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2009年3月31日 (火)

本当に三寒四温なの

Img_0012 三寒四温の季節なんだろうけど、今年の春は寒暖の差が激しいうえ、周期が長く五寒六温?いやちがう。

桜前線は北上していると言いながら、近所の桜は木によって枝によって開花状況が違い、一斉に開花して”春爛漫”と言った風情にはなりにくいようだ。

その点、シャガの花は一日花のため、毎日が満開の様子。その花にどう間違ってかバッタが一匹。白い花に瑞々しい緑、「目立って仕様がないだろうに、、」と言ってあげたいほど。

野菜にたとえれば、若芽と言った感じの幼虫は鳥などにとってはまたとない御馳走なんだから、もっと保護色になる草の所で居なければ、、、経験不足は「危ない危ない」。

でも、それを乗り越えれば、不味くてふてぶてしい飛蝗に成長していくのは人間も同様か。

飛蝗には詳しくないので図鑑を見てみたが、幼虫の時期はみんな緑色だし、この時期に出てくるのは少ないようで良く分からない。

顔つきからツチイナゴという種類なのだろうか、それとも、、、、、。

とにかく、先日の暑さで出てきたものだろうが、寒さに震え上がってか長い触角をゆらゆらさせているだけで、少しでも陽だまりの暖をとりたげな様子。

何ごとも時期を誤まると、苦労をするもんだ。

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2009年3月30日 (月)

三匹目のドジョウは 

Img_0044 今日は要らなくなった家具を貰いに三島の箱根山麓まで行ってきた。久し振りのトラック運転に気を使いながら、操作を懐かしみながら、国一を東に走る。

道端の旗がはためいて少しばかり風が強そうだったが、ウインドガラス越しの日の光で運転席は蒸し暑いくらいの陽気だった。

前もって、インターネットの地図で確認していたためスムースに到着し、荷物を積み込む合間に見た土手にはカタクリの花がチラホラと咲いていた。

Img_0042 最近ではカタクリの自生地も減り、少し移植して花を咲かせると観光地になってしまうが、自分たちが子どものころはカタクリなんて日当たりの良い斜面なら何処にでもあり、密集していたので子どもにも簡単に摘むことが出来た。

花が咲く前の葉っぱを摘み、茹でてお浸しにすると、ほうれん草に似た味になり、この季節、良く食べたものだった。しかし、どうしてこんなに減ってしまったのだろうか。

「カタクリというのはこの草の根を掘って澱粉を取ったのが片栗粉だし、蕨粉もワラビの根から作って現金収入のない農家の嫁さんの貴重な小遣いだった」と言っても、最近では「ふ~ん」というだけで想像が出来ないのか反応は鈍い。

Img_0066_2 その傍で、姫萩の鮮やかな紫は久し振りに見た。両手を広げたような、二枚の花びらの真ん中から同じ色をした筒っぽに真っ白なオシベとダンデイな花である。

惜しむらくは、花丈が短い、ほかの草に埋もれて葉っぱの形が良く分からないほど小さい。ただよく判らない葉っぱが、関係のない萩に似ているために名付けられたと言えば、名付け親も細かいところまで良く見ていたものだ。

三島からの帰りは、折角ここまで来たのなら美味しい魚でもと、沼津漁港に寄り道し刺身定食を注文したが、なんだか刺身が小さくうすくなったような気がしたが、どうなんだろう。

.選挙

今朝ほどの新聞には選挙の開票速報が載っていた。千葉知事選は元タレントの森田健作氏が知名度を生かして百万票の大台を越す得票で当選したが、宮崎県、大阪府に続いて三匹目の泥鰌になるかどうか。本人は張り切っているようだし、、、健闘を祈る。

その一方で、静岡市市会議員選挙が身近な話題だった。新聞は新人が健闘したと書いていたが、落選した候補者の殆んどが新人だということは、定員に足らない分を新人が埋めたに過ぎないことになり、見出しとは随分と違う印象で、やはり、強いものにまかれたほうが心地よい保守的な土地柄を如実に物語っている。

前に議会を傍聴したことがあるが、質問者も答弁者も紙を読んで何時だけの猿芝居に見えたことがあるが、フレッシュな感覚を持つ新人にこの辺を打破してもらいたい、そんな意味を込めて育てないとまたしても”なんにも専務”みたいなマンネリ議員ばかりになってしまい、地方自治は衰退していくばかりなのだが、、、

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2009年3月29日 (日)

後の祭り

Img_0015 携帯電話のコマーシャルで沼と池の違いは?、というのがあり、お爺ちゃんと母親がが「河童が居るか居ないかだ」と言っているのがあったが、その伝で行くと麻機沼は河童伝説をもつ正真正銘の沼である。

麻機には、二ヵ所で”沼の婆さん”を祀ってあるお寺とお宮がある。沼の婆さんとは説明書きによると、「むかし、この沼のほとりに住む娘がお婆さんの病気快癒を願い浅間神社に願をかけに行く途中、沼に住む河童に引きずり込まれ死んでしまった。これに怒ったお婆さんが沼に飛び込んで竜神となり、河童を退治し、以後この沼の守り神となった」という伝説を持つ。

今日はそのうちお宮さんの方で大祭が行なわれた。大祭と言ってもごく近所の人だけで行なわれるマイナーなお祭り、多分地方新聞にも載らないくらいのものであろう。しかし、人ごみで屋台の間を潜り抜ける大仰な祭りも良いが、自分はこんな祭りが好きだ。

Img_0008 (左、長尾川土手の桜)自分は当初南沼上の大安寺での祭りと思い、長尾川沿いの土手の桜見物の後、行ってみようと歩いていたら、すれ違ったお婆さんから「朝から花火が揚がっているけどなんなのだろう」と聞かれた。一瞬「おやっ」と思った。

このあたりは、お寺から近い所なのにどうして、知らないのだろう。という気がした。でも、ぐるっと回ってきてみると、お寺はあっけらかんとして祭りの気配がない。

片付けられたにしては早すぎる。と、なると、山向こうの流通センター奥の諏訪神社なのかと、今度は山越えで向かうことにした。

上り下りとも竹林をなか標高100mほどの峠を越え、諏訪神社について見ると祭りは少し前に済んだようで後片付けの最中。まだ花火が揚がっていると午後になって出かけ、場所も確認しないで思い込みで向かったのがこの結果。文字通り「後の祭り」とはこのことか。

Img_0021numanobaasann 残っているのは祭りを象徴する幟と例によってその下に座敷を作り離れられない呑み助の一団が、祭り支度を片付ける人をよそ目に談笑し、親睦を重ねている図。   故郷の祭りなら自分は呑み助の一団に入っていることだろう。

鎮守の森から少し下った広場は風が遮られてぽかぽかと暖かい。青い空の下傍らには水仙をはじめ野の花が咲き出し、むかし、メーデーのデモ行進で暑くなった身体をビールで冷やした”山行き”  そんな雰囲気を感じさせる呑み会。知らぬ人ばかりながら懐かしさがこみ上げ、見ていたら「いよっ いっぱい呑んでけよ」。   そこは遠慮なく

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2009年3月28日 (土)

北帰行をひかえて

Img_0156 ここしばらく”花寒”が続いている。この時期、公園での夜桜を見て酒を飲んだことが何回かあるが、暖かい夜桜は一度も経験したことがない。

今晩あたり駿府公園でやっていた連中も、震えながらのビールでは気勢が上がらないことかと想像する。もっとも、寒さばかりでなく、景気の悪さ、飲酒運転が重なれば、こういう手合いの花見も廃れていくんだろうな。.

