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2009年5月31日 (日)

この罰当たりが、、、

Img_0038 小判草がいよいよ黄色く熟れて本当の小判らしくなってきた。これが本物だったらどんなにか、、、、

Img_0041 一見草鞋のようだろも言われるこの種は、これからしばらく黄色く熟れて、下のほうからちぎれるようにして種を落とす。

地味な稲科の草の中で、この実は比較的目立つ草で縁起物として鉢などに入れて育てる人もいるが、結構繁殖力が強くて鉢から飛び出しそこらじゅうに繁って困ったという話しも聞く。

Img_0035 麻機まわりの田んぼでも今日辺りが田植えの時期になり、先日来湖のようになって、カルガモらの遊び場になっていた田んぼに大小の田植え機動き回り、田植え機が苦手の田んぼの隅はむかしながらの菅笠をかぶった老人が手植えをしていた。

茜襷に菅の笠の早乙女ならば、華やいだ雰囲気をかもし出すのだが、それは、浅間神社の儀式にしかいない。

田んぼ周りに集まっている人は似ても似つかない老人ばかり、日本の将来が目に見えているようで、美しい風景もなんだか悲しい。

今朝のテレビで、いままで廃棄物として燃やしていた食料品を豚の餌として加工していると自慢げに話している再処理工場の人を映していたが、そこに運び込まれるフランスパンの山を見て「日本はなんてことをしているんだ!」と思ってしまった。

このときのパンはデパートから来ているそうで、前の日に売れ残ったもの。店ではお客さんに焼き立てを出したいので毎日これくらいの処分品が出ると言っていた。「賞味期限どころではない」食料自給率が40%を切っている国のすることか。そして、この無駄分はほかの商品に転嫁されているのであろう。

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先日、会津にバス旅行で行った際、一人の老婦人がガイドに「会津磐梯山の歌の中に”笹に黄金がなりさがる」というところがあるがどういう意味ですか」と聞いていた。ガイドも正確なことが分からなかったらしく、次の観光地で客を降ろしたあと聞いてきてその人に話していたが、「食うに困ったことのない静岡の人だな」とおもわず思ってしまった。

飛騨で育った自分、説明されるまでもなく知っていた。江戸時代たびたびの飢饉にあった東北をはじめ寒冷地では稲が実らず飢饉食として笹の実を食べ、飢えをしのいだという昔話を聞いていたからだ。

今の世のこのパンを見たら先祖様はどう言うだろうか。アフリカ諸国をはじめ飢えで苦しんでいる人たちはどういうだろう。

「この罰当たりが、閻魔様の前でなんと申し開きをするつもりだ。」

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Photo 今日の花。笹の花、稲科の植物だけに良く似た花をつける。しかし、実は粗末なものでとても腹の足しになりそうもないが、先祖はこれで飢えをしのぎ生き延びた。

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2009年5月30日 (土)

更紗空木

Photo 爽やかな風が吹きぬく暖かい一日になった。

湿気も少なく一年中こんな天気なら、という気もしないではないが、そうなると変化を求めたくなるのだろうな。

そんなおり、空木の中でもっとも遅く花を咲かせる更紗空木が花開いている。

Img_0049 蕾の時は濃いピンクをしているが、花開いて薄くなる。枝先に密集して花をつけるため、房のようになっているが、山に咲く空木にもっとも近い種類だそうだ。

なるほど、葉の形は良く似ているし、花びらを細かく切り裂いて咲かせればそうなのだろうか。

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2009年5月29日 (金)

夏の花! 野カンゾウ

Img_0005 昨夜の激しい雨は、夢うつつの中で知っていたが、朝起きてみると一面の青空。それでも、雨が夢でなかった証拠に、草の葉が濡れ外の出しておいたバケツには10センチを越える水がたまっていた。

天気予報は大はずれ、なのに、臆面もなく「午後には降り出しますので笠を持ってお出かけを、、、」という。こんな天気に笠をぶら下げて行ったら笑われそう。

気温は朝から高く、散歩で汗をかくことが予想できたが、麻機の農道を巡ってくることにした。

登りだしてすぐ、野カンゾウが咲きだしていた。若芽のとき”おひたし”にするため少し摘んで来たのはやっと先日だったような気がするが、草丈は50センチほどにもなって、濃い橙色の一日花を咲かせている。

良く似た花に、藪カンゾウがあるが違いは花びらが一重か八重かしか区別の仕方を知らない。しかし、どちらにしてもいかにも”夏の花!”を強調しているようで、、、、、

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厚労省の分割案は、一時棚上げになったようだと新聞になっていた。

先日、増添大臣が「首相が焼き餅を焼いている」と言ったとかどうとかと話題になっていたがそのせいなのだろうかと勘ぐってしまった。とにかく選挙を前に暫定予算を含めて思いつきで「政治ごっこ」をやっているような気がしてならない

厚生省と労働省を合わせて厚生労働省、建設省と運輸省を合わせて国土交通省などとしたのは七年ほど前、やっとこの間のような気がしたが、どこが悪かったのだろうか。

たしかに不祥事の多い役所ではあるが、それは、大臣の目が行き届かないと言うより、親方日の丸の官僚という体質にある。

範囲が大きすぎて大臣一人の手に負えないと言うのが表向きの理由だが、大きくしたときに副大臣を作って対処したはずで、副大臣がお飾りになりすぎたのか、官僚に良いように操られたのか。

多分、なんでもかんでも出しゃばってテレビの露出度が大きい舛添大臣へのやっかみもあるのかもしれないが、官僚のトップたる事務次官の席が少なくなってきていることが大きいような気がするがどんなもんだろう。

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今日の花。左、蛍袋。今年はまだ蛍を見ていないのだが、、。右、南天。小さい小さい花、

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2009年5月28日 (木)

終日の雨 のんべんだらりと

Img_0033 朝からの雨。昨日までが暖かすぎたのかなんとなく底冷えのする一日になった。

タチアオイも降る雨に涙のような露を滴らせ、雌しべを濡らさせないと決めたように俯いていたが、風も強くなって難儀してるようだ。

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韓国の前大統領が自殺し、同情した人が暴動を起こさないようにと”国民葬”をするそうだ。

自殺に到った経緯は、在職中に日本円で五億円に相当するお金を親族が受け取った疑惑だと言うから、田中角栄のロッキード事件さながらの事件で、物価の低い韓国ではその価値観はもっと巨額なお金になりそうだ。

このことについて本人も「恥ずかしいことをした」と半ば認めていたので、事実に近いことをしたのではないかと思うが、国民の一部には検察や現政権が仕掛けた罠のように言い、それ以前の前大統領に対する失望感はどっかにいった感じ。

韓国でも死ねば仏様で、その罪を問わないのだろうか。日本の西松建設献金問題にも見られるように、誰もどぶに捨てるような金の使い方をしないはず(ときどきいるか)、と、なると、この事件の捜査をこれで打ち止めにすると影でほくそえんでいる人が出てきているはず。

それにしても、韓国では大統領を辞めたあと、必ずといっていいほど何らかの事件にかかわってしまうのはなぜだろう。

激しやすい国民性なのか、田中角栄は逮捕された後にも目黒の闇将軍として政界に隠然とした権力を誇示したが、それをさせた日本人は寛容なのだろうか。

そんなことを思いながら終日の雨の中、のんべんだらりと寝そべって池波正太郎の「眞田騒動」引っ張り出してきて読んでいる。

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2009年5月27日 (水)

だれかの霊だったのか

Img_0117 昨日登った蕎麦粒山の帰り道、山犬段から林道を歩いた。

その中で今年はじめてのアサギマダラを見つける。この蝶は長距離を飛行することで有名な蝶であり、羽根の色も鮮やかで長旅で傷めた様子も見えなかった。

ひらひらと飛ぶ様はそんなに飛翔力があるように見えないが、上空に上がれば風に流されるようにして飛ぶのだろうと思う。

この蝶がどうした弾みか、自分の前を誘うかのような飛び方をした。林道沿いにひらひらと高く上がりもせず、カーブの先に消えたのでどこかに行ってしまったと思って先に進んでいくと、道肩の花や小枝に止まって待っている。

