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2008年8月31日 (日)

夏の終わりを告げて

Img_0108 今日八月三十一日は、旧暦の八朔に当たり古来二百十日、二百二十日と併せて三大荒れる日と言うことであった。

それが、今年の場合、八朔と二百十日が重なっているので荒れて当然の日であるが、久し振りに夏空が戻ってきた。    とはいっても何処となしに秋の気配は濃厚だが、、、。

麻機の山を久し振りに廻ってきた。ここでも蝉の鳴き声はミンミンゼミが主流になって夏の終わりを告げていた。

ミンミンゼミといえば、いかにも暑い夏のように聞えるが、実際は暑さに弱い種類に属しヒグラシやカナカナゼミなどとともに夏の終わりでないと出現しないそうだ。

題名を忘れてしまったが、むかし見た映画の一場面を良く思い出す。どこかの鉱山の荒れた道を一人の男が汗を拭きながら急ぎ足で歩く、その効果音にミンミンゼミの声が入っており、社宅に入ると現在生きている人に混じって亡くなった人がぼんやりと入っている場面があった。名前が分からないばかりに調べようもなくじれったい思いが何時までも続く、、、

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子どもたちは、今日で八月も終わり明日からの新学期に備えて最後の追い込みに入っていると思うが、じじばば所帯の我が家では「そうかいな」という程度の一日。ともあれ、先日来湿気の高い毎日だったので家中開け放って風を家の中に通している。

Img_0115 庭木の中に何かいるなと思って近寄ると、ここにも最後の脱皮を図った蟷螂がぶら下がっていた。緑の葉っぱに緑の身体、良くこんな小さいものの中に入っていたと思われるような大きい蟷螂がぶらさがっている。

最後の一抜きが出来ないらしく、ズボンを抜きかけたままのようだが身体が固まっていないためか顔をこちらに向けてはいるが身動きの出来ない状態らしい。この虫も衣替えすれば新学期、、、。

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今日の花。麻機の咲く

左、その名も”継子の尻拭い”という恐ろしい名を持つ草、道を歩いていてもこの棘ががさがさと引っかかる、こんな草で子どもの尻を拭いたら血まみれになりそうだが、そのくらいなさぬ仲と言うものは、、、、、。  右、犬胡麻、大体に犬とかカラス、スズメなどという名が頭に付く植物は人間にとって小さすぎたりして食用にならないものを言うことが多い。逆に大きいものには牛とかクマなどが付くようで、この花も胡麻に似た小さな花をつけるところから付けられた名前。

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2008年8月30日 (土)

さても南蛮玉スダレ

Img_0083 世間には申し訳ないが私の頭上には雨雲が少ないようで、降ったり止んだり、それも激しいものではない。それでも、湿気は強く梅雨時を思わせる一日だった。午後には高曇りとなり、富士山も暗い空を背景に浮かび上がり、剣が峰まではっきりと見えた。

Img_0085 今日は、”富士山測候所記念日”だと言っていたが、明治29年個人の出資で山頂に観測基地が作られたと言うが、そのころは全てが人力のころであり、冬場の観測は命がけであったことと思う。

しかし、2,004年から無人観測になってその役目を終えたが、錆びだらけの城のような残骸は富士山頂に似合わないと思う、計器類はまとめて移設するか、地下に格納し、せめてアンテナだけぐらいにしたほうが良いのではないかと、先日見て思った。

Img_0078 そんな中、玉簾(タマスダレ)の花が散歩道のあちこちで咲きだしている。白い花を密集させて、庭から叢へと逃亡を図っている。丈夫な草だけにこの調子でいくと近い将来”新 秋の外来七草”だなんてセイタカアワダチソウ等とともに図鑑に載るかもしれない。

それにしても、この花にどうしてこんな名前がつけられたのだろう。外来種だけに入ってきたときに”あ さて、さても南蛮玉スダレ、、、”とと軽く乗ったのだろうか。

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政治の世界は魑魅魍魎の動き回る所だと言うが、今度の”改革クラブ?”の結成にはいささか不思議な感があり、女性議員にいたっては信念という物がこの程度だったのかと思う。

此方が若かったためもあるだろうが、いまの国会議員は昔に比べて重みと言うものを感じる人が少なく、ただ自分の地位だけしか考えていないように思うが、、、、如何。

そして、参加した議員のうち三人までが比例代表で当選した人である。選挙区で当選した人も選挙民の期待を裏切っているのだが、比例で当選した人はその党の運営に不満があるなら辞職して出直すのが当然ではないだろうか。

政党も、どうしてこういう規制案を国会に出さないのか不思議である。悪く勘ぐれば、次は自分の番と考える人が多いのかも、、、、。

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2008年8月29日 (金)

B-29のように

Img_0059 菱の花が咲いていた。麻機沼の泥の中、ちっちゃいけれど真っ白な一重の花を咲かせていた。

菱は名前のとおり菱型(?)の実を付けるが、自生のものはごく小さくて焼いて皮をむき口に入れるころはごく小さいもので、苦労の割には得られる物が少なくここしばらく口にしたことがない。

Img_0050 今日は、暑いけれど秋を感じさせる麻機まわり、入道雲も積層雲と交じり合ってのどかな一日であり、静岡をはさんで名古屋と東京が集中豪雨で大水が出ているのが信じられないような天気である。

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Img_0071 朝起きて、テレビを見て驚いた。天気予報では今週いっぱい雨模様と出ていたが、昨夜は雨の音も聞くことなしに寝ていたので、こんな大きな被害出ているとは想像もしていなかった。

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Img_0076 天気の解説を見ていたらまるで戦争中のB-29の進路(こんなことは古い人間でなくては思いつかないだろう)みたいに御前崎沖から入った暖かい気流が両方に吹き分けられるようにして進んだとあり、岡崎付近では一時間雨量が145mmにもなったと言っていた。

いまの人なら、”ピンボールみたい”にと、言うと40代の人が言っていたがこれも、もう古いらしい。

あの付近には、兄弟や親類がいるので早速見舞いがてらに電話をしてみたが、幸いといっては悪いが被害が出ているものがいなかったが、とにかく雷が激しく、雨の降りようが尋常ではなかったとのこと、、、。

静岡も1,974年七夕豪雨というのがあって、二十四時間雨量が502mm。橋げたに塵が詰まったりして私の家の付近で水深1,5mにもなったと聞かされ、「これは百年に一回あるかないかの豪雨だから、、」と言われ今の地に住むことを決めた。

それから、三十年、何度か床下浸水があったものの、まだそれを越える集中豪雨は来ていないが、データーによると最近はゲリラ的集中豪雨とかで、発生回数は多くなっているという。とくに、都市部において顕著だとのこと。

原因は、例によって高層建築などの建物、舗装や冷房機で都市が熱くなっている上、雨水が地面に吸収されず舗装面を走るなどが考えられこれから更に異常気象的豪雨が頻発すると言っていた。

また、地震でこれだけ騒がれている静岡市で、地下道の避難方法が整備できていないと市の関係者がテレビで言っていたが、水が地下道に入った場合の対策はそれ以上に出来ていないのことが容易に想像できる。

毎年秋になると、芝居のような防災訓練を続けているのだが、こんな所に抜け穴があったとは、、、そういえば、沼津の道路で、高波防止の締め切り門が動かなかったことがあったが、実際の災害の時どれだけ効果があるのかしらん。

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2008年8月28日 (木)

無上の桃

Img_0034 先日長野の友人から桃を送ってもらった。私が水蜜のような柔らかくて果汁の多いものよりカリッとした固いものの方が好きだと言ったため、他の柔らかい桃とは別「まなみ」という種類らしいのを私用にと一箱と豪勢なおくりものをしてくれた。

お陰で、ここ毎日朝夕に一個づつ頂いている。果物好きの私にとって無上の楽しみである。

桃は古来不老長寿の果物と言われて来たが、こんなに沢山食べたら、それこそもう~何時まで生きるか分からない。それではかなり人迷惑な話になる。しかし、この色といいカーブといい色っぽいことは他の果物にはない魅力であり、一つ食べればまたまた元気になりそうで、、、これは桃好き(葡萄のときもそのようにいい、林檎の時もそのように言う)にとって見ているだけでよだれが落ちる。

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さて、アフガンでNGOの活動をしている人が亡くなったという。静岡県掛川の出身だそうだがさぞ無念だったに違いない。遊びで行って被害にあったのとは違い現地に入って自分の知識を少しでも役立てようとしている最中のことだけに、惜しい人だった。

