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2008年5月31日 (土)

いまにASIMOが

Img_0112 毎日見ているつもりがいつの間にか田んぼに水が入り、田植えの済んだ田があちこちに増え田んぼには青い線が等間隔に引かれている。

田植え機で植えた後、不都合な所に稲を挿して修正する”昔早乙女”がひとり。ひとっころは三ちゃん農業と呼ばれた田植えも、最近では後期高齢者農業に変わりつつある。

後期高齢者が田んぼに出られなくなったら、どうなるんだろう。さしづめ”ロボット農業”とでも言うか。「ASIMO (アシモ)当たりがヒョコン ヒョッコンと田んぼに入っているんだろうな。

用水路には溢れんばかりに水が走り、梅雨空と言っても差し支えないような雲が、竜爪山の上のほうにかかり、いまにも此方へ来るかといった状況の中そんなことを考えてしまった。

日本の未来は明るいのだ !

Img_0142_2 麻機田んぼの隅に木賊(トクサ)が生えていた。いかにも中生代からの生き残りといった感じ。スギナの仲間だというが、枝も葉も無くスーッと立ち上がった先に土筆のようなボッチを付け、触るとかすかな煙のように花粉?を漂わせている。

こんな時期に花粉を飛ばしたのだろうかと子供の時の記憶をたどってみたが、定かではない。ただ、引っこ抜いてはまた挿し直したりして遊んだことや、やすり代わりのするため山に採りに行ったりしたことが思い出された。

いまでは、なんでも豊富にあるため利用価値も無くなったことで、伸び放題広がり放題かと思っていたが、案外そうでもない所を見ると、繁殖力はスギナほど強くは無いらしい。

それにしても、夏場に見る黒っぽい緑の猛々しさはまだ無く、若々しい緑と黄色身を帯びたツクシンボの取り合わせは下手な花より新鮮できれいである。

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今日の花。左、撫子(ナデシコ)多分庭から逃げ出したものだと思う。 右、野蒜(ノビル)こんな可愛らしい花を咲かせたあと、芽が出てから地面に落ちて広がる。

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2008年5月30日 (金)

絽の着物で

Photo 朝方の空模様と昨日の天気予報でおもわず腰が上がりかけたが、その後みるみるうちに雲が張り出してきて予定を変更、家族慰安ドライブに切り替えた。

行く先は、朝霧高原のミルクランドで野菜などの買物と田貫湖周辺で遊んで帰ろうと言う予定。

ミルクランドに着いたのが丁度昼時だったので、軽いものでも食べようかと、付属のレストランに入ってみたら、これがバイキング形式の食堂。何時から変わったのか戸惑ってみたが入ったものは仕様がない。

バイキング料理、出してあるものを好きなだけとって食べる、という方法は日本独特のもだそうだが、食べ盛りの時にはこんな有難いものは無いのだろうが、今の我々では元どころか、、、、まして、メタボなどと言われては、、、

それでも幾分余分には食べてしまったけどね。味は結構良いほうだが、肉類が多いかなといった感じ。しかし、ミルクランドときては始めっから分かっていることだもの、此方が悪い。

Photo_2 食事を済ませて田貫湖にまわり駐車場に車を入れて、周辺を散策してみたが、草花には一番悪い時期で偽アカシアと顔剃菜(コウゾリナ)くらい、それにカナダガンがアヒルのように居ついてしまっていた。

長者が岳、天子ヶ岳は若芽の時期を過ぎてかなり色濃くなっているし、雲も厚く富士山も見えない。

三時過ぎ、芝川町を抜け久し振りに富士川町の松野から由比町に抜ける道を選んでいくと、この当たりはいま、空木の花盛り。

Img_0103 途中で、空木の蜜を吸いに揚羽蝶がいたので車を停めてみると、約10羽の麝香アゲハが30m範囲に群がっている。

麝香アゲハはどれも若い固体らしく羽なども生き生きしていて気持ちがいい。まるで、暑い夏を絽の羽織で過ごそうとしているように見えなくも無い。

通りすがりに声かけたいね    「よっ! お姐さん粋だねぇ」と、、、

今日はあちこちと廻ったのに写真になるものもなく、無収穫だったのかなと思っていたが、神様は今日一番ハイライトを最後に取って置いてくれたようだ。

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今日の花。左、桜空木、空木の中で一番上品色合いを出している。右、花がごく細かい空木のような木、名前はわからず。

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2008年5月29日 (木)

運動会にも見えるが

Img_0051 朝方から小止みもなく降っていた雨も昼前にはどうにか上がった。

代掻きも済んで、一面湖水のようになった田んぼに何かいるのか亜麻鷺と同じくらいの大きさのチュウサギが集まって走り回っていた。

鷺同士、何かを見つけると他の鷺が奪おうと追いかけっこになり、見ている方としては運動会にしか見えないが、追い駆けっこをしている側としては、生きるための真剣勝負、、、、。

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Img_0064 枇杷が黄色く色づいてきた、試し一番熟しているものをひとつ今年の初物とて、食べてみてがまだかなり酸っぱさのほうが勝り、取り入れはもう少し先になるだろう。

「桃栗三年柿八年 枇杷は九年で生りかねる」

柿八年の後の続く言葉はいろいろあるが、枇杷も実を付けにくい果樹の一つであるうえ、当たり年が何年かに一回というようにあまり商売に適した果物ではない。

その代わりでもないが芽出しはかなり旺盛で、以前に貰った枇杷の種を撒いておいたら翌年野菜のようにウワッと一面枇杷の若芽だらけになり慌てて引っこ抜いた経験がある。

子どもの歌に「枇杷はやさしい 木の実だから 抱っこしあって 熟れている、、、」 という歌詞の歌があり、聞いた覚えがあるがその先は知らない。

また、「枇杷の木は家の周りに植えるものではない。病人が出て家がつぶれる」という話もあるが、枇杷にかぎらず、一年中葉を落とさない木は、高くなったとき日陰になった家がじめじめとし、健康に良くないことを言ったもので、当たっているといえよう。