近寄って写真に入れようと思うとまた飛び立って、、、そんなことを繰り返しながら車を停めたところまで1kmは先回りをしたのではないだろうか。

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むかし、古代中国の荘子の見た夢に、「魂が身体を抜け出し胡蝶になって100年も花と遊んだ」という話があるが、日本では同じような意味で蝶が忌み嫌われた時期がある。

幼虫(芋虫、毛虫)から蛹になり成虫となって空を飛ぶという妖怪変化的なことや、空中を不安定な飛び方をすることから火の玉のような”霊”を想像させ、不吉なものとして見ていたからだという。

となると、昨日のように付きまとわれるのは誰かの霊だったのだろうか。しかし、いまだかってお化けも幽霊も見たことがなく、霊能力者を虚仮にしてきた自分にはそれを感じる機能がなく、「折角まとわり付いてきてくれたのに理解できなくてゴメンな」と言うしかない。

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今日の蝶。左、緋縅蝶(ヒオドシチョウ)。羽根をたたむと地味な色で枯れ葉などに同化してしまうが、拡げると名前の由来どおり赤味の強い色が日の光を反射し、裾の青味が奇麗である。 右、黄斑日影蝶(キマダラヒカゲチョウ)この写真に三頭写って仲良く食事中。メニューは獣の糞、美味しくて人の目なんかは、、、。

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2009年5月26日 (火)

なんとか間に合った白ヤシオ

Img_0057siroyasio 今年の春は早かったが、白ヤシオは大丈夫だろうか。五月後半は農作業に、旅行、雨降りと行く間がなかったので、今日の天気はどうしても見ておきたいとばかりに出かけることにした。

行く先は、蕎麦粒山(1,627m)それもいままで行ったことがない南尾根から登ってみようと思った。理由は、まだ登っていないことが一番だが、白ヤシオが多いとパンフレットにあったからである。

島田回りで中川根、大札山を裾を巻き林道の広くなった道肩に車を停めたのが八時少し過ぎだった。蕎麦粒山の南尾根は、大札山から北に伸びた尾根の延長であり、駐車した場所からは急斜面をジグザグに折り返しながら尾根に取り付く。

Img_0006 尾根道は結構急斜面が続き、しばらく登ると、足元に白い花びらが落ちている。「おや 白ヤシオの花だが、遅かったか」と上を見上げるが花のついた木は確認できず、変わって赤い小粒な花をいっぱい付けた木が何本か目に付いた。

Img_0034 一番低い木に近づいて見れば、更紗満天星躑躅(サラサドウダンツツジ)。それもこんなに赤いのは紅更紗満天星躑躅に違いないだろう。こんなところに咲いていたのか珍しいものが見られた。

枝先から鈴なりにぶら下がっている様は下から見上げるとさながら満天の赤い星を思わせ、まさに名前の通りだ。

しかし目指す白ヤシオは、、、一本くらい時期遅れがないものかと更に登る。次に見えたのは、盛りを過ぎ今にも落ちそうな花をつけたもので、勢いがない。

Img_0029 そして、頂上を望む瘤尾根に来た時やっと念願の群落が眼に入った。白ヤシオは別名”五葉つつじ”とも言うように花が白いだけでなく葉が、花びらのように枝の先端に五枚広がっているのが特徴である。そして、葉の縁が赤黒い色で縁取りされているものが多く、葉だけでも面白い木である。

尾根道は、短い上り下りを繰り返しながら次第に高見に上っていく、時々展望が開けるが霞が強く、近場の大札山、八丁段、板取山などを除くと富士はうすく見えるものの南アルプスは全然見えない。

登りだして、約二時間弱で頂上に到着。ここまでは人っ子一人逢わずに来れた。しばらく休んで、山犬段に向かって降りだし、すれ違うのは二人連れの五組で人気の山は人が絶えない。

山犬段からは駐車場に向かって林道を下った。

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今日の花。何処にでも時流に逆らうものがいる。もうとっくに済んだはずの花にも、、、、、右、岩鏡(イワカガミ)。まだ咲いていたかという感じ、それもこの辺りでは珍しい赤い色の花が。 左、赤ヤシオ。今日咲いていたのはこれ一本。時節は山ツツジの時期なのに。

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2009年5月25日 (月)

ほんのりと頬染めて

Img_0033 雪の下(ユキノシタ)。かって自分のお婆さんの家の裏の石垣にびっしりと生えていた。

少しじめじめとした半日影を好み、石垣を覆いつくすほど密集している様はあまり好きではなかったが、薬草だということでそのまま放置され、囲炉裏の周りで火傷したときなどは、葉の裏を火にかざし柔らかくしてから傷口に当てててくれたものだった。

ユキノシタは名前の通り、冬になると葉が小さくはなるが、雪ノ下でも青々としており、雪国では珍しいものの一つであった。

また、これからの時期、薄暗い背戸の石垣が白く浮かび上がるような感じで花が咲き乱れるのは、怪しげな感じで、近寄りたくない雰囲気をかもし出していたものだった。

しかし、近年になってこの花を良く見ると、白一色でないことが分かった。この花の仲間に大文字草や人字草などがあり、その独特の形は似ていないこともないが、花びらの上の八枚ほどの花びらがほのかに赤くなり、頬紅を差した婦人、いや、少しの酒でほんのりと頬を染めた、、、、かと思わせる風情があり鉢に生けてみたい気がするから不思議である。

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P1010101 来月で外人相撲取りの草分け的存在の東関親方が定年退職するそうだ。

全盛期にはその巨体を生かして、たたかう姿は今でも良く憶えている。また、土俵外での仕草も当時の日本人力士にはないユーモラスな雰囲気があり親しみやすい人柄を周りにかもしていた。

定年後はどんな生活になるか知らないが、その後釜をになうのが静岡出身の潮丸関だと言い、相撲取りが少なく名力士のいない静岡県としては初めての相撲部屋親方になるかもしれない。

今場所は十両で負け越しており幕下までとはいかないと思うが引退を決めた。丁度ドンピシャのタイミングといったら悪いかもしれないが、傍から見ていると同じ部屋には人気力士”高見盛”がいて、その前には横綱”曙”がいた。

名力士がそのまま名親方になるとは限らないが、前頭半ばが最高位、そしていま三十一歳の若さではさぞかし重圧がかかってくるに違いない。その反面、新入力士の気持ちが察しやすいという利点もありそうだ。

浅間神社の豆撒きくらいしか顔を見たことがないが、頬染めた顔つきと言い、男のほうが優しい静岡人ならば案外立派な親方、伯楽になるかもしれない予感がする。

ただくれぐれも、飽きっぽい県民根性だけは、受け継ついでいないことを祈る。

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2009年5月24日 (日)

じいじんちのさくらんぼ

Img_0055 いわゆる”じいじんちのさくらんぼ”を採りに孫が雨降る中、母親の自動車に乗り、友達と二人できた。

じいじの家のサクランボは、正確に言うと桜桃(ユスラウメ)であるが、難しいので保育園に入る前から「店に売っているのと違うけど、これは”じいじんちのさくらんぼ”と教えてある。多分友達に言って自慢していたのだろうと思うが、友達も見慣れたサクランボでないので驚いていたかもしれない。

今年は、生り物の悪い年なのか、”じいじんちのさくらんぼ”もいつもの年の半分くらいしかない。

雨が小止みになるのを待って木を揺すり雫を落として踏み台を作ってやる。枝が混み合っている桜桃だが小さな手はその隙を抜けて摘み取る。

十五分ほどであらかた採り終わったので、来る少し前にスーパーから買ってきたアメリカサクランボを添えてお持ち帰り、、、、、、。

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雨が小粒の真珠なら

Img_0021 午後になってほんの少し日がさした。片すみに植えてある茗荷にたまった露に日の光が反射していた。

その光り方が奇妙だったので移した写真が上のもの。雨粒が太陽に光を反射する場合、大抵は一点で行なうのだが、この雨粒は四ヶ所で光っている。

近寄ってみると水滴の真ん中がくぼんでいるようだがはっきりしない。多分、一つの雨粒がなにかの原因で四っつの山が出来ているらしい、離れて見るとほかの葉っぱにもそんな水滴がある。

