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2009年2月28日 (土)

二つ名どころか

Img_0046dzikonnbana 紫花菜が咲きだした。紫のスミレに良く似た色合いで、、、。

花びらの格好が十文字の四弁花で、大根の花に似ているところから”花大根”ともよばれているが、葉っぱの形が違うし、太い根もなく、あなじ油菜科に属していても遠い親戚らしい。

名前はほかにも、諸葛菜(ショカツサイ)とか大紫羅欄花(オオアラセイトウ)など二つ名どころか、幾つもの名前を持っているが、何れもなんだか大げさな名前にきこえる。そのため、”紫花菜”が一番この花の名前にあっているような気がする。     でも、それは人それぞれなので、、。

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今日は、蜜柑の消毒の手伝い。急斜面にある蜜柑畑は足場が悪く、噴霧器を持って歩くのはまだ五十代の地主、自分は約80リットルの水を水槽から汲み上げて、農薬二種類を計量カップと注射器を使って調合し、ポンプの吸い込み口が顔を出さないように次から次へと作る役目。

ロープのついたバケツで 一メートル余下の水面から汲み上げるのだが久し振りに屈んで水の入ったバケツを何度引き上げる作業には疲れてしまった。

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2009年2月27日 (金)

確定申告をあげ”おくりびと”

Img_0012 どの花も遠くから聞える呼び声に耳を傾けるかのように俯いている。

純白に近い色をしたクリスマスローズ。我が家では一時五~六鉢、それぞれ色の違うクリスマスローズがあったが次第に枯れてこの一鉢が残った。

クリスマスのころ咲くローズに似た花というのが名前の由来だというが、露地栽培では早くて二月始めだから、クリスマスとは関係ないような感じ。

普段でも俯いてはいるのだが、今日も雨が降って花の裏側に露が付いているのを見るとなんだか雌しべを守ろうとしているように見えてけな気に見えるから不思議だ。花言葉は”私を忘れないで””追憶””なぐさめ”などとしおらしい言葉が続いているが、もう少しすると取んな色の花も青味がかった紫になってしまうのは、もともとがそんな色の花だったのだろうか。

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今日の雨を利用して、確定申告を一気に仕上げた。そうなると、家においておくのもなんだと思い税務署までバスで行き、投函したついでにアメリカのオスカー賞をとった「おくりびと」を見ようと七間町まで足を伸ばす。

映画がもっとも盛んだった昭和30年代はじめ、学校の期末試験が終わると映画館を三館立てしたことを思い出して含み笑いがこぼれ、すれ違う人には怪しいじいさんに見えたに違いない。

3本立ての映画ではなく、映画館を三つ見て回ることで、計6~7本見るためいくら若いときでも最後には筋書きも分からなくなってフラフラになったものである)

本当に久し振りの映画鑑賞。映画館を間違えて、ほかの映画館の窓口に行ったりしたものの、がっちりと高齢者割引で入場しこれが話題の映画なんだと自家用車のシートのような座席に感心しつつながめてきた。

客席は、雨で行く所がなくて来たのか、自分みたいに野次馬気分なのか七割方席が埋まっている感じ、これは、松竹の株が上がるわけだは、なんて余計な事を考えている自分がいたりして、、、。

荒筋は、何度もテレビで聞いていたので、ビックリするようなことはなかったが、ときおり印象的な台詞がでてきたり、自分が日ごろ思っている、「どんな仕事でもやっているうちにその仕事の面白さや、やりがいというものがでてくる。初めから自分にあった仕事など望んでは駄目だ。」ということを表しているようで、共感するものがあった。

そして、本当にこれらの職業に対する偏見が少しでも少なくなれば良いなあ。というのが感想。

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2009年2月26日 (木)

雛かざりは無くなった

Img_0104 「今年は雛飾りが無いのですか?」がらんとした部屋の中を見ながら聞いた。(写真は昨年二月の雛飾り)

「市役所が許可してくれないので、、、」と語尾を濁しながら暗い顔(?)の管理人らしき女性の愛想のない返事が帰ってきた。

いつの頃から始まったか知らないが、ここ数年由比 寺尾にある元名主宅と言われている”小池邸”の座敷には、この時期雛壇とつるし雛が飾ってあり、薩侘峠から下ってきたときにはいつも立ち寄ってみる場所だった。

P1010024 そして、本陣跡に建てられた、広重美術館付属のお茶どころも前に来たときにあった飾りつけもなく、閑散とし暗い雰囲気の中にあった。薩侘峠では空一面にかかっていた雲で富士山は見えないは(晴れていればこんな風に見えたはず、しかし、これは、予想していたこと、、、)、立ち寄った場所の雰囲気は暗いは、で気持ちは空同様になった。

そのあと、今日ここにくるきっかけとなった”桜海老”を食べに入った食堂でも、「由比の本陣が今年の正月に休みを取ったためお客さんから”折角来たのに”不評だった」という声を聞いた。

平成の大合併の声に押されて去年静岡市にしぶしぶ合併した由比町。そうした時決まって静岡市長は「合併してよかったと言われるようにしたい」と挨拶していたが、これらの声を聞く限りあまり「合併して良かった」とはいえないようだ。

おりしも、旗振り役だった総務省は昨年十一月に合併を打ち切る方向で検討に入ったそうで、その理由が予想以上に進んだことを挙げているが、そのほかに周辺地域の衰退や公共サービスの低下など顕著な弊害が出ているからという。

補助金をばら撒いて強行した結果しわ寄せは周辺に大きく響く、由緒ある名は消えここしばらくは名前を聞いてもそれがどこにある町なのかも分からなくなっている。(たとえば長野県の東部町と御代田町が合併し頭文字の東と御を取って東御市(トウミシ)となったが、これを読める人はまずいないだろうし、御代田町の名が消えてしまった)

平成十五年に清水市と合併。十八年には飛び地の蒲原町が静岡市に併合されてから間に挟まった由比町は抵抗むなしく落城するように併合された。

いまここで、総務省が方針変更をするとしたら、何のための合併だったのかと疑問に思う人が多いはず。お役所の机の上で鉛筆が転がるたびに方針の大儀が変わっていく。振り回された名も無き人の声はむなしく消えていく。

東静岡駅周辺に新しい市庁舎を建てると言う話も、論議無しに変更されようとしている。「無駄な金」と自分自身は反対しているが、旧清水市との約束事を議論もなしというのには横暴もはなはだしいと言わざるを得ない。

そんなことを思いながらも注文した桜海老の唐揚げ、小さく赤い海老が立っているようにからみ合い、パリッパリッとした食感は海老の香りとともに口の中で砕ける様は前に来た時と同様の味で美味しかった。

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2009年2月25日 (水)

レッドカーペット?

Img_0043 ここ二日間激しく降った雨と風で緋寒桜も十日ほどの花の役目を終えたように散り始めている。

色が濃いだけに、木の下は毛氈を広げたように赤く染まり、シートの上に雛人形を置けば風流な野外ひな壇に変わりそう。そして、今様に言えば”レッドカーペット”とでもいうのだろうか、、、、。

この場所、後の生垣が山茶花だったのが惜しかった。欲を言って椿だったら、点々と赤い斑点が見えただろうにと思う、、、。しかし、人の土地だものな~

午後になって、薄日も差していたのを見計らっての散歩。木の下から仰げばポツリポツリと落ちてくる。原因はメジロがいくつもこの木に群がって、蜜吸いの合間に花びらを振り動かして、額から離れそうな花びらに刺激を与えているためらしい。

山桜や染井吉野とちがって、花びらがはらはらという情緒がなく、椿のように花が一つになって落ちてくるため、あまり散らばらないでいる。

気温も最低で8℃、散歩の時には16℃にもなっており、いつもの服装では下着が汗で濡れてくるのが分かる。また季節が一つ進んだと言う感じする。

.すぐ近くの空き地には露を蓄えた菜の花やムスカリがこれまた水玉の芸術を披露している。

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自分の上半身を包むカバーや椅子の下に髪の毛が降り積もるのを見ている。先ほど見た桜の花と違うのは、前にもまして白いものが増えて灰色になった髪の毛。「おれも年をとったなあ」と感慨に浸る。

