無窮花
真っ白なムクゲが咲いていた、品種改良を繰り返して作られたものだろうが、花の気持ちは別にしてこれも綺麗なものである。
それがしも その日暮らしぞ
花木槿 小林一茶
この人の句は今の私たちになんのてらいもなく受け入れられるものが多い。
教科書にも取り入れられて、小さいころから聞いているためばかりでないと思うのは、初めて見聞きする句にも違和感が無いことからもわかる。
しかし、この人、五十歳ころになって故郷に帰ってから、継母や義弟たちとの争いなどから結構意地っ張りで、上手く暮らしをやっていけない人だったようだ。
その半面で、「痩せがえる 負けるな 一茶これにあり」「やれ打つな 蝿が手をする 足をする」などの可愛らしい句を後世に残し、心根と作品の差の大きさに戸惑いを感じるが、これは人間の多面性を表しているのか。
.
木槿と書いてムクゲと読ませるのをどうしてなのかと思っていた時期があるが、朝鮮ではこの花を”無窮花”と書くそうで、永遠の花とはこれまた壮大な名前を付けられたものだ。
日本に入ってきたとき、その字を見て”ムキュウゲ”と呼び、それから”ムクゲ”となったとしたら割合簡単である。しかし、そうなるとその字を見ながら木偏にスミレと当てたのはこれまた分からない。 でも「マ イイッカ!」
.
運動会などを見ていると子どもの中に、ときどき右手と右足を、左手と左足を同時に出して笑わいを誘う子がいる。緊張したときなどにときどき起きるそうだが、この歩き方は江戸時代は主流だったそうで、別名を”田んぼ歩き”とか”ナンバ歩き”と今の人は言うそうだ。
今のように、右手と左足、その反対を交互にして歩くのは明治に入って軍隊が西洋から取り入れた歩き方だと聞くと、時代劇の歩き方は間違っていることになりそうだ。
ともあれ、ナンバ歩きは腰をひねらないので疲れが少なく長い距離を歩くにはこの方が良いというので、散歩中に試してみたが何時の間にか、今の歩き方に戻ってしまい、小さいころからの習慣は脱することが難しい、と思っていた。
ちなみに、ナンバ歩きのナンバとは何かと調べてみると、”灘場”という字に行き当たった。そう言えばそういう歩き方で山を歩くと楽だという山菜取りの名人(?)がテレビで言っていたような気がする。
そして、自分自身も山歩きなどで急な斜面や疲れた時などに、右手を右足の太ももや膝の近くに当てて「よっこらしょっ」と掛け声を掛けながら身体を引き上げていたことがある。
「なんだ どうやらすると歩き方にも先祖がえりを無意識にやっていることがあるんだ」と変なところで嬉しくなった。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/41766410
この記事へのトラックバック一覧です: 無窮花:

コメント