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Img_0153 また、この寒さが何時まで続くのか知らないが、季節は春まっさかり、麻機沼の冬鳥たちも北帰行を始めているらしく、バンやヒドリガモもめっきり少なくなったような気がする。

そうしたなか、まだ帰りそびれているらしい御一行が、住み着いているアヒル夫婦の周りで餌あさりをし、アヒルを信用してか人が近づいてもあまり岸から離れようとしない。特に雌鳥は餌を必要としているのか、此方に近寄ってくるのをすぐ後から雄鳥が袖を引き「危ないからよしなよ」とでも言いたげについて泳いでいる。

そんな雄鳥でも、仲間に対しては俄然強気になるらしく、連れ合いの傍にほかの雄鳥が近づこうとすれば、写真のように頭を下げ、嘴を大きく開けて執拗に追い掛け回す。

いま、市会議員の選挙運動もおわり、先ほどまで響いていたスピーカ音もばったりと途絶えた。かわって、裏の川ではカルガモらしい声がガーガーと移動する。渡り鳥からは「お前たちは良いよな」って声が聞えそうな感じ。

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2009年3月27日 (金)

弥生三月別れ霜 竜爪山(1,041m)

Img_0119 ポンポンにも似たこの花は三椏(ミツマタ)という。接写すれば十文字の花びらに小さな雄しべと雌しべが幾分赤味を帯びて咲いているのが分かる。

Img_0100 和紙の原料として、楮(コウゾ)、ガンピとともに昔から使用されて来たが、現在では紙幣の原料ともなり、一万円札にでもなれば人々はこれで出来た紙を得んが為に土下座でも何でもしかねない尊い木である。

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Img_0127 青い空の下、咲き出した染井吉野の下をくぐり、満開の山桜を左右に見て車を走らせれば、もう山吹の黄色、ウツギの白い花まで見える。

今日は竜爪山は則沢から登ってみることにし、その登り道の両側に咲く花を眺めながら車を進めた。天気情報では各地でかなりの冷え込みがあり、静岡でも高い山では雪が降っているかもしれないということであったが、気温は六度で平年並みだろうか、そんなに寒くは感じない。

林道の終点に車を止めれば、傍の谷川がかなり大きな音で流れ下っている。その音を打ち消しでもするかのようにミソサザイが大声で囀っている。雀よりひと回り以上小さな身体をして、良くあんな大きな声が出るもんだと感心する。

この場所に今頃来るといつも聞く囀りだが場所が良いのだろうか、同じ鳥だとするとかなりの長生きという事になるのだが、、、、。

支度をして登り出したのが八時少し前。杉の木の間を縫ってジグザグに道は登る。いつしか、沢の音も消えミソサザイの声もなくなって倒木帯に出るとそれまで少しづつ目に付いていた三椏の群落に出会う。

いつも書くように静岡の山は植林された木が多く、歩いていて暗い感じの山ばかりの中で、こんな場所に出るとほっとする。

もっとも、伐りっ放しの倒木がなければもっと良いのだが、ここにくる途中でも最近倒れたらしい杉の木が道をふさいでいたが、その根の浅さはこんな大木なのにと思わせるものがあった。

Img_0116 牛妻から登ってきた道との合流点にくれば山頂まであと少し。ここから上は霜柱もところどころにあり、”弥生三月分かれ霜”朝日をあびて妖しい色に輝いている。この冬最後の霜になるかと思うと、なんとなく、、、。

山頂からの展望は、富士山や清水港、静岡市街地は見えるものの、南アルプス方面は低い雲の中。一休みの後、薬師岳の往復をして山を下る。

今日は誰にも会わないで往復するのかと思っていたら、駐車場傍で一組とすれ違う。この人たち足元を見れば簡易アイゼンを付けていたが、、、はて?何処に行くのやら。

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2009年3月26日 (木)

亀の花見

Img_0087 一昨日のこと賎機山の尾根続きを北に向かって歩いていたら、対面した夫婦連れに「桜が咲いていました?」と聞かれた。多分、浅間神社から来た者と思って聞いたのだろう。

「まだまだだったよ」と答えておいたが、自分の歩いてきたところでは、というのを付け加えなかったことが少し気にかかっていた。

十九日に開花宣言が出て一週間も経っているのだが、浅間神社の桜は?そこから始まる尾根の桜並木はどうだったのだろう。そして街中はどうなっているんだろう。と

まず、城北公園に向かう。ここの桜は木によって違うものの、全体としてまだ咲き出したところ。そんななか、一本だけ池の縁にある枝垂桜だけが満開。

Img_0089 反対側によって見れば、水面に影を落とし真ん中にある石の上には亀がいつものようにのんびりと日向ぼっこをし、満開の桜を見上げている。

”亀の花見”、、、此方は花見酒も席の取りっこもなく、ただひたすら首を伸ばして見上げるという静かな花見で、人間みたいに「酒なくてなんのおのれが桜かな」なんて呂律のまわらない言葉でクダをまく者はいない。

しかし、日本では大酒呑みをカメといい、海亀を放すとき酒を飲ませる風習があるので、本当は飲めるのかもしれない。となると、この亀たちも見えないようにして呑んでいるのかもしれない、、、、、。

そんなことを考えながら東屋のベンチに腰かけて、一人眺めている。いや、まったくのどかな春の日和だ。

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2009年3月25日 (水)

眠りいまだ足りず

Img_0079 初つばめ

午前中雨の中、花海棠を見ていたらツバメが田んぼの水面近くを飛び交っていた。

「おや、そういえば来てても不思議ない時期なんだ。」越冬ツバメではないだろうな、ひとっころ浜松のほうで越冬するツバメがいるというのでニュース映画で見たことがあるが、このごろではちっとも聞かないのはいなくなったのか。それとも、珍しくもなんとも無いためだろうか。

とにかく今年の初つばめ!は、休むことを知らないので写真には出来ない。

雨に濡れた美人

海棠、この言葉は中国から来たままなので中国でも同じ字を使うそうだ。

むかし、唐の玄宗皇帝が愛人の楊貴妃がまだ酔っているのを見てからかうと、楊貴妃が「此眞海棠睡未足耶」つまり、海棠の眠りいまだ足りず、と応えた所から海棠の花は楊貴妃を指す言葉となり、美人を表す代名詞に牡丹とともに上げられることになった。

とはいえ、この季節、歓送迎会の二日酔いで”春眠暁を覚えず”の輩も多いが、寝癖でもじゃもじゃ頭の寝ぼけまなこやブスクッタ顔ではなく、いまだ睡めずと言えどもそこに色気がないと海棠とはいわない。

そういえば、濃い桃色した花海棠の花は京劇の女優に似ていなくもないなという感じがし、楊貴妃もこんな風な女性だったのだろうかと思う。

また、「海棠の雨に濡れたる風情」と小説などに書かれたが、美人が打ち萎れている様子をいい、普段でも下向きに花を咲かせている海棠が雫の重みで更に俯いているさまは、思わず近寄って慰めてやらなければ、男としての価値がないと思わせるもの、、、?。

花言葉は、故事に倣ってか”美女のねむり””艶麗”などがあるそうだが、思わず「美女(美男)はいいなあ、おばかさんでも赦されるもの」とコンプレックスは言う

梶原山の枝垂桜

Img_0059 午後になって、雨も上がったので栗畑のフエンスの修理をした後、時間があったので梶原山に登って山頂の枝垂桜の開花状況を見に行った。

駐車場に六台の車がいたので、期待して登ってみたが、山頂には誰も居らず桜も一分咲き程度。あの車の連中は何処に、と言った感じだった。

雲も厚く、薄暗い感じの桜は部分的に咲きだしているものの、遠目では少し盛り上がっているかなと言う程度。やはり桜は晴れた空をバックにするのが一番。

今日のような空や夜桜は、ライトアップしたとしても人によっては気味悪さを感じてしまう。

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2009年3月24日 (火)

花よりほかに知る人もなし

Img_0025 麻機の山道を歩けば足元に丸い花びらが点々と落ちている。仰ぎ見れば葉桜になりかかった山桜が一本。

もろ共に哀れと思え 山さくら 

花よりほかに 知る人もなし

という歌が百人一首にある。そして、この木も見渡す限りのおいて、ほか桜の花は見当たらない。

そんな中で読んで歌なのだろうが「お互いの憂いを判りあえるのは花であるお前しかいない」と言った意味とおもう。

今日は務めを終えてはらはらと舞い散るさまを自分になぞらえて、見届けてやるのも風流なものだ。としばらく立ち止まれば、下界のあちこちからスピーカーを通した雑音が上がってくる。

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アメリカに十七年蝉と言う蝉がいて、十七年ごとに大発生しその喧しいことこの上もないそうだ。しかし、蝉の例に漏れず僅かな期間で卵を産み遺し消えていく。