床屋の親父は何の屈託もない様子で髪の毛の多さを口にする。隣でその息子があたっている人も薄くないので気兼ねなく話せるのだろう。

頭を洗ってもらっているうちは口を利くことがが出来ないので聞くともなしに隣の会話を聞いていたら、いま静岡県は「西高東低」だという。

冬型気圧で良く聞く言葉だが、そうではなく失業率の高さだと言う。浜松を中心とする西部ではホンダ、ヤマハ、スズキなど自動車関連を中心に輸出関連の企業が多く、いまの不況をもろに受けて大変な状況だそうで、それに比べて東部は、幾分被害が少ないそうで、リストラ話は聞かないそうだ。

やっとこの間まで我が世の春を謳歌し、空前の売上高、利益を誇っていた会社。内部留保もたんとあったはずなのに、こんなに脆かったのだろうか、ひょっとして便乗しているのではないかと勘ぐっている。

とび職をやっていると言うその御仁、先日まで一人工二万円が相場だったのに、最近の新聞では八千円からと大幅にさがってしまった、、、、、あとはお定まりの政治談議へ、、、、、「どうも、お疲れさん」と肩をポンッと叩かれるまで延々と続く。

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2009年2月24日 (火)

さながら”古木鳴鵙図”

Img_0127 朝八時になっても厚い雲の下、外は薄暗い感じから抜け出せないでいる。しばらく低気圧が連続して日本にかかり今週はずっと曇りや雨が続き、本格的な”菜種梅雨”に入った事になったのだろうか。

いつもはこの時間になればねぐらへ帰って静かになっている鴨たちもまだ騒いでいた。「鳥というものは、空を飛ぶため少しでも身体を軽くしなければならないので、食いだめが出来ないんだって、、」と聞いたことがある。

それにしても、いつもより長く裏の川で何かを食べていれば、身体も重くなるだろうに。ひょっとして重くなりすぎて飛び立てないのでは、、、、、、そうすれば、寒さで足元が凍った鳥を捕まえに鎌を持って出かけた話と同様、素手で捉まえられるかも、、。

陰に隠れてみていたら、ときどき水面で背伸びするようにして羽ばたいたあと、追いかけっこ状態を演じ、そのあと二羽で飛び立っていく。少しすると同じ鳥たちなのか二羽が着水し大きな声を出す。

これって、鴨の恋愛風景なの? とまた別な二羽が飛び立っていく。集まっている鴨は、羽の脇に青い色があるところを見るとカルガモらしい。ほかの鴨と違って海を渡っていく必要も無いから、太った身体で恋に打ち興じていると見るのはこちらの勝手な推測だろうか

畑の中に小さな木に百舌が一羽。小糠雨降る暗い背景に吸い込まれるかのように霞んで見える。宮本武蔵書くところの”古木鳴鵙図”を思わせるような構図で細い枝の先端にとまって尻尾をピンピンと振り警戒している。

昆虫ならこんな天気の日は、草葉の陰に身を寄せてやり過ごしているだろうに、、、、、。

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今日の花。

左、蔓日日草(ツルニチニチソウ)こんな花まで咲いている。というのが率直な感じだったが、今日の誕生花というコーナーでは今日の花だと書いてあり、花言葉は”幼馴染”だそうだ。四枚の風ぐるまみたいな花弁を持ち、西欧では魔よけの花として重宝されていると言うがその生命力はかなり強い。右、木蓮、固い毛皮のコートを脱ぎ散らかそうとしているかのように、、、

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2009年2月23日 (月)

去るもの日々に疎し

Img_0031_2 やはり太陽が出ないと寒さが身に沁みる。

Img_0030 気温はそれでも10℃を越えているのだから、”氷雨”という状態から程遠いのだが気分的な面もあるかもしれなく、窓越しに南天を見ていると細かい雨が降る時は連なっている水滴は殆んど動かないが、雨粒が大きくなったり降りようが激しくなるとツツツーッと移動し隣の水滴と合わさって幹に流れる。

それぞれの水滴には向うの景色が写り込み、おなじ家が同じように逆さにぶら下がっていることに気がついた。   閑だね~

確定申告に手を付けなければならないのだが、気が乗らない。昨年のを写せばいいだけだから「まあ いいかっ」と見向きもしない、自堕落な爺様。

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自分の親たちはこんなことしなかったな。と思っていたら今日は父親の命日だったのを思い出した。

夜勤から帰ってきたら、病状が急変したから大至急病院へ、、、というので凍り付いた道路をチェンを着けたオートバイで走り、除雪した病院のコンクリートの坂に張っていた氷で転んでしたたか腕を叩きつけた、、、

あれは、昭和42年。すると今年は何年目になるのかな、と考えたたがとっさには分からない。キリスト教に紀元する西暦も好きではないが、日本の年号はこんなとき不便だ。  「去るもの日々に疎し」自分の父親でもこんなことになってしまった。

映画「おくりびと」がアカデミー賞の外国語部門を受章したとのニュースがあった。映画も見ていないのでどんな物語かは知らないが葬式にかかわる人の話だという。つまり、葬儀社の社員ということになるのだろうか。変わった職種の映画ができたものだ。

父親のころは、葬儀社が田舎にも出来始めたころだったが、かなりの部分隣組や親戚の世話になった。親戚は米や山菜を背負って、雪深い山の中から何時間もかけてこざいてきた。(”こざく”とは雪を掻き分けて、今で言うラッセル)

いまから見ると飾り物つくりなどほとんどが手作りの葬儀で、二十代後半だった自分は、あれこれと指図する親戚の長老や次々に訪れる父親の友人という初対面の人らに分けもわからず挨拶するばかり、、、、

それに比べて、最近の葬儀は葬儀社に全て任せた状態で、何も手出しをすることもなく、町内会や親戚は壁の花状態。

先日行った長野の葬式も形式化してしまい、ことさら泣かせようとする演出に違和感を覚えたと書いたが、葬儀場の入り口には○○セレモニーホールと書いてあった。

暗い空から降る雨に、地生えの八重の椿は重たげにうなだれている。そうセレモニーなんだセレモニー

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2009年2月22日 (日)

寿命が延びた

P1010064 晴れた空には少し霞がかかって遠くの山々が霞んでいる。

菜の花も咲いて、気圧配置は短い周期で変化する「なたね梅雨」の季節も間近か、とお天気ねぇさんが言っていたが、午後から空一面に雲がかかり崩れる気配を示している。

朝から揚がるの花火の音は多分愛宕さんの縁日ではないかと思いながら、今年はじめてのタケノコ掘りについていく。

まだ早いとは思うものの、今年は例年より気温が高く、先日掘った蓮根も芽が地表近くなので「もしや もしや」と行ってみた。

Img_0101 三十分ほど、落ち葉を掻き分け足で探ってみるが、僅かでも地面が鋭角的に盛り上がっている気配は感じられない。そこで、早々にあきらめ陽だまりに座り込んで早飯を兼ねてバカ話にはいったが、あきらめきれないのが若干一名。

しばらくして、見事に薩摩芋級を二個、下のほうからゲットしてきた。それを見て俄然勢いづきそれぞれの場所に向かって探り、結局は写真のような成果を上げた。

今晩は焼きタケノコにと一本づつも分けて持ち帰る。まずは初物を神様に上げてからお下がりをアルミホイールで包み七輪で蒸し焼きにし、皮を剥いて行者ニンニクの醤油をたらして食べる。

ホクホクとして美味い、また寿命が七十五日伸びた思いがする。

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2009年2月21日 (土)

寝ぼけ眼の虫たちも

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今日みたいな日には、挨拶の後「今日はいいですね」というのが静岡流。