事件が起きた事情は、良く分からない。しかし、テロだったと一概に言えるのだろうか。官房長官は即座に対テロの重要性を揚げていたが、、、、、

すこしでも、海外で仕事をしたことのある人は、この辺を疑って見ているはず。なにせ、お国が違えば風習や考え方もずいぶんと違い、良かれと思ったことも悪く取られることはよくある。

さらに、現地の人と同化というのは難しく、3年や5年では無理。世界中何処に行っても中華街や、リトル東京などといってその国の人だけがかたまってしまう。あれほど長い間さまよってもユダヤ民族が各国に溶け込まないのもその一つだろう。

想像ではあるが、水のないところに水路を作って畑を開いたとすると、もともと水の少ないところでは水戦争に発展しかねない。真相解明はいまこの国では難しかろうと思うが。新聞記事によれば、誘拐犯四人のうち二人が武器を持っていたという。何故全員でなかったのか。

また、住民が追いかけていって銃撃戦になったとか、これでは、足手まといの日本人が殺される確率は高い。犯人をタリバーンとして片付ければ政府をはじめ、全てうやむやのうちに処理できると考えられないか。

タリバーンなどは、自分の影響力の誇示をしたいと願っているのでしてもいないことでも、自分がやった、と言いかねない。それをそのままテロ行為だと取り上げているのではないかという気もしないではない。

とにかく、他国に入って仕事をする場合、充分な下調べが必要だとおもう。「小さな親切 大きな迷惑」になりかねないよう。

それにしても、彼が外交官など政府機関の一員であれば、、、、ずいぶんと違うだろうな。

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2008年8月27日 (水)

うつせみの

Img_0011 夕焼け空に誘われて食後の腹ごなしをかけて下駄履きで外に出てみた。すぐ近くの欅を登った空蝉が赤い空に映えて情緒的に見える。

万葉集に”うつせみの 世は常なしと知るものを 秋風寒み 偲ひつるかも” というのはこの場面に似合いに詩かも知れない、しかし、いかにも寂しく哀れを誘うので、ここは自作のへぼ歌をひとつ。

空蝉の空紅く染まるを 透かし見る  山人

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オリンピックの柔道石井選手の言行が面白おかしく喧伝されている。

柔道界は彼に緘口令を敷いているようだが、つい思ったことを口にするんだろうな、なにせ、まだ二十歳になったばかりというから、仕様がないと思う。

しかし、テレビのインタビューから聞く限りにおいて、何も規制するところがないように見える。かえって、規制をかけようとする周りの大物?のほうが、こう言うことで人間を型にはめ、小さく纏めようとしているようにしか見えない。

それが、日本柔道を駄目にしたのではないかと思う。出発前に「自分の柔道ではなく、勝つ柔道をやってきます」と他の選手と違う意味の言葉を言っていたが、その気持ちが優勝につながったのではないだろうか。

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麻機の花と蝶。

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2008年8月26日 (火)

盗人萩は

P1010011 一気に秋のような気候になって来たがこのままでは収まることはないと思う。

しかし、身の回りの風景は秋へ秋へと歩みを加速している中、嫌な草の花が咲きだした。いや、花が嫌いなわけではない、花は写真のように可憐なのだが実がいけないのだ。

盗人萩(ヌスビトハギ)これから”抜き足 差し足 忍び足”よろしく泥棒の足形のような実を付けると、所かまわず通りかかったものにくっついて種を移動させるため、ズボンの裾にビッチリと付いた種をむしりとるのが億劫なのだ。

正確には、この草は”荒地の、、、”と付き外来種で、日本古来の盗人萩より大きい花を咲かせる(外来は人間含めてなんでも大きいようだ)が、萩の仲間ではないという。

とにかく顔に似合わず、、、と言ったところ。

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暑いオリンピックの夏も終わって、国会の開会日も決まり、なんでも値上げの狂乱物価をどうにかしてよと期待していた(そんなことないか、、)矢先、大田農水大臣の事務所経費が槍玉に上がり審議が滞る可能性が出てきた。

農水大臣の席は自民党にとってよほど鬼門なのか、農水族(大田大臣もそうかどうか知らないが、、、)といわれる人たちに、よほどいい加減な人たちが多いらしい。

国からお金を貰って指導的立場にむかえられている身分の人が、使い道を誤魔化すのは、泥棒に等しく、胸の金バッジが泣く行為であろう、新聞の報道だけ見ていると前の辞職三人組とどっちこっちのようだが、自分は大丈夫と思っていたのだろうか。

”哀れ秋風よ 情あらば伝えてよ  、、、  さんまさんま 秋刀魚苦いかしょっぱいか”ってのがあったっけな。

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今日の花。畑に咲く野菜の花。

左、ささげ、マメ科の植物に共通する花の形。 右、苦瓜、いまから受粉して瓜になるのだろうか。

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2008年8月25日 (月)

天網恢恢

Img_0001 今日も朝から雨模様の一日だといい、外は音の立てない細かい雨が降っていた。

柑橘類の名前は良く分からないが、甘夏系統の蜜柑はもう五センチほどの大きさになり、梅雨のような雨に打たれ、水滴を玉のようにつけている。

そんな中すきを見て歩いてみたが、天の神様は見逃さず麻機沼の北側で家から一番遠い所に来た時を狙って大粒の雨を降りかけてきた。

「天網恢恢疎にして漏らさず」  そんなに悪いことをしているわけでもないのに、と空に向かって言ってみても始まらない。

傘も持ってこなかったので、急いで歩いて帰りかけたが今どきの雨は濡れても寒くないし、帰ってシャワーでもと思うと濡れるに任せて慌てて帰る気もしない。

”雨に歌えば”までとは行かないが、少し急ぎ足で歩いたことを思い出しながら、学校を卒業した年に会社の長距離競技の選手になれなくて補欠で行った時だったが、一週間ほど前になって、5,000m競歩に出て見ないかといわれ、急遽エントリーして歩いた経験を思い出していた。

指導者もうろ覚えの競技は自分もしたことがなく、尻を振って歩く競歩は使ったことのない筋肉を刺激しつらかった。結果は、六位に入ったかと思ったが、両足が地面から離れていたという指摘を三回受けたとして失格。付け焼刃がもろくも剥がれほろ苦い経験の一つである。

オリンピックの余韻はまだ何日か続きパラリンピックに続くのだが、名場面の中に50km競歩のシーンが出ていたが、彼らでも足が離れていると指摘され、失格になる人がいるそうだが、人間急げばどうしても走り出すのは本能的なことで、いかに早く歩くかというのが難しいか、、、競歩とはすっきりとしない競技である。

それはともかく、下着までグッチョリとなっての御帰還の外見は気持ちと違っていささか惨めったらしかったようだ。

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今日の花。麻機の散歩道で

左、鬱金(ウコン)縁のほうに薄く色づいている部分は包葉といって葉の変化したもの、花はその下に黄色いおしべの花を咲かせている。肝臓の薬になるとかで最近あちこちに植えてある。 右、星朝顔、マメアサガオに良く似て直径2センチに満たない小さな葉をこれからしばらく割かせ続ける。マメアサガオとは花が白く花弁の切れ目が浅いので区別する。

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2008年8月24日 (日)

良かった良かったって

Img_0003 まだ鳴き声を聞いていないが馬追(ウマオイ)が出てきた。青い華奢な身体に似つかず昆虫を食べるキリギリスの仲間とは知らず。虫かごに入れても草を食べずに死んでしまうのが不思議で、飼い難い虫だったことを覚えている。

”スイーッチョン”と鳴く声から、その通りの呼び名で追いかけたものだが、この虫が鳴き出すと秋もかなり涼風が吹き出してきて、夏休みも終わりを告げていた。

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雨の一日。時には「大雨警報」まで出たりして、、、

当然今日も家にこもりっきり、と思っていたけど午後になって雨の小止みの間に散歩に出てみた。足のほうは回復したもののなんだか脱力感みたいなもので気分が優れない。

雨のせいか、目的達成の後遺症か。富士山にそんなに目的意識を持っていたわけではないはずだが、じっとしているとうつらうつらとしてくる。

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今日でBeijing 2008も終了の様子。いろいろと話題のあった大会だが、私個人では見たい番組がいくつもすっとばかされ、早く終わって欲しいと思っていただけに、、、、、。

今回のオリンピックはそんなに一生懸命見ていたわけでなく、翌日のワイドショーでの印象だが、日本人期待の選手で活躍できたのは北島選手と女子レスリングくらい、後は押しなべてという印象が強かった。これはいつも言われる国民性なのか、それとも、マスコミのストレスか。

