが、男はやっぱり風邪ひき。

目に涙は我ながらカッコいいもんじゃない。。潤んで見せても橋下大阪府知事ではないが、男の涙は、と言われて、、、、

涙は女の特権”  時代は変わっているのに、思いは変わらない、やっぱり情緒が古いんだね。

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今日の花。だまし名前の草

左、狐の薊(キツネノアザミ)薊の仲間でなくキク科とのこと、狐と名が付くだけあって人を騙しているのか。 右、虫取り撫子、茎にねばねばした液をつけて虫を捕まえていることがあるが、消化するためでなく、蟻などを花に近寄らせないためらしいのだが、、、

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2008年4月18日 (金)

いにしえの

Img_0075 暦の上では昨日から春の土用に入った。いよいよ春も第4コーナーをまわったことになる。

桜も、静岡では最終ランナーの八重桜になり、見るからに重そうな花びらを昨夜来の激しい雨に打たせてぶら下がり、あるいは落ちている。

百人一首のなかで伊勢大輔の歌とされる

いにしえの奈良の都の八重桜 

    けふ九重に にほいぬるかな

というのがあったが、まさに今の時期だったのだろうか。

このときは、奈良から京都に都が遷都されてどのくらい経っていたのか知らないが、”いにしえの、、、”と言うくらいだから大分立っていることと思う。

奈良の桜を京都の宮中に持ってくるくらいだから、枝を一本二本というのでなく木を丸ごとくらいの規模だったに違いない。

その百年くらい前に九州大宰府に流された菅原道真の、”梅の香り”とのささやかな願い(?)恨みで大災厄をもたらしたのも忘れて、華やかなものだったことがうかがえる。

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奈良はもうすこしで平城京に都が置かれてから千三百年になるとかで、遷都祭を企画しているらしいが、セントクンという評判の悪いマスコットキャラクターを使うことにしたそうで、記念行事そのものより評判の悪いキャラクターで有名になってしまった感がある。

これも、多分審議委員会とかのメンバーがチョチョイノチョイと机の上で選んだ結果なのだが、果たしてその成果はいかがなものか。

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今日の花。左 ブルーベリー、ちょっと見にはドウダンツツジと見がまう程似ている。夏の収穫が今から楽しみ。 右、細尾揚羽、十年ぶりぐらいか、久し振りに見た。長い尾羽を優雅に打ち振ってゆらゆ~らと

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2008年4月17日 (木)

クロイツェルソナタ

Img_0177 隣の庭にブラジルの国花といわれるイペーという花が二~三日前から咲き出した、真黄色のその花は情熱の国の人に良く似て雨模様の今日も当たりを払うかのように光り輝いている。

桜は日本の花というが、それを代表する”染井吉野”の花の色は薄いピンクで、集団になると霞か雲かと言われるくらいボヤ~としているのは、これも国民性に似ていることになる。

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今日は散歩に出かけた途中から雨が降り出し、次第に強くなってきたので引き返してきた。「月様雨が、、、」といって引き止めてくれるものも無く「春雨じゃ 濡れて帰ろう」とつい急ぎ足。

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Img_0011 いつもより早く帰ってきたら、テレビのクラシック番組で「クロイツェルソナタ」が始まるところだった。

クロイツェルとは何か、ベートーベンなのだから多分ドイツ語なのだろうが意味は知らない。

もともと音楽の素養もなく、基礎は学校の唱歌だけ。従兄弟の影響を受けて聞いているうちにメロデイが中心(?)のクラシックが好き(見栄と多感な二十代)だった時期があり、レコード(とラジオしかなかった)で良く聞いた時期があった。

レコードを出すぐらいなんだからみんな上手な人、ぐらいの知識なので、他の人みたいにカラヤンがどうだとかこれがどうだとかは分からない。

クロイツェルソナタ。トルストイがこの音楽を聴いて作った、同じ題名の小説を読んだことから聞いてみようと思った曲で、レコード屋に行って注文までして買った記憶があり、何回も掛け曲の流れを覚えた。

小説は、妻が他の男とこの曲を弾くときの態度に嫉妬心をかられ、殺してしまう。という筋書きだったが、バイオリンとピアノの絡みが絶妙な曲で、特に第一楽章でバイオリンにかぶせるようについていく(これは音楽知らずの私だけの感想)ところ、第三楽章の軽やかなやり取り(これも同じ)は小説の印象もあって濃厚な男と女の感じがした。

