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2009年7月31日 (金)

真っ赤な花びらを

033 紅葉葵。真っ赤な花びらをこれでもかと広げて夏の太陽を受けている。

芙蓉の仲間の特徴である雄しべ(?)をこれでもかと言ったように突き出しているさまはいかにも夏の浜辺にいる異人さんと言ったところか。

しかし、花の中心部に甘い蜜があるのか蝶がかわるがわる訪れては雄しべの付け根にすがりつく、そしていま紋黄揚羽が、体格を利用して一回り小さな黄揚羽を追っ払って蜜を独占している。

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最近は日中の蒸し暑さを嫌って早朝散歩をすることが多く、畑仕事のほうも熱中症が怖ろしいというより、蒸し暑さと地面が湿っ気て土が重く出かける気がしない。

そのためもあって、今日の午後はNHK衛星放送の洋画「渚にて」を見てすごした。

1,959年というからいまからちょうど50年前の映画で、二十歳のとき見て以来の映画である。映画の筋書きは、当時世界に覇権を唱えていた米ソがスエズ運河をきっかけに核爆弾を使用し、人類が北半球でまず死滅し、オーストラリヤにいた人々と潜水艦の乗組員だけが生き残ったものの、放射能が南半球にも流れ込んできてすべてが死滅すると言うもので、それに、ラブストーリーを重ね合わせたものである。

この中で、当時見たときと印象が違ったものは、主役のバートランカスターが思っていたより大根役者だったのと、ヒロインのエバガードナーが目じりなどにかなり年を感じさせるものがあったということだ。

そして、”ウォルチンマチルダ”を繰り返しフレーズに使う主題歌は当時かなり流行ったもので懐かしく聞いた。

そしていま、原爆戦争の恐怖はいまだ去ったものではないが、いま一番の関心事は地球温暖化になってきた。

人間もいずれ恐竜並みに消え去るのだが、恐竜は自分自身の行いが自分を破滅させるようなことをしなかった。

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2009年7月30日 (木)

ポンッと咲く?

054 024 蓮の花が咲くときは「ポンッ」と音がするそうな。そんな話を真に受けて、麻機の蓮根畑にやってきたが、朝の四時半だというのに花は開ききっており、気の早い蜜蜂が何匹も群がっていた。

今朝は四時少し過ぎに目が覚めてしまい、トイレに行く途中窓から見えた空が久しぶりに赤く燃えていた。

これは、良い写真が取れるかもしれないとそのまま着替えて出かけたついでに、上の話を思い出して麻機遊水地まで足を伸ばしてしまったのが、早朝散歩のきっかけ。

朝焼けのほうはたいしたことも無く、水辺から舞い上がる朝霧もわずか空振り気味であったが、この時間すでにご同輩は幾組とは知れず。

年よりは眼がさといと言うが、それにしても、、、、、。早起きは三文の得とはいうけれど午前中の長かったこと

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2009年7月29日 (水)

一刻 値千金

003semi 雨が上がるや否や「シャリシャリシャリ」とクマゼミが啼きだす。

近くの血液センターの外辺に植えられている欅の幹と言わず葉っぱといわず至るところに蝉の抜け殻があり、夕方になると地面から這い出て木に登ってくるのを待ち構えたムクドリが何羽もいる。

005dappi左、ここまで来て脱皮に失敗した蝉

そんな、難関を乗り越えて羽化したセミたちも残る寿命は一週間だという。例年と違って、雨の多い今年は相手に出会えるチャンスが更に少なくなる。そのことを知ってか知らずか蝉は”一刻 値千金”とばかり、に啼きたてる。

なんだか見ていると、死にはしないけど政治家のように思えてきた。

今日の報道にも、「自己保身より国家国民を」と言う見出しがあったが、そんな覚悟で国会で活動した人が何人いたことか、週刊誌の当落予想図を見ても、聞いたことの無い現職政治家がかなりいる。

四年間、じっと土(国会)の中に潜んでいて選挙になったから出てきて「ミーンィ ミーンィ(民意民意)」と啼いているだけのような気がする。

世間はリストラだのボーナスカットだのと不況の嵐が吹いているのに、国会議員が自らの定数削減だの歳費返上だのとは口の端にも出てこなかった。

いけない いけない、また、政治話になってしまった。

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2009年7月28日 (火)

一筆啓上

038 わずかに覗いた青空を背景にして頬白(ホオジロ)が「一筆啓上仕りそうろう」と啼く。

ホオジロの声の聞きなしは他にもあり「源平つつじ白つつじ」とか「札幌ラーメン味噌ラーメン」などとも言うが、自分は昔ながらの聞きなしが一番しっくりと来る。

ホオジロは、一見スズメに似た体色をしているが、子供のとき捕まえた記憶から言うと一回り大きく、人家の近くには寄ってこない。

しかし、美声である。かなり離れたところからでも縄張りを宣言する「一筆啓上 仕りそうろう」は聞こえてくる。そして、愛妻家であるようで生涯連れ添いを変えないと言う人がいたが、定かではない。

七月はまたの名を文月とも言う。ホオジロに言われるまでも無く、暑中見舞いを出さなければならないころなのだが、この梅雨空では「暑中 お見舞い申し上げます」とはどこをつついても言えない。

それにしても今年の夏はどこをうろついているのだろうか。暑さに弱い自分ながら、この調子では米の作柄に影響するのではないかと心配になるし、汗だくになって飛び回ると思われていた衆議院選挙関係者は、雨に閉じ込められて、、、、では無いだろうか。

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2009年7月27日 (月)

花言葉は「誤解を解きたい」

024 これはなんだろう?と一瞬思った。ためしに葉をつまんで揉んで見ると屁糞蔓(ヘクソカズラ)に間違いない。これだけ赤いものを見たのははじめである。

ヘクソカズラ。その臭いが嫌われてこんな名前をつけられている。自分も子供のころは触るのもいやだと思ったにおいであるが、今回嗅いで見て、そんなにでもないと思ったのは許容範囲が大きくなったのか、嗅覚が鈍くなったのか。

臭いの元は揮発物質のメルカブタンという硫黄化合物のためで、虫などに食われないよう、自衛策と見られる。

花言葉を調べてみたら、”人嫌い”というのと”誤解を解きたい”と言うのがあったがどちらもこの花の特徴を現していて、臭いに抵抗感が無くなった年寄りむきの美人なのかもしれない。   

