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2009年1月31日 (土)

わさびの花 一輪

P1010014 山葵の花を求めて有東木まで登ってみたがまだ早いようだった。春はまだここまで来ていないと下ってきたところでようやく一輪、萌黄色した若葉の間から花を咲かせていた。

わさびの花。アブラナ科と言われるだけあって、四枚の真っ白い花びらは可愛らしいと言った感じそのままを表している。

花言葉は、目覚め、うれし涙などとあるが、花ではなく根をすりおろして食べたときの感想ではないだろうか、わさびの花や葉も刻んだ後、熱湯をかけてさませば辛味がでてきて美味いものだが、、、、、

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今日は、雨も小止みになった十時過ぎ退屈しのぎに安倍川上流の梅が島温泉に向かった。少し走らせると、前方上空が晴れ上がり青空が清清しく見える。

この調子だと、向うは晴れているかなと思っていたが、行けばいくほど青空は遠のき小さくなり、着いたときには青空は陰も形も見えなくなっていた。(青空に陰も形もという言い方はないか)

ひとっころのガソリン高も収まって自動車も安心して動かせるようになったが、今度は先行きの不安もあって泊まりの旅行はなんとなく行きづらい。そんな影響もあってか駐車場は土曜日というのに客足が鈍い感じで、風呂や休憩場所は空き空き状態。

三時間券を買って入ったが、一度長湯をした後時間をもてあまし、しばらく食べに行っていない有東木の蕎麦を食べようということで帰ることにした。

P1010063 この地区の主婦の店「うつろぎ」はいままで毎月ごとくらいにきていたが、ここ3ヶ月ほどはご無沙汰していた。店のテーブルの上にはフキノトウの若々しい蕾がプラスチックのケースにはいっていた。「作り物?」って聞いたら、「山葵田の脇に出ていた物だよ」って返事。「花は?」「まだまだ先、若芽が出かけたところだから」ということであきらめ、いつものように”天もり蕎麦”を注文し、食べて帰る途中の花だっただけに嬉しかった。

きっと手ぶらで帰るのを可哀そうと思った神様が、お情けに咲かせてくれたのだろうか。

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今日のテレビで言っていたが、人事院総裁が不満だと言う理由で政府の会議に出席せず、新しく作ろうとしている人事局の会合が開けなかったと言う。政府の権威も地に落ちたものだと思う。

麻生首相は、前から役人を使いこなすと言っていたが、これがまったくの嘘になるのではないだろうか。(サビ抜きの寿司みたいに食べてみたら格好は同じだが、味も素っ気もない)

こんな役人は直ちに首を挿げ替えても会議を遂行すると言う方法が出来なかったということは、今後役人に反対されれば何にも出来ないことになり、ますますの官僚国家になってしまう。(人事院総裁は弾劾裁判でないと首のすげ替えは出来ないそうだが)

国会で、官僚の作った作文を棒読みしたとしてからかわれていたが、こんなに舐められてはぐうの音もでないはずである。

おりから、ダボス会議では1兆5千億円ほどの支援をするといったそうだが、これもどこから持ってくるのだろうか。これも官僚の作文を棒読みしてばかりしていると「おれ、何時そんなこと言ったっけ?」になってしまいかねないよ。

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2009年1月30日 (金)

ラ クカラチャ

Img_0036  青木が赤い実を艶々と光らせて咲いている。

年中、葉が青いところから付けられたとも、幹が青いので付けられたとも言うが、雪に埋もれて青葉と赤い実が印象的で早くから憶えた木の名前だった。

半日影で湿気の多い場所を好み、幹は中空、葉に異臭があるなどから、離れてみる木。役に立たない木と思っていたが、漢方薬の陀羅尼助に入っていると聞くとまったくの役立たずでもなかったのを最近知った。

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また、大相撲の若麒麟が大麻所持で逮捕されたそうだ。

25歳だと言うが、あれほど世間を騒がし、解雇された力士がいた中で、教訓にはならなかったのだろうか。

話は、横にそれるがメキシコの独立戦争のとき歌われた行進曲というか軍歌というか、、歌の中に”ラ クカラチャ”という歌があり、NHKのみんなの歌などにもその曲が使われていたので有名だが

以下は慶さんのコメントを見て追加しましたが、いく先知れずになりそうで、、、、)

la cucaracha  la cucaracha

ラクカラーチャ    ラクカラーチャ

ya no se quieres  caminar

  ヤノセ  キエレス  カミール

porque  no tienes    porque  le falta

ポルケ  ノ ティネス    ポルケ レファルタ

marihuana  que fumar      

マリファナ   ケ フマ

(日本語に訳すとこんな調子になりそう)

ゴキブリさん ゴキブリさん

おらあ 疲れて歩けないだよ

どうしてなら 吸いたいマリファナが

無くなってしまったもん    

NHKの日本語訳にはさすが使われなかった。

しかし、こんな陽気で明るい調子の歌にマリファナが出てくるとは、どんな軍隊だったのだろうかと思うが、当時は繁殖力の強い大麻は”安い煙草”という意味もあったそうだ。

日本でもタバコの作付けどころでなかった戦後、紫陽花の葉っぱを煙草代わりにして辞書の紙で巻いて作ったのを手伝ったことがあるが、それと同じだったのかもしれない。

ちなみに、ラ クカラチャ は”ゴキブリ”だが、軍隊について歩いた女性の愛称だと聞くと、そうを言われた女性はどう思ったのだろうか。

そういえば、明治の一番最初の軍歌も、

みやさん みやさん

お馬の前で ひらひらするのはなんじゃいな

と歌ったそうだから、同じようなものか、そして、

富士の白雪や ノ~エ(農兵)

ってのもあったっけ、、、

このままいくとどこまでいくのやら   打ち止めにしよう。

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2009年1月28日 (水)

白鷺は

Img_0011 白鷺は小首かしげて 水の中、、、

往年の役者で歌手だった高田浩吉の歌であるが、今では知る人ぞ知るであろう。

川端で佇んでいる鷺一羽、岸辺で佇んでいる姿より水の中のほうが際立っている。

朝食も済んで腹がくちくなっているのか、さすがの水鳥も水の中より日の光であっためられた枯れ草のほうが良いのか、、、、、。

足が黄色い所を見ると小鷺になるか。全身が白い鷺を白鷺というが身体の大きさからしか判定しにくく、比べるものない遠目では「どっちかな~?」と常に思ってしまう。

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2009年1月27日 (火)

いらっしゃい いらっしゃいと

Img_0003 今日もうらうらと温かい午後になった。この調子では何時春が来てもおかしくない陽気である。

昨日桜草に来ていた蜜蜂が、今日は、桜草には見向きもしないで、すぐ傍に咲いている梅にむらがっていた。

深いところに蜜があるのかオシベをかき分け頭のほとんどを埋もれさせて蜜を吸っている。

しかし、蜜の量が少ないのか頻繁に花を次から次へと変えている。

蜜蜂が花を変えたのはなぜだろう。梅のほうが花の香りも良いし、蜜もありそうなのは、初めから分かっていたはずなのに、、、、、、、、どうしてなのだろうか。

サービスをいっぱいつけて大量生産し、「いらっしゃい いらっしゃい」と安売りする。まるで、同業間の顧客の取り合い見たいで面白く感じてしまった。

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ごちゃごちゃと揉めていた第二次補正予算も、衆議院の数の力で通過することになった。二兆円のお金をばら撒いて、国民の心を引き付けようとしたが、これだけ批判されては値打ちもなくなった。