いま静岡では、市会議員選挙の運動期間で街中のあちこちをスピーカーで名前を連呼しがなりたてその喧しいことといったらない。地方議会では途中で解散と言うこともまずなく、当選すれば四年間は御安泰の身。後は鳴かず飛ばず、議会の報告もなければ、市の提案にひたすら賛成するだけで、どこにいるのやら、ひょっとして会議場で居眠りをしているのかも、、、、と言った所は蝉と良く似ている。

(本来は自分たちの代表であり、代弁者で尊敬されるべき立場の人たちであるはずだが、いまくらい、議員と言うものに信用の置けない社会も困ったものだ)

今日も、スーパーの向かいに街宣車を停め「地元の○○です」と言っていたが、帰って公報を見るとかなりはなれた場所が住所であり、何期もやっているのに初めて聞く名前だった。

さらに、候補者らしき男がスーパーの入り口に立って握手を強要し出入りの邪魔をしている。街宣車は更に言う「忙しい中、わざわざ駆けつけてくれて有難うございます」と、、、ここまで図々しく、自分の都合に良いように解釈出来なければ立候補する資格がないのだろうか。

今度の日曜日に結果が出て、また静けさが戻る。選挙中あれほど名前を連呼したのに、散る桜を見て「花よりほかに知る人もなし」という人が何人か出てくるなかに、先ほど見た候補者も入っていれば良いのになんて、、、、、。

                 ヤツアタリ?

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2009年3月23日 (月)

飛騨の春 森の妖精をみっけ

Img_0103 昨日までの二泊三日の旅で約700km。その間ずっと自動車の後部座席に座って一度もハンドルを握ることなく帰ってきた。

「じいじ エコノミー症候群にならないよう車が止まるたび外に出て運動してよ」って娘に言われその通りしたが、なんとなく疲れがたまって今日は懐かしの生まれ故郷を思い出し、その余韻を楽しむ一日にすることにした。

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桜も咲いた静岡をあとにして向かった飛騨の春はまだ雪の中。

蒲田川沿いの宿で出された”ふきのとうの味噌和え”美味しかったので「この辺で取れたもの?」と聞けば、まだ商売にするほどのものがないので下流のものですと言う。

Img_0064 僅かに温泉の泉源付近で見つけた万作が春だった。雪国では春に先駆けて”まず咲く”という意味から名前がつけられたと言うが、なんともお粗末な花で細いタコノ足のようにひらひらと花びらが付いている。

遠目では木の先端が僅かに黄色いと言う程度のこの花、近くによって良く見ると小さな花が三つ四つひと塊になって咲いていてこの状況。そして、そのひとつひとつが十文字に花びらを出しており、その中央に赤いおしべが見え花としての条件をそろえているのがわかる。

この木は粘り強く折り曲げてもなかなか折れないところから飛騨などでは”ネッソの木”と呼んで祭りの旗などを立てる際に台木に沿わせて立てた後、この木で締め上げて結びつけるのに使用している。

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Img_0102 また、雪解け水が手入れされた森の中を流れ下ってきた川岸に咲く”芹葉黄連(セリバオウレン)が花を咲かせている。

この花は、雌雄異株で左の写真は雄である。水気のある半日影でほかの雑草が少ないところを好み一本の茎から三つの花を咲かせている。名前の由来は芹に良く似た葉をしていると言うことなのだが、決して芹の仲間ではない。

ロマンチストな人はこの花を”春の妖精”と言うそうだが、少し暗い森の中、落ち葉のなかに白く群れて咲く様子はそこだけがポッと明るくなったようで、「あっ 妖精をみっけ」なんて子どもが言いそうな雰囲気をもっている。

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2009年3月21日 (土)

昨日も今日もまっしろけ

Img_0043 天気予報にたがわず朝から雲一つない上天気。宿の前の川原からは夜が明けたばかりの槍ヶ岳、穂高の峰が稜線をくっきりと浮かび上がれせ、今日登る予定のロープウエイの支柱や索道までが見える。

Img_0047 下流にある湯元から揚がる湯気が谷間にただよい、朝早くから釣り人が糸を流し、足元に凍って白い縁取りをしたふきのとうが朝の寒さを教えてくれる。

早朝散歩から帰って貸切の露天風呂は冷えた身体にきつく、水で薄めてようやく入ることが出来た。体が慣れるにしたがって水を止め源泉に近くするが、それでも冷やすための水を入れなければ浸かれないという温泉は硫黄の臭いがし、身体に染み込み邪気を祓ってくれるようで、、、、小原庄助さんの気分。

Img_0079 (左、ロープウエイの窓越しに笠ヶ岳)食事の後、ロープウエイの停留場に向かうが、すでに500人ほどの行列があり、42人載りの第一ロープウエイがピストン運送しても一時間ほど待たされる。

ようやく終点、標高2,150mの千石尾根駅に着けば、槍ヶ岳から西穂高に続く稜線、正面の笠が岳から抜戸、左に焼岳、遠く白山までが一望に出来る。

展望台の写真屋が「昨日はガスで真っ白け、今日は雪で真っ白け、シャッターは只で押します」と大きな声で呼んでいる。

Img_0072 この付近はまだ積雪2mほどもあり、この時期は日中、表面が解けては夜の寒さで凍るを繰り返すため、雪の上を歩いても沈み込むことがない。

貸し出しの長靴を見つけて、孫たち二人は雪の上に上がり跳ね回って帰るとは言わない。

それでも、今日は墓参りにいかなければならないと説得して下山する。標高400m、いつもなら墓が雪で埋もれて近寄りがたい場所にある我が家の墓も今年は雪一つない。気温は十九度。何かが狂っている。

そして、今夜の宿は、高山飛騨合掌園。

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2009年3月20日 (金)

地獄の釜の蓋

Img_0098 キランソウ、漢字で書くと金襴草とも書くというがほかの書きようもあるようで難しい名前の草である。

別名を”地獄の釜の蓋”というところもあるようだが、地面にべってたりと這っているため草刈場などでも影響を受けず手でむしりとる以外に除去できない所からほかの植物が生えない土むき出しの荒地や墓周りの砂利土のところにも生えているところからの命名であるらしい。

今日はお彼岸の中日。両親を含めて親類縁者には地獄に落ちるほど悪いことをした人は居ないので、この草をはぐって見ても仕様がないのかもしれないが、怖いもの見たさもあって、、、、。

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Img_0014 今日は、生まれ在所の飛騨を目指して出発した。運転は娘とその連れ合いがし、中の席には車に弱い孫二人、じいじとばあばは最後列に鎮座しての旅行。幸い雨も小降りから曇り空になり雪の心配もなく、長野県の松本まで中央道を走り、梓川沿いに遡って、安房トンネルを潜り抜ければ奥飛騨の平湯温泉につく。

トンネルを抜けるとそこは雪国だった。という書き出しで始まる”雪国”という小説があったが飛騨側に入ると雪の量は一変した。しかし、路面にはなく、気温も高いので凍結の心配もなし。平湯のバスターミナル前の駐車場には雪を4m以上に積み上げて真ん中を歩けるようにしてあるほか、周りにはまだ1mを越す雪が残っていた。

案内所で平湯大滝に行けるかどうか尋ねると「今年は雪がすけのうてな(少なくて)、ちょっと道がごちゃごちゃ(ぬかるんで) しとるけど大丈夫やぜな」とのこと。

行ってみると、途中に料金所が出来ていてそのすぐ傍が駐車場になっていた。何時の間にこんな風になったのか。前は滝つぼまで何の制限もなく行けたのに、、、と文句をいいながら雪の積もった道を歩く。

しかし、同行の孫たちはこんなにいっぱいの雪を見たのは初めてだと喜びはしゃぐ。何しろ”雪見遠足”と言う行事のある静岡の子どもだから。

今年は、どこも軒並みに雪不足、温暖化でこの滝の全面結氷があったかどうか聞き漏らしたが、それでも、68mと言う高さの滝は三分の一くらいは氷の下になっているようで滝が低く見え、雪の下は凍っているようで青いものが見える。