「いよっ 大年増殺し!」てんで大向こうから声がかかりそう。ちなみに下の左、普通の屁糞蔓、右が赤みの強いものと比べてみると、、、、、。

098 025

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二十六日の宿は戸倉上山田温泉。じゃが芋畑から一時間ちょっとのところにあり、その昔はお色気で売っていた温泉、ぼったくりバーがあることで有名だった湯の街であったが、近年すっかりイメージチェンジをしている。

この温泉で泊まるのはこれで三回目、しかし、今回の宿は乳白色の湯が売り物だとのこと。そんな色の温泉があったとは知らなかったので興味津々。

そんなに大きくない宿には、自分たちを含めて十組の客がいたようだが、着いてから帰るまで誰にも会わなかったことが不思議な宿で、少し熱めの温泉も弟と二人でゆっくりと浸かった。

103huro 湯は内風呂が硫黄の臭いがきつく白く濁っており、風呂の深さが分からないので慎重に足を入れてみる。首まで浸かれば鼻のすぐ下にある水面から硫黄の臭いが立ち上がり、身体の中まで成分が浸み込んでくるようで、、、、。

食べ過ぎ気味におなかに詰め込んだ身体で、運動がてら街中に繰り出すが、ぼったくりの印象いまだ消えず、、とお客が少ないためか町全体がひっそりとして明かりがついているのは客のいない飲み屋だけの様子、早々に帰ってくる。

翌日、宿の主人が傍に来ていろいろと話をしてみたが、ぼったくりやお色気は会社など団体旅行が多かったときと違い、家族や小人数の客が多くなった中では悪評なのであり、従来の誤解を解きたいといろいろ手を打っているそうで、、、。いろいろ考え、お客さんの知恵を借りるためちょいちょいこんな話をしている、と言っていた。

宿を引き上げた後、用意してくれていた玄米30kg、とうもろこし二箱、その他を積み込み、自動車を仰向けにのけぞらして帰途に着く

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2009年7月26日 (日)

ラッキー

020 030 四手沙参(シデシャジン)。大きく裂けた花びら、その真ん中に花柱が突き出したような風変わりな花である。

四手とは注連縄(シメナワ)や玉ぐしにつける半紙を折り曲げた飾り、沙参はツリガネニンジンの中国名であるそうで、その色合いは濃い紫で綺麗である。

 

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二十五日、山梨県境に入るまで激しい雨に見舞われ、じゃが芋掘りが出来るのか心配しながら向かって行ったが、次第に空模様が明るくなり甲府盆地に入ると日が差してきた。

午後になって、目的地、立科町二到着し一休みの後畑に入ってみた。前もって連絡があったとおり昨日まで雨が降っていたようで地面が濡れていたが、何よりも驚いたのは雑草の繁殖力。

じゃが芋の茎はすでに枯れてしまっているので、どこに有るか分からないぐらいになっており、先が思いやられる。

草を刈り取り、じゃが芋のありかを確かめてから、四つ手鍬(四本鍬)を振るう。

100jyaga 周りを掻いた後深く打ち込み起こすとサツマイモ顔負けの芋がごろりごろりところげ出る。

五月末に土寄せしたとはいえ、後はほったらかしのじゃが芋、良くここまで育ってくれたものと大地の神に感謝する。

原産地ペルーでは、芋を掘る前にチチャという酒をパチャママに捧げてから掘り出すのを思い出し、「ほれ しまった」と言ったが後の祭り。

一畝だけ掘って、様子見をした後翌日の作業にまわす。

二十六日、次第に天気がよくなって土も軽くなり作業は順調に進む、そのうち弟夫婦も来て午後三時まで、約250kg収穫をしたところで入れ物が無くなり、作業は中断。

それにしても、長梅雨でとっくに開けていなくてはならないこの時期だが、天気予報は連日雨模様、それなのに予報をを覆しての青空は、まさにラッキーの一語に尽きる。

そのあと、シャワーを浴びて冷たい西瓜にかぶりつく。  ゴクラク ゴクラク

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2009年7月25日 (土)

胸の痛みは

039 040 この花の名前”瑠璃柳”(ルリヤナギ)という。柳のような細い葉と、花の色が名前の由来であろう。

長い間図鑑などを調べて見ていたが分からなかった。

昨年もだったが五月初めから土手の一角で咲き続けているのだからかなり花期の長い花である。もっとも入れ替わり立ち代りに咲いてのことだが、、、

明るい紫とでも言うのだろうか下向きにうつむいた姿が清楚な感じを与える。花言葉は「胸の痛み」だって、、、それでうつむいているんだろうか。

原因は心筋梗塞などの心臓病か、、、別のことだろうけどね。

原産地は南アメリカ、日本に来たのは案外古く江戸時代、それも直接に入ってきたのでなく琉球を経て渡来したと言うので”琉球柳”と言う別名がある。

南米が原産地だけに寒さには弱く、まだ日本中にとは広まっていないようだ。

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じゃが芋の掘り時だっていうからまた長野に行って来る。

他人は「交通費をかけて宿代、みやげ物代を、、、高いじゃが芋だね」っていう。

確かにそうだ。スーパーでこの金額買ったら倍くらいになるかもしれない。しかし、友人たちと顔を合わせ騒ぎ、帰りに玄米60kgほかを貰えば、、、

ただ、あちらでも一昨夜からの雨で畑はびしょぬれに濡れてしまった。と、TELが有ったのをおしての長野行きだからどうなるのか、、、

まあ、戸倉上山田温泉に宿も取ったことだし、、後は成り行き任せでと言うことにして出発する。

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2009年7月24日 (金)

母の愛は

035 夜来の激しい雨音で目を覚ますと、裏の川が道路面すれすれまで上がっていた。これはかばいかなと思っていたが、そこが最高水位になり夜明けとともに雨も小降りになり、ほとんど降り止んだときカルガモが一回り小さな雛を一羽連れ、グワーグワーと大きな声で鳴き、草の生えたところ覗き込みながら下っていった。

きっと昨夜の豪雨で散りじりになった雛を呼び集めているのだろうか。

その有様は周りのことは一切関係ないとばかりに見えて半狂乱と言ったところ、まさに「母の愛は盲目」と擬人化して見ていた。

無事に会えるといいのだが、、、。両岸が高いコンクリート護岸の川では逃げ場が無い。

007tomoegawa 朝早く、雨の降らぬ間にと出かけた散歩途中の巴川も普段より水位が1.5mは上がって、川幅も広く大河の様相をかもしていた。

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最近ガソリンの値段がじりじりと上がってきた。航空機もこの調子だと評判の悪かったサーチャージを復活せざるを得ないと言う。