自民党の大島国対が、民主党の横暴と言っていたが、自分たちがこれまでしてきたごり押しをちっともわかっていない事になる。自分が思うようにならないのを怒るのは子どもと一緒ではないだろうか。

このばらまきが何時になるのかは知らないが、自分もアンケートに倣って反対はするが受け取るほうだろう。なぜなら、いままで沢山取られた税金を、使ってもらいたくないところに勝手に使われたのを、少しでも取り返すためや、返上したとしても無駄遣いされるだけと思っているからである。

また、二月一日を支給基準の日と決めたそうだが、後4~5日の期限を前にして、いま変動のある人は困ってしまう。生まれてくる子どもは二月一日まで抑えてでも待ってもらうとか、不謹慎かもしれないが死ぬ人には、なんとしてでも二月一日まで生きていたことにするとか、、、、、。

ホームレスの人をはじめ基準に困る人も沢山でてくると思うが、どうやって配るのだろうか。自治体職員が金一封を持って行くわけがないとすると、、、、、

役所の前で「いらっしゃい いらっしゃい」と手招きでもするんだろうか。

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2009年1月26日 (月)

めでたし めでたし

Img_0074_2  庭に咲き始めた桜草も次第に背が高くなり密度も増してきた。

朝方は氷も張るような冷え込み方だが、意外と寒さに強いようで日中の陽光を受けて赤白ピンクと咲いている。

この花を見つけて、早くも蜜蜂が通ってくる。本来ならこの寒さの中じっとしてるのかなと思ったが、春の兆しを受けると尻がむずむずしてじっとしていられないのだろうか、、、。

花言葉はいくつもあるが、その一つに、いまの若い人の一つ覚えみたいに「かわいい~」というのもある。

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Img_0043 きのうで、大相撲が千秋楽を迎え朝青竜が優勝した。

漫画家だと言う「やくみつる」が高言していた予想を大きく外れたようで、悔し紛れみたいに「品格がない!」と言っていたのには笑ってしまった。

格闘技ではない。国技だから品格を、と私生活にまで厳格にしばるのはいかがなものであろうか。大体が三十歳前の男に枯れた大家の風を装えと言うのは無理というものだ。横綱審議委員会にさえ品格のない人がいるのだから、、、。

そして、今場所は朝青竜の一人舞台ではなかったか。前に書いたように観客の大半は朝青竜を見に来たといって過言ではないし、私は仕切りに入る前の踊りのような動作が好きである。

と、書きながら、千秋楽 本割の最後の二番はどうも納得のいかない内容だった。七勝七敗 五分の千代大海と敢闘賞がきまって十一勝三敗の豪栄道。千代大海は何の心配もないように突っ張って行って勝ち越し、   双方めでたしめでたし。

横綱対決は、本割の懸賞を白鵬が取り、優勝は朝青龍と分け合って、今年の初場所を目出度く治めたとも取られかねない内容だったこと、、、。

またいつの日か、週刊誌のネタにされかねないよ。

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2009年1月25日 (日)

とうりゃんせ とうりゃんせ

Img_0027 昨日は初地蔵、そして今日は初天神、と神仏混交の日本では各地で縁日が続いている。

おかげで、昨日は上足洗の地蔵様、今日は金谷の日限り地蔵と、近場の天神様に行く毎日。おりから、受験シーズンも近まって両方の地蔵様では家内安全とともに学業成就が主眼目のようで、堂内からは祈願文を読み上げる声がする。

衆生の悩みを救いあげる地蔵様ならでのことは事だろう。

一方、近場の北安東の天神様は人っ子一人いなくて、真っ盛りの梅とともに清として鎮座していた。

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とうりゃんとうりゃんせ ここはどこの細道じゃ

天神様の細道じゃ ちぃっと通してくだしゃんせ

御用のない人とおしゃせぬ この子の七つのお祝いに

お札を納めに参ります 行きはよいよい帰りは怖い

怖いながらも とおりゃんせとおりゃんせ

わらべ歌には”とうりゃんせ”をはじめ”ずいずいずっころばし”や”かごめ”などとともに分けの分からない歌がある。

この歌で小説を物にした人もいるが、行きはよい良い帰りは怖いの意味がなんとも不思議な言葉である。

この歌の発祥の地は埼玉県の川越だと、この地方の人は強調するが、それも異議を唱える人もいて本当のことは分からない。

そもそも天神様は菅原道真ということになっているが、正確に言えば天神様の一人(一柱)に菅原道真が入っていると言うのが本当だとか。

それかあらぬか、静岡の大岩にある天神社は菅原道真が入っていないため、縁日は一月十五日となっていた。

天神とは、天の神様ということでスサノオ、ツクヨミ、アマテラスなど大和朝廷が崇拝している神々を言うが、菅原道真が死んでから天変地異が起きたため、菅原道真にも天神様の称号を与え祭っているが、本来の天神様に交えるほど当時の朝廷、貴族は恐れおののいたようだ。

そしていま、天神様と言えば本来の天神様をしのいで菅原道真の方が有名になっている。しかるに、道真は崇徳院と平将門を合わせて日本の三大怨霊でもある。となると、この神様におすがりしていいものなのだろうか。と陰ながら思う。   

無事、学業成就ははたしたものの、卒業したら就職口がなかったという、今の世相は「行きはよい良い帰りは怖い」    この辺にありそうだ。

ひと気もなく森閑と静まり返っている小さな天神社は不気味さえ漂っている気がするのは、、、、、。

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2009年1月24日 (土)

ガマはガマでも

Img_0034 (閃亜鉛鉱と水晶の結晶、左下に方鉛鉱の結晶も)十七歳から三十九歳まで鉱山に勤め、その大半が山の奥深い坑内勤務だった。

よく夜道など歩く場合は、次第に目がなれて暗い中にも道筋が分かるようになるものだが、地下の仕事は明かりがなければそれこそ漆黒の闇につつまれ、方向感覚も完全になくなってしまう。

そんな現場で、前半は削岩機と火薬を使って水平に、垂直に、斜坑と坑道掘削を行い。後半はその坑道の先端でボーリングマシーンで鉱石探しを一人作業で行なった。

鉱山というところは、世間とはなれた特種社会であり、それゆえの特種用語も数多くある。

Img_0030 、魚眼石の一部。透明で菱型の結晶)

そうした中で、地下に咲く花”ガマ”と言うものがあった。

ありていに言えば、鉱物の結晶で、世間では六角柱の水晶が良く知られているが、いろんな鉱物がそれぞれの形の結晶を作るのだが、この鉱山ではまとめて”ガマ"と言っていた。

Img_0035_2 一般にガマと言えば、蝦蟇蛙か水草の蒲を想像するが、この言葉の語源は沖縄の方言”ガマ”に由来するらしい。

沖縄はさんご礁由来の石灰岩が多く、雨水の浸食などで空洞があちこちにあり、戦争中はその洞穴潜んで抵抗し、避難したようだが、鉱山のガマは地熱などの影響で、岩石中にガスだまりが出来、徐々に冷える際、ガスだまりの空間が洞穴として残る所から名づけられたようで、名付けた人は沖縄出身だったのかもしれない。