さんざんはしゃいで、足元を濡らした孫を足湯に付け、久し振りに駐車場までおぶって行ったものの、その重いこと、三歩あゆめずって程ではないが重かった。

その後、川沿いに降り、蒲田川沿いの温泉旅館に泊まる、、、、定番、岩魚の骨酒は懐かしさ半分で飲み明かした。

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2009年3月19日 (木)

予定通り開花宣言

                                                 Img_0075 「奇麗に咲いているんで入ってきたよ」とカメラを片手に声をかけると、「この顔も一緒にどうかね」って髭面を突き出す地主とおぼしきひと。

「ワッハハハ そりゃないね」と自分が言う。初対面の人だが屈託がない。

Img_0017sidekobusi_2 出かけるときには、半そでの下着に運動着を一枚着ただけで家を出たが、少し歩いただけで汗が出て、麻機の山道に差し掛かるころには上着を脱いでしまった。

先月末に二十六度という前代未聞の気温があったが、それよりは体感温度が高い。二月は如月(キサラギ)と言い、もともとの言葉は着ているものの上にさらに着るという意味からできたと聞く。

となれば、三月は脱いだ服をさらに脱ぐという意味で”脱更脱”(ダツサラダツ)とでもいうことにするか。あまり奇麗な言葉ではないので流行らないけど。

冒頭にきれいだと言った花は四手辛夷(シデコブシ)、淡い紫の花を大きく広げ、わずかな風を受けて花びらの先端をゆるく動かしていた。

四手辛夷の野生のものは絶滅危惧種だとのことであり、この花は園芸種に違いないと見たが、山中に一本だけ突っ立っているのを見るといかにも絶滅危惧種という感じがするから不思議である。

名前の由来は、神前に捧げる幣のように見えるところから、シデという名前がついたと言われると、まさにそのとおりと手を打ちたくなる。

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Img_0113 午後になって、明日の準備にと少しばかりの旅費を降ろしに信用金庫に向かったが、途中の十二双川の縁に立つ染井吉野を観察してみた。予報では明日辺りが静岡の開花予定日と言っていたので、、、

僅かながら咲き出している。白っぽい花が二輪三輪と、、、これから開花前線は北に上がりしばらくは花便りが新聞を賑わすことになるんだろうな。

帰ってきたら、やはり開花宣言が出されたと言う。桜ばかりを、それも染井吉野ばかりとは、、、、と文句がないわけでもないが、まあ世間並みにもてはやしておくのが無難なようで、、、

そして、今日は孫二人の卒業式。親が出席できないと言うので心配して電話をして見たが、いともあっさりと断られてしまって、じいじとしてはちと寂しい思いがする。

しかし、両方とも来てくれといわれても”あちら立てれば此方が立たず”で身が裂ける思いがするだろう。.案外じいじを気遣ってのことと思うことにした。

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今日の花。左、立浪草。筒状の花を空に向けて立てている様を波に見立てて右、あけび。特色のある花を沢山咲かせているが、雄雌異株のためなかなか花の数ほど実がならない。

Photo Img_0091

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2009年3月18日 (水)

お天道様に申し訳ない

Img_0051 久し振りにワラビやゼンマイなどの山採りを兼ねて日帰り温泉に行ってみようということになり、島田を越えて牧の原に向かうことにした。

途中、どうせ行くなら先日つるぼさんから聞いた小夜の中山公園の近くに春竜胆がが咲く場所を確かめようと、国一バイパス菊川インターまで行きそこから旧東海道の急坂を登っていった。

この道は、仕事で谷沿いの道はこれまで数え切れないほど走っていたので、入り口だけは知っていたが、登るのは今回が初めてである。

意外と急な坂は、その昔、鈴鹿峠、箱根山と並び称されたという地元の言い伝えが残っており、安藤広重の東海道五十三次”日坂の絵”でもその急峻さがわかる。

ただ、すぐ傍に現在の国道一号が通っており、此方のほうが山も低いようなので整備すれば通りやすかったような気がするのだが、どうしてなのかという疑問が残る。

Img_0027 急坂を登りきってすぐに夜泣き石(写真左)で有名な久延寺という古刹があり、案内板によると関が原の戦いの少し前、山之内一豊が家康を接待した寺として知られているそうだ。現在は本堂を修理中とかでブルーシートが被さり、そばで大工が木を刻んでいる所だった。

そこから少し歩いて小夜の中山公園に上ってみたが、上り口に早咲きの桜が一本満開だったものの、公園内の春はまだという感じで蕾は固く、丁度掛川市水道課の職員らしき人たちが来ていたので聞いてみたが、春竜胆が咲くという墓地の位置さえ分からないと言う。

公園内は宝鏡印塔らしきものが幾つかあり、土饅頭のような盛り土の上に立てられているものの始めてところで予備知識もなし、かろうじて夜泣き石と西行法師の歌「年たけて また越ゆべしと思いきや 命なりけり さやの中山」という句しか知らない状態なので、後日予備知識をいれて歩いてみることにし、今回は蕨採りに専念すべく牧の原台地に登っていく。

Img_0056 山菜採りは気持ちよい。特に今日みたいに暖かい日には太陽の光をさんさんと浴び、遠く近くで鶯の声、シジュウカラの声、そして、東海道本線を走る電車の汽笛とゴトンゴトンとレールを鳴らす音が随分と遠くなのに聞え、のどかな気分になり眠気が出てくる。

山の木が大きくなるにつれて、ワラビゼンマイは日がささなくなると消え去る運命にある。いままであった場所から撤退し、新規の場所を探さなければならないが、最近は木の伐採が少なく荒れ山が多くなった、文字通り足の踏み場もない山には何にもない。

いきおい、チエンソーなどの音を頼りに山で下枝を切っている人に生えていそうなところ尋ねる度胸もこの年なら出来てきた。それでも、レジ袋一杯がやっと。(それでも、お裾分けしたあと、味噌汁や煮しめに出来る分量はあった)

山を下り、日帰り温泉の「子育ての湯」に入り汗を流せば、青い空の下太陽がまぶしい。こんな天気の良いに露天風呂に浸かっていると、なんだか悪いことをしているようでおもわず「お天道様に申し訳ない」という気持ちになってしまうから不思議だ。

折角の風呂なのに早々にして風呂から上がってしまった。

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2009年3月17日 (火)

霞みけむる春の野辺?

Img_0182 昨日の八朔採りは久し振りの木に登ってで取ったため、普段使うことのないない筋肉をつっぱたり捻じ曲げたりで朝起きた後、あちこちが痛くて大変だった。

そのため、散歩は近場で済まそうと出かけたのだが、その道すがら知り合いのSさんから「あそこの白木蓮は散り始めたよ」と教えられた。

あそことは、月に一度くらいは立ち寄る富士山が奇麗に見える場所であり、去年はそこから初日の出を見た場所でもあった。

早速、バイパス裏の山道を登って行った。今日は風もなく暖かな一日だったが、黄砂の襲来が激しく視界は10kmほどしかないそうで、近くの山の端が霞んで何も見えない。

本来なら、この山の上に富士山が見えるはずなのにと思いその先を探ったり、想像したが見えないものはどうしようもない。先日のテレビで言っていた黄砂には中国大陸で発生させた化学物質を吸収して細かい塵となって飛んでくるためただの砂ぼこり以上に怖いものがあるといい、スギ花粉などとあいまって喘息の原因になると言っていたのを思い出した。

むかしなら、”霞けむる春の野辺”なんてのんびり構えていたのだろうが、同じ煙っていても毒入りだと思うとなんだか息苦しいような感じさえしてくる。

山の尾根に一本だけ咲いている白木蓮は、言われたとおり散り初めていたし、傷つきやすい大柄な花は痛んだ場所が茶色く変色を始め、なんだか哀れを誘う風情に見える。

写真は一昨年三月。この場所から写したものだが、日付を見ると二十日以上早いことになる、”年年歳歳花相似たり”というが今年の花の速さは地球温暖化のせいだとすると、花のほうも人同様”歳歳年年同じからず”となっていくのだろうか。

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2009年3月16日 (月)