一方で、自動車をはじめとして産業界が冷え込んでいるため、製油所の稼働率を低く抑えている。なのにどうして値上がりをするのか、またぞろ金融投機筋がうごめきだしたようだ。

実態経済を離れた先物買い。懲りたはずではなかったのか。

衣食住をはじめ生活関連の物質を投機の対象から規制する方法はできないものだろうか、、、、、。

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2009年7月23日 (木)

人災だぁ

010 関東甲信越の梅雨明けについで近いうちに東海もと思っていたが、全国的に梅雨空が戻ってきたと言う感じの今日この頃。”大暑”だといわれても蒸し暑いだけで気温は二十七度と真夏日にはならなかったようだ。

そんななか、昼顔があちこちで咲いている。朝顔 昼顔 夕顔と名前のよく似た花があるなか、昼顔だけは雑草扱いにされて藪の中に咲く。

ピンク色した綺麗な花なのにどうして庭に植えられなかったのか、それとも人手を嫌ったのか、蓮華にちなんで”やはり野に置け、、、、”と先人は見たのだろうか。

傍にある、草にしがみついて自己主張をしている。

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梅雨明け間近になると例年のように災害が発生する。

静岡でも、昭和四十七年に七夕豪雨と言うものがあって、かなり広範囲に水没し土砂崩壊で犠牲者が出たと聞いている。

古来人々は、災害のたびに住む所を移し、古くから人が住んでいる所はそれだけ被害の少なかったところと言えよう。しかし、近年の人口増加や土木技術で宅地化が進み、それまで人が住めなかった場所にも家が建つようになって新しい災害も増えてきた。

今回山口県防府市の特養老人ホームの惨事もそんな場所に建てられたような気がする。

最初、職員らしき人が「これは人災だ」と言っていたが、その後の話でこういう事故が予測できたので県に訴えていた、と言う意味のようだった。

しかし、現地を見たわけではないのではっきりしたことは言えないが、建物を通って流れ出た水で洗われ、机が引っかかっていた場所には大きな玉石がごろごろとしていた。

これはむかし、ここに川が流れていたことを意味し、今回のように大雨が降れば水道(みずみち)になる可能性は十分に予測できたのではないだろうか。

とすると、ここに建物を建てたこと自体、許可したことことが人災であって、上流の工事云々ではないのではないだろうか。

人里はなれたところに立派な建物が建っていると、大抵この種の建物である。土地の取得費が安いのが最大の魅力なのだろうが、もっと周りの地形などを調べてから計画してもらいたいものだ。

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2009年7月22日 (水)

生きていればね

009_2 先日以来大騒ぎをしていた皆既日食。朝方の大雨で「今日は駄目だな」、と思っていたら九時ころになって青空が見え出し、あわてて準備を始めたら、再び曇ってきて太陽を覆い隠してしまった。なんとも人騒がせな天気である。

それでも、十一時過ぎにはかなり暗くなってきて、この雲の上で部分日食が起きているためなのだろうか、雲が厚くなって暗くなっているのか分からない程度の暗さで終わった。

同じ静岡でも、海岸よりのほうはうす曇だったそうで、見られたらしいとのこと、同じ大騒ぎでもこちらのほうはうれしい騒ぎでよかった。

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報道では四十六年ぶりの皆既日食だと言っていた。自分はこれまで皆既日食というものを一度も見たことが無く、子供のころにガラスに煤をつけて覗いたことが二度ほどあるように思っている(定かでないが、、)。

しかし、今回のようにそんな方法では駄目。網膜を傷めるので「市販の日食グラスをつけなさい」と、くどいほど注意されたのは初めてである。

いままでに、日食で目を傷めた人がどれだけいるのだろうか。今日のテレビでも、インドの日食風景では煤をつけたガラスなんて誰も持っていなかった。

かくいう自分も、むかし、太陽をまともに見た経験が二度三度とある。青い空に太陽も同じく青くなり、輪郭だけが赤く丸い輪をかいていたものだ。しかし、いまだに眼鏡の必要はないし、一緒に見た同級生もいまだに眼のほうは健在である。

まして、当時煤をつけたガラスで覗いた連中の中に眼鏡をかけているものはあったとしても、、、、どうなのだろう。

なんだか、日食眼鏡の売れ行きを伸ばし内需拡大か、なんて疑ってみる。そういえば新型インフルエンザではマスクの業界が大繁盛したそうだから、、、。

とりあえず、次の皆既日食は北陸から関東へ抜けるそうだから、そのときにまでとっておくように、、、生きていれば自分は九十六歳。眼鏡なしで見てやろうと思っている。     生きていればね。

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2009年7月21日 (火)

惜敗を期して

009abu 多分”夏の田村草”だとおもう。紫蘇科の植物は良く分からないとこに持ってきて、秋の田村草というのが有ると、区別がつかない。

056 調べてみたが、解説によっては特徴が逆なのもあって、はっきりしたことが分からないし、今の時期だからと思っていたが秋の田村草も七月には咲くと書いたのもあって、素人の自分には「えいやっ」と決めるしかない。

そんなことなら、いっそ同じものにすれば良さそうなものをと思うが、、、、、。

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衆議院がようやく解散した。それにしてもあの最後にやる「バンザイ!」は何なのだろう。都議会議員選挙のときの首相の応援演説ではないが「惜敗を期して、、、」と、半ばやけくそのような気がしてならない。

それにしても、選挙が来月末と言うのはどういうことだろう。国政は一日も休めないと言っていたが、、、八月までの給料(歳費)欲しさのためだろうかと勘ぐってしまう。

この四年間いろいろな不祥事があった。曰く「女性は子供を生む機械」いわく「原爆を落とされたのはしようがない」、、、、数えだしたらきりが無い。

暑い夏の選挙。人々を暑さボケに引きづり込み、狂乱、惑乱させて、過去を忘れさせようとしているのだろうか。

熱しやすく冷めやすい、銅鍋のような国民性といわれる中、長い期間のうち、義理や人情のお涙話にだまされて、この四年間のこと忘れてはなるまいぞ。

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2009年7月20日 (月)

ツユクサとおはなし

019 今日は海の日でカレンダーは赤字。そういえば海水浴ってのはいつ行ったきりなんだろう。

今日も朝から暑くなると思い散歩は七時前から歩き出した。いつもすれ違う人には「こんにちは」と言っていたのと高曇りながら日差しが高くなっているものだから「おはようございます」と言う挨拶についていけず、おもわず「こんにちは」と言ってしまう。頭では「おはようございます」と分かっているのに習慣ってのは、、、。