映像でこの曲の演奏を見たのは今日が初めてである。バイバ,スクリデ。ラウマ.,スクリテという豊満な姉妹による演奏だったので、いささか小説やレコードによる演奏とおもむきが違うなと思いながら聞いていたが、レコードでは分からなかった音が低いピッチカットだったことが初めて分かった、やはり映像だな~と、、、本物を見てみたいな~と。

そんなこんなで、雨の一日を過ごしている。

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今日の花。左、赤花夕化粧(アカバナユウゲショウ)明治のころの帰化植物。待宵草の仲間で今ではすっかりと野原で自生している。 右、八重桜。桜の中で一番最後咲く、重くずっしりとした量感は桜の花魁と言ったところか。

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2008年4月16日 (水)

稜線の春はまだ(真富士山)

Img_0086_2  同じ静岡市内でも、安倍川沿いの1,000mを越える山々は、やっと春に目ざめた所。今日は様子見がてらに真富士山に登ってみた。

Img_0084 ヒメウツギの白と山吹の黄色が織り成す林道を登り駐車場に着いたのが、七時半。すでに沼津ナンバーの車が駐車していた。

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Img_0168 Img_0088 登りだしの杉林の中には、三椏の白い花、その後手入れの悪い杉林を抜けると道は、黒部沢に沿って登る。

Img_0109黒部沢源流付近の斜面では、ハシリドコロと天南星の仲間紫蝮草が咲き、肥後スミレとエンゴサク、他、名前の分からない花で春を演出していた。

約30分で大井平に到着し、第一真富士山に向かわず直登で真富士峠に向かう。訳は第二真富士山を通って浅間原に行ってみたいという希望が会ったためで、余力があれば第一真富士山に戻ろうと思ったからである。

この道は、以前は手入れも悪く木が繁るに任せているため、昼なを暗い陰気な道だったが、森林税を使ってか伐採だけ(枝打ちはなし)されたようで明るくなっていた。

真富士峠には八時三十分。ここからは春まだ浅き状態で岩鏡の蕾はあるが、ヤシオツツジの芽同様固いままでまだ一ヶ月は先の話しだと見た。

ロープに掴まったりしていつもの道を登っていくが、富士山は勿論、稜線の両側は雲がかかって展望は何も無い。さらに、下のほうにからは雲が尾根に巻きついて上がって来る気配を示している。

Img_0126 第二真富士山(1,402m)に到着したのは九時十五分。すこし休んだ後、浅間原に向かって降りていく、ダラダラ下りから、広場に出、そこから一気に下って湯野岳鞍部に着いたとき霧が深くなり先が見えない状態になった。この付近は迷いやすいと聞いていたので、躊躇無く引き返すことにした。

Img_0140 再度、第二真富士山に戻ったのは十一時近く。一休みの後峠にくだり第一真富士山(1,343m)で食事し降る。

駐車場へは、午後二時過ぎであった。

このほかの花を含めて、後日”春の山”(仮題)として、マイフォトで掲載したいと思っていますので、よろしく、、、、

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2008年4月15日 (火)

とかく木の芽時は

Img_0009 麻機沼やその周りの水路が今騒がしい。

鯉が恋の季節に入ったため、あちこちで傍若無人にからみ合ってバシャバシャと激しい水音を立てている。

鷺や鴨の仲間などの大型の鳥はもとより、人が見ていても気にしない風情である。

まるで、最近の若者が人前も構わずチュッチュッといちゃついているかのように、、、、、、そういえば、近所の鯉のぼりも風に吹かれてからみ合っていたが、春のこの時期は全てがそうなるのだろうか。

何しろ木の芽時というのは血が騒ぎ、全てを狂わせるらしい。

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さて、後期高齢者医療制度が混乱しているようで、首相も厚労大臣も陳謝していたが、このまま強行するようだ。何しろ取り易いところだもんな。

今朝方、銀行前に年寄りが行列を作っていたとの話も聞くと、このことも関係しているのかなと勘ぐってしまう

舛添大臣も就任した当時は、社会保険庁のあまりにも杜撰なやり方に憤慨して「悪いことをした人は牢屋に入ってもらう、、」などと言っていたころは、光り輝いているかに見えた。

しかし、最近では動かないお役人に匙を投げたか、まるめこまれたか、かなりトーンダウンして、年金を三月いっぱいで全面解決するとは言っていないと強弁し。「誤解をもたれるような説明があった」と開き直った発言までするようになった。