茗荷という植物の葉の特性なのだろうか。なんだか小さな宝石を見つけたようで面白かった。

#雨が~ 小粒の真珠なら、、、って歌があったっけ。

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2009年5月23日 (土)

黄色い口がたまんないんだって

Img_0045 工場の片隅、砂利を踏み固めた所に四羽のツバメがじっとしゃがみこむような格好で動かないでいた。

Img_0048 なんだろうと思っていると、急に羽根を震わせ大きな口をあけた。巣立ったばかりの雛だな、と、思うまもなく親鳥らしきツバメが何処からともなく舞い降りてきて餌を与えて飛び去る。

少し離れて、観察している間にも次から次へと舞い降りてくるが、雛のほうは親鳥をどのように察知するのだろうか。雛の声はいくらか聞えるが、親鳥の飛ぶ速さではかなり離れている段階で見つけている様子。

先日テレビで言っていたが、親鳥は雛が黄色い口をあけるとたまらないんだって、そのため、人の巣を借りるカッコウなどは、翼に一部を黄色くして育て親のウグイスなどに複数の雛がいるように誤魔化しているそうだ。

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民主党の党首が交代したらまた支持率が上がったそうだ。壇上で握手している人たちは役職が変わっただけで同じ顔ぶれなのに、、、、、。

衆寓政治というが、まったくアンケートに答える人も馬鹿だな~と思う。なんだかオセロゲームを見ているようで、一瞬にしてバタバタと白が黒になったり、黒が白になったり、、、、、、それも、「敵の失敗でひっくり返るのだからやってられないなぁ」という声が聞えてきそうである。

これでは、解散権を与えられても使うタイミングがというか間の取りようがない。次から次と飽くことがないほど交互に問題を起こす駄目代議士。それでも、選挙になると公約そっちのけ、名前だけを連呼する政治家に懲りもせず一票を行使する。

”世襲制反対”の声につられて同じように鳴いて見せたが、当選すれば党に入るのは当然なんだって、、、、、

元首相の息子も槍玉に挙げられ、その適性は定かではないけれど、そのボッコさは傍目で見ていると世間知らず、まだ嘴が黄色く見えるのだけれど、その黄色いところがまたたまんないそうだ。

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ちなみに、ボッコの意味、関西方面(?)でボラの稚魚を言い、転じて”おぼこ”となり、処女とか子どもっぽい、世間知らずを言う。東北言葉の”おばこ”もこの内にはいるか。

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2009年5月22日 (金)

栃の花もいろいろ

Img_0074 ごく低い所に栃に花が咲いていたので近寄って見ることが出来た。

Img_0072 いつもは高い木の上にあるので、遠くから見上げることが多く、ただ白いだけの花かと思っていたが中心部に赤い模様が入っている。

この木は山の公園の片すみにあり、木としては幼木になるので園芸種なのだろうか。それとも種から育てたのだろうか迷ってしまった。

Img_0030 と、いうのは、松本で赤い栃の花を見たからである。聞いてはいたが始めてみるその赤さは、人の手が入った園芸種だと一目で分かるくらい赤かった。

そのため、思いがけない色合いを見ると、これもかな思ってしまう。

調べてみると、マロニエとアメリカ紅花栃の木との雑種であるとのことで、雑種というのは人の手を介していないということなのだろうか。

以前、フランスで見たマロニエの実の殻は日本の栃と違って、棘のようなものがいっぱい出ていて海胆のようだと思ったがこれはどうなんだろう。

バスガイドは栃と朴の木の違いの説明をする。諏訪湖から飛騨にかけて高い梢の上に巫女さんの持つ鈴のような栃の花と蓮の花を思わせる白い花が交互に見るとなしに眺めながら、ビールの量を減らしていく。

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この二十一日から日本の裁判に一般の人が裁判員として参加することになった。五年まえの今日、裁判員に関する法律が決まったときには、殆んどの国会議員は賛成票を投じて成立した制度であるが、いまかなりの反対意見を言う人が多くなっているようで、連日のように問題点をあげつらっている。

しかし、この制度が審議されたのは、あまりにも一般の常識と違う判決が出され、法律バカの世間知らずが問題になったことが原因であろう。

そのことを少しでも解決しようとした所から出来た制度だと言うことを、このごろ明確にしようともさせようともしなかったことに問題があり、今頃になって「専門家に任せたほうが、、、」なんて意見まで出てきて、法律が出来た当時のことを忘れている。

裁判員(陪審員)制度は昭和初期に一度出来ているが、日本が右傾化し治安維持法が出来た時に廃止されて経緯があるが、この制度をなくして一番喜ぶのは誰かということを考えてみる必要がある。

裁判員制度を壊すのでなく、どうすれば市民感覚で裁けるのか辛抱強く考えていくことが大事だと裁判員から漏れた閑人は思う。

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2009年5月21日 (木)

塩せんべいは”セボン”

Img_0100 (日下部家の内部)

高山の東別院にバスが泊まって朝市を見に行く人たちと別れて、単独で下二の町の日下部民芸館と吉島家住宅、桜山八幡神社を回ってみることにした。

Img_0108 (写真吉島家)いつも、人を連れてきたときなどは人通りの多い上二の町、上三の町、朝市が多くどちらかと言えば静かでみやげ物店が少ない此方には足を踏み入れないので、自分でも三十年ぶりくらいの感じがする。

これらの旧家は、建物の構造などから何かしらホッとするところがあって、前にも座敷で座り込んでお茶の接待を受けて過ごした記憶がある。

しかし、今回は違った。日下部民芸館に入った途端、受付には人影が見えなかったものの強い化粧品の匂いが漂い、何処からともなくざわめきが聞えた。

そして、急な階段を登って二階に登ると30人くらいの外人さん観光客。縦横大きい人ばかりで小さな展示ケースを覗きこみ説明を受けていた。

入り口で嗅いだ化粧品の匂いはここが発祥地だったのだ。掻き分けて進むのも難儀すると思ったので即座に下に降り、中庭に設けられて接待所でお茶と塩せんべいを口にしていると、高齢の夫婦連れがやってきて隣に腰掛け、塩せんべいを口にし私に向かって「セボン」と微笑んだ。此方も一つ覚えの言葉「ウイ マダム」と言い、塩煎餅をかかげ国際交流はそれでお終い。だって、、、、

ついで、杉玉のぶら下がった吉島邸をまわり、桜山八幡宮の境内で名物の”みたらし団子”を二本、ほかの土地の蜜団子と違い醤油味のあっさりとした小さな串団子。どんなにお腹が膨れていても二本は口に入る。

店先に腰掛けて鎮守の森を見上げまわせば、小鳥の鳴き声に混じって上のほうから祭囃子が聞えてくる。スピーカーからの放送だけど耳を済ませなければ聞えない程度の音が良い。故郷の囃子とは少し違うが基本的には似通っていて懐かしい気分で聞きほれていた。

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Img_0140朝ドラの舞台になった三島屋の和蝋燭作業場)

高山観光も済み、バスは静岡に背を向けるようにして古川に向かう。ここは何年か前、NHKの「さくら」という朝ドラの舞台になったところで、白壁と瀬戸川という水路が美しい町で、このドラマで観光地として甦ったと言ってよい所である。

自分たちが名古屋から夜行列車に乗って早朝に降り立ったころは深い霧につつまれ寂れた町という印象しかなかったが、、、、、。

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Img_0164 (卯建を上げようと競った町並み)

Img_0153udatu (軒下に秋葉神社の分社まで掲げて)

食後の満腹感でウトウトしながら、東海北陸道を南下し最終観光地である”うだつの上がる町 美濃市”に着いたのが午後三時くらいだったか、このころになると時間感覚もあまりない。

高山の町並みを設計した戦国武将の金森氏がその後ここに移封され作った町ということで、この町のガイドは説明し、家と家の間に設けた防火壁とも言えるうだつが町屋の威勢を示す象徴に変わった経緯を説明する。

ついて歩く人も、高山の朝市で、古川の古い町並みにつづく美濃市の古い町並みと疲れ切ったような表情の人が多い。

たぶん、何人かは何処が何処だかごっちゃになってしまった人もいるのではと思う。

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2009年5月20日 (水)

