自分の時は簡単にと
清水まで帰ってきて、大島桜(河津桜?)のピンクを見て気温と春が合致した。
柔らかい春の日差しの中、この桜の色合いと花弁の薄さは心を和ませるものがある。
ここに来るまで、気温が26度にもなる異常気象で、今年はじめての冷房を入れての帰り道は、道端に寄せられている汚れた雪と車外の景色はかなりの違和感を感じさせるものがある。
しかし、ここ三日間の高い気温はありがたかった。13日朝三時半の静岡の気温が7℃、甲府盆地で1℃、そして、一番心配していた野辺山でマイナス2℃にまで下がったが、水気がないため凍結が見られなかった。
以前は、ここの降りは道端に流れ出た雪解け水が路面で凍り、日中でも日影の谷筋では凍結して、スリップ事故が良くあった場所なのでここから八千穂町までの区間は本当に神経を使った場所だった、、、、。
お陰で葬儀の時間には充分な余裕を持って到着することができ、滞りなくお別れをして来たが、ほんの少ししか離れていない同じ長野県でも風習が随分と違っておりとまどった。
そして今回は、自分の宗派と一緒の禅 曹洞宗だったが、飛騨と信州ではそれ以上に大きく違うのと、亡くなった当人が親しかったとはいえ連れ合いの従兄弟である以上、参列者のほとんどは知らない人ばかりのなかで、さすがの自分も御斎が済む間際まで借りてきた猫状態。
また、朝早く起きて230kmの運転のあと、気づかれもあって告別式が始まった午後三時半にはなんだか生煮え状態、葬儀社がことさら遺族を泣かせようとする演出を続ける間、ただ腰をかけて拝聴するため、お経が始まるころは睡魔との闘い。なんでもない箇所でしきりに頭を下げて横からひじ鉄の連続攻撃を受ける始末。
「つくづくこんな葬儀は自分の場合して欲しくない。ごくごく簡単にして欲しいものだ」と思ったが、しかし、死んでから注文をつける術もないしな、、、前もって遺書に書いておかねばと思うものの、その、前もってが何時のことやら、、、。
自分たちより年下の人に先立たれるのはかなり気落ちのするもので、疲れもあるからと親戚の「泊まっていけ」という言葉を辞退して、なじみの温泉宿に急遽連絡を入れ泊まることにしたが、眠い割には寝付かれず夜が更けるのを、柱時計の時報で何度も確認してしまった。
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コメント
慶さん
葬式とは難しいものですね。私も長男として両親の葬式を出し、親戚や近所の葬儀も手伝いましたが、何度やっても前もって検討できる結婚式(葬式の準備は本人が生きているうちにはしにくいし)とは違い、時間制限に追われて、後でああすれば良かった。こう言えば良かったなど後悔することが沢山あり結局は葬儀屋の言いなりになって出費が多くなってしまいます。(結婚式も同様ですが、、。)
なにしろ、遺族としては滅多にないことであり(余りあっても困りますが)寝不足に加えて気が動転している時なので後先を考えていられないことにあります。
次に、葬式や法事は死者のためというより、遺族のための行事になりますので、つい見栄を張ってしまうんですね。
だから、前もって遺産の分配と葬式の出し方を書いておけば、死んだ人の気持ちにのっとって、、、。となるんですが、何時お迎えがくるか分からないので切羽詰るまで日延べしてしまいます。
ちょうど、確定申告がなかなか出来ないのと一緒ですか
投稿: オラケタル | 2009年2月16日 (月) 22時36分
どなたが亡くなっても哀しいものです。なかなかお葬式も盛大でもさみしくてもいろいろ考えさせられます。友達の息子さんがさんざん親に心配かけ迷惑をかけた挙句21歳で自殺してしまったのですがそのお葬式は(悲しみはわかるのですが)とてつもなく盛大だったのです。子供を失った母親の嗚咽が哀しく悲しく切なかったのですがそのあと息子の作った借金もあり、両親は本業以外に早朝の仕事もなくてはならなくなり、他の子供はそんな親に嫌気がさして出て行ってしまいました。もともと一番下の息子を偏愛していたところがあったので。その後を聞くとあのお葬式はと思ってしまいます。
投稿: 慶 | 2009年2月16日 (月) 18時06分