南 鶴ヶ城をのぞめば~
東山温泉の大きな旅館(20階建て)の七階では雨の音も聞えなかったが、気配は伝わってくる。窓を開ければ夕べ見えていた市街地は見えず周囲の山々に動きの少ない霧がかかって水墨画を思わせる風景が広がっていた。
同室の人が、霧が立ち上っているから、、、というので、良く見るとどうも露天風呂の方角であり、温泉の湯煙ではないかということになった。
八時半、”小原庄助さんのように「朝寝 朝酒 朝湯」を楽しむゆとりもなく、団体旅行にしては朝早い出立になり、乗ったと思ったらすぐに会津藩家老の復元屋敷というものに案内された。
広大な屋敷と豪壮な建物。復元というにはかなり古びている所を見ると屋敷が残っていたのか、かなり前に立てられたのか分からないが、千七百石取りの武家の権威、屋敷がこんなに大きいものとは知らなかった。
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ついで、白虎隊で有名な飯盛山にむかった。ここで城が燃えていると状況判断を見誤った今で言う中高校生くらいの年の上級士族の息子たちが自刃したことで、その後有名な山になったが、まさか、自分たちの行動が後の観光名所になるなどとは彼らも思わなかったに違いない。
このあたりで、雨もかなり激しくなり、彼らが見て絶望したという鶴ヶ城も霞んでしまい(中央やや左)桜の花の間に霞んでしまって、それらしく見えるだけ。
当時の天気はどうだったのか、案内板には3km弱とあったが、見誤ったとすればまさにこんな感じだったのか”みなみ 鶴ヶ城をのぞめば~ 砲煙あがる~”とおりしも、同じくらいの年頃の男の子が奇声をあげて走っているのを見て、、、、「このくらいの子どもまで引っ張り出しての戦争は、残酷、、、、昭和の世界大戦にも少年兵を戦争に駆り立てたのを思い出させる」と同室だった83歳が言う。
そして、会津の地を十一時ころに離れ、帰路もあちこちで休憩をしながら予定時間に到着した。
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