« 桜はまだかいな  と | トップページ | 因幡の白兎は »

2009年1月11日 (日)

薄氷を割る楽しさ

Img_0058 昨日の空から見て冷え込むぞと思っていた予想が当たって、静岡でも氷点下になり水面が氷っていた。

一昨日の、雨が残っていた所はもとより、水気の無かったところでも、ステンドグラスのように氷が浮き上がって、板のように張っている。

どんな理由でこんな風になるのか聞いて見たい。指先でつつくとパリンと言った感じの音を立てて割れる。出来たものを毀すのは積み木などと同様、子どもでなくても楽しいものである。

.

Img_0052写真、遠景の富士山を焼き焦がすようにして燃え盛るドンドヤキ)

そして、今日は近所の”どんどやき”あるとかで朝から花火が乾いた音を立てている。

子どもころの自分たちの居たところでは「佐儀長」といった。

前の日だと思うが当時の青年団の連中が雪の中、山にはいって多分5mくらい(子供心には大木に見えたが、、)の杉の木を運び出し、広場の真ん中に立てて支度した。

松飾や書初めなどは、昼の間に大人が持って積み上げ、子どもは夕方暗くなってから餅を持って集まり、自分の書初めがどこに下がっているのかなど確かめて火のつくのを待っている。

やがて、時間になって火が入ると”書初め”は火がついたまま高く舞い上がり、闇の中に消えていく、「高いほど良い」なんて言われ自分の書初めも期待したが燃え出すと火の中に消えどこへ行ったやら、、、。

しかし、一番の期待は持っていった小さな鏡餅を誰にも邪魔されず一人で食べられるという喜び。

我慢できず、早くから火の中に差し込むと、いまのようにアルミホイルがあるわけでなし、焼けて真っ黒になった部分と生焼けで固く残っている部分があり、少し食べては又火に差し込むと言うことを繰り返し、口の周りを墨で真っ黒した思い出がある。

そんなことを思いながら、九時からの点火を待っていたが、やはり日中に行なう火の行事は迫力が無い。でも、今の子どもの記憶にどう残っていくのだろうか。

ダイオキシンが出るだの、火の子が危ないだのいろいろな理由がつけらて、旧来の行事が止めさせられて行く中、玄関の松飾が出ていない家が多くなったのを実感しているし、塵袋の中に松飾が入っているのを見ると、神様が貶されたようで可哀想になる。

|

« 桜はまだかいな  と | トップページ | 因幡の白兎は »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/43706931

この記事へのトラックバック一覧です: 薄氷を割る楽しさ:

« 桜はまだかいな  と | トップページ | 因幡の白兎は »