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2008年5月28日 (水)

やっかみ半分に

Img_0002 一昨日の沖縄地方の入梅宣言にに引き続き、今日は九州南部が梅雨に入ったと気象庁は言う。

私の住むこの町の上にも近いうちに、じっとりと湿った雲から、露が滴り落ちてくる鬱陶しい季節も間近くなってきた。その前にどこかへ一度上って来ようとは思っているのだが、、、、

近所の家の庭に真黄色に熟れた小梅が生り、道端に落ちていたが、この様子ではしばらく留守にしているらしい。”モッタイナイ”という気持ちと顔も見たことのない人だが病気か何か事情があるのだろうな。と思わされる風景だった。

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またまた難しい言葉を引っ張り出してきた。

「身土不二」(シンドフジ)。身体と土地は一体のものである。という意味で、もともとは仏教用語だったが、大正時代に入って「四里四方の物を食べる」という運動から”地産地消”の意味を持ってきたという。

人は身近に出来た食べ物で生活するのが一番健康に良いというもので、最近のように交通の便が良くなると地球の果てから来た食べ物が氾濫し、日本では食料自給率が40%を切る所まで行ってしまい、四里四方が直径2万kmになってしまった。

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前に、テレビでやっていたが、人間はチンパンジーなどの類人猿から分かれた当時は皮膚の色が白かったという。それが、身体を覆っていた毛が退化すると紫外線の影響を和らげるためメラニン色素が多くなって黒くなり、アフリカを出てヨーロッパを北上しだすと少ない紫外線からビタミンDを合成するためメラニン色素が少なくなり、肌の色が白く。アジアに向かった人は紫外線とビタミンD との関係で黄色になったという。

人類が長い年月をかけて、生存範囲を徐々に広げていく間に少しづつ現在の肌色になったそうだ。

しかるに、交通の発達は一挙に住む場所を変更するため、オーストラリアなどに移住した白色人種は紫外線を遮る要素が少ない弱い肌に諸に受け、皮膚がんの発生率が多いそうだ。

逆に、イヌイットたち北極圏に近いところに住む黄色人種は、他の動物から得ていたビタミンDを食料の欧米化により骨がもろくなり、くる病や貧血気味など健康に良くない面が出てきているという。

やっと何十年か前、我々は米をはじめ野菜などを消化するため、欧米人に比べて腸の長さが長く、そのため”胴長短足”は日本人の宿命と思っていたが、最近の若い人を見ると体形が変わってきた。

これも食生活に関係していると聞くと、あまり急速な変化はきっと近いうちに破綻が来る前兆だと、やっかみ半分に行っておこう。

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2008年5月27日 (火)

柘榴は紅多数

Img_0031 今日も暑い一日になり、午前中は、庭木の剪定と冬用のカーペットの洗濯をした。

午後になって気温がさらに上がり、多分三十度を越えたのではないだろうか。

少し気温も下がったのを見て、四時ころになって麻機沼の土手を歩いていたら、水面を吹きわたってくる風が爽やかに感じられた。「もうこんな季節になったのだな」と感じられる一日になってしまった。

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Img_0037 散歩の途中、柘榴の花が咲いているのを見た。その色は真っ赤の一語、つぼみがまた変わっていて瓢箪のようにくびれている。ヨーロッパ、特にラテン系の人に好かれているのは色の鮮やかさだろうか。

Img_0035 前にも”紅一点”という言葉の語源は、北宋の政治家であり詩人の王安石の「咏 柘榴」というものの中の一説であると書いたことがあるが、その咲きようはとても「紅一点」ではなく、”万緑叢中紅多数”としか書き様が無いはずなのに、、、、それとも昔の柘榴は花が少なかったのか。

ペルシャ生まれのこの木は、何処が好かれたのか日本に渡ってきたのは平安時代というから、仏教にも関係が有ったのだろうか。(鬼子母神に子どもを食べてくなったらこの実を変わりに食べよ、といったそうだから、赤い果汁を人の血に見立てたのか)

しかし、果物好きの私でも、種ばかり多く、酸っぱいばかりのその味は、あまり好きな果物では無いが、豊穣、子孫繁栄などの花言葉を持ち血のように赤い果汁などが、ヨーロッパ、特にラテン系の国で好まれている。

余談ではあるが、ペルーで柘榴を並べている店で名前を聞いたら”グラナダ”(Granada)と答えられたのにはびっくりし、何度も聞きなおしたことがある。

グラナダとはアンダルシアの有名な都市であり、どんな関係で名づけられたのか知らないが、多分これが好きな王様か、イスラム教徒のムーア人が最後まで抵抗したことに何かあるのではないかと推測している。

そんなことを考えながら歩いていたら、近所の幼児が散水用のホースを振り回して遊んでいて、一しぶきかぶってしまった。

幼児の母親はしきりに謝ってくれたが、私の妄想は、ここで打ち切り、、、、、

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2008年5月26日 (月)

蒸し暑いですね

Img_0017 蒸し暑いですね」というのが昨日今日の挨拶。

急に湿度が増した分暑さが身に沁み、コバエ(猩猩蝿)が大量に発生した。多分食べ物の使い余しなどの塵がの腐敗が原因だろうと思われるが、文字通り「五月蝿い!」と一喝してみたが通じた気配はない。

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静岡市のシンボルフラワーは”立ち葵”である。その謂われは徳川家の紋所が三つ葉葵にあったことにあると聞いた。

三つ葉葵は双葉葵の葉をデザインしたものだから、立ち葵とは関係のない植物だが、静岡市の徳川に対する思い入れというものは、大御所といわれる時代に住んだことによってかなりなものになっている。

何度も書いたのだが、なぜ、その前の今川氏が無視されているのか。多分「勝てば官軍」または、明治維新の際、徳川さんについてきた人の子孫が、、、、と勘ぐってしまうのだが、下司の勘ぐりか。それとも、市側の贔屓の引き倒しか。

今日は、何とはなしに駿府公園のほうに足が向いていってしまった。行く途中二組の遠足児童と前後し、その賑やかなこと、きっと何十年か後の同窓会なんかで思い出の一つとして語られることになるんだろうな。