一番情けなかったのは野球かな。次はないのだろうが、もしあるとすればアメリカみたいに二軍選手で構成すれば言い訳もしやすかったのにと思う。

注*25日、福田選手団長が、翌日「野球とマラソンは特別扱いだったが、少なくとも選手村に入り、連絡を蜜にすべきだった」などと批判していたが、そのおごりが惨敗の原因だったのだろう。

外人選手では、ウサイン ボルト選手、居並ぶ強豪をあんなに大差でやっつけていいんだろうか。一瞬ソウル大会のベンジョンソンを思い出してしまった。

あとは、高校野球大会のように選手の国籍をお金で釣って移動させたアラブの国の話、開会式での過剰演出。(多分閉会式も後で裏話が出て来るんだろうけど、、、、。

漫才の”昭和のいる こいる”ではないが後は「良かった良かったよかった」を連発し、両手を耳の脇に持ってきて「へいへいへい」って頭を下げようか。

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2008年8月23日 (土)

処処筋肉痛

Img_0083 今日は処暑。酷暑の勢いがとどまり、涼風が吹き始める。とあり。暦通りの一日になった。

私自身は、昨日の富士山疲れから処処筋肉痛とリュックによる肩こりが出、一日中のんべんだらりとして過ごしながら昨日の余韻に浸っている。

処暑と処処、同じ読み方、でも今日は良く似ていると感じる。処暑のほうも夏ばてであちこちに障害が出ているんではなかろうかと推測するからである。

ともあれ、昨日までの山登りは幸運だった。泊まった山小屋でも週末は最後の予約客でいっぱいになっていると言っていたが、今日当たりから山は荒れ模様でしばらく続きそうな雰囲気である。

個人なら、キャンセルも入れられると思うが、吉田口の状況から見ると旅行会社に引率された人たちはどうなるのだろうか。ガイドも大変だろうが初めて遊び気分で来た人には辛い経験になるに違いないと思いながら天気予報を見ている。

それにしても、最近の山登りではこんなに疲れが根を持つことも少ない。やはり富士は日本一の山である。と今日は駄洒落ておこう。

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昨日の富士の花。

富士山はどちらかというと植物の少ない山に入るその中でいま目立つものは左の御蓼、色合いは赤いのから白いものまである中でこれは特に赤く咲いていた。  右、ヤナギラン、今まで聞いたことがなかったが、斜面の一角に御蓼に囲まれて咲いていた。ひょっとすると誰かが移植したか、、、、

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2008年8月22日 (金)

マッタ~とばかりに (富士山 2)

Img_0062 夜来寝付けないまま風の音を聞いていた。

雷の音はやみ、雨が屋根を打つ音もなくなり、風の音を最後に途絶えたと、思っていたら電気がつき「おはようございます」と山小屋の主人が弁当を持って入ってきた。

時間は三時。朝飯抜きの泊まりなので此方には用事がないが、起こされたのを機に支度にかかる。トイレに行くため外の出ると下から上がってきた人がもう三十人ほどベンチに座っており、空は満天の星空で今朝のご来光を予約してくれている。 

外はまだ真っ暗だが、懐中電灯の明かりは下から山頂まで点々と帯を作っていた。その中に混じって登り出したのが三時半を過ぎてから、ご来光は五時十二分ということだから時間は充分にあり、空には半月が煌煌と明るく、オリオンが丁度真上に、スバルは富士の山頂方面に輝くものの、北斗七星などは見えず、その外の星たちは自分同様名も無き星で名前は知らない。

疲れの取れない身体は無理しないようにと奥宮まで三十分かけてゆっくり登る。日の出まではまだかなり時間もあり、このごろでは太陽の出る位置もかなり北に上がっているはずだかと思って、火口壁沿いに左に移動、その名も朝日ヶ岳と呼ばれる高見に向かう。

東の空が一番正面に見える斜面に腰掛けると下に雲海が一面真っ平な状態で広がっている。北から吹いてくる風はかなり冷たく、多分霜や霰と見られる粒状の白いものがあって誰かが「氷点下三度」といっている声が聞える。

ここに来るまで寒さを感じなかったが、じっとしていると寒さが体内に入ってきそうで重ね着をし、風の当たらない岩の窪みにはまり込んでじっとご来光を待つことにした。

Img_0035 恋人を待つのと同様、東の空に赤味が強くなり、星は姿を消したがまだ上がるとは言わない。じれったい時間も楽しみたいのだが風の冷たさで身震いを始めるとそうも行かない。

まだかまだかの太陽は、約束の時間通りに「マッタ~」とのんびり上がってきた。ご来光、雲海のはるか彼方に浮かび上がってくる様は何度見てもありがたいという気にさせるものがある。

何枚も写真を撮り終えて、お鉢めぐりに取り掛かると次第に人も増え、吉田口の頂上小屋で頂点に達する。バス旅行のガイドらしき人が彼方此方で大声を張り上げまとめているなか、を突きるのもなんだと思い裏から廻ろうとすると、宿の関係者らしき人が「そっち歩くな」と殺気立った様子で怒鳴る。

仕方なく、浅草の仲見世状態の狭い道を掻き分けて通過するが、最盛期にはもっと酷い状態になっていると思われるだけに改善を望みたい。

ようやく人ごみを抜ければ、三々五々に歩く人ばかり。中には「ここへ行くと何処に行きますか?」という人もいたりして、、、、。

Img_0074 金明水と呼ばれる火口内の窪みに近づくにしたがって地面の白さが増してくる。径2ミリほどの霰が堆積しているためだ。それを踏みしだいて、再び火口壁に上がると、眼下の雲海に陰富士を見、登りきって再び剣が峰に到れば人山の山頂。昨日登っているので横目で見て奥宮に戻ると時間は六時三十分。

しばらく休んだ後、下山にかかる。

昨日今日と、二日にわたる頂上は再び登るかどうか分からない思うだけにしみじみとした感じを味わいながら歩くが、そのためばかりでなく動悸が激しいのは体力の衰えか、下山するまで水分は150CCのペットボトル三本と山小屋のお茶二杯だけのせいだろうか。

脇をかすめて走り降りるスニーカーの中学生たちを眩しく見た。そういえば今回目に付いたのはサンダル履きで登る若いお兄ちゃんが沢山いたが「あんまり山をなめるな」って、、、他人事だけどね。

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今日見た富士の一部

左、朝日に輝く剣が峰、山頂の人工物がどう評価されるのか。 右、火口壁北東側の雲海に浮かぶ陰富士。

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2008年8月21日 (木)

古希 富士山に(3,776m)

Img_0012 昨日の晴天がここしばらく続きそうな予感もしたので、富士山へ登る支度をしていた。

朝八時に富士宮口の駐車場に自動車をいれ、登り出した。

前回は10年前だったが、数え年の60歳だったので、還暦登山などと大仰に銘を打って登ったが、まだ、現役で仕事もしていて歩き回ることが少ないため足腰が弱く、連れの二人も同様だったのでその日は標高が3,600m付近の山小屋までが精一杯。

翌日は、深い霧と富士登山駅伝のある日だったので、自衛隊を含めて登山者が多く道は渋滞して一寸刻みに進むという有様で、浅間神社奥宮と上の郵便局から葉書を出して早々に帰ってきた覚えがある。

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今回は、寂しく”古希単独富士登山”とでも命名しようか。

しかし、リタイヤしてから散歩三昧の日課などで、多少は足に自信も出来てきたし、自動車を降りてから山頂までの標高差は1,300m余ほどしかない。先日登った七面山はこれを上回る高低差だから前回のようなことにはなるまいと、幾分高をくくっていた面があった。

登りだして、標高3,000mの八合目までは比較的順調に登ったが、そこで、腰を下ろして休んでからが昔に戻ってしまった。抜きつ抜かれつしていた若い衆や外人に置いてけぼりを食わされ、九合目に着いたのが予定をずいぶん遅れた十一時を少し廻っていた。

Img_0088 前回泊まった、九合五勺の山小屋前で持参のおにぎりで食事をしたあと、石垣にもたれて目を瞑ったら一時時間くらい寝てしまうという大休みをしてしまった。

途端なんだか自信がなくなってしまい、ここに荷物を預けて、必要最小限の品物をナップザックに入れて登ることにした。

上空の天気も良いし、山小屋にはお鉢回りもしてきたいのでと言っては見たが実情はこうで、もし健脚の連れがいたら迷惑をかける所だったかもしれない。

約三十分で、浅間神社奥宮に到着。雲の量も少なく風もないので最高地点”剣ヶ峰”に向かう、平らな火口壁を進むと、元測候所へ荷揚げしたブルドーザ道になるが幅広く均してあるものの傾斜が25度くらいも有るか結構歩きにくい道であった。