すみれの花咲くころ

Img_0012 春すみれ咲き 春を告げる

春何ゆえ人は 汝(なれ)を待つ

、、、、、、、、、、、、

人の心酔わす そは汝(なれ) すみれ

知っている人も多いことと思うが、宝塚歌劇団で歌われ始めた「すみれの花 咲くころ」の歌いだしである。この歌はもともとドイツのデーレという人が作曲したもので、映画「ライラックの花の咲くころ}という挿入歌から日本語の歌詞をつけたものといわれているそうだが、昭和五年に歌われたと言うだけあってかなり歌詞が「大正ロマン風」である。

この菫の名は立坪菫という。名前の由来は道端や庭の片すみに咲いていることを意味するそうで、いわゆる雑草であり強い草である。

そして、数あるすみれの中で、この立坪菫(タチツボスミレ)はただの菫とともに日本では一番多く見られる種類である。

心臓方の葉っぱを持った淡い紫の花は、葉っぱのついた茎を立ち上げて行き、ほかの草と競合すると三~四十㌢にも伸びることがある。

今日は、八朔摘みの手伝いに行った山の斜面に咲いていたものだが、蜜柑の木からの木漏れ日を浴びてすくすくと育ち、道端や庭の隅で虐められながら育った菫と違った雰囲気を持って咲いていた。(つまり、お坊ちゃん育ち)

Img_0013 しかし、今日は急斜面に植えられている完熟の八朔摘みの人が来て、摘み損ねた八朔が急行列車のように走り下ってかすめたり、なぎ倒していく災難の一日になった。

斜面の、下には先日来の摘み損ねや自然落果の八朔で黄色い絨毯のようになっている。「あら もったいなや」と思うものの、区別がつかないのでそのまま土の返すことになるが、、、、、、。

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自民党の失言代議士。笹川先生がまた日教組批判の中で、先生はもっと強い心を持たなければ、、と言ったあと「国会議員には一人もうつ病になっている人はいない」とやったそうな。

さっそく、医学会のほうから”うつ病”は心の強い弱いでなるのではなく「几帳面で、仕事熱心、責任感が強くて真面目な性格の人がなりやすい」のだと抗議された。

ということは、国会議員の先生がたは「ずぼらでルーズで仕事嫌い、責任感のない人ばかり」という見方も出来なくはない。国民のための政治はそっちのけ、金集めと次の選挙にしか興味のない集団であることを明確に証明したことになり、失言でもなんでもないことになる。

しこうして、わが身を振り返った場合。どちらかと言うと几帳面で仕事熱心で、、と言いかけたら「どこが?」と言われた。自分の性格を客観的にみると、ルーズで(これは認めよう)仕事嫌いで(これも認めよう)責任感ががないこれも認めなくてはならないのかね)とすると、国会議員に近い性格になるのだが、だとしたら道を誤まったことになる、、、いまからでは遅すぎるのかね。

今日の花。左、立坪すみれと並び称されるただの菫。右、名前が良く分からない、シロバナノ立坪菫?、ふもとスミレ?それとも、、、

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2009年3月15日 (日)

竿振り上げて 浦島草

Img_0141 今日は朝から天気が良いのでタケノコ掘りにいかないかとの誘いがあり、一緒に出かけた。

この山のタケノコはまだ早かったようで、丹念に探したつもりだったが成果は四本。しかし、自分が目当てにしたのはタケノコよりウラシマソウのほうであり、そこ此処に咲き出していたので、誘った人のようにガッカリはしなかった。

ウラシマソウは天南星の仲間で、花穂から何のためか知らないが長いひも状のものを伸ばしていて、花の色とともにその形状から浦島太郎の釣竿の見立てて名付けられた名前だという。

おりしも、写真の浦島草は向かい合って尺余の竿を振り上げているように見えたが、釣った獲物の大きさを自慢しあっているというより、釣り落とした魚の大きさを説明しているといったほうかもしれない。

子どものころは、その仲間にマムシ草というのもあって、茎を包む皮の模様が蛇の皮を思わせる色と模様をしていたり、毒があるときかされていたので好きではない草の仲間だった。

それが今ではムサシアブミやシラタマソウなどそのユニークさに興味を持ってみるようになったのは、大人好みの花ということになるのだろうか。

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2009年3月14日 (土)

柳に風

Img_0102 昨夜来の雨風は午前いっぱいかなり激しく荒れ、午後になって雨も上げって青空も出てきたものの、風のほうは収まるのが遅かった。

”柳に風”という言葉がある。かなりきつい言葉に軽く受け流す意味を持つ。

芽が吹きだして、うす緑の柔らかな色合いで木全体がほんわかとしてきた、しだれ柳も、今日の突風には、「どこ吹く風?」というわけには行かなくなって、細い枝を真横に吹き流していた。そして、雀の群れにいたっては風下に向かって転がるように吹っ飛んでいった。

Img_0098 その風のためもあってか、麻機沼の土手に一羽の雉の雄がごく傍まで近寄らせてくれた。先に気づいたのは自分だが、野生の雉が餌を啄ばむのに夢中で気づかなかったのは、この風のためでないかと思う。

Img_0073 春、恋の季節をひかえて身体全体の色艶も奇麗に着飾るこの鳥は、更に目立とうと顔の周りの赤い鶏冠状の肉ひれを広げて若芽が葺きだした土手の裾を歩いている。

しばらくは、遠目で写してみたが、今までの例から言って拡大するあまり焦点が合わなくなってしまうので、そっと近づき10mほどの位置まで近づいて二~三枚写した、ところではじめて気づかれてしまった。

その後、この雉とことこと走って藪に潜んだものの飛び立つ気配がない。此方も持久戦とばかり座り込んで出て来るのを待つ、後ろを通りかけた夫婦連れが「何か見えますか?」と尋ねてきたので「いや、ちょっと」と柳に風の受け答え。

五分ほど待っていたら、全然違う方向から”のっそり”といった感じで現われ、十枚程モデルになった後また藪に入る。

これ以上、追求すれば雉もノイローゼになりかねないと思い腰をあげる。

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2009年3月13日 (金)

九十翁の蜜柑植え

Img_0054 知り合いの家の九十歳になるおじいさんが蜜柑の木を植えに行くというので、手伝いに行くことにした。

午後から雨だという予報なので、午前中に行こうということになり山で落ち合うことにして行けば、まだ入り口には来ていないので、付近の農道を歩いてみた。

境界代わりの生垣の奥に若芽を少しばかり芽生えさせた蔓に三つ葉アケビの花が濃い紫の花を咲かせている。

この花、先端の粒々が雌しべ後の大きいひらひらと花びらをつけたのが雄しべとなんだか花の分業をやっているようで面白い。ただこれでは花粉の受粉が難しいのではないかと思うが、どんな魂胆があってのことだろうか。

Img_0058 「今年はなんでも早いもんだな」と思いさらに付近を捜してみると、普通のアケビは提灯のように蕾を膨らませ「ちょっとまってね」といわんばかりの風情をしめしている。

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九十翁も三年ほど前までは、田んぼの作業を全てこなし、機械も全て自分が操作しないと気がすまない人だったが、さすがこのごろではその頃に比べると格段に気力体力に衰えが来たようすで、農作業には殆んど出てこなくなった。

それでも、蜜柑畑の中の様子が気になり、この木とあの木の間が空きすぎているとか、この木が駄目だから植え直すとかいって、購入した苗を持ってそわそわしていると連絡が入ったのは、朝早く「とても山を自由に動き回れないし、力もないので穴掘りもおぼつかないと思うので、、、」とのこと。

九十翁の指差す場所に場所に穴を掘り何本か植えた後、それでも一本だけは手植え蜜柑を作ろうと一番平らな場所で穴掘りから土かけまで全てをしてもらったが、本人は納得の出来ではなかったようす。しかし、これもまたこれで、、、。と終了した。

九十翁の蜜柑植え。   杉や檜と違って孫子の代の遺産というほどスパンの長いものではないがそれでも収穫できるのは何年も先の話、さらに、最近の情勢から言って蜜柑が儲かる果実だったのは随分と昔のことだった。

周りの山には放棄されて荒れ放題になっているところも随分ある中で、翁の気持ちを聞いてみたい気もしただ、ここは自分の想像にしまっておいたほうが物語りになるな、という気がして口に出さないほうを選んだ。

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2009年3月12日 (木)

