声きくときぞ あきは悲しき (青笹山 1,650m)
”ケイッ~ン”と鹿の啼く声が聞えた。声は大きくは無いが良く通る甲高い音で伝わってきたが、一回だけ。後は風が吹き渡り、下のほうから谷の音が強弱不規則に聞えるだけだった。
思わず百人一首にある猿丸太夫が「鹿のなくを聞きて」と題してつくった
”おくやまに もみじ踏み分け なく鹿の
声きくときぞ あきは 悲しき”
と、同じ情景なんだなと思いながら、紅いカーペットのようになった落紅葉を踏みしめて登る。
今日は、青笹山(1,550m)に登ってみようと葵高原まで自動車で来た。いつもは正木峠まで行って地蔵峠経由で登るのだが、何年か前に出来た新道を使い頂上を目指し、帰りは尾根伝いに地蔵峠を廻って降るという周遊コースを取ることにした。
この道は、いままで何度もこの山に来たことがあるのに、なんだか縁が無くて使ったことが一度も無いので楽しみに登る。
舗装された道を少し登った後、山葵田の縁を廻り20分ほどで細島峠と新道との分かれ道に来たが獣除けらしい網が、道をふさいでいる。前に細島峠に登った時には無かったので、道がなくなっているのだろうかと心配になったが「新道」という矢印はあるものの、「立ち入り禁止」という表示はない。
なんだか分からないが、その先に少し前に歩いた足跡があったので、網を支えている鉄棒をよけて通る。
道は、結構しっかり付いているし、古びているので新道らしくない。もっとも自分がこの道の存在を知ってからでもかなりの年数がたっているので、、、、と、思っていたら途中三カ所に炭焼き窯の後を見た。
見た感じ石垣だけになっているところから五十年以上経っていると見たが、、、いや、百年以上か、、、分からないが炭焼きの道としてあったに違いない。とすると、新道と言われる部分は”風穴”と言われる部分から上の、、、いや、もっと上なのかもしれない。
”風穴”はこちらという看板につられて寄ってみたが、気温のせいか風は感じられなかった。ただ、この下に階段状の場所が八段ほど続いているところを見るとここから水が出ていたんではないかという想像をした。
炭焼き窯があるのは、大抵谷の水が傍まで引ける所なのだが、ここまで見てきた窯跡には水が無かった。風穴から水が出ていたとすれば納得できるし、階段状の場所は山葵田ではなかったかと思う。
そのほか気づいたのは、ときどき路傍に立てられている数字を書いた板がどうも不思議だったことである。尾根道に到るまでを2から9まで書いてあるところを見ると、2合目、3合目かと思っていたが、間隔がばらばらで最後の9から先の長いこと、、、なんなのだろうな?といったところ。
二時間少しで、頂上に着いた。静岡側はそれでも薄日の差す天気だったが、山梨側は深い霧の中、丁度尾根を境に両側から上がってくる風がぶつかり合っているようで寒さを感じる。
おかげで、長居が出来ず予定に従って、県境の尾根を歩き仏谷山を目指す。
細島峠を過ぎ、一番快適な仏谷山の尾根当たりで、隈笹が繁る藪に入って茸を探すが痕跡すらない。仕方ないので何年か前からここに来た時には取っている”サルナシ”を土産にすることにした。
来てみると、長年サルナシに寄りかかられた木はかなり傷んでいて量も少なくなっている、、、そこで、手の届く場所にある実を半分ほど分けてもらうことにした。
というのも、そこに来た時何かがいるらしく笹ががさがさと揺れていたので、分け前を残しておかなくちゃ悪いなという気がしたからである。
そんなこんなで、茸が無いか、なんかないかと正木峠に下ってきたのは午後一時、三時間も尾根で遊んでいたことになる。さらに、葵高原まで林道を降ってきたがその途中の竜胆がまた綺麗に咲き誇っていた。
葵高原にもあったが、花の量と綺麗さは比べ物にはならない。自動車で走っていたら気が付かなかったかもしれないと思うと、あまり便利とか楽を追求していると良いものを見落としてしまうの典型だと思った。
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今日の花。
竜胆とアキノタムラソウ
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