この道を、中途まで上がった時、下のほうから若い運動選手らしい連中が男女六人で走り上がって来た。

「昔、私たちが北アルプスでやっていたようなことをするな」と思っていたらさすがにきつい坂、一気に上れず一休みした後、私を追い越して行った。その時の土ぼこりはまさに「後塵を拝する」をそのまま絵にしたような感じだった。

Img_0018 ようやく、山頂の標識に着き三方見わたせばかすかに雲があるものの快晴の空の下深い火口とお鉢めぐりの道を刻む火口壁が眺められるが、もう一方は錆びだらけの元測候所にはなんだか違和感が残る。

いま、富士山を世界遺産にしようとしているが、最高地点にこんなものを残しておく必要がるのだろうか。また、信仰の山という割には、昔の富士講というものの登山は皆無であり、富士山は難しいものと思われる。

しばらく、山頂にいたが山の気候は変わりやすい。東側から上がってきた霧で瞬く間に何処も見えなくなり、お鉢めぐりも断念せざるを得なくなった。

午後三時半、奥宮から下りだしたときにはポツリポツリと雨まで降り出し、山小屋で明日の天気予報を聞いたところ「何年もやっているが分からない」というので、雨の中を下るより「ええい ままよ」とばかり泊まることとし、天気が悪ければ朝そのまま下山し、良ければご来光を見てからにしようと決めた。

聞けば、今日の予約は二人しかいないとのこと、(結局最終的には六人だった)そして、この山小屋の今年の営業は25日までだとのこと、なんだか残務整理の様子に見えた。富士吉田口の山頂小屋は予約でいっぱいというのに比べると、山小屋の立地条件は大きな差があるのだなという気がした。

五時、何処の山小屋でも定番のカレーライスを食べるころには、富士山南東部に大雨警報が出たというニュースが入り、真っ黒な雲が湧き上がっている。その大分前から雷の音がそちらから響いて小屋のおかみさんらしい人が電気の心配をする。聞けば、最近三回も被害が出ているとのこと。

西の空には、夕日が見えるのに、、、、、、、

七時過ぎには布団に入るが、外の雷と雨らしき音、密着した両サイドの人が気になってか、目を瞑ってはいるものの寝付きにくい一夜は続く、、、。

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今日の花。富士宮口駐車場近くで

左、深山鳥兜。根の毒が有名であるが、花の大きさと派手さは人目を引く。  右、蕎麦菜、ツリガネニンジンと良く似ているが、花の付け方、花弁の先端が広がっている。

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2008年8月20日 (水)

美しい国?

P1010018 鼬萩(イタチハギ)またの名を黒花エンジュというが何れも花を見ないで付けた名前のようである。

もともとは、道路の則面の保護などで使われた外来の荒地向きの植物で、大木にならないところが採用された理由だったようだが、在来種で則面保護をという声から最近では使われなくなった。

無節操に輸入された植物の一つで、無理やり連れて来られたものの、孫が出来たら邪魔者扱いにされる婿養子みたいな所がある。

花も、なんとなく地味で紫色の筒っぽの周りに黄色い色は配色からいっても良くなく、冴えないのもそう思わせる要因か。

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これだけ連日オリンピックの番組を見せられれば、嫌でも感想の一つや二つ出てくる。

今日も番外から、レスリングの試合を見ていたら選手の前を「美国」「日本」と書いたプラカードを持った女性が歩いていく、美国とはアメリカの中国読みであることは前から知っているが、なぜかということまで知らないので調べてみたら、中国ではアメリカを”(亜)美利堅”と書くのでとあった、日本では”(亜)米利堅”と書くので米になったのはそれぞれの発音から漢字に直した際の書き方であったらしい。

となれば、両方とも頭文字の”亜国”ですればよかったと思うが、亜の発音が弱わかったためつぎの強いアクセントの字を当てたらしい。

中国では、美という字をどう解釈しているか知らないが、私の感覚としては手助けや応援してくれる時はいざ知らず、朝鮮戦争やベトナム戦争など、今まで何回か直接、間接的に戦争相手になったとき相手国を”美国”とはいいにくい面があるのではないかと思う。

また、あまりにも自分勝手に過ぎる国を”美しい国”というのはどうなんだろう。

もっとも、メリケン粉の国を”米国”とはこれ如何にという向きもあるが、日本の米が輸出できないころ南アメリカで仕事をしていた我々はカルフォルニァから仕入れた米を食べていたが、これが意外と美味く、「やはり米国だな」と言い合ったのを憶えている。

Img_0004_1 またまた脱線続き、大阪名物の一つに”ビリケンさん”というのがあり、幸福を呼ぶ神様で私の知り合いはこれを含めて大阪では八福神というと言っていた。目が釣りあがってとんがり頭、ちょっと見には少々不気味な感じの木彫りの人形だが、これが出来て丁度百年になるという。

どう見ても東洋的な顔立ちなので、日本で出来たかと思っていたら、発祥はアメリカだという。となれば、アメリカから来たのがなまって”ビリケン”かと思ったらこれがまた外れて、アメリカでも"Billikenn"というそうだから、、、、、

ともあれ、七福神は日本の神様ばかりでない以上、アメリカ生まれの神様だって加わる価値が充分にありそうだが、”美神”とは呼ばないで、、、。

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2008年8月19日 (火)

ピッカラ シャンカラ ドンガラリンと

Img_0051  雷様が潜んでいる雲。渦の中から今にも顔を覗かさせそうに見えた。

米山さんから 雲がでた いまに夕立が来るやら

ピッカラ シャンカラ ドンガラリンと 音がする

たしか、三階節の出だしだったと思うが、雷の音を上手に取り入れているところから良く知られた民謡だった。

ここ二~三日は、朝夕の気温も低くなり暑さに弱い自分にとって幾分過ごしやすくなってきたと思っていたら、”三寒四温"の逆を行くように暑さがぶり返してきた。

午前中、城北公園までいっては見たが、花もなく人の出足も悪い。そして、蒸し暑い午後をどうやって過ごそうかと思っていたら、四時近くになって雷の音が聞えて、見る間に”三階節”の世界に突入した。

Img_0058 そうした中、一羽の鷺が電話線に掴まったまま動こうともせず雨に打たれ風にあおられて羽毛を毛羽立たせていた。これらの鳥は雨風を除けるということは考えないのだろうか、このくらい強くないと生きられないのかなどと考えながら、雨のかからない、軒先から弱い人間は見上げていた。

激しい雷と雨風はものの一時間らずで元の青空に戻ったが、地上の熱気を拭い去ってくれ、雷様に感謝しなくてはならない。

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2008年8月17日 (日)

ぐっと我慢をする

Img_0025 今日は午後になって曇ってきた。

東の空から黒い雲が吹き溜るようにして雲の面積が拡がっていく、その様はUターンラッシュで料金所の後に自動車が渋滞していくようにも見えて、「今日でお盆休みは終わったなぁ」ということを空までが示しているみたいであり面白かった。

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散歩道の脇を流れる川に、鴨の親子がいた。もう大きさでは区別が出来ないくらいになっているが、人に危害を加えられた経験のない子鴨は、のんびりと羽繕いなどをしてひとめも気にしていないなか、一羽だけ小さな声を出し周囲に眼を配っているのがいる。

きっとあれが親鳥になるんではないかと見るが、ほかの鴨たちはそんな注意も何処吹く風とばかり無視していて、まるで人間で言えば高校生ぐらいの反抗期に見えないでもない。

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「手助けしたくても、ぐっと我慢をするのが親」今朝のテレビで誰かが言っていた言葉だが、、、そのとおりだと思う。「手痛い失敗をして勉強しなければ身に付かない」とも言っていた。

最近はこの辺がなっていないのだと思う。手痛い失敗を恐れるあまり、親は安全レール敷いて、その上を走らせようとする。親は、これが愛情だと思い自己満足してしまうが、子どもにとってはそれが良いことかどうかとなると疑問がわく、子どもは何時までも自立心が出来ず親を頼るが、そんなこと何時までも出きるはずがないことは明白。

振り込め詐欺は、そこを突いたもので手助けをしてあげようという気持ちを逆手に取っている。本当に子どものことを思うなら、ぐっと我慢をするのが最善、成人した子どもに「作った借金は自分で始末しろ」  ぐらいのことが何故言えないのか、と、いつも思ってしまう。