当初言っていた「牢屋」には何人行ったのか。一人もいないだろう。どころか処分された人も後継の年金機構に採用されるらしいとのこと。これを竜頭蛇尾という。

安倍前総理の選挙演説は、舛添大臣の話は、いま何度聞いても「全面解決する。」としか取れず、三月末の強弁をわかる人はいないと思うが、これも木の芽時の錯乱だろうか。

もっとも、選挙のときから「長年に渡って積み重ねた年金記録の不備を、そんなことできるはず無いさ」と思っていたけどね。それを信用して投票した人はとんだ馬鹿を見たものだ。

いけないいけない 書いているうちにわしも錯乱してきた。

とにかく、今の日本。お役所関係というと「みんな悪いことする人」というイメージを自覚してか、ある役所の歓送迎会の流れらしいのを横で聞いていたら「うちの会社」という言葉を何度も聞いた、、、、会社じゃないんだけどね。

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今日の花。  苧環(オダマキ)園芸種としていろいろな色が有るが、もともとは、青紫のこの色だったようで、花言葉は、「必ず手に入れる」「断固として勝」など強烈な言葉が当てはめられている。

Img_0058しずやしず しずのおだまき 繰り返し

     昔をいまに なすもよしかな

そのむかし、静御前が囚われて鶴岡八幡宮で舞った時の歌だという。

この位置から見た花の形が当時貴族や位の高い女の人が冠った”市女笠”に似ているためかな、と思った時期もあったがそうではなかった。

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2008年4月14日 (月)

鳥尽くし

Img_0054 足元から突然飛び出したのは、雉のオスだった。

私に気がついて叢に潜んでいたようだが、我慢の限界で飛び出したようだ。

いつもならいきなりバタバタッと羽音も激しく飛び立つのに、今日はすぐ傍に地味な色をした雌がいて、巣作りでもしていたのだろうか。飛び出した後を見ることも無く、トットットッと走っていく、、、。

その様は、「優美な後姿を見てくれ」とも取れるし、近くにいた連れ合いに、背中を見せ「これが男の背中よ(生き様よ)」といっているようにも見える。

「まてまて、敵に背を見せるとは卑怯なり」とばかりカメラの調節もいい加減に写し、トリミングしたのが上の写真。

人間と違って、鳥は両側に目がついているので、真後ろも見えるというのを聞いたことがある。その通りなら雉は逃げながら此方を確認し注意を引き付けて、雌を庇うという。雉なりの計算づくだったことになる。

それを、擬人化してものを考えるのは大間違い。

Img_0064 午前中、雨模様の天気だったので散歩は午後にしたが、雉を見たあとに北帰行をあきらめたらしい小白鳥を見ると、此方は人怖じも無く全身をさらけ出したうえ口を半開きにしている様は、なんだか緊張感が無くてアホ面に見える、、、、、これも擬人化しすぎ。か

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今日の鳥。左、ツグミ。今では時効だろうが五十年ほど前までは盛んに食べられていた野鳥。秋遅くに大きな群れを作って渡ってきたものだ。あれは北陸のほうだけだったのか今では群れを見ることが無い。 右、小鷺。足をブルブルと震わせて餌になるものを追い出すパドリングを繰り返していたが、上から見る分には自分で、自分を突付いているようにも見えた。

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2008年4月13日 (日)

見てみて、、と

Img_0034 庭の隅に見慣れない花があると思ったら木瓜だった。

他の樹の陰になっていて忘れていたものだったが、肥料もやっていないような気がするのに花がずいぶんと大きい。

さし渡しが5センチもあり。周りの葉の色とマッチして鮮やかに輝いている。

ひょっとして見捨てられるのを心配して自己アピールするため、こんなに大きくなったのだろうか。「見てみて、、、」と

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今日は日曜日。しかし、昨日のタケノコ取りが響いたのか疲れがとれない。終日の曇り空もあってけだるい一日になった。こんな調子では泊りがけの山登りは無理なんだろうかと、肩と腰をさすっている。

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今日の花。左、大手鞠、手でつく鞠に似て丸いボンボンのような花を咲かせる。近くで見ると紫陽花に見間違うような形をしているが紫陽花はもう少し先。 右、裏白(ウラジロ)名前の通り冬になると裏が白くなり、縁起の良い草として神棚に飾られたりするが、今新芽の出どきシダ植物の特徴であるゼンマイをかかげて伸びだした。