初めは分からなかったが、どうも、”いいですね~”というのは”いい陽気(天気)ですね~”と主語を中抜きしているらしい。

昨夜の風が全てを吹き払ってくれたかのように、空には雲ひとつ無く富士山もすっきりと姿を現している。

風も収まり、ポカポカとした日中は、昨日、雨粒で水浸しだった桃の花も一変し、妖艶な感じさえさせる色合いになってきた。花言葉は「あなたに夢中」ってのがあるそうだけど、こんな感じの美女にあったらこっちが夢中になりかねない。

”傾国の美女”というの言葉があるけれど、古来権力者をとりこにして国の経営を危うくさせた美女は楊貴妃、クレオパトラ、日本では淀君など次から次へと出てくるが、こんな人には会ったほうが災難であり、自分たちではせいぜい家を傾ける「傾家の美女」になるのだが、この年になっては出会いたくは無い。

これ以上の揉め事は無いほうが良い。会ったらまさに”クワバラクワバラ”と言って眼をそらし逃げるに越したことは無いのだが、若いときと違って図太くなって、どんな美人やそれなりの人をまともに見られないといった”羞恥心”が無くなってしまい、じっくり観賞してしまう傾向にある。(もっとも見てもすぐ忘れてしまい区別がつかなくなって誰がどれやら状態。特に若い娘は皆似ているので、、、)

それにしてもこの花の色、蕾の膨らみ加減はいかにも桃の花といった感じがするのではないだろうか。ひな壇の前にでも飾りたいくらいの咲き方だったが、じじばばの家には雛飾りなど無い。

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久し振りに草餅を、というので流通の奥に蓬摘みを兼ねた散歩に出かけた。しかし、いくら暖かい静岡でも、此方は少し早く出てはいるがまだ地面すれすれの状態、もうすこし若芽が立ち上がるには時間が必要なようで、一回分を収穫するのに手間取った。

Img_0004 菜の花は、すでに高く立ち上がって土手を黄色く染め始め、越冬した紋白蝶が一羽(蝶は一頭というらしい)蜜を吸うでもなく落ち着かないそぶりで飛び回り写真に入ろうとはしない。

そして、これも目ざめたばかりらしく寝ぼけ眼の天道虫は、日の光を受けたものの動きは鈍く、捉まえて空に放り上げてみたが、そのまま羽を広げることも無く地面に落下してしまう。

春が来た 春が来た 何処に来たってとこかな

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2009年2月20日 (金)

患者様

Img_0033_2  未明に降りだしていた雨は、午前中で上がった。

傘をさして、郵便局に行ったついでにそこらを散歩を兼ねて歩いてみた。目的は鈴蘭水仙、この花が咲きだしているのは二~三日前から気がついていたが、まだ咲き出したばかり、ポツンポツンと言った状態だったから、もういいだろうと思った。

行ってみると、黄色いラッパ水仙とともに一群を作っていた。艶やかなラッパ水仙を引き立て役のようにしてことさら清楚さをひけらかしているようにも見える。(いやみ?)

雨に打たれて、水滴をつけてさらにかがんでいる。花言葉は清純、純潔などというそうだ。

Img_0032 此方の写真は去年のものだが、写した日にちを見ると三月二十日になっているので、今年は半月以上は早い開花と見てよいのではないだろうか。

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今日のニュースでは体外受精で妊娠した人が、間違って別な人の卵子らしいと分かって中絶し、「患者さまにはまことに申し訳なく、、、」病院の医者があやまっている映像が流れていた。

この中で、最近ではこの方法で出産する人が五十五人に一人もいるということを聞いてその数の多さに驚いた。排卵誘発剤などによる妊娠を含めれば、人為的出産はもっと多くなるのではないだろうか。

何時から日本人はそんな方法を取らなければ妊娠しなくなったのだろう。我々のころは自分を含めて、五人兄弟はが平均、中には九人十人兄弟なんてのもあり、産児制限が真剣に論じられていたことと比べると、天と地ほどの違いがやっと半世紀の間に起きていることになる。

精子が弱いのか、卵子の防御が強すぎるのか。ひょっとすると日本人が真っ先に滅亡する人種になったのではないかと思う。

そして、取り違えた原因があまりにも初歩的な間違いだったことに、「またか、、」という気がしてならない。

医療の現場では、酸素吸入している患者に窒素ガスだったか炭酸ガスを接続して死なせたり、注射器を間違えて他の患者に打ったりなどという事故を良く耳にした。

人間は、勘違い、間違いを起こす動物である。という認識の下、そうならないような対策を工業界ではむかしからやっている。ガスの接続にはネジのサイズを変えて酸素しか繋がらないようにするとか、作業開始前に”指差換呼”するとかし、事故を減らそうとしてきた。

それに対して、たまに病院に行ってもそんな状況は見たことが無い。確かに対象物は違うかもしれないが、一つの机の上に同じような受精卵子を二個置くという、そのことが間違いの元という認識がないのはおかしい。

自分の場合でも、会計を済ませて診察券しか帰ってこないので、「保険証は?」と聞いたら、しばらく探して他の人に渡してしまったらしいといわれ帰ったが、その夕方まで何の連絡も無かったので「間違いは仕様がないが、その後どうなったか位の連絡が何故出来ないのか」と叱りつけた。受付嬢にはかなり不満だった様で、仏頂面をしていた。

病院の受付で「○○さま」「患者様」なんて謙譲語を使われ、自分でないような気がするが、そんなことよりまず間違いのないようにしてもらいたい。

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2009年2月19日 (木)

春の小川は

Img_0039 気温が低いと言っても例年に比べればどうって事の無い寒さであるが、先日のポカポカ陽気に踊らされた菜の花にとっては辛い寒さかもしれない。

麻機沼の外周を流れる巴川の支流七曲川の土手に咲いた、からし菜の花は土手一面を黄色く染め、水路にはめだかや鮠っ子が「めだかの学校」そのままに群れを成して泳いでいる。

秋までは、田んぼの脇の水路にいたこれらの小魚も、この付近に集まり鷺やカワセミの目を集団で避けてきたにちがいない。土手から降りて川面近くに降りてみれば風もなく、春本番を思わせるのどかな気分。

Img_0093 春の小川は さらさら流る 

岸のすみれやれんげの花に

にほひ めでたく 色うつくしく 

咲けよ咲けよと ささやきながら

この歌詞が作られた当時のオリジナルだと言い、昭和十七年と二十二年に改定されて現在に到っている。

私は、戦後すぐの小学生だったが、さらさら流る と歌ったようなきがしてならいし、この歌い方のほうがしっくりきてすきである。しかし、にほひめでたく は憶えていないところを見ると、なんだか怪しくなってくる。

ただ、オリジナルが作られた百年ほど前は、「こんな言葉の使い方をしたんだ」と感心し、この歌のモデルになった東京代々木の河骨川は暗渠にされ、いまでは歌碑が建っているだけになったとのこと。言葉とともに、景色も世につれ変化し、歌の世界、思い出の世界に埋没していくのは、高齢者としては悲しいものがある。

先日も、甥っ子に物を頼んだら「全然 いいっすよ」と言われとまどってしまった。全然という言葉は「駄目」という言葉の枕詞のようにしか使ってこなかったものにとって、、、、ふ~ん。と思っていたら、最近はごく普通に使われているそうで、また世間においていかれちゃったと言う所。(夏目漱石辺りは肯定語として使っていたようだが

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今日は、午後になって今の冬最後の蓮根掘り。この冷たい土の中でも蓮根の芽は春を感じて、地表僅かな所まで茎芽をすくっと伸ばし、先日まで土の中で眠っていたトノサマガエルも見なかったが、冬眠場所でなかったせいか、目ざめて移動したのか。

冷たいと思っていた土の中にも春がきざしていた。

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2009年2月18日 (水)

いまの若い衆は、、、

Img_0009sizuhatayama 「いまの若い衆はなぁ~、、、」という声が前のほうから聞えてくる。この言葉が口から出るのは”老人の証拠”。と前に聞いたことがあるくらい、何かにつけて年よりは口にする。

