だれかの霊だったのか
その中で今年はじめてのアサギマダラを見つける。この蝶は長距離を飛行することで有名な蝶であり、羽根の色も鮮やかで長旅で傷めた様子も見えなかった。
ひらひらと飛ぶ様はそんなに飛翔力があるように見えないが、上空に上がれば風に流されるようにして飛ぶのだろうと思う。
この蝶がどうした弾みか、自分の前を誘うかのような飛び方をした。林道沿いにひらひらと高く上がりもせず、カーブの先に消えたのでどこかに行ってしまったと思って先に進んでいくと、道肩の花や小枝に止まって待っている。
近寄って写真に入れようと思うとまた飛び立って、、、そんなことを繰り返しながら車を停めたところまで1kmは先回りをしたのではないだろうか。
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むかし、古代中国の荘子の見た夢に、「魂が身体を抜け出し胡蝶になって100年も花と遊んだ」という話があるが、日本では同じような意味で蝶が忌み嫌われた時期がある。
幼虫(芋虫、毛虫)から蛹になり成虫となって空を飛ぶという妖怪変化的なことや、空中を不安定な飛び方をすることから火の玉のような”霊”を想像させ、不吉なものとして見ていたからだという。
となると、昨日のように付きまとわれるのは誰かの霊だったのだろうか。しかし、いまだかってお化けも幽霊も見たことがなく、霊能力者を虚仮にしてきた自分にはそれを感じる機能がなく、「折角まとわり付いてきてくれたのに理解できなくてゴメンな」と言うしかない。
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今日の蝶。左、緋縅蝶(ヒオドシチョウ)。羽根をたたむと地味な色で枯れ葉などに同化してしまうが、拡げると名前の由来どおり赤味の強い色が日の光を反射し、裾の青味が奇麗である。 右、黄斑日影蝶(キマダラヒカゲチョウ)この写真に三頭写って仲良く食事中。メニューは獣の糞、美味しくて人の目なんかは、、、。
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