間違いいれて四件の喜び

Img_0026 この時期は天気予報が大はずれの日が多い。

昨日は快晴だったはずが高曇り、今日は雨降りだったのが飛んでもないほどの快晴。悔しくってどこかへと思ったが、さてそうなるとない。高山の水芭蕉にはもう少し間があるし、だいらぼうのショウジョウバカマも、、、と考えた末、正月以来行っていない梶原山から一本松~柏尾峠へスミレでも、、、散歩に行ってこようということに決めた。

行ってみると、肝心のスミレはまだまだの状況ながら、くっきりとした青空を背景に雪煙をあげている富士山、足元にタンポポの黄色、一緒に入らないものかと草原の寝転んでの撮影。あまり人に見せられた図ではない。

尾根通りの道をとり一本松では、辛夷の花がチラホラ、後は香花くらいでまだ春はここまできておらず、変わって茶畑に散布した農薬の匂いがきついのでそこそこにして戻る。

午後になって、高校入試の発表があり、二人の孫から喜びの電話が入ったほか、間違い電話で合格の報告が四件。喜びすぎてダイヤル(今どきそんな電話はないので、押し間違え、、、)      電話がいり混じっているんだろうな。

Img_0052 これで安心して、滑ったの転んだのといえるようになったわけでもないが、自動車のタイヤをスタッドレスからラジアルに交換した。

冬の間、長野や飛騨に行く用事が急に出きたり、山登りに行くためにもと思い。ここ数年、暖国 静岡にいても冬はスタッドレスタイヤに履き替えることにしている。

タイヤ屋さんに言わせると、スタッドレスは使わなくても三~四年で交換しなくてはというが、長野の知り合いたちは自分のタイヤを見てもったいないという。

自分もそのほうが耳に心地よいのでこれで五年目のタイヤになる、、、次の冬ははたしてどうしようか、、、、考え物だね。

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2009年3月11日 (水)

雪の岩岳と下十枚山

Img_0006 地蔵峠から少し下った雪道「さあ どうぞ」と道を譲ったが向うもやはり譲ったまま人懐っこい顔を崩して「どこへ行ってきました?」という。

「岩岳から下十枚に行ったんだけどその先はどうも調子が悪くて引返してきました」「わたしはこれから行く予定だけど雪はどうですか?」から始まった会話はおよそ二十分以上の立ち話になってしまい、堀さん(仮名)は遅れて登ってきた二人に先を越されてしまった。

初対面ながら、波長が合う感じの人ってのはいるようだが、この人の場合”話したらし”というべきか、いわゆる聞き上手というんだろうなと思った。おかげで、帰ってからそのことを話したら「また自慢話をしてしまったのだろう」と叱られた。

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Img_0011 (写真、岩岳の登りから青笹山方面を振り返る登山道が雪でくっきりとわかる)今日は、天気予報があまり良かったものだから、それを信用して朝早く正木峠に向かって車を走らせ、六時半過ぎに駐車場に入れたが、ここにきても空は高曇りのまま薄暗さは抜けない。気温は氷点下二度。

風はないので寒さはそれほどきつくはないが、空の暗さが気分をすっきりさせてくれない。それでも、支度をして登り出したが、雪は地蔵峠のすぐ下まで点々としか見当たらなかった。

しかし、山道沿いに出てきた雪は、昨日の気温に溶かされ今朝方の冷えで凍ったため、足で蹴っても崩れないほど固く凍みついていて、間違えば下にガレ場に滑って行きそうで一番気を使い、アイゼンを出そうかと考えたほどだった。

峠からの登り道は、南向きの斜面のため雪の量も少なくなり、笹原を過ぎた1,600m近くまでところどころにあるのみ、振り返れば仏谷山から青笹山方面は北向き斜面のためもあって登山道が白く続いているのが見え、その先には安倍川河口、左側には清水港が薄暗く見える。

天気がよければキラキラと輝いてかえって見にくいのかも知れない。富士山も鉛色の雲をバックにし越前岳の間に低い雲をなびかせるように、ボッタって(ぼうっと立っているの意、静岡表現)いるものの不機嫌そうな感じは否めない。

八時、岩岳頂上で一休み、雪は三十センチほど固く締まっていて、どこを歩いても足はめり込まないので歩きやすいがなんだか疲れが出てきた。

登る時には感じなかったが下十枚に向かっての降りに入ると膝に違和感があったので、下十枚山しばらく休んだ後引き返すことにした。

五月にでもなれば赤白のヤシオつつじのほか、イワカガミなどで彩られる山も今の時期では雪のほかなんにもない。写真左は今日の岩岳、右、花盛りのころの同じ場所、山頂を示す立て札の上に白ヤシオが覆いかぶさっている。

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2009年3月10日 (火)

見えないところで

Img_0042_2 静岡では、山茶花や梅が終わり椿や緋寒桜も落花さかんとなり、桃やレンギョウ、サンシュウユと”百花斉放”の季節を迎えている。

道端の草もその例に漏れず、赤 青黄色と色とりどりに咲き出した。

植物は、種が舞い散った地点で何とか目を吹かせ花を咲かせて種を作り次世代につなぐのだが、種が舞い散った地点がコンクリートの隙間など環境が悪くても成長する努力をするため、時には”ど根性○○”なんて新聞種になったりする。

しかし、舞い散った地点が最良の場所だったりするとそこを中心に大繁殖をしようとするため、道脇の斜面などその花が島状に群落を作る。

しかし、一つの植物に良い場所は、ほかの植物にも良いらしく時には幾つかの花が同時に咲いて花束のように見られるところがあるが、翌年にはどちらかが消えている場合がある。

これは、地表の奇麗な花の下では、お互いの根が勢力争いをしているためであり、人間同様、顔は微笑んでいるが、テーブルの下では蹴りあっている状態と同じである。

上の写真、オオイヌフグリとホトケノザ、来年勝ち残るのはどっちだ。

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今日の花。左、ツクシとオオイヌフグリ  右、トウダイグサ、ハコベとオオイヌフグリ。可愛い顔して結構強いんだ。

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2009年3月 9日 (月)

”乙女のはにかみ”

Img_0052 杏の花が咲いていた。バラ科サクラ属には似た花が多く、花だけ見たのでは区別がつかない。

Img_0050 この花も、昨年黄色く熟れた杏を見ているので分かるものの、見ていなければ桜の仲間かな程度にしか思わなかっただろう。

花は、桜のように全開に花びらを広げるのではなく、柔らかな感じの花は幾分すぼんでいた。雲いっぱいにかかった空に透かして見れば、花びらの薄さから、透けて見える感じは、ボッチチェリ書くところのプリマ べェーラの春の女神の”薄衣”を想像させたが、思い込みが過ぎるのだろうか。

昨年の七月ころ黄色く熟れた実が草の上に落ちていたので、傷のないものを拾って食べてみたが、少し酢っぱ味のある果実は柔らかく美味かった。静岡では杏の木が少ないようで、ここのほかに咲いているのを見たことがないのは、寒い所のほうが良いのだろうか。長野県の北、須坂辺りが産地だと聞くとなんとなく納得してしまう。

杏は杏子とも書くが、別名を唐桃(カラモモ)とも言うそうだ。古いむかし中国からきた桃といった意味だろうか、花言葉に”乙女のはにかみ”というのがあるが、上の写真はそんな感じがしないだろうか。

更に聞き書き。むかし中国で貧乏人からは治療代を取らないと言う赤ひげ先生みたいな人がいたそうで、その医者は、治療代の変わりに杏を家の周りに五本植えるように言ったそうで、そのため医者の家の周りに杏の林が出来たことから杏林と呼ばれるようになり、杏林は医者の尊称になったそうだ。

しこうして、今の世に杏林はいるのだろうか。少し前まで長者番付の詳細が発表されると番付の上位にいたのは、、、、、

いるはずなんだけど、伊豆の清和病院のように、社会的弱者を食い物にしていた病院や手術の失敗をかくしていたり、感染症を多発させていた病院など不信感をつのらせる事件を聞くと、杏の木も肩身が狭いことと思う。

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2009年3月 8日 (日)

松葉雲蘭も背伸びして

Img_0007 Img_0020 冬将軍が退場したのを見透かすようにして、タンポポはロゼットの中心から大きく背伸びをして花を持ち上げ、松葉雲蘭も青い花を高く掲げるなど草花に勢いが増してきた。

「格さんや もういいでしょう」と黄門様が冬将軍をこらしめて、打ち切り宣言を出したのを確かめるようにして、、、、、、。

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麻機山の中腹というより尾根近くを通っている農道に、摘んで来たばかりの柑橘の袋を、自動車に積み込んでいる人に出会った、顔をあわせるなり向うのほうから挨拶をしてきたので、返事を返した後「みかんもすみましたか?」というと「あ~  ほ~これは八朔。バラバラと落ち始めたんで取り込まないとね。本当はもうちっと置いて起きたいんだんけど、、、」とのこと。

これも、黄門様のせい?

