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2009年2月19日 (木)

春の小川は

Img_0039 気温が低いと言っても例年に比べればどうって事の無い寒さであるが、先日のポカポカ陽気に踊らされた菜の花にとっては辛い寒さかもしれない。

麻機沼の外周を流れる巴川の支流七曲川の土手に咲いた、からし菜の花は土手一面を黄色く染め、水路にはめだかや鮠っ子が「めだかの学校」そのままに群れを成して泳いでいる。

秋までは、田んぼの脇の水路にいたこれらの小魚も、この付近に集まり鷺やカワセミの目を集団で避けてきたにちがいない。土手から降りて川面近くに降りてみれば風もなく、春本番を思わせるのどかな気分。

Img_0093 春の小川は さらさら流る 

岸のすみれやれんげの花に

にほひ めでたく 色うつくしく 

咲けよ咲けよと ささやきながら

この歌詞が作られた当時のオリジナルだと言い、昭和十七年と二十二年に改定されて現在に到っている。

私は、戦後すぐの小学生だったが、さらさら流る と歌ったようなきがしてならいし、この歌い方のほうがしっくりきてすきである。しかし、にほひめでたく は憶えていないところを見ると、なんだか怪しくなってくる。

ただ、オリジナルが作られた百年ほど前は、「こんな言葉の使い方をしたんだ」と感心し、この歌のモデルになった東京代々木の河骨川は暗渠にされ、いまでは歌碑が建っているだけになったとのこと。言葉とともに、景色も世につれ変化し、歌の世界、思い出の世界に埋没していくのは、高齢者としては悲しいものがある。

先日も、甥っ子に物を頼んだら「全然 いいっすよ」と言われとまどってしまった。全然という言葉は「駄目」という言葉の枕詞のようにしか使ってこなかったものにとって、、、、ふ~ん。と思っていたら、最近はごく普通に使われているそうで、また世間においていかれちゃったと言う所。(夏目漱石辺りは肯定語として使っていたようだが

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今日は、午後になって今の冬最後の蓮根掘り。この冷たい土の中でも蓮根の芽は春を感じて、地表僅かな所まで茎芽をすくっと伸ばし、先日まで土の中で眠っていたトノサマガエルも見なかったが、冬眠場所でなかったせいか、目ざめて移動したのか。

冷たいと思っていた土の中にも春がきざしていた。

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コメント

小布施人さま

非公開にという指定でしたので、その様にさせていただき返事だけを簡単に書かせてもらいます。
小布施には観光で二度行っただけで詳しい事情は分かりませんが、古い趣を持った町ということしか感じていません。
しかし、古い町にはやはり古い習慣や慣行が残っていることと思います(特に小さい社会では)。この町にこられて何年になるのか知りませんが、私も40歳になって先祖代々の土地から静岡に来たわけですが、いまだにしっくりとこない所が結構あってなかなかなじめません。(そんなところをブログではきだしているのかも、、)
この辺は、やはり、男のこだわり、意地みたいなものが邪魔しているのかも、、。
しかし、それはそれで、しっかり持っていたほうがよいような気もしますよ。
答えになったかどうか、多分なっていないと思いますが、またご意見を入れてください。
長くなれば、次はメールで入れますので、、、、、、

投稿: 小布施人さんへ | 2009年2月21日 (土) 16時46分

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