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2009年5月 1日 (金)

甘夏で木登り

Img_0049 午前中は甘夏の採りいれ、木が選定していない、ほったらかしの大木のため高い所にあり、木に攀じ登って鋏で切るのだが、いま丁度花の咲いている時期なので、鼻先をくすぐるように香りが漂ってくる。

粘り強くて折れにくいみかんの木だが、10から15センチくらいの甘夏をたわわにつけた木はさも重たそうにしなっている。「ご苦労さん」と声かけながらみかんをはずせば、枝は空に向かって両手を広げ背伸びしているように反り返る。

そのさまは「ああ~っ、肩こった」と言わんばかりに見え面白い。連休で観光地を回るのも良いが、この仕事結構気に入って楽しんでいる。

山の斜面にあるみかん畑からは、遠景として麻機から市の中心部が見え、木の先端近くに腰掛けて、辺りを見回せば思いがけない近さでウグイスが鳴き出す。

暦の上では夏の入りも近くなって半袖で作業をしたいくらいの陽気になってきた。

米袋に六つ、約100kgが今日の必要量。あとはまた注文があってから、、、、。

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今日、五月一日と言えば”メーデー”130年あまり前アメリカで8時間労働を要求した労働者のデモが発端だと聞いている。日本では戦前には弾圧されていたが、戦後になって民主主義などとともに与えられた運動のひとつとなった。

自分が労働組合員になったのは昭和三十二年、会社に入ったと同時に自動的に組み入れらる企業内組合だったが、60年安保から70年にかけての時期であり労働運動は高揚していた。「むかし陸軍 いま総評」と言われるくらい労働組合が強かった時代であり、組合の大会は百家争鳴でひとかどの弁士が沢山いて、徹夜、延長はざらであった。

そして、小さな町ながらメーデーには三千人のデモ行進にジグザグデモは各所で見られた。その労働運動も資本の側に上手に利用され、崩され力を失っていく。末端では自分の出世のため組合活動を利用していくものが多くなり、組合員の不信感を増したことが原因だった。(当然上のほうも腐敗していたことは言うまでもないだろう)

状況としては、今の政治家が自分の保身だけのために国政を弄していて、そのことに愛想の尽きた国民に無関心層が増えてきたのと良く似ているが、その対策が打てない政治に通じるように思う。

そして、いま世界恐慌を前にして労働組合(連合)はなす術もなく手をこまねいて、戦前に書かれた「蟹工船」が売れているというが、虐げられた派遣労働者などはどうしてよいのか途方に暮れるばかり。

これらの人々が、口先だけでなく革命までも考えて本当に立ち上がるのはもっと生活に困ってからのことだと思うと、まだまだいまの生活は余裕があるのだろうか。   それとも根性無しになってしまったのか。

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