Img_0015 先年再建された東御門の傍にも立ち葵が何本も綺麗に立ち上がっており、発掘された堀の石垣脇に咲いている真っ赤な立ち葵を写生している女性や門の脇でカメラ(私以外の人)を構えている人がいたりして、夏の雰囲気をさらに増していた。

(写真右”面壁三年”のように石垣に向かって座り込んでいた女性画家)

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今日のテレビは、昨日の横綱対決の相撲で、朝青龍の駄目おしを批判する批評でいっぱいだった。相撲の品格がどうのこうのと声高に言う批評家にはうんざりしてしてしまう。

どうも、この手の人々は朝青龍を悪者にすればそれで飯が食えるとでも思っているかのようだ。どんな競技でも戦う以上最後の最後に逆転ということが無いわけではない。そのためには駄目押しといわれようと確認しなければならないし、試合の流れから思わずということが無いでもないはず、、。

土俵下に落ちた相手に砂を掛けるなどしたら、もってのほかなのだが、そうではなかったはず。

もうそろそろ、相撲は国技だと言う看板を外したらどんなものだろう。だって、日本人力士が優勝したのは何時のことだったか、大関と言われる人たちの不甲斐なさはあきれるばかり。まるで、ここが安住の地と決め込み、上に上がって責任の思い仕事はしたくないといい加減にお茶を濁しているようにも見てと取れる。

以前に相撲関係者の意見として「相撲はただのスポーツではない。目上の人に敬意を表すことがこの世界の誇れる所だ。若い力士が仕切りから必要以上ににらみつけたり、先輩に平気で張り手を見舞うとは、、」と言っていたが、先輩に敬意(その値打ちがある人なら)を表すことはどんな社会にもあることであり、あとの事とは関係ないはず。

にらみ合いも、張り手も、この言葉から言うと先輩ならしても良いが、、、と取れ、それがおかしいとは思っていないようである。

それより、場所中に暴行が発覚した理事をしている親方は「しごきは当然」といっていたが、先輩や親方は何をしても構わないという姿勢が世界に誇れるところなのだろうか。土俵上のにらみ合いより、感情で竹刀を振るい、殴ったほうが大きい問題であろう。

にらみ合い、駄目だし大いに結構。と豪快な朝青龍がなんとなく好きと、応援している者としては、テレビ局の何とか問題にしてやろうとする姿勢の方に反発する。

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今日の花。左。毒溜(ドクダミ)いろいろな当て字の感じがあるが私はこの字が好き。薬効はいろいろあるが、膿んだところに生葉をつけるのが多い。久し振りに先日厄介になったが背中の腫れもこれで完治。下手な薬よりよっぽど効きまっせ。右、岡虎の尾(オカトラノオ)す~っと伸びた上体を虎の尻尾に見立てたか。これもすでに味見している。蓚酸の酢っぱみが適度で良く食べた。

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2008年5月25日 (日)

桜桃も熟れて

Img_0042 昨夕以来の雨も小止みになったところで孫に電話する「じいじっ家のサクランボが赤くなったのでおいで」と、、

早速母親に連れてもらって来たが、露払いが上手く出来ず、じいじの。出番となった。上の孫娘は修学旅行土産の「八っ橋」を差し出したものの、去年までのように桜桃に取り付くようなことはなかった。

そのため、小学校4年生の男の子も競争相手がいないサクランボ取りはあまり面白くないと見え、早々に切り上げてしまう。だんだんにサクランボぐらいの撒き餌では飛びつくような子どもっぽさがなくなるのだなと思うと、孫どもの成長を喜ばなければならないのだが、寂しさの面が強くなる。

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N Y原油が1バーレル135㌦になり、史上空前の高値を更新したそうだ。「この分では近いうちにまた上がるんずら」という声が聞えてきた。

需要や生産高がそんなに上がっている訳でない。ということはだぶついた投機資金が先物買いに走っている為だということだが、「人を困らせて自分たちの欲望(マネーゲーム)満たすことに精を出している連中」に罰が当たるのを待っている。

しかし、神様は不公平で、罰を当てるのに別な方向に持っていくことが多く、生活に困っている人をさらに虐めることが多い。

むかし、トルコからヨーロッパに持ち込まれ、改良されたチューリップの球根が高値で取引され、高いものになると豪邸一軒に当たる値段で取引されたとの記録もある、今考えれば「たかが球根一つで」と思うが、当時その波の中に飲み込まれていた人々には分からなかったことであろう。

今の石油も国家間の買占めになると、そんな馬鹿げた状況が生まれかねない。

私自身、ここ一ヶ月の間、ガソリンを入れたこともなく、自動車の運転はかなり減っている。

政府が三月に言っていた「ガソリン税を下げると自動車が走り回って、排気ガスを発生させ地球温暖化に悪い影響を与える」の通りになった。さすがに先見の明がおありだったんだ。

しかし、他の人も同様だとしたら予定の道路特定財源の税金が入って来ず、コッコから地方に払った税金は足りず、年度末には大慌てするのではないだろうか。

ところで、他の人はどのくらいまでガソリンの値上げに耐えられるのだろうか。とりあえず明日当たり自動車税39,500円を支払ってくるつもりなんだが、、、。

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今日の花。左、浜梨(ハマナス)実の形から浜になる梨だったのだが、東北弁でハマナスと聞いたのが名前の由来だという。英語ではジャパニーズローズというそうで「日本の薔薇」とはたいそうな名前を持っているで。右、金鶏菊(キンケイギク)の花の上で愛をはぐくもうとする紋白蝶。雌のほうが尻を上げて受け入れ態勢をとっているのに、オスのほうが不器っちょで、、、上手くいかない。

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2008年5月24日 (土)

馬鹿ばかしい人?