麻機の山に登りかけて、小さなカマキリを見かけた。

一輪だけ咲いたツユクサの花に向き合っている。餌になる昆虫でもいるのだろうか。それとも、ツユクサと話をしているのだろうか。、、そんなことは無いはずだけど。

ツユクサってのは正面から見ると顔のように見えないことも無いからな。そう思って何枚か写真を撮っているうちに、カマキリの子は場所を移動して手すりの上に、そこでとったポーズがこれ、、、。

017 いかにもボクシングの選手のようにひじを曲げてジャブを放とうと待ち構えているように見える。

イソップ物語だったかに、石を投げる子供に向かって蛙が「そちらは遊びの積りだろうけどこっちは命がけだよ!」とあったように思えて、これ以上かまうのは止めてきた。

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2009年7月19日 (日)

夕焼け雲に誘われて

075yuuyake 今日は”土用の丑”スーパーでも盛んに放送していたが、朝から高かった気温も午後になってさらに暑くなり、道路の照り返しを含めると40度に近く、上下からの熱射でこちらが汗まみれの蒲焼と、少々臭いものになりそうな雰囲気を呈していた。

その暑さも夕食の間に適当なお湿りがあったと見え、気温がぐんと下がり、道路がぬれて夕焼けの光を反射していた。

夕焼け雲に誘われて、、、と言う歌の文句があったが、まさに文句どおり夕焼けに誘われて散歩する気になった。

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039tomato1 先日までバナナダイエットだったが最近はトマトダイエットだと言う。

Tomato2 (今日のお持ち帰り分)

かく言う自分は、先日来取れすぎたトマトの処理を含めて毎日5~6個は食べている。もちろん店頭に並べられるようなものは少なく、捨てるには惜しいと言った程度の B 級のものであるが、毎日となると飽き加減と言うのが実情である。

トマトは、リコピンとか言うものの吸収率があがって脂肪が燃え体重が減ると健康雑誌に書いてあるそうだ。しかし、自分は健康雑誌のように減らない。

以前テレビでお笑い芸人が脂肪吸引といって、腹回りの脂肪を機械で抜いてもらったそうだ。牛乳パック何杯かといっていたが、かなりの量を抜いて「胴回りも何センチもへこんだそうだが体重はほとんど減らなかった」と言っていたのを思い出した。

そう、脂肪は軽いそうだ。体重が13kgも減ったにいたっては何かほかに原因があるに違いない。正月に血圧が少し高めになり、栄養指導を受け「植物質のものを多めに食べなさい」と言われ気をつけているが、中性脂肪はずっと80前後で上限と言われる149mgの半分ほどのまま、体重はここ半年で2kg未満の減少しかしていない。

雑誌に踊らされて、バナナにトマトにと振り回されるのはやめようよ。医学誌にも少し太り気味のほうが健康だと言われているし、世の中、痩せているよりふっくらぽんとした女性に魅力を感じる人は自分を含めてかなりいるはず、、、、、

、えっ、自分なんかは問題外だって?  そりゃそうかもね!

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2009年7月18日 (土)

大きいことは

033_2  この花、シモツケという。下野の国で見つかったから名付けられたとも言われているが、国の名前をそのまま花の名前にしたのはほかにあまり例が無い。

二昔前なら「大きいことはいいことだ、、、」と纏を振って歩く直純おじさんがいたけれど、、、

よく似た花にシモツケソウというのが有るが、こちらは草である。いずれも小さな花を密集させ、濃いピンクでと多くからも目立っている。

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生まれ故郷が市町村合併で”飛騨市”と名乗ったときは隣の高山市が名前が大きすぎると横槍を入れたと聞いたが、岩手県に奥州市という市ができるに及んでは大きすぎるとは言えなくなった。

静岡県でも、伊豆市という市ができた時も同様な話を聞いたが、その後、その隣に伊豆の国市とこれまた同じような名前を使い、昔、地理だったか社会科だったかで習った地図はまったく役に立たなくなって、最近は新聞を見ていて、それどこ?と言う地名がやたらと多くなった。

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世間は三連休に入り、日ごろ服用している血圧の薬が足りなくなると困るので病院に行ってきた。

医者様に、先日大谷崩れで立ちくらみのような症状があったことを話したら、血圧の薬にはそのような副作用があるとのこと、そして、「今の状態なら量を減らしましょう」とのことであった。

こちらとしては、貧血にでもなっていたかと相談してみたのだが、、、、もしそれが原因なら、、、またどこかに登ってみたいもんだ。

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2009年7月17日 (金)

松のしずく

001matunosizuku 朝から断続的に降る強い雨の中、傘をさして風流人?それとも酔狂の人がいく。

小屋の脇にある松のしずくが妙に気になって写した。細い松の葉の先に小さな水滴がぶら下がっている。

こういうのを松露というか知らんと思って辞書を引けば、どうも該当していないようで、”松露”とはきのこ、和菓子、焼酎の名前だとある。

和菓子と焼酎は商標であるが、きのこについては、フランス料理で有名なトリュフの仲間で美味しいそうだ。

以前に、三保の松原の西側で、ゴルフボールが茶色く風化したようなものがあったので、蹴飛ばして帰ってきたが、あれが松露と言うものらしかった。

あとで、あの辺にもあるよと聞いて「もったいないことをした」と悔やんだが遅かった。以後、見放されたらしくお目にかかっていない。

ともあれ、この雨はまだ二~三日続きそうだとのこと。

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北海道大雪山系の山で十人もの人が遭難死するという惨事が発生した。

単独登山の人もいたが、残りはパーティを組んだふたつのツアー客だったそうだ。ひとつのパーティでは三人ものガイドがいてこの惨状だったようだが、なぜこんな事態になったのだろうか。

助かった人の中に「こんな雨風の中、中止しようとしなかった」と多分ガイドを非難しているようなことを言っていた人がいたが、遠方から来てこの機を逃せば、という日程的なことから、止めようと言えない雰囲気があったのかもしれない。

テレビによれば何箇所かで遺体が見つかったように言っていたが、なぜ、バラバラになっていたのだろうか、動けなくなった人を置き去りにして移動したのか、など分からないことだらけ、、、。

自分も山ではどんな状況に遭遇するか分からないので軽々にものを言うわけにはいかないと思うが、少なくとも山が荒れると予報が出ていれば登らないことにしている。

嵐の後の晴れ間から見える景色や太陽は格別なものがあるだろうが、自分の体調を含めていつでも撤退することが肝要である。

前にも書いたが、疲れた人を説得して無理やり歩かせている元気な人や、観光地を行くように旗を持って案内するガイドを見たことがあるが、予定をしただけ廻らないと気がすまないところが日本人にはあるのだろうか。

静岡新聞の投稿欄に、南アルプスの非難小屋が焼けた記事の中でへとへとになってやっとの思いであの小屋に着いたと書いていた人がいたが、「そんなになるまで無理するなよ」、、、と

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2009年7月16日 (木)

どう美人かしら?