その空間に高熱ガス状の鉱物が融点の高い鉱物から結晶として張り付いて出来るものと聞いている。

Img_0033 これが、坑道を作るときなどに現れるのだが、天然物だけに二つと同じものがない。種類としては水晶、方解石、方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄鉄鉱、柘榴石、、、、、とかずかずあり、その形、色具合もさまざまに見られた。

自分も、かなり採取したほうだが銀の結晶といわれる”ギントウジ”には縁がなかった。そして、これらのガマも静岡に引っ越してくる際には重荷になり、かなり処分ししてきた。

それから三十年余、今日は久し振りに一部の荷を解き、水洗いをし、日の目を見させてやったが、この間 経年劣化で酸化した金属結晶や埃でかなり見苦しくなってしまった。

たまたま訪れた知り合いが、「珍しいものだね。どのくらいになるの?」と、聞かれたが、骨董と同じ好きな人は値段をつけるかもしれないが、知らない人にはガラクタ同然。  自分の記念として持っているだけ、死んだらどっかへ捨てるもんだね、、、、と。

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2009年1月23日 (金)

秋と春を同時に演出

Img_0038 雪柳が咲きだしていた。

本格的に咲くのは三月に入ってから、それこそ名前のとおり花で木が雪をかぶったように白くなってしまうほど、別名を”小米花”とも言われるように小さな花を密集して咲かせる。

Img_0039yukiyanagi 昨日の散歩中に見つけて写したのだが、どうも思わしくないのばかりだったので、今日再び出かけて行って写してみたがやっぱりこれといった写真にならない。花が小さいだけにモニターで確認しにくい。

寒さの厳しくない静岡。今年は余計にそうなのかもしれないが、名前の元になった柳のような葉を紅葉させて、秋と春を同時に演出しているようで面白い景色になっている。

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昨年三月の雪柳

P1010075

がんばらなくて いいんだよ

ありのままの 君でいてくれるなら

冬と春をつなぐ 雪柳

、、、、、、、、

不登校や虐待をうけている子どもたちに手を伸べようとしている団体、Kid's Saverのテーマソング”雪柳”の出だしである。

昨年五月に発売されたとのことだが、秋になってこの歌を聞いたとき、最近の歌になく聞きやすかったので、何度か聞いて覚えた。(いい歌だよ)

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2009年1月22日 (木)

真っ赤なボケです

Img_0022 「まだしばらく雨が持ちそうだから、ゆっくり行ってらっしゃい」と途中ですれ違った同年輩の人に言われ、賎機山(シズハタヤマ)へ登ってみた。

Img_0021 途中、真っ赤な木瓜(ボケ)が花弁の中に昨夜の雨水を湛えて咲いていた。まるで、涙で一杯の目にのように、、、、、。

雨に洗われた為ばかりでないがその赤さはますます際立っているように見えるのはまわりに花がないせいか。

木瓜と書いてボケと読むのは、木瓜の実が瓜に似ていて、木瓜をボックワと呼んだことからという説が有力らしい。花言葉は指導者とか先駆者というのは春に先駆けて咲くためだろうが、今日の木瓜は真っ赤なことから”本当の”とか、”真性”という言葉にしたい。(真っ赤な嘘、という言葉もあるので、、、)

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飛騨、北陸地方の言葉で、都合の良いことだけ憶えている人を”ヨテボケ”といった。富山の方言という項を見ていたら「得手」の転訛だと書いてある。使い方として「ヨテのいいことばかり喋って、、、」や都合のいいことしか聞えない振りをすることを”ヨテツンボ”といった。

もう随分前に亡くなった知り合いの話だが、入院していると聞いたので見舞いに行った。行く前に「相当呆けているんで注意して、、、」と聞いていたのにそんなことを微塵も感じさせない応対をされて驚いたことがある。典型的な「ヨテボケ」だと付き添いは言うのだが、、、。

つまり、昨日のことは忘れても、ずっと以前のことは見舞いに来た人の顔を含め、瞬時に、鮮明に思い出すようで、ボケの中期にあるマダラボケというらしい。

これが更に進めば、真っ赤な呆けになるのだろうか。何時だったか、呆けの診断に、「朝、何を食べましたか」という質問があると聞いた。いつも朝ご飯を作ってもらって食べている身にしては思い出せないことがある。

「パンと味噌汁は毎日なので分かる、後はおかずだが、、、」急に聞かれれば自分も考えてしまうのではないだろうか。そんなとき、「貴方も少し入ってきました」といわれそうな現状、、、、どうしよう。

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2009年1月21日 (水)

オバマで持ちきり

Img_0013_1 ゼラニューム。まるで、金属のような名前をもつこの花はアフリカが原産ということだが、適応性がかなりあるようで、此方では露地栽培で年中花を咲かせている。

もともとの花の色はどうなのかは知らないが、それこそ赤白ピンクに斑入りとさまざまな色と形をしているが、「どう、この花の色もいいでしょう」と、、。

葉っぱに少し嫌な匂いがあり、万人に好かれる花ではないけれど、この花を見ると、自分はリマのペンション(下宿屋)のパテオ(ぐるりと壁に囲まれた白い壁の中庭)の壁にかけられた鉢植えの花を思い出す。

花言葉は、”なぐさめ”だとあったが、自分には”思い出”という言葉を当てはめたい。

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Img_0015 今日は朝から、アメリカのオバマ新大統領のニュースで持ち切りだった。いつものようにどこへチャンネルを切り替えても、、、、、、

たしかに、世界に影響を与える重要な人物に違いないが、国内にニュースがないかのような取り扱いである。

それにしても、父親がアフリカの人でも最高指導者に選べるアメリカ。国民に感動を呼び希望を持たせられる若い指導者が出てくるアメリカ。親や爺様の七光り、家柄でなければ、首相はおろか代議士にもなれない日本ではとても考えられない。

先日まで民主党を二分し、国内を二分した闘いを勝ち抜いてきた新大統領の支持率が80%だと言われると、民衆の心の移ろい、期待はとてつもなく大きい。

この重圧にどう応えていけるのだろうか。一つ間違うと潮が引くように人気が凋落していくかもしれない。そのとき、自分の基盤がどこにあるか確認し突き進むだけの力を持っているようにも見えるが、こういう国を見ていると日本の政治の貧困さに愛想が尽きる思いがする。

どんな対日政策を取るか分からないのに歓迎ムードの小浜市やどこかのテレビカフェ見たいなところで、奇声を上げていた連中は別としても、、、、、相手を見極め、対等に話の出来る政治家が何時になったら日本に出てくるのだろうか。

一方で、パレードの大部分は厚さ15センチの防弾ガラスを持つ装甲車並みの自動車に乗らなければできない。民族、宗教の融和を口にしながらも、聖書に手置いて宣誓しなければならない矛盾など、、、アメリカはまだまだ道遠しという面もないではないが、、、、。

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2009年1月20日 (火)

款冬華(かんとうはなさく)

P1010052 今日は”大寒”一年中でもっとも寒気の強い時期だという。昨日今日と日がささない寒さもあるが、風もなく穏やかなほうに入る大寒である。

今日のちょっぴり難しい表題は、高校のとき雑学として黒板に書かれた文字の一つ。大寒の日は”款冬華”と書いてカントウハナサクと読み、「フキノトウが花を咲かせる」という意味だと習ったことがある。

