狩野氏の落ちた道?(安倍城址 435m)
予定していたタケノコ掘りを一日延ばしたいと言うので、急遽どこかの山がないかと考えたのが、九時ころ。
この時間には山の麓には着いていたい時間なので行く先は限られる。
テレビは「朝から空がすっきりと晴れ、富士山が久し振りにきれいの見えます」って言うものだから、近場の安倍城址(435m)へ登ることにした。
どうせ登るなら、行ったことがないところからと、北側の内牧から登ることにし、迷いながら内牧の墓地の駐車場に車をいれる。
農道はこの先少し続いているが駐車する余裕がないようなので、支度して歩き出せばすぐ傍の木立の中からウグイスが啼き、足元には射干(シャガ)、延胡索(エンゴサク)そして二輪草が咲いて見送ってくれる。
やっと先日まで、花の色が数えるほどしかなかったのに、と思いながら農道を気持ちよくあるき、尽きたところで木橋を渡れば、いきなり急斜面をジグザクと登りだす。
ここは、最近公孫樹の木を植えたようで、斜面の日当たりも良く、シャガの花、金鳳花が多く、何れも日の光を反射して、写真にすると色が飛んでしまう。
また、その上の蜜柑畑では皮があちこちに散らばっていたが、これは猿の仕業ではないだろうか、と、あたりを見渡したがその気配は感じられなかった。
その上からは例によって、杉の木の多い山道になる。道は尾根に近いところを登るためかなりの急登になるが、良く踏まれており、それだけ高度を稼げるので気持ちがよい。
先日読んだ、静岡の歴史にはこの城は内牧に住んでいた狩野氏の持ち城だったようだが、南北朝のあと今川氏によって攻められたさいこの城によって戦って負け、少し上流の牛妻にあった湯島城で滅んだとあったが、その際の逃げ道になったのだろうか。大げさに書かれた戦国時代の戦いのように、何処からどう攻められたか分からない以上、案外状況だけで引いたの可能性もあるが、その当時この道を急ぎ足で上り下りしたのだろうな、と思いつつ歩けばまた違った味わいがある。
やがて、牧ヶ谷から来る道、増善寺から登る道を合わせると山頂はすぐそこ。歩き出して、七十分で到着した。
、それまで、全然見えなかった富士山も予報どおりにかおをだしていたが、全体としては春の気象でもやっており、足元の安倍川やその先の市街地までが視界で、伊豆半島は霞の彼方に、、、。
一休みの後、元来た道を下れば昼前に駐車場。普段の散歩程度の感じしかしなかった。
| 固定リンク
コメント