さすが国宝 常念を背にして
上高地の道路が崩壊した事故をうけて変更された観光地は、松本の重要文化財”旧開智学校”だった。が、青を貴重にした当時としてはモダンな建物というより奇抜な学校だったことが想像できる。
この建物、明治五年学制が布かれてまもなく建てられた「和洋混交の擬洋風建築」とか書れているように、日本人特有のなんで混ぜ合わせて飲み込んでしまう典型の一つと見た。
初めて見る建物なのに、内部の展示品もあまり興味がなく、早々に外に出てしまった自分は来る途中で見た松本城の方に興味が行ってそれどころではなかった。
幸いにして、昼食がすぐ傍の松本ホテルだったものだから、食後の時間を気にしつつ大手門から内堀を通しての天守閣を見ることが出来た。
長野には、何度も行っているし安房峠越えで年に何度か通過している松本だが、城に行ったのは、五十年ぶりくらいにである。
思い出だけの松本城と現実を重ね合わせてみる。松本の人たちがシンボルの山として眺めている常念岳の三角錐と天守閣はそのままで、さすがに国宝に指定されているだけの風格を備えている。
しかし、くぐって来た大手門はなかったし、内堀を前にした広場(二の丸?)はきれいに整備され、、、、
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飛騨路に入る
ふたたび、バスに乗り平湯大滝まで、二ヶ月前に孫たちと来たばかりの場所は雪も滝つぼ近くに少し残しているだけ、若葉の間に豆桜、石楠花、わさびの花とまだ早春を謳歌していた。
それから三十分、やはり孫たちと泊まった蒲田川沿いの宿に入り夕食前のひととき槍ヶ岳を望める露天風呂にのんびりと浸かる。
午後五時半、日が落ちて夕闇が迫る川沿いの露天風呂からまだ陽が当たっている岳の山頂はまぶしく、写真にして見たが、、、、
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