もっとも、私と違ってするだけの余裕がある人たちだから、、、、、。

でも先日有ったように土地改良区のお金にまで手をつけるようでは、言語道断といわざるを得ない。

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今日の花。麻機回りに咲く花。

左、面高、沢瀉(オモダカ)とも書く、昔から葉の形が日本人に好かれ家紋にまでなっている。写真は、受粉して実になりかかっているところ。右、嫁菜、正確には関東嫁菜というが葉の形が少し違うだけ、キク科の野草は良く似ていて区別が難しいので、小さな違いなぞ専門家に任せて、「そんなのどうってことない」としておこう。

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2008年8月16日 (土)

秋も間近に

Img_0021_2   薄らぼんやりと富士山が山の彼方に認められる、コスモスやまだ青い蜜柑を前衛にして”秋間近”を告げているようにも見える。

早くから咲いているコスモスだが、こうしてみると「富士山には秋桜も似合う」だろ。

今日も33度を越し暑い暑いと連発しているが、季節は確実に変わってきつつあるようだ。

Img_0029 空の雲も、巻雲が目立つようになるし、散歩の途中に聞くアブラゼミの声もかぼそくなってきた。

今日も、くもの巣に引っかかってもがいている蝉を見たが、「元気なときなら突き破って飛び去るものを、、、、」と感じ、これも自然の摂理とそのまま見過ごすことにした。

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テレビは相変わらず、何処の局もオリンピック一色。

成果を出せた人、出せなかった人とさまざまであるが、柔道関係に大きな波紋がありそうだ。

原因としては、前にも指摘したが選手選考会に勝っても出られなかった人がいたりして、何のための選考会かと書いたが、、、、、、まさにそれに当たったのではないだろうか。

”勝った負けたと騒ぐじゃないぜ”という歌もあったが、匙加減で選手を決めた協会の責任はどうなるか、、、、、、、

それにしても、北島選手、柔道の谷本選手などマスコミのストレスを跳ね除け二連覇する選手の強さには感心し、柔道最重量級の石井選手の若さに羨ましいものを感じる。

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今日の花。麻機の山道で

左、アケビの実、まだ5㌢に満たない小さなものだが一ヶ月も経てば私の腹の中?  右、ボロ菊、胞子がボロのように巻きついて離れないところから名付けられたが、、、、

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2008年8月15日 (金)

朝焼けの日の出

Img_0011 ”朝焼けに川を越すな”とは天気の悪くなる前触れで、雨で増水した川を戻ることが出来なくなることを言ったことわざである。

しかし、今朝の朝焼けは西の空が雲ひとつないだけにその心配はなく、またまた蒸し暑い一日を保障しているようだった。

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”臥薪嘗胆”痛い茨の床で寝 苦い熊の胆を舐めてあの敗戦の屈辱を何時までも忘れるないように、と越王の勾践は誓ったそうだ、、、、、

そして、63年前の今日、一般庶民の子どもとしては戦争が済んで、電気は赤々として付けられるだけでも嬉しい限りで、性も根も尽きた大人からは悔しいという声は聞いたことがなかった。

今日は”敗戦記念日”日本が第二次世界大戦でポツダム宣言を受け入れ「無条件降伏」をした日である。終戦でなく敗戦の日なのである。アメリカやイギリスではこの日をVJ day  つまり、Victory over japanなのである。

撤退を転進、敗戦を終戦と言いかえ、占領軍を進駐軍と言い換えてつくろい、面子を保ち、事実を柔らかくしようとしても事実は曲げられない。

日本はドイツに比べて、戦争犯罪に対する反省がが足りないとする声が多い。これは、死んだらみんな仏様、死者にむち打つな。という考えからなのだが、何故このような事態に到ったのかということを真摯に追求をしてこなかったことが、いまだに周りの国から口先だけと非難される所以であり、国内の一部で屈辱外交と反発を生む要因でもあるだろう。

きょう、全国戦没者追悼式典が執り行われたが、今日だけの為に設置された墓標に黙祷するだけでなしに、河野衆議院議長が述べたように戦没者のための霊園を早急に作り、外国の要人を含む人人が参詣出来る場所が出来ないものだろうか。

”赤信号皆で渡れば怖くない”みたいな人に詣でてもらっても、靖国の大多数の兵士?はどう思っているのだろうか。

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今日の花。麻機周辺に咲く

左、高砂百合、鉄砲百合と良く言われるが違いは葉が細く、咲く時期も一ヶ月くらい遅い今ごろだという、、、右、臭木。葉が臭いので付けられたが、花の香りは甘く柔らかい。長く突き出たオシベは女の人のマスカラとも見えて虫たちに人気?があるようだ。

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2008年8月14日 (木)

ベイジング?

Img_0020 節黒仙翁(フシグロセンノウ)が藪の中でひっそりと咲いていた。

撫子科の花で節が黒いところから名付けられたようだが、その沈んだような赤色は暗い藪の中でも目立つ。

なんだか、いじけた子どもが引き戸の陰から覗いているように感じるのは、此方がいじけているせいだろうか。

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今頃気にするのも変な話しだが、北京オリンピックの会場に”beijing 2008”と書いてあるのを見て、これはどう見ても”ベイジング2008”としか読めないのだがと思った。

日本を英語読みにすると”japan”になるようなものかな、それにしてもペキンとベイジングではずいぶん違うし、中華思想の国としてはおかしいなと思って調べたら、北京を”ペキン”というのは広東語のパッキンから来ているとのことで、北京語ではベイジングというそうだ。(まったくの請け売りなので、、、間違いだったら教えてください)

この調子で言うと、麻雀で、トンナンシャーペーというのは北京語でどう言うのだろうかと気になってきた。

広い中国、端と端では同じ中国人でも言葉の違いは大きいようで、日本みたいに方言くらいでは方が付かないことだろう。当然、顔つきや風習も全然違うのは言うを待たないはず、、、。

いま、チベットやウイグルで暴動ともテロといわれるものが多発し、政府は強権で押さえつけようとしている。もともとはこの当たりは中国の辺境といわれるところでそれぞれ自治区となっているが、中央から漢民族が来て自治というものが形だけになっているようなところがあるといい、当然反発はあったようだ。

国というこの厄介なものは、大きければ良いといった感じが為政者にあるが、ただ、世界地図の上に同じ色の面積を競い合うのは意味がないということになかなか気づかない。

国というものは、そこに住む人たちの自治が一番大事なはずであるが、、、どうも、いまの中国を見ていると、人よりそこから算出される地下資源のほうに目が向いているとしか思われない。

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2008年8月13日 (水)

二兎追うものは

Img_0031 Img_0029 もうそろそろだが、今年はどうかな?と期待しながら道下を見ると、淡く紅色に染まっていた。

しめた、今年は当てたぞと降ってみると一面”狐の剃刀”が満開状態で出迎えてくれた。蕾の花が見当たらないのでほんとうに此処二~三日で終わるところだったのかもしれない。

長野に行く前にどうしようかなと思っていたのだが、今日登って正解だった。竜爪山のキツネノカミソリは毎年綺麗に咲いているようだが、自然のものだけに必ず見られるものでもなく、大体このころという目安しかない、彼岸花科の植物だけあって開花時期が短い。

ここに、これだけ纏まって咲くのはいろいろな条件があってのことだろうが、植林をはじめ、心無い人が入って荒らされるなど環境を変えないことを望みたい。

Img_0032 幅は約五十㍍くらい、下のほうはどのくらいまで下がっているのか足を踏み入れられないので分からないが、落葉樹の下草のようにずっと続いていて先が見えない。しばらくしゃがんで眺めていると天国のお花畑とはこんな所か、、、なんて考えてしまう。

しかし、ふと傍を見ると、木の根肩に缶ビールの空き缶とウイスキーらしい瓶が転がっていて現実に引き戻される。中身は身体の中に入れて軽くしたものだから、持って帰るには造作もないことのはずだが、、、、。心の貧しさを見せ付けられたような気がした。

穂積神社から約四十分で富士山の見えない峠に到着。それからまた尾根筋どおりの道を四十分ほどで薬師岳山頂(1,051m)になるが、このルートは少しでも早く目的地につきたい自分の性格としてはあまり好きな道ではなく、これまでに俵峰から登ったのとあわせてもこのルートは三回目にしかならない。

Img_0049 薬師岳から文殊岳に向かう道沿いには、チャボホトトギスがお盆過ぎに見られるので、今回は一つでも咲いていないかと探してみたら、三株見つかった。

「二兎追うものは一兎も得ず」というが今日は二兎とも得てしまったことになる。

気分を良くして山頂のベンチに座り、雲の彼方の富士山を想像しながらの食事になったが、人に出会ったのは山頂でだけ、薬師岳までは顔にかかるくもの巣を払いながらの登り道だったので、多分今日一番の露払いということになるか。