今日は、池ヶ谷から麻機の尾根に上り、南下して賎機山城址を通り賎機山公園を経て浅間神社に降りるコースを歩いてみた。

賎機山城址の付近で男ばかり六人組のパーテイーを見つけすぐ追いついた時の話し声が冒頭の言葉だった。話しの前後はどうなっていたのか知らないが、最後尾の人に「どんなグループなの?」って聞くと、この下付近の閑なオッサンばかりが適当に歩いているだけという。

最後尾に静かについて歩いていたつもりだったが、先頭の人にも分かったと見え、急にスピードが上がり、賎機山公園を前にしてひとりの年長者が「膝が痛くて動かない」と言って立ち止まったのを機に、みんな大きく胸を弾ませながら休んでしまった。

追いついてきた人を先に出してしまえばゆっくりと歩けたものを、なまじ頑張った付けがでたのか、、、むかしから年よりは口ばっかしの証明。

なんだか追い立てたようで、悪いと思いながら追い越させてもらった。大きな平和観音像がある賎機山公園からの降りは行き交う人も多くなり、陽だまりは温かい。

しかし、道の両側に植えられている染井吉野はまだ蕾も固い。すれ違った一人歩きの女性から「今日は富士山が奇麗ですね」と弾んだ声で挨拶される「そうですね、雲のかかり具合も適当で、、」と返事。

仕事を辞めてすぐのころ、このコースは浅間神社に降りるまでが精一杯で、帰りはバスに乗ったものだったが、、、、、、、

Img_0021 今日は二十四節季の「雨水」

春を感じて雪が雨になり氷が溶けて水になるころ、というが、先日の二十六度にもなる気温の後では、今頃何いってんの今日は「寒の戻りじゃん」とでも言いそうな一日である。

帰りは、城北公園を一周し知り合いを探したが今日は出会えなかった。沈丁花の花も満開になって柑橘系の芳香を放っている街角を曲がり曲がっての散歩は春とのふたりづれ。

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昨日は中川騒動で一日が暮れた感じだったが、本来ならヒラリークリントンが主役になるべきだった。

それにしてもタフな女性である。あれだけあちこちと駆け回っても笑顔を絶やさずに会談をこなし、今日はインドネシアで同じ笑顔を振りまいている。

日本の政治家で彼女に対抗で出来る体力がある人はいないのではないだろうか。特に小沢民主党党首なんかは、、、、そして、時差に弱い中川元、、は

とにかく名前どおり、ひらりひらりと飛び回る姿にアメリカ人と結婚していた旧友曰く「アメリカさんは強いぞ!」って言っていたのを目の当たりにした思いである。

強いって言うのはもちろん想像通りだけどね。

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2009年2月17日 (火)

敵もさるもの

Img_0079 何があるかは知らないが、夜通し裏の川で鴨が騒いでいる。多分カルガモなんだろうが、三面張りの水路と化している川は、そんなに水草もあるわけでなく、ひとっころのように餌になる生塵も少ないはずなのだが、、、

そして、明け方になると大きな声を合図に飛び立っていくようで、日が出る前には静かな川に戻る。

むかし、子どものころ鳥は夜になると目が見えなくなるので、「鳥目」って言うんだと聞かされ、人間も人参を食べないとそんな風になるから薬だと思って食べなさい。と給食のとき美味くなかったが食べさせられたことを憶えている。

しかるに、裏の川で夜の間中騒いでいるのは、目が見えないものの仕業では決してないし、椋鳥なども夜の公園などで木から木へと飛び回っているところから、本当に鳥目の鳥はどんな鳥なんだろうかと調べてみたくなる。

Img_0080 今日の散歩道の途中、裏の川で騒いでいた鳥かどうかは分からぬが、池ヶ谷の水路に何羽もの鴨が背中の羽の間に首を突っ込んで眠っていた。

夜中中起きていれば、どこかで休まなければならないのは当然としても、道路脇の水路では「大胆不敵な」と思いカメラを向けて写し、かえって引き伸ばしてみれば、そのうちの何羽かは、こちらをじぃっと見て警戒していた。

動かないので、皆で寝ているのかと思ったが”敵も然る者 ひっかくもの”さすがに野生はちがう。おなじ引掻くものでも、いびきをかいたり、腹を上に向けて熟睡するような犬猫とは全然違うもんだ。

ちなみに、頭の横に眼がある動物は、両目を開けていると360度以上が視界に入っているといわれ、横向きの顔は一方の目で対象物を注視しているので、人間みたいに顔の正面に対象物を置くのは口を向けるためで、餌取り以外にはあまりしないそうだ。とあり、片目で見ている鴨は、、、、。

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中川大臣が予想通り今日の主役。ドタバタと一日騒ぎまわった挙句辞職することになった。こんなことならもっとあっさり酒を飲んだことを認めてやめておけば、面子くらい立ったのにと思う。

あの呂律の回らなさは酒以外の何者でもない。予算が成立するまでだの、病院に入院するだのと延命策をとったのが更に事態を悪化させた。

麻生首相と二人で状況を見誤ったようで、やっぱりお坊ちゃんはTPOが分からないらしい。

報道では盟友だけに思い切りが出来なかったと言っていたが、小泉元首相の時の盟友といわれたのは竹中平蔵さんについで麻生氏だといわれ、常に大臣職に付けてもらっていたはず。

それが、郵政改革には反対だったとのたもうて「怒るより笑ってしまった」と小泉元総理に捨て台詞を受けてしまったと同様、中川氏との盟友関係もその程度のはず、、おたがい、利用し利用されるだけの中を勘違いして、、、、。

そして、後任は与謝野大臣を兼任させると言うことだが、この人は先の総裁選挙のとき「今度の不況は日本に影響がすくなく蜂に差された程度」だと言っていたのを私は憶えている。

さらに、財務、金融を付け加えたんでは、これらを分離させたときの意味が無くなって、またしても改革を逆行させることにならないのだろうか。

なんだか、シッチャカメッチャカになって解散は何時するの。

適も去るもの 引返すもの」とくらあぁ~

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2009年2月16日 (月)

空気読めない杉花粉

Img_0103 ときおり突風のような風が吹き募る一日になって、自分的には”春一番”である。報道では十四日ころのようだったが、長野にいて感じなかったため、、。

この風に乗って杉花粉の飛散が激しいようで、眼に塵が入ったような感じが強い。そこで、盛大に花粉を飛ばしている景色が見えないかと近所の杉に木のもとに行って見た。

しかし、この木ではなかったらしく、枝が揺れてもそんなに放出しているようには見えない。

それにしても、同じ花ながら見栄えもしない迷惑な花であり、杉自身はそのことにちっとも気づかないで盛大に生殖活動に励んでいる。、最近はやりの政治家同様”空気読めない”を感じてしまう。

いや、空気を読んで花粉を飛しているのか、、、失礼。

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Img_0048 今日は西行忌 

ねかはくは はなのしたにて 

        はるしなん 

そのきさらきの もちつきのころ 

と歌い願ったそうでその願いどおりに二月十六日が命日となったという。(写真の河津桜は巴川の土手)

もっとも旧暦の今日だから、ひと月以上は遅れ、花(この場合は桜のようだが)も沢山咲き気候も昨日のように穏やかに過ぎていくころと思う。

しかし、桜のほうはいろいろと交配を重ね早咲きの桜がもてはやされる中、静岡ではあちこちで河津桜が花開いて桃色のあちこちの庭や並木を作り、珍しい光景ではなくなってしまった感がある。

これだけ、普及した所を見るとかなり成長の早い種類になるのだろうか。その桜が植えてある場所に行ってみると蜜蜂が集まって蜜を吸っている。

Img_0068 花の中央に頭を差し込んだまましばらくでてこない。今までだと忙しそうに蜜を吸い上げて巣に帰るを繰り返していたように思ったのだが、、、、。

そして、後ろ足の花粉の玉も見当たらない。この時期の桜は花粉の量が少ないのだろうか。自分の体力をつけることに専念しているのだろうか。後者だとなると、いままで持っていた身を粉にして働く”働き蜂”のイメージが崩れてしまう。