故郷をバスで巡る

Img_0013 鈴蘭、(正確にはドイツスズランと言うべきか)ベルのような形をした小さな花を下向きに咲かせた様は清楚、愛らしいと言った感想を誰にも与え人気のある花である。

今回巡ったコースのなかで松本や高山、古川では丁度鈴蘭の花咲く時期に合致していたらしく、小さいながら群落をあちこちで見かけることが出来た。

写真の鈴蘭、暑いくらいの日差しを避けるかのようにして葉陰に咲いていた。

しかし、”きれいな花には棘(毒)がある”をそのまま実践し強烈な毒をもち、行者ニンニクなどとも似ているところから亡くなった人もいるそうな。

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自分の故郷を観光バスに乗って見て歩くとは夢にも思わなかった。

簡保の旅行が行けなくなった人から代理で行ってくれという話が来たのは四~五日前。始めは断っていたのだが、計画の中に上高地散策というものがあり、食指が動き承諾してバスの人となった。

しかるに、バスが出発した途端、「上高地手前の道路が崩落によりまだ復旧していないので予定を変更します」ときた。天気予報は、良いほうに転んでいるが、雨支度をしバックが重い。

上高地の穴埋めとして、松本の旧開智学校、松本浮世絵博物館。そして、翌日は高山朝市が付け加わった。

今回のバス旅行は、自称年金まで20年はあるというバスガイド(もっと短いはず)の静岡弁丸出しの案内が面白く思いがけず楽しい旅になった。

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さすが国宝 常念を背にして

Img_0024 上高地の道路が崩壊した事故をうけて変更された観光地は、松本の重要文化財”旧開智学校”だった。が、青を貴重にした当時としてはモダンな建物というより奇抜な学校だったことが想像できる。

Img_0019 この建物、明治五年学制が布かれてまもなく建てられた「和洋混交の擬洋風建築」とか書れているように、日本人特有のなんで混ぜ合わせて飲み込んでしまう典型の一つと見た。

初めて見る建物なのに、内部の展示品もあまり興味がなく、早々に外に出てしまった自分は来る途中で見た松本城の方に興味が行ってそれどころではなかった。

幸いにして、昼食がすぐ傍の松本ホテルだったものだから、食後の時間を気にしつつ大手門から内堀を通しての天守閣を見ることが出来た。

長野には、何度も行っているし安房峠越えで年に何度か通過している松本だが、城に行ったのは、五十年ぶりくらいにである。

思い出だけの松本城と現実を重ね合わせてみる。松本の人たちがシンボルの山として眺めている常念岳の三角錐と天守閣はそのままで、さすがに国宝に指定されているだけの風格を備えている

しかし、くぐって来た大手門はなかったし、内堀を前にした広場(二の丸?)はきれいに整備され、、、、

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飛騨路に入る

Img_0046 ふたたび、バスに乗り平湯大滝まで、二ヶ月前に孫たちと来たばかりの場所は雪も滝つぼ近くに少し残しているだけ、若葉の間に豆桜、石楠花、わさびの花とまだ早春を謳歌していた。

Img_0062_2 Img_0061 それから三十分、やはり孫たちと泊まった蒲田川沿いの宿に入り夕食前のひととき槍ヶ岳を望める露天風呂にのんびりと浸かる。

午後五時半、日が落ちて夕闇が迫る川沿いの露天風呂からまだ陽が当たっている岳の山頂はまぶしく、写真にして見たが、、、、

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2009年5月19日 (火)

勝手に連れてきて

Img_0032kurobanaennjyu Img_0032 ほんとっ 久し振りに流通センター北側の遊水池に行ってみた。

前は何時だったか考えたが分からない、久し振りに歩く土手の道は、草が伸び放題に伸び草丈は 1 ㍍はゆうに越えて視界を悪くし、道幅も狭くなっていた。

そうした中、鼬萩が黒い房を伸ばして花開いていた。この花は花といっても小さなもので近寄ってみても、僅かに黄色っぽい所が咲いている場所で、下から次第に先端に移っていくのだが、いま真ん中辺が色変わりしていると言うことは、しばらく前から咲いていたことになる。

この木は荒地で育ちやすい所から、偽アカシアなどとともに荒れた斜面や乗り面の吹きつけ工事などに外国から輸入をして使われ、環境破壊の木などと批判されているが、木のほうから言わせれば「好きで来たんではない!」と言いたいだろうと思う。

Img_0039 そこを過ぎると、金鶏菊と昼咲き夕化粧の花が沢山咲いている場所があり、その真ん中を歩いてみれば、花道とはこんな所を言うのだな、という気にさせる。

Img_0037hanabatake この花もやはり輸入品種で、麻機の自然を愛する人たちからは在来種を圧迫すると言われいるが、この工区を整備した県との担当者にその意識がなかったと言うことなのだろうか。

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そういえば、静岡空港の立ち木問題が解決し、知事が今日辞表を提出した。

ここまで問題がこじれたのは知事をはじめ担当者の地元に対する誠意のなさと言うか、高圧的態度が上げられ、任期も後わずかしか残っていない今の辞職は、知事側にとって「私の責任で完全開港の道筋をつけた」と名を与え、地権者側は「これで知事を辞めさせた」と共に「名をとって実を捨てた」。つまり、どちらにとっても「痛くも痒くもない」ことにならないだろうか。

そして、知事の任期があと少しだったにもかかわらず、次の知事候補がなかなか決まらない。自民党側から名の挙がっている人には、現知事と同じ元キャリアー官僚なのと人柄があるようで一つにまとまれないようだし、民主党の方はすでに立候補を表明している元民主党員には空港問題のしこりがあって乗れないようで、あちこち当たっているがこれまた、、、と言った状態のようだ。

こうなったら県に全然関係のない人を連れてきて、、、、。

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2009年5月18日 (月)

赤い靴はいてた

Img_0009_2 赤い靴 はいてた 女の子

異人さんに連れられて いっちゃった

横浜の港から 船に乗って

異人さんに連れられて いっちゃった

日本平の一番高みに行く途中、道の脇に「赤い靴の女の子」像がある。

歌のモデルが、現在の清水区宮加三に明治の末期いた岩崎かよの子ども、岩崎きみという女の子だったと言う説から建てられたものだそうだ。

洋服を着、短靴を履いた女の子と、ひざまずく和服で丸髷の母親をあしらった像で青々として、木漏れ日の漏れる木の下に青銅色の像はいかにも寂しげに沈み込んでいた。

戦後になって、作家菊池寛が調べた結果、岩崎きみという子が浮かび上がり、アメリカ人宣教師に養子に出されたが、結核で9歳の時亡くなり、アメリカには連れて行かれなかった。というのが定説として残っている。

そして、菊池寛の説から行くと、親子はこんな服装での別れはなかったようなので、像としては奇麗で情緒があるが、、、、、、、、、

また、定説という以上は異論もあるわけで、菊池寛の調査不足によるフイクションだとか、作詞をした野口雨情の想像上の歌であるという説もあるそうだし、。

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Img_0014 昨日雨の中、豊田から弟夫婦がやってきた自分は知らなかったので突然の訪問に驚いたが、連れ合い同士の話し結果だそうだ。

勿論閑人としては、理由の如何を問わず大歓迎。さっそく、準備をして早めの飲み会に入り語り合う。

そして今日、天気予報がくつがえって空は青く澄み渡り、テレビの画面には日本平から見た富士山が写ったので、「そんじゃ~ 入ってこようか」と出かけた。

山頂からの富士山は清水の港を見下ろし、霞んだ山のその先にこの季節にしてはすっきりと佇んでいて、遠来の客をもてなしている。

爽やかな風も吹いて、しばし景色を楽しんだあと、いまの季節の旬である由比の桜海老でもと言うことで、から揚げの美味しい店まで出かける事にした。

今日は、ウイークデイというにもかかわらず、ほかの店が閉まっていたせいか、結構お客が多く満員状態。

しかし、食べもののほうは予想通り満足してもらえたようで、面目をほどこした。

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2009年5月16日 (土)

雨に打たれて山紫陽花

Img_0032 それまで我慢をしていた雨が激しく降りだし、額を少し拡げた山紫陽花を濡らして行き、たちまち雫が枝から幹に伝って流れていった。

紫陽花は古来日本の山地に自生していた植物で、七変化といわれる花の色の変化が楽しまれる木であるが、梅雨時のじめじめとした紫陽花の公園で滑った経験があったりしてあまり好きな花ではない。