そこで、中国ではフキノトウを”款冬”と書くのかと知ったのだが、こんなどうでもよいことをいまになっても憶えている脳の不思議さ。

道端のフキノトウもようやく目ざめたようで、黄緑に近い葉を広げ中の花を何時咲かせようかと間をはかっているようだ。フキノトウは言うまでもなく蕗の花であるが、春の味として食べても美味い。

店先に並んだ野菜(野の菜というのはおかしくないか?)しか食べたことのない人にとって、山菜の苦味やえぐ味が嫌な人もあって、料理の本を見ると苦味の取り方なんて書いてあるが、苦味 えぐ味 香りがあってこその山菜でこれが美味いのである。

そのため、出来るだけ生か、茹でるだけのシンプルが良い。天ぷらなどは形は山菜だが苦味や香りが吹っ飛んで私は好きでない。

フキノトウは、奇麗に塵をとった後細かく刻んで味噌汚しが一番で、あまり沢山採れたときは細かく刻み、味噌と少しの味醂でぐつぐつと煮込んで作る蕗味噌がよい。

そして、フキノトウは雪が溶けた後に出てくる瑞々しいのが、、、こんなことを書いているとよだれものだね。

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明日よりは 春菜(わかな)つまむと しめし野に

        昨日もけふ(今日)も  雪は降りつつ

                        山部赤人

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2009年1月19日 (月)

気取らない優美さ(椿)

Img_0101 昨夜来の雨も上がった空を艶かしい感じがする春の風が吹き渡っている。どうも、低気圧が去った後引き込んできたようだ。

そんななか、春は?と探してみたが、先日来の霜にやられてうなだれた野ゲシやからし菜に混じって、さすがに冬の花、椿が真っ赤に咲ていた。その椿の花のおしべの中に顔を押し込んでメジロが蜜を吸っている。

Img_0099 よほど美味しいのか、近寄っても離れようとしないで、頭の上まで花粉まみれにして吸っている。見ていると椿のほうもメジロの母親のように好きなようにさせているように見えるから不思議である。

椿の花言葉に、”きどらない優美さ”というのがあるが、椿姫などから想像させる”妖艶”というイメージとはまた違った美しさをこんな情景から見た。

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Img_0046 沢尻エリカさまの結婚式が明治神宮で行なわれ、移動の途中ほんの少し、二分ほどだろうか報道陣の前を通った映像が写されていた。

少し微笑んでいる様子が可愛かった。奇麗だった。”沢尻エリカ様”といえば、ドラマを見たことも無いのでどんな女優なのか知らないが、いつもテレビに映るのはぶっきらぼうで不機嫌そうな映像ばかり。

こんな娘と結婚したらさぞ大変なことだろうという印象と顔もあまり健康そうに見えず、美女とは思えなかったが(化粧のため?)そんな印象を吹き飛ばすような美しさだった。

テレビというもの、マスコミというものをいくらか知っていたはずだが、まんまと引っかかっていたような気がする。多分あの不機嫌な態度はリポーターという連中の馬鹿げた質問やパパラッチまがいの執拗なカメラなどに対する若さがさせた行動ではないだろうか。

朝青龍にしても、かなりそんな面があるような気がする。悪い面を強調して人物像を作り上げるマスコミの手法。実際、今場所の活躍に対する観客席の反応は、「朝青龍が出なければ来ない」と言う人もかなりいて報道とは随分違う。

先日も、「これから殺しに行きます」なんて書き込みをして逮捕された男がいたが、これなんかもテレビの放送を見てよほど悪い男と思ってしまったのではないだろうか。

横綱とは憎らしいほど強いのが本当で、勝負が決まってからの駄目押しにしても、批判しているコメンテーターがいたが、どこで逆転があるか分からない闘い、勝負というものは最後の最後まで気をぬくわけには行かないはず。

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2009年1月18日 (日)

柴上げ漁

Img_0036sibaage 午前中は雲を通して薄日も差していたが、次第に雲も厚くなり夕方からふりだした。

その午前中に、流通の北側を歩いていたら、沢山の人が集まっているところがあり、そこで何年ぶりかで麻機沼の伝統漁法”柴上げ漁”を見てきた。

何ヶ月も前から沼の底を浚え、沼の底に山から切り出した木の枝を沈めて置いたところを、寒さの一番厳しいこの時期に簾で囲って中に入って休んでいる魚を捕る。という漁法で、まず、中に入っている柴を引き上げるところから名付けられたものと思う。

以前は各地で行なわれた方法だろうが、どちらかというと農閑期に行なう遊びの一つではなかっただろうか。

Img_0037siba2 仮設のスピーカーは何度か言い訳のように言っていたが、「気候が暖かかったので、魚が埋めた柴の間に集まっていなかった」ようで、四人の人が大きなタモを入れてすくってもすくっても黒くなった木の葉っぱばかり、岸辺から見ている自分を含んだギャラリーから歓声が上がることが無かった。

結局の所、成果は鮒が五~六匹程度だったかと思われ、「トッタドー!」と雄叫びを上げるような獲物も無く、スピーカーから再度の残念節が聞えて終了したが、今の時代捕まえた魚はダイオキシンで汚染されている可能性もあり食べるわけでなく、こういう漁法で魚を捉まえたと言うことさえ分かればよいと言うなら、成功の部類に入る。

そのあと、鮒汁などが振舞われる、とのことであったが、、、、、

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2009年1月17日 (土)

自縛りから開放

Img_0018 ジシバリ、漢字で書くと”地縛”と書くのだから、ヂシバリと書かなければならない筈、とまずケチを付ける。

Img_0005tabirako 春先に咲く黄色い花、タンポポ、スミレなどと並んで可愛い花である。名前の由来としては地面一面にこの草が覆ってしまうことから、まるで地面を縛ってしまうというような意味でつけられたと書いてあるが、そんなに強そうな感じは無い。

そんな名前は蔓で一面を覆ってしまい、木までを枯らしてしまう葛(クズ)や竹などに献上し、もっとやさしい名前をつけてやりたいのだが、一度付けられた名前はなかなか変更が気かないようだ。

また、別名をニガナ(苦菜)だとしているものもあるが、どうもそうではないような気がする。戦後の食糧難の時、野山やあぜ道などに生えている草をなんでも食べて見たことがあるが、その時でも摘んだ覚えが無いし、そう書いている人も実際に食べたことがあるのだろうか。

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「一週間ほどで検査の結果がでますから来てください」と言われていたので、今日は病院へ重い腰を揚げて行ってきた。

七日の日に血圧が高くなって、娘に「どうしても行ってきなさい」。と厳命されて行ったときに採取した血液と尿の検査結果をである。

どんな結果がでているのか、嫌なものである。「怖いもの見たさ」という言葉があるが、その逆で見たくない。そっと無視しておきたい。というのが正直な所。

診察室から呼ばれ、医者様の前に座って聞いた言葉は「血液、尿とも検査の結果、どこも悪い所は見当たりません」だった。

じゃあ何が原因なのだろう。今日の血圧は上が144mm、下が85mm。「薬がなくなったときにまた来てください」

先日、脳梗塞で倒れた経験を持つ知り合いから、「塩気を取らないように」と言われ、自分で漬けた漬物も止め、味噌汁も薄くしてきだが、”自縛り”から解き放されたように「食べるぞー」、、、と。またどこかで、注意されるまでしばしの間。

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今日の花。

タンポポ、スミレは春の花。ここ二~三日静岡でも氷点下を記録して来たが、それにも負けず、陽だまりに咲き出した。

                                      Img_0009_2          Img_0023

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2009年1月16日 (金)

屁のツッパリ?

