信仰の山 七面山(1,983m)
昨日までの雨が洗ってくれたかのように雲ひとつ無い空模様の中、富士山がくっきりと見えた。
まだ、ヤシオツツジには早かろうと、先日来計画を温めていた七面山(1,996m)を目指すことにした。
この山は、身延山の鬼門に当たる位置にあることから、日蓮上人の弟子、日朗上人が750年以上前に開いたたとされる山で、1,600m付近の窪地に七面大明神を祭った敬愼院という堂宇がある。
そのため、この敬愼院までが、信仰の道、その先が登山道と言った雰囲気の山である。朝ご飯もそこそこにして、清水から52号線を、そして早川の支流春木川沿いの表口の駐車場に着いたのは八時少し前だった。
車を停めて対岸の白糸の滝を見、杉の巨木が立ち並ぶ山道に掛かる、信仰の山だけあって道幅が広く整備がされているものの1,200mを過ぎたあたりから、膝に負担がかかったのか、久し振りに違和感を感じ始めた。
そして、四カ所の宿坊や二~三百㍍ごと位に置かれたベンチは「休みなさい」「腰掛けなさい」と誘う。杉の木が樅の木に変わるころからあちこちの誘いを受けてようやく和光門に到着したのは十一時近くだった。
ここに先客がいて、「鹿がいた」と興奮気味に話していたが、門の上下に雪と見間違うような白い粉。どうやら塩を撒いて呼び寄せているのかなという感じ。
門から上は直線状の幅広い(15mは有ろうかと思う)参道、その先に手水場と梵鐘があり、折れ曲がった先が富士山遥拝場と随身門があり下ったところが50丁目とされる敬愼院が見えた。
ここまで登ってくる途中、前日敬慎院に泊まった人たち間隔を置いて三三五五すれ違う。「今朝のご来光は綺麗だったよ。昨日雨に濡れた山登りも帳消し」という人。かなり老齢の女性に付き添った20代女性。孫なのか?。二歳程度の子どもを背中に胸にはリュックという30台らしき女性などが降ってくる。
富士山遥拝場で雲の合間から見える富士を眺めていると、下のほうから団扇太鼓らしき音が木の間ごしに聞えてくる。それほど信仰を集める何かがある山だということが実感させられた。
遥拝場を後にして、少し行った所に荷運び用のケーブルカーがあり、その広い場所で山頂を見上げながらお昼にした。
食事が終わり一服していると、霧が出てきて山頂を隠す。始めはリュックをデポして向かうつもりだったが、急遽、雨具他を担いで芽吹した落葉松と隈笹の繁る山道を登る。道はゆるい傾斜なので普段なららくらく登れそうなのに、膝から来た負担のためか、体力不足からかすぐに息が切れ休み休み霧にかくれる前方の道をたどって登る。
霧は乾いていて雨の降る気配がないもの、名物のナナイタガレという崩壊地は見えずただひたすら前を見る。
約一時間かけて山頂に、ここで少し視界が効くようになったが、三角点の周りはかなり前に伐採されているものの、その外に大きな木が立っており、石積みの上の銅版に書いてある東西南北の山々は何にも見えないといった状態だった。
案内板には、さらに一時間八絋嶺の方に向かうと展望の効く場所があるとされているが、この調子(体力と霧)では無理と判断し下る。
この後、敬愼院に下って泊まるが、オーストラリヤの人Frank(仮名)さんとの話もあり長くなるので今日はここまで。
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