もっとも一家の働き手のお父さんもチョイチョイ脱線するのと似ているのかも、、、、蜜蜂の場合は小母さんのなるんだが、、。

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2009年2月15日 (日)

アラララッ 咲いてしまった 

Img_0015 さすがに疲れて果ててなんにもする気がなく、一日ゴロゴロとする予定だったが、午後になって「大根を全部抜くから取りに来て、、」と電話が入った。

聞けば、この暖かさでトウが立ち始め、このままではスが入ってしまって食べられなくなるので、処分を急いでいるとのこと。

すぐ傍には、今度きたとき採ろうと思ってたカリフラワーが、、、、アラララッ  状態。

Img_0036 天気予報は、また寒くなると言っていたけど、植物もここ二~三日の気温で季節感を乱されたみたいだね。立春から間もないのに夏日が続くとは”春は名のみの、、、”という早春賦の歌詞も書き直さなければならない時代に入ったのか、とにかくここまで来たら”押せ押せモード”で乗り切るしかないね。

「赤信号 皆で渡れば怖くない」って標語もあったことだし、、、。

野良の道端も春の草が入り乱れて、花を咲かせ始めた。

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去年一年を表す漢字が「」だと漢字能力検定協会が発表したが、その時はまさか自分のところで「」が起きるとは思ってもいなかったんだろうね。

どうして、文部科学省が立ち入り検査をしたと思う?。

「それはね、天下りの元お役人がいなかったからだって」そんな話しがまことしやかに言われているが、お役人一人入れると何億もの経費がかかるんで、躊躇したんだろうね。

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2009年2月14日 (土)

自分の時は簡単にと

Img_0125oosimazakura 清水まで帰ってきて、大島桜(河津桜?)のピンクを見て気温と春が合致した。

柔らかい春の日差しの中、この桜の色合いと花弁の薄さは心を和ませるものがある。

ここに来るまで、気温が26度にもなる異常気象で、今年はじめての冷房を入れての帰り道は、道端に寄せられている汚れた雪と車外の景色はかなりの違和感を感じさせるものがある。

しかし、ここ三日間の高い気温はありがたかった。13日朝三時半の静岡の気温が7℃、甲府盆地で1℃、そして、一番心配していた野辺山でマイナス2℃にまで下がったが、水気がないため凍結が見られなかった。

以前は、ここの降りは道端に流れ出た雪解け水が路面で凍り、日中でも日影の谷筋では凍結して、スリップ事故が良くあった場所なのでここから八千穂町までの区間は本当に神経を使った場所だった、、、、。

お陰で葬儀の時間には充分な余裕を持って到着することができ、滞りなくお別れをして来たが、ほんの少ししか離れていない同じ長野県でも風習が随分と違っておりとまどった。

そして今回は、自分の宗派と一緒の禅 曹洞宗だったが、飛騨と信州ではそれ以上に大きく違うのと、亡くなった当人が親しかったとはいえ連れ合いの従兄弟である以上、参列者のほとんどは知らない人ばかりのなかで、さすがの自分も御斎が済む間際まで借りてきた猫状態。

また、朝早く起きて230kmの運転のあと、気づかれもあって告別式が始まった午後三時半にはなんだか生煮え状態、葬儀社がことさら遺族を泣かせようとする演出を続ける間、ただ腰をかけて拝聴するため、お経が始まるころは睡魔との闘い。なんでもない箇所でしきりに頭を下げて横からひじ鉄の連続攻撃を受ける始末。

「つくづくこんな葬儀は自分の場合して欲しくない。ごくごく簡単にして欲しいものだ」と思ったが、しかし、死んでから注文をつける術もないしな、、、前もって遺書に書いておかねばと思うものの、その、前もってが何時のことやら、、、。

自分たちより年下の人に先立たれるのはかなり気落ちのするもので、疲れもあるからと親戚の「泊まっていけ」という言葉を辞退して、なじみの温泉宿に急遽連絡を入れ泊まることにしたが、眠い割には寝付かれず夜が更けるのを、柱時計の時報で何度も確認してしまった。

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2009年2月12日 (木)

帰りはぬかるみ(越前岳1,507m)

Img_0013 宝永火口を真後ろにして、すぐ南に位置する愛鷹山の越前岳に十里木から登る。

富士山が喉チンコの奥まで見せて笑っているような感じがする。

御神体が木花之佐久夜毘売命(コノハナサクヤヒメのミコト)だそうだが、あまりにもはしたな過ぎるのではないだろうか。

今日は、久し振りに山登りをしてみようとこちらに来て見た。空には雲ひとつなく、またしても青い空にくっきりと浮かぶ、、、、。味気ない富士山。

冬用の防寒靴にしようかと迷ってはみたが、雪の状況を見て普段履きなれている靴にし、支度も軽めで登り出したのは、七時四十五分。気温は丁度0℃、駐車場から直線状に作った階段状の道は、霜柱らがびっしりとついていて、足元でサクサクと壊れる音がする。

1,098mの”馬の背”に着いたのが約30分後。あまりの暖かさに、ここでチョッキとヤッケを脱ぎ更に軽装になってのぼりだした。

Img_0011etizwnn 雪の量は、本当に少ない地面に白白っと積もっているだけで地面がほとんど出ている状態、また、この山は水分が多いため土に見えてもその下が凍っているため、固くて滑りやすい状態になっていた。

慎重に足場を選び、帰りの心配をする箇所が幾つかあった。それでも、山頂に到着したのは九時十五分と予定を大幅に上回ったが、やはり雪がないためであった。

Img_0005etizenn2 山頂は、高い霜柱が溶け始めた時間、粘土質の土は水気を含んでグチャグチャになりかけている。ベンチにシートを敷いて休憩したが、落ち着かないので十五分ほどで下ることにした。

この山の今時期の目玉は、樹氷などの雪と富士山を真近に見ることであるが、今回は、雪無し雲無しで半減の感あり。

馬の背まで下ってきて初めて人とすれ違う。ここで気温がかなり違うようで、この下からは霜が溶け、ぬかるみになっている場所が多く、駐車場に着いたころには靴とズボンの下のほうが泥だらけ。

まさに、「行きはよい良い帰りは怖い」状態の山登りであった。

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この山登りの最中に仲良くしていた従兄弟が亡くなったとの連絡が入っていたとのこと、今夜にも出かけることにする。

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2009年2月11日 (水)

影が逃げ出さないように

Img_0005 まだ子どもが小学生のころだったのか、それとも孫と一緒に見たのか定かでない昔。ピ-ターパンが逃げ出した自分の影を追い掛け回し、離れないようにティンカーベルに糸で縫いつけてもらっているシーンがあった。

影が逃げ出すと言う発想が面白くて憶えているのだが、その反対に悪事を働いた男が、陰に見られたことを嫌ってなんとか影をなくす方法を考えていると言うのもあったような気がする。(全てお日様はお見通しだ、、、)

孫か子どもかも分からないくらいだから全てオボロの話しなので思い違いかもしれない。

巴川も水がぬるんできたのか小鷺が一羽、浅くて流れのゆるい川の中央で小魚を狙っている。

Img_0006 水面に映る影と水底に沈みこんでいる影を引き連れて、足を小刻みに揺れ動かしながら隠れた小魚を追い出しているのか、獲りやすい位置に誘導しているのか、一瞬、エイヤッとばかりに首を伸ばして嘴を水面にたたきつければ、波紋が広がって影は全て消える。

閑なおじいさんは、土手に隠れてその様子を見ているが、水溜りで釣りをしている人の傍で「釣れますか?」と聞くと「ええ、人が釣れます」と応える落語の世界をそのままのようで、自分のことを自分で笑ってしまった。

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Img_0065_2  もう一枚はこれ、裏の川に泳ぐ銭亀。祭りで買っては来たものの大きくなり、可愛げがなくなったので放流(捨てた)したものと思われるが、進行方向と別なほうに影が行きたそうにしている、ように見えるがどんなもんだろう。片足に影を縛っているかしらん、、、、。