とにかくお花畑の独占といい、望外のチャボホトトギスといい楽しい一日を過ごすことが出来た。

昨年もここのチャボホトトギスが大量に盗掘されたという話を聞いた。「やはり野におけ蓮華草」ではないが盗って帰っても根付かない場合が多い。大量盗掘で絶滅するのは、こういうブログも業者などの手助けをしているかと思うと、うかつに場所を特定でき無いようにしておく必要がありそうだ。    08-08-17

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今日の花。竜爪に咲く

左、玉紫陽花、珠がはじけてこれからという時期。 右、山ホトトギス、まだ早いらしく山頂に一輪咲く。

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2008年8月12日 (火)

同じ場面の繰り返し

Img_0003 昨日は久し振りに家で寝たためか、疲れがどっと出たような気がしたので、ごろ寝ととうもろこし、桃など貰って帰った食べものの賞味で一日が過ぎ、今日はしばらくぶりの麻機田んぼを巡りとなった。

朝、早くの散歩は鴨たちの世界らしく、道脇の畦に座り込んだまま動こうともしない。

長野は暑いと思ったが、こうして歩けば湿気に大きな違いが有るようで、、、、ドカ~ンと頭の上に蓋をしたような暑い日がまた甦ってくる予感がする、、、。

テレビは朝から同じ場面を繰り返し、あれだけ騒いでいた高校野球もやっているのかどうか分からない有様。「オリンピック狂想曲」と言ったところか。

あまりのくどさにテレビのリモコンを少し入れては切りの繰り返し、早く終わってくれないかと心待ちの一日。

御巣鷹山に日航機が墜落して23年とか、、、そう、あの時も高校野球は吹っ飛んでしまったなあ、、、

オリンピック中は戦争をやめるといったのは、古代だけのことだったのか。今日も地球より軽い命が、、、、、、、、消されていく

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2008年8月10日 (日)

ようやく出会えた万治の石仏

P1010020 それは怪奇とユーモラスを混交したような顔をしていた。日本では見たことのない石の顔であった。、、、、、、、(中略)

顔の面積の三分の一を占有するほど大きな鼻の下に一文字に掘り込んだ小さな口があった。両眼は深く刻みこまれた凹部としてのみ存在していた。素朴といえばそれほど素朴な石の顔は見たことがなかった。

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P1010022 上の文章は、昭和51年に発表された、新田次郎の”万治の石仏”の一節であり、新田次郎が万治の石仏をはじめてみたときの印象であると思われる。

この石仏を、イースター島のモアイ像に結びつけ”万治の石仏”とした物語を初めて読んで以来、一度見たくて探したが、いつも道に迷い、なかなか出会えなかった。

普段、長野への行き来は野辺山が多く、そのほかとしては茅野のインターを使うため、諏訪神社 下社春宮のほうには行く機会も少なかったが、今回は暑さを思って午前中に立科町を出たため時間もあり、よい機会と思い尋ねた。

”万治の石仏”は写真や先日の首伸ばし事件で見ているが、実物はまた違った印象であり、顔とその下の自然石に掘られた僧衣とは明らかに釣り合いは取れないものであることは確かであり、新田次郎が想像したのも順当なことかもしれない。

万治年間といえば1,660年だというから、江戸時代初期のうちに入る。それ以前の首はどんな祭られ方をしていたのだろうか、どう見ても仏の顔と言うより鬼の顔に近いのではないかと思う。

P1010025 とにかく印象的な顔をしてござった。しばらく、眺めたが何時までも飽きることのない姿かたち、、、、。そのうちにせっつかれてしぶしぶ春宮へ参り、駐車場に戻る。

駐車場には、じゃが芋と玉蜀黍を積み込んだ上、あちこちで暇乞いをするたびにお土産としてもらった、野菜や鮎などで自動車の中の後半分は荷物の山。

いつもの事ながらありがたいことこの上もなし、、、と思いつつ、自動車は後荷の重みに耐えかねてそっくり返ってのご帰宅。

”万治の石仏”佐久市望月にもあるとのこと、知らなかったので次の機会に見に行こうと思っています。それにしても、万治という時代と石仏は何か意味があるのでしょうか、その辺もあわせて分かれば幸いです。   (八月十四日)

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今日の花。立科町に咲く花

左、川原撫子、日本女性に見立てられるはなの一つだが、こうしてみるとしとやかさより、華やかさが目立つ。  右、南蛮繁縷(ナンバンハコベ)帰化植物ではなくれっきとした在来種。花の派手さから名付けられたとも言うが、、、

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2008年8月 9日 (土)

焦熱地獄を覗き見る

Img_0115 寝起きの散歩。朝の食事は七時半からという話だったので、それまでに一汗流して風呂に入ろうと外に出る。

すぐ傍の、馬事公苑に来ればすでに馬は起きている気配がし、馬小屋の中でごそごそと動く音がする。

その脇を通って、更に農道を巡り帰って来れば女性を乗せた一頭の馬が朝日の差し始めた馬場の中を巡っている。

此処しばらく雨が降らなかったのか、草露はあったのに馬場では砂埃が立っていた。

朝風呂にのんびりと浸かれば、朝ご飯の用意が出来ているとのことであわただしく食堂に向かう。

今日も暑くなりそうな気配は、空に現われている。「農産物の店が開くまで」と涼しい部屋で九時過ぎまでゆっくりとした後、望月の町のほうに向かって降る。

弟夫婦は、今日帰るというのでじゃが芋の支度、とうもろこしほか農産物の仕入れに余念がない。昼少し前に和田峠経由で帰っていった。

さて、残された我々もすることがないし、暑いので、女神湖から御泉水自然園、そして大河原峠へ向かってみようと出発した。

御泉水自然園は蓼科山の西麓にあって標高は1,800m程度のシラビソ、栂、岳カンバなどを主体とした自然林の中に植物や小鳥を観察できるようにチップを敷いた観察する道が作ってある。

今回は、足弱のものがいるため、お花畑コース約1Kmを散策する。

Img_0010 季節の変わり目だったのかヤナギラン、野アザミ、白山フウロ、ツリガネニンジン、など花の数が少なかったものの歩きやすい道は快適である。

そこを出たあと、さらに東に向かって進み一番高みの大河原峠に到着。標高2,097mの標識があり気温は19℃まで下がり最近になり、そよそよと吹く風はまさに極楽風。気分まで爽やかにしてくれている。

Img_0015 下には、望月町とその周辺が一望できるものの、昨日小噴火したという浅間山は雲の中で見えない。そして、その雲の中に雷様が隠れていると見えてさほど大きな声ではないがうなり声をときどき発していた。

こんな所にいると、なんだか芥川龍之介の”蜘蛛の糸”のように、極楽の蓮の池から下を見ると焦熱地獄の地表を覗いているような気分になり、すぐ其処に帰らなければならないのを忘れ、観音様になった気分になる。

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今日の花。御泉水自然園にて

左、ウツボグサ    右、野アザミとヒョウモンチョウ

Img_0124 Img_0135                 

左、釣鐘人参  右、シュロソウ

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2008年8月 8日 (金)

早朝芋ほり

Img_0091 早起きは三文の得という言葉があるが、昨日の日中の暑さはとても畑に出る気力を無くした。

その言い訳に”あしたは五時から畑に出るぞ”と宣言した手前仕様がない。

時間通りに、畑に出て三つ鍬でじゃが芋ほりにかかる。半月ほど前に半分ほどを掘った時と違い、草ぼうぼうになった畑の中、畝に見当を付けて掘り出すのだが雑草の根がしっかり広がっていて力が要る。

一畝掘っただけで手のひらに水ぶくれが出来、慌てて手袋を探しに戻る。その時点で他の連中も起き出してきて、草刈を先にしてくれた。

二時間余、全てを掘り起こした後汗だらけの身体にぬるいシャワーの感触が心地よい。朝飯前の作業は昨夜のアルコール分を吹っ飛ばしてくれ、御飯が美味い。   おかわりの連発

昨日は、立秋。秋の始まりとされ、朝晩に秋の気配が感じられるようになるとあるが、そんなの関係ないとばかりギンギラギンと灼熱の太陽が照りつけ、入道雲はぐんぐんと沸き立つ、涼しさを求めてきた立科町で36℃を温度計は示している。

朝仕事は捗ったが、ダメージは大きいようで、戸を開け放ち風を入れながらごろ寝を決め込む。

今夜は、春日温泉泊まり。いままで何軒か泊まったが、一番泉質がよいと思われる宿を急遽頼んで向かう。

お盆の時期なら難しいことだろうけど、今の時期はまだ空き室があって快く返事を貰った。

この温泉はアルカリ性の温泉ということで、湯にぬるぬる感が強く、少しぬるめのお湯は疲れ取りに、、、、そして、女性には評判の良い美人の湯ってことらしく何度も来ている。    

