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2009年5月21日 (木)

塩せんべいは”セボン”

Img_0100 (日下部家の内部)

高山の東別院にバスが泊まって朝市を見に行く人たちと別れて、単独で下二の町の日下部民芸館と吉島家住宅、桜山八幡神社を回ってみることにした。

Img_0108 (写真吉島家)いつも、人を連れてきたときなどは人通りの多い上二の町、上三の町、朝市が多くどちらかと言えば静かでみやげ物店が少ない此方には足を踏み入れないので、自分でも三十年ぶりくらいの感じがする。

これらの旧家は、建物の構造などから何かしらホッとするところがあって、前にも座敷で座り込んでお茶の接待を受けて過ごした記憶がある。

しかし、今回は違った。日下部民芸館に入った途端、受付には人影が見えなかったものの強い化粧品の匂いが漂い、何処からともなくざわめきが聞えた。

そして、急な階段を登って二階に登ると30人くらいの外人さん観光客。縦横大きい人ばかりで小さな展示ケースを覗きこみ説明を受けていた。

入り口で嗅いだ化粧品の匂いはここが発祥地だったのだ。掻き分けて進むのも難儀すると思ったので即座に下に降り、中庭に設けられて接待所でお茶と塩せんべいを口にしていると、高齢の夫婦連れがやってきて隣に腰掛け、塩せんべいを口にし私に向かって「セボン」と微笑んだ。此方も一つ覚えの言葉「ウイ マダム」と言い、塩煎餅をかかげ国際交流はそれでお終い。だって、、、、

ついで、杉玉のぶら下がった吉島邸をまわり、桜山八幡宮の境内で名物の”みたらし団子”を二本、ほかの土地の蜜団子と違い醤油味のあっさりとした小さな串団子。どんなにお腹が膨れていても二本は口に入る。

店先に腰掛けて鎮守の森を見上げまわせば、小鳥の鳴き声に混じって上のほうから祭囃子が聞えてくる。スピーカーからの放送だけど耳を済ませなければ聞えない程度の音が良い。故郷の囃子とは少し違うが基本的には似通っていて懐かしい気分で聞きほれていた。

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Img_0140朝ドラの舞台になった三島屋の和蝋燭作業場)

高山観光も済み、バスは静岡に背を向けるようにして古川に向かう。ここは何年か前、NHKの「さくら」という朝ドラの舞台になったところで、白壁と瀬戸川という水路が美しい町で、このドラマで観光地として甦ったと言ってよい所である。

自分たちが名古屋から夜行列車に乗って早朝に降り立ったころは深い霧につつまれ寂れた町という印象しかなかったが、、、、、。

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Img_0164 (卯建を上げようと競った町並み)

Img_0153udatu (軒下に秋葉神社の分社まで掲げて)

食後の満腹感でウトウトしながら、東海北陸道を南下し最終観光地である”うだつの上がる町 美濃市”に着いたのが午後三時くらいだったか、このころになると時間感覚もあまりない。

高山の町並みを設計した戦国武将の金森氏がその後ここに移封され作った町ということで、この町のガイドは説明し、家と家の間に設けた防火壁とも言えるうだつが町屋の威勢を示す象徴に変わった経緯を説明する。

ついて歩く人も、高山の朝市で、古川の古い町並みにつづく美濃市の古い町並みと疲れ切ったような表情の人が多い。

たぶん、何人かは何処が何処だかごっちゃになってしまった人もいるのではと思う。

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