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2009年3月 7日 (土)

春風駘蕩

Img_0016 あしたは良い天気になるでしょうとお日様マークが天気予報の画面に映っていたので、久々の山登りをしようと、荷物の点検をしていたが、朝になってなんとなく行きそびれてしまった。

なんとなく気が乗らないのだ(虫の知らせ?)。グループを組んで行く場合は、直前になってそんな理由で断わるわけには行かないが、一人で行く場合は至極簡単である。

したがって今日は、知人のワンルームマンションの引渡し式の見物とも近所周りの散歩でお茶を濁す、、、。

Img_0012 風も春風。”春風駘蕩”と言った感じがそのまま当てはまるような柔らかい風の吹く田んぼには蓮華の花が咲きそろい、次々と蜜蜂が訪れている。

どの蜜蜂も、足に花粉団子を付け、忙しそうに立ち働いている様は十日ほど前まで、ただ蜜を吸うためだけに飛んでいたのとは違う。啓蟄を守って子育てをしっかりとはじめたようだ。

写真を撮っていたら、御同輩が近寄ってきて「蓮華の蜜は味が良くて高いんだってね」というが、年年蓮華ばたけの面積が小さくなれば蓮華の蜜といっても集めようがなくなってしまう。

明日は、三月八日を語呂合わせにして蜜蜂の日だというが、なにがなにをするんだろう。

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先日、150年ほど前のアヘン戦争のどさくさに紛れて国外に持ち出された清朝のブロンズ像が競売にかけられて、大騒動になり、このほどインド建国の父マハトマガンジーの遺品がやはり競売に掛けられると言うことで大騒ぎになっているという。

前者と後者は、その入手方法については異なるものの、国の宝として母国に戻したいと言う願いは当然であろうし、ナショナリズムの高まりとともに力をつけた国々はこれからもこういう要求とともに大騒動が何度もおきてくることは必定。

そして、この騒ぎが発展すれば、大英博物館やルーブル博物館の所蔵品の内かなりの展示品が、エジプトやギリシャなどに略奪品や違法持ち出し品として返還されなければならないものがでてくるはず、、。

一般に欧米人の傲慢さと言うか、一方的判断で自分たちは悪くないと決めつけたがる風潮があり、清朝のブロンズ像もパリ地裁は競売は合法的であると言う判断を下している。

一方で、イスラム過激派などによる文化財破壊を免れたという面もあるものの、文化遺産とも言うべきものを無断で、あるいは強引に持ち出して、合法化はないものだと思うが、歴史は将来どう見るのだろうか。

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2009年3月 6日 (金)

雨に閉じこめられて

Img_0100 部屋の窓からは死角になっている小さな庭の片すみから、聞きなれない声が聞えてくる。

ヒーヨヒヨ キュキュキュ~ となにやら甘えた風な声音が、、、そーっと回り込んでみるとヒヨドリであった。「あれ、この鳥はこんな声でなく鳥だったのか」と驚いた。

いつもは、まるで「お前が悪い!!」とでも言いたげな声の警戒音しか発しないのに、雨に打たれて寂しくなったのか、それとも、春になって相手を探している声なのか、しばらくそこから動かずにいて、いつの間にか消え去った。

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Img_0002_2 今日の一日雨降りのため家に閉じ込められている。することもないので近所の古本屋さんに行って塩野七生の”緋色のヴェネツイア”と”銀色のフィレンツェ”を買ってきて、緋色のウェネツィアの方を一気に読み終わった。写真はウェネツイア、運河の上に架かる”嘆きの橋”)

久し振りに読書の春。最近根気がなくなったためか本がなかなか読みきれなくて途中で放棄することが多く、新刊書はもったいなくて買って来れないので、古本屋専門になっている。それも、100円から200円程度の超古本を、したがってこの本もおよそ20年も前に発行されたものである。

この作者が好きになったのは、バブル期にイタリアへ元請けの社内旅行に随行して行ってきたあとに、イタリヤの旅行書に混じって並んでいた本を買ってきたのが始めである。

旅行では添乗員に連れられて、あちこち引き回され、少しの自由時間を自分なりに見て歩いたつもりだったが、イタリヤの歴史などは全然知らないので建物を見て「ふ~ん」感心するだけだったが、彼女の本によってあの建物にはこんなことこの土地ではこんなことがあったんだと改めて関心をもつことがある。

行く前に読んで置けばよかったとは思うものの、行く前では見たことのない土地の地名を覚えるのも大変だし、写真や地図から想像するのも難しい。本当は、二度三度と行けばよいのだが、それも今では無理な話し。

そういうことならもっと観ておけば良かったと思っても後の祭り。とにかく本を読みながらあの辺かななんて想像しながらの小旅行を楽しんでいる。

芭蕉の辞世に  

 旅に病んで 夢は 枯れ野をかけめぐる というのがあったが、そんな心境が判らぬでもない、”雨んなか”

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2009年3月 5日 (木)

油断して渡ったよ

Img_0123 今日は啓蟄。土の中や木の洞(うろ)などに潜んで冬をやり過ごした虫たちが春の兆しを感じてはいだしてくる時期だと言う。

それかあらぬか、天道虫が早くも交尾の尻振りダンスをはじめ、紅シジミチョウが舞っているのを今年はじめて見た。

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Img_0106 「気をつけて渡って来るんだよ」「油断大敵!」保育園の子どもたちが城北公園内に作られた人工の川に置かれた石を小さな足で次々と渡ってくる。

身軽に飛び越えてくる子が多い中で、僅か20㌢そこそこの間隔が怖くて保母さんの手助けを借りなくては足が踏み出せない子もいる。

そうした中で、保育園の子どもを相手に四字熟語を言う保母さんも保母さんだが、子どものほうもそれを聞いて「先生 油断して渡ったよ」なんて言い返している子もいた。

こんな時期から、四字熟語を覚えていれば、この子たちからオバカさんタレントは出ないと思う。

今日は、空が晴れている分風が少し冷たかったが、この公園に二組、駿府公園に三組以上の保育園児が来ていた。これらの子どもの中にいると本当に面白い話がいっぱい出来るのだが、このご時世近寄ったりカメラを向けると不審者扱いにされかねないので気を使う。保母さんなど保護者も大変なんだろうけど、まったく困った世の中になったもんだ。

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麻生総理を攻めに攻めていた民主党の小沢代表に火がついた。田中角栄、金丸信などの身近にいてその失敗を良く見てきたはずなのに、おなじ轍を踏もうとしているのか、それとも油断していたのか。保育園の子どもでないが「油断して渡ったよ」なのだろうか。

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2009年3月 4日 (水)

不信任選挙もよかないかい

Img_0085 昨日の夕刊に雪を冠ったさくらの写真が載っており、日本平の中腹まで雪が降っているという放送が流れていたので、竜爪山辺りが真っ白になっていないかと朝早く散歩に出かけてみたが、下からは分からなかった。

静岡では、「竜爪山(1,056m)に三回 雪が降れば春が来る」と言われているが、この調子では一度も白くならなずに終わりそうである。そうなると「今年の春でなく」”冬が来なかった”ことになりそうな気配である。

雨は、芽の葺きだした柳の花を濡らし、黄華曼(キケマン)の花を露をたたえた緑の葉っぱの間に浮かび上がらせている。

黄華曼はいままで紫華曼に遅れて咲く花だと思っていた。例年、紫華曼がいつも咲いている場所を一昨日、歩いて見たときには、まだ花芽も見ていなかったので今年は逆転しているだろうか。