また、源泉掛け流しということで、飲用にも出来るため、湯の出口にはコップが置いてあった。しかし、飲んだ効果がどうなのか見た限りでは書いたものもなく不明。しかし、お腹の中も美しくしてくれるなら良いか、と一杯飲んでみたが味は呑みにくいものではないもの美味くはないし、効果の程は此方も不明。

ということで、夕食後今日から始まる北京オリンピックの開会式を見る予定だったが、どっと疲れが出たらしく九時前に夢の世界に入ってしまった。

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今日の花。春日温泉に咲く花。

左、小葉擬宝珠(コバノギボウシ)普通見られる大葉擬宝珠に比べると花の形がラッパ状で、直立している、もっとも大きな違いは葉が名前の通り細く小さい。  右、薔薇、もっとも原種に近いらしく野ばらを色濃くした程度の花をつけている。  

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2008年8月 7日 (木)

気力を削ぐお日様

Img_0061 露天風呂から見上げる笠が岳

Img_0054 枕もとの突き上げ窓は、昨夜来ずっと開けっぱなしで一夜を過ごした。朝方の冷気でシーツの中に潜り込んだものの、予想より気温は高かった。

目ざめれば、外の草木はしっとりと露を含み、鶯の声が聞え、昨日は見えなかった四囲の山々に朝日が当たり始めている。

Img_0042 一人で来ていたなら、きっと予定を吹っ飛ばして、どれかに登っていただろうな、なんて考えながら朝風呂に浸かって空を見上げる。

朝の食事は七時半、朝風呂を済ませて腹を鳴らして待つ。食事中になって主人が「ケタルさんは神岡の出身だそうですが、私の親父を知りませんか」と経歴をいう。「その人なら良く知っていますよ」と答え、更に話を進めると、中学の後輩になり、弟夫婦と主人の姉が同級生ということまで分かってきた。

まさに、”縁は異なもの 味なもの”というが何処にどういう知り合いが出来るか分からんものだ。

支払いを済ませてから、天気が良いからロープウエイで登ってみようということになり、始発から間もない時間、客の少ない中ゆうゆうと腰掛けての空中散歩となった。

Img_0068 目の前に笠が岳、北に西穂から槍ヶ岳、南に焼岳を眺めてゆるゆると登り、ポストを通過する際、ゴンドラが揺れるたび小母さんが大げさに騒ぐ。このくらいの年になれば、度胸が据わっているものと思うのだが、、、、

終点で下車すれば、三人のカメラ屋さんが大きな声でシャッターを押してあげますよと声をかけている。最近では猫も杓子もデジタルカメラと携帯電話のカメラで頼む人も少なく、実いりも少ないに違い無いだろうが、大声は自然にはそぐわない。

これで此処に来たのは何度目になるか、いつものようにシラビソの森を散策して戻る。長野でじゃが芋掘りが待っているのだ。

降ってから、平湯温泉~松本~三歳山トンネル~鹿教湯温泉を過ぎて立科町へ着いたのが昼少し過ぎ、食事を済ませて畑に行って見たが頭上から降り注ぐ太陽の熱は、気力を削ぐに充分の威力がある。

結局は、ゴロゴロとして日没を待ち、お接待のビールとバーベキューを目の前に見せられれば、「芋ほりは明日の朝、、、」と腰砕け

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今日の花。西穂高ロープウエイ終点

左、岩桔梗、高さ10㌢の小さい草、蛍袋の仲間。右、リュウキンカ。湿地に良く見られる、長い柄の先に一つだけ花を咲かせ、花後の種も面白い。

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2008年8月 6日 (水)

内風呂に入る人はいません

Img_0048 閑人は世間の波から少し離れて動くをモットーにして早めの盆休みを取ることにした。

静岡から国道52号線沿いに鰍沢。そこから自動車道を松本まで走った後、梓川沿いに上高地入り口、そして、安房トンネルを抜けて、故郷まで380kmほどを駆け抜けて墓に着いたのが丁度お昼だった。

約六時間の長距離運転。弟夫婦と落ち合った後、まずは腹ごしらえ、、、、そして、草茫々になった墓掃除と墓参りの後、お寺によって挨拶。

長野から岐阜県に入った平湯温泉は気温24℃と気持ちの良い気候だったが、草むしりの墓掃除では34℃の炎天下の作業、「これでは静岡と変わらんな」というのが感想。お陰で親不孝を承知で涼みを求めて宿近辺まで早々に引き返すことにした。

今夜の宿は、標高1,200m、北アルプス唯一の活火山焼岳の麓、登山口にある中尾温泉である。泊まるのは初めてであるが、まだ二十代の頃、焼岳に登る際は良く通過した所だけにかって知ったる土地である。

近くには、西穂高に登るロープウエイがあり、正面は錫丈岳と笠が岳、背面には煙をたなびかせる焼岳が眺められる場所にあり、50年位前には温泉が間欠泉のように蒸気を伴って吹き上げ、余った湯は道路に流して雪を消していたことも有るくらい湯量豊富な温泉であった。

しかし、ここまで来た時には、厚い雲に覆われてしまいロープウエイ乗り場まで行ったもののそのまま引き返して宿に入った。

Img_0059 宿は、外国の山小屋風の外観を持ち、内湯二つに露天風呂三つ、客は十六人なので何れも貸切風呂である。仕組みとしては、入り口にかかっている「入れます」という看板をひっくり返して「入っています」すれば良いだけ、、、

宿の主人曰く「内風呂に入る人はほとんどいません。少し待っていただければ、、、」とのことだった。

早速入らせてもらい、六時からの食事の後何もすることがないのと、久し振りの長距離運転で疲れたのとで、九時過ぎには床に入ってしまった。

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今日の花。中尾温泉に咲く花

左、牡丹蔓(ボタンヅル)仙人草に良く似た花だが、葉が牡丹に似ているということからつけられた名前。集団になって咲く姿は白い雪のよう。 右、千手岩非(センジュガンピ)ナデシコ科の植物、といわれれば花の形が良く似ている、千手とは見つかった場所を言うらしい。ちょっと見には白いナデシコと見間違えそう。

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2008年8月 5日 (火)

法器草?

Img_0031 真夜中の空をイカヅチがガラガラと走り回り、レム睡眠の目蓋を通して稲光が見えた。

一夜明けた今朝方は、その余韻が残り北部の山々は水墨画の世界のように雨霧がかかり薄ぼんやりとかすんで見えた。

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Img_0041 いま麻機沼の中央部の水面に鬼蓮(オニバス)が紫色の小さな花を咲かせている。葉の裏表に棘があり葉の直径が1メートルを越す所から鬼の名が付いたようだ。

Img_0044 葉は浮かんでいるだけで、薄っぺらな上柔らかく、花がその葉を簡単に突き破って出ているものもある。図鑑によると、花は自家受粉で閉鎖花のほうが多く、水面に顔を出すのは稀だとあるので花は貴重なものということになる。

また、出来た種は水底に沈んでいて、何か刺激があるまで沈んでいて発芽するとある。そういえば去年この当たりを重機で浚っていたので、今咲いている花はそれが原因の花と言うことになる。

Img_0042 葉が大きすぎるため水面を覆い、池が酸欠になったり、ジュンサイの邪魔になったりで農家からは嫌われ、沼の埋め立てなどで繁殖地がなくなって、絶滅危惧種に指定されていると聞くと、この沼は貴重な存在になるのだろうか。

この池にまつわる伝説に「沼の婆さん」というのがある。むかし、この沼の主に孫を奪われたお婆さんが、沼に身を投げて、沼の主、河童を退治したところ、翌年から”法器草”という植物が出てき、村人の食べものになったという。

”法器草”という名は植物図鑑にも載っていないので、はっきりしたことは言えないが、言い伝えの中には、身を投げた後村人が探しても見つからなかったとか、葉が2㍍もあり、棘がはえているとあるからほぼ間違いないだろう。

人間の都合で、絶滅される動植物をこれ以上増やさないようにと思う一方、不便をを強いられる立場になると甘いこともいっていられなくなる。

しかし、何かことが有るまで沼の底でじぃっとしているというのも、なんだか不気味な存在の水草である。

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明日から岐阜と長野へ墓参りをかねて避暑に行って来ることにしました。しばらくお休みいたします。

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2008年8月 4日 (月)