                                                                           Img_0006 この水仙の名前をペーパーホワイトと言う。

中心が少し黄色いだけで後は真っ白。多分これも人がいろいろと交配して作り出したものに違いないだろう。

透かして見ればいかにも紙細工といった感じがし、その白さは花嫁がかぶるレースのようにも見える。

Img_0067_3  この花を目指して早速花虻が蜜を吸いにやってきていた、テレビでは静岡の気温が今年の最低を記録し、氷点下2.4度になったと騒いでいたが、花虻や尺取虫にとっては「そんなのは屁のツッパリにもならない」と言ったとか言わないとか、、、、。

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Img_0004_2 またしても、昨日の写真になるが、富士山からのお日様。

二度目のは朝霧高原の根原地区で待ち構えて写したが、これが目測を誤り結果的には慌てて位置を変えながら、写したのが昨日の写真だった。

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2009年1月15日 (木)

初登りは三ッ峠開運山(1,785m)

Img_0011 今日三度目の日の出は、本栖湖の上の峠。一番最初は蒲原の道路で伊豆半島の上から出たもの、二度目は朝霧高原の脇道で富士山の肩から上がるところ、そして三度目は山頂からという具合に。

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Img_0046 「今日の富士山は愛想がないですな」と天下茶屋の主人は言う。おや、それは一時間少し前に言った自分のことばと一緒だと思った。  ここしばらくの良い天気が続き、「空に雲も無く、樹氷や新雪も無い。ただ、大きな富士山があります」と言った感じのせい。

三ッ峠から少し下ったところで会った元気な小母さんとその連れ合いが「今日はいい天気で良かったですね」と挨拶の後に言った言葉に対して、自分の返した返事が「絵葉書みたいで面白みが無いですよ」と言ってすれ違ってきたからだ。

河口湖の北側に聳える三ッ峠山は開運山(1,785m)と、木無山、御巣鷹山と合わせて三つのピークがあるところから付けられているようだが、いっそのこと三峰山と名前を改定したほうがよさそうだ。

それは、さておき、今年の初登りは縁起も入れて開運山にしようと決めた。河口湖の上にある「天下茶屋まで行けます」という看板に従って、一年半ぶりにこの道を走る。所々圧雪が残っている中、登山口との分岐に入ってすぐにゲートが閉じられているため、その前の広場にに駐車する。先着は一台あるが様子から見て前の日以前から停まっている様子。

時間は九時になったが、気温はマイナス六度。風は無いが谷の音が寒さを強調するように鳴り響く。支度して歩き出すと、気温が低いため雪がさらさらとして、足で踏んでも固まらない状態である。

ここからの登り道は、上の小屋の物資を運ぶためナンバーの無いジープが行き交いしているため道は広く踏んであり歩きやすいが、谷の方向が西に向いているので、山頂まで南アルプスの白い山なみは木の隙間越しに見えるものの、富士山は常に隠されて見ることができない。

そして、三っ峠小屋のあるところまで来ると急に視界が開け、富士山が正面に出てくるという 絶妙な舞台装置を持っている。

ここまで、一時間十分くらい、ここでゆっくり休んで指先を温めることにした。気温はマイナス十五度になっており、指先が痛くなって曲がりにくい感じになってきたため、上着のファスナーを下げて指を腋の下に挟みこんだまま富士山を眺める。

雲は、神奈川方面に低くかかっているものの、典型的な絵葉書、そのものの状況である。

ようやく、指先が温まってきた所で山頂に向かうが、風が強くヤッケを通して冷気が凍み通ってきて汗ばんだ肌着が冷たくなってくる。耐寒温度はさらに5度くらい低く感じ、指先が又痺れてくる。

Img_0022 山頂での景色は、先ほど見たものと基本的に変わるものでないだけに早々に風下側から下ることで一息ついたが、アンテナだらけの御巣鷹山には行く気がなくなり”帰心矢の如し”早々に下ることにした。

Img_0052 お昼は、天下茶屋で取る、他のお客は一切なし。おかげで主人と雑談する機会あり、、、何が幸いだか。

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2009年1月14日 (水)

侘助は

Img_0024 今日も底冷えはするものの風もないため、うららかな日に近い上天気であった。

朝一番の歯医者の帰り、根元に「侘び助」と書いた木札を立てた花が咲いていた。侘び助は椿の仲間なのだが詳しいことは分からない。

椿同様品種改良が長年にわたって重ねられてきただけに、この花も種類が多い。

この花、なんと言う名の侘び助か、、、、。

外国からと言っても古い昔だから、中国や朝鮮辺りから持ち込まれたとか、藪椿と椿の交配種だとか、、、出自もはっきりしないし、名前も”侘助”という人の名前からだとか、茶室の花に用いれられた事から”わびさび”の”わび”から取られたとか、素人には分かりにくい花である。

Img_0026 花言葉は、椿と一緒で「常にあなたを愛します」となると、正直重たくてやりきれないなぁ、という感じを持つ。(それで、ある日ポタッと首が落ちるのかな)

いまの人はいざ知らず、我々の年では「そこはそれ、、、、言わなくても分かるだろ。」って言う程度の愛情表現が好ましいのだが、、、。

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デイサービスに勤めている人の話。連れてこられたお年寄りを風呂に入れるのだが、30分以上湯船に浸かっていても温かくならないといって、風呂から出たがらない人がいるという。

身体を拭くときは温かくなっているのだが、本人はそう思っていないようだとのこと。

そう言われて、自分の場合はというと、そんなに長くは入っていられないが、最近汗が出るほど風呂にいた経験がないことに気がついた。

温泉などでも、上がってから汗をかくこともあるが、湯の中で額に汗がでてきたのをここしばらく無いような気がする。これって老化現象なのだろうな。

つい先年、保育園に行っていた孫と一緒に入った風呂で「ひとつ、ふたつ、みっつ、、、、、とおう、もういい」とおおっきい声で叫ぶ顔からは玉のような汗が吹き出ていたのを思い出した。

年をとるって事は、、、、汗もかけなくなってくるのようだ。

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2009年1月13日 (火)

色鮮やかに相思鳥

Img_0021yatuyama Img_0009 「心こらして耳をすまして   何かが見えてきませんか、、、」ではじまる立て札が杉の木にもたせ掛けてある。

愛宕山の参道脇、杉と竹の薄暗い木立の中を風が吹きわたると笹が揺れてザワザワという音とともに、竹と竹がぶつかっておきる枯れた音コツコツコツ、 カンカンガンッと次第に大きくなりながら向うから此方に近づいてきた。まるで、愛宕山の祭神である火産霊命(ホムスズノミコト)という火の神様が走り回っているように、、、心こらさなくても、神の息吹が聞えてくる。