(星さんのコメントにあったように、昨日書いて消した部分を思い出して書いて見ます)

政治家と国民と言えば、人と影に相当するものだが、その国民が、政治に愛想を尽かし離れてしまうのが浮動票という影。

どんな仕打ちをされてもついていく盲目的な影(支持者)は、上からの命令に弱い宗教団体か、その政党から利益を得る業界団体であるが、何時までも影であり続けることはますます悪い方向に引き込まれていくことになる。

麻生総理は、この影を自分に繋ぎとめようと定額給付、天下り禁止、郵政見直しと、つぎつぎに針と糸をとっかえひっかえしているが、どれも思い付きばかり、口先ばかりで効果がない。それは(方)針がぶれて何を言っても影が信用しないところまで落ちて(支持率)逆効果しか出ないのは、お坊ちゃんなるがため、、、、。

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2009年2月10日 (火)

はるがきた~(姫おどりこ草)

Img_0091ikegaya 「センセー 熱い脱がして」って声が聞えるたので振り返ってみた。セーターの首の部分が小さかったようで、、、。

今日は、麻機の山を保育園の子どもに混じって登って行った。「いくつ」と聞くと「ぼく四才」すかさず隣の子が「私五才 五才」と手のひらを広げてみせる。

「どこの保育園?」すぐそばの地名を言う。

「おじさんいくつ?」「いっぱいだよ、びっくりするくらい」

「ねえねえ、先生よりいっぱいなの?」「先生二人合わせたよりおおいかな」

「ぅわあ、おもたいんだぁ」 「そうじゃなくてぇ~、、、、」 いや案外近いかも知れない

そんなこと話しながら登るのは、自分の孫以来だからほんとうに久し振り。

梅や甘夏の木の間を曲がりくねって舗装された農道の所まで登って分かれたが、警戒もせず列の真ん中を歩かせてくれたことを感謝し、「楽しいひと時、ありがとう」といってわかれた。

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今日も気温は、十五度ほどになったようで暖かい一日になり、テレビは三月下旬なみの温度と言っていたが、季節の移ろいは気持ちだけでなくかなり早く駆け足で走っているようだ。

Img_0020 仏の座に混じって隠れるように姫踊子草が簪を挿したように紫の花をつけている。

さながら春祭りに集う踊子が、三々五々家で着付けた衣装でお宮さんに向かう姿に見えて嬉しくなる。

が来た春が来た  山に来た  野にも来た。

”踊子”といえば故郷では、雪が消えて四月の半ばになると高山祭りを皮切りに、各地在所のお宮さんで次々と祭りが開かれる。

親戚の多い家では連日今日はどこの祭り、明日はあそこの祭りと祭りの梯子で二日酔いの連続になる。山の上にはまだ白いものが見えるが、代掻きの準備をせよと雪模様は催促するので、、。

すると、豊作を祈願しての春祭り。鎮守の森から、、公民館から獅子舞を先頭に神輿、供奉する裃姿に一文字笠をかぶった村役、そこに混じって幼い女の子たちの踊子が花笠をかぶって、ところどころで踊りを披露してはおひねりを貰う。

おばこ こんころも~ち、、、と見ているおばあちゃんが口ずさむ。

そんな光景も間近に迫った季節なのだが、少子高齢化で出来なくなった処が多いという。祭りまでが夢の中に行ってしまいそう。

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2009年2月 9日 (月)

どえらい手間をかけたもんだ

P1010093 ミモザの花が咲きだした。例年だと三月に入ってからなので、かなりの早咲きということになる。

木全体を黄色く染め上げるほど花を咲かせているが、そのひとつひとつを見ると直径2ミリほどの小さなボンボンのような小さな花の集まりでることが分かる。

となると、この木一本でいくつの花を咲かせているのだろうか。さらにこのひとつひとつに花としての機能である。花弁、雄しべ雌しべ。おそらく億 兆といっても想像がつかないが、神様もどえらい手間をかけたものと思う。

P1010092 ミモザは、ラテン系スペイン語では、ミモサ(mimoza)と濁らないし、英語ではマイモウサ(mimosa)というのでどこの言葉かと思っていたが、ドイツ語だということなので驚いた。入ってきたときの国がドイツだったのだろうか。

また、この花を銀葉アカシアと房アカシアに分けているが、銀葉アカシアは葉が小さくて木が小ぶり、香りがほとんどしない。房アカシアはそうではないと聞くが素人でははっきり分からないと言うので”ミモザ”ひとくくりしておこう。

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先日のこと、知り合いの夫婦と話をしているうちに挨拶の話しになった。

静岡市街北部の麻機田んぼは最近散歩に出歩く同年輩の人が沢山いる。朝暗いうちから夜更けまで、集団で歩くのは麻機沼の植物や鳥の観察会の人たちだが、ほとんどは一人か夫婦らしき二人連ればかり。

その中で、何度も顔をあわせて遠くからでも手を上げたりして、かるく挨拶をしたり、立ち話に花が咲くこともあるが、初めて見る人も結構いる。

私はすれ違う際、その人の顔を見て向こうが顔を合わせないように余所見をしながら近づく人には無言ですれ違うことにしているが、知り合いはどんな人にも声をかける、そのほうが気持ちがよいからと言う。

挨拶をしても返事が出来ない人のほとんどは男の60代。「どうしてかね~、昔役所で偉かったのかね。」と奥さんは言う。役所のお偉いさんは不器用者が多いとその人は思っているらしい。

私は、「顔をそむけて来るということは、面倒な挨拶をしたくない人だから、無理にさせないようにしてあげるのが親切」というものと言うと、知り合いは「もしかしたら挨拶をしたいと思っているが自分から切り出せない人もいるかも知れない」と、、、。

さてどっちがどうなんだろう。山歩きでは少し減ったもののほとんどが挨拶をするし、長野県立科町では生意気盛りの高校生が先に声をかけてくるのに、六十歳前後になっても声が出せない人が居る。全てが公式どおり行かないのが人間社会。私はこれからも向うから来る人の顔を見ながら進むつもり、、、、。

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2009年2月 8日 (日)

百舌の雄姿

Img_0155 どう、この百舌の雄姿。へたなのタレントの一つ覚えのように「カワイイ~」の一言で片付けないで、、、。

きりりと引き締まった身体にアイシャドーを黒々と入れた鋭い目つきは西部劇にでてくるインディアンを連想するのは自分だけか。

体長20センチほどもあろうか、スズメ目では大きいほうになり、嘴の格好から分かるように昆虫やトカゲ、蛙を食べる肉食の鳥として名をはせている。

名前の由来は、いろいろな鳥の声色を使うことから名付けられたようで、モモジタから変化したようだが、今の時期は雌を受け入れ、子育てをする餌場になる縄張りを作っておかなければならない。

Img_0163 そのため、異種のものが何をしようが眼中になく、危険を顧みず人目に全身をさらしているというか、他の百舌に対して「我ここにあり!」と宣言している。秋口から百舌の名前の由来である声色を封じて”キッキキッ”と威嚇的で甲高い声で縄張りを獲得し、この時期一番目立つ鳥であろう。

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今日も今日とて気温が高く十五度を越えて、三月並みの暖かさだとテレビは言う。久し振りに隣の岡部町(いまは藤枝市に一部になっている)朝比奈川伝いへ車を走らせた。

Img_0057 途中、”玉露の里”に立ち寄ってみたが、駐車場に車もなく閑散としていたので「最近はこんな調子ですか」と聞いてみた所「上のほうで今日は祭りをやっているため、、」とのこと。早速野次馬根性を出して向かってみることにした。(写真。ダイラボウからの富士山)

4キロほど上流、玉取でその祭りをやっていた。広い駐車場は車でいっぱい。仮装したり、そろいの着物姿の小母さんがなにかの舞台に立つらしくポーズをきめて写真に納まっていた。