また、園芸用の紫陽花は、もともと日本にあった山紫陽花などを江戸時代にシーボルトがオランダに持ち帰り、その後、ヨーロッパで品種改良(?)されたものが日本に逆輸入されたもので、DNAとしてはどのくらい変化したのか見てみたい気がする。

ともあれ、この山紫陽花は、紫陽花の原形のひとつであろう。

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何か青物でも欲しいなと思ってドライブがてらに安倍川中流の”真冨士の里”に行ってみたところ解体工事が始まっていた。

毎年この時期ころまで、お茶摘みのため営業していないのは承知だったが、取り壊しているとは知らなかった。

すぐ傍に、新しい建物が建っていたが、そちらの方は良く見なかったが、ひと気もなく静まり返っていたので、有東木まで足を伸ばそうかと思ったが、「今日はどうも付いていない。あそこもお茶摘み休みの可能性がある」とばかりにUターンをして帰ることにした。

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2009年5月15日 (金)

エコさえ付ければ

Img_0084 城北公園のカルミアの花が満開になってきた。

カルミアとはアメリカシャクナゲのことで別名を花笠石楠花というそうだが、上手い命名の仕方だと思う。

薄いピンクがかった花はツツジ科の花の中では異色の形をしており、下から見るとまさしく10本骨の日傘のような格好をしている。オシベの先端が黒いのも面白いが、蕾のうちは金平糖というか、デコレーションケーキの上にある小さなクリームを思わせるものがある。

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”今日からエコポイント”とテレビは報じていた。なんでも、省エネ家電を購入すると一部安くしてもらえるとのこと。

家電業界を救うため、政府が後押しをしているそうだ。そういえば、同様の制度が自動車にもあるが、良いことばっかりなのだろうか。

年金が頼りの自分らにしてみれば、いま使っているものを如何に長持ちさせるかが問題で、新しいものを買い換える余裕がないので、どう旗を振ってくれようが関係が無いようだ。

何でもかんでもエコさえ付けばよい時代になったらしく、先日も日立の冷蔵庫が”エコ"を頭に使って売っていたが、実際は売らんがための宣伝だけで、国も販売店もその宣伝を丸呑みしていたことがわかった。

今回、急ごしらえのエコポイントははっきりしない面が多いとのことだが、商品のほうも本当に省エネなのか検証が出来ているのだろうか。商品そのものは電気などエネルギーを食わなかったとしても、作る段階で食っていればどうなのか。

買い替えの際、廃品として出される家電製品の処分費用(まだ使えるかもしれないのに)。そして、何よりも嫌なのは税金を使って補助した金を利用者だけでなく買えない人からも取り返そうとすることである(消費税論議をせよと自民党堀議員)。

今日の新聞の投書にもあったように、「ETCの乗り放題1,000円問題でも利益を受けている人が特定され、損失は税金だと言われれば、世の中、電機業界や自動車産業を助けるためにあるんではない」という気持ちは分かる。

おりから、公務員のボーナスを0,2か月分下げると言うが、国会をはじめ議員さんのは論議されないようだし、愛人と熱海に遊びに行く新幹線代のさえ議員パスを使うような永田町の倫理ではそんな発想はこれっぽっちもないだろう。

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2009年5月14日 (木)

刈り干し切り考

Img_0034 Img_0035maturika1 庭の番茱莉(バンマツリ)の花がここ二~三日の間に次から次へと花を咲かせ、木全体が紫から白の花で埋もれている。

この花は、蕾から咲き初めまでは濃い紫をしているが、次第に花びらが白くなっていく。

名前からしてニオイバンマツリというくらいなのでジャスミンに似た匂いがかなりきつく感じられて、デパートの一階化粧品売り場を思わせる。

良く似た名前の花に、茱莉花(マリカ マツリカ)というものがあるこの名前の由来は原産地インドでは、「マリ」と呼ばれていることから付けられたのではないか、言われているそうだ。

どうりで、洒落た漢字を当てていると思った(暴走族の当て字に見えないこともないか)。ただ、種類としては、全然別のもので此方のほうはアフリカジャスミンという名でジャスミンティなどの匂い付けに使われるそうだ。

たぶん、匂いが似ているところから又聞きみたいにして付けられた名前ではないだろうか。

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今日も暑い一日になった。ただ湿気が少なかったようで汗の量も少なめであったのがありがたかった。

いつも行っている畑の脇の道路が、草ぼうぼうになり草刈機をを持ってくるように頼んだが、エンジンの調子が悪いので鎌で刈り取ることにした。

幅1,0m程、長さ40m程の間、石や空き缶が転がっており、草刈機では少し危なかったかなというのが終わってからの感想。

ただ、人力で草刈をやるのは久し振りのため、手首が疲れ午前中には片が付かなかった。この草を、まとめて見ると結構な量になるため、何とか堆肥にするように工夫してみることにする。

宮崎県の有名な民謡に”刈り干し切り唄”というのがあるが、昔は各地で行なわれ、自分なんかも小学生のころ夏休みに伯父さんの家に遊びに行くと、早速鎌を持たされ、刈り干し山へみんなと一緒に行かされた覚えがある。

あのころは、小学生と言えど貴重な労働力だったらしく、遊びに行った筈なのに稲刈り、子守りなどできる事をあてがわれ、本当に野山を走り回れるのは、自分の家の方だった。

刈り取った草は農耕馬の餌にし、堆肥にするため(その場に拡げて乾燥したあと、だったとおもうが?)、後からは草しか見えないほど背中に背負って山の斜面を下る。草の切り口が首筋をチクチクと刺したり、背中に入った塵がかゆくて、草を下ろすたびにシャツまで脱いで、、、、

その山も廃村になって約三十年。一昨年そこの祭りに行ったときには太さ2~30cmにもなる木で何処が何処やらといった状態になっていた。

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2009年5月13日 (水)

一気に衣替え

Img_0080 Img_0082 今日も暑い一日になった。アスフアルトは午前中だというのにもう焼けだした。道の上側に六枚の花弁を拡げた定家蔓が真っ白に咲いている。

良く見ると、花びらの先を少しひねっているため、かざぐるまというより、船のスクリューといった感じがする。

その昔、式子内親王に懸想した藤原定家が、その死後蔓になって内親王の墓に巻きついたといわれるところから名付けられたそうな。そんな謂れをもつと思うと、また趣きが違って見えるから不思議である。

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麻機の農道を登っているうちにちょっと足の具合が悪そうな老人に追いついた。「暑いですね」と声をかけると立ち止まって「まったくたまらんね」「いくつになられました?。、、そう、私より七つほど上になりますね」

「自分も七十歳のころまではなんともなしに登っていたけんど、それから急に駄目になったね」

別れてから思った。前にみかんの木を植えた九十翁が「八十っころまでは平気で動けた」と言っていたことと同じだと、つまり、いまの自分に比べればあの時は元気で溌剌していた、七十歳から見れば六十歳は現役だったと、、、八十歳から見れば七十歳はひよっこだと、、、振り返って思うものなんだろうと。

いずれ自分もその道を歩むかもしれない。

山から下りてくれば着ていた物は汗でぐっしょり、早速シャワーを浴びれば眠気に襲われ、一気に夏バージョンのパンツ一丁に衣替え(?)をして昼寝をしてしまった。

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2009年5月12日 (火)

その重さは如何ほどか

Img_0028 アメリカ栴檀草の枯れた枝に雀の雛が止まってじっとしていた。

嘴の黄色さから、昨日辺り巣立った雛のようだが、親が餌を持ってくる気配がない。カメラを向けている自分を警戒して離れたところにいるのだろうかとその場を離れることにした。

それにしても、直径1mmもないような枯れた草に掴まっていられるのは、よほど体重が軽いのだろうな、軽いからといって生命も軽いわけではないのだが、、、。

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そして昨日、畑の傍にある鉄塔のカラスの巣を除去してもらった。中には雛が2羽いたそうで可哀そうなと思う反面、憎っきカラスめというのがない交ぜにある。