戦国時代の砦というより、城に近い構造を持った縄張りを残している場所の本丸跡(?)に建てられた愛宕神社、そこに詣でた後尾根伝いに歩くのが、、今日の散歩道。

Img_0014 ふと、薄暗い道に何羽かの小鳥がいる。先日来の風のせいか、ほうきで掃いたように落ち葉がない山道の地上に降りて落ち葉の下から出てきた木の実をあさっているようである。

なんの鳥だか分からないが、あまり人怖じもせず、小さな声で鳴き交わしながら、遠くに飛び立つこともなく仲間同士つかず離れずにいる。あまり暗いのでフラッシュを光らせてみたがそれでも驚かない。

Img_0012 なんだろう。帰ってきてPCの画面に大きくして調べて見れば、色鮮やかな羽の赤、喉もとの黄色い色合い。いままで見たことが無い小鳥である。

図鑑を何度も開いてみてやっと分かった名前は”相思鳥”という。名前の由来はつがいで一緒にいることが多いためだとあり、この鳥もともとは中国南部やベトナムに住んでいるそうだが、飼い鳥として輸入されたあと、逃げ出したり飼育放棄で広がったようだ。どうりで今まで見たことが無かったわけ、、、、。

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道を更に進めて”ライオン砦”という、保育園などの遠足で賑う広場からは富士山を眺め、傍のベンチで弁当を食べている同年輩の人がいたので聞くと、「東京のほうから歩いてきた風来坊さ」とぶっきらぼうに答えた後「静岡も寒いね」とぽつりといったあと、ソッポを向かれた。

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2009年1月12日 (月)

因幡の白兎は

Img_0006 (写真*風に吹かれて揺れる蒲の穂とタコアシ)

寒い北風が、トレーナーを突き抜けて行くので早足で歩いても汗かかかない。

今日は上空に雲がかかり風が強いため、耐寒温度が低いようだ。麻機沼に立っている蒲の穂は夕陽を浴びて右に左にと揺れ動き、種を散らし始めている。

神話では、大黒様が皮を剥かれた因幡の白兎に蒲の穂をつけて直すようにと教えたとあり、童謡にもなっている。

このときの、蒲の穂はどういう状態だったのかが話題になったことがある。一つには白兎と言うのは山兎だとする、冬毛で白くなっていたのだから、蒲の穂がはじけた今頃であり、兎の毛と良く似た状態なので皮膚に綿毛をつけて誤魔化しなさい。というもの。

一方、夏場の蒲の花粉は漢方薬で傷や火傷の薬なので、傷薬として勧めた。というものだったが白黒決着がつかなかった。なんせ神話だもんで、、、。

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今日は成人の日。街中は色とりどりの晴れ着が行き交っていたことと思う。人ごみ嫌いの自分としては街中に出て行くことはないが、今年の成人式は平成生まれの人たちになったようだが、大人しくなってきたのか、ひとっころのように荒れた成人式のニュースを聞いていない。

テレビでは、おもにスポーツ界や芸能界で活躍している、新成人を取り上げていたが、大学の進学率が高くなってからというもの、働いていない未成年者の割合が多くなって自立できていない人が多くなっている。

自分たちのころは、中卒、高卒で職につく人がほとんどで、毎年春になると就職列車のニュース映画があった時代であり、いま、自分たちの成人式のアルバムを開いてみると、和装の女性は一人もいない。つまり、みんな自前の衣装で出席していたようだ。

貧しい時代の成人式。でも、いまのように”勝ち組負け組み”という意識は無かったように思うし(自分が就職していたため、ほかに目が向かなかったのかもしれないが)

労働組合がしっかりしていた時のこと、臨時工はあったが、正規採用前の試用期間に似た所があり、何時切られるか分からない”派遣切り”に怯えることも無かった。もっとも、派遣会社そのものが無かったのだが。

それから約五十年。赤いべべ着た 可愛い成人、、、。君たちの未来はどうなるんだろう。

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生まれた時が 悪いのか

それとも俺が 悪いのか

、、、、、、、、  

こんな歌が出来たのはそれから約十年ほどあと、山奥の企業城下町にいて結局社会の暗部を見ていなかったのだろうか。

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2009年1月11日 (日)

薄氷を割る楽しさ

Img_0058 昨日の空から見て冷え込むぞと思っていた予想が当たって、静岡でも氷点下になり水面が氷っていた。

一昨日の、雨が残っていた所はもとより、水気の無かったところでも、ステンドグラスのように氷が浮き上がって、板のように張っている。

どんな理由でこんな風になるのか聞いて見たい。指先でつつくとパリンと言った感じの音を立てて割れる。出来たものを毀すのは積み木などと同様、子どもでなくても楽しいものである。

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Img_0052写真、遠景の富士山を焼き焦がすようにして燃え盛るドンドヤキ)

そして、今日は近所の”どんどやき”あるとかで朝から花火が乾いた音を立てている。

子どもころの自分たちの居たところでは「佐儀長」といった。

前の日だと思うが当時の青年団の連中が雪の中、山にはいって多分5mくらい(子供心には大木に見えたが、、)の杉の木を運び出し、広場の真ん中に立てて支度した。

松飾や書初めなどは、昼の間に大人が持って積み上げ、子どもは夕方暗くなってから餅を持って集まり、自分の書初めがどこに下がっているのかなど確かめて火のつくのを待っている。

やがて、時間になって火が入ると”書初め”は火がついたまま高く舞い上がり、闇の中に消えていく、「高いほど良い」なんて言われ自分の書初めも期待したが燃え出すと火の中に消えどこへ行ったやら、、、。

しかし、一番の期待は持っていった小さな鏡餅を誰にも邪魔されず一人で食べられるという喜び。

我慢できず、早くから火の中に差し込むと、いまのようにアルミホイルがあるわけでなし、焼けて真っ黒になった部分と生焼けで固く残っている部分があり、少し食べては又火に差し込むと言うことを繰り返し、口の周りを墨で真っ黒した思い出がある。

そんなことを思いながら、九時からの点火を待っていたが、やはり日中に行なう火の行事は迫力が無い。でも、今の子どもの記憶にどう残っていくのだろうか。

ダイオキシンが出るだの、火の子が危ないだのいろいろな理由がつけらて、旧来の行事が止めさせられて行く中、玄関の松飾が出ていない家が多くなったのを実感しているし、塵袋の中に松飾が入っているのを見ると、神様が貶されたようで可哀想になる。

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2009年1月10日 (土)

桜はまだかいな  と

Img_0029 日本人に好かれてきた桜も数多くの品種が作られ、山桜と染井吉野のほかは何がなんだか分からない。

先日も咲きだした梅を見つけたときには、”梅は咲いたか”と題して書いたが、次の歌詞として”桜はまだかいな 柳なよなよ風しだい、、、 ションガイナ”と続く。

そこで、次の目標は”さくら”とばかり駿府公園の寒桜を見に行った。咲いてたね。

これは、梅よりも早かったらしく、すでに花びらを散らしたものまであり、七~八分咲きといった感じである。

Img_0022 梅の花では写せなかったメジロも、ここでは四羽があちこちで蜜を吸いながら花から花へと飛び回っている。

青い空を背景にして、浮かび上がっている様は小寒から大寒にかけての季節とはとても思えない風情である。

ちなみに、今日は旧暦の十二月十四日。赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日。おりからの、寒波襲来であちこちから雪便りも聞かれ、三波春夫の歌のように”雪を蹴立てて サクサク(咲く)、、、、”    は静岡にいてはとても無理な情景のようだ。

