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2009年4月11日 (土)

色は匂えど散りぬるを

Img_0155 学校で”いろは”を教えなくなくなってどのくらいになるのだろうか。

かって”いろは”は国民全てが知っている読み順でことわざも沢山あった。「もののいろはも知らないで」とか「いの一番に」なんてのがあった。

そういえば、飛騨ばかりではなかったと思うが、大工が家を立てる際、柱の臍孔(ホゾアナ)に番号を書いた。前列から順番にいろは、向かって左から一二三と漢数字でしるし、材木を見ればどこに使われる材料か一目で分かった。玄関の左の柱が”いの一番”などとね。

四十年ほども前になるが、そのころでも廃れていたようで、大工の棟梁が「今での若い者は、いろはを知らんので、、、」とこぼしていたのを思い出した。

また、西洋音楽が入ってきた当時、楽譜は”いろは”で呼んだため、ドレミファソラシドと歌うのを、ハニホヘトイロハと読み、いまだに、ハ長調、イ短調なんて呼び方で通っているのは面白い。

ドレミの歌なんかこれで作ったらまた面白いかなと思った時期もあったがこれは難しかった。

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Img_0147 今日も暖かなよい天気だったので、駿府の城に久し振りに寄ってみた。桜はすでに落花さかんを通り過ぎたようで堀の中は散った花びらでいっぱいだった。

まさに、”色は匂えど散りぬるを”と言ったところ。

そして、むかしはこんな状況を”花いかだ”なんて風流な表現をしたが、水面を全て覆うほどに密集すると、その趣はない。去年はこんなになる前に小船を出して掬っている人がいたが、今年は経費節約?

そんな水面を眺めていた自分にグランドゴルフの道具を背負ったお婆さんが寄ってきて「お堀の上を歩いていけそうだね」と話しかけてきた。

内堀の上に回り道をして、掘りの水際に降りてみるとこちらは花びらの数も少なく、背景にまだ芽吹きをしていない欅が写りこみ、花びらが品良く連なっていた、これが本当の”花筏”で蟻んこでも乗っていれば木曽の中乗りさんの歌でも歌ってあげたい心境だった。

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さらに、”いろは”に関しては、昭和四十年代の若いころ職場の宴会などで呼んだ芸者遊びのなかに”いろはのいの字はどう書くの”という囃しの後の「こうしてこうしてこう書くの」 ”いろはのろの字はどうかくの”、、、と、踊った尻踊りがあったが、普段見慣れている年増芸者も、顔が見えないと人が違ったように、艶かしさが増してきたのを憶えている。

古きよき時代、昭和はすでに遠い昔になった。

今日は、いろはについて

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