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2008年4月12日 (土)

翁の竹(の子)取物語

P1010020 碇草(イカリソウ)が咲き出した。

花の形が碇に似ているところから付けられたというが「なるほどな」といった感じがする咲き方である。

この草、インポテンツや腰痛に良く効く薬草だと聞いたが、花言葉は「あなたを捕まえる」静岡の一部で「嫁取草」だと言うにいたっては、よほど効き目があるらしい。         

「爺も試してみるべか」

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P1010001 (土に埋もれていたタケノコ。この後曲がり具合を確かめて掘り出す)

竹(の子)取りの翁は今日も鍬と籠を背にして瀬名の山に登る。

手伝って欲しいという地主の後について、、、、竹林に着けば足裏に神経を集中してタケノコの感触を探り、僅かに地面から顔をのぞかせたタケノコを掘り出す。

たまには金色に光った竹が無いものかとも思う。でも、もしあったら今からまた「子育てもかなんな~」と見ぬ振りをして通り過ぎようか。通り過ぎたら神さん罰当てるかな?なんて考えながら、片頬ににやっと笑ってしまう。

竹林は、傘を差して歩けるぐらいの幅で竹を切っておく。そうでないと良いのがでてこないという。ほったらかした挙句密生して足の踏み場もない所は竹薮といい、タケノコは出てこないし、もし出ていたとしても掘りにくくてたまらん。

今年に入って、今日で4回目タケノコも次第に太くなってきたが、掘っていて思うことは、これは、竹と人間の一種の戦争ではないかという気がする。

蛸壺に潜っているタケノコを無理やり掘り出し根こそぎ持ち去り、結局は5月に入ってタケノコ堀をやめた後に出てきたものがかろうじて息をつく、、、そんな感じかな。

竹。といっても孟宗竹なのだが、江戸時代になって日本に広まってきた種類で、もともとは中国から持ってきたものという。これが、管理されている間は良かったのだが、最近になって山が荒れ、繁殖力の強さから範囲をドンドンと広げて、竹害が大きな問題になってきた。

この山で今日は、170本ほど、計200kgほど採取したが、山の斜面を登ったり降ったり、背負い籠で自動車まで担ぎ出す。

お昼の握り飯を食べて一休み、元気が出るかと思ったら、逆に気が萎えてきていい加減な掘り方になる。充分にタケノコの周り掘らないうち鍬を打ち込むものだから、、、、、、爺はその後の作業はやめて座り込み、傍らの碇草を眺める。

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2008年4月11日 (金)

春はまた一段と

Img_0087 昨日の雨で麻機遊水地の水位が大分上がっているようで、上から見ると水鏡のように中の道路と芽を吹きだした柳が写っている。

池ヶ谷から農道へ上がり、第二東名取り付け道路のほうに降ってかえって来たが、季節はまた一段と進んでいるのが、見て取れる。

Img_0074 道の上下で鶯が声較べをはじめ、のどかな気分で歩くが、鶯のほうはそれどころではないらしく、我慢しきれなく一羽が、木の枝の上にまで上がって全身をさらしながら鳴きだした。

普通鶯は、低い藪の中で鳴くものだがと思いながらモデルになってもらった。

降ってくれば、踊子草も今が盛りと咲きそろって、花傘を振りたてて今にも踊りだしたそうな雰囲気を漂わせている。

Img_0097 揃うたそろたよ 踊子がそろうた

稲の出穂より なおそろうた              

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Img_0117 池まで来れば、昨年末からここに住み着いている小白鳥の幼鳥は、北国へ連れて帰る親鳥がいないためか、それとも、人の手から餌を貰うことに味を占めたのか警戒心を少しも持っていない様子で、まだ岸辺近くにいる。

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聖火リレー2

くどいようだが、オリンピックに聖火リレーの映像を見ていると、アメリカではコースを変え人のいないところや自動車で逃げ回っているような走り方をしていた。そんなにまでしてやらなければならないことなんだろうか、とつくづく思う。

中国外務省の報道官の話し方もテレビでしか見ていないが、全て他人のせいにして、何故こんな風になったのかに目を向けようとはしていない。また、報道官の会見に質問などは無いのだろうか。なんだか一方的に発表しているだけにしか見ないんだが、、、、。