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2009年1月 9日 (金)

”朝令暮改”は二千年前

Img_0054 終日雨模様の一日となった。静岡でも標高の高い所は雪になったようだが、此方では冷たいがみぞれにもならなかった。

さて、春の木と書いて椿と読ませるほど、椿は春を象徴する花の一つである。特に雪をかぶって咲く赤い藪椿にはなんともいえぬ風情を感じるのは、若いころまで雪国に育った者のせいであろうか。

この椿、江戸時代に寺や武家屋敷の広い庭に植えられ品種改良(?)をされたお陰でさまざまな色形を持つものがある。

よく、武家では椿の花が萼からポロリと落ちるのを首が落ちるに引っ掛けて嫌ったと言うが、これは、明治以降に作られた話で、実際は「首が落ちるのが怖くて侍稼業がやってらるかい」と言ったぐらいの気概を持っていたようで、広い庭が無ければなかなか椿の栽培は難しいことぐらい分かる。

写真の椿も品種改良の果てにあるのか、直径10センチを越す大輪で一本の木に数え切れない花と蕾を付けているが、いざ写真にしようと花を探すと傷など欠点の無いの花は見当たらない。

藪椿など原種に近いほど、花も丈夫なのだろうか。

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「朝令暮改」という言葉がある。出典はいまから二千年以上前の漢書にあるという。

漢字ばかりの難しい原典は、とても読みきれないので日本語に訳した物を見ると、漢の武帝の時、側近の知恵袋といわれた人が書いたもので

「農民たちの生活が苦しい所に持ってきて天災が多発している。さらに、法律がコロコロと変わり、朝決めたものが夕方には変わっているという有様である」とつづき、「役人や商人が思いのまま搾取するのを制限しなければ、農民は逃げ散り、、、」とある。

この問題は、いまだに解決する兆しは無い。人間の業というものだろうか。

朝令暮改で今日も国会の論議は前進しない。

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2009年1月 8日 (木)

素心蝋梅

Img_0101 蝋梅の花がいまを盛りと咲いている。

Img_0104 陽の光を反射して艶々としたその輝きはいかにも蝋細工の花と言っても過言でない。写真の花は、正確には”素心蝋梅”という。

ただの”蝋梅”と言われるものは花の中心部に赤味のあるものを言う。

咲く花が少ない時期、梅に先駆けて咲くためか、花言葉の一つに「先導」というものもあるが、梅の仲間ではないのは花の形や匂いで分かる。

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Img_0007 いま、静岡のテレビに「静岡の農業が大変です」というCMが流れている。全国どこでも県名を冠しただけで流しているのかと思ったらそうでもないようだ。

ただ、農業が大変なのは静岡だけでないはずだし、いまのご時世、農業だけが大変なわけでは無い。

そして、大変だからどうなんだ。ということがCMの中に無いので意味が分からないきらいがある。燃料や肥料、飼料の高騰は分かる。しかし、言っては悪いかもしれないが、暖房で燃料をどんどん使わなければならないものはそれなりの値段をつけるか、使わなくても良い時期まで延ばしてはどうなのだろうか。

いちご、ハウス蜜柑、など、、、、

最近、田んぼの手伝いを初め、蜜柑摘み、筍掘り、蓮根掘りなど手伝ってみるに付け、”旬”と言うもの”季節感”と言うものまで無くしてまで作らなければならないものだろうか。

それでもと言う人はそれなりの代価でも買うと思うのだが、、、、。

先日来、近所の田起しを始め農作業を見ると、以前は爺ちゃん、婆ちゃん、母ちゃんの三ちゃん農業と言っていた田んぼに、爺か婆の一人しかしか入っていない一ちゃん農業となっている。その一ちゃんも腰が曲がったり、足を引きずってヤットコサ動いている人もいる。(道楽だ、生きがいだと本人は言うが、、、)

食料自給率が40%を切っている中で、残った一人が田んぼに出られなくなれば、農地は山林のように荒れてしまうだけ、此方のほうをドゲンかしなければならないのだが、、、、、

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2009年1月 7日 (水)

道端の宝石 

Img_0113 道端の草、オオイヌフグリが太陽の光を受けて、緑の葉っぱの間に宝石を散らしたように点在している。その色合いはサファイアと言ったところか。

Img_0111 そして、写真にしてようやく分かったのだが、オシベの形が他の花と随分違う。花の中心に向かって二本が向き合う形は学者じゃないので分から無いが、見たことが無い。蜜を吸いに来た虫を逃がさないように挟み込むつもりなのだろうか。それとも、風に飛ばされないように掴まる所を作っているのだろうか。

日本では誰がつけた名前か知らないが、大きな犬のチンチンはは可哀そう。詩歌の世界では天人唐草(テンニンカラクサ)と言うし英語では Cats Eye(キャッツアイ)と宝石と同じ名前を与えているのに、、、。

花言葉も、信頼、清らかとくれば、日本名だけが異常なのだ。

普段は、もう咲いているんだ程度の関心しかないが、病院帰りの少し浮き浮きした気分でいると見る目も違うもんだ。

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二~三日前から首筋がなんだか重く感じていた。奈良初詣でバスの中に長時間いたための疲れか、風邪気味かなと思っていたが、娘が来て「血圧を測る」というので、電動の簡易血圧計で計ってもらうと上が170、下が110と言う数字が出た。

「これは大変。あしたこの病院へ行って診察してもらいなさい。それまで、安静!」と申し渡され、「行った振りしてごまかさないよう、証拠を見せなさい」ってんで、仕方なく新年早々に病院へ行かなければならない羽目になってしまった。

娘に脅され、朝、しぶしぶながら初めての医院に出かけ手続きを済ませると、間もなく血圧を測る。ベットで少し安静にしてから計ると上が160、下が85という結果が出。その後の診察で事情を聞かれたあと採尿、心電図、検査用の血液採取、レントゲンと検査をされた。

おそらく三十年ぶりくらい、、、、内科などかかったことが無いので、まごまごしながらも、珍しさと看護士の優しいながら、てきぱきとした態度に見とれつつ、、最後の診察では、「心臓の肥大もないし、不整脈もその気がないわけではないが、気にするほどでもない。しかし、最高血圧が高いので薬を出します。原因は検査結果などを待って、、、」とのこと。

大病院とちがって、三時間待って三分の診察では無い所がまた気分がよい。帰りは、散歩を兼ねての遠回りが、道端まで見る余裕になった。

(結果もわからないのに、、、この能天気野郎が、、、)。

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2009年1月 6日 (火)

晴天乱雲

Img_0003 午前中は雲ひとつない青空が一面に広がっていた。その青空をキャンバスと思ったのか、飛行機が尾を引いて飛び交い、写真のようにしてしまった。

これを、晴天乱流ならぬ「晴天乱雲」というべきか。それにしても飛行機があちこちと飛び回ったようだ。

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Img_0109 一方、地上では春の兆しとも言うべき仏の座が昨年末から咲き乱れており、拡大すると、先日見た奈良の大仏の蓮華台と良く似た格好をしている。