スポイトで混ぜる新しい色

Img_0008 昨日のぐうたら一日に懲りて、朝早くの散歩をすることにした。

寝苦しい夜、二度寝をしたため気分の悪い朝だったが朝飯前の六時に家を出て、近所をグルッと周り、近くの小学校に近づくと子どもが息せききって走って追い越していった。

校庭からはおなじみのラジオ体操の曲が流れてくる。「おや 最近聞いたことがないのでやっていないのかと思ったら、、」と、考えてみれば、近所には小学校へ通う子供がいないもんな。

集まっているのは、大人を含めて三十人ほど音量も低く抑えているようでなんだか寂しい感じのする体操をしていた。多分騒音公害などと言われないように(既に、言われたのかもしれないが)しているのだろうがあまり度の過ぎるのは考え物だね。

それにしても、子どもの数が少ない。高齢化社会を目の当たりに見るような気がする。

今日の新聞によると、いま日本では三十人に一人(3.2%)が外国人を親にもつと言い、静岡県はそれをもっと上回って4.5%だと書かれていた。

今まで何回か国会議員の一部が「日本は単一民族国家」だと主張し、批判されてきたが、もともと日本にはアイヌ系や朝鮮系、南方系などの人が交じり合って出来た国のはずだから、単一民族ではなかったのは明白。

そして、鎖国などで海外との交流がなくなったため、それまでの人がかき回され同じような色(言語 思想 伝統)になっただけであろう。ただ、そこに交じり合えなかったアイヌなど少数の人々に偏見、差別の目が向けられ問題視されいるそうだ。

いま、また人々の交流が激しくなって、国際結婚や海外からの移住者、労働者が増えてきたことからこんな記事が出てきたのだろうが、日本という国の色にスポイトで新しい色が何滴か入ってきて、またすこし違った色になると思えばそれでいいのではないだろうか。

要は、日本に住む人が平等に税金を払い、その権利(選挙権など)を行使できるようにしたいものと思うが、偉い先生方ではまだその機運は無く相変わらず「外人外人」といい、学校教育や健康保険などの差別をほったらかしにしている。

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ちょっとしたサウナ気分の午後になった。頭は朦朧としあわててクーラーを入れる。後 一日の辛抱。と心に言い聞かせて、、、、耐える。

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2008年8月 3日 (日)

バタ臭いヒマワリ

Img_0001 いやぁ 今日も暑かった。いや夜になった今もまだ暑い。

お昼過ぎには、36度を寒暖計は示し、庭の草花も暑さにやられてぐったりしている中、向日葵だけが元気。写真に写してみたら背景の稲の緑に映えて、なんだか絵に描いたようにくっきりとしていた。ちょっとバタ臭くて(古い表現だな)外人みたいなヒマワリに見えたがいかがだろう。

今日が今年の最高になってくれれば良いのにと思っていたら、「明日も同じような状態でしょう」とテレビはつれなく希望を打ち砕く。

朝の散歩に出そびれたら、そのまま家に閉じこもりをしてしまった。蝉の声を聞くだけで気持ちが萎えてしまう。こんなことでは本当の”とじこもり”や”うつ病”になりかねないので、明日は子どものころのラジオ体操よろしく早出をしよう。

とにかく本日は、グダグダと何にもすることなくテレビとパソコンの子守。

その結果、興味を感じたのは、読売、朝日、毎日の各新聞社が改造内閣の支持率を発表していたが、読売は42% 朝日は24% 毎日は25%だとしていた。どんな質問の仕方でこうも違ったのか知らないが、差が大きくて信用しかねる。

それこそ、大分県の教育委員会のように別室で担当者がチョコチョコッと書き直したと疑われかねない結果に見えた。仲間はずれを嫌い、長いものに巻かれる国民性を利用したのだとしたら、、、、、。

あとは、「天才バカボン」の作者 赤塚不二夫さんが亡くなったこと、、、。

彼の漫画は、子どもが丁度漫画を見る時期だったのでいくつか一緒に見た記憶がるが、風刺やギャグが多くただ上っ面をサッと見ただけでは分からない奥深さがあったように思う。

年も少し上の人だっただけに、ガンになったとき、酒を飲みながらの記者会見などを見ていたが、、、、裏読みでは気の弱い人なのだな。自分だったらどんなことを言うのかななどと考えさせられたものである。

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2008年8月 2日 (土)

素人の口出し

Img_0106 この写真の中央当たりに残骸があった。

午後になって強い日差しが出てきたが、朝のうちは雲を通しての日の光だったのでいまのうちとばかりに出かけてみた。

昨年十二月にヘリコプターが墜落した麻機沼。

当時は事故調査と、その後の引き上げで現場は多数の人が入り泥田の状態になっていたが、今日行ってみるとそんなことがあったとは思えないほど回復していた。

この春まで遺族が造ったと思われる献花台も叢に隠れ、僅かに竹筒らしいものが目に付くだけ、現場は凄い繁殖力を持つ蓮が覆いつくし、花が咲き乱れている。

その様は、落ちたヘリコプターの残骸を見ているだけに、一種感動を覚えるものがある。

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福田首相自前の内閣が今日発足した。もともと期待も何もしていなのでどうなろうと、、、、だったが、開いてみれば団子三兄弟よろしく、官僚出身の守旧体制の人が更に多くなった内閣になったようにみえ、公務員改革に消極的で、消費税を上げることに積極的なメンバーが多いように見える。

また、最後っ屁みたいにして、伊丹空港を橋下大阪府知事が”廃止も検討”と謳い上げたことに対して冬柴大臣が即座に「素人が大胆なことを言わないほうがいい」と言ったが、自分たち以外を素人扱いにし他の視点から見たものの考え方を馬鹿にした政治屋の言い方である。

自分は関西の三空港の事情については何にも知らないが「そんな考えかもあるのか」と思案するまもなく否定するのに反発する。もし、無くなればと天下り先を心配する官僚的発想が真っ先にあって、早速耳打ちされての発言かと思う。官僚の言うことばかり代弁してきた人らしいと感じたのは自分だけだろうか。

公明党が最近地盤沈下を起こしているのは、この人の国会答弁の功績(?)がかなり大きいことと思う。

いずれにしろ、来年にはどうあがいても選挙をやらざるを得ない内閣なのだから、支持率向上の努力をして欲しい。間違っても国民目線を素人扱いにすると飛んだしっぺ返しが待っている。

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今日の花。左、女郎花 右、葛 どちらも”秋の七草”として秋を代表する花だが、もう、あちこちで見かけるのは植物のほうで先を見越しているようだ。

暑さも先が見えている。ガンバレガンバレと

Img_0009 Img_0011

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2008年8月 1日 (金)

ドンダケ~

Img_0018 今日八月の始めの日、つまり八朔である。

もっともこれは旧暦の呼び方なので、正式には8月末になるだがむかしの人は綺麗な言葉を作ったものだと思う。

一方で、甘夏に良く似た”八朔”はこの日ごろ食べられると言った坊さんが名付け親だと言う説もあるが、とてもとても今の時期は摘果が済んで消毒しているころで、食べられるのは年が明けて二~三月に入ってから、、、、六月くらいまでは木に生らしておくと食べられるが、今の時期では中の種から芽が吹き出して、実全体がいやな味になるためとても食べられたものではない。

なのに、どうしてこんな名前が受け入れられたのか不思議である。

.こんな値段でようやるな

Img_0093 予想にたがわずといった感じでガソリンスタンドの料金表がまた変わった。近所のスタンドでは写真のようにレギュラーで190円を示していた。

このスタンド日ごろから高いし、以前に一回行ったら営業の5分前だから入れられないと言われたことから使ったことが無いのだが、こんな高い店に誰が入いるのか見てみたい気がする。

市の中心部から3kmと離れていないこの地でこの値段。運送費がかかる山梨県のほう何時行ってもずっと安いのはどうしてなのかと思うが、静岡特有の殿様商売でやっていけちゃうようだ。

また昨日の新聞で、このガソリン値上げで石油メジャーと言われる会社は軒並み大儲けをしているようでシェルの場合売上高で55%増、4~6月期決算で最高益を更新し1,314億ドルだと報じていた。

投機マネーもそうだがこの辺をナントカしなきゃならないのではないだろうか。資本主義社会ではどうしようもないようだとG8も手をこまねいていたそうだが、1,314臆の107倍円ってドンダケ~、、、

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今日の花。左、ノウゼンカズラに深々と頭を入れて蜜吸いをするナガサキアゲハ。 右、咲き遅れた鬼百合の蜜を探してあちこちと移動するナミアゲハImg_0274 Img_0007

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