Img_0008 暑さを避けて川風を懐に入れようと出かけた先にいたカルガモの親子。

「どう 母さんに似て美人かしら、、、?」とばかりに

こんなのを見ていると時間の立つのを忘れさせ、心頭滅却した積りはないが、直射日光もまた涼し。

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それに引き換え、永田町の暑苦しいこと。テレビを見ていると暑さがよけいに身に染みてくる。

いや、当人たちはそれも感じていないか。

そして、麻生総理の鈍感さ、あのくらいでなくては首相と言うものは勤まらないのだろうな。いままでに、何回も政権を放り出してきた首相に比べると総理の椅子にしがみついて「離れない」と駄々をこねているようで、これまた、後々名を残す(良い悪いは別にして、、)人なんだろうな。

今度の選挙は、ガラガラポンとかき混ぜて派閥の領袖クラスを含め古い人すべて振り落とすような選挙にしてみたい、が如何。

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2009年7月15日 (水)

霧にかこつけて

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むかしの大谷崩れ、、現場の看板から

幸田露伴の次女で作家の幸田文がこの地を訪れたのは昭和五十一年の春、七十二歳の時だったと書いている。

先日古本屋に行って「崩れ」と言う題の本を読んでから、久しぶりに行って見ようと梅雨明けを待っていた。そして今日天気予報もあわせて現地に向かった。

自分は彼女の小説は読んだことがなかったが、この本は彼女が大谷崩れを見て、日本中の地すべり崩れの現場を見て歩き小説にするきっかけを作った場所であることは駐車場すぐ上の石碑で知っていた。

大谷崩れはかなり昔からあったようだが、約三百年ちょっとまえに大きな地震のため、日本三大崩れとまで称される大規模地すべり起こしたところで、その崩壊土砂が流れ出た規模の大きさはいまでも川岸に積み重なっている土砂の高さで分かる。

戦後になって本格的に始まった防災工事も、幸田文が来た当時はまだ崩れが植生で隠されていない時期だったらしく彼女はかなりの衝撃を受けたようで、その小説の中で何回も書いている。

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今朝の歩き出しは快調だった。崩れが集中した”扇の要”までは20分そこそこだった。そして、森林帯を過ぎ崩壊土砂が積もり、最後の水場を過ぎてから疲れが吹き出たように足のほうにも異常が来た。

026ooya_2 (この当たりからくたびれる)

その後、休む回数が増え”新窪乗越”直下で立ちくらみのような症状を経験した。「いけない、前に熱射病をやったときに似ている」と思い木の下に入り持っていた水を飲んで15分ほど座ってから乗越しまで上がったが、この時間になって霧が巻いてきた。

032ooyakiri 霧の湿度から言って、雨になるようなものでないと分かっていたが、後ろ頭の具合がすっきりしないので「今日はここが退きどき、、」とばかり下ることにした。

崩壊した土砂は、頁岩が多く割れて角張った石が多く、下手に転ぶと切り傷はもちろん骨折の可能性が考えられるのでそれこそ慎重な下山に心がけた。

工事は今も続いていて、今日歩いた斜面の反対側では削岩機らしいけたたましい音が響き、近くの木の上では春ゼミが軽やかな声で鳴いている。

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午後八時、まだ頭がもやもやし、後ろ頭に氷を乗っけている。「熱射病?脱水症?、馬鹿にしたらあきまへんで~」といったところ。

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2009年7月14日 (火)

揚羽乱舞の麻機農道

070 梅雨も明けたようだと気象庁が言う。

高曇りながらその予報に異論はない。

まだ涼しいうちにと麻機の農道をまわってくる。元気なのは烏揚羽をはじめ蝶の仲間。春先のものに比べ体格も一段と大きくなったように見える。

006 揚羽、黒揚羽、長崎揚羽、そのなかで、烏揚羽が青光りをする羽を広げている姿が一番見栄えがする。

.写真左、黒揚羽、名前のとおり艶の無い黒一色の揚羽蝶

.写真下左、揚羽一番標準的なのか、またの名を並揚羽と言う。下右、長崎揚羽、もともとは九州など暖かいところの蝶だが近年北上し栃木あたりでも確認されたとか、、。

032 045

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2009年7月13日 (月)

脳死は人の死

012 気温も35度まで上がって熱風が吹き渡った。

今日咲く月下美人の鉢も二度ひっくり返すほどの勢いを持つ風もこれだけ気温が高くては冥加の葉も幅を縮めている。太陽の光をこれ以上いらんと言わんばかり様子。

夕食を済ませ、日が落ちてから散歩に出かけた。夕まぐれの田んぼ道で八十歳だと言う老婦人に声かけられた。聞けば、お盆の墓参りに南沼上の墓地まで行った帰り、田んぼの中で方向が分からなくなったとのこと。

途中まで案内して分かれたが、今日は我が家でも迎え火をたかなくてはと早々に帰る。支度をしていると、裏の川でにぎやかな声が聞こえる。

そう~っとのぞくと、鴨の子供デビューらしく、暗い川面に大小の鴨が七~八羽集まってガーガ―啼き交わしている。

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参議院も「脳死は人の死」とする法案が通った。これで、15歳未満の子供の臓器提供に道が開くことになった。しかし、提供に同意する親族が増えるのだろうか、、、。

海外に行って大金を払って臓器移植をすることが今後難しくなると言う背景もあって、ろくに審議することなく決まった法案だが、日本人の倫理観から言ってなかなか提供すると言う人は出てこないような気がする。

たとえば、提供に同意した場合。まだ体温も正常なのに我が子を見捨てた。なんていう周囲の批判げ必ず出てくるはず、、。

自分の場合、年も年だから脳死状態になったら提供すると言っても使える臓器は無いに等しいので、提供者にはなりえないと思う。(もし使えたら「どうぞ」と言いたい、他人の身体の中で一部とはいえまた何年か生きられると思うとうれしいのではないだろうか)