Img_0112 目には青葉 山ほととぎす

          はつ松魚

江戸時代から江戸っ子を中心にして親しまれてきた季節を表す句である。

朝の九時過ぎから少しづつ降ったり止んだりしていた雨も夕方に入って音も立てないほどだが、シトシトとした降りかたになってきた。

天気予報が、降水率90%だなんていうので、よほどの降り方をするのかと思って外出を控えていたが、降水率だもんな。降雨量ではないので文句も言えないか。

外出できないとなると、昨日までの暑い天気が懐かしくなる。先日の七面山や天津山での気持ちよい新緑が懐かしい。(上の写真は岩岳と天津山の間の若葉)

山の両側に柔らかい葉を広げた若葉は、花と同様に日の光を吸い込んで芳しい香りを降り込んでくる。

ホトトギスは、”ホッチョチョギス”と自分の名前を名乗り上げはじめると、止む時を知らない。あっちの尾根こっちの谷と渡り歩いて自己主張をし、鶯も負けじ”法法華経”とお題目を唱える。

本当に「青春」とはこんなことなのだと思い、人の”青春”を当てはめた人は何処に共通点を求めたのだろうかと思わず余計な考えに惑わされてしまい、鳥の競演をおもわず聞き漏らしそうになる。

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そして、上の句の最後にある”はつ松魚”富山の魚で育った私には生のカツオの良さがまだ分からない。「どうしても美味い魚とは思えない」と言ったところ「一度美味い店を紹介しますよ」といってくれた人がいたがそれっきりである。

カツオとは鰹魚(固い魚)から変じて武士の間から「戦に勝つ」にちなんだ勝男という字を当てはめた縁起物ものだとしか思えない。徒然草には、「はかばかしき人の前へ出づること得らざりき」つまり、身分の高い人の前に出せるものではないと、言っている。

私は、はかばかしい人ではないけれど、炙ったり生姜で臭みを取らなければ食べられない魚に、「女房を質に入れても、、、」というほどの魅力を感じないし、江戸っ子を任じている人も見栄だけで言っているような気がして仕様がない。

しかし、本当に生のカツオを美味いと思っている人は、私のことを”馬鹿ばかしい人には美味いもの食わすな」と言っているんだろうな。

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今日の葉っぱ。左、白ヤシオ  右、赤ヤシオ。同じヤシオツツジだが葉っぱの形がかなり違う。同じ場所で同じ時期に咲いても交配しないのは遺伝的にはかけ離れているのかも、、、

Img_0064 Img_0076                  

.左、イタヤカエデ  右、リョウブ。尾根筋に萌え出ている芳しい若芽の一部Photo Img_0047

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2008年5月23日 (金)

香りと臭いをかいで

Img_0045 この花の名はクサノオウという。

漢字で書くと「草の黄」とも「瘡(くさ)の王」とも言い、極めつけは「草の王」いう御大層な名前だというが、どれが本当なのやらと言ったところ。

子どものころは、この花を折ると黄色い液が出、臭かったので傍によることも無かったことを憶えている。

この草は薬にもなるが結構毒性が強い草であり、乳液に触れただけでかぶれる人もいたり、麻酔性のアルカロイドもあったりして自己流では決して使わないようにとのことである。

それを知ったのは大人になってからのことで、周りの大人はそのことに注意もしなかったのはどうしてなのだったか分からない。もっとも他の草についてもあまり説明を受けた覚えが無いのだけど、、、。

.加齢臭

肩甲骨の脇が少し腫れて来たので、搾ってもらったところにきびのように白い物がニュルニュルと出てきて、その臭いこと我ながらあきれてしまった。

これが、”加齢臭”と言われるものか。インターネットで調べてみたら、古本やチーズ、蝋燭に似た臭いで年をとった男に多いそうだ。

原因は、汗腺などにたまった脂肪酸が腐敗して臭い、首筋から背中など手の届きにくい所が多いそうだ。そういえば、自分も指摘された場所で五十肩ではないが次第に手が届きにくくなってきている場所のようだ。

風呂には毎日入っているのだが、散歩で汗をかいてきてもタオルで拭いて下着を換える程度、風呂は夕方だもの、  な。

それにしても、加齢臭を消そうとしてオーデコロンをぶちまけたような使い方をしている人がときどきいるが、かえって複合臭になるので逆効果だということ知らないのではないだろうか。            ご同輩気をつけて

よく、お父さんの下着は火ばさみで挟んで別に洗う、というのをテレビでやっている。自分の場合そのような仕打ちは受けていないと、思っている者の感想だが、、、、、。

Img_0039 今日は午後から甘夏採りの手伝い。急傾斜の山、木の天辺によじ登って顔を上げれば、眩しい日差しとともに風があちこちで咲いている花の香りを運んで来て心地よさは格別。

のどかな農作業だが、気温も高くなり汗が絶え間なく出て下着を、、、、、ああ、加齢臭のもと

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今日の花。左、扉(トベラ)、艶やかな葉っぱの中心に白から黄色の変わる小さな花をいっぱいつけている。珍しい名前の由来は邪気をはらうため鰯などとともに扉に挿したことからというが、邪気はこの木を折ったときの匂いが嫌いなためという。 右、キウイ。果物として定着しているが、サルナシの仲間。放置された農耕地で、毎年のように花を咲かせ実を付けている。

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2008年5月22日 (木)

恋の大騒ぎ

Img_0014 麻機沼は今騒がしい。

ジュッジュッジュルジュルジュッとオオヨシキリの縄張り宣言があちこちから聞えてくる。

姿はなかなか見せないし、人が近づくと鳴き止んでしまうためいっそ姿を見ることが出来ない。しかし、ときどき勇敢なのか、そうでもしないとよき伴侶に恵まれないのか葦の枯れ穂の先端に今日は出てきた。

霞み立つ遠くのオオヨシキリは鮮明には捉えられないが、風に揺れる穂先に乗ってゆ~らゆらと右に左に揺れる様は本人は別にしてのどかな一幅の絵のように見える。

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紋白蝶の手管

Img_0032 もともとは園芸品種として輸入され、庭で愛でられていた草花が脱走した挙句野山に充満してしまった例は数限りない。

柳花笠その一つであろう。ごく近い種類の荒地の花笠とともにあちこちで紫の花を咲かせている。ひとつひとつはごく小さいが、集団の力か甘い蜜が多いのか紋白蝶が群がっていた。