今日も、気温が30度を越す中、耕運機で畑を耕していると、ほんのすぐ傍まで来て此方の様子を窺がいながら、出てきた虫などをあさっている。

これが”からすの濡れ羽色”と言われる色なのか、この色がもう少し奇麗な色、たとえば雉のみたいだと人はどう思うのだろうか。しかし、塵を食い散らかしたり、農作物を傷つけたりなどしてはどんな色でもだめか。

ひょっとして色が奇麗ならそんなこともしないか、などと思いながら此方もカラスの様子を探っていると、その気配を感じたらしく傍の電線に上がって馬鹿にしたように「カ~ア カ」と鳴く。まことに声まで悪い。

集まってきた人曰く、「前から何度もあそこにあると、電話しているのに来てくれなかったのにどうして今回は?」という。聞けば、鉄塔のカラスの巣は全てが徐去するのではなく、高圧線に障害が出るか、人の生活に支障をきたす場合を除いてそのままにしておくそうだ。

カラスも、自然界の中では必要な生物だってことらしい。

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2009年5月11日 (月)

栴檀は芳しからず

Img_0082 Img_0083 「栴檀は双葉より芳しい」とは名家のお坊ちゃんの顔を見たときに言う褒め言葉。

「栴檀という木は若芽のときからよい香りを放ち大きくなって香木(公僕?)になるように、このお子様も将来大物になるのがいまから見えています」とお世辞たらたらの言葉である。

落語の”子褒め”などにも出てくるが、むかしから庶民はからかい半分に使っていたふしがある。

家の近所に栴檀の木が花を咲かせ始めた、紫色の六弁花はひとつひとつを見るとなんだか侘しい上、双葉より芳しいと言われる木は白檀だという。

どうりで、ちっとも花に香りがないわけだ。となると、「栴檀は双葉より芳しくない」ことになる。

まるで、鳳来寺の仏法僧と同じではないか。近年になって「ブッポウソウ」となく鳥はコノハズクで今では名前の仏法僧と声の仏法僧に分けられている。

この辺は世襲制のオボッチャン代議士に似ていなくもない。親がどんなに立派でも、ぬくぬくと世間知らずに育った議員さんでは名前が一緒でも根性が違うと言った所か

また、葉が似ているとかということで、アメリカ栴檀草という草があるが、種がズボンの裾などに執拗に付く”ひっつき虫”をもつ草があるが、これは嫌われ者である

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民主党の小沢党首が辞任した。西松建設からの献金事件について明確な説明がないままの辞任であり納得はしていない。もともと民主党には元自民党の議員が大量にいて、第二自民党と言っても過言でなく、その点からは好きではないが、今の自民党政治を毀すためには仕方がないかとも思っていた。

しかし、選挙を間近にしての違法献金事件は国策捜査だと見られても仕様がない一面を見せた。漆間長官が先に述べた「この事件は自民党に影響しない」といったとおり、同じように違反している可能性がある二階大臣はのうのうとしている。

おなじ疑惑がもたれているのに、一方の秘書だけが起訴されて事件の幕引きを図り党首を辞任させている。これは、一種マスコミをして世論操作をさせた可能性さえあるのではないだろうか。

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2009年5月10日 (日)

体力の衰えを知る

Photo エゴノキ。白い花が多いが見るからに清楚な感じの花を下向きに咲かせている。

Img_0034 園芸種には淡いピンクのもあるが、清楚さではこちらも負けてはいない。

実も可愛らしい卵形の固い実を鈴なりにぶら下げているところは、名前の語源と言われる”えぐい”という感じはしない。

エゴノキの皮にはサポニンが含まれているとかで、むかし魚を捕るのに使ったと言う話を聞いたことがあるが、とてもそんなに毒性があるとは思えなかった。

植物がえぐいのは、動物や虫から身を守るためであり、中には強烈な毒素で人が死に到るものもあり、トリカブトやハシリドコロ、バイケイソウなどはその典型であるが、山菜と言われる物にもいわゆる灰汁抜きをしなければえぐくて食べられないものが多い。

ということで、エゴノキが特別にえぐいわけでなく。不思議なことにエゴノキもエグイという言葉にもこれといった漢字がない。

そこで思ったのは、エゴイストの木。  そんなわけないだろうに。

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昨日は連れ合いの誕生祝というので近場の飲み屋で知人たちがやってくれたのにご相伴して来たが、酒に弱くなったのを改めて感じさせられた。

生ビール中ジョッキー三杯でコロコロ、ほかの人たちは五杯以上というのに、、、。そして今朝はその酒のせいか、寝相が悪かったのか顔がはれぼったいままの起床となった。

10時半に早飯。そのあと夏みかん系の”清見”を120kgと八朔を50kgの収穫に向かった。清美はまだ木が小さいので捗ったが、八朔の木は何十年もの間繁るに任せているので木の高さが10mほどにもなり、日が当たる先端部分にしか実を付けていないため、ツルツル滑る木をよじ登っての作業になった。

ここでも、体力の衰えは如実で、帰ってきてシャワーを浴びたら一気に疲れが出て三時から五時まで昼寝をしてしまった。今頃になって目ざめたようで頭すっきり、今晩は寝苦しいのでは、、、、、。

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2009年5月 9日 (土)

真富士山の赤ヤシオ つぼみは固し

Img_0023mahujisann 久し振りの青空を見て急に山に行きたくなった。

今日は土曜日、人だらけの山には、、、と二の足を踏んでいたが、背に腹は換えられないとばかり出かける気になったのは、先日旅行会社のパンフレットに、「大札山の赤ヤシオを見に行きませんか」という募集があり、催行日が四月二十七日になっていたことだった。

「そんな早いはずがないだろう」と思う反面、今年は早くから暖かかったので花の開化状況を見ての募集ではなかろうか。となると連休明けにはどうなっているのか確かめを兼ねて近場の山に行ってみようと思っていた矢先だった。

行く先は真富士山に決めていた。この山はいつも四月半ばに登っているが、杉や桧の植林が比較的少ないため、早咲きの花が多い山であるからである。

Img_0002houtyakusou 朝七時半に駐車場に車を入れ、仕度して昇り口に向かうと早速宝鐸(ホウチャク)草が出迎えてくれた。「これは幸先が良いぞ」と思って桧の手入れが悪い道を通り抜けて谷筋の道に入る。

駐車場にはほかの車もなかったことから、雨上がりの一番乗りは気持ちが良い。若葉に朝日が当たって柔らかな若葉が光り輝き、ひとっころ話題になったフィットンチットが沢山溢れているような感じがする。

しかし、端境期なのか花が少ない。ハシリドコロやネコノメソウは花を散らしてしまい、イチリンソウがかすかに残っているだけ、、、そんなこんなで真富士神社まだ上がれば富士山方向にのみ木が伐採されて幾分霞んだ富士山が見える、一方、登ってくる途中に木の間越しに見えた南アルプスの塩見岳から荒川岳にかけての雪化粧は、青空にすっきりと見えた。

この差はなんだろう。距離の関係はそんなに違わない以上、その麓の人の多さだろうか。

そんなことを考えながら第一真富士山頂上につき一休みする。咲き残った馬酔木(アセビ)に昆虫が群がり、ブンブンと羽音がうるさい。ミツバツツジが僅かに花開いているがほかはないので、昆虫が余計に集まっているらしい。その後、第二真富士に向かって峠に降る。

Img_0042 峠からの登り道にはいつもイワカガミが密集している場所があり、時には真っ白な花の絨毯のようになるが、ポツンポツンと咲いているだけ、「これは、少し早いのかな?」とみると花びらが落ち、額だけになっている株も見えて花の時季が済んでいるかのような気がしないでもない。

Img_0052 頂上までのあいだところどころで見かけたものの、数が少なかった。目当ての赤ヤシオにいたっては道端からは見ることが出来ず、頂上でようやく写真のような赤くなったつぼみを見ることが出来た。

十時五分から三十分、早飯を兼ねての休憩は蝿などの小虫との戦い、払っても払ってもまとわり付いて離れない、辛抱できずにぎり飯を一つ食べ終わると同時に峠に向かって降りることにした。大井平から下の水場で付近まで来ると登りの人とすれ違いだした。