車を止めて、会場内のバザーに向かってみたが、「アララ なんにもない」テントの中は蜜柑にお茶、椎茸とヤマメの焼いたものくらいしかなく、野菜でもと探したが、見当たらない。この地区だけの祭りでは「野菜は売れないはなぁ」

結局は、ヤマメの塩焼きを一匹づつ買っておしまい。ここまで来たのだから、山越えで帰ろうと言うことになって冨厚里峠に、そして、峠から寄り道してダイラボウへ。

ダイラボウは巨人伝説のある山で、長さ100mほどの足跡形の窪地が森の中に残っている場所であるが、先年周りの木を切り払い少しぬかるんでいた窪地に砂利を入れた結果、見通しが良くなり、富士山や市街地がきれいに見えるようになったが、あっけらかんとして趣がなくなってしまった場所である。

ここで、ショウジョウバカマの花が見られないものかと尾根筋に行ってみたが561mの山頂はさすがに寒いらしくまだ花穂の兆しもなく、変わって、ツルリンドウの実が小豆をこぼしたように沢山実っているところが何ヶ所もあって、秋に来れば花が沢山見られただろうにと少し残念の感あり。

Img_0059dairabou はるか下には建設中の第二東名の藁科川にかかる橋とそのむこうに県庁など市街中心部がかすんで見える「夜景が奇麗かもしれないね、、、」などと言いながら春霞たつ麓に向かって車を進め始めると鼻がむずむずしくしゃみを連発。

「まだ、花粉が出てないはずだが、、、」と言っていたらラジオから発生し始めたと間髪入れずの放送があり、花粉症の人の憂鬱な季節が来たことを確認。

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2009年2月 7日 (土)

青い空にも染まらず

Img_0011 白鳥は悲しからずや 空の青 

海の青にも染まずただよう

                           若山牧水                

Img_0013 そんな句が浮かぶような情景に出っくわした。麻機沼の中央に土砂を寄せ集めて造った7~8mの小さな丘があるが、その一番高みに所に立っている辛夷の木。

いつもの散歩道の途中にあるのだが、遠目で見ても木全体が白くなっているのに驚いた。

先日まではまだ固い蕾だっただけに、今年はなんだか異常に早いような気がしてならない。この木、いつの頃からかワタフキカイガラムシが枝全体に真っ白になるほどたかられて見るも無惨な状態になっている。

自分の家の植木なら何とか手を打ってあげたいのだが、なにせカイガラムシは生半可なことでは退治できないだけに、(農薬はほとんど効かない)難物である

それにもめげず、いち早く咲き出したのはどういうことだろうか。全身にまとわりついたカイガラムシは樹液を吸って繁殖を続けている、かなりの栄養分を吸い尽くされて弱っているに違いないのだが。(ひょっとしてこれが最後とでも思っているのかと疑う)

下から見上げれば、抜けるような青空に白く浮かび上がって透けて見えるが、それでも青に染まらず、凛として冷たい風に花びらをなぶらさせている。

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Img_0006 今朝七時すぎ、NHKを見ていたら「飛騨の寒干し大根づくり」という題で故郷が映っていた。

私の、おばあさんの生まれ在所であり、良く遊びに出かけた集落であるが、今では代替わりと過疎化で知る人も僅かな土地となった。

標高千メートル、今年は雪が少ないと言いながら、朝の気温は零下13度だと言っていた。この寒さを利用して茹でた大根を日当たりの良い場所に置けば、凍結と解凍をを繰り返し水分のないカラカラな保存食となり、いまでも、時々この地に住む従兄弟からゼンマイなどとともに送られてくることがある山のゴッツオウ(ご馳走)である。

十代からしばらくは、「こんなもの」といって敬遠した時期もあるが、いま食べれば、子どものころからの思い出をを食べているようで懐かしい味である。

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2009年2月 6日 (金)

暖かさにつられてか

Img_0049 Img_0036 ここ数日三月並みといわれる暖かさにつられて緋寒桜が一斉に咲きだした。

緋寒桜。カタカナに直すと彼岸桜(ヒガンザクラ)と間違えるとかで、この桜をカンヒザクラと表現する向きもあるが、緋色の寒桜という意味から緋寒桜が正しいと偏屈じいさんは思い、頑として曲げないでいる。

桜にしてはくどいほどの赤さと花が開ききることがなくいつも下向きに密集して咲いている様は遠目からも目立つ。

Img_0054 この花を目掛けて、早速メジロとヒヨドリがやってきて蜜を啄ばむ。ヒヨドリは人間が怖いのか自分を見かけると甲高い声で抗議しながら逃げ去るくせに、メジロが蜜を吸うのが気に入らないらしく、人影を見計らって追い掛け回していた。

おかげで、桜の下でカメラを構えていれば半ば安心したように全身をさらして曲芸のような花から花へと渡り歩いている。

散歩道麻機周りには、このほかに、ミモザ(銀葉アカシア)や辛夷の花も咲きだしており、このまま春が来そうな雰囲気になっているが、はたしてこの先どうなるのやら。

雪国では、雪の降る量を予想してカマキリが卵を高くしたり低くすると言うが、植物にもこの能力があるのか。

つかの間の、暖かさに釣られての事だとしたら、、、、、ああ哀れなるかな。ということになりかねない。

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昨日、”円天”で話題をまいた波会長が逮捕され被害者という人たちが嘆いていた。

率直に言って、この被害者たちにあまり同情心をもてない。大体が、元本保証で年利36%ととかいう配当を示されたときに疑うのが常識であろう。

昨年、この問題が公にされたときに、インタビューを受けた人の中に、”円天”という商品券みたいなもので「こんなにも買えて天国みたい」といってた小母さんが映っていたが、あそこまで洗脳されてしまうと、何を言っても無駄という感じしかしない。

騙したほうも悪いが、一時の配当に騙されてなけなしの財産をつぎ込んで、泣き言を言うようでは、いままでどんな暮らしをしてきたのだろうか。

「自分の身は自分で守ろう」 同じ詐欺まがいでも富士ハウスの倒産による被害などとは訳が違うような気がする。

そんなこと言って、地震のとき対策をとらないで被害にあったときはどうする。といわれるとグーの音も出ないのだが、、、、。

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今日の花。

左、銀葉アカシア、通称ミモザ、黄色い花の塊でひとつひとつの花が分かりにくい。  右、辛夷、園芸用の木だろうがこんなに早く咲くのは珍しいのでは、、、。何れも、麻機遊水地まわりで

Img_0016 Img_0009

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2009年2月 5日 (木)

お茶していかんか

Img_0051 ”野老”と書いてトコロと読む。山芋の仲間で葉っぱも良く似ていて青葉のころは間違いやすいが、根が全然違うので”にせ芋”なんていう人もいる。

ときたま、根が太くなって小さな山芋に似た根になるものもあるが、苦くて食べられないようだ。

こんな読みにくい字を当てたのは、根っこに細い髭根が多いところから、老人に見立てて”老”をつけたという説がある。では、海の”老”はエビと読むが、これは腰が曲がっていることから付けられたようで、どちらも正月飾りの縁起物として床の間に鎮座していた。

その昔、老人は敬われ、掛け軸の高砂のような老夫婦にみたいなりたいという願望があったようだが、これだけ老人が増えると厄介者扱いにされ、先日の健保連の広告にも40%が老人医療に使われていて、運営が窮屈だと言っていた。

ところで、この、野老は雄雌異株なので、秋も深まって葉が落ちると三枚葉の変わった種をつけ子どものおもちゃになったものだが、時代も過ぎ山で遊ぶ子も居なくなったいま、風に吹かれて寂しい音を立てるばかりの存在になってしまった。

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Img_0048 「おお~い お茶していかんか」と声がかかってきた。

しばらくぶりでバイパス脇からの階段状の道を登っていたら、ときどき野菜を分けてくれる同年輩のSさん。畑の脇に丸太を立てて椅子代わりにし、一服して行けという。

此方も散歩ついでの閑な身。「おいよっ」てんで金網の隙間をくぐって近寄れば、「甘夏を取っていけよ。鳥が突付き出したから甘くなってるよ。好きなのを鋏で切って、、、」と手渡してくれた。