紋白蝶は、本来真っ白なはずなのだが、少し黄色味を帯びているのは、雌の蝶で受胎の準備ができていると言う合図だそうだ。

動物は、それぞれ識別できる光の波長が違っているそうなので、人間には見えない色、聞えない音を感受できるそうなので、この蝶の色も雄から見るとどんな色合いなのか知りたいと思う。

この蝶は花の蜜を吸っているそぶりで、他の蝶が入れ替わり近寄って来る雄の品定めをしているのだとすると、スナックで色付き水を舐めながら声がかかってくるのを待つ人間と同じことをしていることになる。

どこの世界でも雌に受け入れてもらうのは大変なことのようだが、人間みたいに初めから諦めて挨拶にも来ないというのは、他の生物の世界には無いのだろうな。

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2008年5月21日 (水)

山頂はまだ先(天津山1732m)

Photo 隈笹をゆらしながら吹き上げてくる乾いた風は、汗ばんだ身体に心地よくしみわたる。こんな風を受けると思わず出てくる言葉は昔ながらの「極楽 ごくらく である。

斜面のあちこちから鶯とホトトギスが競演しているが、考えてみれば、ホトトギスという奴は鶯が巣をつくり卵を産むのを今か今かと狙っているので、敵対関係にあるのだが、、、、鶯のほうはそれを自覚していない所に面白みがある。

とにかく今日はのどかな尾根歩きが楽しめて、幸せな一日であった。

昨日からの天気予報は快晴のマークを日本地図の上に散らし、明後日当たりから雲マークが多くなると説明していた。

ヤシオツツジにはまだ少し早いが、、と思っていたが、この天気予報では行きそびれると花は散ってしまうとばかり、天津山(下十枚山)に向けて出発した。

谷空木が道の上下に真っ赤な花を咲かせているなか、正木峠の駐車場に着いたのは午前八時を少し回っていた。先客はすでに一台車を停めて、上っている様子。

早速支度して、これで何回目になるか分からない上り口のお地蔵さんに挨拶をして上りはじめる。

いつもの場所で、雪笹や銀嶺草を写しながら四十分ほど掛けて地蔵峠、足の調子もよさそうなのでそのまま岩岳(1,682m)まで一気に上れば、時間はまだ九時十五分、意外と早く到着した。

Photo_2 お目当てのヤシオツツジは、地蔵峠を過ぎた当たりから赤ヤシオが目立つものの白ヤシオはまだのようで、気の早い奴はいないかと探していたらやっと一本だけ、、、それも寂しげな奴を。

岩岳山頂の標識の周りのものはまだ蕾が固く、花の見ごろは十日くらい先と見た。

この先行っても大したこと無いかと思ったが、ここまで来たのだからとさらに天津山に向けて足を伸ばす。

Img_0008 上のほうに見るものが無いとなると、自然に足元に注目は集まり、岩鏡、梅花黄連、深山方波見など小さな花を見つけては写すを繰り返して進めば、十時に天津山(1,732m)に到着する。

まだ先をという気もしたが、先週の七面山のように膝に来れば持病になりかねないと思い、引き返すことにする。

地蔵峠で昼御飯にしようと戻ってきて始めて人に逢う。どちらも同年輩。(それはそうだろうね、こんな日に山に来るのは、、、、)

そして、上の状況を聞かれたので、説明した後、話題は、先日十枚山で捜索された人、蕎麦粒山で亡くなった人の話になり、お互い高齢者登山「気をつけようね」となったが、どうにも抽象的。根本には自分は大丈夫という、根拠の無い自負が抜け切れない所にあると見た。

そんなこんなで、また山の花を撮り溜めたので明日にでも”08静岡 山野草”にリストアップをしようと思う。

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2008年5月20日 (火)

行きは良い良い

Img_0083 台風四号から吹き込む湿気を帯びた風がその先にある前線を刺激して大雨になり、予報の半分ほどだったが100㎜ほどの雨量になり、そこら中を水浸しにしたようだ。

遊水地代わりにもなっている麻機田んぼもその影響で田おこしをしてあるなしにかかわらず水に浸かってしまったようだ。

Img_0074 水面の拡大を喜んだ鮒や鯉は美味しい餌が無いものかと普段は入れなかった田んぼにまで入り込み、たんとご馳走に与かった模様であるが、気が付いたら水が引いて、食い意地のはった鮒が十尾ほど取り残された模様。

九時すぎ、雨も上がったのでいつものように散歩の出てみると、田んぼの中が騒がしい。見るとあちこちに逃げ遅れたらしい25~30cmの鮒が腹を横にしてヒラヒラとした感じの泳ぎであちこちと動き回り水を跳ね上げている。上にはすでに準備を整えた烏が電線にとまっている。

鮒の不注意であり自然の掟に反する行為かもしれないが、畦に近い所にいた四匹を手ですくい上げ川に戻した。

こんな時の鮒は、覚悟を決めたかのように手で引き寄せすくい上げる時も身動き一つしないで任せている。「まな板の鯉」ならぬ手のひらの鮒である。助かるか、食べられてしまうか判らないはずなのにどういう習性なのだろうか。

われわれも後期高齢者になったらこのくらいの覚悟が必要かもしれない。しかし、今の後期高齢者ほど美味しい御馳走(いろいろな恩典)は食べていない。のだが文句は言うまい。

さらに、中学の傍の小さな溝に来ると、50cmはあろうかという大きな鯉が、背中の半ばを出して下流に向かって身をくねらせていた。

多分昨夜の雨で増水した餌の多い排水路を上るときはこんなこと考えなかったに違いない。    

「ここはどこの細道じゃ、、、、、行きは良いよい帰りは怖い 怖いながらも通りゃんせ とおりゃんせ、、、」というわらべ歌もあったっけね。

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今日の花。左、蛍袋、空木も咲いて蛍袋も提灯を提げれば千両役者、蛍のお出ましの時期か。  右、レモンも花。淡い紫がかった花、しかし、酸っぱいレモンも香りは蜜柑などに比べると薄い

