« おぼろに霞むは | トップページ | 暖かさにつられてか »

2009年2月 5日 (木)

お茶していかんか

Img_0051 ”野老”と書いてトコロと読む。山芋の仲間で葉っぱも良く似ていて青葉のころは間違いやすいが、根が全然違うので”にせ芋”なんていう人もいる。

ときたま、根が太くなって小さな山芋に似た根になるものもあるが、苦くて食べられないようだ。

こんな読みにくい字を当てたのは、根っこに細い髭根が多いところから、老人に見立てて”老”をつけたという説がある。では、海の”老”はエビと読むが、これは腰が曲がっていることから付けられたようで、どちらも正月飾りの縁起物として床の間に鎮座していた。

その昔、老人は敬われ、掛け軸の高砂のような老夫婦にみたいなりたいという願望があったようだが、これだけ老人が増えると厄介者扱いにされ、先日の健保連の広告にも40%が老人医療に使われていて、運営が窮屈だと言っていた。

ところで、この、野老は雄雌異株なので、秋も深まって葉が落ちると三枚葉の変わった種をつけ子どものおもちゃになったものだが、時代も過ぎ山で遊ぶ子も居なくなったいま、風に吹かれて寂しい音を立てるばかりの存在になってしまった。

.

Img_0048 「おお~い お茶していかんか」と声がかかってきた。

しばらくぶりでバイパス脇からの階段状の道を登っていたら、ときどき野菜を分けてくれる同年輩のSさん。畑の脇に丸太を立てて椅子代わりにし、一服して行けという。

此方も散歩ついでの閑な身。「おいよっ」てんで金網の隙間をくぐって近寄れば、「甘夏を取っていけよ。鳥が突付き出したから甘くなってるよ。好きなのを鋏で切って、、、」と手渡してくれた。

ブロッコリーもレタスも好きなだけと言われレジ袋も取り出す。「散歩途中だからこれ以上は持てないよ」と断ってから、お茶になった。(お茶はコンビニから買ってきたペットボトルだが)

蜜柑の後に梅が咲き、その向うに富士山が出てくるはずだが、今日は霞の彼方で分からない。

「梅を見ながらお茶を飲む。風流なもんだね」「ひとつ俳句でもひねってみようか、、、」

はるがすみ、、、、うん~と。

春霞 富士をさがして 花見かな

野良にでて 梅に蜜柑の 野点かな

そのむかし 野老ゆらして 夢を見た

下手な俳句で身も縮む、、、おそまつざま

|

« おぼろに霞むは | トップページ | 暖かさにつられてか »

コメント

慶さんへ

「お茶をする」という言葉は静岡に来て初めて知った言葉でした。お茶どころらしくいい言葉だと思っています。
おっと、長野でも使いましたか、縁側でのんびりとお茶を飲む、なんの話しをしなくても顔がほころぶ。そんな風景は私にもありまして、十年ほど前家の改装ついでに、大工さんに幅四尺の濡れ縁を作ってもらいましたが、お茶する人はめったに来ません。

そういうのを、天寿を全うする逝き方”と言うのでしょうね。
年をとっているかどうかでなく。
私の母親も、入院一週間、孫の全てと姉妹のようにして育った従姉妹に会ったあと、御飯の最後の一口を喉に通して、大静脈破裂で一瞬にして逝きましたが、皆に羨ましがられた最後でした。

投稿: オラケタル | 2009年2月 6日 (金) 21時46分

「お茶していかんか」
 いいですね(*^^)v今どきなかなか見られなくなってしまった風景(?)ですね。
 昔慶のおばあちゃんちには縁側があって(当時はどこでもありましたけどねえ)そこに近所のばあばたちがお茶していました。ある時おばあちゃんの友達がいつものようにお茶していて「ちょっと横になっていい?」ってごろっと横になってそのまま天国に逝ってしまいした。おじいちゃんもちっともお風呂から出てこないとおじさんが心配して見に行くと体を一生懸命洗っていて「今日お迎えがくるから」と言っていた次の日の朝亡くなりました。そんな風に自然に逝くって今なくなってしまったように思います。ふと「お茶しない」に思い出しました。

投稿: | 2009年2月 6日 (金) 08時32分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/90605/43964011

この記事へのトラックバック一覧です: お茶していかんか:

« おぼろに霞むは | トップページ | 暖かさにつられてか »