十五日の夜、山上の参篭所敬愼院に泊まることを決めたのは、七面山から降ってきて富士山遥拝所で富士を眺めている時だった。
寺男と思しき法被を着た老人が傍に来たので「まだ時間も早いしこのまま下ろうか、泊まって明日のご来光を拝もうかと迷っている」と言った所、「今日は人も少ないしいいんじゃないか」ということで案内されて受付に向かう。
本堂前では、「礼拝をして」と言われ、受付で宿帳に氏名を書いていると、受付に「予約してくれないと困る」と言われたが、予約も何も今決めたばかり、それでもただ「はいはい」と素直に応じた。
とにかく後になって何回も叱られたり、指示されたが、普通の宿と違ってお寺側の方が偉く、泊まらせてやるといった感じがする。それも参篭というのなら仕方のないことか。
部屋は、B-4とかで三間/四間の大きな部屋ですでに先客が五人とリュックがおいてあり「お願いします」と挨拶し、一角に荷物を置いた。
先客との雑談はすぐに身元調査、別に隠すこともないし話していると、ほとんどが60代。一番若くて55歳とのこと。北海道から毎年飛行機と電車で来ている人は信者だがほとんどは山登り目的。団扇太鼓で登ってきたグループは別室と色分けされているようだ。そんな話をしているとつぎの客が案内されてきた。見ると外人さん。その人がフランクさん(仮名)
彼は、私の傍に荷物を置いて外人特有の表情豊かな目で挨拶。すぐその後、受付の人が来て「予約をしているのか」と日本語で話しかけるが、お互い意味が通じない様子。勿論私を含めて同室の人も英語が駄目。
結局、奥の院に電話してみたらとのことで、一旦荷物をもって出たがまもなく戻ってきた。なんでもこの一年四度もここに来たことがある人だという。(泊まったことが無かったのかな?)
その後、「風呂が出来ている」ということで一番風呂に入っていると彼も来て、仕草で風呂の入り方を聞くので、湯船から湯をすくって身体を洗うことを教え、一緒に並んで「何故、この山にばかり何回も来るのか」と聞こうと思ったのだが、ボキャブラリーが貧弱で言葉が通じない。かろうじて春の若葉、秋の紅葉、冬の雪が、、、、、年中緑一色のオーストラリアには無い魅力だと言ったように受け取った。
その裸の付き合いが良かったのか、相性がよかったのか。部屋に帰って同室のほかの男の人が自分より達者な英語で話しかけたり、差し入れしたりしても笑顔で手を振って断り、ずっと自分の傍にいてお互い首をかしげながら、まだるっこしい話しをボツボツと続けて過ごした。
五時、早い夕食をいただく。一汁三采の精進料理を食べ、終われば本堂で御開帳。
多分キリスト教徒であろうフランクさんに無理しなくてもと言っていたが、お寺のほうではすべての宿泊客は内陣に入って「ご開帳に参加せよ」とのこと、「郷に入っては郷に従え」の説明がこれまた難しくて出来ず、イスラムのスンニ派とシーア派の戦い。キリストとイスラムの戦いのように日本は宗教の争いで殺し合いをしない。
自分は曹洞宗、この寺は日蓮宗だが別に信者になるわけではない。結婚式や葬式には神社で有ろうがお寺であろうが、教会であろうが、とにかく何処にでも顔を出すのが日本の風習だとほとんど日本語と手振りと英単語で説明、、、、(理解できたかどうかは、、、、?)
そして、ずいぶん昔のことだが、ろくにスペイン語が話せないときにパスポートをもってリマのホテルに入ったときの自分と比較していることに気がついた。
それでも理解できたのか、大人しく一緒に付いてきてくれて正座、拝み方、焼香も無事終了。そのすぐ後に日没の富士山を見ようと誘いを受けて一緒に行くが、雲海の上に顔を出しているものの西空の状況が良くなく墨絵のように次第に暗くなるだけ。
部屋に帰ってみれば、これはなんと長さ5mくらいの長い布団が2列になって部屋中に敷いてある。何度も来たことのある人の説明では、頭を廊下側にして好きなところに枕を置けばそこがその人の寝る場所だとのこと、グループごとに分かれると、一人で来た自分とフランクさんが端っこを取る事になり、男女合わせて16人が目刺しのように並んで重い布団に入って横になった。
テレビも無く、九時就寝という張り紙も、することが無ければつい瞼が重くなり、八時前にみんな御寝みタイムに入り消灯したが、早寝した分、翌朝四時までは隣のいびきも含めてずいぶんと長い夜だった。
.
今日の花。左、梅花黄連(バイカオウレン)やや湿った場所を好み、黄色い根を出して広がるところから名付けられたようだが、マスカラのようなメシベが面白くて。右、白花延齢草、(シロバナエンレイソウ)白花がこんなに密生しているのも珍しくて写す。
最近のコメント