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2008年5月19日 (月)

卯の花の

Img_0062 卯の花の におう垣根に

 、、、、、、、、、夏は来ぬ

どこかに歌のような景色が無いかと探してみたが、ブロック塀ばかりの街中には、そんなところを見つけるのが難しい。

余談になるが「卯の花」と言えば豆腐の絞り粕の”おから”を連想する人もいるかも知れないが、名前の由来は、この花のよう白くてふわふわしている所から来たものであり、本家は花のほうにある。

卯の花とは、空木の花だとあるが、木の中身が中空になってスポンジ状のものが入っている木の総称で、種類は科の違う木もあって親類関係にないものがいくつもある。

生垣にするのはユキノシタ科のウツギを言い、剪定などかなり荒っぽく切っても再生する力がつよく、白い花が沢山咲いてこの花が咲くと”梅雨間近”を認識させる季節花でもある。

Img_0065 ようやく見つけたのがこの生垣、花の傍によると小さなころ嗅いだムッとする匂いが漂っていて「これこれ」といった感じ。しかし、手入れが充分でないのか少し早いのか花の付き様が今ひとつであった。

ユキノシタ科にはまだヒメウツギ、マルバウツギなどもあるが何れも白い小さな花をぶら下げている。

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中国の地震から一週間が経ってまだ生還できた人の記事が乗っている。そんな中、中国に派遣されたばっかりの日本人救助隊が引き上げてくるかもしれないとのこと、なんだか早すぎるのではないだろうか。報道以外に何かあったのでは勘ぐってしまうのだが、、、、、、

山などの遭難と違って、崩壊した瓦礫の暗い冷たい場所で長時間じっとしているのは大変なことである。鉱山勤めを経験した自分には冷たい岩盤がいかに寒いものなのかは、幾分でもわかっているつもりであり、毎年のように鉱山で殉職した人を見聞きした経験から、朝のご飯は必ず茶碗2杯以上食べることにしていた。

すこしでも食べて体力を作っておけばいくらかでも耐えることが出来るのではないか「若者よ 身体を鍛えておけ」という歌の文句そのままに、、、。

今年から健康診断にメタボリック健診というものが付くそうで40歳から74歳の人は腹の周りが男85cm女90cm以上あれば血圧、血糖、中性脂肪の具合を調べ、値が決められた数値を超すと医者の指導を受けなければならない。と決め実施するそうだ。

人はそれぞれ身長をはじめ個人差があるもの、それを無視して一律に決めた基準を上回る人を病人に仕立てて医者に掛かれ、薬を呑めと指導することになるという。(身長150cm腹囲87cmと女性より身長175cm腹囲87㎝の男性がメタボとはどうあっても考えられない)

それでは、痩せている人はみんな健康なのだろうか。腹周りが完全にオーバーしている自分から言わせると、痩せて腰が引けている人に内臓が悪い人が多いし、痩せていても血圧や血糖値に問題ある人を病院でよく見る。(ただ太り気味というのがそんなに悪いことなのか?)

最近、街中を歩くと昔のようにコロッコロとした健康そうな若者、特に女の子を見なくなった。食べるものも食べないで栄養失調気味のあの子達みたいな体形が良いというのだろうか。

あんな体格では、東海地震でもし生き埋めになったら、命の分岐点といわれる72時間はおろか瞬く間だろうなと思う。(精神的にも)

私は、今年囲い込まれるのを嫌って健康診断には行かないつもり。我慢できる間は病院にも行かないで、、、手遅れになればその時の運任せにしよう。と思っている。

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今日の花。左、箱根空木(ハコネウツギ)同じ空木姓を名乗っていても此方はスイカズラ科だというので赤の他人。この花は、子どものころ”ダニ花”といって嫌っていたが、実際ダニがいたかどうかは知らない。右、山帽子、花から言って花水木と同じ仲間ただ、赤く色付いた実は子どものころの貴重な水菓子であり、懐かしい思い出がたんとある。

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2008年5月18日 (日)

首筋ヒリヒリと

Img_0001 やはり年を感じた。昨日一日ほとんど家の中で過ごしたが、太ももとふくらはぎの張りが取れない。

今朝になって、このままでもと思い麻機山の農道をぐるっと廻ってくることにし出かけた。

そろそろ、定家蔓が満開になっているはず、という予測が当たり道路上下の壁に垂れ下がるように白いカーテンを下げている。

Img_0004 近くで見れば、4枚羽の船のスクリューのようにひねりの入った十文字の形をそろえて無数に咲き誇っている。

気温もかなり高い上、一昨日の七面山でそんなに日焼けしたとも思っていなかったのに、首筋に汗が掛かるとヒリヒリとしみる。

ここも少し来なかっただけで、季節が進み、あれほど咲いていた吸蔓(スイカズラ)が少し勢いをおとし、代わってヒメウツギ、白雲木の白い花。桑の実も黒いのがチラホラと混じっている。

.裸の王様

またしても、余計なものを見てしまった。夕方のテレビで、道路一般財源化したらどのくらい財源を道路の回しますか?という質問に、静岡市長は「僕の周りでは他に使おうと言う声が全然ないので全てを道路に回します」と全国ネットで答えていた。

「周りから全然聞かない?」この人は、前の選挙でも批判されていたが在任が長すぎて周りがイエスマンばかりになってしまい、外の空気が分からなくなってしまったのだろうか。トップに立つ人が全体のことが判らなくなるととんでもない事になる場合が多い。

役所と家を公用車で往復し、お気に入りの裕福な人としか話をしなければ、ガソリンをはじめ諸物価や健康保険料なども何でもかんでも値上がりして困っている貧乏人の声なんか届かないんだろうな。

この調子では都合のいいことしか聞かない裸の王様は何処に行ってしまうのだろうか。

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今日の花。左、白雲木。高い木の梢にあって下を見下ろしている。香り馥郁と、、。 右、桑の実、子どものころは争って食べたものだが、、。