そして、脳死と決まったら即治療を止めてもらいたい、無駄な治療や迷惑をかけたくないし、ホースに縛られても決して幸せを感じないと思うから、、、と家族には言ってある。

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また、午後になって麻生総理が来週解散をすることを決めたとテレビは報じていた。ここしばらく自民党が推薦する候補者が連敗し国民が自民党に愛想を付かしていたのだが、昨日の東京都議選が”自民党の脳死”を決定づけたようで、世間ではこれを「やけくそ解散」いう。

これからの暑い夏をさらに暑くし、また街中を巨大スピーカーでまくし立て、国民すべてを熱暑地獄に引き釣り込もうとしているように思える。

その行き着く先はなんだか予想できるのが辛い。

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2009年7月12日 (日)

行って見なきゃ分からん

006 山梨県下部温泉から下部川沿いの道をジグザグと折り返し上り、トンネルをくぐると目の前に綿帽子をかぶった富士山が顔を出した。

すぐに車を止めて写したのが上の写真。

ちょうど反対側から昇ってきたオートバイの人も道肩にとめてカメラを探っている様子、ちょっと会釈し構図をファインダーのなかできめていたら、近寄ってきたライダーはご同輩。ヘルメットをかぶると年は分からなくなる。

二~三言葉を交わして、お先失礼と下りだす。この道は富士山が綺麗に見える林道として評判だが、冬場は通行止めになるし、しょっちゅう土砂崩れがあって往来がとまる。

上り口の道路脇にいた人に「今日は通れますか?」って、聞いたときの返事は「行って見なきゃわからん!」だった。

猪之頭に下りて見上げれば、富士山はすっぽり雲の中。もし、この道を通らなければ、「今日の富士は見えなかった」と書いていただろう。

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今日は、東京都議会議員の選挙。さて、へびが出るかじゃが出るか、、、。余所ごとながら興味は尽きず、速報を見まもる。

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2009年7月11日 (土)

今日は大安吉日

037 気温も30度を越して真夏を思わせる太陽が重苦しい力で押さえつけるようにして照り付けている。

そのしたで、ひまわりが「真夏だよ」とばかりに見下ろしていて、中には受粉が済んだらしく花びらを落としているのもあり、季節のせわしなさを感じる。

今日は、裏から麻機の農道を登り、尾根伝いに賎機城(しずはたじょう)をへて浅間神社へ下ってきた。この道を散歩している人は多く、いつ歩いてもすれ違う人がいなかったことが無い。

のぼりくだりを適度に繰り返しながら歩く道は、立ち木に囲まれた尾根筋だけに、太陽はほとんどのところで遮られ、雑木の間を吹き渡る風は涼しい感じがするものの、半そでのTシャツは汗でぐっちょり、、。

戦没者を祭った平和観音のある広場には15人以上のご同輩でベンチは満員状態。ここまでで約一万歩になる。

065 浅間神社の境内に入れば、どこからとも無く笙の音色。なんだろうと近寄ってみれば結婚式のため拝殿にむかう新郎新婦を案内する行列に出くわした。

そうか、今日は大安吉日。うれしそうな笑みをたたえた花嫁、晴れやかな行列を見ているとこちらも嬉しくなる。

その気持ちのまま、城北公園を廻って帰れば万歩計は17,500余歩。計りはじめて最長の散歩だった。

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2009年7月10日 (金)

二つ名 三つ名?

010_2 待宵草。夕方に花開き朝日を受けてしぼむ一夜花。

待宵草にはいくつかの種類があるが、直径5センチと小ぶりな花を咲かせるこの花は荒地の待宵草だろうと思っている。

008 待てど暮らせどこぬ人を 宵待ち草のやるせなさ、、と歌ったのは竹久夢二だが、この歌のおかげで、本名がすっかり変られてしまった。

また、太宰治が”富士には月見草が似合う”と、の賜わってから、月見草と二つ名(三っ名?)を使いわけているが、植物学者でなかった太宰治は月見草が別の花とは知らなかったらしい。

花言葉は、はかない恋だそうだが、一夜で萎んでしまうところからだろうが、そんな時代はとうの昔のことで、いまじゃそんな花も咲かなくなってしまったのが惜しい。

Img_0050 (左、天下茶屋近くの碑文)

そういえば今年は、太宰治の生誕100年とかで彼の著作が売れているそうだ。なんだか彼の破滅的小説「人間失格」などがいまの時代に合うところがあって若い世代に共感を持って迎えられているとのことだが、自分としては彼の行動から見てお坊ちゃんのたわごと、と言った感じしか見れずいやな作家の一人である。

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2009年7月 9日 (木)

四万八千日は

Img_0115hanabi 今日は観音様の縁日とかで、まだ明るいうちから花火の音が聞こえていた。

静岡の清水寺は谷津山の西麓に位置しており創建は今川氏輝のころだと書いてあり、一度戦火で焼かれた後、徳川家康が再建したそうだ。

今日、この寺は四万八千日の縁日だと言うが、一年365日として計算すれば、132年お参りしたしたことと一緒になると言う。

浅草寺は、四万六千日だというからそれを二千日も上回る功徳があるようで、自分なんかこの先百年はおろか三十年も難しい、というのに、、、、。

まあそんなことを毒づいていると罰が当たりそうなので、、、、、、、

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020hasu 日中になってこんなに天気が良くなると思わなかったので、今日も朝早く散歩にでた。高曇りながら25度以上の気温のなか、時折雨粒がポツンポツンと当たる感触はなんだか気分が良い。

例年に比べて花数の少ない少ない麻機遊水地。

蓮の花が開ききって花びらの一枚一枚が風にそよいで、花の中心部を黄金色に光らせ、蓮の台を見せている。

さて、そのすわり心地は、、、

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2009年7月 8日 (水)

この時期は獲物にされる

002 体長2センチほどの蟷螂(カマキリ)が庭木の下で雨宿りをしている。

身体に露をまといつかせて雨の上がるのを待っている。

この大きさだと、孵化してから二度目の脱皮を済ませたところだろうか。最終的にはトカゲなどの大物をしとめるハンターもこの時期は逆に獲物される時でもある。

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東国原宮崎県知事。はじめは読みにくく喋りにくいこの姓を全国的に知らしめたのは彼の功績のひとつであろう。

この人が最近テレビを賑わしている。次の衆院選に出るとかどうとかと、、、。

いわく総裁候補にしてくれ、マニフェストの要望を入れてくれとか、、注文が多い。それに対して彼の知名度、タレント性にすがって票を伸ばしたいと目論む自民党幹部は日参しているようにとれる。