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鹿児島県の北東部に阿久根市というところがあり、そこの市長が市会議員の「辞めてもらいたい議員」という不人気投票を自身のブログでやったそうで、議員の反発を買い不信任投票が成立したため、逆に議会を解散したそうだ。

その後も、匿名ながら市職員の全員の給料を公表して、話題になっている。

これを聞いて、性急すぎると言う面があるにしても、面白いと思ってこれから先を注目している。そして、こんな制度が国会議員にもあったらいいなあ。と思う。近いところでは中川元財務大臣をはじめ、「女性は子どもを産む機械」発言の柳沢元大臣、分けも判らないお坊ちゃん世襲議員など、、、、辞めて貰いたい国会議員はかなりいる。しかし、どんな能無し議員でも地元に帰れば強力な後援会を要していて当選を果たし、”禊は済んだ”と平然とした顔ででてくる。

選挙は自分たちの代表を選ぶ民主主義の原則と言うなら、国益にならない、出てもらいたくない議員を阻止するのも権利の一つとして、ほかの選挙区でもリコール投票、不信任選挙があって投票者の1%とか、百万票とかを取ったら落選し、次点の人が変わって当選などという制度がもあっていいのではないかと思うがどうだろう。

また、給料の明細にしても、鉱山に勤めていたころ、労働組合が会社に公表を迫った時、拒否した会社にかわって、全組合員に給料袋の提出を求めデーターを作ったことがあるが、公務員の給料がその土地の給与水準に比べてどうなのかと言う観点から、公開も一つの手段であるような気がする。

ただ、阿久根市長の場合、自分の思いつきだけで始めたのが問題で、もう少し味方を作ってから行動して欲しかったと思う。折角のアイデアも潰された後の反動がもっと怖いことになるから、、、、。

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2009年3月 3日 (火)

桃はももいろ ピンク色

Img_0055 「明かりをつけましょ雪洞に お花をあげましょ桃の花」で始まる”うれしいひなまつり”のでだしの部分、雛祭りと桃の花は切っても切れない関係にあるようだ。

今日三月三日は五節句のひとつで、薬草を摘み、その薬草で身体の穢れを祓い、紙で作った人形に厄や穢れを引き受けさせて川に流すという行事を古くから行なってきたようで、その人形を飾るようになったのが、日本の雛祭りにはじめになったようだとある。

当然人形は女の子が好きなところから、女の節句とし、次の端午の節句を男の子の節句に当てたのは更にその後。まるで、バレンタインデーが流行してからホワイトデーが決まったようで可笑しい。そうなると、最近はやりのニューハーフは四月四日にでも、、、なんて名前にしようか。

今年は、桃の花も祭りに合わせたように満開を迎えている。そんな花を見ていると、真っ赤なものから白いものまでとりどりに咲いている中でやっぱり中間色のやさしい色の桃色だなあという感がする。

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昨日のワイドショーで昨年暮れに孤独死をした飯島愛のお別れ会の模様をやっていた。彼女はタレント仲間の中では好かれていたらしく大勢の参列者があり、幾人ものタレントが弔辞を述べている様子が放送されていた。

その中で、「職業に貴賎はないよね」って、飯島愛が言っていたと語っていた人が二人いたが、タレントになる前の仕事(ピンク?アダルト映画に出演?)のことで彼女が中傷されていたらしいことが察しられた。

職業の貴賎。むかしからこの言葉は良く使われ、表向きは誰もが「ない!」というが、心の中でそう思っている人は少ない。

では、何が貴くて何がいやしいのか。一般的に人に誇れる仕事であるかどうかということでないだろうか。そして誇れる仕事の第一は、末は博士か大臣かと言われた明治以来の基準であり、いやしいと言われたのは「おくりびと」のように人の死にかかわる仕事や汚い物に携わる仕事など、いま言葉で言う3K、すなわち”汚い 臭い 気持ちが悪い”を言ったのではないだろうか。(3Kはほかの意味もあるが、、、)

しかし、3Kを行なう人がいなくては社会が成り立たないことを忘れて鼻を摘まんで避ける。そして、貴いはずの博士や大臣(政治家)が汚職や政治資金規制違反まがいの行為を平然としたり、高級官僚が国を食い物にしている様はけっして貴い行為ではない。

先日、振り込め詐欺で捕まった人のことを書いた記事で、「容疑者の青年が職業感覚でこの犯罪にかかわっていて、罪悪感がないようだ。」とあったが、詐欺や窃盗、強盗をひょっとして殺人までもが生活する手段だとしたら、貴賎の外の職業であり、、、、、どうするどうする。になってしまう。

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昨日十時二十分ころ、ここまで書いたところで一瞬の停電、書きかけのブログが完了間際になって吹っ飛んでしまい、再度書き直す気力もなく「お休み」になってしまった。

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2009年3月 1日 (日)

箸の一つも使えないなんて

Img_0005 散歩道に沿って御柳梅の生垣を見つけた、直径1㌢に満たない小さな花を、、、。

勢いが衰えたのか、時期が悪いのかポツポツとしか咲いていない。

この花もどんな理由で名付けられたのか、中国原産の”御柳”という木とも似ていないようだし、梅というにはかなり違った印象をもたせている。

遠目で違っても近くで見ればと思って寄っては見たが、花びらが小さく雌しべの占める割合がかなりおおきい。もう少し良い名前がなかったものかと可哀そうな感じがする。

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テレビを見ていて良くチャンネルを切り替えるので叱られる。原因の一つには根気がなくなり長い番組を見ていると飽きが来ることもあるが、嫌なコマーシャルや嫌なタレントが出てくると見たくないためである。

嫌なコマーシャル。企業にとっては好印象を与えてその品物を買ってもらったり、企業の印象を良くしなければならないのに、嫌われるコマーシャルではお金をどぶに捨てるよりまだ悪い。

その一つは、「あなたは空気のよい住まいと悪い住まいのどっちが好き、、」で始まる積水ハウスのコマーシャル。あの上からものを見下したようなコマシャルがよいと思う人はどのくらいいるのだろうか。コマーシャル採用を、放送を決めるのは最終的には積水ハウスの経営陣だが、こんな広告を採用するようじゃ、、、、だね。

もう一つにはアフラックやアリコなど外資系の宣伝のしつっこさ、私は元来保険会社というものを信用していない。父親が戦時中なけなしのお金を積み立てていた保険が、満期になって雀の涙にしかなっていなかったこともあるが、契約を細かい読めない字にして誤魔化していると言う印象が抜けきらない所にあり生命保険も掛け捨てのものにしている。

そのためもあってか、親会社のAIGが傾いているいま、利益が上がらなければ簡単に撤退してしまう外資と言うことと合わせて、本当に大丈夫なんだろうかという気がしてならない。日本の生命保険では見合わせてきたり、制限してきた人も「はいれます」というが、、、、。

また嫌なタレント。これは見る人それぞれによって違うことと思うが、憎まれ役をしているとか生意気な暴言を吐くタレントやあまったれ声のアイドル(ちょっとあるかな)でもない、それは、彼らなりのキャラクターでやっていることと思っているのであまり気にならない。

嫌なタレントの一つには、食べもの番組で下手な箸の使い方をする人があるが、これを見ていると折角のご馳走も不味くなって見えるので切り替える。こういう人を使うディレクターにも責任があると思うが、これは役作りではなく普段の修練が出来ていない証拠にしか他ならないと思う。

その代表がNHKの「鶴瓶に乾杯」笑福亭鶴瓶。彼の落語は聞いたことがないので落語家ではないと思っているが、笑福亭を名乗っている以上、落語の修行はしたことがあるはず。とすれば、当然箸の使い方が出来て良い筈だし、この年になっても箸一つ、使えないとは、、、と思ってしまう。

本当に箸の握り方が下手である。今日のテレビでもロシア人実業化が上手に使っていたし、先日もアメリカの寿司屋で食事していた若夫婦も違和感無しに使っていたのを見て、この調子で行くと近い将来器用と言われてきた日本人の手さばきは昔話になるのも近いかなと思ってしまう。

ほかにも個人的に嫌なのがあるが、長すぎて、、、、つい

むかし言葉にありました。「人を呪はば穴二つ」とかあまり悪口は止しにしましょう。

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