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2008年5月17日 (土)

See your againと

Img_0088 十六日、参篭の朝は早い、が、四時の起床鐘の鳴る前にみんな起きて着替えてしまっていた。なにせ、九時間近く寝たのだから、、、。

鐘の後、すぐに布団を上げに来たがこれまたびっくり。大きな布団を二つ折りにし、その後グルグルと回転させて一抱えもある丸い筒を作り布団部屋に持っていく。

それで、布団の重いわけが分かった。これでは、なかなか天日干しも出来そうにもない。続いて、朝のお勤めであるが本堂のほうで賑やかな音とともに読経が始まっている様子。代々が曹洞宗の家と土地柄のせいでお経も違えばお勤めの仕方も違い珍しいといった感じしかしない。

Img_0081 しかし、我々には、ご来光と時間が重なっているので無理にお参りせよとは言わないと言われ、富士山遥拝所まで靴を履いて出かけた。

今朝早く見てみた人によると、ただ一面の雲だというが受付近くのモニターには空が赤くなっているのが見て取れる。期待して坂道を登って見ると富士の左側から太陽が昇って来始めたところだが、富士は雲海に浮かび上がっているものやはり墨絵の状態。

上りきったところで戻ると、本堂に行きなさいと言われ、お勤めに参加した。”南無妙法蓮華教”を連呼する時、大太鼓四つを共鳴させるところに演出効果を見た思いがした。

六時になって朝御飯。やはり一汁三采、毎日これでは若い坊さんも大変だなと同情しつつ、綺麗に平らげる。

食事が済めば、昨夜同様することがないので、朝発ちの支度をして靴を履きかけると、もうフランクさんはリュックを背負って待っている。

ここで、私は奥の院まで行って来るので「先に下りてくれ」と英語を思い出しながら話して別れ、私はゆるい尾根筋の道にくだり、フランクさんは昨日登って来た道をくだる。

奥の院までは空身で約15分。そのまま降りる手もあるのだが、車を停めている関係で再び戻って和光門をくぐって降りに掛かる。

足弱な先発者を追い越し、赤ヤシオ、岩鏡、ウスギ瓔珞、藪手鞠などを写しながら降れば、若い男女が跳ねるようにして追い越していく。

Img_0100 Img_0108 暗い茂みの中にぽっかりと赤ヤシオ。白い岩鏡

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可憐だが地味な花の瓔珞躑躅と藪手鞠

「ああ わしもあんな時期があったな」と思いながら降りていくと、上の晴雲坊で休んでいるのに追いつき、またしばらくすると同じメンバーに追い越され、次の中適坊でふたたび追い越した時には女性の方が大分参っている様子に見え、以後は追い越されることが無かった。

しかし、標高差千㍍を超える坂道を一気に下るのは膝に応える。昨日の違和感を気にしてゆっくりと下ったつもりだったが、足が上がっていなかったと見えて、木の根を引っ掛けぶざまに転倒する。

それ以降は、なんだか腹を突き出したような格好で歩いているのが自分でも分かった。後少し、1/5 程を残すところで、先行のフランクさんに追いつきそこから後は彼に合わせてゆっくりと言葉も交わさずただ黙々と下る。

下って見れば時間はまだ八時四十五分。朝からの奮闘で以外に時間の経つのが遅い。お互い言葉が分からないなりに仲良くなれたフランクさんとは、今度は三つ峠で会えたらといいねと話し、「See your again」の言葉で分かれた。

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2008年5月16日 (金)

男女16人 目刺しのように

Img_0075 十五日の夜、山上の参篭所敬愼院に泊まることを決めたのは、七面山から降ってきて富士山遥拝所で富士を眺めている時だった。

寺男と思しき法被を着た老人が傍に来たので「まだ時間も早いしこのまま下ろうか、泊まって明日のご来光を拝もうかと迷っている」と言った所、「今日は人も少ないしいいんじゃないか」ということで案内されて受付に向かう。

本堂前では、「礼拝をして」と言われ、受付で宿帳に氏名を書いていると、受付に「予約してくれないと困る」と言われたが、予約も何も今決めたばかり、それでもただ「はいはい」と素直に応じた。

とにかく後になって何回も叱られたり、指示されたが、普通の宿と違ってお寺側の方が偉く、泊まらせてやるといった感じがする。それも参篭というのなら仕方のないことか。

部屋は、B-4とかで三間/四間の大きな部屋ですでに先客が五人とリュックがおいてあり「お願いします」と挨拶し、一角に荷物を置いた。

先客との雑談はすぐに身元調査、別に隠すこともないし話していると、ほとんどが60代。一番若くて55歳とのこと。北海道から毎年飛行機と電車で来ている人は信者だがほとんどは山登り目的。団扇太鼓で登ってきたグループは別室と色分けされているようだ。そんな話をしているとつぎの客が案内されてきた。見ると外人さん。その人がフランクさん(仮名)

Img_0036 彼は、私の傍に荷物を置いて外人特有の表情豊かな目で挨拶。すぐその後、受付の人が来て「予約をしているのか」と日本語で話しかけるが、お互い意味が通じない様子。勿論私を含めて同室の人も英語が駄目。

結局、奥の院に電話してみたらとのことで、一旦荷物をもって出たがまもなく戻ってきた。なんでもこの一年四度もここに来たことがある人だという。(泊まったことが無かったのかな?)