この花も、仏法僧という鳥が声だけの鳥と姿の鳥があるように、春の七草のホトケノザとこの花の二種類があり、この花は七草粥には入らない。

あしたは、七草粥。邪気を祓い万病を癒すとて七種類の草を入れた粥を食する日だとのことで、芹を摘んできて大根と蕪をを細かく刻んでおいた。

ハコベやホトケノザ(大田平子)ぺんぺん草などは入れる気がしないので、三草がゆで済ませておこうと思うのだが、、、、

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2009年1月 5日 (月)

梅が咲いたか

Img_0096 今日は風も無く暖かい一日だった。

考えてみれば、この天気何日続いているんだろう。お湿りがあったのは何時だったのかわからくないくらい前だったような気がする。

近所の水路から水を汲み上げ、軽トラックに積んだ水槽の水を撒いている人もあちこちに見かけるのは、今日が初仕事の日のためばかりではなさそうだ。

そういえば、以前はトラックの前面に注連飾りを付け、荷台の上に「初荷」と書いた幟を立てて走るトラックを良く見たものだが、近所の流通通りを行き交う車には全然見ることが出来ない。

また、玄関前に注連飾りをつけている家も少なくなり、日の丸を立てている家はさらにない。時代は変わって行きつつあるのが目に見えて分かる。

それでも、、、、と思い。麻機の山に登ってみると梅がほころび始めていた。今日は、これが目的だっただけに嬉しかった。

陽の光を浴びて、蕾はここ二~三日に急速に膨らみ、満開まであとわずかという感じ、花粉を運ぶ虫が少ないのを予想してか、梅の花の寿命は長い半月くらいは咲き続けているのではないだろうか。

メジロも傍に来ていたので、花札の二月のような情景を、と思って待ち構えては見たが、花が少ないのか自分を警戒してか、カメラの焦点が定まらないうちに飛び去ってしまった。

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Img_0087 今朝のワイドショーで首相の書初めを何度も見せられた。まったく国語力の無い首相を又さらけ出していた。

立派な筆で「安心 活力」と書いたつもりだったのだろうが、安心の はウ冠だし、心の左はチョンと抑えるだけではないし、活の字はサンズイ偏の次に と書かなければならないはず。

と言う字は間違いではないが、最後まで気力が続かなかったのか、投げやりな感じしか伝わってこない。いわゆる”力不足”。名前のサインが立派なだけに余計に目立ってしまう。

こんな字で書き取りのテストを受けたら、四字のうち三字はペケ間違いなし。

テレビのオバカさん番組に出れば、キャラクターとしては受けるかもしれないが、”羞恥心”のメンバーには年取りすぎて無理な話し、、、でもないか。

カップ麺のコマーシャルに武田鉄也が若いアイドルに混じってバンドをやっている場面があるように結構 様になるかもしれない。

先日も、「字の読み間違いくらいで揚げ足を取るな」という人がいたが、一国の宰相が自国の文字を読めない、書けないでは困るのだ。

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2009年1月 4日 (日)

東大寺初詣

Img_0042 一日の半分はバスの中にいた事になる。

昨日の朝六時半に静岡発”奈良東大寺と春日大社初詣の旅”という日帰りバスツアーに参加した。

途中、あちこちで参加者を拾い、事故の見物渋滞などの障害を乗り越えてどうにか南大門傍の駐車場にバスが入ったのがお昼時。

Img_0032 十二年ぶりの東大寺はな~んにも変わっていない。変わっていないのが世界遺産たる所以なのだろうが、仁王様は相変わらず堕落した自分を睨みつけてござった。

しかし、その睨みも金網を一枚隔てているためか、オーラーが遮られ、少し和らいで感じるのは自分だけなのだろうか。

慮遮那大仏は柔和な顔をして、左手のひらを正面にしてくる人々に祝福してくれる。ガイドは声張り上げて大仏の大きさを強調しているが、、、、耳に入らず越えは上滑りに流れていく。

Img_0073 前回は中学校の同級会、還暦を記念して来たのだがその時と同じコースをたどり、二月堂をめぐり、若草山の麓を通って平安神宮と神仏混交初詣は続く。

帰りの渋滞も予想される中、もっとほかも回って見たいのだが見るには時間が足らず、バスに戻るには早すぎて、中途半端な時間を粒いた後ようやくバスは出発した。

最初は順調に滑り出したものの、奈良県を離れ関に入った途端車の動きは鈍くなった、伊勢からの帰り自動車、そして、新名神からの合流、歯がゆくなるバス運転手の運転ぶりに腹を立てながら、それでも、途中で変わった若い運転手のお陰で御前様にならない時間に帰着でき、十六時間の旅は終わった。

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2009年1月 2日 (金)

一瞬視線を送る乙女

Img_0054 水仙と言えば鏡に映った自分自身に恋をしたナルシッソスという美少年の名前が語源になった。と、言われる花だが、中国ではその香りと気品を愛されて水辺の仙人を思い浮かべて名付けられ、そのままの名前で輸入されたと言う。

一方で、この花を、恥ずかしそうに俯いている乙女(今どきいないだろうが、、、)、に見立てるのはどうだろうか。

恥ずかしいながら、チラッと一瞬此方に視線を向ける。そんな咲き方をしているとは見えないだろうか。

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今日も一日良い天気が続いたが、引きこもってテレビで駅伝を見たり、うつらうつらと眠ったりで、自堕落な一日を過ごしてしまった。

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2009年1月 1日 (木)

今朝の空のような年にと

Img_0020 朝まだき、五時に目ざめたのでどこか近場でご来光を拝める場所をと考えた結果、通称”一本松”帆掛山を清水霊山寺側から登ってみようと決めた。

家から15分ほど駐車場についたのはまだ六時には少し間がある時間。自転車はたくさんあるものの自動車はまだ四台しか停まっていない。

上手く駐車が出来たのは良いが、当たりは真っ暗ちょっと早すぎたきらいがある。ひと気は全然なし、懐中電灯を頼りに中腹の霊山寺までは懐中電灯が無ければ歩けないほどの暗さの中、遮二無二登る。

鐘を一つ突き、お賽銭を上げて山頂に到れば何ヶ所かで火を焚いて夜明けを待つ人、その中央に甘茶を売る地元の人携帯発電機の光の元中央で賑やかに接待をしている。

登る時、キラキラと輝いていた清水市街地もねずみ色の底に沈み、伊豆半島の上が赤味を帯びるころから人出が増え、文字通り黒山の人だかり状態になってきた。

Img_0018 千両役者のように、なかなかお日様は顔を出さない。六時五十分すぎ、ようやく富士山の雪をかぶった部分が茜差してから、お出ましとなった。

雲は、日本平のその向こうの洋上はるかにあるものの、影絵のような伊豆半島から富士山にかけて何も空を汚すものがなく、かえって愛想のない絵を見ているような気分になる。

今年は「今の空のように穏やかな年となりますように、、」と心の中で祈った後下山する人の後について下る。

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午後になって、娘たち家族が年始に来る。じいじはニコニコとして出迎える。

婿も不惑をとうに越して遠慮もなくなりざっくばらんに会話が出来るようになったいま、話しに花が咲き、普段の酒量をたちまち越してしまい、運転で酒の飲めない娘を近くのスーパーに走らせて、、、追加。

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