霜鬢 明朝又一年
朝、神棚の掃除を済ませた後浅間神社まで散歩を兼ねてお札を受けに行った。
ひと気のほとんど無い、中庭の池の噴水にだけ朝日が当たり、水しぶきが眩しく見えた。
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雲ひとつ無い北東の空へどんどんと落下するように日が沈みんでいく、いつもの情景と違わないのだが、これで今年も最後かと思うとなんだか手を合わせたくなるから不思議である。
日が暮れだした五時半には、全て支度も済んで(済まなかったものは見ぬ振りをして、、、)灯明を上げ、年越しの鰤の塩焼きと刺身をツマに、お神酒のお裾分け酒を呑み始めれば今年もお終い。
社会の重大ニュースはさておいて、我が家の重大ニュースをと考えればなにがあったのか分からない始末。
まず第一は健康に感謝。歯の治療にはずーッと行ったものの、これ以上悪くなるのを遅らせるといったもので、これは、歯が全て抜け去るか寿命が尽きるまでの付き合いと思っている。
第二は、これも健康と関係あるのだろうが、富士山や浅間山など山歩きが出来たこと。
第三は、ひょっとしてこれが一番かも知れないが、身内に不幸せが無かったこと、つまり”家内安全”
株もやっていないし、振り込め詐欺にもあっていない。簡単に言うと「沈香も焚かず 屁もこかず」ごくごく平凡に過ごしたことになるがこれが一番なのかもしれない。と、いうことで「今年も上々のうちに暮れた方でしょう」ということに落ち着いた。
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霜鬢 明朝又一年 とは唐の詩人高適の除夜作という詩の最後にあるが、白髪はそんなに苦労をしなくても増えていくものである。
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