しかし、世間の反応は宮崎県知事を当選して三年にも満たない時期の転出に冷たい反応しかしていない。「どげかせんといかん」と言った県政はどげんかなったのか。テレビ出演はタレント並みのバラエテイがほとんどで、その評価は聞こえてこない。

なんだか知らないが、「自分が立候補すれば自民党は勝てる」と言う発言にいたっては、のぼせ上っているとしか聞こえない。ただ、いまが一番高く売れるとみて煽り立てている不動産屋みたいな気がする。

しかし、相手は百戦錬磨の古狸たち、幼齢の蟷螂が斧を振り上げても舐めきっていることだろう。

うまく行けばどれだけか得票になるし、当選すれば陣笠の一員で良い訳で、次の選挙で利用価値が無ければポイッと捨てればよいだけ、、、。

小泉チルドレンを前にして、小泉元総理が言った「政治家は使い捨て、、」が如実に示されている。それには比例区で出したほうが杉村太蔵みたいに切りやすい。

そんなことが分からないで、ただ「国政に出たい!」が顔に出るようじゃ、お笑い芸人”そのまんま”と言ったら、お笑い芸人に叱られるかな。

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2009年7月 7日 (火)

蝶はどっち?

015 #花が女か 男が蝶か 蝶のくちづけ うけながら、、、

さながら、歌の文句のように黒揚羽(クロアゲハ)が花から花へと蜜を吸いに廻っている。黒揚羽の衣装はさしづめ夜会のシックなドレスと言ったところか、、、、。

花と蝶。もし、立場が逆で花が女で男が蝶だとしたら、浮気者!と言って叱られるところか。それとも、ドンファンといってうらやましがられるところか、、、黒揚羽はタキシードのビシッと決めた自分、、てなことは一度も無かったが、、、、どんな歌になったか。

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むかし、七月七日は七夕の日。ということで、おとぎ話と現実の境が無かったころ、天の川の両岸にいる彦星と織姫が川の上で会うものと信じ、夜空を眺めていたがいつまでたっても星が動かないので不思議に思ったことがある。

もっとも、あれが彦星、あれが織姫と言われて指差す彼方のどの星が彦星か、織姫かが分からず、そのうちに動けば分かる程度の認識だったのだが、、、。

それ以来七夕の日に空が晴れたのは何日あったか覚えが無いが、あのころは空に星がありすぎて、、、、そしていま、地上の明かりが強すぎて晴れたとしても、彦星、織姫はもとより天の川さえどこかに行ってしまった。

008 午前中の雨が上がったところで、例年通り浅間神社の七夕飾りを見に行った。雨が上がってまもなくだったためか、合羽を頭からかぶって”テルテル坊主”のようなおばあさんが先を歩いていくので一枚失礼、と

その後、短冊を何枚か見せてもらえば、いつもながら頬っぺたが緩む。しかし、浅間通りは不況が身に染みたのか昨年までの大きな飾り付けは無く、ここも、竹に短冊と通り一遍。

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今日は、小暑。暦どおり蒸し暑く風の無い夜を迎え寝苦しさが予想される。

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2009年7月 6日 (月)

水玉とイトトンボ

013 午前中激しく降った雨も午後には細かくなり、近場の散歩ぐらいには出られると判断し、折りたたみ傘を持ってでかけた。

一時小止みと風のため、大粒の水滴が振り落とされたのを見て糸トンボも出て羽を休めていた。こんな細身では栄養をため置く場所も無いのだろう、雨さえ降らなければえさ探しに出かけなくてはならない。

水玉とトンボ。水玉には風景が写りこんでいたが細かくて分からない。トンボの名前もアオモンイトトンボか、クロイトトンボか、それとも別の種類か、これも分からない。

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2009年7月 5日 (日)

うっすらぼんやりと日は昇る

001asahi 朝のもやっとした雲を通して朝日が昇っていた。いつもは黒くろとしている竜爪の山もその雲のかなた静寂な麻機遊水地を散策する。

今朝方は中途半端な時間に目が覚めた。四時を少し回った時間である。このままでは二度寝になり、目が醒めたときがつらい。で、新聞に目をとおしたあと歩いてみることにした。

009asahata 湿度も高くとても爽やかとは言えないが、この時期仕方が無い。しかし、この時間に歩いている人や釣りを始めている人も結構いて、何人もの人を見かけ、、、、挨拶のできる人、できない人とすれ違う。

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今日は県知事選挙。マスコミはこの選挙と続いて行われる都議会議員選挙が政局に大きな影響を与えると騒いでいる。

しかし、われわれは自分たちの首長を選ぶための選挙に行っている積りであり国政とは一線を画して選びたいと思っている。

当初は、出てもらいたくない候補者を抑えるために対抗馬と言われる人に投票しようかとも思ったが、政見放送を聞く中でこの人も前知事を評価していることが分かり、それではどちらが当選しても変わりはないようにみえる。

そういう意味から、急遽担ぎ出され、なんだか分からない人より前から準備し、考え方が一番近いと思うが劣勢が報じられていた候補者に投票し、政党支持の候補者をはずすことにした。

今回は候補者を選ぶ段階において政治屋の間でごたごたしすぎた。相乗りだの、あれは嫌いだのと、主義主張をそっちのけで子供の喧嘩みたいなところを聞きすぎた。

候補者も、ぐずぐずした挙句の出馬。当選してからうまくいかなかったら、推薦した政治屋に「自分は本当のところ出たくなかった」と責任をかぶせてしまいそう。「万歳万歳」した後、大丈夫なんだろうか。

今朝の太陽同様、うっすらぼんやりしていては困るんだが。

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昨夜11時半、当確が出たところで床についたが、まれに見る接戦だったようで今朝の新聞にも各地等分に支持が分かれていたようだ。

もっとも、驚いたのが投票率。これは、普段投票に行かない人がでかけたことで普段は組織票に頼っていた自民公明に大きな打撃を与えたことになる。

保守的といわれる静岡県で、前知事が後継者として押したのが良かったのか、悪かったのか分からないが、元民主党代議士の票を合わせれば自民公明は大敗したことになる。

とはいえ、政治的には未知数の学者先生の新知事。与党少数の中マニフェストをどう消化していくのか、無駄遣いを切れるのか、、、、。(七月六日、朝六時新聞を見ての感想)

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2009年7月 4日 (土)

