しろばんばが飛んできた
井上靖の自伝的小説のひとつ、「しろばんば」の冒頭の部分に{、、前略、、、ゆうがたになると、決まって村の子どもたちは口々に”しろばんば しろばんば”と叫びながら、、、、くうかんを綿屑でも舞っているようにふゆうしている白い小さい生き物をおいかけてあそんだ、、、、}と書いているが、その後もこの虫は子どもの遊び相手をしていたようで、自分たちも同じようにして遊んだものだ。
”しろばんば”とは、すぐ後に書いてあるが”白い老婆”のことだとある。しかし、自分たちの場合は”雪虫”と言った。これは、虫の腹にあたる部分に白い毛が生えていて、風の弱い夕方など無数に漂っているさまは雪がひらひらと舞い散るようにも見えるところからきていると思う。
空を飛ぶ能力が低いのかあまり移動することなくふわふわと空に浮かんでいるが、物にとまったりしたところを見たことが無い。おまけに、体長2ミリほどしかないので、飛んでいるとき写真にしようとしても焦点が合わないし、ごく柔らかい虫なので、無傷で捉まえるのは難しく、写しにくい生き物である。
昨日、家の庭で久し振りに見つけたので、捉まえ、目を回させてから指の上にのせたのが上の写真。でもすぐに飛び立って半ボケ写真しか出来なかった。
次の機会には、、、、
この虫の正式な名前は”トドノネオオワタムシ”というそうだ。漢字で書くと”椴根大綿虫”と書き、椴根とはトドマツの根をいう。そうなると、家の近所にはトドマツや、シラビソなど高冷地の樹木は見当たらないから、静岡では貴重な訪問者ということになるのだろうか。
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今朝の新聞に、筑紫哲也氏がなくなったと報じられていた。やっと先日まで元気なようだったが、、、73歳は今の時代ではまだ早いと言う気がする。
朝日新聞の記者からの出発だと言われるが、自分とは年も四歳ほどしか違わないためか、同世代意識を持つ面もあり、考え方に共鳴する部分がかなりあって、この世代の代弁者的存在で尊敬する人の一人だった。
人の思想には新聞の社説やコラムによって影響を受ける面もあるのかと思うが、親の代から朝日新聞を取っていて、その社説やコラムからの影響はかなりあったのではなかろうか。
日本では、朝日が左がかっているといわれるのに対して、読売系が右だと言われている昨今、朝日嫌いの人もかなり入るようで、”チャンネル2”や文春、新潮などからは批判がかなりある。しかし、どの新聞社もスキャンダル、誤報的勇み足はあるものの、マスコミは権力に対して妥協したり迎合せず、監視の目を怠ってはいけないものだと思っている。
そんな、姿勢を貫いての一生だった、と思っているだけに今日の早逝には惜しいものがある。
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コメント
慶さん
花にも虫にも茸にも学術名のほかにその土地土地の名前があり、そのほうが身近に感じるものです。ただ、他所の土地に行くと通じ無いのが欠点ですが、、、
筑紫哲也さんは、後々の報道を見ても同業者や後輩からも慕われていた様子が良く見えました。
それだけに正論を吐かれたのでしょうね。ひるがえって自衛隊幹部の一方的物の見方には怖ろしいものを感じます。田母神氏だけで無く、恵という元自衛官も同じことをテレビで言っていました。
投稿: オラケタル | 2008年11月12日 (水) 22時09分
またまたご無沙汰してしましました。
この虫、なつかしくてこちらにコメントさせていただきますね。慶は「ゆきんこ」=雪の子って呼んでましたよ。あまりこういう虫は好みませんが、「ゆきんこ」って名前でなんとなくうれしかったのを覚えています。
筑紫哲也さんが亡くなったと聞いてついこの間まで帽子はかぶっていらっしゃいましたが闘病中とはいえお元気にしていらしたのにと、驚きまた、とても残念でした。いつも熱いものを内に秘めどちらかというと淡々と語っていたのがとても好きでした。映画のことなどの話のときはとても熱く、でも、評論のときは冷静に、またご自分の体のことをお話しされるときも、坦々としていらしたのが印象的でした。
投稿: 慶 | 2008年11月12日 (水) 09時33分