その後、「風呂が出来ている」ということで一番風呂に入っていると彼も来て、仕草で風呂の入り方を聞くので、湯船から湯をすくって身体を洗うことを教え、一緒に並んで「何故、この山にばかり何回も来るのか」と聞こうと思ったのだが、ボキャブラリーが貧弱で言葉が通じない。かろうじて春の若葉、秋の紅葉、冬の雪が、、、、、年中緑一色のオーストラリアには無い魅力だと言ったように受け取った。

その裸の付き合いが良かったのか、相性がよかったのか。部屋に帰って同室のほかの男の人が自分より達者な英語で話しかけたり、差し入れしたりしても笑顔で手を振って断り、ずっと自分の傍にいてお互い首をかしげながら、まだるっこしい話しをボツボツと続けて過ごした。

五時、早い夕食をいただく。一汁三采の精進料理を食べ、終われば本堂で御開帳。

多分キリスト教徒であろうフランクさんに無理しなくてもと言っていたが、お寺のほうではすべての宿泊客は内陣に入って「ご開帳に参加せよ」とのこと、「郷に入っては郷に従え」の説明がこれまた難しくて出来ず、イスラムのスンニ派とシーア派の戦い。キリストとイスラムの戦いのように日本は宗教の争いで殺し合いをしない。

自分は曹洞宗、この寺は日蓮宗だが別に信者になるわけではない。結婚式や葬式には神社で有ろうがお寺であろうが、教会であろうが、とにかく何処にでも顔を出すのが日本の風習だとほとんど日本語と手振りと英単語で説明、、、、(理解できたかどうかは、、、、?)

そして、ずいぶん昔のことだが、ろくにスペイン語が話せないときにパスポートをもってリマのホテルに入ったときの自分と比較していることに気がついた。

それでも理解できたのか、大人しく一緒に付いてきてくれて正座、拝み方、焼香も無事終了。そのすぐ後に日没の富士山を見ようと誘いを受けて一緒に行くが、雲海の上に顔を出しているものの西空の状況が良くなく墨絵のように次第に暗くなるだけ。

部屋に帰ってみれば、これはなんと長さ5mくらいの長い布団が2列になって部屋中に敷いてある。何度も来たことのある人の説明では、頭を廊下側にして好きなところに枕を置けばそこがその人の寝る場所だとのこと、グループごとに分かれると、一人で来た自分とフランクさんが端っこを取る事になり、男女合わせて16人が目刺しのように並んで重い布団に入って横になった。

テレビも無く、九時就寝という張り紙も、することが無ければつい瞼が重くなり、八時前にみんな御寝みタイムに入り消灯したが、早寝した分、翌朝四時までは隣のいびきも含めてずいぶんと長い夜だった。

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今日の花。左、梅花黄連(バイカオウレン)やや湿った場所を好み、黄色い根を出して広がるところから名付けられたようだが、マスカラのようなメシベが面白くて。右、白花延齢草、(シロバナエンレイソウ)白花がこんなに密生しているのも珍しくて写す。Img_0046 Img_0029

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2008年5月15日 (木)

信仰の山 七面山(1,983m)

Img_0024 (中腹から見る南アルプス。右から北岳~間の岳と農鳥岳)

昨日までの雨が洗ってくれたかのように雲ひとつ無い空模様の中、富士山がくっきりと見えた。

まだ、ヤシオツツジには早かろうと、先日来計画を温めていた七面山(1,996m)を目指すことにした。

この山は、身延山の鬼門に当たる位置にあることから、日蓮上人の弟子、日朗上人が750年以上前に開いたたとされる山で、1,600m付近の窪地に七面大明神を祭った敬愼院という堂宇がある。

そのため、この敬愼院までが、信仰の道、その先が登山道と言った雰囲気の山である。朝ご飯もそこそこにして、清水から52号線を、そして早川の支流春木川沿いの表口の駐車場に着いたのは八時少し前だった。

車を停めて対岸の白糸の滝を見、杉の巨木が立ち並ぶ山道に掛かる、信仰の山だけあって道幅が広く整備がされているものの1,200mを過ぎたあたりから、膝に負担がかかったのか、久し振りに違和感を感じ始めた。

そして、四カ所の宿坊や二~三百㍍ごと位に置かれたベンチは「休みなさい」「腰掛けなさい」と誘う。杉の木が樅の木に変わるころからあちこちの誘いを受けてようやく和光門に到着したのは十一時近くだった。

ここに先客がいて、「鹿がいた」と興奮気味に話していたが、門の上下に雪と見間違うような白い粉。どうやら塩を撒いて呼び寄せているのかなという感じ。

門から上は直線状の幅広い(15mは有ろうかと思う)参道、その先に手水場と梵鐘があり、折れ曲がった先が富士山遥拝場と随身門があり下ったところが50丁目とされる敬愼院が見えた。

ここまで登ってくる途中、前日敬慎院に泊まった人たち間隔を置いて三三五五すれ違う。「今朝のご来光は綺麗だったよ。昨日雨に濡れた山登りも帳消し」という人。かなり老齢の女性に付き添った20代女性。孫なのか?。二歳程度の子どもを背中に胸にはリュックという30台らしき女性などが降ってくる。

Img_0063 富士山遥拝場で雲の合間から見える富士を眺めていると、下のほうから団扇太鼓らしき音が木の間ごしに聞えてくる。それほど信仰を集める何かがある山だということが実感させられた。

遥拝場を後にして、少し行った所に荷運び用のケーブルカーがあり、その広い場所で山頂を見上げながらお昼にした。

食事が終わり一服していると、霧が出てきて山頂を隠す。始めはリュックをデポして向かうつもりだったが、急遽、雨具他を担いで芽吹した落葉松と隈笹の繁る山道を登る。道はゆるい傾斜なので普段なららくらく登れそうなのに、膝から来た負担のためか、体力不足からかすぐに息が切れ休み休み霧にかくれる前方の道をたどって登る。

Img_0054 霧は乾いていて雨の降る気配がないもの、名物のナナイタガレという崩壊地は見えずただひたすら前を見る。

約一時間かけて山頂に、ここで少し視界が効くようになったが、三角点の周りはかなり前に伐採されているものの、その外に大きな木が立っており、石積みの上の銅版に書いてある東西南北の山々は何にも見えないといった状態だった。

Img_0051 案内板には、さらに一時間八絋嶺の方に向かうと展望の効く場所があるとされているが、この調子(体力と霧)では無理と判断し下る。

この後、敬愼院に下って泊まるが、オーストラリヤの人Frank(仮名)さんとの話もあり長くなるので今日はここまで。

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2008年5月14日 (水)

虞兮虞兮