いつものように小母さんが中心の団体さんを含めて三十人くらいが登っていったが、早く登って良かったというのが正直な所。

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2009年5月 8日 (金)

自己責任は命がけ

Img_0026 ハイアオイ。もしかしたらウサギアオイかもしれない。葉っぱの亀裂がどうとかで名前が違うと言うが、学者でもないのでそのくらいはどっちでも良いと思っている。

Img_0029 昨日も同じ道を歩いて銭葵は見ていたのに気が付かなかったくらい地味な花である。

花の直径はおそらく1cm程か、タチアオイの仲間で一番小さいほうに入るのではないだろうか。白い可憐な花を目立つことなく咲かせていた。

タチアオイの仲間は、日本になかったそうで全てが外来種だというが、タチアオイのような派手さ、多様さのないこの花は、花として?それとも紛れ込んで?。どんな経過で日本に入ってきたのか興味がある。

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雨が上がったのを見すまして出かけてみた。安東川の水量は幾分増えてはいるものの大したことはない。

しかし、昨夕は水量が増て田んぼにまで用水路の水が入ったとみえ、代掻き前の田んぼに鯰に似たような魚が入って泳いでいた。体長は40cmくらいはあろうかと思われる大物が水が引いていくのにあせってかあちこちと身体をくねらせて移動していた。そのほかに幾つかの魚がいるらしく波紋はあちこちで収まらない。

昨年は、足場の良い所だったので拾って川に返したが、今回はぬかるんだ田んぼの真ん中と来ては手出しが出来ない。今夜辺りまでに脱出できなければカラスの餌になるか。

美味い餌探しに熱中したあまりの運命で、可哀そうと言えばそうなるのだが自然の掟、自己責任で処理するしかなく、日本人の自己責任のように政府が身代金を払って助けてくれるということはない。文字通り、命がかかった重大な自己責任である。

つられて一緒に来た(?)ほかの魚も「あいつのせいで」とは非難したり、責任をなすりつけることはなく、精一杯努力して結果を待つしかない。

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夕方になって、畑のものをお裾分けにと孫のところに行ったら、入り口のところに人だかりがしていて、娘に聞くと路地で鬼ごっこをしていたとき孫のすぐ前にいた子が、路地から飛び出して自動車にはねられ救急車で病院に行ったばかりだと言っていた。

以前から、自分も「この辺りでの運転は気をつけてよ」と言われていたし、子どもにもしょっちゅう言っていたというが、その甲斐がなかったようだ。

怪我が軽ければよいのだが、、、、、。急な飛び出しは被害者は勿論、加害者も大変だと思う。

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2009年5月 7日 (木)

夢のまた夢

Img_0008 雨降りもこれで三日目になる。最初の一日は疲れ休みに丁度よいなんて言っていたが、ここまで続くと梅雨空のように感じうっとうしくなる。

そして今日が一番激しく降ったようで、午後の止み間を待って少しばかり歩いて見たが、最後まで残っていた八重桜の花を落としてしまい、まさに”落花狼藉”といったところ。

花の茎が弱っていた所に雨粒が重しになったらしく、茎ごと落下し、これから花を咲かせようと、つぼみをつけている紫陽花に降りかかっていた。

「季節は春から夏に」を示す格好の題材と見た。

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今朝方、中学の同級生と話をしている夢から醒めた夢を見た。つまり、二段重ねの夢である。

フロイト的にはどう解説するのか知らないが、気分的にはあまり心地よいものではなく、なんとなく気がかりな夢だった。

小田和正作詞の「夢のまた夢」は、出来なかったことを後悔して”でも遅すぎる 夢のまた夢”繰り返し使っている。

そして、百姓の息子から天下を取って全ての願いを叶えたかのように見える、秀吉の辞世の句は「露と落ち 露と消えにし わが身かな なにはのことは夢のまた夢」と無常感を歌っているが、此方の”夢のまた夢は”は何なんだろう。

とにかく、寝覚めが悪く、体が妙にだるく感じられた。

(フロイト流に解釈できたら教えてもらいたいものだ)

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2009年5月 6日 (水)

立夏の花 ウツギ

Img_0043 立夏も過ぎて暦は夏に入った。

安倍川筋でいま目立つ花の色は藤と桐の紫、ついで空木(ウツギ)の白い色が川の両岸を彩っている。

空木とは木の中心がコルクのような白い材質が詰まっている木を言うようで、ユキノシタ科とスイカズラ科に分けられるようだ。

そのなかで、一番奇麗なものといえば梅花空木(写真 上)だろうか。花の形は梅に似て花びらがが五弁で雄しべがつけ睫毛のように張り出している。庭木として好まれ唱歌の「夏は来ぬ」などにも歌われて、八重のものもあるが野生のものは少なくなってきた。

Photo そしていま咲いているので多いのがただの”空木”。花は梅花ウツギよりひと回り小さいが数でこなしているいった感じで、咲き乱れている所では香りがきつすぎるくらい。その香りに誘われてか蝶々が沢山集まってくる。

Photo_2 慎ましやかなのは、コゴメウツギ。小さな米とでも書くのか、満開に花開かせても2mmとはないほどの花を開かせている。

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Img_0026 変り種としては、額ウツギ(写真 右)。一見紫陽花を思わせる花を付け日影に咲く。

Img_0015 谷空木は、スイカズラ科でダニが多かったのか、子どものころは”ダニ花”と呼んで敬遠した木だったが、この木の花が咲くと姫竹のタケノコが出る目安になり、ネコダ(藁で編んだリュックとでも言うか)を担いで山に入ったものだった。同じ格好で紅白の花を咲かせるものを箱根空木という。

またこの仲間で夏に咲くツクバネウツギは、羽根突きの羽根にちなんで付けられたもののようだ。

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2009年5月 5日 (火)

天に昇らんと

Img_0079 ここしばらく晴天が続いて感想気味の天気だったが、今日は朝から小雨が降ったり止んだりしながらも一日中続いている。

”こどもの日”  行楽で、観光地に出向いている人や、Uターンラッシュの中に埋もれている人には癪にさわる雨かもしれないが植物にとっては恵みの雨になっていることだろう。

近所の鯉のぼりも、空からの雨を飲みたい様子で、空に向かって大口をあけているか、それとも、この雨を瀧に見立てて天に昇らんとしているのか。

こんなに集団で昇られたら、天上界は龍だらけ、この夏の雷は激しいものになりそうで怖い。

観光地では谷や川に渡したワイヤーに目刺しのように何十匹もぶら下げているのでは趣きがない。やはり、鯉のぼりは”屋根より高く泳がなければ面白みがない。

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「いいお湿りで、、」と茶菓子を持って知り合いが尋ねてきた。聞けばここ何日かお茶農家に手伝いに行って、くたびれ果てている所だったので、この雨は良い骨休めになった、と言っていた。

なににしろ、慣れない仕事は疲れるもの。自分らもお茶は最近買ったことがない身なので気持ちはあるのだが、まだやったことのない仕事。一日中立仕事が出来るかどうか自信がなくて二の足を踏んでいる。

午後になって、孫たちが父さんに連れられて苺を持ってきた。例年父さんの友達がやっている苺ハウスを止めるとき最後の苺を採らせてくれるとのことで、やっているそうだが、粒の大きい甘い苺。「これならまだ売れるのにね」と言いながらありがたく頂く。

Img_0093sirann 庭には、終わりかけた紫蘭(シラン)の花が雨粒をうけ、俯き加減に咲いている。谷村新司の歌”陽はまた昇る”という歌の一節に「鉢植えの紫蘭の花 あさの雨に打たれ いきたえだえに、、、  というのがあったのをおもいだした

Img_0086 その傍らに、白い花の紫蘭があるが、此方のほうは品種改良で作られただけに花はひと回り小さくひ弱な感じは拭えない。

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2009年5月 4日 (月)

安かろう悪かろうと

Img_0047ikawa テレビは朝から自動車道の渋滞がニュースになっている。これを見ているとますます人ごみには行きたくない感じがする。と言って家の中でゴロゴロしているのも癪だね、っとばかり、行く先を検討してみるがこれといったところもなし、、、。