七色に輝くポリマー

012 軒先にかけられた蜘蛛の巣。朝日を通してみると虹色に輝き、着物の柄にも無いような模様を映し出していた。

011 さらにアップしてみると、一本の糸の部分によって色が違い、なんとも不思議な光景を見た。

蜘蛛の糸。山道で顔にかかるとその粘り気もあって顔全体にビチャッとした感じで張り付き嫌な物だが透かして見るとガラス繊維を思わせるものがある。

調べてみたら、動物性ポリマーから出来ていると言う。では、ポリマーとは?、たんぱく質の高分子化合物で、、、、、あとは分からない。

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021 今日は、久しぶりに藤枝の蓮華寺公園から瀬戸の谷川沿いにのぼり、西方~玉露の里~小瀬戸と山中を廻って帰ったきた。

麻機の蓮の花は咲き出しているものの、今年はちぃっと物足りない。蓮華寺公園ならどうだろうか、と思ってのことだったが、、、、、

やはりここも思ったほどではなかった。周りを前後して散歩中の人、毎日来ているといってたが、やはり今年はよくないそうだ。

それではとて、前期のコースを取ってみたものの、今の時期これと言った山の花も無く、野菜を少し買っての帰宅となった。

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2009年7月 3日 (金)

静かにあるいは寂しく

016gekkabijinn Img_0015 先月試し咲きに一輪咲いた月下美人が、暑さも本番と見たか今日になって十輪がいっせいに開花し、あたり一面に花の香りを撒き散らしている。

枝を切ったり、葉をさしたりして知人に分けたクローンも、あちこちで今日咲いていると言う。月下美人の不思議なところは、このようにして環境が違っても同じ日に花を咲かせるところにある。

よほど、体内時計みたいな遺伝子がきついのだろうか。

おかげで、去年までは月下美人を肴に集まってもらい、”チクと一杯”と杯をかたむけていたが、今年はそれそれの家で花見をするといって誘いに乗らない。

と、いうわけで、テレビから流れてくる「昭和の歌」などを聴きながら、静かにあるいは寂しく花の咲くのを眺めている。

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昨日今日とイタリア映画の古いものをNHK衛星第二でやっていたので、思わず見てしまった。

昨日のは1,956年の「鉄道員」今日は1,957年の「刑事」だった。

いずれもモノクロ映画で筋書きそのものは覚えていると言うには断片過ぎてこんな場面、こんな俳優がいた程度しか覚えていないが、どの映画もその主題歌(サウンドトラックとでもいうか)に釣られてみた部分がかなりある。

”アモ~レ アモ~レ アモ~レ アモレミオ”で始まる Sinno me moro(シノメモロ)などはイタリア語も分からないのに歌えたものだ。それが、今では日本語の「崖の上のポニョ」さえ歌を覚える前に街中で聞くことが無くなった。 

あのころは、自分もまだ十代後半、映画が一番の娯楽だった時期だけに、よく映画館に行ったもので、筋書きは忘れても主題歌はかなりたくさん覚えていて、この歌が流行ったときは「ああいうことがあった、こういうことがあったと」思い出してしまうものである。

それにひきかえ、映画も見なくなったせいか、それとも生活に変化と言うかメリハリが無くなった為か、最近は歌と時代が連動しない。

「昭和の歌」はほとんど付いていけるのに、、、、、、、スローバラードの復活はもう無いのだろうか。

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2009年7月 2日 (木)

天から毒気が降る

004hannge 今日は”半夏生ず”と言われ烏柄杓(カラスビシャク)が生えるころと言った言葉だが、昔はこの日は「天から毒気が降る日」と言うことで井戸に蓋をしたそうだ。

一方、烏柄杓は天南星によく似た形をしていて、小さな柄杓と言ったところか。吐き気を鎮めたり喉の薬にもなるそうで天から毒とは少し趣が違う。

016 さらに、一般に半夏生といえば、葉っぱが一部白くなるどくだみ科の植物も言われているが、こちらは半化粧のほうから来たようだ。

午前中は雨が激しく降ったりで何も出来なかったので、床屋に行き髪を切ってこちらも半化粧。ただ、毒気はいまだ抜けず。

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昨夜はどんよりとした暑苦しい気配。湿度がやたらと高く寝苦しい夜だった。

「寝るには体力がいる」と聞いたことがある。昨年までは、寝際にクーラーをかけて部屋を冷やせば、麻まで寝醒めることも無かったが、今年はすでに二回暑苦しくて目が醒めた。

すこし開けた網戸越しからは、そよとも風が入らず肌が汗ばんでいて気持ち悪くて寝付けず、もやもやと考え事に走る。

年をとるとはこんなものか。十三年前になくなった母親には自分の体力を基準にしてものを言い過ぎたのではなかったか。年をとらなければ分からないことがこれからもどんどん出てきそうでこわい。

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2009年7月 1日 (水)

ペルシャじゃないんだけど

075 暑さを避け早めの散歩に出れば、波斯菊(ハルシャギク)が麻機遊水地に密集して咲いている。

ときおり強く吹く風に背を向けるようにしているものだから、花のほとんどがこちらを向いているように見え、なんだか気恥ずかしいと言った感じがしないでもない。

波斯はペルシャを漢字書きした字で、この花の原産地がいかにもペルシャ、いまのイランを思わせるが、本当のところ北アメリカだという。

073 どうしてこうなったかは分からないが、多分エキゾチックな印象から名づけられたにちがいない。別名を”蛇の目菊”とも言うそうだが、花に中心が赤くなって蛇の目傘を連想してつけらたのは説明されなくても分かる。

ここの、草花は堤防を改修したときに種がまかれたようで、少し前は”夕化粧”が勢いを振るっていたがこの時期になってとって代われて来た。

”麻機の自然を守ろう”と言う人たちにとっては、邪魔な帰化植物かもしれないが、、、、う~ん。といったところ

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国民栄誉賞を女優の森光子さんがいただいた。17人目だという。長年の偉大な足跡は、その賞に十分値する価値があると認めるところであろう。

ただ不思議なのは、森元総理の時の高橋尚子選手のように、本人の功績とは別に政治家のほうに何か胡散臭いものを感じてしまうのは、日ごろから権力と言うものに対して嫌悪感を感じているためだろうか。

高橋尚子選手がもらえて、北京オリンピックで連覇した選手がもらえなかったのは、選挙が間近でなかったと思われても仕様が無いとなると、「国民栄誉賞とは何ぞや」になりかねない。とおもうし、こんなことを書くと森光子さんにも悪いと思うのだが、、、、。

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今日の万歩計、12,367歩。まずまずといったところ。

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