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今日の花。左、花梨(カリン)木瓜の花の仲間だと聞くと納得できる。日の光を通して輝くように咲いていたので、、 右、母子草、春の七草のひとつ、他の花に紛れて目立たない存在になってしまった。名前の由来は産毛が生えてほうけだっているところからホウケグサといったのが、転化したという説が有力らしい。

Photo Img_0062

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2008年4月10日 (木)

権利の乱用

Img_0047 終日の雨となったが一昨日の雨風と違ってシトシトとした降り方だった。

Img_0044 庭の遅咲きの椿や小さなモミジも出たばかりの若葉の上に水滴をとめて、寒そうに震えているかのごとくゆれている。

今日は、用事もあって街中へ行ってきたが、雨のためもあって人通りは少ない、そんななか交通安全の旗を持ちチラシと袋入り携帯ティッシュを配る小母さんと今年六月から始まるという煙草買い入れ時のタポスカードの作成テントを見たが、いずれもなんだかなぁ~という感じがした。

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昨日の党首討論のニュースを見た。ニュースなので一部分だけの抜粋だから流れは分からないが、面白いなあと感じたのは福田総理が「権利の乱用をしないで」と言っていたことだった。

権利の乱用とは、多分日銀の総裁問題、ガソリン税、などが今まで見たいに簡単に通らなくなったことを意味していると思うが、それは、今まで政府や与党にとっての話であろう。

いままで、両院で多数を占めてきたときには数による倫理で、国民に分かるように審理してこなかった政府、自民党、公明党が権利を乱用してきたのを自分では分からなかったみたい。で無ければこんな発言はしないはずなのだから、、、、、。

人の振り見てわが振りなおせ!

そして、参院で野党のほうが議席が多くなったのは、今後こういう流れで行くという認識が出来ず昔のままでやろうとしたことにあるはず、「誰と話していいか分からない」とというに到っては、密室政治で問題を解決し用という姿勢を如実に示している。国民にもっと説明し指示をつかむ。ということが分かっていない。

支持率も、調査する所によっては24%だといわれ、国民の大半から指導力の無さを指摘されているのに、サミットまで、何とかしがみ付いて出席したいらしいのは首相の権利、利己心だけだと思うがどうなのだろうか。

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今日の花。P1010017 P1010023 左、破れ傘(ヤブレガサ)若芽の時の格好が名前のとおりなので、右、バイケイソウ、春、土から顔を出した時は柔らかくおいしそうに見えるため、他の野草と間違えて中毒を起こす人が耐えない。何れも白水山で写す

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2008年4月 9日 (水)

見合って見合って

Img_0025 (喧嘩の前にひとしきりにらみ合っている、行司役もいて大相撲並み)

午後になって、谷津山をこえ、護国神社に降りてみた。

桜も、樹によって散り方にばらつきがあり、まだかなり花をつけているのがあった。風の当たり方や咲いた時期の速い遅いがあったのだろうか。

しかし山の景色は、一変したように感じる。もみじや欅を中心に若芽が瑞々しいきみどり色で噴出し、青空越しに眩しい感じを与える。

Img_0033Img_0035  ドウダンツツジも、刈り込まれた生垣のものと違って、伸びきった枝先に連なり下がる様子はうつくしい。

境内には、放し飼いの鶏があちこちで鬨の声をあげ、雄同士が闘鶏のように強さを競っている。しばらくしゃがんでみているとルールーがあるのか無いのか、ひとしきり蹴り合いをした後、何事も無かったかのように一緒に餌を啄ばんでいる。

Img_0024 「鶏は三歩あるくと忘れる」と言われているがそのせいか、はたまた、本気の喧嘩でなしにじゃれあっただけなのか。

聞いてみないと分からない所、、、、聞いても当人が喧嘩したことを忘れているなら仕様がないことだけど。

そのあと、いま開花中だと聞いた鬱金桜をみて帰る。

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今日の花。左、御衣黄(ギョイコウ)桜色の花といえば薄い桃色が相場だが、黄緑色の花びらをしている御衣黄と鬱金桜(ウコン桜)は桜の中では異端児か、とにかく写し映えしない。青空をバックにしても曇り空でも、、、両方の花の見分け方。看板によるしかないが、中心部に赤味があるのが御衣黄で薄緑一色が鬱金桜と判断しているが、正確かどうか、、、、、

Img_0082 Img_0019

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2008年4月 8日 (火)