結局は、ゴロゴロ疲れを解消するためには日帰りで効能があるという口坂本温泉に行ってみることにした。

家から約35km、安倍川支流の玉川の一番奥まった所にあるこの温泉は、昨年は行った覚えがないので、二年ぶり?いやもっと前だろうかなんて思いながら、まだ整備されず狭いまま残った道路を遡って到着した。

以前は480円くらいだったと思っていた料金が280円と安くなっている。安いだけあって建物も風呂も昔のまま手入れがされていない様子で、前に来た時より古びて寂れているのが目に見えて分かる。市がこの施設をどうしようとしているのだろうか。管理はほかに委託しているそうだが、安かろう悪かろうでは更に寂れていくだけなのだが、、、。

それでも、連休を利用してか、効能が良さからか駐車場は20台ほどの車が入っており、今日の風呂は老人を中心に多いとの話しだった。

しかし、風呂に入っている人の割には鍵つきのコインロッカーが空いていない。出る際に良く見ると洗面道具を中に残して鍵を懐にしていく人が居たので、管理人にこのことを話してみたが、気弱に笑っているだけで対策を講じようともしない。

厭きれてすぐ外に出る。このほかにも静岡市の運営する温泉はほかの公営温泉と違って「入れ墨、飲酒の入浴」には寛容である。

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Img_0057 外に出たあと、久し振りに大日峠に向かい尾根にあるスキー場に行ってみようと言うことになった。この道路は14~5年前地すべり対策で工事をした現場でもあり、あちこちの曲がり角ごとの思い出が残っている場所であり、その面影を見ながら登る。

富士見峠からの道と併せてスキー場に到着するまでの間、道の両側には芽吹きだした小さな若芽がここちよく、桜の花もいまが満開の様子。「これで何度目になるのかな~、今年は満開の桜の当たり年」

そんなことを思いながらスキー場に着いて見れば、当然のことながらシーズンも終わって駐車場には何にもなし、それでもレストランは営業していて中には電気がついている。

休業に入ったスキー場のリフトを支える支柱の向うには南アルプスの山なみが雲にところどころを覆われながらまだ白い山肌を陰鬱に見せている。

食事を済ませて、富士見峠に戻り井川朝市会の産品を少し買い戻ってくる。走行距離103km。

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Img_0054 今日の花。東国三葉躑躅。オシベが10本高い山に咲くと聞いていたので、オシベを数えてみた。普通は花が先になり葉が後からというが、この辺は同時のようで名前の通り三枚の若葉を律儀に開かせていた。

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2009年5月 3日 (日)

ナンジャモンジャで雪化粧

Img_0017 ここ五日間農家の手伝いで体が疲れていたためと思うが、体がかったるくて何もしたくない気分の一日だった。

天気も曇り空ながら暖かくて、うつらうつらとしている分には絶好の日和。それでもと思って城北公園に行って見た。

グラウンドでは、中学生らしい年頃の子どもたちがサッカーの試合らしく、赤のユニホームを着たチームと青のチームが一つボールを争って土煙をたてている。それを横目で見ながら高台に上がると眼の前にヒトツバタゴ別名ナンジャモンジャの木が一面の花盛り。

いままで何回も見ているのだが、こんなにもあったかなとという感じで咲いており、白い花で、雪景色を演じていた。

Img_0024 遠目では、白い花の集団であるが、手が届く枝を引き寄せてみるとごく単純な花びらであることが分かる。4枚の深く切れ込んだ花弁には雄しべも雌しべも分からない。本によると雌雄別のは名だとあるが、これはどっち?

それにしても、これだけ白くしてしまうには、どのくらいの数の花が咲いているのだろうか。おそらく天文学的なんだろうな、、、。

散策する人、花見の宴をしている人。おりからのうす曇は気だるい午後をますます強調し眠くなるような雰囲気があり、家にいても出かけて来ても平和なニッポンそのまま。

憲法改正論議も豚インフルエンザももやっとした霞の彼方に消えかかっている。

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2009年5月 2日 (土)

芍薬の恥じらい

Img_0005 立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花。とは美人を形容した言葉だが、芍薬と牡丹は良く似た花をしている。

区別としては芍薬は草であり、牡丹は木である。ということ以外殆んど知らない。同じような花なのに何故立ち姿と、座っている姿を同じような花にしたのだろうか。

花言葉も、芍薬が恥じらいと言うのに対して、牡丹は百花の王というのも何処で区別したのか分からないが、庭の鉢植えにいままさに咲こうととしている芍薬は、花言葉のように恥じらいが見て取れる。

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Img_0067 今日は八十八夜。お茶農家はこれから忙しさが増してくることと思う。季節のものだけに摘む時期が値段に大きく響くようで、猫の手も借りたいそうだ。

それにしても、先月の初せりに出された新茶の値段が1kg10万円だと聞くと、この不景気な世の中に誰が呑むのだろうと思うが、中にはとてつもない金持ちがいるのだろうな。

私自身、お茶のことは良く分からない。七面倒くさい流儀に従って飲むお茶の味は何処が美味いのか分からない、しかし、体調もあってか引佐郡寺尾の農家で出されたお茶に勝る味のものはいまだにない。

5月末だったと思うが、暑い現場から「茶の子にしようかね。上がっておいで」という声にひかれて、縁側に腰掛けて待っていたら、無造作に急須からお茶をついでくれたが、その温かさといい、香り味と三拍子揃って火照った身体に吸い込まれていく感じは、それまで経験したこともないお茶だった。

その、おばあさんも二年前に他界されたと年賀辞退の葉書に記されていた。

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2009年5月 1日 (金)

甘夏で木登り

Img_0049 午前中は甘夏の採りいれ、木が選定していない、ほったらかしの大木のため高い所にあり、木に攀じ登って鋏で切るのだが、いま丁度花の咲いている時期なので、鼻先をくすぐるように香りが漂ってくる。

粘り強くて折れにくいみかんの木だが、10から15センチくらいの甘夏をたわわにつけた木はさも重たそうにしなっている。「ご苦労さん」と声かけながらみかんをはずせば、枝は空に向かって両手を広げ背伸びしているように反り返る。

そのさまは「ああ~っ、肩こった」と言わんばかりに見え面白い。連休で観光地を回るのも良いが、この仕事結構気に入って楽しんでいる。

山の斜面にあるみかん畑からは、遠景として麻機から市の中心部が見え、木の先端近くに腰掛けて、辺りを見回せば思いがけない近さでウグイスが鳴き出す。

暦の上では夏の入りも近くなって半袖で作業をしたいくらいの陽気になってきた。

米袋に六つ、約100kgが今日の必要量。あとはまた注文があってから、、、、。

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今日、五月一日と言えば”メーデー”130年あまり前アメリカで8時間労働を要求した労働者のデモが発端だと聞いている。日本では戦前には弾圧されていたが、戦後になって民主主義などとともに与えられた運動のひとつとなった。

自分が労働組合員になったのは昭和三十二年、会社に入ったと同時に自動的に組み入れらる企業内組合だったが、60年安保から70年にかけての時期であり労働運動は高揚していた。「むかし陸軍 いま総評」と言われるくらい労働組合が強かった時代であり、組合の大会は百家争鳴でひとかどの弁士が沢山いて、徹夜、延長はざらであった。

そして、小さな町ながらメーデーには三千人のデモ行進にジグザグデモは各所で見られた。その労働運動も資本の側に上手に利用され、崩され力を失っていく。末端では自分の出世のため組合活動を利用していくものが多くなり、組合員の不信感を増したことが原因だった。(当然上のほうも腐敗していたことは言うまでもないだろう)

状況としては、今の政治家が自分の保身だけのために国政を弄していて、そのことに愛想の尽きた国民に無関心層が増えてきたのと良く似ているが、その対策が打てない政治に通じるように思う。

そして、いま世界恐慌を前にして労働組合(連合)はなす術もなく手をこまねいて、戦前に書かれた「蟹工船」が売れているというが、虐げられた派遣労働者などはどうしてよいのか途方に暮れるばかり。

これらの人々が、口先だけでなく革命までも考えて本当に立ち上がるのはもっと生活に困ってからのことだと思うと、まだまだいまの生活は余裕があるのだろうか。   それとも根性無しになってしまったのか。

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