ブロッコリーもレタスも好きなだけと言われレジ袋も取り出す。「散歩途中だからこれ以上は持てないよ」と断ってから、お茶になった。(お茶はコンビニから買ってきたペットボトルだが)

蜜柑の後に梅が咲き、その向うに富士山が出てくるはずだが、今日は霞の彼方で分からない。

「梅を見ながらお茶を飲む。風流なもんだね」「ひとつ俳句でもひねってみようか、、、」

はるがすみ、、、、うん~と。

春霞 富士をさがして 花見かな

野良にでて 梅に蜜柑の 野点かな

そのむかし 野老ゆらして 夢を見た

下手な俳句で身も縮む、、、おそまつざま

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2009年2月 4日 (水)

おぼろに霞むは

Img_0041 朝、田舎の寺から送ってくれた「立秋大吉」と書かれたお札とお寺の祈祷札、そして、昨日貰ってきた臨済寺のい札を合わせて玄関の上に貼って家をでた。

真上を見れば青空が広がっているのに、四囲の山々はおぼろに霞んでいる。

立春を迎えたからと言って、春霞にはまだ早すぎるんでは、、、、。ひょっとして黄砂?風も結構吹いているもんな。

麻機沼に数多くある柳も春を感じてか、小さな黒い芽の殻を脱ぎ捨て、ネコネコオンボ(ネコの尻尾)を白く輝かせ出した。

国会中継はじれったい思いばかりをつのらせ、腹だたしくなるばかり、外の空気を吸って気を紛らわせようと外に出れば、大自然は小さい小さいと言っているよう。    ”立春大吉 すべて世は事も無し”   と

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2009年2月 3日 (火)

臨済寺の鬼たち

Img_0037 春は名のみの風の寒さや、、、、早春賦の出だしだが、今日の節分は今年に限ってなのか、静岡に限ってなのかは分からないが曇っているのに温かかった。

この日は各地で豆撒きがあるのでいままであちこちと、野次馬根性も手伝って見てきたが、今年は大岩の臨済寺でも行っていると言うので聞いた時から決めていた。

Img_0014 予定時間の三時少し前に到着すると、山門前で頭を青々と剃り揚げた修行僧が待っていて、「檀家ではないのだけど、、、」というと丁寧に案内してくれた。最近、有髪の坊さんが多い中で清清しい感じを受け第一の好印象。

この寺は、今川義元の父が出家した義元(栴岳承芳)のため建てた寺で、その後、戦火で焼けたが、徳川家康が再建した由緒ある寺だそうで、現在は修行僧の専門道場ということになっていて、自分たちはなにかの行事のあるときでないと境内までしか立ち入ることが出来ない寺である。

今日は、その行事の一つということで、本堂の中を初めて見ることが出来た。

外見からも大きな本堂なので中も想像していたとおりだったが、思ったより質素で柱も太くなく、天井にもそれらしい天井画とか天蓋もなかった。修行が第一の目的ならコケオドシの装飾は必要ないという証明だろう。

入るとき、打ち鳴らされていた鐘楼の鐘の音もやみ、版木の音が代わって響く、墨染めの衣に太い縄のような帯を締めた若い僧たちが着席すると、廊下を踏み鳴らす激しい音がして、赤、青、黒それぞれ二人づつの鬼が乱入してきて、両側に分かれて座る。

その後読経が始まり、居座り続ける鬼をお経で威圧すれば、鬼たちは苦しそうに身を揉む、そして、読経が済むと豆で鬼を追い散らすという流れになる。

他の豆撒きと違って、年男とかスターもいない豆撒きは面白く好感が持てる。参加している人も高齢者が多く、豆を撒いても人を押しのけてまでという浅ましい格好が見えないのが良い。

Img_0021 鬼は豆を打つ僧に追われ、あちこちに逃げ惑い、そのたびに豆の入った袋がが飛び散り幾人かいた子どもが、歓声を上げて豆を拾う。

こんな豆撒きなら来年も、、、と思いながら外に出ると、お守りの札と白南天で作った箸を渡され、さらに自家用手作り味噌まで頂くと言う至れり尽くせりの接待を受けて、うきうきとした気分で帰途につく。

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2009年2月 2日 (月)

アロエの花に掴まって

Img_0002 最近、我が家でも貰ってきた蜜柑も底をついてから、メジロに上げる蜜柑はなくなってしまった。

自分としては、正月残りの餅や干し柿などまだ食べるものがまわりにあり、蜜柑を買ってまで食べたいと言う気がしないので、当分メジロにまわるものが無いのだが、味を占めたのかまだ一日に何回か庭先に来て、あちこちを探した挙句、いままで近寄ったこともないアロエの花に掴まってこっちをみる。

感じから言って、蜜を吸っているような気配がないところから、一種の”いやがらせ”みたいに感じるのは自分の引け目だろうか。

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今日は孫の受験申し込み書類に張る県の収入証書を買いに、県庁まで散歩を兼ねて歩いていった。

片道四十分余、本当はもっと早く行ける。だが、途中の駿府公園の中をぐるッと見て廻ったためこれだけかかってしまったのだが、桜と梅のほか見るべきものも見当たらず、本館の一階に久し振りに入った。

場所が分からなかったので、二階に上がり受付に聞いたところ一階売店の中で売っているとの事。また下に降りて聞きなおして見つけたのだが、売っている所は県庁OB会とか職員組合という受付の所だった。

なんか違和感を覚えながら、用件を言うと前もってビニール袋に200円と2,000円の証紙をまとめて入れてあるものを手際よく出された。

受付では「証紙の売っているところ」としか聞かなかったのに、案内嬢は迷わず教えてくれた。県庁内の一部を使って関係があるとはいえ、他の団体が証紙をなぜ売っているのだろうか。手数料を取っているとしたら、、、、なぜ県が直接売らないんだろう。

おかしいよな。いま国会では、公益法人や天下りを論議しているようだが、県や市町村には同様な論議をしているとは聞いたことがない。

一番古い建物の決して明るいとはいえない場所のせいもあってか、闇の底から、眼だけ光らしてすきを窺がっている魔物を見た思いがした。

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2009年2月 1日 (日)

菜の花が笑っている

Img_0012 雨上がりの空は何時にもましてスカッと透明感がただよい、富士山の稜線も線で仕切ったように青空の中に浮かび上がらせている。

気温も散歩に出かける時間には十四度となり、歩き出してすぐに上着を一枚脱いで、半そでの下着と長袖一枚となる。しかし、それでも汗が出てきたので腕まくり。

すれ違った人も「いい陽気ですね」といいながら上着を脱いでいた。

今日二月一日はまだ寒の内。そして、旧暦の七日正月。昔言葉では如月、「着物の上にさらに着る」という時季なのに、、、。

土手に咲く、からし菜の花も明るい日の光を受けて笑っているかのように黄色く光を跳ね返している。その脇で霜に打たれたのか干からびて俯いている花穂を見ると少しの差が運命を決めているようだが、どっこい諦めず再生することだろう。

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子どものころの雪国では機械力もなく雪またじ(雪の始末をすること)はもっぱら人力だったが、丁度今頃は雪またじをする場所もなくなって、雪に埋もれた生活を送っているころだった。そして、吹きつのる猛烈な寒波と吹雪で学校に来るのが難しい状況になったと判断されると学校が休みになった。

合図は、朝七時ころ電灯を二~三回短く点滅させる方法で伝えたのだが、吹雪の朝はこの合図が出るのを今か今かと待っていた記憶があり、合図を確認すると「よしっ」と(ガッツポーズとは当時言わなかったが)喜んだものだった。

この休みは、夏休みを他の学校より短くして確保したものだけに、三学期も終いになるとあまり激しく無くても休みになり、そんなときは和かんじきをつけて雪の山に出かけて兎取りの罠を仕掛け、遊びに加えて肉を獲ると言う1石二鳥の楽しみがあったことを、いま懐かしんでいる。

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